はあー、立香いねぇ、マスターもいねぇ、サーヴァントもそれほど揃ってねぇ 作:日高昆布
楽しんで頂けたら幸いです。
肌を撫ぜる熱風と、砂利の痛みに目が醒める。未だ失神を求める体は赤と黒に支配された世界を目にし、急速に覚醒した。即座に起き上がり、回路を起こす。この状況が如何なる要因によって引き起こされたのかは全くもって定かではないが、規模を見れば危険過ぎる何かによって引き起こされたのは明らかであった。
しかし幸いな事にその何かは、即座にこの身を危険に晒すものではないようであった。少し息を吐き、自分になりに状況を整理する事にした。
自分の名前は三船乱蔵。それなりの歴史を持つ魔術師の一族——あるものを高める事だけに全霊を注ぐと言う根源など何のそのと言うスタンスによって他の魔術師からは恥部扱いされている——の現当主である。そして人理継続保証機関フィニス·カルデアのスタッフである。そして今日はそのスタッフとして集大成と言えるレイシフトの実験を行う予定であった。所長の号令の下、己の職務を全うすべくコンソールに付いた所までは覚えている。その直後、つまり起動実験の直前に何かがあったと言う事。
事態を解明するには情報が少な過ぎたが、1つだけ確実な事があった。
「レイシフトしている」
となると自ずと見えて来る事実がある。それはこの状況は危険過ぎると言う事。人理を観測できなくなった原因がこの時代にあると仮定し、レイシフトの準備を進めて来たのだ。そしてそのレイシフト先がこの有様。『死』は真後ろにある。
「すぅ」
跳ね上がった鼓動を抑えるべく、深呼吸を数度繰り返す。勿論それだけで解消されるようなものではない。しかし落ち着こうと自分に言い聞かす事が重要なのだ。
「はあ……。よし」
幾分か落ち着いた彼は、まず自身の持ち物を確認する事にした。
・ハンカチ
社会人として持っていて当たり前の必需品である。手拭き、汗を拭うと言ったオーソドックスな使い方だけではなく、傷の応急処置やベンチの上に敷いて彼女の好感度アップと言った変則的な使い方もできる。
・ポケットティッシュ
ハンカチ程頻繁に使うわけではないが、機会が訪れた時には八面六臂の活躍を見せる影のエース。ハンカチに加えてこれも持っていれば彼女の好感度はうなぎ登りだ。
以上である。……以上である。
あまりの貧弱な装備に、思わず決定的チャンスにゴールを外した選手に様なもの哀しい佇まいになってしまう。行動指針を建てる事すら難しい有様であった。
「キャ—————!!」
どうしたものかと途方に暮れていた乱蔵は聞き慣れた金切り声にハッと顔を上げた。この声の主はまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸。切られてなるものかと、乱蔵は全力で駆け出した。道無き道をパルクールの要領で踏破し、一気に距離を詰める。程なく声の主——オルガマリー・アニムスフィア——を視界に捉える。しかし一瞬の安堵も許されない逼迫した状況だった。骸骨の様な敵性体に追い詰められ、今まさにその攻撃を受けようとしていた。
接近しての撃破は間に合わない。敵生体の動きの速度と彼我の距離から瞬時にそう判断した乱蔵は、投石による攻撃の妨害に切り替えた。しかし位置が悪かった。オルガマリーと敵生体が重なっているのだ。攻撃可能な箇所は振り上げられた腕のみで、タイミングはこの一瞬。故に些少の躊躇なく石を放つ。
最適且つ最短のモーションによって放たれた石は容易く音を超える。寸分の狂いなく、骸骨の腕を右前腕から砕き、攻撃を空振らせる。
飛び石の様に前方へと点在する瓦礫を蹴り加速。骸骨の二撃目より速く自身の射程圏内に到達。
腕の破損具合から強度の当たりを付ける。無手での破壊は困難。逃走を目標に設定。
右脚で踏み込み、体を捻りながら跳躍。骸骨の側頭部を、自身の足にダメージを与えず、且つ可能な限り距離を稼ぐべく全身をコントロールし、足裏で蹴りつける。地面と水平に飛び、1メートル程で落下。予想よりもかなり短かった。予想強度を更に修正。
オルガマリーの体に目を走らせ状態を確認。発汗、発熱、息切れの症状が見られるも、何れも疲労によるものと判断。
「失礼します」
一言断りを入れ、横抱きで抱え上げる。ギャーピーギヤーピーと些か以上に喧しかったが無視し、一気に駆け出す。骸骨に一瞬だけ視線をやる。既に立ち上がっていたが、追跡してくる様子はなかった。
味方と合流出来た安堵感から、オルガマリーは涙目になっていた。それを指摘するのは失礼にあたると思い「汗をお拭き下さい」とハンカチを差し出した。彼女が拭っている間、乱蔵は改めて周辺を見渡した。最初の地点からかなりの距離を移動したが、変化は皆無であった。
「ありがとう。後で洗って返すわ」
「分かりました」
そう言えば、と乱蔵は言い忘れていた事を思い出した。
「所長殿」
「なに?」
「ご無事で何よりです」
オルガマリーにとって乱蔵はカルデア内で心穏やかに話す事のできる、数少ない人物であった。一族の責務を担う重責。周囲の期待。トップでありながらマスターになれぬコンプレックス。そこから生じるマスター候補者達からの失望、侮蔑。彼らの言う『所長』は最早ただの蔑称でしかなく、スタッフさえも憐れみを抱くだけであった。
そんな四面楚歌の中で、上司への、そして重責を担う当主への敬意を持って接する乱蔵の存在は心の支えとなっていた。
無論疑心暗鬼に支配されていたオルガマリーには、乱蔵も敵の1人としてしか考えられなかった。彼がオルガマリーに対する扱いに激怒するまでは。
『彼女を嗤うとは何事か!』
彼女がそこを通り掛かったのは全くの偶然であった。普段ならば近寄りもしない娯楽室。だからそれが媚び諂う世辞で無い事はすぐに分かった。
『彼女の重責を考えた事があるのかっ。自らに置き換えてみろ。
彼女はその場を足早に去った。万が一にも泣いている姿を見られる訳にはいかなかったからだ。
胸の内に溜まっていたモノが溶けた様に、止め処なく涙が溢れていた。溶け終わった後も涙は止まらなかった。何が溢れ出しているのか、彼女にも分からなかった。ただそれが悲しさや悔しさでない事だけは分かっていた。
それ以降でも彼女を取り巻く環境は変わらなかった。マスター候補者達には舐められ、スタッフには同情の視線を向けられる。
『所長殿、おはようございます』
『所長殿、お疲れ様です』
乱蔵とオルガマリーが日に交わす言葉はたったこれだけ。他のスタッフやマスター候補者との遣り取りの方が多いくらいだ。
それでも。それだけであっても、彼女にとっては大きな救いだった。日の始まりと終わりに言葉を交わすだけで、もう少し頑張ってみようと思えた。駆け抜けて来たこれまでが無駄ではなかったのだと、少しだけ自分を好きになる事が出来た。
「貴方も無事で良かったわ」
彼女は本心からそう思えた。
「では現状の擦り合わせを行いたいのですが、よろしいですか」
「ええ」
2人の認識は全て一致していた。そして連絡手段も同じく持ち合わせていなかった。しかしその過程で再度ポケットから靴下からパンツ——これは乱蔵だけ——を全てひっくり返していたところ、先には気付かなかったものを見付ける事が出来た。
「それは?」
「……ダヴィンチちゃん殿から頂いた
「……そんな報告聞いてないわよ」
「ダヴィンチちゃん殿でも何も分からなかったとの事でしたので、態々所長殿の手を煩わせるのは如何かと思い報告を挙げておりませんでした。しかし、それが愚行であったと今痛感しております」
乱蔵は困惑していた。他の礼装では記述されている情報が何も無く、故にダヴィンチは些か腑に落ちないながらも外れと判断し、処分代わりにお守りと言い包め彼に渡したのだが……。
横から覗き込むオルガマリー。
「……何これ?」
無かったはずのものが全て記されていた。
威風堂々と得物を構える姿は確かに戦士である。しかしその姿は魔導とはかけ離れているものだった。
右手に現行の拳銃とは形状が大きく異なる銃を持ち、銀と青に彩られた金属製の装甲を纏う戦士。
「『仮面ライダーG3』?」
「この戦士の名前でしょうか」
「このインジゲーターは何かしら。……減っている様に見えるけど」
——ガシャリ
気配もなく背後に忍び寄る死の音。ただそれだけで歯の根が合わなくなる。
その姿を目にしただけで、四肢に力が入らなくなる。
逃げようのない死をそこに見てしまう。
崩れかけたオルガマリーを支え背後に隠す。骸骨が4体。先に遭遇した個体とは別個の個体なのか、回復した個体なのか。ともかく、全体が無傷であった。
「み、三船……、早く逃げましょう!」
オルガマリーが乱蔵の手を、酷く弱い力で引く。
「助けが期待出来ない以上、戦うしかありません」
「戦えっこない! 勝てっこない!」
「戦わなければ!」
その言葉を否定するために叫ぶ。
「勝たなければ!」
オルガマリーの恐怖を吹き飛ばすため叫ぶ。
「貴女を助ける事は出来ない!」
振り返る。取り繕う余裕はなく、涙どころか鼻水まで垂らしていた。魔導に身を置く者とは思えない程に弱い姿。乱蔵を止めようとするその姿は、まるで別れを惜しむ幼子の様であった。
「だから見てて下さい。自分の戦いを」
戦いに赴く者とは思えない、穏やかな笑顔を浮かべ、優しく告げる。オルガマリーの手をゆっくりと解し、離す。
「あっ」
もう振り返らなかった。
全身に魔力を回し歩き出す。
「英霊が纏ったと言うなら」
乱蔵の闘気に引き寄せられるかの如く、骸骨が走り出す。
「自分にその資格があると言うなら」
射程圏内まで数秒。あるはずのない殺気が肌を斬りつける。
「その力を、貸して下さい!」
拳を突き出す。強化した拳でも無事では済まない。だか乱蔵に恐怖はなく、ただ確信だけがあった。
——応えてくれた、と。
目を伏せたオルガマリーの耳に届いたのは、骨肉を砕く音でも乱蔵の叫び声でもなかった。
「変わった……!」
礼装と同じ装甲を纏う乱蔵。その拳は骸骨を粉々に粉砕した。散らばった欠片が瓦礫を叩く。
残り3体。
その歩みに些少の乱れもない。見た目通りだが、感情の類は一切持ち合わせていない事が分かった。
振り下ろしを左上段受けで止め、同時に逆突きを胸骨に打ち込み粉砕。上半身が吹き飛び、地面を転がる。
残り2体。
その拳を捻り、裏拳を骸骨の二の腕に叩き込み、切り裂く。
残り1体。
裏拳を振り抜いた勢いを止めず、体ごと回転。上段後ろ回し蹴り。先は亀裂を入れる事さえ叶わなかった蹴りが、頭部を容易く砕く。
殲滅完了。しかし残心は解かず、戦闘の音を聞きつけた敵性体を警戒する。10秒経ち、ようやく構えを解く。
「三船!無事ね?」
「この通り、無傷です」
「この礼装もそうだけど、貴方あんなに動けたのね」
「自分の一族は肉体派魔術師ですからね。人の身のままどれだけ強くなれるのか、と言う事にしか興味がありませんので。座学より組手が多いくらいです」
「……そう言えばそうだったわね」
深呼吸を1つ。一先ずの脅威は去ったのだ。いつまでも無様な姿を晒している訳にはいかない。
「その鎧、絵では銃を持ってたけど」
「着込んだ折に、これの使い方が分かりました。『スコーピオン』」
ピントが合うように、不透明な像が重なり実物となる。
「……投影、じゃないわね」
「原理は不明ですが、武装の名称を言う事でこの様に出せます。他にも多数の装備があるようです」
「それを着ていて虚脱感はない?」
「魔力を使用するのは発動時のみで、それ以降はありませんでした。よって当面はこのままでいるつもりです」
「分かったわ」
頷き、街の中心部を見据える。
「一先ず、街を一望出来る場所に向かおうと思うの」
「賛成です。これはどう見ても自然災害ではありませんから。
とは言え懸念事項が多過ぎた。この局面においてカルデアの長であるオルガマリーの生存は絶対条件となる。謂わば彼女はVIPなのだ。
諸外国の政治家が堅牢な車両に乗り、周囲を護衛が囲み、狙撃手が目を光らせる。不審物に対応する人員、民衆を誘導する人員。これだけいれば、と言う事は決してない。どれだけ配置しても足りない。それだけVIPを守ると言うのは難しい事なのだ。
それを鑑みれば、現状が如何に危険なのか分かるであろう。護衛は1人。敵はいつ、どれだけ、どこから来るのか、まるで分からないと来た。ルートは構築出来ず、逃走経路の確保も難しい。屋外は言わずもがな、屋内であってもどれだけのダメージを受けているか分からない。
屋内であっても、その建造物がどれだけのダメージを受けているのか、倒壊の危険性はあるかなどを素人が判断する事は出束な 測出来ないと言うのは、護衛においての一番の敵だろう。どうするべきか、とひたすら頭を悩ませる。
しかし状況はなあなあを許さないが、障害の全てを乱蔵が解決出来る訳が無いのだ。情報はなく、人手はなく、ゴールも見えない。これだけの悪条件が揃っていれば、乱蔵でなくとも思考のドツボに嵌るだろう。
故に、側面から急速に接近する何かへの反応が遅れてしまう。
気付いた時には、視界の大半を巨大な物体が塞いでいた。不覚を自覚した時には強烈な衝撃をその身に受け、大型車に撥ねられた幼子の様に吹き飛ばされた。思考がその場に置き去りにれたように、流れる景色をただ眺めていた。放棄された車体のフロントガラスに叩き付けられ、ようやく思考が追い付く。
途端に右腕に強い痛みを覚える。咄嗟に部位を押さえようとした左手を、動き始める前にのみで止める。歯を食いしばり、痛みを悟られぬよう立ち上がる。一瞬の無駄がオルガマリーの命を奪う。脅威は未だこちらにあると示さなければならない。
しかし決死の覚悟で立ち上がった乱蔵の目に入ったのは、必死の形相で走り寄るオルガマリーと、巨大な盾を持った半泣きのマシュ・キリエライトであった。