うわっ…茅場の告知、遅すぎ…?   作:〆鯖缶太郎

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情報

 《はじまりの街》の北西ゲート。その門柱に背を預け、人通りのあまりの少なさに眉をひそめるアルゴの姿があった。

 ゲートを抜けた先――モンスターがPOPするフィールドへと視線を巡らせれば、最弱の一角と名高い青いイノシシである《フレンジー・ボア》が。それを自らの精一杯のコルをはたいて買ったであろう、ちぐはぐな装備を身に着けた四人組のパーティーが取り囲んでいる。

 その戦闘はお世辞にも上手いとは言えない。敵の逃げ道を塞いだはいい。四人で囲んでいるのだから、一人がターゲットを取って他三人が殴れば直ぐにでも片付くだろう。

 しかし、誰も攻撃を加えようとはしない。遠目で見ても分かるほど全員が例外なく腰が引けており、イノシシが突進してくれば狙われた者が情けなく回避。敵の攻撃が己に当たれば悲鳴を上げ、命からがらといった様子で安全圏である街の中へと駆け込む。

 それによりパーティーは崩壊。全員が敵前逃亡だ。たかだかゲーム序盤の草原に出る、レベル1のソロでも倒せる敵を相手に。

 

「これは思った以上に……深刻ダナ」

 

 つい一時間ほど前。このSAOはデスゲームと化した。いや、デスゲームと告げられたと言った方が正しいだろう。

 強制転移によって《はじまりの街》の中央広場に集められたプレイヤー。そして姿を現した茅場晶彦を名乗る存在。解放される条件はたった一つ。このゲームをクリアすること。当然、一度でもゲーム内で死ねば現実の死と結びつき、二度と目覚めることはない。

 半信半疑の者も多くいるだろう。それはアルゴとて例外ではない。だが未だ、何の助けも来ない事実。そしてゲーム内の仮想アバターが現実の姿に切り変わった事で、次第に本当であると思わされる。

 先の四人組のパーティーだってそうだ。彼らとて死にたくはない。HPを削られたくはない。そんな気持ちが勝り、故にあんな戦い方をしていたのだ。

 寧ろ、戦闘エリアである圏外に出ていただけマシだろう。今でも数多くのプレイヤーが街に留まり、何もできずにいる。判断できずにいる。そして中にはデスゲームを信じられず、開放を求めて自殺した者もいる。

 とてもではないが、現状を見てアルゴにはこのゲームが攻略できるとは思えなかった。

 

 茅場のほんの少しの良心か、その後に追加されていた本来引き継がれるはずのなかったβテストのフレンドからは、これは本当にデスゲームなのだろうかというメッセージが何件も寄せられた。いくらアルゴが情報通だったとはいえ、GMでもないのだから分かるはずも無いのに。

 フレンド欄の下部には、既にこのゲームをログアウトしている者もいた。果たしてそれが、最初からいなかったのか。それとも、ゲーム内で死んだのか。

 早急にでも――手を打つ必要があった。

 

「アルゴ……で、合ってるよな?」

 

 フレンドのメッセージを整理していた時、不意に声を掛けられたアルゴはメニューを閉じ、顔を上げた。

 自信なさげに問いかけてきたのは恐らく、アルゴの見た目が変わってしまい、判断基準が両頬の髭のペイントしかないからだろう。そしてここが、彼との待ち合わせ場所であったから。

 ゲームが開始した直後の初期装備に身を包んだ男は、虚空を縦に切ってメニューを呼び出し操作。淀みなく動かされた手が画面をタップすると、同時にアルゴの視界にパーティーの申請画面が表示された。

 それに了承し、視界左上に表示された【Kirito】の名前を確認すれば、互いに一つ頷いてパーティーを抜ける。

 そしてまず思ったのが、これが現実世界の彼の姿か……という感想だ。

 

「久し振りだナ、キー坊」

「初めましてって感じもするが。久し振りだな、アルゴ」

 

 アルゴには、彼に聞きたいことが山ほどある。βテスト最終日、第十層を突破したのは果たしてキリトなのか。もしそうであるならば、その先にあった景色は何なのか。

 だが今は、そんな先に待ち受ける階層の情報よりも、彼の持ち掛けてきた取引が優先だった。

 

「それで、こんな時に一体何の取引ダ?」

「このアイテムを仲介して売って欲しい。取り敢えず確認してくれ」

「……ナッ!」

 

 早々に寄越してきたトレード画面とキリトの顔を、アルゴの視線が行き来する。

 画面に映っていたのは第一層に於いて片手剣使い必須クエにして、このデスゲームと化した世界で現状、最も価値あるクエストアイテムの一つ《リトルネペントの胚珠》。それが三個も。

 

「キー坊。デスゲームとなった今、このアイテムの価値がどれ程のものか、分かってるヨナ?」

 

 アルゴの問いに、キリトは当然だと頷いた。

 

 アイテム価値は需要と供給、そしてプレイヤー毎の総資産で変動する。それはゲームの序盤から、この世界の貨幣であるコルを大量に持っているプレイヤーが存在しないからだ。終盤の千コルが端た金であろうと、序盤であれば大金。モンスターがドロップした素材だって 現状はNPCの店売りに限られ、売値は当然安い。

 そして何より重要なのは、茅場の言葉通りであればこの世界がデスゲームとなったこと。

 コルを稼ぐために手っ取り早いモンスターを狩ろうとするならば、死のリスクが常に付きまとう。ただ一度の死も許されないこの世界では、回復系のアイテムが……。そして何よりも、装備が重要視される。

 この胚珠を渡すクエストを達成し、得られる《アニールブレード》は、第一層にしては限りなくオーバースペックだ。

 だがその入手方法は困難を極め、いつ出現するかも分からない《リトルネペント》の『花つき』を倒さなければならない。

 皆が求めれば競争率は上がり、誰かが何かの間違いで『実つき』の対処を誤れば、途端に森の中が死地と化すのはβテスト経験者ならば容易に想像がつく。

 

 ――時間を掛ければいい。死んでもいい。

 ただのゲームであれば、そんな気楽な考え方も出来ただろうが……今は別だ。

 いつ身の危険が迫るか分からない。

 このゲームの世界ではステータスという数値こそが絶対であり、裏切らない。クリアをするために、生き残るために、優位に立つために。その数値を底上げする装備はプレイヤーにとって何よりも優先される。

 

 もう一度、アルゴは眼前に表示されたトレード画面を見た。

 《リトルネペントの胚珠》が三個。クエストを受注し、その場で報告するだけで、序盤の片手剣使い必須装備と言える《アニールブレ―ド》が三本手に入る。貨幣であるコルさえ払えば、死のリスクを冒さずとも――生を保証される。

 新規勢にはどれ程の価値か分からないだろう。関係も現状築けてはいない。実力だって未知数だ。故にもし売るとするならば、アルゴも知るβ勢であるが……誰もが欲しがるのは間違いない。

 場合によってはこの話を聞いて、片手剣使いに移行する考えを持つ者も現れるだろう。

 序盤の千コルは大金だと言ったが、それすら安い。今この瞬間であれば――どんなに安くても一万。下手すれば三万でも買う者はいるはずだ。

 たったの三万で命が保証され、ステータスを買える。狩りの効率が上がり、前線に立てる。

 資金調達の時間を考えたとしても、それはあまりに破格だ。

 だが、取引するうえで懸念すべきことはいくつかある。

 

「キー坊の事だから、どうせ持ってるんダロ? 現物」

 

 キリトの見た目は今、如何にもゲームを始めたてといった初期装備。だがアルゴからしてみれば、それはあまりにも不自然だ。

 少なくとも、自分用の《アニールブレード》は持っていなければおかしい。それを装備していないのは恐らく、βテスターに目を付けられない為などの彼なりの対策なのだろう。

 

 アルゴの問いに、キリトは再びメニューを操作すると《アニールブレード》の持つ性能を開示してくる。それがβテストの頃と変わらず、弱体化もしていない事を確認し。更に問いを重ねていく。

 ネペントのHPや弱点はどうか。胚珠は確定ドロップか。『実つき・花つき』の出現頻度どうか。全体のPOP速度は?

 アルゴにとって、そしてデスゲームとなったこの世界で正確な情報は必要不可欠だ。βテストはあくまでも過去の記録。今と差異がある可能性も否定できない。キリトを信用していない訳ではないが、胚珠を仲介するうえでもある程度の正式版の情報は必要だ。

 

「それを全部――タダで聴く気か?」

 

 そしてある意味で情報は、最も価値があるモノ。

 

「それジャ、仲介手数料の割合を……」

 

 情報の価値。それはアルゴ自身が一番分かっている。だから譲渡の姿勢を見せようとするも、他ならぬキリトによって遮られた。

 

「そうだな。取り分は50%ずつ。ネペントの情報も渡す。代わりに今後一切、俺個人に関する情報を口外しないと約束してくれ。例えば、この胚珠を誰が確保して、誰がアルゴに持ち込んだか――とかな」

 

 それを聞いて、内心で舌打ちする。相変わらず、抜け目ない奴だと。

 

 考えてみよう。

 これからアルゴと胚珠を取引する者は、キリトが言ったようにまず思うだろう。これだけの胚珠を一体誰が確保し、アルゴに持ち込んだのかと。

 現段階でアルゴを知る者となれば、それは自ずとβテスターに限られると誰でも予想できる。デスゲームとなった今、安全な狩りを……。そうでなくとも、強いパーティーやギルドを形成するために勧誘したいと思うはずだ。

 当然、キリトの情報を欲しがる者は多い。故に、アルゴにとって金になる。それこそ将来的に見れば、一方的に得をするのはアルゴ側で、損をするのはキリト側だ。

 相手がキリトの情報を買うためにアルゴに金を積み、それを売られないためにキリトがまた金を積む。その取り分は全てアルゴ。あまりにもボロい商売だ。

 

 そして、もしこの取引をアルゴが受けたならば、キリトがβテスト中に果たして第十層を攻略したのか問う理由がほぼなくなる。情報を買った所でキリトに関することは誰にも言えず、アルゴが買うだけでもそれなりの額を要求してくるだろう。

 ならば、この取引を断るべきか? ……それこそありえない。

 自身の利益を考えればそれもいいだろう。けれど、このデスゲームでいくら利益を追求しようが、結局はゲームの貨幣。現実世界に帰還できなければ無意味だし、それほど稼いだところでアルゴは一介のプレイヤーに過ぎない。

 

「キー坊はこれから、この世界でどうしてくつもりダ?」

「デスゲームになろうと、ゲームには変わりない。だからただ、本気で遊ぶだけだよ」

 

 取引を断ればキリトは恐らく、この胚珠を躊躇いなく捨てるであろう。他者が自分に追いすがる可能性を少しでも減らすために。何故なら彼にとって、これは単なるゲームなのだから。コルを短期間で稼ぐことはできなくなるだろうが、キリトならば容易にモンスターを狩れる。

 そしてキリトの情報を売る為だけに取引を断って、結局彼が死んでしまっては本末転倒だ。胚珠三個で救える命があったかもしれないのにそれを捨て、キリトをも失う。

 アルゴに取引を断る選択肢はなかった。

 

「……分かったヨ」

「交渉成立だな」

 

 斯くして、商談は成立した。

 『実つき・花つき』の出現率。胚珠のドロップ率など、キリトの情報によれば結局はβテストとほぼ変わりなかった。出現するかどうかは運なので、正確なデータを取るならばまだ時間はかかるだろう。

 ネペントの攻撃パターンやHPといったステータスにも特に変化は無し。POP速度も変わりはなさそうだ。腐食液を喰らった際の装備耐久度がどれ程減るかといった事は分からなかったが、喰らわないに越したことはない。

 できれば何かプレイヤーに有益な修正があれば……とも思ったが、それは無いらしい。キリトが虚偽の情報を語っているならばあるかもしれないが、そんな事を気にしていては全ての事柄に対してアルゴ自らが出向かなければならなくなってしまう。

 元々アルゴはβテストの情報から攻略本を作製しようと考えていたので、結局のところ 多くは古いデータに頼るのだ。正確な情報は少しずつ更新していけばいい。

 

「それにしても、胚珠が三……イヤ、四個モ。一体どれだけの時間狩ってたんダ?」

 

 その問いに、特に深い意味はなかった。アルゴもキリトの事はよく知っているので、どうせ正式版がスタートした直後に狩りに行ったのだろうと予想はできている。

 だからただ、会話の一環として言ったに過ぎなかった。

 

「確か……五時間ぐらいだったかな」

 

 取引が完了し、ストレージに胚珠があることを確認したところで、不意にその言葉が引っ掛かる。

 このSAOがサービス開始したのは13時。そしてデスゲームを告げる強制転移があったのは17時半だ。そこから18時頃に解放され、キリトと待ち合わせていたのは19時。

 仮にサービス開始直後からネペントを狩るために《ホルンカの村》へ行くなら、早くとも片道二十分程度は掛かる。そこからネペントを相手にすれば、強制転移まで狩れるのは約四時間。デスゲームが告げられ解放された時間と村まで往復する時間的に、その後に狩りに行くのは考えにくい。

 つまり、キリトはどんなに頑張っても約四時間しかネペントを狩れないはずなのだ。

 

「――じゃあ、またメッセージで連絡してくれ」

「キー坊、ちょっと待ってくれないカ?」

 

 早々に圏外へと駆けだそうとしたキリトをアルゴは呼び止める。

 先ほど感じた違和感については、特に考えずに発したのだろうと早々に結論付けた。

 強制転移は絶対だ。プレイヤーに抗う術はなく、キリトだって広場に来ていただろう。

 

「実はオイラからも、一つ頼みたい……協力してほしいことがあるんダ」

 

 その言葉を皮切りに、アルゴは今思っている考えについて話し出した。

 

 

 

 

 

 ――もしアルゴが、キリトの待ち合わせ場所に来る瞬間を見ていれば、より強く違和感を持っていたのかもしれない。《ホルンカの村》の方面からやって来たキリトの姿を見ていれば。

 そもそも何故、北西ゲートが待ち合わせ場所として指定されたのか。何故、取引が終わって直ぐに圏外へ駆け出そうとする生粋のゲーマーが、時間を置いて19時にアルゴとの取引を設定したのか。

 仮にそれらに気付いたとしても、キリトが転移していなかった事実までは気付くまい。さしずめ「クエスト達成前に強制転移させられたから報告しに行った」と、キリトが言えば筋は通るからだ。

 それに彼のカーソルはグリーンで、他のプレイヤーと何ら変わりなかったのだから――。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――これは、ゲームであっても遊びではない。

 

『……以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 

 悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。咆哮。

 一万人近くがそんなものを発して、一体何になるというのか。何が変わるというのか。

 周囲に混乱を招き、そして招かれた者達から距離を置くように。その日――アスナは誰よりも早く《はじまりの街》を飛び出した。

 

 強くなるため。ゲームをクリアするため。そして――現実世界に帰るために。

 


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