魔剣に魅せられて 作:鍛治師
生存報告がてら投下です。
前回のは短すぎだったろう、と反省しております。
ですが、今回は長すぎる気もします。
文才と語彙力が足りないと、ひしひしと痛感してます。
桜が舞う季節の中、この家を紹介する上で一番の目玉となるほどの巨大な桜の木が生えている庭に俺と束はいた。
鉄打の者は幼子の時にこの桜の記憶を脳裏に焼き付け、死際もこの気が遠くなる年月を生きる桜に見守られながなら死んでいく。
親父から聞いた話では、先祖も親父の父もそうやって最期を過ごしたらしい。現に母も親父もそうやって死んだ。
俺たちの一族にとって、この屋敷は先祖が理不尽な武士や軍人たち相手に暴れまわった後の傷を癒したというアヴァロンだ。ここだけはいつの時代でも火の手が及ばぬ安全な楽園だったそうだ。
山には山菜が、川には魚が、森には獣がいる。
完全に完結した世界。いわば理想の箱庭だ。
この楽園に足を踏み入る事を許されているからか、上機嫌な束は巨大な木の下にじっと立ち、堂々と鎮座する桜の幹に手を当ててその長い歴史の感触を確かめていた。
俺はそんな彼女を観察するように庭に面する縁側に腰掛けている。
ぼけーっと離れた位置から傍観者を気取っていたが、実を言うと不思議な気持ちで一杯一杯だった。
それは、じっと見つめる視線の先に立っている彼女の瞑想にはどういう意図があるのだろうと思索していたからだ。
荒んだ心を落ち着かせる為か、あるいは人間の根源たるものでも悟れるのか。
沢山の想像した可能性を拾っては捨て、拾っては捨てを繰り返すが、結局分からずじまいに終わる。
いつも、そうだ。
答えなんて出るはずがないと分かっていても、ずっと観察を続けて考察を落とす。
──そんな無意味なことをして何になるのか。
無意味じゃないと思っていたから、続けていた。
俺は天災と呼ばれる束に尊敬の念と一種の憧れを抱いていたから、束の行動原理を読み解けば天才と呼ばれる理由に迫れるのではないかと考えていた。
妄執に取り憑かれたように、どれだけ頭を悩まさようと考えることをやめなかった。
しかし、そもそもの話が、天災の取る行動を凡人には想像すらできない。
彼女は次元が違う。生物としての格が違うと言ってもいい。理解しようなんて考えた事自体が烏滸がましいという他ない。
それに諦めずに努力したところで、それが意味のない行動だというのがわかってしまうから余計に理解できなくなった。
世の中にはどれだけ努力しようと追いつけない存在がいる。それでも手は届くのではないかと淡い期待を覚えてしまうものだ。
そこで『差』というものを教えられて心を折られる。
「はあっ……」
思わずため息をこぼした。
そんな燃え残りのカスみたいな心が萎れた俺とは対照的に、宙を舞う花弁すら活力に満ちた鮮やかな色合いを世界の片隅に落としている。
無様な俺を嘲笑うかのように束は言った。
「元気ないみたいだねぇ?」
「おかげさまでな」
それに対し、喜怒哀楽を感じさせないほどに混沌とした、複雑に感情が渦巻いた心で冷たい返事を返す。
俺にこれ以上関わらないでくれ、そんな意思を言外に込めた。
「あれれ〜⁉︎ 束さん、また何かやっちゃった? だったらごめんね!」
悪気のない朗らかに笑う彼女は、確実に、そして完璧に俺の思考を理解している。
その上でこの態度だ。
拒絶の意思を無視してまで俺にこだわり続けるのは何故だろう。
タチの悪い相手だから追い出すことも逃げることもできないのは、呪われた装備みたいだなと馬鹿にするように笑った。
一体、この呪いを解いてくれる教会がこの世界のどこにあるのだろうか。
いいや、きっとそれは何処にもない。だから死ぬまで離れてくれないのだろう。
何故、悔しさを感じるのだろうかと考える。
それはまるで、狼に目をつけられたウサギのように、思えたからではないか。
憂鬱だ。俺は狩る側になりたかったのに。
被害者よりも加害者に。
それが力だけがある弱者の俺が抱く愚かな願いだった。
俺は力なく笑みを浮かべた。
そうすれば獲物を見つめる獣が興味を無くしてどこかに消えてくれると思ってるみたいだ。
そんな俺の態度が気に入らないのだろう。
束は腰に手を当てて不服そうに指を刺して指摘してきた。
「なんだいその顔は! あからさまに嫌そうにしちゃって!」
「失礼な奴だ」という彼女の意見には同意しかねる。
だって当たり前のことだろう。
嫌いな人間の前で、心から楽しそうな表情をプロの役者でもない俺が浮かべれると思っているのだろうか。
仮にそんな芸のある人間であったとしても、嫌悪する雰囲気を消せるとは到底思えない。
取り繕った笑顔も君は見透かしてしまい、隠したい最奥の本心すら暴くのは間違いない。
なんて理不尽なんだろうか。
俺の不遜な態度に若干の呆れと悲しさを滲ませながら束は質問してきた。
「どうして、そんなにも私のことを嫌ってしまうの?」
白々しい。
人の触れられたくないものを握り潰し、人の大事なものを壊すことに喜ぶ精神異常者が煙たがられない訳がないだろう。
だからはっきり告げる。
お前が嫌いだと。お前は邪魔で人を不幸にさせる悪魔だと。
そう言えば、傷ついた心は俺に会いたがらなくなるはずだ。
だから、言う。
「残念だが…俺も、君も。どちらも人を苦しめることしかできない爆弾なんだ」
そう教えた。
そして、君の本性を言い当てれば、君はここから逃げ出して、あれを恨んでくれるはずだ。
「そして…お前は悪戯好きなガキと一緒だ。人の嫌がることを理解した上で実行するんだからな」
予想は、外れた。
束は怒りの形相を浮かべるでもなく、嘆くように涙を流すこともなかった。
ただ、嬉しそうに微笑んだ。
それを言い表すならば化け物の笑い、悪魔の笑みというのがしっくりくる。
本当に、それは吐き気を催すような、同じ命を持つ存在だとは考えたくもない姿をしている。
ほら、見ればわかる。
ケラケラと、ニコニコと笑う束が気持ち悪い。
肩を左右に揺らして、ヒューっと気持ちの良い風に目を細めている。
そんな儚げな雰囲気からは善性を身に纏う邪悪さが滲み出てる。
直視すると、どんどん本性が表れていくようで、ニタニタとした鋭い瞳に心を覗かれる錯覚に混乱し、気味が悪くなる。
──どうして喜ぶんだ?
──どうして笑えるんだ?
──どうして嬉しそうなんだ?
分からない、理解できない。理解したくない。
でも好奇心が言葉になる。人間は禁じられたものほど興味をそそられる。
いわゆる、カリギュラ効果という奴だ。
俺は恐る恐る口を開いた。
人間の愚かさは、危険を冒す探究心を止める術を知らない。
「お前にとって…人の不幸は蜜の味か?」
それを聞いた束は精神を狂気に蝕まれているように「あはっ!」と笑った。
そして彼女はますます笑みを深め、こう言った。
「そんなことないよ。私はね…いつも良かれと思った事しかやらないよ。特別気に入った人には特に、ね」
嘘だ。咄嗟にそう言いたい心を押さえつけた。
彼女は本気でそう言っている。それを分かってしまうから、彼女と関わりを持ちたくなかった。
「だから、嫌だったんだ……」
どういう精神構造をしていたら、そんな歪んだ方向に成長するのだろうか。
その疑問は誰も口にしない。
口にすれば、恐ろしい想像に苛まれてしまいそうで喉が締め付けられて言葉にできないからだ。
無邪気さは悪意に、善心は無意識の攻撃に。
人をいじめる為に生まれたような存在は害意そのものといっても差し支えがない。
どうすればこの悪霊を祓えるのだろうか。
邪神級のそれを祓えるお寺や神社が世界にあるのならいくらでも金を積むから消して欲しい。
そんなつまらない考えばかり巡らしている俺に対し、退屈そうに彼女は言ってきた。
「ねぇ、こんなどうしようもない話をしても面白くもないし、もっと楽しい話をしようよ!」
暗にこの話題をするな、と言われている。
やはり、心のどこかでは傷ついているのだろう。
その要素が。束を唯一人間たらしめている理由なのではないだろうか。
少し、まだ解釈の余地を残している。
だから、この話題からは切り上げることにした。
「……例えば?」
でも、理性が拒絶するのは変わらない。
目を絶対に合わせないようにと、真っ青で穢れのない空を見上げた。
そうすればおのずと見えるのは様々な形をした雲だ。
遠い昔を回顧する。
全てに希望と期待を抱けた、明るい日常だ。
その日々が懐かしくて、つい思い馳せてしまう。
『ほら、あそこに金魚の雲が、あっちには鹿の雲もある』
空を指差して隣に座る⬛️⬛️に教えた。
でも、そんな形の雲はなかった。
ただ、彼女の気を引きたかっただけで放った言葉だ。
『本当……? どこにあるの?』
『だから、あそこをだよ』
俺がまた適当なことを言えば、⬛️⬛️は立ち上がり、小さく可愛らしい目を細めて、うーん、うーん、と悩みに悩んで違うといった。
『やっぱり違うよぉ! あれは…クジラだよ‼︎」
目が合った。
彼女の綺麗な澄んだ水色の瞳は、空を見つめた時と同じように吸い込まれそうな魅力があった。
そして、心臓がドキッと音を立てた。
だけど、それを決して表に出さないように平静を装った。
独りよがりで、女々しい姿。それが最後に求めた夢の形。
『そうかな?』
『そうだよ!』
ああ…やはり懐かしさは毒だ。
そう実感する。
昔はこうやって一緒に空を見上げていた。
それだけで楽しかったし、心が落ち着いた。
空は良い。地上のように窮屈じゃない。
雲は良い。何にでもなれるし、どんなところへも行ける。
地上は地獄で、空は天国。
きっと、誰もがそう思ったから、神々の住まう世界は地上とは遥かに遠い空にあるんだと、憧れと嫉妬でみんながそう思ったんじゃないだろうか。
俺にとって、天国は確かにあった。
誰にも穢されない幸福の日常。
だけど、とっくの昔にそんな平穏な時間は過ぎ去ってしまった。
今は後悔しか残っていない。
「空…いいよね」
束は俺の視線をなぞって興味の対象が空に映ったのだと気がついたようだ。そういう気遣いが今は、とてもいらなかった。
だけど、束はそれを共通の話題になったと考えたようで、話を振ってくる。
「うん、空はいい。私も小さい時にそう思ったよ。自由な空を羽ばたいてみたいってねぇ」
悲しさと虚無感に包まれた。今では空を見上げても虚しさしか残っていないからだ。
心を抉る損失感は、心臓握る潰すような痛みを与えてきて、息苦しくなる。
だったら、そのまま呼吸できなくなればいいのにと思う。
束は独り言のような──この静かな庭では十分に聞こえる声量だ──か細い声でこう聞いてきた。
「ねぇ…君は空を飛びたいと思わない?」
俺とお前は違うんだ。
「いいや、思わないよ」
俺はそれをみているだけで満足なんだから。
「飛びたいだとか、鳥になりたいだとか…思ったことは一度もないよ」
俺は空を飛ぶという事自体が怖かった。
隣にいた⬛️⬛️を置いて飛んでしまえば、家に帰る道筋も分からなくなりそうだった。
だから、そんな憧れは抱かない。
「本当に…本心からそう言っているの? 大事なものを失う事はそんなにも怖い?」
お前には決して分からないだろう。
失ったものがないお前には。
執着するものが限りなく無いお前には。
手の打ちようが無いと諦めるしか無い俺のことが。
「ああ。怖くて夜も眠れなくなる」
すごく疲れたな……
擦り減った心を癒せる場所が欲しい。
両腕を広げて子供みたいに楽しそうにぐるぐる回る束なんて放って、1人だけの静かな森の中に捨てられたい。
沢山の獣に囲まれて、本能という無垢な精神体の中に取り込まれたい。
そしたら自分の醜い心も忘れられる気がしたから。
ぎりっと歯を鳴らす俺を見て、束は赤子をあやすような声色で言う。それがとてもうざったらしく感じた。
「そんな顔をしないでよ〜。そもそもの話、君は過去に囚われすぎなんだよぉ……」
“前を向いて歩こう”を口ずさむ彼女は能天気にしか見えないが、言っていることが正しいと分かってはいる。
俺を側から見ればきっと虚な目をしていたんだろう。
瞳が暗く、濁り、腐ってしまっているのは心が黒く荒んでいるからだ。
「はあっ……」
また、ため息をついた。
毎日、呼吸をするように深いため息ばかり吐いている。
心に渦巻く寂しさは、少しずつ魂が抜け出ているみたいだった。
「もうぅ…! ネガティブ君を相手するのはしんどいなぁ」
束が呆れたように言った。さらにやれやれ、と手を挙げて首を左右に振る。
いつもなら、カチンときそうだが、心には何も湧かない。
魂が抜け出ているせいで感情が死んでいるみたいだ。
完全にこの話題が地雷だったと気づいた束は、さらに話を別の方向に持っていく。
「うーん…そうだ! ISの話なんてどう? 開発者様の特別講義だよ! 世界で一番価値のある内容が詰まってるし、受講できるのは今ここだけさ!」
閃きを口にされても、さほどISに関心はないので聞き流すだけだ。
それに胡散臭さはテレビのネットショッピングと同レベルだ。興味もなければ欲しくもない。少し調べれば大体が大手通販サイトで安く打ってたりする感じ。
そも、前提として俺と彼女では知識と知能のレベルが違いすぎて話にならないのではないかと不安になるから拒否したいところだ。
でも、それができるなら最初から苦労なんてしない。
「話したきゃあ…話せばいいさ。どうせ、嫌って言っても勝手に喋るんだろ?」
「ありゃばれちったか」と、束は悪戯がバレた子供のように舌を出した。
そして開き直って話を再開する。
「そりゃあ…ねぇ? 自慢の娘は声高々と言いふらしたいものだもの」
そんなにも何かに熱中できることを尊敬できる。だから素直に彼女の話に共感してしまう。
でも、結局無益な事だと理解しなければならない。
俺に話したところで価値を見出せるわけがない。
俺の仕事は刀を打つことだ。今更技術者に転職する気もないし、そんな知識と素養もない。
俺に課せられた使命は、それらの伝統芸品を歴史の海に埋もれさせず、その素晴らしい職人の技術を後世に残す事だ。
他の選択肢など、もとよりない。
だから、時にはこうも好き勝手にできる彼女が羨ましくも思えた。
自由に生きて、自由に死ぬ。
誰かを理由にせず1人で背負って生きる姿は眩しくて目を開けていられないほどだ。
でも、単に課せられた責務を憎んでいるわけではない。嫌気が刺す時があるのだということを覚えておいて欲しい。
束は寛容的な雰囲気に満足し、自慢の娘たちについての話を意気揚々と話し始めた。
「それじゃあ、第一章「ISの核について」始まりー始まりぃ〜!」
自分で拍手して、口笛を吹く。まるでサーカスを見ている気分だ。
だけど、束は道化師というよりも座長の方がしっくりくる。
馬鹿な事をしでかして観客から笑いを取るよりも、凝った演出でみんなをあっと驚かせたがる性格をしていそうだからそう思えた。
そんな心底どうでもいいことにこだわるのは、束なりの気遣いか、それとも幼稚なファッションセンスから見て取れる夢見がちな性格のせいだろうか。
「あ、ちょっとタンマ!」
両手でTの形を作った束がどこからともなく取り出したのは緑茶のラベルが貼られたペットボトル。キャップを回して、並々と入った緑の液体を喉に流し込んだ。
喉が渇いたなら言えばいいのに。
そんなことを思いながら、右に置いてあるお盆の饅頭を手に取り、同じように緑茶で口内を潤す。
緑茶と餡子の相性は抜群だ。というか、甘いものは緑茶などの甘味を消せるものがなければ好んで食べれない。
何処からか、じいっと物欲しそうな眼差しを向けられるが気づかないフリをする。
話しかけたら戸棚の中の煎餅がなくなってることを引き合いに出さなければならなくなるからだ。
「……それじゃあ再開するよ」
諦めがついたようだ。
最初からそうすればいいものを……
「大前提としてね、あの子たちは、私の意思が反映されたものなんだよ〜」
直前まではそっぽを向いていたのに、急に振り向いて話を切り出した束に少し困惑した。
だけど、目を閉じて考え事をしながら言葉を続ける彼女に俺は静かに耳を貸した。
ここで口を挟む理由もない。話したい奴には好きなだけ喋らせればいい。飽きたら勝手に離れてくれるのだから。
「懐かしいなぁ。あの頃は今では考えられないほどの熱情に身を任せていたからねぇ……。だからこそ私は、娘たちを創り出せたのかもしれないけど」
ISの開発者である彼女──篠ノ之束は懐かしそうに目を細める。
ただ1人に対する講義であっても真摯に演説を行う姿には、未来の科学者としての才能が表れていた。
これは意外だった。
馬鹿な生徒相手の気の引き方をよくわかっていらっしゃるようだ。
俺は少し興味をそそられたことを否定できない。
だから、少しだけ話を聞いてもいいかと思えたから質問した。
「……これは感動的な話か?」
「うん。そうだよ」
即座に肯定した束には明確に伝えたいことがあるのだろう。
少しは真面目に耳を傾けることにした。
ふと、疑問が浮かんだ。
それは本当に俺に必要なもの、なのだろうか?
こんなことを考えてしまうのは、俺の生きる原動力が日に日に弱まっているように感じていたからだ。
疑うことでしか自分の目的と意思を確認できなくなる。鬱の症状に近しいそれは精神の不安定さを物語っている。
でも、不安は決して出さない。
弱みは刃となって自分に返ってくると知っていた。
だから、あたりざわりのない態度をとる。
「そうか。なら続けてくれ」
「あいよ〜」
でも思考は止まらない。
残された子供、受け継がれていない技、絶えてしまうであろう血。
全てが俺の人生で最終的に達成させるべき使命だというのに、根幹を揺るがされてしまえばあっというまに愚かな思考に苛まれてしまったことに深い嫌悪を覚える。
落ち着け。深呼吸をして、痛みを思い出せ。
鋭い痛みが頭に響き、思考が中断した。
掌に食い込んだ爪の先からはじっとりと血が溢れていた。
こうやって自分で自分を追い詰めてしまうのは悪い癖だと以前も言われた。
だけど、この病に効くのは痛みだけだった。
この変えようのない性格が今更変貌することはない。それこそ、記憶でも失わない限り。
そう、以前はもっと深刻な症状だった。
精神に致命的なほどの欠落が生じてしまった俺は底なしの真っ暗な死生観に囚われていた。
ある時、部屋で腹を切って死んでいてもおかしくないほどに希望の光を見失い、心が絶望に呑まれてしまっていた。
それでも今を生きるのは、貼り付けにされて丘を歩かされたキリストのように罪を背負い続けないといけないからだ。
だから、今日も自分を痛めつける。
心の激痛を、痛覚から生じる肉体への痛みで打ち消すのだ。
ああ、何か別の依存できるものに出会えたら、こんな薬中のような人生を送らないで済んだのかもしれない。
束が話すのはそんな心の拠り所だ。
自身を現すもの。俺なら刀、彼女ならIS。
そこに違いなんてものはない。
「私はね…あの子たちを本当に愛してるの。……機械を愛してるなんていうのはおかしいのかな?」
小さな子供が疑問に思うように、コテンと首を傾げているのは、非常に整った容姿にロリータ系のメルヘンチックな服を着ているおかげでまだ似合っていると言えた。
だけど、それは無邪気な子供の反応のようで、束の未成熟な精神の表れのように思えた。
「嘘じゃないんだよ。私にはISが愛おしくて仕方ないんだ」
俺には束という天災の存在が理解できない。
卓越した分析能力と未来予知と錯覚させるほどの計算力を持っているというのに、時折見せられる幼さゆえのあどけなさに惑わされるからだ。
彼女は人間の欲望の赴くままに犯す愚かな過ちを憎んですらいるというのに、感情的な行動を誰よりも評価する。
理解の範囲を超える行動を間近に見続けて断言できるのは、束の哲学は独りで完成させた宗教のようなものだということだった。
だから、彼女の言わんとしている機械へ向けた感情というものにも独自の哲学によって定義された根拠に基づいているのだろう。
だから理解しているフリをする。
そうすれば彼女は満足する。そうやっていつも右に左に流していたから、どうにか付き合いが絶たれることはなかった。
悲しい事だがもう疲れてしまったので、この関係もそろそろ終わりにしたいというのが本音だった。
俺には君が妬ましくてしょうがない。
自分を騙さずに、この世を生きていけるのが自分には出来ないことだと理解しているから、なおのこと。
「おかしいさ。常人からしてみれば機械に愛情を向けるなんて異常だよ」
本当はそんな事を思っていない。
愛に形なんてものはない。
だから、何にだって愛を向けてもいいはずだ。
それが、人間として破綻してしまうものでなければ、なんでも。
束も俺の考えと同じだろうから反論をする。わかりきったことだった。
「でもさ…あの子たちは人と同じ心を持っているんだよ?」
しかし、機械に心がある、なんてありふれたSFみたいだ。
なら、機械が愚かな人間に反抗したり、上位者として支配を始めたりするのだろうか?
その為の力がある事は数年前の白騎士事件で世界に証明してしまっている。
そんなふざけた考えが頭に浮かぶ。
けれど、そんな疑問は口に出さない。
なぜなら、この疑問はISへの侮辱と束は受け取るだろうから。
自分の娘をただの危険な兵器として受け取られることを、彼女の言う凡人たちならともかく、理解者として扱われている俺が言うのとでは訳が違ってくる。
きっとその認識を改めようと厄介な事を仕掛けてくるのは想像に容易い。
だから黙った。
幸い、上機嫌で、熱に浮かされたように娘のことについて長々と説明する彼女には感づかれなかったようだ。
「そうだ、聞いてよ! 今日はね…最近産みだしたコアナンバー423が『空を飛べる鳥は、雲の味を知っているのでしょうか?』って聞いてきたんだよ。雲に味なんてないのにね」
ああ、そりゃ笑っちまうな。
そんな産み落としたなんて表現する君の深い愛情には頭が下がる。
もはやISを作り出した親だから、なんていう発明品への自信と責任感なんてない。それは子供に向ける愛情としか形容できない執着心だ。
君の大事なものは理解の範疇を超えているんだ。
取り繕って、自分を騙して生きる。
それは本当に生きているのだろうか?
「鳥には雲という認識すらないんじゃないか? ただそこにあるだけ。意味なんてない。いつも生活圏にある日常の中の畳みたいなもんだろう?」
どうして彼女は俺に話をするのかだろうか?
こんなどうしようもなく世界に絶望している人間に、何か可能性を見出したのか。
それならぜひ教えて欲しい。
俺に身を焦がせるほどの生きる目標を与えて欲しい。
束が面白くなさそうな反応をしたので、無理やり誤魔化す。
じゃないと、またISの魅力についてやらを最初から聞かされるハメになってしまう。
「ただまあ、ISは心があっても金属でできてるからな。味、という人間の五感を感じれないから…そう思っても不思議ではないかもな」
満足そうに束は頷いて、次の説明に移行する。
IS、インフィニット・ストラトス。
無限の成層圏という名を与えられたそれは、人類に新たな変革をもたらす。
公害、人口増加、資源枯渇。
地球は今にも人の重みで潰れてしまうかもしれない。
だけど、空を見上げて見ればわかる。
宇宙は果てしなく、人で埋め尽くす事は不可能だ。
だから、地球だけが人類の生存圏だという常識が覆される。
それは、生きる為の技術革新。
いわば進化だ。
鳥は、どうして空を飛ぶのだろうかと疑問に思った事はないか?
答えは簡単、生きる為だ。
翼を得たのが生存競争を生き残る為だというのなら、空は何者にも脅かされることのない自由な場所だと思って逃げたのだろう。
ここで、俺に疑問が芽生えた。
でもそれは、遠い祖先の鳥類の進化のはずだ。
今の鳥は翼が当たり前に持って生まれたのだとしたら、何を思って日々を生きるのだろうと……
最初から逃げ場を与えられて何不自由なく暮らせるなら、一つの目的や生きる意味を見出せるのだろうか。
鳥も獣たちの動物は何を思って日々を生きているのだろうか、それがわからない。
ならば、人で考えてみよう。
人間は何を思って生きているのだろうか。
惰性ばっかりで争いは絶えず、争いを避ける為に自分たちを律しようとルールをつくれば、ずる賢い奴は抜け穴をつくって得をする。正直者が馬鹿を見るってやつだ。
変に理性と知性を得てしまったから地球上でどの種よりも繁栄し、そして世界1の愚かな種族になった。
だから、もしかしたら彼女は純粋で無垢な機械仕掛けの生命を愛したのかもしれない。
新しい生命。愚かでなく、生きる目的を見いだせる知性と理性を有する存在だったから。
慈愛の笑みを浮かべる束は一つも取り繕ってなどいない。
「うんうん。全く、可愛いったらありゃしないよ」
君は人が嫌いだから、人以外を愛してしまうのかい?
そんな言葉は口に出さなかった。
束は聡明で、言動やファッションセンスとは違って案外大人びてるから、綺麗なものは好きだよって言われておしまいだ。
俺が知る綺麗な人間なんていない。
だからこそ、美しいと思えるような、恋焦がれるような綺麗なものを教えて欲しいものなのだが。
「なぁ、あのさ。娘っていうのはそれほどまでに……いんや、何でもない」
人に教えてもらった答えなどに意味はない。
自分で見つけたからこそ、『自分の答え』になるはずだ。
だから、精一杯探してみようかなと思ってもみたが、これっぽっちも心当たりはない。
刀、家、血。
それぐらいしか俺にはない。
つまらない人間だ。
でも君はいつも楽しそうで、不思議だ。
だから、俺には何もないけれど、君には何があるのだろうかと考える。
そんなこと、知っている事実を陳列してみればわかる。
きっと彼女だったら世界的な天才科学者として、そう例えばニュートンやアインシュタインのように、歴史に名を残すことは間違いない。
ISコアの画期的なエネルギー、医療分野に転用できる高度な技術、それから量子格納という未知の領域へのアクセスを持ってすれば、ノーベル賞を受賞するのは簡単なことだといえる。
しかし、彼女はそんな名誉が与えられることを光栄だとは思いもしないだろうが……
俺の独り善がりな思考は、途端にその心を、複雑な気持ちでいっぱいに満たした。
だが、彼女はそんなことをつゆほども知らず……、というわけではなく、ただ見透かしていても気づいていないフリをした。自分でその話をするのは気恥ずかしく思ったからだ。
だから、俺の疑問に対して嬉しそうに頷いて見せるだけで、その頭の中ではいかにして難しい専門用語を使わずに説明するかと思索しているのだろう。
「ん? 何か言いたげだね」
ふいに束と目があった。
こんなところで腐るだけだなんて、勿体ない……そんな言葉が聞こえてきそうだ。
「そうだ! 君も私の子供たちの理解者になってよ」
彼の思考パターンを想定した束は推測するが、そんな態度をおくびにも出さずに、本題から意識がそれているであろう彼を話に引き戻す。
束としては、この場に関係のない話を持ち出されることが嫌だった。今はただ、自分の愛おしい子供たちの自慢話に付き合って欲しかったのだ。
「そうだね……まず最初は、ISを構成する中でも一番重要な部分を教えてあげようかな」
俺の意識は彼女の唇に注がれる。
ぷっくりとした柔らかな唇によって綴られる一つ一つの言葉には情熱的な愛情が込められており、いつもの元気いっぱいの近所のお姉さんと言ったものではなく、親戚の三十代の子持ち女性といった風に思える。
そんな考えを見透かしたように睨まれて肩を震わせた。
「ふん…まあいっか。……まずね、ISにはシステムが提案する選択肢を選ぶ、つまり総合的判断を下す人間の脳に位置する機構があるんだ」
脳みそ。
その表現方法はあまりに人間を意識させるものだ。
心があって、人間のように自由に選べる。
獣のような人間と人間の心を持った機械ならどっちが人間らしいか、どちらも人間とはいえないけれど、後者の方が人間らしいと俺は思えた。
「それはつまり、人間の脳みそのコピーってことか? 何故そこまで人間に似せるんだ? 人間に近すぎたら愚かさまで再現してしまうだろうに」
「そうだね。けれど、私は搭乗者の異常に対して起こりうる事象を機械的に判断し、対処するだけでは従来のものと変わらない合理的判断しか下せない欠陥品になるとした。言ってしまえばこうなる事は必然的なんだよ」
束は無駄で無価値なことを嫌う。
それは小さい時から開花させていた才能を皆が認めようとしないかったからだ。いくら天災などと言われようとも彼女はれっきとした心を持った1人の少女だった。
それを“化け物”などと言われれば傷つきもするし、人間不信にだって陥る。
だからこそ、無駄を嫌い、誰が見ても完璧でありながらも、人として生きていけるようになろうと足掻いた。
夢も才能も周りの人間が認めようとしないのなら、世界に認めさせようとした。だからISを生み出したし、世界に広めたのだ。
だが、ただ合理的なもの、というのは気に入らなかった。
海外によくあるSF小説の、コンピュータに支配された世界という内容のディストピア系の本を読んだことがあるだろうか?
その内容をもとに言えば、人々の生活に無駄という概念はなく、誰もが価値のある存在として生きている。
その代わりに“人間性”が削られていると感じることはないか?
それはただ“与えられるだけ”ということに問題があるのだ。
人は物事を考え、触れることで様々なものを感じとることができる。
それをコンピュータから与えられる幸福に支配されれば、人間が歴史とともに築き上げてきた人情というものを失ってしまうあるからではないかと、束は考えた。
その最もたる原因は、コンピュータが死と痛みというものを知らないからだ。人の気持ちを知らなければ、合理的判断を下すことで抑圧される感情があるということも知らず、だからこそ不満に思う人間が現れるのだ。
「機械には人の死も、痛みも理解できない。それでは人と共に空を翔ける
「だから、か」
「そう、だから
束が一息つくのと同時に無神経にも欠伸をした。
ことの成り立ちなどには興味がないのだろう。束は思わずイラッとして眠そうな顔をはたいてやりたいと思った。
「それで、だ。人に近いから相棒になれるし、正しい成長を促せば不良品はできないって、本当に考えているのか?」
「そんなわけないじゃん。イレギュラーはいつだって現れるんだよ? そういう規格外のものは、私が回収して手元に置いておくんだよ」
若干物分かりの悪い受講者に、彼女は腹を立てて口を尖らせた。
受講者もISに関心はあるのだろうが、きっと基礎的な知識が足りていないのだろう。抑えるべき場所を抑えずに要点だけ覚えてテストで100点とっても、完璧に理解できているわけがない。
──そういえば、彼は家業を継ぐ為に高卒だったと言っていた。つまりまだまだ学ぶべき事は多い。
今度会う時にめいいっぱいしごいてやろう、そう束は心の中で決める。
青年はぶるっと身震いして、近いうちに不運な目にあわされる気がした。
それを気のせいだと割り切る為にも、極力無駄な事を考えないようにと青年は束に質問を投げかけた。
「それで? ISには、君の何が反映されているんだ?」
「よくぞ聞いてくれた! 実を言うとね……ISがシステムとして操縦者に共感する以前に、あらゆる人間は一度は拒絶されている、ということなんだ」
束が慈しむように掌の上で弄っている菱形立体のクリスタル鉱石のようなものはひっそりと淡くも強い輝きを放っている。
「その言葉の意味がよくわからないんだが……」
「まだ分からなくても大丈夫。いずれ分かるからね」
手にした鉱石を見せびらかしながら、カッカッカッとわざとらしく靴を鳴らして近づいてくる。
注目を集めるための小技が必要ないという事実に、青年はこの小さな空間に虚しさを覚える。ISという存在に興味を持つものなら誰にも等しく価値がある内容だと理解しているからだ。
そして束はその鉱石を持って青年の目の前に立ち、短い言葉とともにそれを差し出した。
「よく見て……これはどんな風に見える?」
手に取って覗き込むように鉱石を観察すると、クリスタル状の中心部から変化が起こる。
「青白い光が、中心からあふれ出るように漏れている……」
「では、何色かな?」
微笑む彼女に告げる色は……
「雪のような……白い、色だ」
束は鉱石を返そうとする右手を押し返し、講義を続けるのに必要かは分からないが、彼女は最初の講師と受講生の位置に戻った。
「そうだろうね。それはまだ凍えているんだ……私の心では決してありえない欲求、人肌を恋しがっているんだ」
そんなわけがない、と即座に否定する青年に鋭い目つきで睨みつけるのは感情論で否定した愚かさを責め立てているからだ。
人肌が恋しい──寂しいという感情を白雪で表すその球体は、つまり抱いた感情を色や景色といったもので表しているのだろう。
──人の心も、そんな風に単純であればいいのに……
「段々と…君も理解してきたんだろう? ISがなぜ女性だけに反応するのか」
先の恥を払拭することを促す彼女の手振りから俺は仕方なく口を開く。
恐々としているのは、人の心を推し量って言葉にすることに抵抗があるからだ。
「束には、男に心を許せる存在がいなかったから」
「その通り。私が心を許せる男性はいなかった。私を好いてくれた、たった1人の男の子がいたけれども…私は抱いてしまった劣情から心を開くことができなかった」
それがISが女性だけに反応する心理だと彼女は言った。
ISの意思がコアの決定権を握っている。ISは機械でありながらも心という人間の神秘に触れているからこそ、AIには到底できない進化と人間との共存を可能にした。
「ISは人の心を写す。綺麗なものも、穢れたものも。それが私というオリジナルからかけ離れた単一の精神に昇華される」
「えっと……? あー、悪いがはっきり言わせてもらう。……もう無理だ。俺の頭の理解力の限界を超えているんだ」
悲痛な願いに束は意識を割いた。彼女は知っているのだ。
青年が、ただの平凡で退屈な人間ではないということに。だからこそ、彼女から近づいたのだ。
他人に理解されないとわかっていながらも。
「本当にそう思ってる? 私の見込み違いだって言いたいのかな?」
「そうは言ってないさ。だけど……」
俺は苦々しい思いを噛み潰すように歯をくいしばる。
束という孤独な存在を受け入れて地獄を見ることになった。
後悔はしていない、もとよりできもしないのだが、それでも束の望むような結末を迎えることになったことを許せなかったのだ。
今度も自分の考え通りなら束の用意した舞台で踊らさせるこ駒にされる。もう懲り懲りだ。
「それとさ、これは受け取ってくれないのか? 俺が持ってても意味ないだろうし」
それに気にかかるのは手渡されたコアだ。
悪い気なんて感じない。むしろ気持ちが落ち着くような強く惹かれるから恐ろしいのだ。
「ふーん……なるほどね。察しちゃったんだ? その鉱石の輝きの意味。君を求めるコアの意思を」
息が詰まる。首に手を当てて喉を圧迫されてる気分だ。
つまるところ簡単に言えば苦しくて吐き出しそうってこと。
見透かされたような眼差しを向けられて──事実、彼女は彼の思考を完璧に理解していた──耐えられなくなった。
「もういい! 黙ってくれ! 」
「いやだね」
拒否。
束が人の苦しむ姿を楽しんでいる様子はない。
理性的な問い詰めは正当性を伴うことがほとんどだから、一層否定することが難しく、言い争う暇もなく自分の非を自覚させられる。
「それよりもどうして君は辛いことから逃げてしまうんだい?」
「どうだっていいだろ! そんなこと……」
「いいや良くないよ。だって君は本当に弱くなってしまったから。ねぇ…そんなにも彼女がいないと不安なのかい?」
無邪気に心の中を覗き込む束は虫をぐちゃぐちゃに引き裂か殺す事を喜ぶ子供と変わらない。
「やめろ! 聞きたくないんだ。これ以上俺に何を求めるっていうんだ? これ以上君の心を満たすだけのシナリオには付き合いきれない……ッ!」
俺は狂ったように頭を抱え、外部からの視覚や聴覚からもたらされるあらゆる情報を遮断しようとする。
現在、20になるかといった年数しか生きていない短い人生でありながらも、これからの人生の大半を占めるとまでいえる強烈な経験を終えていた。
故に過去の記憶を抉られることが何よりの苦痛であり、思い馳せることで途端に胸が締め付けられるのだ。
──今の俺は、裏切っていないか?
そんな自問自答が無意識のうちに繰り返され、とても不安になってしまう。
「じゃあ、これで最後にしようか」
束の気遣いに感謝を述べるのは間違いだった。
彼女の最後というのは話の終わりではなく、俺の心を抉るトドメの一撃だった。
「彼女の意思は…君の持っているISコアが引き継いでいる。きっと君を愛しているからこそ、全ての人間を拒絶するだろうね」
疑心が確信に変わる瞬間。寡黙な青年は唇を震わせきっと目を伏せる。
束はそんな俺の心境など知らぬとばかりの手つきで、乱暴に俺のISコアを握る右手首を掴み、ぐいっと目と鼻の先にまで引っ張り上げた。
「痛っ……ッ!」
思わず目を開けた俺の瞳に映ったのは想像もできないものだった。
透き通ったクリスタルの中心に、先ほどまでは白雪のような光が溢れていたというのに気づけば優しい日光のような、雪解けを想像させる世界を小さなクリスタルの中でつくっていたという幻想的な風景だった。
「彼女の心の在り方と、私の人間不信は全く違うものだ。彼女は君に依存していたからね…おそらく君以外に操られることを嫌うだろう。まさしく、愛の結晶だね?」
嫌らしく笑う彼女はそのまま背を向けて歩き出す。
その背を見送りながら、掌の中にある虚しさを感じさせる球体を見つめると異変に気付く。
「光が、どんどん溢れている……」
行き場を失ったクリスタルの光は空間を白く染め上げる。
そして、視界が正常な世界を見せる時には白銀の首飾りとなって離れなくなってしまった。
「これも君の筋書き通りなのか……?」
憎々しく去っていく女性の姿を見つめていた。
彼女の思い描く世界は⬛️⬛️を失っても続くということに息苦しさを覚える。
「俺は、裏切っていないだろうか……」
その問いかけに答えるように、首飾りのチェーンは終夜の首をきつく締め上げた。
そこで記憶は途絶えた。
崩壊していく世界を最後まで眺める者がいた。
「まだ覚えてくれていたんだ……。貴方は優しすぎるのよ」
幼い少女の声が響いた。凛として透き通る声。
実態のないそれは、記憶の再生が終わったことでブラックアウトする世界を後にした。