魔剣に魅せられて 作:鍛治師
目が覚めた。
見慣れた天井……いや最近はめっきり見なくなっていたので久しぶりというべきだろうか。
布団で寝るのも久しぶりだったのでその心地よさに二度寝をしてしまいそうだ。
だがそれはいけない。うちの家訓には〈怠惰は己の最大の敵である〉と書かれている。正直面倒だとは思うが受け継がれてきたことには何かしら意味がある。
そんなことはともかく目を覚ました俺はボヤッとした思考をクリアにするためにも顔を洗いに向かう。
この家にはテレビも置かれず新聞もとっていなかったが、しっかりと水道に電気やガスが通っていた、それにインターネットも。終夜の生活基盤は一般的な家庭と大して変わらない。
人里離れた山の中に居を構えているとはいえ今の時代当たり前の設備は整っている。第一必要なものには手を出しておくべきなのは確かなことだ。
テレビがないのは何故かって?パソコンがあれば用無しだからだ。
パソコンは仕事の依頼主や刀の素材を提供してくれる知人と連絡を取り合うために置いており、時たまネットで市場などの確認もするのである程度は世間で起きたことも認知していた。
ただ今回の事件はたった二、三日も経たずして検査の流れになったので事情を知る前に伊藤がやってきたのだ。
のっそりと緩慢な動きで風呂場に面した洗面所に向かう。
しかしドアの前に立つと不可解なことに気づく。風呂場に明かりがつき鼻歌が聞こえてくるのだ。
泥棒だろうか?だが鼻歌を歌っているとなれば相当な馬鹿としか言いようがない。
とりあえず警戒しながらそっとドアを開けて洗面所に滑り込む。侵入者は気を抜いているようで終夜の接近に気づいていないらしい。だが物音を立てれば確実に気づかれるので慎重に忍び足で距離を縮める。
ふと変わった様子はないかと周囲を見渡すと、着替えなどを入れておくカゴに服が入っている。丸腰とは拍子抜けだ。
やがて風呂場のドアを前にした俺は一息にドアを開け放った。
「そこにいるのは誰だ!」
そこにいたのは黒髪の美しい女性だった。湯船に浸かっているので当然全裸である。
なんということだ!盗人は女性だったか。
泥棒といえば中年の小汚いおっさんのイメージしかなかった。鼻歌を聞いている時点で女性ということに気づくべきだった。
優雅に入浴していた女性は武道を嗜んでいるのか、贅肉が最低限しかなく、さらに程よい筋肉がついているので理想的な肉体だと言えるだろう。
そういえば……と不意に終夜は過去の記憶が思い浮かび上がった。この女性は終夜が意識を失う直前に訪ねてきた人だ。顔を合わせたからか、鮮明に思い出せた。
そんな回想をしている俺とは裏腹に、突然風呂場に突撃してきた不埒な輩に驚き固まっていた女性は思考がまた動き始め、その頬を赤く染めた。
「き、貴様こそ何者だ。この変態めっ!」
「えぇ……不法侵入者に変態呼ばわりされるとは、世も末だなぁ」
人様の家に勝手に入り込んでおいて変態呼ばわりとは失敬だな。
これが世に広まる悪しき風潮"女尊男卑"というやつか。
近頃は人の家にまで我が物顔で居座るとはまったく警察や司法は何をしているんだ。
そんなアホみたいなことを考えているが、ここは終夜の家であり他人が自分の家で好き勝手に風呂に入っているということには不快感を覚えている。
知らないうちに女尊男卑思考のキチガイと認定されてしまった女性は茹だった思考から平静に戻り自分が無断で風呂に入っている事を思い出したようだ。
「あ、いやこれは……」
「まあいいか。風呂出てから話は聞くよ」
あとで男の権利についてじっくり教えてやろう。
とりあえずこの場には女性にも何やら事情があるようなので一旦保留とし、当初の目的であった顔を洗うことを達成したので今度は腹ごしらえに飯を作りにいく。
台所についたものの、何があったかと思い出せないまま冷蔵庫の中を見ると買った覚えのない食材が入っていた。ほぼ鍛冶場に篭りっきりだったので残っていた食材はダメになっていたのかもしれない、だがそれも消えている。
もしかしたらこれも先の女性がしたのだろうか。終夜はまあいいかと深く考えずに飯を作り始める。
「あ、あの……鉄打終夜。そのすまなかった。勝手に浴場を使ってしまい、家にも入ってしまっているが……」
「……まあ話は食べながら聞くよ」
こちらの名前が知られているので単なるコソ泥とは違うみたいだ。終夜はとても腹が減っていたので沢山米を炊きおかずを作ったので、それを多いとはいえない量だが女性に分け与えた。
「いただきます」
「い、いただきます」
終夜が食べ始めると女性も箸を持って食べ始めた。家主より先に食べないという一応の礼儀は持っているらしいが戸惑っていたからとも受け取れる反応だ。
「それでアンタはたしか俺が寝る前に訪ねてきた人だったか?出迎えもできず失礼なことをしたな」
皮肉を込めて言うと慌てて女性は返事を返す。早く弁明をしたいのだろう。
「あ、いえ、気になさらないでください。それと私は織斑千冬です。貴方と同じくISを動かせる織斑一夏の姉で、その……IS学園で教師もしています。こちらに赴いたのは流石に一度も学園に来なかったのは少々問題となっていましたから……」
おっとまさかの手合いだった。同じ境遇の少年の姉だったとは予想外だ。というか姉が教師として勤務している学校に弟君は入学するのか……
それはともかく事の真相は、きっと終夜の様子を見るようにと監視する意味合いで千冬が派遣されたと簡単想像できた。
それでいざ来てみると終夜が縁側で倒れていたので介抱した、そんなところだろう。
日も跨いでいるので風呂に入りたいと言うのは当然の欲求だ。終夜はもう千冬に対しては怒りを抱いていなかった。
とりあえず誤解は解けていると伝えておこう。
「あーなるほど。俺は鉄打でいいです、事情はだいたい理解しました。おそらく布団を敷いてくれたのも織斑さんですよね」
「ええ。直接床に寝かせるのもどうかと思いますので」
先程日付を確認したところ入学式の日はとっくに過ぎており、今日は学期が始まって最初の休日でもある日曜日だ。
新学期の最初は色々と忙しいと想像はつくので仕事の合間に来たのだろう。
教師はブラックな職業とは思っていたがこんな山奥まで仕事の合間に行かされるとかなんてかわいそうな仕事なんだ。
「えっと鉄打、さんはどうしてその……倒れていたんですか?特に病気ではなさそうで疲労によるものかと思われるのですが」
「まあその通りで、ほぼぶっ通しで刀を打っていたので眠くて仕方がなかったんだよ。あの伊藤とかいう役人はなんとも都合をつけてくれそうになかったので、学園に行く前に仕事を終わらせておきたかったので」
感心したように千冬は硬くした顔を崩す。それだけで好感度が上がる。伊藤とは違い仕事に敬意を持って接してもらえるのはとても嬉しく感じる。
そんな千冬も会話を交わしているとだんだん終夜の人となりを理解してきたのだろう。硬い口調も砕けてきている。
「そうだったんですね。伊藤さんには会いましたが怒ってわめき散らしてましたよ。石像のように動かないって」
「まあ彼方がたに合わせる義理も無いですし。俺は家業を守りたいだけなので全ての刀を打ち終えたら大人しく学園に行くと最大限の譲歩をしたのですけど……」
終夜もそろそろ千冬のことが分かってきた。彼女はきっと情に熱い人で、弟がISを起動したことで終夜が巻き込まれたとに負い目を感じているのだろう。会話の端々に滲む謙虚さからそう推測する。
「安心しました。入学を拒否されるのは困りますから……それで荷物は纏めておられます?実は明日から入寮して欲しいのです。水道やガスとか電気会社には一時的に供給を止めてもらえるように話もつけていますので」
終夜は正直なところ政府は入学を強制する命令しかしないと思っていたので驚いた。ああいう官僚の集まるところが配慮してくれるとは思えないからだ。
だが面倒な手続きを済ましてもらえるのはとても有り難い。これならば残りの食材の処分と荷物、そして刀を依頼主に渡すことだけだ。これも伝手を頼って代わりに依頼の刀を届けて貰えばいいので連絡して預けるだけという簡単なことだ。
「了解しました。後の仕事は知り合いに頼めるので問題はありません。それと学園にはバイクで行けます?」
「はい、もちろん。普通の生徒は本土のモノレール駅から向かいますが、業務用に使用したりする連絡橋から向かうこともできます。そちらについては私の方で許可は取り付けておきます」
色々と手を回してくれる千冬に感謝しながらも、何かを忘れている気がしてならない。何かが引っかかると終夜が頭を悩ませていると千冬は気になっていたのかある質問をした。
「その首にかけているのはなんですか?」
首に、と言われ咄嗟に右手で掴んだのは白銀と黒色で対をなす兎のネックレスだ。
ただ兎と聞いて思い浮かべるよう可愛らしいものではなく、髑髏のように骨しかなく鋭い牙が特徴的なものだ。
これは半年ほど前に束ちゃんが連れてきた側仕えの少女──孤児でクロエという名前のドイツ人──がくれたものだ。
(その後もクロエは束が忙しい時に預かって面倒を見ているので大分懐いてくれている)
しかしクロエがくれた時は真っ黒な兎しかついていなかったはず。一瞬思い過ごしかと思ったが、クロエからの貰い物を大切にしていた終夜はそんなはずかないと否定する。であるならばそれはいつの間にか増えていたと言う事だろう。
思い浮かぶのは突飛な行動ばかりの束しかいないのだから犯人は彼女ということだ。それで思い出した。
「そうだ、束ちゃんだ」
「……なんですって?聞き間違いでなければ、"束"と言いました?篠ノ之束?」
「ん?ああ、まあ……」
食い気味に千冬が聞いてきたので若干引きながら答える。
その過剰な反応に、束と千冬の間に何かあったのかと終夜は訊いた。
「私はアイツと、束とは親友なんです。ただアイツは大の人間嫌いと言いますか……気に入った人としか関わりを持とうとしないので驚いたんです」
束の印象は無駄に元気で明るく、しかし聡明というものだったので、赤の他人から束の事を聞くと彼女の知らない側面がまだまだあると実感する。
中学時代も刀にかまけ、高校にはそもそも行っていなかったので終夜の交友関係は皆無だ。そんな彼に気を許せる友達の話を聞けて千冬との話す時間はそれだけでも有意義だ。
その話を聞く限り今までクロエを預けてくれたり、時々遊びに来るのは彼女が気に入ってくれたからだろうか。それはなんとも嬉しい事だ。
そして話は戻るがその束からこの間会った時に刀を一本打ってほしいと頼まれた。
古い友人に迷惑をかけるから、身を守るためにも終夜の刀をプレゼントしたいと。それもただの刀ではなく、君の魂を込めて打った刀でと。
それを扱えるだけの能力と心を目の前にいる千冬はたしかに持っているので束のいう親友とは確実に千冬なのだろう。
ならばと飯を食べ終えた俺は立ち上がる。千冬は突然俺が立ち上がったので首を傾げている。
「どうしたんですか?」
「都合がいい。とりあえずついてきてくれ」
「分かりました……それでこれからどこに行くんです?」
「俺の鍛冶場だ」
「これは見事な……」
渡された刀をじっくりと見定める千冬は無意識に感嘆の声をこぼす。
「それは『暮桜』。束ちゃんに頼まれてつくった逸品だ」
「暮、桜だと……」
「名前も束ちゃんがつけた。その名前はとても大事な意味を持つらしいな?」
「……はい。私がISの日本代表を務めていた時に乗ってた愛機。そして束がつくったIS。その相棒の名が『暮桜』です」
懐かしむように千冬は話す。彼女の左手は自然と鞘に収められた暮桜を慈しむように撫でていた。
「それは持って帰ってくれ。束ちゃんは織斑さんに迷惑をかけるから、といってたし、こちらから手渡しでも問題はないだろう」
「でもお代は……」
「要らないよ、友達のよしみだ。それに金は必要ではあるが欲しいからと刀鍛治をしているわけではないんだ。刀を打つことと家の名を世界に知らしめたいという思いだけでやってるからな」
「では、ありがたく頂戴します」
結果的に2日と随分と長く千冬を引き止めてしまったが千冬は気にした様子もなく、ただ束によろしくとだけいって帰っていった。
明日から学園に通うので、さっさと仕事を終わらせようと終夜は知人に連絡を飛ばして1日を終えた