繁華街からはずれると、人気がぐっと少なくなった。春の日差しを浴びながら二人並んで歩いていると、まるでデートのようだ。
もちろん、これは何か歯車が噛み合って起きた奇跡の一幕に過ぎないのであり、多くを求めてはいけないことはわかっている。この一瞬がずっと続けばいいのにと思ったら、逆に確実に訪れる終わりを意識して寂しくなった。
小さくため息をつくと、卯月ちゃんが心配そうな目で俺を見た。
「どうかしましたか?」
「いや。今日が幸せすぎて、ちょっと怖くなった」
「楽しいですよね。お天気もいいし、私も退屈してたから、○○さんに声をかけてもらえて良かったです。気に入った服も買ってもらえたし!」
いたずらっぽく卯月ちゃんが笑う。本当に、実に自然に相手が喜ぶことを言う子だ。それとも、すべて計算してやっているのだろうか。そういう子には見えないが、女の子はよくわからない。
やがて到着した公園は、デートスポット的なものではなく、近くの人たちが散歩をする類の公園だった。子供たちがわいわい遊んでいる。奥のグラウンドでは草野球しているおじさんたちがいて、賑やかだった。
ランニングコースの内側に花壇があって、色とりどりの花が咲いていた。
「元々凛ちゃんに教えてもらったんです。あっ、ラナンキュラス」
卯月ちゃんがそう言って、花壇の傍でしゃがんで覗き込む。生憎花はまったく詳しくないので、どれがラナンキュラスかはわからなかった。
「写真、本当にいいの?」
「はい。あっ、でも、外に出しちゃダメですよ?」
「それはもちろん! むしろ、頼まれても見せたくない」
今のも独占欲剥き出しの台詞で、引かれたかなと思ったが、やはり卯月ちゃんはにっこり笑っただけだった。
「本当に大事なものって、逆に人に教えたりしたくないことって、ありますよね」
「ああ、そういう感じ」
今日は何回、卯月ちゃんの気遣いに助けられているのだろう。
それにしても、自分の写真を「本当に大事なもの」と表現するのは、恥ずかしくないのだろうか。その辺りは卯月ちゃんもアイドルなので、少なからず自分に自信があるのだろう。
スマホを取り出すと、カメラアプリを起動した。画像サイズを最大にして、画質も最高にする。ちゃんとしたカメラが欲しいが、最近はスマホのカメラでも綺麗に撮れるので大丈夫だろう。それよりも、イージーミスでこの奇跡の成果物を台無しにしないことが大切だ。
ドキドキしながら何枚か撮ってみた。自分のカメラフォルダに、卯月ちゃんの写真が収められていく。もう夢か現実かわからなくなってきた。
卯月ちゃんは花壇をぷらぷら歩きながら、時々ポーズを取ったり、花に手を添えたりする。仕事の撮影もこんな感じなのだろうか。それはわからないが、やっぱり卯月ちゃんもプロなんだなと改めて思った。
時々撮った写真を見ながら、こう撮るともっといいと教えてくれた。その通りに撮ると、確かに卯月ちゃんの可愛さがさらに引き立てられた。どこまで近付いていいのかわからず、撮るのをためらっていたアップの写真も何枚も撮れた。
二人で並んでベンチに座ると、卯月ちゃんがスマホを覗き込んだ。写真フォルダを見ると、数えきれないほどの写真が並んでいて、卯月ちゃんが呆れた顔をした。
「○○さん、私が思ってる以上に私のこと好きなんですね」
「ああ、うん。大好きだよ」
またさらっと流してくれるかと思ったら、卯月ちゃんは隣でじっと俺の顔を見つめ、俺は恥ずかしくなって俯いた。
「それは予想外の反応なんだけど」
「いえ、面と向かって好きって言われると、思ったより恥ずかしくなって」
「先に卯月ちゃんが言ったんだけど」
「そうですよね。ちょっと私、自惚れ屋さんでしたね」
夕方に近い。最初に声をかけてから、もう2時間くらい経っているのではないだろうか。
この幸せな時間が、こんなにも長く続くとは思わなかった。挨拶して30秒くらいで終わるはずだった。
「今日の記念に、ツーショット写真、撮ったらダメ?」
それは、本当にすべてを捨てる覚悟の提案だった。今日のすべてにおいて、卯月ちゃんを本気で困らせたら最後だと思っている。卯月ちゃんが嫌がることだけはしてはいけない。
いくら外に出さない約束をしても、男と二人のツーショット写真をアイドルの子が撮るのが許されるはずがない。それをわかっていて、どうしても抑えられなかった。
心臓が飛び出しそうだった。顔を上げることもできず、ぐっと拳を握ると、頭上から聞こえたのは予想とは裏腹の、卯月ちゃんの軽い返事だった。
「あっ、それいいですね! 撮りましょう!」
顔を上げて隣を見ると、卯月ちゃんがずいっと身を乗り出してきた。肩が触れ合い、その温もりに顔が熱くなる。
「よく友達と一緒に撮ったりするんですよ」
「あっ、と……えっと……」
スマホを取り出すが、提案しておきながら撮ったことがなく、どうしていいのかわからない。普通に考えれば、スマホのカメラを切り替えるのだが、頭の中が真っ白になってテンパってしまった。
そんな俺の様子を見かねてか、卯月ちゃんが自分のスマホを取り出した。
「いいですよ。私が撮りますね! 結構上手ですよ?」
そう言うと、卯月ちゃんは慣れた手つきでカメラを起動して、俺と反対側の手で持って肘を伸ばした。そして俺の肩に頭を乗せて、ピースをする。
突然のことで、俺はもう何がなんだかわからなくなった。右肩に感じる卯月ちゃんの頭の重み。腕の柔らかさ。そして、髪の毛からする甘い香り。
「○○さんもピースしてください」
「ああ、うん」
思わず右手を上げたら、卯月ちゃんの横っ腹に肘が当たって置き場に困った。背中に手を回して、そっと肩を引き寄せる。首を右に傾けて、卯月ちゃんの髪に頬を当てた。左手でピースする。
カシャっと一枚。そのままの姿勢で写真を確認して、卯月ちゃんはもう一度手を伸ばした。
「○○さん、笑顔がぎこちないです」
「笑顔って難しくない?」
「私、得意です」
「知ってる」
「喋っていたら自然に笑えますか? さっきまで普通でしたよ?」
「笑えって言われて笑うの、人生で初めてだ」
先ほどより強く卯月ちゃんを抱き寄せる。ピースした指を重ねてみたり、色々試した後、卯月ちゃんが言った。
「カメラ目線、やめてみましょうか」
そう言われて、二人で目を閉じてみた。撮った写真を二人で確認して、卯月ちゃんが思わず慌てた声を出す。
「これ、やばいですね」
「もらえたら一生の宝物にする」
肩を抱き寄せられて、俺の胸の中で微笑みながら目を閉じている卯月ちゃん。そんな卯月ちゃんに頬を寄せる俺。完全にカップルのそれだった。
卯月ちゃんはしばらく俺の胸にもたれたまま、じっとその写真を見つめていた。俺はどうしていいのかわからず、右腕で卯月ちゃんの細い肩を引き寄せると、左手でそっと髪を撫でた。
卯月ちゃんがアプリを落として、体の力を抜いて俺にもたれてきた。体勢を変えて、両腕で卯月ちゃんの体を包み込む。ただただ柔らかくて、少し熱くて、髪の毛からいい匂いがして、もう死んでもいいと思った。
腕が窮屈だったので、右腕だけ少し下げると、もろに胸部を抱きしめる形になった。少し考えればわかったことだが、思い至らなかった。これはもう、完全に胸を触りに行ったようなものだ。
開き直ってそのままぎゅっと抱きしめる。自分の腕に押し潰される卯月ちゃんのおっぱいの弾力。卯月ちゃんは目を閉じたまま、眠っているように俺の腕に体を預けている。
左胸が痛いくらい強く打っていた。きっと卯月ちゃんの背中に伝わっているだろうなと思うと、恥ずかしくて泣きたくなった。
街の公園で何をしてるんだろうと、一瞬意識が外を向き、すぐに全神経を腕の中の女の子に集中させた。よく街でイチャイチャしているカップルがいるが、きっとこんなふうに、自分たち以外のことには意識が向いていないのだろう。
右腕を動かすと、その柔らかさがダイレクトに伝わってきた。そっと手の平で卯月ちゃんの左胸を撫でると、さすがにやりすぎたか、卯月ちゃんはそっと俺から体を離して元の位置に戻った。
「あっ……」
狼狽する俺をちらっと見て、卯月ちゃんは蠱惑の笑みを浮かべた。
「○○さん、すっごくドキドキしてましたよ?」
街にいた時、あんなにも子供っぽい仕草をしていた子が、今はこんなにも挑発的な目で俺を見つめている。やっぱり女は怖いと思った。
「緊張して死ぬかと思った」
「本当かなぁ。あっ、写真送りますね」
つい今まで、俺の胸の中で安らいでいたのが嘘のように、いつもの明るい表情に戻って卯月ちゃんが言った。胸を触ったこともまったく気にしていないように見える。
一体卯月ちゃんは何を考えているのだろう。それを少しでも推測したかったが、次の一言に全部飛んでしまった。
「○○さん、LINEってやってますか?」
「LINE? やってるけど」
「じゃあ、それで送りますね」
なんでもないことのようにそう言って、卯月ちゃんが画面にQRコードを表示させた。
俺はもう抜け殻のようになって、言われるままQRコードにカメラを向けた。
「あっ、ついでに私の写真もください。全部はいいので、○○さんが特に気に入ったのを数枚」
「卯月ちゃんが選んでくれていいよ」
「いえ、○○さんの趣味が知りたいので」
「怖いことを言うね。試されてる?」
「はい」
自分のLINEに卯月ちゃんの名前が現れる。本当に、あの島村卯月の個人的なLINEをゲットしたのかと思うと、もうわけがわからなくなった。ひょっとしたら、写真を送り合った後、ブロックされるのかもしれないが、卯月ちゃんがそんなことをするとも思えない。
「これ、改めて見ると、本当に照れますね」
はにかみながら、卯月ちゃんがツーショットの写真を送信してくれる。撮った写真すべて。もちろん、最後に撮った目を閉じているヤツもだ。
自分のスマホで見ると、完全に恋人同士だった。現像して額に飾りたい。
「俺、きっと今日のために生まれてきたんだな。もう死んでもいい」
「死なないでください。あっ、私の写真は後からでいいので、○○さんが可愛いと思うのを選んで送ってくださいね」
うーんと一度伸びをして、卯月ちゃんがベンチから立ち上がった。日はもう暮れかけていて、西日が卯月ちゃんの横顔を赤く染める。
俺も腰を上げる。腕にまだ卯月ちゃんの温もりが残っている。しかしそれも、すぐに消えてしまうのだろう。目の前にいる大好きな女の子を、思い切り抱きしめたい衝動に駆られたが、それは絶対にしてはいけないことだと思い、我慢した。
勘違いしてはいけない。この写真も、抱きしめたのも、本当に色々な偶然が重なった結果に過ぎないのだ。
今日という日を俺の人生で最高の日にするためには、綺麗に終わらせなくてはいけない。ごねず、渋らず、引き止めず、すっと別れよう。
「今日は本当にありがとう。すごく楽しかった」
俺がそう言おうと思って息を吸い込むと、先に卯月ちゃんが笑って言った。
「じゃあ、ケーキを食べに行きましょうか」
俺は口を開けたまま、何も言えずにコクコクと二度頷いた。