卯月とファンの恋物語   作:水原渉

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 繁華街に戻ると、すっかり夜の色になっていた。街灯やショップの灯りでキラキラしている。

 この街はこんなにも綺麗だったろうか。隣に卯月ちゃんがいるだけで、何もかもが違って見える。

 またキザな台詞かもしれないと思いながらも、それをそのまま口にしてみた。

「隣に誰がいるかで、街が全然違って見えるよ」

「私もそれ、思いました。男の人と歩いたことなんてなかったから、いつもなら絶対に気にしないお店とかが気になったりします」

「メンズ?」

「とか。今度○○さんをコーディネートしましょうか?」

「それは是非お願いしたい」

「でも私、男の人の服なんて全然わかりませんけどね」

 カフェへの道中も、卯月ちゃんはずっと楽しそうに喋り続けていた。俺はそれよりも、今卯月ちゃんの言った「今度」が気になってしょうがなかったが、社交辞令として受け流した。

 こんな幸せな日がまた訪れるとは思えない。それとも、教えてもらったLINEで、気軽に話しかけてもいいのだろうか。

 いや、そこは空気を読むべきだ。ひとまずその葛藤は家に帰ってからすることにして、目の前の女の子に集中する。

「卯月ちゃんが男と歩いたことがないっていうのが信じられない」

「本当ですよ」

「学校でもモテるでしょ」

「私、△△高だから。お友達も女の子しかいません」

 さらっと、卯月ちゃんが通っている高校の名前を口にした。ちなみに、有名な女子校だった。

 実家の場所といい、ぽんぽん個人情報を出してくれる卯月ちゃんに、逆に不安を覚えた。しかし、やはり失言の可能性も考え、意識している様子は見せないようにした。

「そうなんだ。今日、全然緊張してる感じがないから、慣れてるのかと思った。緊張しっぱなしの俺とは大違いだ」

「私には、○○さんこそ慣れてるように見えますけど」

「生まれて初めて女の子と喋った」

「本当かなぁ。すっごく自然に2回もセクハラされました」

 いきなり爆弾を投下してきて、俺は思わず噴いた。

 もちろん、1回目はエスカレーターの件として、2回目は公園で胸を触ったことだろう。気付いているとは思っていたが、こうして改めて言うということは、それなりに意識しているのだろう。それがなんだか嬉しかった。

「理性の限界でした。ごめんなさい」

「いいですよ。私も気持ち良く寝てたので、お互い様です」

 あっけらかんとそう言って笑う。

「気持ち良かったんだ」

 思わず呟くと、珍しく卯月ちゃんが慌てた素振りをして、ぷいっとそっぽを向いた。

「もうっ。そこは聞き流すところです」

「あまりにも嬉しくて、つい」

 それからは取り留めもない話をして、やがて卯月ちゃんオススメのカフェに辿り着いた。確かにカフェだが、バーのような雰囲気もある。レストランにも使えそうだ。

 なんとか席は空いていて、奥の二人用のテーブルに案内された。

 せっかくなので食事をしようと、ケーキの前にパスタを注文する。

 他愛もない話をしていると、ふと話がデビューの頃の話題になった。俺は初めての握手会のことを聞いてみた。

「初めての握手会の時、卯月ちゃん、俺の名前を言い当てたの、覚えてる? あれ、俺はすごく嬉しかったんだけど、間違えたらどうしようって思わなかった?」

 もうだいぶ前のことだ。「覚えてません」と言われたらどうしようかと思ったが、卯月ちゃんはちゃんと覚えていてくれた。

「あれは私もドキドキしてました。○○さんから名乗ってくれたら良かったのに」

「なんか偉そうじゃん。お前、俺の名前覚えてるよな、みたいで」

「そうかもしれませんけど。でも、○○さん『いつも』って言ってたから。あの時、2通以上お返事を書いたの、○○さんしかいなかったんです」

「そうなの? てっきり、ファンレターとかいっぱいもらってるんだと思った」

「今は増えましたけど、あの頃はデビューした時に3通くらいかな。みんなに返事を書いたんですけど、次に来た時に、『あー、この人は本当に私のファンなんだな』って思えたのは、○○さんだけでした」

「他の人はどんな内容だったの?」

「デビューしたての子になら、誰にでも通じそうな内容でした。○○さんだけですよ。足に巻いてたリボン、養成所の時は腕に巻いてたよねとか書いてきたの」

「完全にストーカーだな」

「でも嬉しかったです。最初のライブからずっと来てくれてたのも知ってたから、それが○○さんだってわかって、あの日は私、なんだかとっても嬉しかったんです」

 そう言って、卯月ちゃんは懐かしむように目を細めた。俺はどぎまぎして思わず視線を落とした。

「だけど、今でも手書きの返事を書いてるってすごいよね。今はもう、ファンレターいっぱいもらうんでしょ?」

「そうですね」

 短くそう言葉を切って、卯月ちゃんはふっと視線を逸らせた。

 今日初めて、何か言いにくいことを隠したとわかった。逆に、これまでのすべては本音だったのだと確信できた。

 少しだけ沈黙があって、やっぱり隠し事は苦手なのか、卯月ちゃんは大きく息を吐いて顔を上げた。

「これは絶対に内緒ですけど、私今、手書きのお返事を出してるの、○○さんだけです」

「えっ……?」

「いっぱいもらうし、いっぱい書いてくれる人もいるし、○○さんみたいに顔と名前が一致する人もいます。でも、みんなに出してると切りがないし、みんなツイッターとかやってるから、そこで交流もできるし。どこからどんな情報が漏れるかわからないから、過度なファンサービスはやめるように、事務所からも言われてるんです」

「俺にはいいの?」

「事務所的にはあんまり嬉しくないと思うけど、手紙は私に届けてくれるし、いいんじゃないですか? 本当にダメなら、たぶん○○さんのお手紙は、私に届いていないと思います」

「それは嫌だね」

「変な手紙も多いみたいなので、中を見られたりするのはどうしてもしょうがないんです。ごめんなさい」

 卯月ちゃんはそう言って大きくため息をついた。俺は慌てて手を振った。

「いやいや、別に卯月ちゃんが悪いんじゃないし。でも、俺にはくれるんだね」

「○○さんは特別だから」

「それは、ありがとう」

「デビューした時からファンでいてくれる人は、もうほとんどいません。有名になると古参のファンは離れていくって先輩から聞いたことがあったけど、本当だったんですね……」

「まあ、わからないでもない」

 俺がぽつりとそう言うと、卯月ちゃんが怯えたような顔をした。今日一日中笑顔だった卯月ちゃんに、初めて悲しそうな顔をさせてしまった。

「いや、俺はずっと卯月ちゃんのファンだから」

「やっぱり、ファンを辞めようって思ったこと、ありますか?」

「まあ、好き嫌いだから、辞めたくて辞めるものでもないけど、報われないなって思うことはしょっちゅうだよ。卯月ちゃんからもらった手紙に何度励まされたか」

「距離感は……ありますよね。そのためにツイッターとかやってるのに、○○さん、フォローしてくれないし」

「ああ、ツイッターはやってなくて」

 さらっとそう言うと、卯月ちゃんが顔から微笑みを消して、心を見透かすように真っ直ぐ俺の目を見つめた。それから少しだけ言いあぐねて、唇を内側にすぼめてから、視線を落とした。

「そうですか」

 背筋がぞくっとした。俺がアカウントを持っていることを、卯月ちゃんは知っている。瞬間的にそう察知した。

「あっ、やってないっていうか、やってるんだけど、アイドルの話はしてなくて」

 卯月ちゃんはちらっと顔を上げて、それから申し訳なさそうに頭を下げた。

「ごめんなさい。試すようなことを言って。私、○○さんのアカウント、知ってるんです。ずっと前から。でも、ライブの後でも全然そういう話をしていなくて、手紙で読むほど私に興味がないのかなって、ちょっと不安になったりしてました」

 俺は混乱した。本当に一切アイドルの話を書いていないアカウントを、どうして卯月ちゃんは知っているのだろう。そう聞くと、卯月ちゃんは慌てたように左右を見てから、恥ずかしそうに俯いた。

「手紙に書いてあったことを検索したりして……。ス、ストーカーっぽいですね。ごめんなさい」

 まだまだファンもずっと少なかった頃、手紙をくれる人がどんな人が気になって、検索したりしていたらしい。卯月ちゃんがまだアカウントを作る前のことである。

 それで、手紙に書いた、行った場所ややった内容から、俺のアカウントを発見した。それから時々見ているというから、俺は恥ずかしくて逃げ出したくなった。鍵リストで卯月ちゃんをこっそり見ていたが、まさか自分が見られているとは思わなかった。

 運ばれてきたパスタを取り分けてつつきながら、卯月ちゃんが言った。

「でも安心しました。○○さん、私が思ってたよりもっといい人で」

「服のことは気にしないで」

「そこじゃないです。話しやすいし、一緒にいて楽しいです」

「俺も。卯月ちゃんの話面白いし、隣にいて落ち着く感じ」

「ありがとうございます」

 恥ずかしそうにはにかんで、卯月ちゃんはフォークに巻いたパスタを口に運んだ。

 本当に、初めはただ好みの女の子だというだけで好きになった。それが、知れば知るほどどんどん好きになっていく。

 丁寧な言葉遣い。ふとした仕種。手紙をくれる優しさ。女の子女の子した丸い文字。それに今日一緒にいて、気遣いも出来るし、空気も読めるし、押すところと引くところをわきまえているのもわかった。

「卯月ちゃん、好きだよ」

 真っ直ぐ見つめてそう言うと、卯月ちゃんは思わずフォークを落としそうになってから、目を丸くして俯いた。

「は、恥ずかしいじゃないですか!」

「何度も言っておこうと思って」

「○○さん、手紙でも『可愛い』ってたくさん書いてくれるけど、『好きだ』なんて書いてませんよ? 少し内気な人なのかなって思ったら、ぐいぐい来ますね」

「自分でも驚いてる」

「私はもっと驚いてますから!」

 顔を赤くしてそう言って、二人で笑った。

 温かな時間が、どうしようもなく幸せだった。

 

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