卯月とファンの恋物語   作:水原渉

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 すっかり話し込んで、店を出たらもう20時を回っていた。2時間くらいカフェにいたことを知って二人で驚く。

 どれだけ相性が合うのだろう。一瞬そう思ったが、それはたぶん勘違いで、卯月ちゃんの人柄だろう。きっと誰とでも話を弾ませることができる子なのだ。

 街は相変わらずの人混みだが、今度こそもう、この幸せな時間を終わらせなくてはいけない。高校生の女の子を引きとめておく限界だ。

 綺麗に終わらなくてはいけない。何度もそう心で念じながら、いよいよ別れを切り出そうとした瞬間、卯月ちゃんが振り返って明るい笑顔を見せた。

「○○さん、まだ時間大丈夫ですか?」

「あっ、全然平気」

「じゃあ、少し歩きませんか?」

 俺の返事を待たずに、卯月ちゃんが歩き出す。隣に並ぶと、卯月ちゃんは一度俺を見上げて、柔らかく微笑んだ。

 さすがに喋り疲れたのか、一言も話さない。それでも、気まずくなる沈黙ではなかった。

 やがて卯月ちゃんは、木々と人工物の調和した広場にやってきた。暗いが暗すぎず、閑散としているが往来はある。適度な間隔に並べられたベンチにはカップルが一組ずつ座り、先ほどの自分たちのように、周囲のことなどまるで気にしていないように自分たちの世界に浸っていた。

 卯月ちゃんは空いていた適当なベンチまで歩くと、腰を下ろして深く息を吐いた。

「さすがに疲れましたね。たくさん歩きました」

「うん」

 俺がわずかな隙間を空けて隣に座ると、卯月ちゃんは少しだけお尻を浮かせてその距離をゼロにした。

 日中は暑かったが、夜は肌寒い。触れ合う腕が熱を帯びた。

 何も言わずに、卯月ちゃんがそっと俺の肩に頭を乗せた。俺はまったくどうしていいのかわからず、全力で考える。

 ここまでがすべて、買った服のお礼なのだろうか。しかし、俺がこれを望んでいるのだと考えているとしたら、それはいくらなんでも俺のことをバカにしている。

 恐らくそうではなくて、単純に卯月ちゃんがこうしたいからしているのだろう。しかし、それはなぜだろう。

 今日、ひょっとしてそうなのかもしれないと思いながら、敢えて考えないようにしていたこと。わざわざツイッターを検索したり、手書きの返事をくれたり、俺の腕の中で安らいだり、こうして寄りかかったり。

 卯月ちゃんは、俺のことが好きなのだろうか。

 いや、違う。

 言葉にしてみたら、どう考えてもそれは自惚れだった。自分の願望が強く入り過ぎている。きっと、ちょっと年上の男の人に甘えてみたい、それくらいのことなのだろう。

 そっと肩を抱いて、髪を撫でてみた。卯月ちゃんはわずかにまぶたを開くと、もう少しだけ俺の方に体を傾けて、背中に手を回した。

「頑張れば頑張るほどファンの人たちが離れて行って、どうしていいのかわからなくなったことがあったんです」

「さっきの話?」

「はい。新しいファンの人たちは、ツイッターを見ると、私以外の子にも同じように話しかけたり、別のアイドルの子のことで盛り上がったり。そういうの見て、すごく寂しくなったりして……」

「みんな、手広いよね」

「はい……。そんな中で、○○さんだけが、ずっと同じペースで手紙をくれて、周りのことなんてまったく気にしてないみたいに応援してくれて。私も○○さんのお手紙に、何度も何度も助けられました」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 じんと胸が熱くなって、そう言うのが精いっぱいだった。卯月ちゃんはくすっと笑って少しだけ顔を上げた。

「便箋、いつも違いますよね。私、○○さんが雑貨屋さんで可愛い便箋を探してるの想像して、楽しんでました。書くと意識しちゃうかなって思って、いつも書きたいのを我慢してたんですよ?」

「そういうところに気付いてくれると、すごく嬉しいよ」

 卯月ちゃんの言う通り、便箋は意図的に毎回変えていた。想像するような雑貨屋ではないが、それでも可愛いのを選んでいる。

 なんだか胸がいっぱいになって、もう一度卯月ちゃんをしっかりと抱きしめた。

 さっきは背中越しだったが、今度は卯月ちゃんは少し身をよじって、正面から俺の肩に顔を埋めた。背中をぎゅっと引き寄せられて、全身が熱くなる。

 触れ合う胸と胸、頬をくすぐる髪の毛、首元にかかる吐息。誰よりも愛する卯月ちゃんが、俺の買ったワンピースを着て、俺の腕の中にいる。

 しっかりと抱きしめたまま、ずっと髪を撫でていた。卯月ちゃんは時々身をよじったり、熱っぽい息を吐きながら、やはりじっとしがみつくようにして俺の肩に顔を埋めている。

 その内、息苦しくなったのか、卯月ちゃんが顔を上げて大きく息を吐いた。顔からほんの数センチのところで、卯月ちゃんの湿った唇が艶めかしく光る。

「卯月……」

 そっと、その唇を塞いだ。溶けるほど柔らかくて、ひんやりとした唇の感触に、全身が打ち震えた。

 卯月ちゃんが背中に回していた手を首にかけて、少しだけ顔を傾ける。しばらく唇同士を触れ合わせてから、舌を絡めた。

 ねっとりとした液体感のある卯月ちゃんの舌。うっすら目を開けると、卯月ちゃんは柔らかくまぶたを閉じていた。無表情で舌を入れてくる。

 奥の方まで舌を絡め合いながら、卯月ちゃんの背中や腋を、輪郭をなぞるように撫でた。卯月ちゃんが「ん……」と声を漏らしながら身をよじる。鼻息が蒸れるほど熱い。口の中は卯月ちゃんの味でいっぱいだ。

「愛してるよ、卯月」

 舌を吸うように舐めながら、息っぽい声でそう言うと、卯月ちゃんは熱い吐息を漏らしながら小さく頷いた。

 顎が疲れるくらい長い時間そうして互いを感じ合ってから、そっと顔を離した。

 目の前に潤んだ卯月ちゃんの瞳があって、俺の顔が映っている。

 もう一度キスをした。周囲はどうなっているかわからないが、どういう目で見られようと、然るべき人に注意されなければどうでもいい。

 唇をむさぼりながら、片方の手でそっと卯月ちゃんの胸に触れてみた。優しく揉んでみる。柔らかいというより、弾力を感じた。

 卯月ちゃんが顔を離して、もう一度俺の肩に顔を埋める。背中をぎゅっと引き寄せられたので、同じように両腕でしっかりと抱きしめた。

 ずっとこうしていたい。一晩中抱きしめていたい。1分1秒でも長く、卯月ちゃんの温もりを感じていたい。

 触れ合う肌が汗ばむほど強く、腕が痺れるほど長く抱きしめ合ってから、そっと卯月ちゃんが体を離した。陶然とした表情で見つめ合うと、卯月ちゃんから目を閉じて、もう一度キスをしてくれた。

「そろそろ帰りましょうか」

 言われるまま立ち上がって周囲を見ると、両隣のベンチには来た時と同じカップルが座って、やはり抱きしめ合っていた。まるで俺たちのことなど気にした様子もない。

 そっと手を握ると、卯月ちゃんは一度俺を見上げてから、照れたように微笑んで、ぎゅっと握り返した。

 何を言われるかと、期待と不安半々でいると、卯月ちゃんはもう甘ったるい空気はなく、昼間と同じ明るい声で世間話を始めた。

「そういえば、○○さんは、勉強はできる方ですか?」

「えっ? あっ、どうだろう。どうして?」

「私、どうも勉強は苦手なんです。頑張ってるんですけど、頭が悪いんでしょうか」

「勉強ができない卯月ちゃんも、それはそれで可愛いよ」

 斜め上の回答をしたからか、卯月ちゃんが不満げに俺を見上げた。俺は慌てて取り繕う。

「いや、別にバカとかそういう話じゃなくて」

「そこじゃないです」

「どこ?」

「わかんないならいいです。ふんっだ」

 わざとらしくそっぽを向くが、手はしっかり握ったままだった。それがなければ、さっきまで抱きしめ合ってキスをしていたのが嘘のように、いつも通りの明るい卯月ちゃんだった。

 ちなみに、今の台詞のどこで機嫌を損ねたのか、まったくわからなかった。女の子は難しい。

 ぐだぐだ話しながら駅に戻ってきた。今度こそ本当にお別れである。

 手を離して、ずっと持っていた紙袋を渡した。

「服、本当にありがとうございました。大切にします」

 卯月ちゃんは一度頭を下げて、真っ直ぐ俺を見上げた。真剣な眼差しで、いつもの微笑みはない。

「それから──」

 一度言葉を切って、どうしようもなく動揺している俺に、明るい声で言った。

「今日はすごく楽しかったです。私も、○○さんのこと、大好きです」

 初めて卯月ちゃんはそう言って、照れたように俯いた。次に顔を上げた時にはもういつもの笑顔で、いたずらっぽい目をしていた。

「今日は帰りますね。あっ、写真送ってくださいよ!」

「あっ、うん。俺の好みで厳選して送るよ」

「楽しみです。じゃあ、また遊んでください。さよなら」

 明るく笑って手を振って、卯月ちゃんは改札を抜けて行った。

 やがてその背中が消えてしまうまで見送って、夢の時間は終わった。

 

 果たして今日のすべては、本当にあったことなのだろうか。

 電車に揺られながら、公園で撮った卯月ちゃんの写真を眺める。

 フォルダに並んだ、たくさんの俺にだけ向けられた笑顔。いつも部屋で見ている、雑誌やインターネットのありふれた写真ではなく、素のままの卯月ちゃん。

 アイドルなんて作られたもので、素の本人は不細工で性格も悪くて男もいて、なんてよく聞くが、素の卯月ちゃんは本当に笑顔が眩しくて、むしろ綺麗な衣装を着て歌っている時よりもキラキラしていた。

 家に帰ったら写真を選んで送ろう。きっとそれが個人的にやりとりのできる最後の1回。LINEを教えてくれたからといって、気軽に送ってもいいかは別問題だ。

 もっと仲良くなりたい。けれど、嫌われたくはない。嫌われるくらいなら、今日の幸せな思い出に浸りながら、今まで通りの距離でいた方がいい。

 卯月ちゃんが大好きだと言ってくれた。抱きしめてキスをした。それ以上の幸せを望んだら、落としどころがわからない。

 恋人同士になって、エッチして、結婚する?

 言葉にすれば、飛躍しすぎなのがわかる。自重しなくてはいけない。

 心の中の「もっと行けるはずだ」という声を無視して、自重と我慢を呪文のように唱えていると、LINEのメッセージが飛んできた。

 卯月ちゃんからで、可愛いスタンプと一緒にこう書かれていた。

『帰りが遅いって怒られた……><』

 ドクンと、痛いほど強く胸が鳴った。

 こんな日常的な話題を、何気なく送ってくれた。嬉しいよりも、その意味を考えてしまう。もっとも、自分にとって都合のいい解釈ばかりで、大した想像はできなかったけれど。

『難儀やな』

 謝っても気まずくなるだけなので、軽い返事をする。そこで既読スルーされたら、ちょっとシンプルに返しすぎたか悩んでしまったが、必要のない心配だった。

『信頼できる大人の男の人とずっと一緒にいたから大丈夫って言ったら、家族会議になりました』

 思わず固まった俺を見透かすように、可愛いスタンプと一緒に一言。

『冗談です^^』

 結局それから、悩んでいたのが嘘のように、ずっとLINEでメッセージを投げ合いながら家に帰り、写真も厳選して送った。

 送り終わると卯月ちゃんからコールがあって、やっぱり会話が弾んで遅くまで通話してしまった。

 アプリを落とした後、すでに日も変わった部屋の中で今日一日を振り返る。

 出会った最初から、服を見たいと言った俺のために、わざわざお店まで戻って試着してくれた。腕の中が気持ち良かったと言ってくれて、食事の後も自分から時間を引き延ばしてくれた。

 抱きしめ合ってキスをして、それでも気まずくなることもなく、今もついさっきまで普通に通話していた。まだ耳に残る卯月ちゃんの声。

 今日は2回、「次」をほのめかしてくれた。

『今度○○さんをコーディネートしましょうか?』

『また遊んでください』

 文字通り受け取っていいのかわからない。その時は本心だったかもしれないけれど、一晩経ったら変わってしまうかもしれない。

 今日はテンションが上がっていただけで、キスしたことも何もかも、後悔するかもしれない。なかったことにしようとするかもしれない。

 だけど、「絶対に無理だ」「そんなはずはない」「自重しろ」「我慢が必要だ」などと弱気になってばかりでは、結果的に卯月ちゃんの気持ちを傷付けることになるかもしれない。

 だから明日、朝、自分から「おはよう」と声をかけてみよう。

 もしもそれに、卯月ちゃんが明るい返事をくれたら、無理に自分を押し殺さず、自然のままに振る舞おう。

 友達同士でもいい。LINEで日常的なメッセージを送り合える仲でも十分すぎる幸せだ。仲良くなりたい。

 島村卯月──世界で一番大好きで、世界で一番大切な女の子。

 彼女が求めてくれる限り、これからもずっと応援していきたい。

 

 ─ 完 ─

 

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