鬼滅ループ 作:ちょもめんぬ
人生には往々にして決断の時というものがある。
それは小さいものなら、今日の夕食をカレーにするかハンバーグにするかとか。大きいものなら、生きるか死ぬかのものだって。
生きていればそれらは否が応でも目の前に突き立って選択を強制させてくるんだ。
まあ、そんなわけで。
「今宵は最終選別にお集まりくださってありがとうございます」
着物を着たおかっぱ頭の少女が色のない声で滔々と言の葉を。
月の光を吸い込んだ藤の花が薄っすらと青白く夜に滲むように山を囲う藤襲山。
刀を手にした数十人の少年少女、緊張と興奮にピリつく空気。
それが俺の選択の結果だった。
何故、俺は魑魅魍魎が跋扈するデッドオアデッドな鬼の巣窟に踏み入らなければならないのか。
それを説明するためには今年で齢十四になる俺の人生を語らなければならないので、それこそ十四年分の時間が必要なのだが。
いや、少し違うか。
今世での十四年分の人生と、前世での二十年分の人生をまずは話さねばならないだろう。
俺には前世の記憶がある。
それは曖昧なもので、頭の中にあるもの……分かっていることは前世での自分が男だった事と、今の俺が生きる大正の世が過去であった事だ。
自我が芽生えたと同時に湧き上がったその記憶は、幼い俺のアイデンティティを決定づけるのに十分な密度と経験を持っていた。
なんの因果か過去にタイムスリップ転生、それもTSのおまけ付き。
百年先の未来を男として生き、男として死んだ経験を実感として持つ俺は、例え身体が正真正銘の女の子でも男しての自己を確立せざるを得なかった。
なので、クソボケアホ間抜けな父親が賭博で身を滅ぼして俺を売り飛ばしたときに俺を買ったすけべジジイ、鬼殺を志す者を育てる育手に『このまま売られて遊郭に行くのと儂と死ぬほど鍛錬するのどっちがいい?』と言われてしまえば選択肢などあってないようなものだった。
それが今からちょうど四年前のこと。
文字通り血を吐く鍛錬を乗り越えて俺は鬼殺隊士になるための最終選別試験に臨む。
本音を言えばこんな血生臭いのはノーサンキューなのだが。
人外の力を振るうらしい鬼とどんぱちやるのと、何処の誰とも知らない種付おじさんとあんあんヤるのでは前者に俺の天秤は傾いた。
いや、男のイチモツを見るならまだしも、握るのも舐めるのも上でも下でも咥えるもの無理。無理無理無理。吐く。
それにこの時代のそういうところって性病ヤバくて短命っていうし? いやそこら辺オールグリーンでも無理なものは無理だけどね。
死ぬのも死ぬほど嫌だが、実際ヤるとなるとショック死しかねない。
ジジイの話から推察するにどう考えても鬼殺隊士は殉職率かなり高そうだが、この試験に限っては『七日間生き延びる』ことが合格条件。鬼と一戦も交えなくてもOKということだ。
正式に入隊すれば指令が下るそうだが……適当に出向いた振りして失敗しましたてへぺろでいいでしょ。ネットが普及していないこのご時世だ、データ管理には限界がある。隊士ひとりひとりを細かく管理するのは不可能なはずだ。
ひとまず、未来の事は未来の俺が考える事だ。現在の俺はこの一瞬を全力で生きなければならない。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
一斉に入山して直ぐに俺は脇目も振らずに最も夜が早く明ける東へと走り出した。
とにかく先ずは身を潜めて夜を凌ぐ。
朝になれば日光で身体が消滅する鬼は動けないので日光浴でもしながら昼寝して、服の中に隠して持ち込んだ食料をちびちびやりながら夜はまた隠れての繰り返し。
持ってきてよかったぜ兵糧丸。戦は事前準備が全てなのだよ。ゲロ吐くぐらい不味いが食べられない事はない。
さて、隠れるのにちょうど良いところはどこかなっと。
足を止める事なく周囲に視線を配りながら。
走り続けていた俺の視界を塞ぐ木々のカーテンを抜け、視界が開け遮られていた月光が頬を撫で──、
「あ?」
飛び出した瞬間、凄まじい圧力でつぶされたような気がした。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
突如全身を苛む途轍もない圧迫感に足を縺れさせそのままヘッドスライディング。
うわあああ!? 死ぬぅ!?
地面に肌が削られる痛みに気付かない。死ぬぞ、と脳が全開で発する警告に両腕が勝手に身体を抱きしめてその場をのたうちまわる。
側にあった木に頭をゴチンと盛大にぶつけた。
いてえっ!?
視界の隅で星が弾ける鈍痛に手を頭にやり、そこで漸く先ほど身体を襲った圧迫感が幻痛であった事を悟った。
頭をさすりながら周囲を見渡す。
そこには風に揺れる木々の囁きしかない。当然ながら頭上に超重量の石とかあって潰されたなんて事もなかった。
なんだ今の。
だんだん落ち着いてきた。なんだ今の(二秒ぶり二回目)。
夢とか幻とかそんなチャチなものじゃない、確かな実体を持って確実に俺の細い身体は潰されたはずだ。
内臓や骨ごと潰す身体を壊される感覚が嫌にリアルだった。だから死んだと、そう思ったのだ。
疑念を抱きつつも立ち上がり足を動かす。
一箇所に留まり続けては鬼と鉢合わせるかもしれない。引っかかる事は諸々棚上げして、今はとにかく安全確保が第一だ。
しかし、そこで違和感。
進む道にどうにも見覚えがあるのだ。
初めてくる場所の筈なのにこれはおかしい。だが、この変に曲がった木も、この根っこの出っ張りも、あそこの倒木も全部記憶にある。
分かる、分かる、分かる。俺はこの場所を知っている。
ほら、だってここを抜けたら視界が開け──。
「また来たなァ、餓鬼どもが」
────────。
そこに居たのは異形の怪物だった。
月の光を浴びた緑の肌が不気味に浮かび上がり、大人の男を何十人も束ねてひとつに固めたかのような巨躯が空間を潰している。
そして何より、身体中を何十本もの俺の身体より太い腕が巻き付いていた。
「俺の可愛い狐ちゃんを探さないとなあ」
叩きつけられる存在感。
見ただけでわかる。こいつは強いっ!!
血走った目が俺を捉えた瞬間、即座に背を向けて逃亡を開始した。
なにあれなにあれなにあれなにあれなにあれッ!!?
聞いてないぞあんなの!? ここに居るのは人をひとりかふたり食っただけの弱い鬼だけなのでは!?
俺でも倒せるってなんだったんだよジジイ! あれが鬼の最弱とか無理ゲーにも程があんだろうがッ!!!
あまりにも濃密な死の気配に俺は冷静さを失っていた。
だからだろうか。
「久し振りの女の肉ゥ!!!」
木の上に潜んでいたのか、頭上から矢のように突っ込んできた鬼に喉笛を抉られる。
生を渇望する心と命が溢れていく喪失感の中、直前に見た鬼と比べてこの鬼随分細いな、なんて思った。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
右足で地面を削り急ブレーキをかけながら抜刀。
油断なく木の上を警戒するが、そこには風で身を震わせる木々だけがあった。
ぶわぁっと全身から吹き出す汗。
肩で荒い呼吸をしながら顔に手を当てた。
どうなってるんだ……?
白昼夢ではない。事実として俺は確かに死んだ。絶対に死んだ筈だ。
なのに、今、俺は生きている。
恐る恐る喉に触れる。抉られた筈のそこは確かにあり、ごくりと生唾を飲み込む感触を伝えた。
あまりにも奇妙な現象。
記憶は死を経験しているのに、身体は生命活動を維持している。
自身にきたした異変。だが、そこに思考を割く余裕を最終選別試験は与えてくれなかった。
「ひゃっはぁ!! 久し振りの人肉、それも女だァ!!!」
──っ!?
右斜め後方。十メートルは離れている場所から奇声を上げた鬼がぐっと脚に力を込めて跳躍、矢の如く加速する。
振りかぶられる右腕。それは少女である俺の身体など容易く引き裂く致死の腕だ。
力のない人の子、それも未だ幼い女の子である俺にはそれに抗う術はない。
──本来ならば。
【全集中・水の呼吸】
人外の力を振るう鬼に対抗すべく編み出された特殊な呼吸、全集中の呼吸法。
この呼吸を使っている間、人は鬼のように強くなれる。
腰だめから袈裟懸けに振り上げた刀が振り下ろされた鬼の腕を断つ。
刹那、身体をひねりすれ違うように着地した鬼を追う踏み込み、一歩。
【壱ノ型 水面斬り】
一閃。
首の後ろまで腕を引き絞り振るわれた横薙ぎが、振り返る事すらさせず鬼の頸を斬り落とす。
崩れ去るように夜に溶けていく鬼の身体。俺は腰が抜けたようにぺたんとお尻を地面につけた。
か、勝てた……。
ジジイとの稽古以外では初の実戦。只でさえ奇妙な現象の真っ只中で余裕がないうえに無我夢中だったけど、勝てた……。
勝利の余韻、というよりは安堵。
ガチで血反吐吐く前世なら訴訟レベルの鍛錬も、ジジイのセクハラに耐え続けた日々も無駄じゃなかった……っ!
感慨と感動とあとなんで俺がこんな目に的な怒りが涙になって溢れたのを拭って立ち上がる。
あの怪物が鬼の最弱ならどうしようかと思ったが、俺が斬った鬼はどう考えてもアレよりかなり弱いし、これなら何とかなりそうかもしれない。
……あれ?
そこまで考えて。
思考の引っ掛かり。奇妙な既視感とあまりにもリアルな死の残滓。
そうだ。俺は知っている。
知らないはずの。あったこともないはずの。
あの化け物が、この先にいる事を俺は知っている──!
それは確信だった。根拠もない……だが正真正銘の現実だった。
あえて根拠を上げるとすれば。俺の魂がこの先の死を感じ取って今すぐ逃げろと叫んでいる。
その警告が真実だと告げるように。
「やっぱりなあ。また来たなァ、餓鬼どもが」
まるで暖簾をのけるように木をへし折った腕まみれの化け物が目の前に現れた。
のそり、と持ち上がる腕。銃口を向けるように俺に狙い定められた右腕を包むように周りの腕が絡みつく。
瞬間、射出された右腕が伸び──ッ!!
とっさの前転。頭のスレスレを異形の腕が通過する。
俺の後ろにあった大人三人でやっと囲えそうな木が幹をぶち抜かれ、へし折れて倒木。
ズシン、と重い音が響き山がざわめき出す。
マジで……?
目が点になる、というのはきっと今の俺のような事を言うのだろう。
肩越しにそれを見ていた俺がギ、ギ、ギと錆びたブリキのように正面に向直れば、にんまりと不気味に笑った異形の鬼と目があった。
はい無理ぃ!!!
判断は刹那。行動は一瞬。
俺は逃亡を開始した。
枝で塞がれる空間に突っ込み、張り出た根を飛び越え、とにかく走る。
ズシンズシンズシンと地響きが地を踏みしめる足に伝わってくるのがマジで怖い。
追いかけっこの最中もひっきりなしに伸びてくる手が破壊を周囲に撒き散らす。
ひぃっ!?
木を砂糖菓子みたいに破壊できるパワーのある鬼とマトモに戦えるわけがない……!!
うおおおっ! 走れ! 走れ俺ッ!! 絶対に止まるなッ!!!
もう走れなくなってもいいから今だけは死ぬ気で走り続けろ……ッ!!!
でも、鬱蒼と木々が生い茂る山の中、言ってしまえば障害物を避けながら走る必要のある俺と障害物を粉砕して直線で移動できる異形の鬼。
呆気なく俺は脚を掴まれて握りつぶされ、そのまま喰われた。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
突如お腹の奥底から湧き上がった嘔吐感に逆らって口を抑える。
おろろろろろろろ。
全力に近い速度で走ってる最中に急に口塞いで止まったらダメ、絶対。
乙女的に墓場まで持っていく秘密に土をかけながら、もう疑いようもない現実に目を向けた。いや男だけどな。そこは疑いのある現実だけどな。
実感として識っている未来の出来事に、魂に刻まれている三度の死の記憶。
ここまでパーツが揃えばさすがに分かる。
これはあれだ、うん。死に戻りってやつだな。
俺が殺された……若しくは死んだ事を起点に俺が死ぬ前へと世界が巻き戻っている。
噂の転生特典とやろだろうか? ならもっと死ななくてもいいやつくれよ。
ともあれ、死に戻りなんて命を冒涜するような奇妙な現象だが、現時点で未来が分かっているという事は大きい。
簡単な事。この先にあの化け物がいるのなら、この先に行かなければいいのだから。
事実として死に戻っているとはいえ、次死んでもまた戻れる保証はどこにもない。
俺はあんな危険な化け物に近寄りたくもないし、潰されたのも喉抉られたのも喰われたのもめちゃくちゃ痛くておしっこ漏らしそうになったから二度と経験したくない。というか生きている人間として当たり前に死にたくない。
そうと決まれば別の方向へ行って隠れる場所を探そう。
そうしてくるりと身体ごと反転させた瞬間。
「久し振りの女の肉ゥ!!」
あっ、忘れてた。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
おろろろろろろろろろろ。
俺は乙女の尊厳をぶち撒けていた。
あんの鬼ぃ……! 絶対ブチ殺してやる……!!
ひと通り乙女の尊厳を流出した俺の中に残ったのは純然たる殺意だ。
俺の喉笛を抉り取ろうとした鬼だが、中途半端に反応してしまったせいで顔面に命中。顔半分を引き裂かれた状態で俺は昏倒に近い状態になった。
それをあのクソ鬼、『女の子宮が美味い』とか言い出して……おえっ。
服ごと腹を裂かれた時点で俺は死んだが、あの後俺の身体がどうなったかは想像に難くないだろう。
……そういえばこの死に戻りって時間巻き戻る系なのか? それとも別世界線系?
……どっちにしても気分が悪くなりそうだったので前回の事は無かったことにした。
さて、そろそろだ。
袖で口元を拭った俺は刀の柄に手を添え、深く呼吸を。
数秒後、想像通り奴は上から来た。
うおらぁ!! 死ねやオラァ!! 水面斬りぃゃぁああああ!!!
タイミング、狙う場所、攻撃を仕掛けてくる方向。
全て分かっているならカウンターは容易い。
右斜め上後方から飛び込んできた鬼の頸を、身体に捻りを加えて軌道を変えた怒りの水面斬りで斬り落とした。
崩壊していく鬼を見ることもせずに一目散に走り出す。
この場に止まればあの化け物とのエンカウントは必至。速やかな離脱こそが生存への最大手だ。
しかし、走り始めて十秒も経たないうちにまた別の鬼の襲撃が俺を襲う。
「女の肉ゥ!」
お前らそれしか言えねえのか!!
横合いからの突進を回避しつつ抜刀。刀を正眼に構え呼吸を切り替える。
【全集中・水の呼吸】
独特の呼吸音。俺めがけて驀進する鬼の体当たりを避け──いやちょはやっ──っ!!
鬼の蹴りがお腹に叩き込まれる。咄嗟に割り込ませた刀から硬質な音が響いた。
痛みに明滅する視界。眼球を気合いでこじ開けて鬼を捉える。
三度突っ込んできた鬼。生を叫ぶ本能が無我夢中で身体に叩き込んだ型を繰り出す。
舐めるなよ、速さなら俺にもあるぞッ!!
【漆ノ型 雫波紋突き】
砲声とともに射出した突きが鬼の頸を穿つ。
首の皮一枚で繋がっていたそれは程なくして自重に耐えかねたようにぶちっと千切れ地面を転がった。
軽く刀を振って納刀。キン、と澄んだ音が肌を撫でる。
お腹めっちゃ痛い。てか鬼普通に強い。
呼吸を整えて全力で挑まないと簡単に返り討ちになるなこれは。
「ひぃぃぃぃいいいっ!!」
なんだ!?
再び走りだそうとした機先を制するように木々の隙間を悲鳴が通り抜ける。
遅れて、何か重くて硬いものを粉砕したような重音が響いた。そして、聞き覚えのあるズシンズシン。
うーん、嫌な予感。
「たっ、助けてくれええええっ!!」
暗闇の奥から現れたのは必死の形相を浮かべ走る少年──と、その背後からやはりと言うべきか、腕の化け物。
お前強制エンカウントかよぉ!? ふざけんな!!
助けてくれと言われても無理なので普通に見捨てて逃げた。
俺、少年、化け物の順で鬼ごっこ(ガチ)である。
人が増えても根本的な速度差はどうしようもない。前回の焼き直しのように捕まり二人とも喰われた。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
両足で地面を削りながら急制動をかけた俺はすかさず反転して走り出した。
鬼と戦うとその間にあの化け物に追いつかれる。なので今はとにかく早くこの場から離れることが何よりも優先される。
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁああああああっ!!! こっちこないでぇぇええ!? ねえこっち来ないでぇぇえええっ!!!?」
脇目も振らず全力でダッシュしていると汚い高音が鼓膜に飛び込んできた。
あまりの煩さに思わずそちらに目を向ければ、暗闇を突き破るように飛び出す眩い金色。
「あぁぁぁぁぁああああっ!!? 待ってぇぇぇえええっ!! 助けて、ねえ俺を助けてよ頼むよおおおおおお!!!」
うわっこっちくんな馬鹿野郎!!
叫びながら逃げていた金髪の少年は、俺を見つけた瞬間顔から出る液体全部を垂れ流しながら迫ってくる。
幸いと言うべきか金髪を追っている鬼はあの化け物ではないが、今は時間を取られている場合じゃないのに!!
金髪を無視して振り切……れないだと!?
金髪はめちゃくちゃ速かった。バカな……!? ジジイの鍛錬のせいで体力だけはあるんだぞ俺……!?
だが、それもあくまで人の範疇。鬼と人では身体能力の限界値が違う。呼吸法を使用していない時ではどうあがいても人は鬼に勝てない。
「追いつかれる!? ねえ追いつかれるよおおおお!!?」
うるせえ!!!
いつの間にか俺と並走していた金髪に叫び返しながら足で地面を削ぎ反転、抜刀。
呼吸を研ぎ澄ませる。
【全集中・水の呼吸】
身体に張り巡らされる力。どちらが俺を喰うか競うように襲ってきた鬼に向けてヤケクソ気味に技を放つ。
【肆ノ型 打ち潮】
流水のように淀みのない動きで斬撃を繋げる型。滑らかな二連撃が鬼の頸を斬り落とす。
しかし、無傷とはいかなかった。攻撃の間際、反応した鬼に一撃貰ってしまった。右腕から赤い血が流れ落ちる。
うっわぁ、超痛え。
目線を落とせば、二の腕から肘にかけて浅く裂かれていた。
これ大丈夫なの? 消毒とかできないけど大丈夫なの? 鬼の手とかめちゃくちゃ不潔そうなんだけど俺の腕壊死したりとかしないの!?
「ありがとおぉぉぉぉおおおおっ!!! 本当にありがとうだよおおおおっ!!! ……あれ、男にしては柔らかい……女の子!?」
うわっ、抱き着くな! 涙と鼻水と涎で服が汚れちゃうだろうが!
いきなり腰のあたりに縋り付いてきた金髪を反射的に蹴り飛ばす。
しかも気付いたの今更かよ、見たら分かるだろう。どっからどう見ても見た目は女の子だろうが、あん?
「声は高いから珍しいと思ったけど言葉遣いは乱暴で髪も短いから……」
長い髪の手入れは非常に労力がかかる。前世レベルのジャンプーやリンス等が普及していない世の中で美しく長い黒髪を維持する労力は途方も無い。ジジイの鍛錬をこなしつつそれをする余裕はなかったので俺の髪型はベリーショートよりは長いレベルのものだ。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。
とにかく早く逃げなければ──。
「ひぃぃぃいいいいっ!!!」
「えっ!? なに!? なになになに!? いやぁぁぁぁああ!!? なんか聞こえる!? すごく重たい音が! すごく重たい音がぁ!!」
夜の山を突き抜ける悲鳴。取り乱し始めた金髪。
ほらみろぉ!! ぐずぐずしてたらあの化け物とエンカウントするんだよお!!
でも今回はまだ悲鳴が遠い。このまま距離を取れば生き延びられる……!
怯える金髪を置いて走り出そうとした、その時。
「──っ、危ない!!」
俺の背中に飛びついた金髪に押し倒される。
直後、俺の頭があった空間を破壊の化身が通過した。
爆竹を何百発も一斉に叩きつけたような轟音。
悲鳴のような炸裂音が何重にも重なり大木がメリメリと音を立てて崩れ去る。
森が削られた。
根元からへし折られた周囲の木々。その中心にいる異形の化け物を見て確信。
回ったのだ。あの何十本もある、超パワーの腕を伸ばして。ぐるりと旋回して森をなぎ払ったのだ。
嘘だろ……?
冗談にも程がある。あまりにも現実感のない光景に茫然自失になりそうだったが、化け物が俺を見つめた気がして早く逃げなきゃと身体に力を──ん?
「………………」
身体が動かない。
金髪は俺に覆いかぶさり抱きすくめるようにしたまま気を失っていた。最悪なことに腕が肩に回ったまま力が込められていて動けない。
……っざっけんなよ金髪ぅ!?
叫んだのと同時。化け物の腕が伸びる。俺はそれを間一髪足の力を振り絞った跳躍で躱した。
胸から着地した衝撃で潰れたヒキガエルのような声が漏れる。
その衝撃で金髪の拘束が解けた……けど、逃げても同じ結果になるのは火を見るよりも明らか。
ならば。
【全集中・水の呼吸】
覚悟の呼吸。
身体を戦闘モードへと切り替えながら、一緒に死んだ事もある悲鳴を上げた少年を怒鳴りつける勢いで。
腰抜かしてないで立て!! 今ここで戦わなきゃ俺もお前も絶対に死ぬッ!!!
「ひ、ひぃ……無理だ、こんなの無理だよ……!!」
だが、その少年は俺を置いて颯爽と逃げていった。おいまじかよお前。
「女を喰うのは何年振りだあ? ひひ、俺の可愛い狐ちゃんの前に腹ごなしだあ。それにこの血の匂い……少し薄いがぁ、希血か?」
お前もかよほんっといい加減にしろよ鬼にはロリコンしかいねえのか!?
キレ散らかしても化け物が竦むなんて事はない。
化け物は俺に向かって勢いよく跳躍、未だ気を失っている金髪を蹴り飛ばし全力で離脱。
すぐさま俺に向かって伸びる三本の腕を高速で刀を振り下ろす三連撃で迎え撃つ。
【捌ノ型 滝壷】
化け物の腕を両断。だが、まるで映像を巻き戻すかのように直ぐに腕は再生した。
やはり腕を斬っても意味はない。いくら鬼を殺せる日輪刀といえど、頸を斬らなければ鬼は殺せない。
そう思って化け物の頸を見るが……。
……あの、頸どこですかね。
化け物の巨躯に見合った太い頸があるはずだが、胸から顎にかけて、なんなら顔までいっぱいある腕が巻き付いていてどこら辺が頸なのか、だいたいのあたりしか検討を付けられない。
ふざけんなよ……!? こちとらタッチ即デッドの腕の弾幕を踏み越えて頸を斬りに行かなきゃなんないのに、その頸の場所が曖昧って嫌がらせにも程があんだろうが……!!
縦横無尽に俺を追う腕から逃げるように走る、走る、走る。
水の呼吸を維持した状態での全力疾走。かつ、五秒と間隔をおかず腕の迎撃に型を使わせられる。身体にかかる負荷が半端じゃない。肺が破裂しそうだ。
だが、呼吸を用いない疾駆では一瞬で捕まって喰われる。地獄が始まった。
腕自体は斬れないわけじゃない。
だが、生存本能に任せて型を連発して身体中の骨と筋肉と内臓がもう無理だと悲鳴を上げている。
そんな事は俺が一番分かってる。でも今はその無理を通さなきゃ死ぬんだよ……!!
その執念が結実したのか。
地面に突き刺さった鬼の腕を駆け上がる。
少女ひとりが走るには十分すぎる太さ。なにより、周りの腕は今しがた斬り落としたばかり。つまり、今、俺の迎撃に回せる腕は少ない!!
気合いを喉から迸らせながら一息で距離を殺した俺が化け物へ肉薄。
恐らく頸だろうと思われる場所を渾身の水面斬りで斬る──ッ!?
「残念だったなあ」
サクッ、と余りにも軽い音がした。
俺の刀は振り切ることが出来ず、化け物の太い頸の途中で肉に阻まれ止まっていた。
嘲笑が混じった目で、化け物が嗤う。
化け物のデカい手で胸から腰を掴まれる。ぐしゃっと嘘みたいな音がして内臓や骨が破裂した。
急速に色を失う世界。その最期の瞬間。
大地を疾った稲妻が化け物の頸を吹き飛ばしたのを見た。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
頸斬れないのかよ……。
鮮やかに反転を決めて俺は絶望に打ちひしがれていた。
めちゃくちゃキツかったけど、距離を詰めるまではなんとかなった。何とかなったけど、頸を斬れないのでは意味がない。
やはりあの化け物とは戦ってはいけない。戦ったら俺は間違いなく死ぬ。出会ってもいけない。俺は逃げきれずに死ぬ。
なので全リソースを走る事に費やしていたというのに、出るわ出るわ鬼がわらわらと。
戦っているとどういうわけかあの化け物がくる。かといって戦わなければ化け物以外の鬼に普通に殺される。
化け物に追いつかれた俺はあっさりと死んだ。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
くそ、何処に逃げても鬼と遭遇する。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
鬼を無視して走り続けても鬼を振り切れない。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
いっそ化け物の方へ全力で走っていってみるか? もう逃げてないのそっち方向だけだし。
普通に化け物に殺された。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
戦うしかないのか……。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
生々流転なら斬れそうだが、俺の力だとあの頸を斬るのに必要な回転が多過ぎる。水の呼吸の歩法が使えないと腕を避けきれなくて詰む。これは無理だ。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
あの腕の力はどうにかならないのか。地面を殴られたら振動で動けなくなる。
シンプルに強い。能力の隙とかそういう問題じゃなく。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
あの少年毎回逃げてるけど一回ぐらい協力してくれてもいいんじゃないか? この場にいるってことはお前も鍛錬を乗り越えて来たんだろう?
首根っこ抑えて無理やり参戦させたら初手で死んだ。だめだこりゃ。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
こんなんどうしろってんだ。ほんとまじふざけんなよ。朝まで耐久戦やれってか。
でも実際それしか勝機がない。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
うん、無理。朝まで耐久とか無理。そんなに呼吸を連続で維持できない。肺が破裂する。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
焼いても落下させても沈めても殺せない。どうすればいい。どうすれば俺はこのループを抜けられる。どうすれば。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
どうして。俺ただ生きたいだけなのに。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
俺は何も悪いことはやってない。俺の親父はゴミクソだったけど、それは俺が悪いわけじゃないのに。今この場にいるのだって、せめてジジイに恩は返そうってだけなのに。なんで。なんで俺がこんな目に。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
……そうだ。ジジイには恩がある。生きて帰らないと、いけないよな。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
そういえば持久戦を試したときに、俺が死ぬ直前に狐の面をした少年が現れた。彼に協力してもらえれば……いや、ダメだな。彼が戦える保証はないし、何よりそれまで俺が保たない。ほら、今もこうやって足を潰されて──。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
……ぁ。もう、繰り返した時間の中で埋もれて霞のように曖昧だけど。
俺は、あの化け物を断ち切る稲妻を見たような気がする。
湿った土を踏みしめ山を駆ける。
「ありがどう……! 助げでぐれてありがどおおおおおっ!!」
分かったから。分かったから俺に縋り付くのをやめろ。
もう何十回と繰り返した時間。俺の身に降りかかった正体不明の死に戻り現象。
その中でたった一度だけ見た記憶の稲妻を頼りに、俺は何度目かになる金髪を助けた。
「女の子なのに強いんだね……凄いよお、俺を護ってよおおお」
本当に情けないなこいつ……。
涙に濡れた声で懇願する金髪を横目に刀を軽く振って納刀。
もう手馴れたものだ。今や金髪を追う鬼も一瞬で斬り倒す事ができる。
明らかに少年と同じで役に立たなそうな金髪を助ける意味など、あと味という俺の精神的安寧以外には絶無なのだが、あの稲妻の正体が分からない以上は出来るだけあの時と同じ条件を揃えたい。
死に戻りとはある種の確定的な未来予知に等しい。死んだ世界であったことは絶対にあり得るのだから。
……そろそろ、だな。
「えっ? 何が……ってなにこれ、なにこの音、えっちょ……っ!?」
金髪の頭を抑えながら飛び込む。直後頭上を通過する大質量。
顔を上げた先では当然、こちらを見る腕の化け物。
「……ぃぃいいいぃやぁぁぁああああっ!!? なにあいつぅ!? なにあいつぅ!? 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!! なにあの腕あの腕で俺の頭を掴んで潰されて死ぬんだ俺はここで死ぬんだ結婚も出来ずにひとりでここで死ぬんだああああああっ……ぽけっ」
本当に役に立たないなこいつ……。
汚い高音で譫言を並べて気絶した金髪を蹴り飛ばして化け物の跳躍のし掛かりコンボから逃しつつ。
化け物を見据えて刀を構え、致死率百パーセントの戦闘が始まった。
今回の俺の目的はとにかく耐えること……ではない。あの稲妻が時間経過によるものだと踏んだ時は、いつまでたっても稲妻は現れなかった。条件が分からない以上、とにかく俺は死ぬ気で攻めなければならない。
震える身体を根性で叩き伏せ刀を握る手に熱を送り込む。
その細い腕で何ができると俺を嘲笑う化け物。その通りだ。俺はお前を斬れない。
でもな。それは生きるのを諦める理由にはならねえんだよッ!!!
【全集中・水の呼吸】
裂帛の気合いを迸らせ、踏み込みが爆ぜる。
地面よ割れと疾駆する俺を握りつぶさんと絶死の腕が邁進。
小さな踏み込み。身体が宙へ浮く。
【弐の型 水車】
前宙とともに繰り出す回転斬りが腕を両断。勢いを殺さずに着地、回転。
繋げる。唯一あいつを斬れる切り札へと。
【拾の型 生々流転】
刀身から迸る水が龍へと変じ。迫る腕を食らいつかさんと顎門を開く。
稲妻頼り? 確かにそうだ。俺はあの稲妻をあてにしている。
でも、俺は別にお前の打倒を諦めたわけじゃない。
絶対に斬る。そして、生きて帰るんだっ!! 絶対にッ!!!
腹の奥底から燃え上がった火が魂を滾らせ。
炎を噴く両眼が睨みつけるのは嗤う化け物の頸。
あれを斬るために必要な回転は──六。
さあ、勝負だ。俺がお前に辿り着くのが先か。お前が俺を殺すのが先かッ!
喉奥から魂の砲声を。刹那、水龍と腕が激突した。
アッパースイングされた刀が上から叩きつけるように振り降ろされた腕を断つ。一回転。
足払いのように低く地を這う腕を飛び上がって躱す。続けざまに迫る腕を地面と平行になった身体から垂直の平面斬りで叩き斬る。二回転。
挟み込むように横合いから唸りを上げる二本の腕。
地面スレスレになるまでに姿勢を低く。瞬間、跳ね起きた勢いのまま断ち切る。三回転。
業を煮やしたのか何本もの腕が束になりより巨大に、より強固になっていく。渾身の振り下ろしに揺れる山。飛び上がってその影響から逃れた俺を狙いすましたように四本の腕が殺到。
全てを迎撃するのは不可能。頭と足を狙う腕を断つ。腹を抉られた。血が噴く。四回転。
「ちっ、鬱陶しい餓鬼だなぁ!!」
血を吐く。足は止めない。止められない。
目をそらすな。痛みに思考を取られるな。
そうすれば、その瞬間に俺は死ぬ。
だから──走れッ! 立ち止まるなッ!! 俺は明日を生きたいッ!!!
広がる腕。俺を囲うように展開されたその数、十。
一本一本が俺の身体など砂糖菓子のように砕ける絶死の手。
回避は不可能。生々流転を使っている間は水の呼吸の歩法は出来ない。迎撃するしかないッ!
雄叫びをあげて突貫した俺の刀が唸る。
最も密度の薄い正面。道を切り開く銀線が閃く。五回転。挟撃する腕の壁を抜ける──ッ!
遅れて人外の握力により削られた身体から血が噴き出す。脚をやられた。胴の骨も折れたかもしれない。だが、化け物はもう目の前だ。
負傷した脚で踏み込む。激痛に視界が燃えた。関係ない。関係ないッ!!
「な、餓鬼ぃぃいいッ!!」
頸を守るようにとぐろを巻く腕。
悪あがきとばかりに肉薄する平手を断ち切り、化け物の肩で全てのエネルギーを凝縮させる最後の踏み込み。──これで、六回転ッ!!
化け物が目を見開く。その醜悪な顔の下。鬼の弱点。唯一鬼を殺せる場所。
一度は阻まれた。だが。
今の俺はその頸を斬れるぞ、化け物ォ!
極限まで練り上げられた技。今の俺にできる最大の一撃。咆哮を轟かせた水龍が化け物の頸へ喰らいつく。
確かな手ごたえがあった。肉を断つ鋼の感触。
斬った。その確信とともに刀を振り切──。
「今のは焦ったぜ、餓鬼ぃ!」
──ることは出来なかった。
俺の一撃は確かに化け物の頸を斬った。
瞠目する俺の視界。そこには、頸を断つ刀を押しとどめるように二本の腕が刀を押し返していて──ッ!
瞬間、世界が真っ白に染まった。
殴られた、と気がついたのはごろごろと転がって木に背中を打ち付けた後だった。
喉から塊のような血がせり上がり。もはや吐く余力さえ失われた身体は力なく咳き込み、唇からとぷりと溢れた血で下顎が真っ赤に染まる。
尋常じゃないダメージだった。もう、熱いのか、痛いのかさえ分からない。ただ、身体を焼かれているような熱だけがあった。
勘弁してくれよ……生々流転でも斬れないのかよ……。
回転を増やせばそりゃあいけるだろうが。
六回転というのは、今の俺のギリギリだ。何度か試したが、六回転まで行けたのは今回が初めてだった。それまでは良くて四回転までしか出来なかった。
憤怒に彩られた瞳で俺を睨む化け物。
その腕が盛り上がる。もう何度も見た、腕が射出されたように伸びる前触れ。
……今回も、ダメだった。
一秒後に俺は化け物に潰されて、もしくは喰われて死ぬ。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
潰されるのは痛い。あの化け物は潰した後に、擦り合わせるように手を動かすんだ。身体の中を全部混ぜ合わせるようなそれは、たとえ一瞬でも耐えられないぐらいに、痛い。
喰われるのは痛い。あの化け物は下半身から食うから、歪な歯が俺を押し潰すように断つ瞬間が分かるんだ。鋭利でも何でもない歯で身体を断たれるのは狂いそうになるぐらい、痛い。
何より、俺は、死にたくない。
訳がわからないままもう何度も死を経験したけど。また死に戻りが出来るなんてどうして言える?
もっと生きたい。死にたくない。死にたくないんだよ……。
仮に、心がガラスだったのなら。
俺の心は既に触れば粉々に砕けそうなほどひび割れていた。
積み重ねた死の記憶に。その度に刻まれる激痛に。何より、次は死ぬかもしれないという恐怖の中絶望に抗う事に耐えられるほど俺の心は強くはなかったのだ。
もう身体は動かない。俺を殺すべく伸びる腕を斬ることは出来ない。幼い子どもが雷の日に布団を被るように、俺は何の意味もないと知りながら瞼を閉じた。死の瞬間を見ない。そうする事でしか、もう俺は俺自身を保てなかったのだ。
身体中の水分は余さず血になっていたと思ったのに。
ひとしずくの涙が右目に溢れて、決壊する。直ぐに血と混じったそれは赤黒く染まって頬を伝った。
その瞬間。
「な、あァ!?」
──チン、と。澄んだ音が夜の山に染み渡った。
化け物の驚愕の声。いつまでも来ない死の痛みに恐る恐る目を開ける。
「………………」
目の前には、眩い金色があった。
金……髪……?
すっと。俺の戸惑いが言葉になる前に金髪の手が動き機先を制す。
もう大丈夫だと。そこで休んでいてくれと言うように。
右手を刀の柄え。前屈みになって脚を開き腰を深く落とす極端な前傾姿勢。
直後、雷のような音が溢れ出す。
「【雷の呼吸・壱の型 霹靂一閃】」
その、刹那。
「──ァ?」
俺は大地を翔ける雷を見た。
一瞬だった。瞬きすらしなかったはずなのに、気がつけば化け物の頸が宙を舞っていて。
俺の目の前にいた金髪が化け物の後方で同じ姿勢を維持していて。
遅れて、雷が落ちたと見紛うほどの轟音が轟く。
そこでようやく、金髪が化け物を斬った事を理解した。
何だよ……お前めちゃくちゃ強いじゃんか……。
相手の反応すら許さない神速の居合斬り……だと思う。速すぎて分からなかった。分からなかったけど。
そんなに強いなら最初からやってくれよ、俺が死にかけた意味ないじゃん……。
死に戻りの難敵を倒し、弾けるぐらいに喜んでいいはずなのに。
何故か途轍もない徒労感を感じながら俺は意識を落とした。
暗い、暗い水の中にいるような息苦しさ。
太陽の光が恋しくて、めいいっぱい深呼吸がしたくて、上を目指して必死にもがく。
そして、水面に顔を出せば──。
「あ、起きた?」
視界いっぱいに金髪の顔が広がっていた。
いや近いよ。ちょっと離れぃっだあ!?
「あんま動かない方がいいぞ。君、ひっどい怪我してたから」
金髪を退けようと動かそうとした腕から激痛が走る。あまりの痛みに患部を抑えようとした腕にも痛みが走るダブルコンボ。
あまりの痛さに泣いてると金髪がほっと安堵したように息を吐いた。
痛みを堪えながら首だけ動かして自分の身体を見る。
俺の身体は黄色い布でぐるぐる巻きにされていた。改めて金髪を見れば、うっすい和服一枚の出で立ち。
……これは?
「流石に今にも死にそうな女の子を治療せずに放置するわけにもいかないだろ。適当なのはごめんだけどさ。悪いけど君の荷物にあった薬は全部使ったからね」
意識を失う直前に死んだような気がしたが、どうやら金髪が治療をしてくれたお陰で生き延びていたらしい。
いやいや、死にかけの女の子って言ってもここ鬼がいっぱいいる最終選別試験だろ? 普通放置しない?
「するわけないだろ!? だって君はめちゃくちゃ強いじゃないか!!」
は?
「俺を助けてくれたし! なんか気がついたら馬鹿でかい鬼が斬られてるし! でも君は今にも死にそうな感じで血まみれで……!! 死ぬなよ! 死んだら俺を守れないじゃんか!!! そんなの絶対だめだ!!!」
いや……え、いや……は?
唾を散らしてまくし立てる金髪の言っていることがまるで分からない。
俺が死にかけるまで奮戦して倒せなかった化け物をあっさり一撃で倒したのは金髪だろう?
思い出したら腹立ってきた。お前あんな強いなら最初から戦えやこのやろう。
「はあ!? 何言ってんの!? 俺が強いわけないじゃないか!! 俺は弱いの! 弱弱なの!! この試験だって死ぬつもりで来たんだ!! でも君は俺を守ってくれた!! 一回守ったんだから最後まで責任持って俺を守らなきゃだろおおおおっ!?」
何を言ってるんだこいつは。
何を言ってるんだこいつは(一秒ぶり二回目)。
え……待って……本気で何を言っているのか分からない……。
化け物を倒したのはお前で……というか今ってあれからどれぐらい経ってるんだ?
あの夜でさえやたらと鬼とのエンカウント率が高かったのだ。俺が気を失ってからも鬼は来たはずだし、場所を移動していないのを見るに数日経っているのならその間の鬼を倒して俺を守って来たはずだ。
状況的に考えてそれは金髪しかいないはずだが……?
「何言ってんだよ。あれから三日経つけど、俺が気を失ってる間に鬼を倒してるのは君だろ? いやほんと凄いよね! その怪我で鬼を倒すなんて!」
…………………………鬼を倒すどころか身体中痛くて動かないし、なんなら目が覚めたのついさっきなんですが?
しかし、いくら言っても金髪は俺は弱いの一点張りで聞く耳を持たなかった。意味が分からない。
というか、その理屈なら金髪は重症の女の子にずっと守られてた事になるが男の子的にそれはOKなのか?
「俺さ、人には向き不向きがあると思うんだよ。俺は才能がない。でも君は才能がある。才能ある君が戦った方がいいだろ?」
うわあ……。金髪お前……うわあ……。
「そんな顔しないでよ!! 仕方ないじゃないか!! 俺だって躊躇ったよ!? 躊躇ったけどしょうがないじゃん!! 俺は弱いんだもの!!! それにいつも気がついたら鬼が斬られてるし!! なに!? 謝ればいいの!? 土下座まで視野に入れたらいいの!?」
清々しいまでのクズっぷりに心の底からドン引きしてしまった。
ひと息で言い切った金髪は肩でゼエゼエと呼吸をした後、こほんと仕切り直すようにひとつ咳払い。
「あと、気になってたんだけど俺は金髪じゃなくて……いや金髪だけど。名前は我妻善逸。君は?」
金髪は善逸って名前なのか。ちぃ覚えた。
いきなり自己紹介をされたもののこんなクズに名前を教えるほど安くは……ないのだが。
俺は死にたくない。本当の本当に、死ぬのは嫌だ。
だから、まあ? 死なないためには善逸に守ってもらわなきゃいけなさそうだし?
なにやら本人は認めないばかりか頓珍漢な事ばかり言っているが、善逸の強さは俺がこの目で確かに見た。
だから、まあ、この試験の間お世話になるのだから、名前ぐらいは教えてあげてもいいかなって思った。
……時音。ただの時音だ。
「へえ、時音ちゃんか。いい名前だなあ」
……そうだな。俺の親父はゴミ人間だっけど、この名前をくれたことは感謝してもいい。特に時子とかじゃなかったことがポイントが高い。前世の俺のひいばあちゃんと同じ名前になっちまうところだったからな……!
「ところで、なんで女の子なのに男みたいな話し方してるんだ?」
うるせえ。人のデリケートなところに踏み込むな。
そうして。
俺の身に降りかかった奇妙なループ現象は終わり、俺は残りの最終選別試験を途中で狐の面を付けた少年に助けられつつも善逸と無事に乗り切った。
身体中痛くて痛くてまともに歩く事も出来なかったが、善逸のお陰で無事に生きて帰ることが出来たのだ。
もう、あんな事は経験したくもない。死ぬのは痛くて怖くて苦しい事なんだから。
でも、もうあんな奇妙な事は起こらないだろう。俺は晴れ渡る空と同じような健やかな気持ちでジジイの元へ合格の報告に戻った。
この時、俺は知らなかったのだ。
死に戻りという特異な事象は、より深い絶望を持って未来で俺を待ち受けていることを。
続きがある風に書いているが蜘蛛のところしか考えていないので続くかは未定。