数年前。
クーデリア・藍那・バーンスタインがテロ幇助の嫌疑で逮捕されたニュースが地球圏にも大きな熱気を伝えていた頃。
アーブラウでは意外なほど簡単に2人分のID改竄処置が終了していた。IDの改竄は重大犯罪だが、今のアーブラウはマカナイ一派が議会を牛耳る多数派政権、多少ならぬ無理とても易々と通せたのだ。
人はそれを不正と呼ぶのだが。
「これでお前さん方は自由の身だ。今後の人生設計があるなら相談に乗るが、しばらくは心身を休めるといい」
蒔苗東護ノ介の言葉通り彼らの経歴は一新され、鉄華団に属していた過去どころか火星に住んでいた事実すら抹消。
チャド・チャダーン。
ライド・マッス。
2人はアーブラウに住まう一般市民と新生され、その身柄はオセアニア連邦にあるマカナイの別荘に移された。これは人情で彼らを助けた老人の気遣い、多くの仲間を失った傷心を思っての差配であった。
──もっとも。
老人の配慮は半ば無為に終わる。
「……ライド、それは本気か?」
「チャドさん、あんたこそ本気で言ってんのかよ」
オセアニア連邦に身を落ち着ける暇なく、2人の鉄華団団員は意見を戦わせる羽目に陥ったのだ。
原因はライド、或いは彼の負った心の傷。
彼はマカナイの心遣いを無視し、衝動の赴くままに提案を行った。
「チャドさん、火星に向かいましょう」
「……なんだって?」
「火星で団長の仇を取るんです、ノブリスの野郎をぶっ殺すんですよ」
これ以上ない言い切りの台詞にチャドは絶句する。
鉄華団団長オルガ・イツカ。
テロ組織に成り下がった彼らが賭けた脱出計画の前段、アドモス商会でアーブラウとの渡りをつけた後に不遇の死を遂げた先導者。
前に進み続けろと言い遺して逝った、鉄華団の偉大なるリーダー。
「ライド、お前」
「団長を殺したのがノブリスなら、俺たちがこの手でケジメをつけないと」
火星から地球に逃れる旅の中。
ライドとチャドは色々なことを話し合った。もはや互いが痛みを分け合える唯一の相手、そして団長オルガの死に目を看取った唯一の家族として嘆き、悲しみ、仇を恨み。
暗い宇宙に囲まれ多くを喪った道中で最も大きな痛み、オルガの死について話題に出すのも必然であった。
『ちくしょう、どうして団長があんな場所で死ななきゃならなかったんだ』
『俺たちがだらしないばっかりに』
チャドは包帯の巻かれた肩をさすり、ライドは力なく項垂れ涙する。護衛を任された2人は役目を果たせずおめおめと生き残り、基地に残った団員たちも死に絶えたのだ。己の不甲斐なさをこれ以上なく感じるのも無理のないことである。
『誰だ、誰が団長を、絶対許さない、絶対に』
『そうだな、奴らギャラルホルンじゃなかったようだが』
忘れることが出来るはずもない光景、2人の目には襲撃者の姿が焼き付いていた。黒塗りのリムジンに暗色のスーツを着た男たち。
これがモビルワーカーやギャラルホルンの制服を着ていたのなら仇は分かり易かった、しかし事実はそうではない。そもそも警察権を有するギャラルホルンが姿を偽って指名手配された鉄華団団員を襲う理由はない。堂々と公権力を行使すればいいだけの話なのだ。
むしろ公的機関よりも裏社会の住人めいた姿かたち、連中は何者か?
『──そいつはノブリスの手下かもしれないね』
寂しい旅路で積もりゆく行き場のない憤りはひとつの形を得る。与えたのは鉄華団の知己、元は義理の兄弟姉妹の関係だった女。
アジー・グルミン。
白いスーツを着込んだ男装の麗人はタービンズに所属していたパイロットで亡き名瀬・タービンの義娘にして情婦のひとり。タービンズと交流あった彼らにも馴染み深い女性であり戦友、名瀬が不慮の死を遂げた後はテイワズの下で再編されたメンバーを纏め上げ、輸送部門を率いている。
そして基地を脱出した鉄華団団員を地球まで運ぶ手伝いを申し出てくれた恩人でもある。重要な荷物がたったふたつに減ってしまったことを彼女も心から悲しんだ。
『ノブリス? 誰だそれ』
『ああ、火星の武器商人さ。表では慈善家ぶってるが相当の悪党でね』
『そんな奴がどうして』
『ノブリスはクーデリアのスポンサーでもあったのさ。彼女の名声を利用してた奴には指名手配された鉄華団が商売道具に付き合うのが目障りだったのかもしれない』
アジーの示したテレビ画面では連日のようにクーデリア逮捕のニュースが飛び交っていた。テロ幇助の根拠、鉄華団との繋がり有る証拠とされる画像映像の数々はオルガが暗殺された日のそれと思しきものが多数含まれており、
『クーデリアも鉄華団の手垢がついたって捨てられたんだろうさ。ノブリスはマスコミにも顔が利く、これくらいの世論操作は容易い』
『……ノブリス……』
証明しようもない予想であり事実は部下の独断であったものの、同じ裏社会で生きる彼女の見識はある程度的を射ており、仇の名前はライドの脳裏に深く刻まれた。その恨みは時間が経っても色褪せることはなく、むしろ数週間の地球航路を辿ることで何より優先すべき指針と化していた。
だからだ、こうして追われる立場から自由の身となった今、ライド・マッスは唯一の仲間に切り出した。心から賛同を得られると疑いようもなく。
「俺たちを舐めた敵にはケジメをつけさせる、団長のずっと言ってたことだ。そうだろチャドさん?」
「……ライド」
真っすぐに、無邪気とも言える澱みの無さで少年兵は疑問を差し挟む余地もなく復讐の決行を提案していた。
鉄華団の正義を信じて。
それ以外の選択などあるはずもないと揺るがず、迷い無く。
「俺達の正体がバレないってんなら火星に戻って団長のケジメを──」
「ライド、やめよう」
「え?」
「団長の敵討ち、火星に戻っての暗殺なんてやめようと言ったんだ」
「な、なに言ってるんですチャドさん!?」
年上の団員が漏らした言葉にライドは絶句の後、激しく反論した。激昂、むしろ必死とさえ言ってもいい程に。
「あんな形で団長を殺されて、悔しくないんですか!? 腹が立たないんですか!!」
興奮するライドに反し、チャドは静かに言葉を返す。
団長を守れなかった後悔の念は同じ重みを2人に背負わせる。それでも守るべき団長が盾となり命を拾ったライドに対し、まだチャドには一歩引いた視点で物を見る猶予があったのかもしれない。
敬うべき男が遺した言葉を考える視点が。
「オルガは、団長は『戦え』とは言わなかった。『進み続けろ』と言ったんだ」
それに、とチャドは己の結論を付け足した。
「団長が最後まで戦うつもりだったなら、そもそも脱出計画を立てたりしなかった。基地でギャラルホルンに一泡吹かせてやるって旗を振ったはずだ。でも違った、オルガは俺達の生きる道を探したんだ」
実際のところ、オルガ・イツカの遺言はチャドの考察が近しかっただろう。
それにチャドもライドも知らぬことだが、オルガは当たり前のように生き汚く、『手を組んだ相手を裏切らない』なる持論をあっさり翻しマクギリスの身柄をラスタル・エリオンに売り払ってまで団員と自分の保身に走ったのだ。
オルガが命を賭してまでプライドを取る、家族の仇を討つ──マクギリスが通した意地や矜持と無縁だったことは明らかである。
彼の目指した場所とは“生きる”こと。
その手段がどれほど稚拙で誤りに満ち、手前勝手で使うべき力や進むべき筋道が間違っていたとしても、ただ生きようとした。
チャド・チャダーンは遅まきながらそれに気づいたのだ。
「だから団長の仇を討つために危険を犯す意味はない。団長の望みはそんなことじゃない。俺たちは前に進んで、これからも生きていかなきゃならないんだ。他のみんなの分も。違うかライド」
チャドはこれからも生きることが進むことだと受け取った。
しかし、ライド・マッスは。
オルガの犠牲で生き残ってしまった彼には。
「見損なったよチャドさん」
「ライド?」
「分かった、もう誘わない。俺だけで行く、俺だけがやる」
「おい、ライド!」
頑なに凍り付いた心は彼を“鉄華団”に縛り付けていた。
ただ在りし日の過去を振り返り、その場で足踏みを続けているだけと指摘できる者は居らず。
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ライドとチャドの決別から1年も経たぬ間。
後に言う『マカナイ・ショック』、蒔苗東護ノ介が鉄華団残党の幇助を行った一連の事件捜査によりアーブラウのID改竄が発覚しデータの復旧が為されて以降、国際指名手配されていたチャド・チャダーンはオセアニア連邦の領内で身柄を拘束されるに至る。
それに対し、早期にコロニーを経て火星に潜入したライドは非合法な手段で偽造IDを入手、スラムで燻っていたところをグランに拾われ、当局に発見される事もなく今を過ごしている。
オルガの仇に手が届くところまで辿り着いている。
「……やっぱり、あんたが間違ってたんだよ、チャドさん」
ノブリス暗殺計画実行の前日、アーブラウでチャド・チャダーンの死刑が確定したその日。
ライド・マッスはかつての仲間を、戦わずに逃げた臆病者を突き放した。
誰にも聞こえないような小声で。
苦虫を噛み潰すように。