レイドラプトの町にも再開発の波は訪れる。
地球の植民地だった頃は後回し、限られた予算で最低限のインフラが整備されたほぼ手付かずの町は、独立を目指した再開発では有望な土地となった。
下手に手が入っていないのが功を奏し、開発し易い町だとして注目を浴びたというわけだ。そのためレイドラプトは建築ラッシュ。工事に次ぐ工事があちこちで行われ、労働者を持て成すべく様々な需要が生まれている。
「ノブリスさん殺されちまったんだな」
「あの人のお陰で今の火星があるって言っても良いくらいなのに」
「犯人どもはギャラルホルンが討ってくれたんだろ?」
「ああ、火星のためにやってくれるなんざ連中も捨てたもんじゃねえな」
溢れる活気に惹かれてか“強盗団”なる無法者が一時期町中を騒がせたように、よくも悪くも人が集まりつつあった。
元々は野菜市場だった場所に食堂を併設したのもそのひとつ。野菜の加工を面倒くさがった男たちの要望に応えたというわけだ。本来ただの店員だった私が料理担当を任されたのは、かつて大人数相手に料理の腕を揮った経験を買われてのこと。
「アトラさん、今のうちにみんなと休憩入っちゃって」
「はーい」
本格的な昼時を迎える前、私は職場の皆と早めの昼食を採る。野菜クズや残り物を余さず使った賄い料理はおかわり自由、同僚たちにも好評である。
「アトラさんってさ、見た目によらず教育ママよね」
「え、そうですか?」
食事を終えてのんびりお茶していた時、差し向う奥様のひとりから意外な事を言われてまばたきする。
「うちの子からアカツキくんはもう学校に通ってるって聞いて」
「私が学校に行けませんでしたから、息子にはしっかり学んで欲しくって」
「分かる分かる、子供には色んな未来を見て欲しいもんねえ」
「でもうちの亭主ったらさ、子供は好きに遊んでればいいんだって──」
なんてことのない井戸端会議に花が咲く。
あくせくと忙しい時間に挟まる安穏としたひととき、漂うのは茶の香り。
それまで過ごしていたクリュセより、余程穏やかな世界。
私には思いもよらなかった。
楽園より追放された先の世界、訪れたこともなかった余所の都市でこれ程平穏に過ごせる日が来るなんて。
見知らぬ他人の棲まう世界で生きていけるだなんて。
“鉄の楽園”が私達を閉じ込める檻だったのだと知る術も無かったから。
******
当時の私。
ククビータさんによりクリュセより引き離され、ひとり異界の地に取り残された私は途方に暮れるしかなかった。
何もかもを無くしたから、何も手に残っていなかったから。
三日月も、鉄華団のみんなも、クーデリアさんも。
私は全てを失って、ただ命だけを抱えて立ち尽くしていた。未来の展望なんて何ひとつ無い、三日月やみんなと一緒に暮らす、家族を生きることだけを考えていた私は全部を取り落としたのだから。
──正直に懺悔しよう。
この時の私は、身に宿った新しい命のことなんて頭に無かったと。
そもそも私が三日月の子供をねだったのは愛する人との結晶が欲しかったから……では断じてない。
愛する人を縛り付ける鎖となる物が欲しかった、子供という重しが出来れば三日月はどこにも行かないのではないか……そんな浅ましさの産物だったのだ。
そんな自分本位でいたのだからお腹の子が一番、お腹の子のため生きるなんて考えが持てるはずもなく、ただ全てを失った気になって佇んでいた。生きるために歩くこともなく、唯々。
そんな身勝手な私に声をかけてくれたのが。
「アトラさん、あと5人分追加ねー」
「5人分了解でーす!」
「もう面倒だからタライに全部野菜積んで炙っちゃえば?」
「くだんない事言ってないで倉庫からトウモロコシ取ってきておくれよ」
職場を共に忙しさと活気の混ざる空間で冗談を言い合う、近所の奥様方。当時は名も知らぬ、知るはずもない他人の彼女達だった。
『なんだい、最近越して来たってあんたかい』
『クリュセから? そりゃ遠くから大変だったねえ。最近なんとかいうテロがあったんだろ?』
『こっちは貧乏だけど平和なもんさ、盗むモノだってないからねえ』
『働き口も無いんだろ? 任せときな、ちょいと伝手があるからね』
『身重ぉ!? それ早く言いなよ、こんな町だってマトモな医者はいるんだ、安心しな』
クリュセに比べればずっと田舎の辺境、決して豊かでない土地で彼女達は逞しく、お互い助け合って生きていた。
家族ではなく、ただのご近所さんとして。
──この時はじめて、私は三日月も彼らの仲間も関係ない場所で。
世界の見せる別の顔を知ったのだ。
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「お先に上がりますね」
「はーい、アトラさんお疲れさま」
「そっちの野菜は持って帰っていいからねー」
「ありがとうー」
夕闇に沈んでいく赤い大地を踏み締め、家路につく。家族と2人、暮らすあばら屋に向かう足取りは決して重くない。
数年前は追いやられた場所、置き去りにされた孤島に等しいこの町が、今では愛おしい。
──良し悪しの区別なく、人は変わらずにはいられない。
暁を産み、レイドラプトの町で暮らし、クリュセに居た頃とは全く異なる生き方に触れた。
見知らぬ他人を隣人と、見知らぬ誰かを友人と接する生き方を続けたことで私は変わってしまった。気付いてしまった。
“鉄華団”という価値観の狭さ、歪さを理解してしまった。
オルガ団長の下に集った孤児たち、家族と称した彼らの絆。
他に代えがたい互いを繋ぐ徴、血よりも濃い団結の言葉。
他者を寄せ付けない、どこまでも内向きの関係性。
それが悪いとは言わない、内々の関係を大事にすることは決して悪ではない。かくいう今の私も暁以上に大切なものが存在しないように、身近な物こそ宝に成り得る、そういう物もあるのだ。
ただし彼らは、その関係性を持って“外”に出た。
鉄華団を仲良しグループから企業に昇華させた。
鉄華団の有り方を社会に通そうとした。
──社会とは大勢の『他人』の集合体であるにもかかわらず。
他の価値観、社会の構造や距離感、商売上のルールや規則規範、そういったものを全て無視して我を通そうとした。
今の私には分かる。
仲良くなれる、良くしてくれる、対立せずに済む可能性のある人すら最初から拒絶し、己が有り様が全てと弾くやり方がどれだけ偏狭で、他者との反発を生み、疎まれ居場所を無くす行為であるかを。
他人と折り合えず、折り合う気持ちすらなく、ただただ暴力で居場所を確保しようと周囲を顧みない集まり。
鉄華団は本質的に、孤児以外を拒絶する集団だったことを。
故に社会に馴染まず、馴染む努力をする発想すらなく、他人の理解は不要と前を向き続けた彼らがただ世を乱す勢力、危険思想の持ち主にしか見えなかったのが判ってしまった。
本当はただ、あの時の私達は他の生き方を知らなかっただけだった。無数からなる分岐先を選んだ結果でなく、それ以外を知らぬ無知と頑なさの道筋。
それでも他者を拒否する者の心情を誰かが汲むことを期待するのは都合が良すぎた。無知から来る態度を無知故と容認するか否かも決めるのは他人、拒絶した他人なのだから。
ギャラルホルンは世界の歪みだとクーデリアさんは言った。
でも社会から、社会に生きる人たちから望まれるのは自分勝手な鉄華団よりも治安維持に貢献するギャラルホルンなのが判ってしまう。
世間がギャラルホルンを悪く言う、非難する、不満を漏らす。これらは全て“良くなることを期待”するからこその声だった。既に社会に根差し、無くてはならない存在に向けられた要望。
そしてクーデターに参加して世界を乱した鉄華団に向けられたのは否定。秩序無き暴力集団が取り締まられるのを願われた拒絶の声だった。
同じ悪口でも種類が違った、鉄華団こそが社会に芽生えた歪みだと指差されたのだ。
あの頃の私は鉄華団の皆に共感し、彼らの姿勢に賛同し。
他人を見なかった。
親しい彼らに共感するだけで、自身で考えることをしなかった。
娼館を飛び出した私を雇い入れてくれた雑貨屋店主のハバさんのように、大人に優しくしてもらった経験だってあったのに、その事に意識を向けることさえしなかった。
その事に気付いたのが頑なだった心の拠り所を失った後だったのは悲しいことだけど。
──私は全てを失ったわけじゃない。
狭苦しくも暖かな我が家の前で小さな影が手を振っている。
その昔は邪なる気持ちで欲したただの鎖、ただの重しに望んだ命。
輝かんばかりの笑顔で母を迎えるあの子は、今の私の全てだ。
「かーちゃん、ルッくんの家でオレンジもらった!」
「あらそう、今度何かお礼をしないとね」
「うん!」
鉄華団での日々は今でも心に残っている、輝かしい記憶として私の心に刻まれている。
でも、こうも思うのだ。
自分達の願いを力で押し通す以外に出来ない、陽の光や水を、栄養を力で奪うことしか知らない金属で出来た華。
他人を信じず、他の誰かと共存する生き方を知らない硬き鋼の華。
あの眩しさは自分をも焼き尽くす炎を灯した時代の徒花、自分の身が砕ける運命にしか無いことに気付くことなく開いた赤錆色の華。
今の私には分かってしまう。
鉄華団は始めから他人を拒絶した、だからこそ大勢の他人が住まう社会から拒絶されたのだ。
他者と折り合えない生き方、生まれ方から長く咲くことは出来ない華だったのだ。
アトラ・ミクスタは祈る。
誰もが等しく教育を受けられる世界。権利を手にすることの出来る世界。
戦場だけが生きる糧を得られる手段、そのような思いを抱かず、または思わずに済む世界。
境遇の異なる他者の全てを否定せず、寄り添い共に歩んでいける世界。
私と手を繋ぐ子が、誰かと仲良く平和に暮らせる世界でありますように。
願わくば。
火星の大地にもう二度と、自然と咲くはずもない花、鉄の華が咲くことのない程に豊かさと優しさが広く満ちますように。
******
彼女の尊き願いは叶うのか。
それは未だ語られず、これからを生きる人々の刻む歴史で示される。
~ 二度と咲かない鉄の華 完 ~