『現在ここ蒔苗記念講堂では、ギャラルホルン代表ラスタル・エリオン氏と火星連合議長クーデリア・藍那・バーンスタイン氏によるヒューマンデブリ廃止条約の調印式が行われています。これは先だって各経済圏が認可したヒューマンデブリ廃止法案に基づく取り締まりの強化と──』
地球圏アーブラウの一角で交わされた未来への第一歩。
子供たちの人権と将来を守るための調印式とそれに伴う記念式典への参加もそこそこに火星へと戻ったクーデリアは激務の最中にあった。
ギャラルホルンの火星支部縮小に端を発した各経済圏の撤退、それによる火星独立の本格的移行は急激な変化を呼び、火星連合代表たる彼女の下には様々な問題、理想とはかけ離れた現実的な試練が矢継ぎ早に舞い込んでいた。
息つく暇が無いとはこの事か、分刻みの人生をクーデリアは忙しく戦っていた。ようやく手の届いた『火星のことを火星の人々が決められる』世界のために。
「おかえりなさいお嬢。調印式の中継見てましたよ」
議長室では彼女の私設秘書のひとり、チャド・チャダーンが出迎えた。
彼は鉄華団の元団員。彼のみならず、クーデリアの周辺には少なくない人数の元団員が戸籍を書き換え、身分を新生させて宮仕えをしていた。
まるで争いの日々が嘘だったように、ごく普通に。
「これで俺達みたいなヒューマンデブリが居なくなるってんなら喜ばしい限りですよ」
「相手があのラスタル・エリオンってのが腹が立つけどな」
かつて鉄華団にも何人かのヒューマンデブリ、戸籍を買われた労働者──実質奴隷扱いの宇宙ネズミが属していた。そのひとりであるチャドにすればデブリの問題はとても他人事ではなかったのだ。
彼の感想に苦虫を噛んだ表情で補足したのはクーデリアの地球行に同行した私設秘書兼護衛のユージン・セブンスターク。彼も例に漏れず元団員、副団長を務めていた立場で他の団員よりは機転が利き事務方も齧っていた貴重な人員だ。
「ユージンさん」
「わかってるってお嬢、余計な真似はしねえって」
クーデリアの仲裁に心から納得はせぬものの、暗に求める正しさは認めてユージンは頷いた。
鉄華団とラスタル・エリオン──アリアンロッド艦隊との関係を一言で表せば敗者と勝者。
マクギリス・ファリド事件にクーデター側の立場で参加した彼らはギャラルホルン本拠地を強襲、幾人もの隊員を虐殺するも地球軌道決戦においてアリアンロッド艦隊に一方的な敗北を期し、火星本拠地の包囲戦でひとり残らず敗死した。
──そのような扱いであるが事実は異なる。
木星の雄テイワズとアーブラウの権力者に力を借り、大半の団員は地球に逃げ延び戸籍IDの改竄を経て生き延びたのが真実。
彼らは過去の絆、ツテを手繰ってギャラルホルンが威光を示すための見せしめのリストから逃れることに成功していたのだ。
……しかし。
クーデリアは疑問に思うことがある。
本当に、アリアンロッドは、ラスタル・エリオンは。
鉄華団が生き延びた事に気付いていないのか、と。
火星での鉄華団包囲戦。
“戦乙女”ジュリエッタ・ジュリスは三日月・オーガスの乗機MS『バルバトス』の首を掲げ、アリアンロッドの威光を世に知らしめた。平穏を脅かす輩への警告を高らかに行うべく鉄華団の撃滅を利用したのだ。
苛烈なまでに投入された過剰戦力は鉄華団を討つ過程を口実にした示威戦略だったのは明らかで。
その一方、包囲戦が終わった後。
当然行われると警戒していた鉄華団の残党狩り、ギャラルホルンによる一斉捜索などはまるで行われなかった。
例えばアトラ・ミクスタ。
例えばクッキー・グリフォン、クラッカ・グリフォン。
例えばタカキ・ウノ。
鉄華団の非正規団員や団員の縁者、元団員といった人々にも聞き込みや任意の取り調べ、一切の干渉が無かったらしいのだ──不自然なまでに。
もとより興味が無い、生き残りが居ようと居まいと無関心であるかのように。
そんな事が有り得るのか──ラスタル・エリオンの真意を探るべく先の会談では挑発的な、鉄華団の社章を象ったイヤリングをつけていたのに、かの御仁は何ひとつ言及してこなかった。
その事が逆に彼女を不安にさせる。
知られていないのか、それとも泳がされているのか、と。
火星議長が抱えた不確かな気掛かりの種。それを追いかけるように、
「それと、ライド達のことなんですが……」
チャドの持ち出した話題はクーデリアの、そして元団員の秘書達に共通する懸念材料だった。
ライド。ライド・マッス。
言わずもがなで元団員。生き残りのひとりだが、彼の動向を皆が心配するのには理由がある。
鉄華団団長オルガ・イツカ。
火星本拠地包囲戦に乗じて地球に脱出する、団員の生き残りを賭けた大勝負の最中に団長は命を落としたのだ。
それもライドを庇う形で。
団長を守る立場、護衛のひとりだったはずの自分がオルガに守られ生き長らえた。この一件は彼の心に深い傷を刻み込み、他の団員が新しい人生を生きる中で彼と数名の年少組は未だ鉄華団の名前に囚われていた。
それでも最低限の交流と連絡を取り合う間柄であったのだが。
「見つかったの?」
「いえ。ノブリス・ゴルドンが火星に戻ってるって情報が入って以来、完全にこっちを避けてるみたいで……」
クーデリアの懸念はまるで晴れなかった。むしろ悪化したとさえ言えた。
ノブリス・ゴルドン。
火星随一の大物実業家、火星経済の発展にも大きく貢献し、多大なる資産で火星の事業や福祉にも多くの支援を行っている篤志家として有名な人物。
その一方で後ろ暗いビジネスを手掛ける者にとっては武器商人と知られる人物でもあった。中には「武器を売るため火の無いところに火を放つ」と陰口叩く者すら珍しくない、金の亡者。
裏表を使い分け、無尽蔵な成長を目指す経済人はクーデリアにとっても光と影双方を担う形でのビジネスパートナーであった。
彼の資産なくして彼女の理想、火星の未来実現は程遠いのが実情である。クーデリアは彼の裏の顔を承知で手を結び、火星の経済を発展させようとしていた。
そんなビジネス上の関係とは別に、鉄華団にとってノブリスは団長の仇でもあった。
団長オルガ・イツカを殺した相手はノブリスの配下だという推測が成り立ったからだ。
確実な証拠はない、あくまで状況証拠に過ぎないが、あの時あのタイミングでクーデリアと鉄華団の関係を厭う裏社会の人間に該当する人物がいなかったのである。
他にもクーデリアと鉄華団の縁切りを望んでいた事も付け加えられるが、いずれにせよ「かもしれない」論を出ない根拠に過ぎない。
にもかかわらず、自分のせいで団長を死なせたと思い込んだライドは仇を欲した。
鉄華団を撃滅したのはアリアンロッド艦隊、ギャラルホルンだが。
団長を殺したのはノブリス・ゴルドン、ライドにとってより憎むべき相手はこちらだったのだ。
そんな彼がノブリスの帰省と共に姿を晦ませる。事情を知る者にとっては嫌な予感が過ぎらざるを得ない。
団員の中でも年長者は自身の非を認める傾向にあった。
感情の置き所は別にして、彼らは確かに世を乱した暴力装置、世間から見れば厄介者でしかなかったと飲み込める理性を示した。
しかし年少組は違った。
鉄華団が全てだった彼らには、それ以外の価値観は。
「お嬢」
「……とりあえず捜索は続けて。今は信じましょう。私達は家族なのだから」
姿を消した団員の捜索を頼みつつ、クーデリアは盲信した。
既に亡い三日月が、三日月・オーガスが遺した言葉。
『生きて進んでいれば、そこに鉄華団がある』との言葉を胸に、皆が前を向いて歩いていける事を信じ過ぎた。
彼女はこの日の選択を後悔する。
誰かを無償で信じてしまったこの日の事を。
******
「なんだ? 入っとるぞ」
『オルガ・イツカを覚えてますか?』
「あ? 誰だそれは?」
銃声は過去より轟き、仇と彼らの未来を閉ざした。
******
凶報が議長室に鳴り響いたのはその日の夕暮れだった。
「お、お嬢、自警団から連絡が!」
「落ち着いてチャドさん、どうしたのです?」
「の、ノブリスが、ノブリス・ゴルドンが暗殺されました!」
流石のクーデリアも絶句した。二の句を次げなかった。
家族を信じる、そう決めてから浅い日が経過しての凶報。詳しい報告を何も受けていない状態でのそれを耳にし、それだけで心を過ぎったのは最悪の予想。
「まさか、ライド、あいつら」
彼女と同様の結論を抱いたのか、ユージンは青ざめた顔でただ断片的な言葉を漏らしていた。そして議長執務室にいる誰ひとり、彼の予想を否定できなかったのだ。
ノブリスは敵の多い男だった、それでも火星連合議長経由で得た情報を活用しての暗殺に出向ける者など限られる。
今の火星の状況下で誰が一番容易くノブリスの暗殺を為し得たか。それを考えれば自ずと答えは限られる……。
「お嬢」
「わかってます、ええ、ですが」
クーデリアは鉄華団の家族であると同時に、火星の未来をより良く導くべき議長の立場をも背負っていた。
後者の立場、公的の面が囁く。
この報告は自警団が行うマスコミ発表前に届いたものだが、彼の死は間違いなく火星全土に大きな衝撃を以って受け止められるのは間違いない。
彼が裏表ある人物なのをさておいても火星経済にもたらした影響は多大。或いは火星議長たるクーデリア以上と言っても過言ではないだろう。
理想で国は動かない、確かな予算で以って事業福祉に血は通う。自らの利を前提にしていたとはいえ、血流を大きく担い全身に血を巡らせていた大実業家の死は決して火星に良い結果をもたらさない、もたらすはずがなかった。
既に起こった事は覆せない、やり直せない。ならばどうするのが最善か──混乱冷め遣らぬままに思案のまとまらないクーデリアを、さらに一本の通話が追い詰めた。
それはまるで彼女に考える暇を与えないかのように、
「お、お嬢……」
青ざめた顔をさらに歪め、ユージンが携帯端末を手にしていた。彼の持つ端末は公的回線を敷かず、極めて私的な人物に関係持つ相手との通話に用いられる特別なものだ。このタイミングでの連絡、まさかとクーデリアは息を呑む。
「まさか、ライドさんですか」
「い、いや……ラスタル・エリオンからの連絡、が」