「うわぁあ~ん」
部室の扉を開けると先輩が泣いていた。
いや、何が起こったのか全く伝わっていないと思うが、僕が部室に入ろうと扉を開け中を覗くと、同じ大学の同じサークルの年上の人間が、机に突っ伏して大声で喚いていた。
これを簡潔に表現するとしたらまさにこの地の文の一行目に他ならないだろう。
「あの……」
「あ」
僕の存在に気づいた先輩は涙でぐちゃぐちゃの顔のまま徐に立ち上がると、まるでホラー映画の幽霊のようにこちらへとふらふら近づいてくる。
ぶっちゃけ普通に怖い。
「あ、あの……先輩?」
「……」
声をかけてもノーリアクションの先輩に対して思わずたじろいでしまいそうになる。背中越しに出口を確認するとその方向へと思いっきり足を向けその場からの離脱をはか―
「誰が逃すかバカヤロー!」
「いててててててっ!腕っ!絞まってる!がっちり!決まってる!」
「先輩のあの姿を見てお前はなんも思わんのかぁ!」
「いや、だってあの状態の先輩めんどくさ、いや、何も言ってませんっ!だから腕を絞めるのはっ!」
このままじゃ明日から包帯ぐるぐる巻きの状態で大学に通うことに、って今はそれどころじゃなくて、密着しているので色々とですね、なんか良い匂いするし絞められてるはずの右腕はなんか柔らかい感触を感じて痛いはずなのに嬉しそうだしっ!
「離してくださいっ!ちゃんと先輩の話は聞きますからっ!」
「…………ホント?」
スッと僕に込められている力が緩むのが分かった。その隙を突き素早く腕を抜き去るとそのまま僕は若干の警戒心を込めながら”彼女”から距離を取る。
「で、どうしたんですか花園先輩」
「あのね……」
そう言ってポツリと話始める先輩を見て、僕はようやくその警戒心を解くのだった。
「実は、私殺されるかもなんだよ」
そしてその直後にこれである。
背中まで垂れたボサボサの髪を乱雑に手櫛で整えながら先ほどの言葉をへらへらと笑いながら述べる彼女こそ、この現代文学文化研究会の最後のメンバーである花園百合子先輩その人である。
「いやぁ、これ見て晋君」
そう言いながら彼女がこちらへと差し出してきたのは画面にバキバキのひびが入ったスマホだった。
「昨日より傷がデカくなったんですか?」
「そこじゃないよ!画面だよ画面っ」
「いや、画面の話じゃないですか」
「私のDMを見ろっ!」
なるほど、先輩が言いたかったのはそっちだったのか。
「で、DMがどうしたんです?」
「読んでみ」
先輩のスマホには僕も利用しているSNSの画面が表示されており、花園先輩が画面をスライドするとダイレクトメッセージへとその表示が移行する。
「昨日の夜届いてさー。朝からもう不安で不安で……」
「あ、いつもの奴なんですね、心配して損しました」
「なんちゅう言い草だよ!」
「だってもう何回目ですかそれ……」
「だって……」なんて可愛らしくもじもじと頬を膨らませている先輩をよそ目に僕は部室の定位置へと腰を下ろした。
「今年度入ってからもう7回目ですよ」
「案外細かく覚えてるのな少年」
「そりゃまあ、毎度あんだけ先輩が騒げばそうなります」
さて、そろそろなぜこんなにこの先輩が騒がしいのかを説明しよう。
花園先輩も、燦然寺さんや越智先輩のようにネットに小説を投稿することを趣味としている所謂”物書き”である。
そんな彼女が書くのは女性キャラクター同士の友情やそれを昇華したような作品。百合やガールズラブなんて言われるジャンルである。
「だって……ユイ×モモが大正義なんだもん」
その中でも彼女は特にとある大人のお友達に大人気の魔法少女モノだけをメインに扱っており、その中でもとある固定のカップリングのみを書き続けている。
「まぁた燃えそうなことSNSにでも書きました?」
「うん……ユイ×リナはユイ×モモよりマイナーだって」
「そんなこと書いたらユイ×リナ派は怒りますよ」
「でもこんなDM送ってくる程じゃないじゃんっ!」
そういって一度仕舞ったはずのスマホをこちらへと押し付けてくる花園先輩。そこには随分と過激な言葉が書かれており、まぁ先輩の不安がる気持ちも分からんこともあったりなかったり。
「殺害予告は流石にやりすぎだと思いますけどね」
「だからやり返してやった!」
フフンと鼻を鳴らす先輩。見ればそこには先ほどDMを送ってきたであろうアカウントをSNSの運営へと通報した旨の通知が届いている。
「それについてはそれでいいんでしょうけど、元々の火種は先輩なんだから気を付けてください」
「ふぁーい」
そう言って不満げにそっぽを向く。
彼女の横顔を見ながら思い出すのは先日のお説教の件。燦然寺さんに意図せぬセクハラを僕がしてしまった件で怒られたときはすごくしっかりしていたのに。
ネットだとどうしてこんなに好戦的なんでしょうねこの人は。
「全く、そんな喧嘩をするために先輩はユイ×モモを書き始めた訳じゃないんでしょう?」
「うん……」
出会った当初先輩はこう口にしていた。「私がユイ×モモを書くことで、他の人もユイ×モモを書いてくれると嬉しい」と。そういう先輩の言葉に当時の僕はいたく感銘を受けたっていうのに、どうしてこうなった。
「あの作品はチナ×トーコっていう大手がいますけど、それと同じぐらい僕はユイ×モモが好きですよ。それは先輩の書く作品のおかげでもあったりします。だから、それをもっと誇ってください」
「晋君……。じゃあ晋君もユイ×モモを書こうよ」
「だから僕は書きませんって!」
なんでそうなるっ!
「私はなぁ!他人が書いた、ユイ×モモが読みたいんだ!」
「さいですか……。先輩よくそれ口にしてますよね。自分で書くのじゃ足りないんですか?」
「いや、まぁ自分で書くのも楽しいんだけどさ。元はと言えば私がユイ×モモを書き始めた理由って書いてる人が少なかったからなんだ。だから作品全体の数が増えたら他の人も書いてくれるんじゃないかーって」
なるほど、そういう考え方もあるのか……。
「そしたら私も物書き引退!人の作品を享受するだけの人間になれるのに……」
「そうなったら先輩はただのインターネット炎上お姉さんになりかねませんよ」
「それは遠慮願いたい」
そう言って先輩は照れ臭そうに笑った。
「本日はお日柄も良く、ですわ!」
そんな時だった。聞き慣れた声と共に見慣れた姿が目に入る。
「燦然寺さん、こんにちは」
「ごきげんようですわ、花園先輩、松野君」
「お、とーかちゃんこんにちは」
「花園先輩、一昨日の作品素晴らしかったですわ!」
「マジで!?ありがとー!いやぁあの話ね、ユイ×モモを書き始めた頃からずっと書きたかった話だったんだよね」
「お気持ち分かりますわ。私もそういうネタがありますもの」
そう言えば燦然寺さんが創作を始めるきっかけはなんだったんだろう。彼女との付き合いももう一年と半分以上になるがその辺のことを直接聞いたことはなかった。
「それはそうと燦然寺さんの昨日の更新も読んだよ。いやめっちゃ尊かった」
「でしょう!ネタが突然降って来たことに感謝ですわ」
創作とは一種の自己表現だ。始めるきっかけはきっと人それぞれにいろんな理由があって、だけどそこには確かに何かへの”愛”があったんだろう。
そんな沢山の愛に触れたくて、僕は今日も誰かの物語に触れていくのである。
「どうしましたの松野君」
「いや、何でも」
「今、僕モノローグで良い事言ってるぞ、みたいな表情をしてましたわよ?」
「最後に台無しだよ!」
そう言えば自分が物書き始めたきっかけってなんだったっけなぁ……。
物書きのみなさんは覚えてらっしゃいますか?