百聞は一見に如かず。
なんて言葉があるが、百文が一見に勝るなんて場面はあるのだろうか。
他人から耳にした言葉ならまだしも、自らが選んで並べた言葉であるのならもしかしたらそれは一回の経験を超えるなんてことがあり得るかもしれない。
さて、燦然寺さんがうんうんとうなり始めてから既に一時間が経過しようとしている。
部室に着いて直ぐに開かれたノートパソコンはすでにその役割を放棄しており今は机の上でぐったりとその首を項垂れていた。
「ロケ……ハン……」
何度その言葉を耳にしただろうか。うわごとのように口からその言葉をこぼす燦然寺さんを流石に哀れに思った僕は、ようやく重い腰を上げそんな彼女へと声をかけるのだった。
「流石にそろそろかわいそうだから聞くけど、さっきからどうしたの?」
「……ぃですわっ」
「えっ?」
「遅いですわっ!女性がこうして気力虚しく項垂れているのに声をかけるのが遅すぎますわっ!」
まるで裁判ドラマのワンシーン。机を勢いよく叩くようにして立ち上がった彼女はこちらへとその視線をキッと睨みつけるとまるで異議を申し立てるように言葉をすらすらと並べ始めた。
「分からないことだらけで戸惑っているところに私は追い打ちをかけられましたわっ!まさかの信頼している松野君から全力のスルー!私もうメンタルが富士山頂に持っていかれたポテチの袋のようですわっ!」
「べっこり凹んでるって言いたいんだろうけど、あれ膨らむからな」
「レディがこんなに打ちひしがれているのに何もしないなんてあんまりではありませんか?松野君はもうちょっと乙女心というものを理解すべきですっ!それでいてもっと私に寄り添うように気を使って―」
さて、どうして僕が一時間も彼女を放置したのかお分かりいただけただろうか。
見ての通り、こうなった時の彼女はとにかく”めんどくさい女”と化すのだ。何かにつけてああして欲しいこうして欲しいうんぬんかんぬん。僕はあなたの親か彼氏か!
勘違いしないで欲しいため補足をしておくが、決して僕らはそういう男女の関係ではないのだ。
ただの創作者とその一ファン。まぁ、今後どうなっていくのかはこの後のお話を引き続き読んでいただければ……って僕はいったい誰に話しかけてるんだ。
「分かった分かった!僕が悪かったっ!それで、何でそんなに悩んでるのさ」
「それが……」
そういうと彼女はちらと先ほどまで首を項垂れていたノートパソコンの画面をこちらへと差し向けてきた。
「これが前回のお話の最後ですの」
「ああ、確か主人公がヒロインをデートに誘うってシーンだっけ?」
「そうですの」
「で、それがどうしたのさ」
僕の問いかけに彼女は若干モジモジしながら話の先を口にした。
「恥ずかしながら……経験がないのでそのシーンが上手く書けませんの」
「それって、デートの場面がってこと?」
「そういうことですわ」
あら、意外だ、なんて言葉は本人がどう捉えるのかわかりかねないので心の中だけに止めておく。っと言っても実際燦然寺さんはモテる容姿をしてる。お誘いだって無かった訳ではないだろう。その流れでデートの経験もてっきりあるものだと思っていたのだが、本人曰くそうではないみたいだ。
「そのため実際の男女がデートでどんなことをするのか分からないんですの」
「あー、そういう事か」
なるほど、彼女が悩んでいた内容がやっと分かった。
最近ネットで見かけた記事だと、とある作品で料理を得意としている女の子という設定のはずが実際の料理シーンの手順が無茶苦茶だったなんて批判的な記事も目にしている。
そういうところはリアリティを求める作者だと案外気にするところなのかもしれない。
「でも、デートって人それぞれなんだから自由でいいんじゃないの?」
「けっ、そういう安直な考えなんだから駄目なんですのっ!そんなだから松野君は待ち合わせの時に女の子にかける第一声が”いや、僕も今来たところ”なんですのよ!?」
「僕、燦然寺さんにそんな風に思われてたの!?」
ってか今の言い方だと完全に見てきたみたいじゃないかっ!
……いや、実際口にしたことはあるんですけどね。
「そこはあれだよ、理想のデートプランとかをなぞってみるとか」
「そんな量産型おしゃれ雑誌女子みたいなことしたくはありませんわっ!」
「いや、別にいいでしょうに。それに、そういうのって想像で書いたりするものじゃないの?」
「うーん、どうなんでしょう。リアリティの探し方によるのかもしれません」
リアリティの探し方?どういうことなんだろう。
「正直取っ掛かりが多すぎてどれから手を付けていいのか分かりにくいんですよねぇ」
「パターンが多いってこと?」
「そうなんですの。何でもできるっていうのはそれだけどうやって魅せていくかの腕が問われるってことなんだと私は思ってますの」
「なんだか難しい話だね」
「そこで参考になるのが自分の経験なんですけど……」
「それがないから難しいってことか」
「そう言うことですの」
意外とみんな自分の経験を参考にして書いたりするもんなんだろうか。
「そう言われるとみんな自分の経験を作品に落とし込んでるものなのかなぁ」
「どうなんでしょうね、その言い分だとファンタジーとか書けなくなりますわ」
「確かに、ファンタジーの物書きがみんな異世界転生してるわけじゃないもんね」
「みんなどころか誰もいないと思いますけど」
「そうであって欲しいよ」
結局のところ、そういう経験がない人っていうのはどうやってその部分を埋めているんだろうか。
「妄想でカバーできるところっていうのは何処までなんだろうね」
「あぁ、それについては私は逆だと思いますわ」
「逆?」
「そうですわ、リアリティっていうのはあくまでもエンターテイメントを装飾するパーツでしかないと私は思っておりますわ。だからリアリティがエンターテイメントを阻害するようであればそれはもう排除しちゃったほうがいいのです」
「ん~どういう事なんだろう」
「あくまで妄想を体験がカバーしていくのですわ。結局のところ作品の一番の根っこはその作品が面白いかどうか、良いものだったかどうかに尽きると思いますわ」
それは割と納得かもしれない。かの偉大な映画監督も口にしていた。「俺の宇宙では音が出る」と。まぁ、これについては本人が実際にその言葉を言ったのかは怪しいものだけど……。名言ってのは実は結構普通の言葉が一人歩きしてそれなりの体裁を整えられた末のものだったりするのだ
。でも、これについては確かに同意だ。リアルがどうであれそれが面白ければいいのだ。
「百の妄想は、時にたった一つの真実をも超越する」
ふと、燦然寺さんがそう呟いた。
「それが面白いものなのであれば、実際の物理法則なんて吹き飛ばしてしまえますし、倫理観なんて置き去りにできますわ」
「ミステリー作家がみんな人殺しって訳でもないもんね」
「そこにケチ付けられるようであればその作品自体が粗だらけなのか、それともどうでもいいところを突きたいだけの読者なのかのどちらかですわ」
「なるほどね……」
「宇宙で音が出てもいいじゃないですか」
最後にそっと添えるように燦然寺さんはそう口にした。
一瞬はっとなって、次の瞬間僕の顔にも思わず笑顔が零れる。なんだ、同じことを考えてたのか。そのことが、ちょっとだけ嬉しかった。
「エロ本の擬音も、それがえっちならそれでいいんですの」
「だからなんで最後に台無しにするのさっ!」
ただし真実を凌駕できるのはお話の中だけ。