『ご一緒にお昼でもいかがですか?』
その日、4限を終えた僕の元に届いたのは余りにも簡素なランチのお誘いだった。教科書を乱雑に鞄の中に詰め込みながらもう片方の手でスマホのパネルをタッチする。
「いいですよ、すぐに向かいます……と」
画面の上部には連絡を寄こした彼女の名前が表示されており、返信を打つ僕の指先が妙に嬉しそうなのはきっと退屈な講義から解放された喜びだけじゃないだろう。
「どうしたんだよ松野、ニヤついてるぞ」
気づけば同じ講義を受けている友人の怪訝そうな目がこちらに向けられており、慌ててその場を取り繕うように携帯をポケットに仕舞う。
「何でもない!」
「そうか、なら飯行くぞ。早くいかねぇと食堂混むからさ」
「飯田、それなんだけど……」
急かすようにこちらに背を向ける友人に向けて僕は申し訳なさそうに手を合わせる。
「先約があって」
「先約ぅ~?松野にかぁ~?」
まぁ、そう言いたくなる気持ちも分からなくはない。僕は決して交友範囲が広い訳じゃない。先ほどだってこうして声を掛けてくれた飯田の存在がなかったら一人寂しく教場の片隅で舟を漕いでいたことだったろう。
「その言葉に込められた意味は今は聞かないでおくよ」
「ふぅむ……松野に先約ねぇ」
飯田はまだ言いたいことがあるらしいが、とある事に思い至ったのか一つ小さくあぁと声を上げた。
「燦然寺さんか!」
「ちょ、声がデカい!」
講義終わりの教場はまばらながらもまだそこそこの学生が残っていた。そんな中に突然キャンパスの有名人の名前が出たもんだから幾つもの視線がこちらへと向かうのが分かる。
「す、すまん……」
飯田もその視線を感じたのか、僕の方へと小さく謝罪の仕草を向ける。
「まぁ、そう言う事なら仕方ねぇな」
「どういうことだよ」
「え、だってお前ら付き合ってんだろ?」
「はぁ!?」
大声を上げたのは今度は僕の方だった。
「うるせぇ!お前がさっき静かにしろって言ったばっかだろうが」
「ご、ごめんって。でも、飯田が変なこと言いだすから……」
「いや、誰だって勘違いするだろ。お前らがキャンパス内で喋ってんの、割とみんな見てんだからさ」
「そ、そうなんだ……」
燦然寺さんはともかく自分のことなんか考えたことがなかったからそんな風にみられていたなんて初めて知った。今後は少し気を付けよう。
「それよりも、相手が燦然寺さんなら俺じゃ敵わねぇな。ほら、待たせないうちに行ってやれよ」
こういう時、こいつと友人になってよかったと心から思う。口は悪いけど、案外良い奴なんだ。僕みたいな奴にも優しくしてくれるし。
僕はもう一度飯田に改めて礼を言うとその場を後にし、部室へと向かうのだった。
「あら、遅かったですわね」
部室に着くと既に燦然寺さんが到着していたのが目に入った。
「ごめん、思ったよりコンビニが混みあっててさ……」
このキャンパス内にはとあるチェーンのコンビニ店が居を構えている。4限が終わるとちょうどお昼時になるため、そこは胃を満たさんとする学生たちのちょっとした戦場となるのだった。
そんな戦場をなんとか生き抜いた僕は右手に掴んだ戦利品の入った袋を掲げながら部室の畳に腰を下ろす。
「あら、お昼は必要ありませんでしたのに。こんなことならちゃんとお伝えすればよかったですわ」
そんなことを言いながら、僕の向かいにちょこんと座る燦然寺さんは懐の鞄からなにやらご立派な重箱を取り出したのだった。
「これまた随分と大きなお弁当だね。まさか一人で食べるの?」
人は見た目によらないなんて言うけれど、まさかこんな見惚れるようなスタイルにその量を収める気なのだろうか。
「何か失礼なことをお考えではないですか?」
「い、いえ、何もっ!」
慌てる僕をよそ目に燦然寺さんは先ほどの重箱を机の上に広げていった。お弁当の中身は僕が想像しているご令嬢のお弁当とは似つかない質素なものだった。
「どうかしましたか、松野君」
「いや、なんかよく分からない高い食材とかが詰まってるのかと思って」
その言葉に何かを納得したのか、燦然寺さんは一つ小さく笑みを溢した。
「松野君が何を想像しているのかは分かりましたが違いますわ。だって、これは私が松野君に食べてもらうために手作りをしたものですので」
……はい?
「……はい?」
あの、燦然寺さん。仰る意味がよく分かっていないのですが。
「何を呆けているのですか?額面通りに受け取っていただいて結構ですわ」
「もしそうなら僕は明日死ぬの?」
「なんでそうなるのですか」
美人のご令嬢の手作り弁当なんて死亡フラグにも程があるだろ。
「いやだってさ、これって完全にラブコメでありがちなシチュエーションじゃんか!」
「そうですわよ?」
その反応は僕の予想の斜め上を駆け抜けていった。いや、この場合慌てたり照れたりとかツンデレお嬢様よろしく”ち、違いますわっ!これはうちのシェフが作りすぎただけであってそう言うつもりなんて微塵もありませんわっ!”ってシチュじゃないのかよ。
「え、えーっといったいどういう風の吹き回しで……」
「あー、まぁ、松野君の口にした通りですわ。お弁当を手作りするというシチュエーションを経験しておきたくて。他意は……無いですわ」
「無いんだ」
「残念そうですわね」
「少し……じゃないや、かなりね」
「そ、そうですの」
僕の言葉にぷいと顔を背けると、そのまま燦然寺さんは取り皿へと掬い上げた大きめのハンバーグに被りついた。
「それで、手作り弁当のシチュに何か心当たりがあったの?……あ、このハンバーグうまっ」
すっかり冷めているものの、こんがり焼き目を割ったそれからは濃厚な肉汁とお肉の旨味が口の中いっぱいに広がっていく。
「実は次のお話で使いたいなと思ってるシチュでして。……あんまり自信がなかったので美味しいと言って貰えるのはありがたいですね」
見ればどこか満足そうな顔を浮かべている燦然寺さんは重箱から次の獲物を探している。
「こういうのって経験しておかなければ書けなかったりするもんなの?」
「それは……どうなんでしょう」
てっきり作品を作るためかと思ったけれどどうやら違うらしい。先日物語の重要部分以外を作り込むなんて話もしたばっかりだからてっきりそれ関連かと。
「それもありますけど……今回はただ手作りのお弁当を作って誰かに食べて貰うというシチュを経験したかっただけですわね」
「そりゃまたどういう了見で」
「感情の選択肢を広げたかった、というのが一つですわ。先ほどハンバーグを松野君が褒めてくださったでしょう?」
「ああ、美味しかったよ」
「そう言って貰えるとありがたいですわね。でも、案外そういうのって見落としがちなんですよ。ただ嬉しいだけじゃなくて、なぜ嬉しいのか、嬉しいからどうなのか。喜怒哀楽なんて表現しますけど、その実それらは多種多様に変化していますし、一言じゃ収まり切れません。それに、知らない感情を表現するというのはなかなか難しいですから」
「なるほど……」
あれ、ということは今回こうして手作りのお弁当を僕に作ってくれたというのは……。
「僕は何か燦然寺さんのお手伝いが出来たかな?」
「ええ、親しく想ってる方に手作りの料理を褒めていただく気持ちというのは、中々に参考になる感情でしたわ」
時折、このお嬢様は臆面もなく真っ直ぐに来るからいけない。
その後、昼食を食べ終わるまで熱くなった頬がバレやしないかと必死だったことはここだけの秘密だ。
お読みいただきありがとうございましたわ!