カジュアルな装飾を施されたホテル。
10階層と平均的なホテルの中では高階層であり、そこに泊まる者たちは皆富裕層ばかり。
そして金の余裕は精神の余裕。それを証明するかのように皆の表情は豊かなものであった。
ある1人の男を除いて。
「なんでかからないんだ…」
部屋の中、ベッドに座っている男ーカルロッゼ・ベゼンは1人携帯電話を握り締めながら呟く。
額には大量の汗、そして鳴り止まない貧乏揺り。側から見ればとんだ異常者である。
(なんでこんな事に…)
そう思いながら、ポケットから一枚のカードを取り出す。そのカードには、2つのバツ印の中に赤のひし形が記されていた。
世界における最高の証明書、ハンターライセンスであった。
各専門においてプロフェッショナルを証するライセンスは、世界の禁止区域の8割以上への立ち入り許可を認められ、さらにはライセンス自体に高価値がある。それは売れば人生を7回ほど遊んで暮らせる程という。
しかしカルロッゼにとって、そのライセンスすらも今は只の紙切れにしか見えなかった。
『…貴方、何回連絡掛けてくるの?』
彼の携帯電話から数十分掛けて、漸く応答がやってきた。しかし電話から聞こえた女性の声は低く、明らかに消極的だと思わせる態度であった。
相手はカルロッゼが慕っていた女師匠だ。
ハンターへとなった彼は、彼女から裏ハンター試験として念の教えを請うていた。
「あ、あんた…今どこにいるんだ!」
「教えるわけないじゃない。狙われたらヤダだし」
男の焦りとは裏腹に、彼女は冷静沈着に否定する。
「仮にもあんたは俺の師匠だろう!?守ってくれるくらい…」
「あのねぇ、私はあくまでも仕事をやっていただけなの。だけどね、厄介事を持ち込む弟子なんざこちらからお断りだよ」
項垂れる男。救いの手がない事を現在進行形で突きつけられている状況で、更に彼女は追い討ちをかける。
「流星街のアレらに関わった時点で、あんたに安泰は無いのよ。諦めなさい」
「いやいや、俺はあの馬鹿のやらかしの場にいただけで、別に何も」
男はしどろもどろに話すものの、携帯からは欠伸をかく声が聞こえる。完全に彼女は聞く耳を持たなかった。
「あんたが直接やってない事はわかるわよ。でもあれらは同士が殺された時点で、ゾッケと関わりのあるあんたに終わりのない報復がくるのは目に見えてんの」
「ど、どうすればいいんだ!お願いだぁ、何か策だけでも教えてくれよぉ!」
「自分の身は自分で守る事ね。ハンターなら当然でしょう?四大行はだいたい習得できているから大丈夫よ、あんたなら」
身も蓋もないアドバイス。
あくまでも自身の力で切り抜けと彼女は言うが、他のハンターに比べればまだ念の初心者であるカルロッゼ。
そんな彼が出来ることなど限られている。
それで狂気染みた自爆テロを防ぐ事は苦難であると、彼女も承知しているだろう。
彼は女の投げやりな言葉に、恐れを通り越して怒りを覚える。
「それが出来るならこっちだって相談は…」
「ハンターたるもの、苦難はすべきよ。それじゃあ、また無事に会える事を願っているわ」
「ちょっ…待って」
プツリと途切れた、電話の音声。最後まで彼女は、カルロッゼに対して温情もなく相手にしなかった。
女の態度に、苛立ちを覚えた彼は思いっきり携帯電話をベッドへと叩きつける。
「クソがぁー!!」
虚しく響き渡る怒声。いくら怒鳴っても、何も解決しない当然さに気づいた彼は、ベッドへと身体を横にする。
そして、近くの時計を見てみると既に時間は深夜の2時を過ぎていた。
(もう嫌だ…疲れた)
流星街の報復。自爆テロ。それをどうやって逃れるのか、いや果たして逃れる事が出来るのだろうか。
急に襲いかかる睡魔。しかし、明日になったらどう行動すべきか、予定を組まなくてはならないと彼は強迫観念に追い込まれている。
しかし疲れ果てた脳で考えても良い案は浮かぶ筈もなく、カルロッゼは寝るという結論へと至った。
カルロッゼは、瞼を閉じた。
今でも目の前で友人が爆殺される光景は、目に焼き付いて離れない。睡魔がきているというのに、トラウマが蘇って彼の思考は混沌としてしまう。
それでも寝なければと、彼はベッドの上で1人念じ続けていた。
——-
カルロッゼは重い瞼を開ける。窓は日差しが差し込み、鳥の囀りが聞こえる。
朝であった。
彼の滞在しているエルドレーパは本来都会にも関わらず植物を大量に植えられており、自然の清々しさを感じ取る事が出来る。
故に朝の目覚めも心地よく、そんな都会のホテルに泊まっている客達にはそれなりの好評を受けていた。
だがカルロッゼは真逆であり、まるで二日酔いの如く胸焼けに嗚咽をしながら洗面台へと向かう。
(…これが夢だったら良いのに)
虚しい現実逃避を覚えながら、顔を水で叩きつける。
こうして身嗜みを整えながら、今日のスケジュールをボンヤリと考えていた。
(今からでも…空港に行って飛行機に…)
ヨルビアン大陸の南東に位置するエルドレーパ。その近くにはドレー空港があり、アイジエン大陸への直行便が数便飛んでいた。
大陸へ移ろうと画策したカルロッゼ。
だが、いくつかの問題が浮かび上がった。
空港という事もあり様々な国、人種が交錯する場である。その上、公共の移動手段でもある為、流星街からの刺客がやって来る確率は非常に高い。
そして何より、自身の乗る飛行機に流星街の者が紛れ込んでいるとなれば、逃れる術はない。
賭けるリスクは余りにも大きい為、カルロッゼは直ぐにその案を却下した。
だからといって逃げる場所は、ごく僅かに限られている。
思考を捻りにひねり出した結果、彼はある噂を思い出す。
グリードアイランド。それはジョイステーション用の”幻”とも呼ばれるゲームソフトであった。ハンター専用ゲームというジャンルに区切られており、念能力者のみプレイでいるゲーム。
彼はグリードアイランドの1つの要素に着目した。
それはゲームの世界へと移行できるという所である。もしその噂というものが本当であるならば、流星街の追手が来る事など到底不可能だ。
ゲームの世界へと入れる事など夢物語の様に感じたが、現に念と呼ばれる力が存在している。彼にとっては信じるに値するものだと認識した。
否、認識せざるを得ない状況であった。藁をすがる気持ちでゲームを手に入れなければならないと思ったのだ。
とはいえ、グリードアイランドは幻のゲーム。コレクター達が喉から手を出す程に渇望している品が、普通のルートで流通している事は早々に無い。
それならば、向かうべき場所は1つ。世界最大のオークションが行われる、ヨークシンシティである。
毎年9月に行われるオークションにて、グリードアイランドを獲得する。
カルロッゼの懐には60億ジェニー程の資産は持ち合わしていた。グリードアイランドの相場は58億ジェニー。しかし、マフィアやコレクター達が競り合うオークション。それならば100億ジェニーは最低でも必要だと彼は考えた。
(斡旋所か…)
顧客とハンターの間を取り持つ斡旋所。そこならば富裕層の依頼を受けて稼ぐことができる。
取り敢えず斡旋所を探し求めることに目標を掲げたカルロッゼは、旅立つ支度を行う。
流星街の刺客はまだ明確に自分の居場所を突き止めてはいない筈。ハンター同期である、ゾッケは流星街出身の者を酔いに任せて殺め、その翌日に彼は自爆テロで死んだ。
世間に棄てられ、実質的には最底辺の位置にある流星街の民達。彼等がどの様にして位置を特定できたのかは把握できないが、ただ一つ言える事は彼等の執着心は悍ましい程に危険極まり無いことである。
そして今いるホテルもいつ何時に襲われても、何ら可笑しくなかった。
ボストンバッグを抱えて、部屋へと出るカルロッゼ。
念を覚えた時は自身が他の一般人よりも優れている事実に愉悦を感じていたものの、今となっては他の誰よりも命の危機に陥り、怯えている。
(まだ俺の人生は終わりじゃ無いんだ…!!)
彼はボソボソと1人つぶやき、フロアロビーへと辿り着く。
「おはようございます、チェックアウトでございますね?」
受付所で、満面の笑みを浮かべるホテルマン。しかし、心の余裕が微塵もないカルロッゼは苛立つ。
「あぁ、そうだ」
「領収書はどうしますか?」
「要らない」
部屋のカードキーを受付所の机に置き、ホテルマンを一蹴するカルロッゼ。彼は1秒たりとも早くこの街へ出たいと考えていた。
「…あ?」
だがホテルの自動ドアに何者かが立ち尽くしており、彼は出る事に躊躇してしまう。
「…」
自動ドアが開閉動作を、何回も繰り返しながらも、1人静かに立っていた。
ボロボロの布切れをその身に纏っている姿は、小汚い印象であった。
本来ならばカルロッゼはその者を押し退け、ホテルへと出ただろうが、彼は何時もと違い顔を青ざめてしまう。
カルロッゼの前に立ち塞がる男。彼は満面の笑みを浮かべていた。
カルロッゼはその笑みを見た瞬間、あの時を想起させた。
あの日、ゾッケの前にいたホームレスの様な汚い姿をした男。
あの男も同じく笑みを浮かべ…
命の危機。人生の終わり。脳へ一気に押し寄せた警告。カルロッゼはそれに従うと同時に、踵を返し、そして駆け出した。
その時、轟音と衝撃が襲いかかった。
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