鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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十一話です。

では。


十一話

 

 

 

 

 上弦の鬼と戦った者が一人、目覚めようが目覚めなかろうが、時間の流れというのは平等に過ぎて行く。

 蝶屋敷に眠り続ける幸を置いたまま、包帯が取れぬまま、獪岳は柱合会議に呼び出されて、戦いの模様を報告した。

 柱合会議は半年に一度だが、今回は上弦の鬼二体が現れたという異常を鑑みて開かれるそうだ。

 今度は庭に面した部屋ではなく、中の座敷だった。

 上座にお館様が座し、その両脇に九名の柱が二列でずらりと並んで、獪岳はその最も下座、列の間に座って話すことになったのだ。

 一番近くには悲鳴嶼が座っていたからまだましだが、相変わらず他の柱が発する圧が凄まじい。

 特に、蟲柱・胡蝶しのぶが獪岳が話すに連れて、殺気と紛うほどに鋭い気配を放ち出した。

 

 蟲柱の様子を不思議に思いつつも、獪岳はなるべく淡々と語った。

 特に、上弦の弍が扱う肺を凍らせに来る呼吸封じの技は、柱たちにも驚きだったらしい。

 くらったのが鬼の幸だから再生できたが、人間が迂闊に斬り掛かれば、肺胞が壊死して呼吸がままならなくなり、殺されるという最悪な初見殺しである。

 後は、外見、氷を自在に操ること、武器が二本の扇であったこと、穏やかで優しげな口調だが、中身が不気味で得体が知れないこと。

 そんなことを語った。

 

「鬼の性格なんざどうだっていいんだよォ。他に情報はねェのかァ」

 

 滅多やたら人相と口の悪い風柱、不死川実弥は不満げに吐き捨てた。

 最近顔を合わせるようになった不死川玄弥と似た顔で、しかも同じ名字なのだが、兄弟か何かなのだろうか。

 風柱の言い草に腹は立ったが、言われればもう一つ思い出したことがあった。

 

「……あの上弦は、人間と関わりがあるのかもしれません」

「それはどういうことかな、獪岳。何故そう思うんだい?」

 

 穏やかという点は同じでも、上弦の弍とは似ても似つかない、人を安らかな心持ちにさせる威厳を持つお館様は、やわらかく問うてきた。

 

「あの上弦の弍は、幸の実の親から慕われ、崇められていたようです。今はどうだか知りませんが、少なくとも十年前までは、教祖様、と人間に呼ばれていたはずです」

「教祖……どこかの宗教を隠れ蓑にでもしていたのかな。小さく閉じた集まりであるなら、見つけにくいからね。幸の実の両親の名や、住んでいる場所はわかるかい?」

「俺は知りませんし、生きているかもわかりません。幸は覚えていると思いますが、今は」

「ああ、まだ目覚めていないのだったね。……心配だね」

 

 寺にいたころも鬼殺隊に入ってからも、幸の名字は知らない。幸は名乗らなかったし、獪岳も聞かなかった。

 獪岳は獪岳、幸は幸。それで事足りたし、興味もなかったからだ。

 

「獪岳、まだ上弦の弍に関して、言うことはあるかい?」

 

 能力も手がかりももう喋った。まだ口にしていないのは、十年前の夜に関わる出来事だけだった。

 ありません、と言おうかと思う。

 だが結局、獪岳は口を開いた。

 

「幸に血を与えて鬼にした者が、あの上弦の弍でした。俺たちが昔住んでいた寺の、藤の花の香を消したのも、そいつでした」

 

 視界の端で、悲鳴嶼が片眉をはね上げたのが見えたが、獪岳はそちらを向かなかった。

 柱の何人かも反応したようだったが、努めて無視をする。

 

「あれは俺たちの、仇です」

 

 それだけを告げて、獪岳は深く頭を下げた。お館様は何も言わず、ただ深く頷いただけだった。

 

 

 

 

 

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「で、なんでテメェらがまだここにいんだよ」

「俺も善逸も刀を無くしてしまったから、蝶屋敷で受け取るようにって言われたじゃないですか。獪岳さんもでしょ?」

「うん……まぁ、そういうことだから」

 

 柱合会議に呼び出された翌々日、蝶屋敷の病室で獪岳は炭治郎に善逸と向き合っていた。

 彼らは獪岳より怪我はましなのだが、炭治郎は無限列車に巣食っていた鬼の、手下になっていた人間に腹を刺され、善逸は無茶な加速をして脚を痛めており、結構な重傷患者であるのには変わりない。

 元気なのは、あの猪頭くらいだ。

 

 おまけに、今回の任務で三人揃って刀を失った。

 炭治郎は上弦の参、猗窩座に刀を投げつけて失い、獪岳と善逸の刀は上弦の弍との戦いで二つに折れた。

 新しく支給される刀が届くまで、三人仲良く待っていてくださいね、と蝶屋敷の主の蟲柱に笑顔で言われたとき、はい、と元気よく返事したのは竈門炭治郎だけである。

 

 桑島慈悟郎門下の兄弟子と弟弟子は、てんで違う方向を向いていた。

 獪岳はまだ待機命令中で蝶屋敷から離れられず、明日まで一切の稽古禁止を言い渡され不機嫌であったし、善逸はしょぼくれているからだ。

 しょぼくれた善逸を見ると獪岳は尚更苛立つから、元気なのは本当に竈門炭治郎だけなのである。

 

「俺、獪岳さんに聞きたいことがあるんです」

「……あ?」

「幸さんのことなんですけど、幸さんは禰豆子みたいに、長い間眠った後に目覚めたってことはありますか?禰豆子は二年くらい眠ってたことがあって、その間に細胞が変化したって珠世さんが」

「知らねぇよ。話しかけんな」

 

 珠世とはまず、誰だ。

 

「あっ、すみません。珠世さんは鬼ですけど、禰豆子や幸さんと同じで鬼舞辻の呪いを外した人です。鬼を、人間に戻すための薬を作ってくれているんです」

 

 そういえば、無限列車に向かう前、幸が自分の血を炭治郎に渡したとか何とか言っていた。

 鬼の医者が欲しがっているからだと聞いて、あのときは物好きだと鼻で笑ったが。

 

「鬼を人間に戻す、な」

 

 夢物語でくだらない、と言おうとして、善逸がこちらを見ているのが目に入った。

 苛立ちを込めて睨みつけると、目を逸らされる。

 舌打ちして、獪岳は寝台から立ち上がった。

 

「どこに行くんですか?」

「別に。屋敷からは出ねェよ」

「幸さんのところだったら、多分禰豆子がお邪魔してると思います!」

 

 でかい声に振り返ると、一点の曇りもない炭治郎の目と目が合う。

 何だかんだ、この兄妹は似ている。

 特にどちらも真っ直ぐこちらの目を見て話してくる辺り、獪岳は苦手だった。

 だのに、炭治郎は獪岳がどれだけ適当にあしらおうとしてもがんがん話しかけてくるし、妹のほうは自分より小さな体の幸を構いたがりで、頭を撫でたり添い寝してやったりと、何かと側をうろちょろしている。

 そいつはお前より歳上だというのに。

 本当にやめろ竈門兄妹、という獪岳の舌打ちは、やたらと大きく響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

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「それで幸少女の病室を覗いたら、見事に竈門妹がおり、手持ち無沙汰に一人箱作りをするに至ったという訳か!寂しいことだな!」

「……ふん」

 

 蝶屋敷の片隅の地べたに座り、箱を作っていた獪岳の前に現れたのは、眼帯の炎柱、煉獄杏寿郎である。

 幸を運ぶための箱は、無限列車脱線の際にどこかにふっ飛んだらしく、見つからなかったのだ。

 仕方ないので蝶屋敷で余っている木材と釘と紐を適当に貰い、獪岳は一人背負い箱を作っていた。

 手先は器用なほうなので、材料と道具さえあればどうとでもなる。

 鍛練は体が治るまで禁止、刀はなし、入院仲間が互いに嫌い合っている弟弟子とその同期と来ると、獪岳には本当にやることが何もないのだ。

 

 何かしていないと、苛立ちが募って当たり散らしたくなるし、そうなればなったでまたあの不死川玄弥というやつが睨んで来る。

 

 不死川玄弥は、悲鳴嶼の弟子だ。

 目が見えない悲鳴嶼の代わりに、幸からの手紙を読んでいたのも彼で、だから悲鳴嶼と獪岳や幸との間の繋がりも、なんとなく理解しているはずなのだが、前回幸の隣で寝落ちした獪岳を叩き起こしたのも彼である。

 

 幸がとっ散らかった手紙を送ったせいで、玄弥は獪岳と幸が、外見通りに歳の離れた幼馴染みと思っていたらしい。

 獪岳も手紙の中身を見たが、確かにあれでは十七歳が書いたものには見えない。

 多分、伝えたいことがありすぎ、手紙というものを生まれて初めて書いたから、あんなふうになったのだろう。

 それにしたって、ほぼ箇条書きなのはどうした。話も行ったり来たりで、とどめに字が金釘流だ。

 書き方なら聞かれれば教えたのに、もう少し何とかならなかったのか。

 頭はいいくせに、焦るとくだらないどじを踏んでいる。

 

 とはいえ、そんな手紙だろうが、幸が悲鳴嶼に無限列車のことを伝えていたおかげで助かったわけだから、文句は言えない。

 文句は言えないどころか、言うべき本人は今もまだ深い夢の中。傷は徐々に塞がってきているようだが、起きる気配が無い。

 いつまで寝ているのだ。

 

 あれやこれやで、一人黙々と箱弄りをしていた獪岳のところに来たのが、煉獄杏寿郎だったのである。

 

 いや、本当に炎柱は何をしに来た。

 柱なら、うろうろしていないで休んでさっさと任務に行くべきだろう。

 

「柱ならば引退するが」

「はぁ?」

 

 思わず振り向くと、隻眼の煉獄はほろ苦い感じで笑っていた。

 

「幸少女のお陰で生命は拾ったが、見ての通り片目は失ったし、内臓のいくつかの機能が元のようには動かん。柱としての任をこなすのは、不可能と判断した次第だ。今回の柱合会議で、正式に決定した」

「……」

 

 そういえば、師匠である元鳴柱も、鬼との戦いで片脚を失って柱を引退したという。

 鬼の力を借りられても、一度失われたものは戻らないのだ。

 

「……言っときますが、幸の血鬼術は、俺たちが元々持ってる回復力に働きかけて、一時的に再生能力を上げるってだけです。零から一を生み出すもんじゃないですから」

 

 あまり慣れない敬語で、なんとか喋る。

 前回は敬語も何もあったものではない話し方になっていたが、どちらにしても炎柱は気にしたふうもなかった。

 

「鬼の再生力を分け与えて、使っているわけではないのか?」

「そんなことしたら、人間に鬼の血が入っちまうじゃないですか。傷を治すのに使われたのは俺やあんたの生命力で、腹の穴塞ぐほどの分補うってんなら、相当削られてます」 

「君の場合はどうなのだ?重傷だったと聞いているが、大事ないのか?」

「俺は、腹に穴開いたあんたと違って、手足を繋いだだけだからまだマシです。それでも、血が足りてないわ高熱が出るわで、結局死にかけてますが」

「なるほどな!」

 

 要するに、体力や寿命に相当するような生命力が使われているのだ。

 が、あれも使いようである。

 上弦の弐には防がれたが、鬼に対して使うと、再生能力を暴走させて肉塊にもできる。

 ちなみに、相当見た目がえげつないことになるあれを考えついたのは獪岳ではなく、幸である。

 しれっと優しい顔で、幸は考えることがかなり怖いし、気が強いのだ。

 

「で、何の用ですか。こんなこと話すために来たんじゃありませんよね?」

「うむ!そうだった!獪岳少年!君、俺の継子にならないか?」

 

 手が滑って、獪岳は危うく木槌で自分の手をぶっ叩きかけた。

 煉獄の顔を見れば、本気であるというのは見てとれた。

 

「……俺は、雷の呼吸を使うんですが」

「知っているとも!何、呼吸が違っても継子となる例はある!それに、継子というより弟子だな!俺は柱ではなくなるからして!竈門少年にも列車内で声をかけたのだがな!」

 

 また竈門か、と獪岳は槌を再び動かす。

 あいつの、とにかく人を真っ直ぐに見てくる目は嫌いなのだ。

 人間だったころ、獪岳を真っ直ぐに射抜いて圧倒させた、幸の視線を思い出させるから。

 そんなやつと、また一緒になる。

 考えるだけ嫌だった。

 

 それでも、と手の中で形になりつつある箱に目を落とした。

 雷の呼吸、壱ノ型、鬼の頚を一撃で落とす、霹靂一閃。

 ずっと、ずっとあれに拘って来た。できるようになりたかった。

 あれさえできたら、雷の呼吸の継承者は自分一人になるから。

 だが、どれだけ努力しても、腕が上がらなくなるまで刀を振っても、壱ノ型には届かない。

 

 上弦の弐との戦いで、善逸が霹靂一閃で斬り込んで来、上弦の氷を弾き返さなければ、獪岳は死んでいただろう。あの瞬間は、幸も完全に間に合っていなかった。

 

 獪岳は、善逸と霹靂一閃に命を救われたのだ。

 

 黙っていると、背後で煉獄が立ち上がる気配がした。

 

「すぐに答えを出さずともよいが、早い答えを待っているぞ!」

「いやどっちなんですか!」

 

 去って行く煉獄に、思わず手に握った木槌を投げつけなかったのは、柱への最低限の礼儀だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れ前に、箱は外側だけが出来上がった。後は鑢をかけて滑らかにし、漆でも塗れば丈夫になるだろう。

 だが、できたのは空の箱だ。

 持ち上げて肩にかけてみても、この中に入ってがんがん獪岳の背中を蹴ってくるやつはいない。

 

 空っぽ、虚ろ、役に立たないただの容れ物。

 獪岳が叩いてみても、音が反響するだけで何も返ってこない。中に誰も入っていないのだから、当然だ。

 

 急に、丸一日かけてやってきたことが虚しく思えて、獪岳は箱から手を離した。

 乾いた音を立てて、箱は地面に転がる。

 庭にある岩の上に腰かけたまま、獪岳は落ちたはずみで蓋が空いた箱の中に蟠る、小さな闇を見つめた。

 

 ふと、落ち葉を踏みしめる音がして獪岳は顔を上げた。

 

「……テメェか、善逸」

「うん、俺だよ。獪岳。……それ、幸ちゃんの箱?」

 

 木くずだらけの地面に転がる箱を指して、善逸が尋ねる。

 肩を丸めたその姿勢に、獪岳は収まっていた苛立ちがまた募るのを感じた。

 

「何の用だ。もうテメェらとは任務には行かねぇだろ」

 

 師から言い渡されていた『修行』は、善逸と一度任務を共にすること、それだけだ。

 まさか、そのたった一度が上弦との戦いになるとは思ってもみなかった。

 

「わかってるよ。俺が来たのはこっち。これ、爺ちゃんからの手紙。獪岳が寝てる間に届いたんだ」

 

 善逸が懐から取り出したのは、やや皺が寄った手紙だった。

 受け取りはするが、善逸がいる場では読みたくはない。

 しかし、善逸のほうは戻る素振りを見せなかった。

 ただそこに、立っている。

 

「あのさ、獪岳。俺、前にすごく耳が良いって言ったよな」

 

 意を決したように、善逸は口を開いた。

 

「だからさ、幸ちゃんが寝てても、なんとなくだけどあの子が何を思ってるかわかるんだよ。あの子、音が寂しそうだけど、燃えてるみたいなんだ。獪岳、幸ちゃんの側にいてやったほうが、いいんじゃないのか?」

 

 その言葉を聞いて。

 無性に、腹がたった。

 獪岳には、そんなものわからない。

 眠りに落ちた人間の心など理解できないし、こちらの声も聞こえない。

 獪岳が側にいようがいなかろうが、何も変わりはしないからこうしているのに、他にできることなど何もないというのに、側にいてやれ?

 ふざけるな。

 そんな音、自分には聞こえない。

 

「お、俺の言うことが信じられなくて怒るのはいいよ!?だけど、幸ちゃんの音が、何処か変わってきてるのはホントなんだ!」

「うっせェ!俺に命令すんじゃねぇ、カスが!」

 

 地面からすくい取って投げつけた小石から、善逸は顔を手で庇った。

 金に似た、黄色の瞳が腕の隙間から獪岳を捉えた。

 

 同じ色、と言う言葉が頭を掠める。

 

 糸が切れたように、善逸が叫んだ。

 

「俺は命令してるわけじゃないよ!獪岳の意地っ張り!なんっだよ!いつも不満そうな音ばっかさせて!幸ちゃんに心配かけてんじゃねぇよ!阿呆!」

「なんで俺があいつの心配しなきゃならねぇんだ!」

「他に誰がいるってんだ!気づけよ!」

「そんな音、俺にはわかんねぇよ!聞こえるわけねぇよ、眠ってるやつのことなんて!」

 

 どうして、何も知らないお前にはわかって、自分にはわからない。

 

────お前と俺と、何が違うんだ!

 

 幸が眠る顔をただ見ることしかできない中、胸に凝っていた、泥のような苛立ちが爆発しかける寸前で、ひょい、と間に割り込む人影があった。

 

「二人とも、一体全体何をしているんですか。夜に怒鳴り合いなんて、他の患者さんに迷惑です」

「む!」

 

 小柄な少女が二人、そこにいた。

 二人ともほどけた黒髪を背中に流し、黒い羽織を着て、背丈はそれほど違わない。

 否、夜でも映える金色の瞳の少女のほうが、もう一人よりはやや小柄だった。

 くる、と金色の瞳が獪岳の方を向く。

 

「やぁこんばんは、獪岳に善逸君。綺麗な月夜でいいことだけれど、あなたたちは一体、夜に何を叫んでいたんです?」

 

 母屋まで聞こえてしまうよ、と片眉をちょっと上げて見せる小憎らしい顔。

 獪岳は、無言でその額に手刀を振り下ろした。

 

「おっと」

 

 そして当然のように、最小限の動きであっさりと避けられた。

 

「獪岳、遅い。体力、まだ戻ったわけじゃないんだ」

「遅いのはどっちだこの寝坊助野郎!」

「野郎じゃないよ。こっちだって、好きで眠っていたんじゃないのに」

「うっせぇ!テメェいっぺん死んでこい!」

「なんて無茶な。ああでも、それだけ叫べるなら、怪我の具合はいいみたいだね。手足と背中、大丈夫かなぁ?」

「知るかクソがァ!こっの……この、馬鹿幸ィ!!」

 

 それはちょっとひどいんじゃないの、と月下で口を尖らせているのは、紛れもない幸だった。

 

 

 

 

 

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 幸は当たり前のように目覚めて、当たり前のように動き出したそうだ。

 目を開けたとき、隣に禰豆子がいたから、おはようと言って普通に起き上がり、布団を畳んでいたときに、外から獪岳と善逸の怒鳴り声が聞こえたから、出てきたという。

 普通すぎて、目眩がするような行動だった。

 

「よかった!幸さん、もう二十日も寝てたから心配してたんです!」

「バチバチ野郎もお前も、寝坊助過ぎんだよ」

 

 妹を探しに夜の庭にまで出てきた炭治郎と、一緒にいた伊之助は、幸を見るなり元気にそう言った。

 

「それに幸さん、大きくなってますか?」

「はい。起きたら背が伸びていて、言葉もこの通りです。では皆さん、今晩はもう遅いですし、おやすみなさい」

 

 そう言って、三人組と禰豆子にぺこりと頭を下げた幸の言葉は流暢になっていたし、背が伸びていた。

 起きてすぐに動けている辺り、やはりこいつは鬼である。

 人間ならば、そんなふうになれない。目下、獪岳の状態がまさにそれである。

 大体、寝て起きたら身長が一尺以上も伸びたなんて摩訶不思議な話があるか。

 眠る前は七つくらいの小さな子どもだったのが、今は竈門の妹と同じほどの背丈である。

 やや幸のほうが小さいが、そういえば上弦と戦っていたときに短い時間だが、ここまで成長していたような。

 

「お前、十七になってもチビなんだな」

 

 こちらを気にしつつ善逸たちが部屋へ戻ったあとに、すぐ呟くと、獪岳の肩に届くくらいにまで背が伸びた幸は、ぷいとそっぽを向いた。

 

「小さくはなれんのか?」

「なれるよ。箱にちゃんと収まれるくらいにはね」

 

 これ、と獪岳がさっき地面に放り捨てた箱を、幸は両手で嬉しそうに抱えていた。

 ち、と舌打ちが漏れた。

 

「まだできてねぇんだよ。返せ」

「いやだよ。あとは鑢かけくらいじゃないか。こっちでやるから、獪岳は寝たら?人間はもう寝る時間だよ」

「気が向いたらな」

 

 幸は首を傾けた。

 その瞳は縦に割れ、小さいが鋭い牙はまだ、生えている。爪も鋭い。

 あまりに普通に喋るから、人に戻ったのかと一瞬思ったが、そういうわけではなかったのだ。

 獪岳の視線に気づいてか、幸はまた口を開いた。

 

「体と言葉がこうなった理由はわからないよ。でも、あそこまで消耗して戻って来たから、その影響かもしれないね。ほら、死地から戻ると逞しくなると言うから」

「死地、なぁ。三途の川でも見てきたのかよ」

「うん」

 

 至極真面目に、頷かれた。

 どちらから言うとでもなく、縁側に並んで腰掛ける。

 

「あそこが三途の川かは、わからないけど、夢で川の辺りに出たよ。彼岸花が咲いていて、向こう岸に死んだみんながいた」

 

 正面だけを見て、幸は淡々と語った。

 

「ごめんなさいって言いたかった。わたしがいなかったら、上弦の鬼は来なかったのに、わたしが一人で死んでたら、お香も消えなかったのにって」

 

 温度がない声が、夜の闇を伝って身のうちに染み込んでいくようだった。

 

「だけどみんな、何か言う前に消えてしまったよ。顔もよく見えなかった。よく見えないのに、それでもあの子たちだってわかったんだ」

「……幻覚じゃねぇのか」

「そうかもしれないね。死んだ人たちが、そんなふうに、会いたいときに都合よく現れたりはしないからね」

 

 ねぇ、獪岳、と幸ははっきり名を呼んだ。

 舌足らずだが耳慣れていた、かいがくという言い方では、なかった。

 

「わたし、あの鬼を殺すよ」

 

 熱はないのに、触れれば切られそうなほどの何かが、短い言葉に籠もっていた。

 

「あの鬼は、絶対に殺す。意味なんてなくても、ただ殺すために殺してやりたいと思ったから」

「……復讐でも、するつもりかよ?」

 

 問い返した自分の声がいつも通りのものであるか、獪岳には自信がなかった。

 幸は、薄く笑ったようだった。

 

「復讐は、受けた痛みを相手に返すことだよ。あの日、苦痛と恐怖の中で死んだのは、あの子たちだけ。わたしに死んだあの子たちの言葉は聞こえないから、その痛みはわからない」

 

 だから。

 

「わたしが行うのは、ただの暴力だ」

 

 とん、と言葉が胸に突き刺さった。

 

「死は、鬼への救いになると思っていた。でも、今は、あいつがこの世に、生きていることが許せない。必ず無意味に、無価値に、塵のように殺してやる。あいつがあの子たちにしたように、その生命を踏み躙ってやる」

 

 そこに、意味などない。

 死者は死者で、生者は生者。

 死者は応えず、彼らの受けた痛みが、この世で和らぐことは決してない。

 それでも。

 

「生命を踏み躙ることで地獄行きになるというなら、それでいい。わたしがすると決めたから、する。それだけ」

 

 獪岳はそっと幸の顔を見る。

 嵌め込まれたような金色の瞳が、奥で炎を燃やしてそこに存在していた。

 月のようで綺麗な目で、だから一つを抉って持ち帰った、と宣ったあの鬼の戯言が頭を掠める。

 

 何が月だ。どうしようもない節穴野郎。

 こんなものが、高い夜空でただ光るお綺麗なものであるわけがない。

 ここにあるのは、双つの炎だ。

 憎悪を火種に燃え上がり、狙いを定めて自らの敵を焼き尽くそうとしている、黄金色の炎。

 あの上弦は、その炎を灯したのだ。

 地獄の業火というのがもしあったとしても、これより美しいものであるとは、思えなかった。

 そう考えて、獪岳は気づいた。

 

 自分は今、この猛る炎の瞳を、美しいと思ったのだと。

 

 それと同時に、思うのだ。

 こいつは、やっぱり、馬鹿なやつだと。

 確かに、幸が自分の生にしがみつかずさっさと死んでいたなら、上弦の弐は彼女を鬼に変えたりもせず、寺の香を消さなかっただろう。

 幸が一人ぼっちで死んでいたら、寺は襲われなかったかもしれない。

 一人分の喪失を抱えていようが、あいつらだって今も生きていたかもしれない。

 獪岳や悲鳴嶼が、刀を取ることもなかったかもしれない。

 すべては可能性の話で、あり得たかもしれない未来の話だ。

 

 だから幸は、多分自分を責めている。

 自分で自覚するより、もっとずっと、深く。

 同時に、そんなことをしても何も変わらないことも、理解している。

 時間の流れは戻せず、生命は決して回帰しないのだと。

 

 殺したいからただ殺すというのは、そうする以外に、自分の心を何処にも持っていけないからで、その不毛さを自分でもわかっているからこその言葉だろう。

 有難いみ仏さまの慈悲の心でも何でもない、ただ殺したいという衝動に目覚め、突き動かされている自分を、地獄に落ちても構わない人間なのだと、定めてしまっているのだ。

 

 塵のように殺すと言っているくせに、あんなやつでも、一つの生命を持つ者だと心の何処かで尊重している。

 

 獪岳は、上弦の弐が自分たちと同じ生命を持っているとは思えない。

 とっとと死ね、以外に言葉もない。

 幸が、何故自分を責めるかもわからない。

 

 生きてさえいれば勝ちなのだ。

 

 生きたいから生きるために行動して、何が悪かったのだ。

 死んだあいつらは確かに気の毒だが、幸だって死にたくなかっただけだろう。

 手足を千切られ、腹を裂かれ、生きたまま喰われた人間が、痛くなかったはずはないのに。

 誰がそれを責められる。

 誰がその痛みを拾い上げ、癒やしてくれた。

 

 寺に上弦が来たのだって、別に幸が何かをしたわけでもない。こいつをたまたま産んだ親が、屑の臆病者であっただけだ。

 そして何よりも、あの夜寺の外に出た獪岳を責める言葉が、一つも出ない。

 獪岳のせいじゃない、といつかに言っていたあの言葉は、本心なのだろう。

 

 幸は、復讐鬼には決してなれないような人間だ。あまりにまともすぎる、人間なのだ。

 だのに、自分は憎しみと怒りで燃えているその瞳を、事もあろうに美しいと思った。優しくてまともな人間ならば、憎悪の炎を収めなければならないと、諭すべきだろうに。

 

 そして、その瞳の炎が燃やしつくそうとしているのは、炎の矛先が向いているのは、上弦の弐であって獪岳ではない。

 

 水底から泡が浮かび上がって弾けるように、あの鬼への殺意が湧いたのはそのときだ。

 

「……無理だろ、お前には」

 

 せせら笑うように言うと、幸が獪岳の方を向いた。

 炎は既に鳴りを潜めていたが、それでも熾火のような熱が、ちらちらと奥に瞬いていた。

 

「俺たちなんて、簡単にあしらわれたじゃねぇか。お前一人が突っ走ったって、どうせ殺されて喰われるのがオチだろ」

「それは───」

「だから、俺も連れてけ」

 

 金色が、満月のように丸くなった。

 大きな瞳の中に、自分の翠色が映り込んでいるのが見えて、暗い満足感を覚えた。

 少なくとも今だけは、この瞳は獪岳しか映していない。他の誰をも映すことなく、獪岳だけを見ている。

 

「お前は、自分が地獄行きになっても、あの鬼を殺したいんだろ。俺もやるって言ってんだよ」

「……誰のためにもならない、わたしがしたいからする、殺害行為だとしても?」

「何忘れてんだボケ。俺だってあいつに恨みがあって、死んでほしいのは同じだ」

 

 それは嘘ではないが、混じりけない真実とも言えなかった。

 死んだ人間を想って怒り、殺意を覚えたのではない。

 獪岳は、単にあの美しい双つの炎を向けられている鬼が、自分の邪魔で目障りだから、殺したいのだ。

 金色の美しいものを、横取りされたようで腹が立つのだ。

 その瞳が自分のものであったことなど、ただの一度もないくせに。

 

 幸は、黙っている。

 じれったくなって、獪岳はその目の前に手を突き出した。

 

「やるかやらねぇのか、はっきりしろ。二人でやるんなら、俺の手を掴め」

 

 思えば、幸から手を伸ばされたことはあっても、獪岳から手を差し出したのは初めてかもしれなかった。

  

 ややあって、幸はその手を掴んだ。

 爪が鋭く伸びて青白い、鬼の手だった。

 

 家に帰ろうよ、と十年前に暗い山の中で伸ばされた手があった。

 その手が繋がれることはなく、獪岳の今の手は、あのころと似ても似つかぬ刀を握り続けて硬くなったもので、幸の手は人のものではなく、鬼のそれになってしまった。

 

 鬼さえいなければ、という言葉の虚しさと哀しさを、獪岳はそのとき初めて身に沁みて理解したように思った。

 

 鬼さえいなければ、こうはならなかった。

 不貞腐れながら、喧嘩しながら、手を繋いで夜道を帰って、お人好しな坊さんに叱られて、ただいまを言って、あいつらに笑われて、貧しくとも穏やかに暮らしていた。

 静かな月のような優しい瞳が、人を魅せる業火を湛えることもなかった。

 二度と戻ることがない遠い日のまぼろしが、繋いだ手の微かなあたたかさを通じて、束の間流れ込んでくる気がした。

 

「獪岳、もういいよ」

 

 幸が、そっと手を放す。

 不思議なものでも見るように細められた瞳は、もういつもの通りだった。

 静かな夜に、虫の音と風の音だけが聞こえる。

 

「こんばんは」

 

 その静寂を破って背後から聞こえた声に、獪岳は、本当に心臓が口から飛び出すかと思った。

 蝶の翅を模したような羽織をふわりと纏い、にこやかな笑顔で暗い廊下に立っているのは、蟲柱・胡蝶しのぶだった。

 

「やはり、蟲柱さまでしたか。いつ現れるのかなと思っていました」

「はい。盗み聞きするつもりはなかったんですが、熱心にお話しているから、いつ話しかけようかと」

 

 獪岳と逆に、幸は平気な顔をしていた。

 気配を察知していながら、黙っていたということらしい。

 

「獪岳くんは、もう少し周りに気を張っていたほうがいいですよ。幸さんは、私がここに来たときに、もう気づいていましたから」

「……はい」

 

 いつから気づいてたんだ、と小声で聞くと、獪岳が俺も連れてけと言った少し前辺りからもういたよ、と返ってくる。

 いやふざけるな馬鹿。

 いるならいると言え。

 

「獪岳が、剣士なのに鈍いのが悪い」

「そうですねぇ。獪岳くん、機能回復訓練に、気配察知も追加しておきますよ」

「ぜひお願いします」

 

 呆れ顔と笑顔を同時に向けられ、獪岳は遠い目になる。

 なんで幸は、蟲柱と妙に馴染んでいるのだろうか。

 蟲柱との初対面は、那田蜘蛛山で首に刀を突きつけられた状態、という凄まじいものであったのだが。

 

「で、何しに来たんですか?」

「まあ、構えなくてもいいじゃありませんか。任務から戻ったら、あなたたちの話が聞こえてきて」

 

 獪岳くん、幸さん、と蟲柱はにっこりと笑った。笑顔であるのに、何かが怖い。

 

「あなたたちの仇である上弦の弐は、私にとっても仇です。私の姉、花柱だった胡蝶カナエを殺した相手ですから」

 

 柱合会議での殺気は、そういうことかと獪岳は納得した。

 胡蝶しのぶは、微笑んでいる。微笑んだまま、幸の隣に音もなく腰を下ろした。

 

「ですから、協力しませんか?幸さんに、手伝って貰いたいことがあって」

「わたしに?」

「ええ。あなたの、毒の浄化を行う血鬼術、うまく使えないかと思って。傷を治す血鬼術であっても、あなたは武器として扱えるのですよね」

 

 蟲柱は剣士というよりも、毒使いだという話を聞いたことがある。

 何のつもりかは知らないが、蟲柱からは幸と同じ炎のような気配がした。

 幸が瞳の中に怒りの焔を宿していたように、この女は笑顔の下に怒りを溜め込んでいる。そんなふうに感じた。

 

 どちらにしてもこの二人、怒りという感情を通してならば、相性が良さそうである。ちょうど、体格も同じ程であるし。

 

「どうですか?あなたたちは、あの鬼を殺したい。私は姉さんの仇を取りたい。求めるところは、同じだと思いますが」

「……それはそうです。が、わたしは鬼ですよ。蟲柱さま」

「構いません。無限列車で生命をかけて乗客を守って戦い、煉獄さんを治したあなたは、鬼であっても鬼殺隊ですから。少なくとも私は、あなたをそうと認めました」

 

 だから、と蟲柱は微笑み、幸は頷いた。

 獪岳のときは迷う素振りがあったのに、今度はそのときより迷いがない。返答が速い。

 なんだか面白くなくて、獪岳は横を向いて頬杖をついた。

 その耳に、蟲柱の涼しい声が届く。

 

「それから獪岳くんに幸さん、不死川玄弥くんから伝言です。明日の夕方、悲鳴嶼さんが蝶屋敷を訪れるとのことです。会いたいのでしょう?」

 

 手配しますよ、という蟲柱の言葉に、幸が嬉しそうに頷いているのが見えた。

 

 悲鳴嶼の名前を聞いたときに幸の顔に浮かんだ笑顔の穏やかさを見て、つ、と胸の奥を、自分でも正体のわからない痛みが掠めたのだった。

 

 

 

 

 




【コソコソ裏話】

 幸の両親は、無限列車での戦いが起きた時点では健在です。

 彼らは教祖様の言うことを聞いて生きており、それなりに幸せでした。

 足がつく可能性を考えた教祖様により、こののちにすぐ殺害されますが、最期まで一人娘を思い出すことも、自分たちが何故殺されるかを理解することも、ありませんでした。
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