pixivに上げている話はここまでです。
つまり、ここから不定期更新です。
よろしくお願いします。
では。
一話
上弦の参と戦った際の怪我が元で引退した炎柱、煉獄杏寿郎が獪岳を弟子にしたのは、目つきが理由であったらしい。
何でも、見舞いに行ったときに、手助けがあれど上弦の弐を凌ぐという快挙を成した隊士が、とんでもなく荒んだ目をしていたからどうにかせねばと思ったとかなんとか。
目つきの悪さもたまには役に立つんだねぇ、とは獪岳の幼馴染みの弁である。やかましい。
その戦いの前に、獪岳は人を喰わない鬼となった幼馴染みを庇っていたため、同じく人を喰わない鬼である妹を庇っていた隊士、竈門炭治郎と共に柱たちによる裁判にかけられていた。
煉獄杏寿郎は、その中で全員の死刑を求めていた柱だったのだ。
裁判は、お館様の鶴の一声で鬼殺隊として戦い続ける限り無罪放免となったが、獪岳と煉獄杏寿郎の間の繋がりといえば、そんな程度しかなかったのである。
それがどう転んだか、今では剣の師匠であるのだから、人生何があるのかわかったものではない。
ちなみに、最初の先生・桑島慈悟郎とは区別する意味で獪岳は煉獄杏寿郎を師匠と呼んでいる。
「今日はここまで!」
「ありが……とう、ごさい……ました…」
獪岳は、そんなわけだから今日も煉獄家の庭で、見事に地面に倒れた襤褸雑巾になっていた。
元炎柱にして、獪岳の現師匠の煉獄杏寿郎、兎にも角にも鍛練が厳しいのである。
無限打ち込みや走り込みなど序の口とばかりにどかどか鍛練を続けるから、任務帰りの獪岳は毎度息も絶え絶えになる。
が、鬼が任務帰りだからと遠慮してくれるわけもないだろう、というのは当たり前だし、前回もまさにそのような状態で上弦と戦闘になったから、理に適っているとは思う。
元々、獪岳は努力するのは苦ではない質だし、自分を大切にしてくれる相手ならば敬意も払う。
できないならば、できるようになるまでやるのは当たり前だ。他に何がある。
それをできずにびぃびぃ泣いている人間を見ればいらつくし、罵倒もするし殴る。
弟弟子との、さっぱり解消される気配がない確執の原因もそれが原因の一つである。
要するに、性格に難はあれど真面目にひたむきに努力して鍛練を正面からすべてこなそうとする獪岳は、これまた真面目に鍛練で以て弟子を鍛えようとする師匠と噛み合ってしまうのだ。
だからほぼ毎回、足元が覚束なくなるほどの限界まで鍛練が続いてしまう。
「うむ!立てるか?立てないならば幸少女を呼んでくるが……」
「立ちます!立ちますからあいつなんていりません!」
とはいえ、その一言を言われると、くらげ足だろうが木刀を杖にしようが何だろうが、意地でも獪岳は自力で立つ。
幼馴染みの幸を呼ぶというのは、彼女に担がれて蝶屋敷まで帰るということだ。
一つ歳下で、見た目は華奢で小柄な少女に持ち上げられて運ばれるなど、屈辱以外の何ものでもない。
あちらが鬼で、腕力が大の男よりよっぽどあるとか、何なら獪岳より力があるとか、そういう事実はどうでもいい。面子の問題だ。
「幸少女の名を出すと、毎度君は立ち上がるな!それほど嫌か!」
「当たり前でしょうが!」
「今は日が出ているから、来られるはずがないのだがな!」
「……」
はっとして、思わず空を見た。
雲ひとつない快晴の空を、鴉が八の字を描いて飛んでいる。
カァ、という泣き声が虚しく響いた。
ぴし、と獪岳の額に青筋が立つ。
にかり、と隻眼の師匠は快活に笑った。
「立てるならばよい!もう一本打ち込みだ!やれるか!」
「やりますよ!やりゃあいいんでしょうがぁ!」
煉獄家に、やけくそのような叫びが鳴り響く。
獪岳って、自分で思うより乗せられやすい性格してますよねぇ、とはその後本格的な襤褸布と化した獪岳を回収しに来た、幼馴染みこと幸の一言だった。
「何度見ても凄い。見た目は派手にぼろぼろで疲れきってても、一晩寝て起きたら任務に支障が出ないくらいには回復するって。煉獄さんの打ち方が上手いのか、獪岳の打たれ方と呼吸が上手いのか、どっち?」
「どっちでもいいだろが」
隣を歩く、三つ編みにした髪に翡翠色の蝶の飾りをつけた幼馴染みの少女、幸に、獪岳は渋面で返した。
煉獄邸に、幸がひょこりと顔を出した途端、獪岳は呼吸を使って全身を無理やり動かして根性だけで立った。
これで動けないと、幸に米俵よろしく担がれて帰ることになる。
完全な善意でぼこぼこに鍛えてくるわっしょい師匠はともかく、獪岳の性格を知っていて顔を出しに来る幸は、単に性格が悪い。
獪岳が、地面に這いつくばっているときを見計らったように現れるこいつは鬼か。
鬼だった。
今日もよくやった、と大声で見送ってくれる師匠に礼をして、獪岳は幸と蝶屋敷への道を歩いていた。
それにしても、怪我が元で柱をやめたというのに何故師匠はあんなに元気なのだろう。傷に遠慮しようとすれば、遠慮などできないほどふっ飛ばされて終わる。
まぁ、柱を辞めたのであって剣士を辞めたわけではないというのだから、そんなものかもしれないが。
獪岳たちが上弦の弐と戦って死にかけてから、凡そ四ヶ月が経過した。
それまでは、どこにも留まらないで任務に明け暮れていたのだが、鬼の幸を隠す必要もなくなった最近は、蝶屋敷から任務先へ赴くことが増えた。
尤も獪岳は、弟子として煉獄邸で扱かれているか、任務に赴いている時間が長い。蝶屋敷には、寝るためにだけ帰っているような状態である。
幸のほうは、任務が無い日は太陽が出ている間は箱の中で眠り続け、日が落ちると出てきて蝶屋敷の手伝いや蟲柱の手伝いをしている。
あまり、人前には出ないようにはしているらしい。
「蝶屋敷は、怪我人が多いからね。鬼の気配がしてると落ち着けない隊士の人もいるから」
「まァ、そうだろうな」
と幸はあっけらかんと言うが、それだけでは済まない話も起きている。
半月ほど前、獪岳がいないときに、鉢合わせした隊士によって、幸は本性を見せろと斬りつけられてしまったそうだ。
幸は獪岳にそのことを言っていないが、獪岳は蝶屋敷の看護婦の少女たちから、その話を聞かされていた。
斬りつけた件の隊士は、過去、鬼になった身内に襲われたところを、鬼殺隊に助けられた者だったという。当然、鬼になった家族はその場で斬られて死んだ。
あの人は鬼となって理性を無くしたのに、何故お前は平気だったんだ、何故お前は『例外』でいられたんだ、という思いが抑えきれなくなったが故の行動だったそうだ。
理由が理由だけに、公には語れず、処罰も表立ってできない話だ。
鬼となれば、人と見れば区別なく喰らってしまう。家族、友人、恋人の繋がりなど、意味もなく。
人を喰うことなく、鬼殺隊の一員として戦っている竈門の妹の禰豆子や幸のほうが、異端なのだ。
鬼殺隊として人を守るならば良し、と豪快に笑って受け入れた煉獄杏寿郎や、毒作りのために協力してください、と手を差し出してきた胡蝶しのぶなどの柱たちもいるが、割り切れない者もいただろう。
鬼に堕ちれば、どれだけ穏やかな人間であっても、人を喰う化け物となる。
『悪鬼』となって、変わってしまう。
例外なくそうなるのだから仕方が無い、自分の大切なあの人が悪だったわけではない、と思うことで心を慰めていた者には、鬼となっても人間と変わりなく振る舞うことのできる存在は、見たくもないものだったらしい。
そんなもの、獪岳からするとくだらない八つ当たりだ。
理性が残る者は残り、残らない者は残らなかった。
同じ時に同じ病にかかっても、死ぬ者と生き残る者はいるだろう。
それだけのことに、八つ当たりの逆恨みで日輪刀を振り翳すなど、馬鹿らしいと思った。
幸は初め無抵抗だったそうだ。
数箇所は斬られるに任せていたが、頚を狙われるや否や、すれ違いざまに日輪刀を鞘ごと奪い、
「蝶屋敷での抜刀及び私闘は、禁止です」
と、鞘に戻した日輪刀を突き返し、自分の血で汚れた着物のまま、隊士をその場に残して歩いていったという。
刀を突き返されたほうは、自分が斬りつけた鬼に常識を説かれたことに呆然自失したまま、任務へ赴いて行ったそうだ。
それでも幸は鬼だから、傷などすぐに塞がる。
たまたま騒ぎを目撃した看護婦の少女が言いに来なかったら、獪岳も気づくことはなかっただろう。
などという結構な重大事件を、幸は獪岳に言ってこない。禰豆子を連れている炭治郎には、警告も兼ねてこっそり伝えたそうだが。
信用していないとか、心配をかけたくないとかそういう理由でなく、多分獪岳に言うほどでないと判断しただけだろう。
前と変わったことと言えば、箱の中に引きこもる時間が伸びた程度で、今日も今日とて日が落ちてからは、元気に獪岳を迎えに来ているくらいだ。
それはどうでもいいか、と獪岳は口を開いた。
「そういや、師匠ンとこの弟がお前に礼を言ってたぞ。兄上を助けてくれてありがとうございますってな。千寿郎って名前のチビだ」
「千寿郎君……ああ、炭治郎君が前言ってた子か。ヒノカミ神楽を解明するために、破けちゃった歴代炎柱の書を修復してるって言う」
煉獄千寿郎は、煉獄杏寿郎の弟だ。
代々炎柱を排出してきた煉獄家に生まれながら、彼は剣士の才能に恵まれなかったそうだ。
一通り剣術を習いはしたが、千寿郎は日輪刀の色が変わらなかった。それでは鬼殺隊の剣士にはなれない。
剣士となる以外の方法で、人の役に立つことをする、と言っていたがそのために歴代炎柱の書とやらを解読することにしたらしい。
何故獪岳がそこまで知っているかといえば、兄上の弟子なのですよね、と鍛練の合間に話しかけられ、そのまま何となく会話を続けたからだ。
獪岳から見た千寿郎は、行儀がいいが気弱そうなチビという認識である。
煉獄杏寿郎が柱を引退し、千寿郎は剣士になれない。
故に、煉獄家が繋いできた炎柱の継承は断たれてしまう。
それを千寿郎は苦にしていたから、無限列車で兄の致命傷を治した鬼を連れており、兄の弟子となった獪岳と話をしてみたかったらしい。
剣士になれる者もいればなれない者もいるだろう、程度にしか獪岳は思わなかったのだが、師匠の弟となれば適当に聞き飛ばすわけにも行かず、結局ずるずると話を聞いていたら、千寿郎と仲良くしてくれたのだな!と杏寿郎に言われたりもした。
そこまで話して、獪岳は引っかかりを覚えた。
「おい。歴代炎柱の書ってのは、貴重なものなんだろ?修復がいるほどぼろくなってんのか」
あの師匠やその弟が、先祖から継いできた大事なものを雑に扱ったりしないと思うのだが。
そう言うと、幸は肩をすくめた。
「どうやら、父君の槇寿郎さんが破いてしまったらしいよ」
「あの酒浸りの親父かよ」
そっちなら納得だ、と獪岳は顔をしかめた。
煉獄兄弟の父で元柱の煉獄槇寿郎は、兎に角飲んだくれている。昼間から酒を食らっており、何をしているやらわからない状態だ。
世間の人並みな父親というものを見たことしかない獪岳からしても、槇寿郎は異質に見えた。
別に元鳴柱の先生のように、足を鬼に喰われたわけでもないだろう。一見五体満足なのに何故柱をやめたのかと、訝しく思った程度だ。
杏寿郎を、才能がないのに柱になどなるからだ、と罵倒している場面に出くわしたこともある。
親子揃ってどちらも柱になっているだろうに、上弦の参を単身で凌ぎ、乗客二百人を守り切った息子を捕まえて才能ないとか頭が湧いてるのか、と雷の呼吸・壱ノ型だけがどう足掻いてもできない身としては、むかついた。
むかつきはしたが、普通にやり過ごそうとしたのだ。関わると面倒だから。
というか、親子関係のあれこれなど獪岳には手に負えない。
止めると言っても、相手は師匠と師匠の実の父親である。どうしろと。
が、獪岳を見つけた槇寿郎はこちらにも絡んで来た。
お前も才能などないくせに戦っても無駄に死ぬだけだ、と。そもそもお前は雷の呼吸の基本、壱ノ型すらできない半端者だろう、と。
どこで誰から聞いたのやら、槇寿郎は獪岳のことも知っていたのである。
元柱に指南を受けながら、雷の呼吸の基本・壱ノ型だけができずに他ができるということもすべて、だ。
そしてその発言は、獪岳にとっては逆鱗だった。
うるせェくそ爺、と気づいたら叫んでいた。
一度叫ぶと堰が切れたようになり、ついでに手も出て止められなくなった。
「殺したいやつがいて欲しいもんがあるから刀振ってんだ!俺の邪魔すんじゃねェ!」
「才能がないなら死ぬだけだ、だと?とっくに死にかけてんだよこっちはなぁ!」
と、上弦の弐に斬られた傷跡がくっきりと残る顔を歪ませ、そんな調子で吼えた。
それまで、表面は一応礼儀正しく取り繕っていた息子の弟子の素での口汚さに、槇寿郎は呆気にとられており、獪岳はその表情を見て我に返った。
仮にも師匠の実の親に向かって何を言った、と珍しく後悔もした。杏寿郎は父親を尊敬しているのだ。
その尊敬されている父親を、獪岳は目の前で罵倒してしまったのである。
結果、申し訳程度に頭を下げて、煉獄家から飛び出した。頭が真っ白になっており、それ以上のやり方が思いつかなかったのだ。
「結局、煉獄さんは何も言わなかったよね。顔色真っ青な獪岳は、見ていて面白かったけど」
「なんも面白くねぇんだよ。こっちは破門されるかと思ったんだからな」
本当に、本気でそれも覚悟したが、煉獄杏寿郎は、翌日行っても何ら変わりなく獪岳を扱いた。怒られないならば掘り返したくもないし、獪岳からは何も聞いていない。
槇寿郎がどう思ったかも知らない。あれ以来、顔を合わせていないからだ。
「煉獄さんの家みたいな立派なおうちでも、親子で仲違いするんだねぇ。知らなかったなぁ」
「お前みたいな無駄な物知りでも知らねぇことはあんだろ」
「無駄言うな」
幸は、形の良い細い眉をきゅっとしかめた。
「あの親子なら、生きてりゃどうにでもなるだろ。俺は、俺が巻き込まれなけりゃなんだっていい」
「あー、うん。わたしもあなたも、親はよくわからないからね。仕方ないや」
獪岳も幸もみなし子である。
幸は自分を捨てた実の親の顔を覚えているが、獪岳は覚えていない。それくらいの違いしかない。
生きているか死んでいるかすら知らないし、今更どうでもいい。育ての親だった坊さんはいるが、また違う。
二人とも、親と子に関してはあやふやな想像力しか持てないのだ。
「そういや、お前の両親は見つかったのか?上弦の弐を教祖様って呼んでたあいつら」
「隠の人たちに教えてもらったけど、とっくに行方不明だった。探したけど見つからなかったって。まるで誰かが消したみたいに」
淡々とした幸の声には、なんの感情も乗っていない。
まあそんなものか、と獪岳は頬をかいた。上弦の弐ともなれば、百年以上柱を含めた鬼殺隊を殺してきた化け物だ。そう簡単に尻尾など掴ませないだろう。
が、幸は、その上弦の弐を殺したい。
昔暮らしていた寺の子どもらの仇で、自分を鬼に変えた弐を苛烈に憎み、復讐心を燃やしている。自分が地獄に落ちようが構わないから、あれを殺すと決めている。
というのに表面上、穏やかで朗らかな物腰が崩れないのが怖いところだ。
幸と同じ寺に住んでいた獪岳もあれを殺したいが、理由は異なる。単に自分の邪魔だから、殺したいのだ。
「ん。んー?」
と、歩いていた幸の脚が止まる。
蝶屋敷の門の前、開いた門から漏れている光の中に、見覚えのある黄色頭と獪岳のものとよく似た色違いの黄色羽織、それに猪頭と箱を背負った剣士が見えたのだ。
「……」
「あ、こら」
即座に踵を返そうとした獪岳の黒い羽織を、幸が掴んだ。
「離せ。あいつらと鉢合わせするじゃねぇか」
「なんで善逸君たちを見ただけで毎度離れる。面倒だ。というか、この距離ならどうせ、においと音でばれてるよ」
「面倒なのはあいつら……おまっ!引っ張んな!」
鍛練上がりで、立って歩いて喚くのがやっとの獪岳は、簡単に幸に引きずられてしまう。
「こんばんは。これから任務ですか?」
「はい!こんばんは。獪岳さん、幸さん」
何だかんだと腐れ縁のように話しかけてくる後輩にあたる隊士、竈門炭治郎は、こちらを見るとぱっと、顔を明るくした。
こいつもこいつで、鬼となった妹をずっと連れ歩き、共に戦っている。妹は今は、背負った箱の中に収まっているのだろう。
獪岳も、よく似たような箱に幸を入れて任務先に赴くが、今はその箱は幸が自分で背負っている。
幸は、その鬼になった竈門の妹、禰豆子と仲がいい。
任務が無い夜、時々外へ一緒に行って、花冠を作ったり鞠付きをしたり、そんなふうに遊んでいるのだ。
禰豆子と遊んでくれてありがとうございました!と蝶屋敷中に響き渡るでかい声で炭治郎に礼を言われて、獪岳は初めてそれを知った。
呆気にとられた獪岳を他所に、わたしも楽しかったからありがとうございました、とけろっとした顔で幸は言ってのけていた。
妹の友達の相方であるからと、竈門炭治郎は獪岳にもよく話しかけてくるし、そうなると必然炭治郎と行動を共にしがちな、我妻善逸とも出くわしやすくなるのだ。
それが、嫌なのだ。
善逸は同門の弟弟子だが、仲が良いどころの話ではない。獪岳は善逸が嫌いを通り越して目障りだし、善逸も獪岳は嫌いだろう。
今も、てんで視線を合わせようとしない。
第一疲れているときに、嫌な相手の顔など見たくもない。
「幸。行くぞ」
「あ!……ではまた。みなさん、気をつけていってらっしゃい!」
ぴょん、と兎のように勢いのいい礼をして、幸は獪岳の後についてきた。
「お前なぁ、毎度あいつらに絡むのやめろよ。俺まで巻き込まれるだろ」
「嫌だ。少しは巻き込まれて。獪岳、煉獄さんやわたし以外とろくに喋らないじゃないか。そんなふうだと、誰かと連携して戦えないよ。上弦のときだって、善逸君と禰豆子ちゃんがいないと、死んでたよ」
獪岳の後をついて来ながら、幸は軽い調子で言った。
「うるせぇなぁ。なんで俺が、あのカスと仲良くならなきゃなんねぇんだよ」
「善逸君は仲良くなりたそうだけど。揃いの羽織り、喜んでたよ」
くいくいと、獪岳の羽織りの裾を幸は引っ張った。
隊服の上から獪岳が着ているのは、黒地に白い三角形が散っている羽織りである。
善逸と色違いの同じ意匠のそれは、雷の呼吸を教えてくれた先生、桑島慈悟郎から贈られたものだった。
正確に言うと、二着目である。
一着目を、獪岳は捨てていた。
善逸と同じ柄のものを贈られたことを、屈辱のように感じたからだ。
炎の呼吸を習うことを許してほしい、と師匠に手紙を出したあと、許す代わりにこれを着ろ、今度は捨てるな、と鎹鴉に括り付けられて送られてきたのが、二着目の羽織だったのである。
捨てたことも見抜かれていたか、と何か負けたような気になったものだ。
思いがけぬ荷物を運ぶはめになった鎹鴉は幸の膝の上で労われつつ、これだけ自分が苦労したのだから捨てるのは許さん、とじと目で睨んで来たし、そんな大事なものを捨てたら駄目じゃないか、と幸は幸で夢に出そうな虚無の目でじぃ、と見つめて来た。
鴉と少女の物言わぬが凄まじい視線に根負けする形で、獪岳は羽織りを着ている。
羽織りを着た獪岳を初めて見た善逸は、なんというか、変な顔をした後、奇声を上げてどこかへ行った。
友情の右手を差し伸べてこちらに歩いて来た猟犬と目が合って気が動転した野兎、と幸はよくわからない例えをしたが、妙にしっくり来てしまったのが癪だった。
「これお前らが無理に着せたようなもんだろうが。大体、あいつの間抜け面見ただろ。逃げたじゃねぇか」
「あのときは、獪岳の音が凄まじく不機嫌なことに仰天したのと、同じ羽織り着てることへの嬉しさが正面衝突しただけだって」
門をくぐって母屋へと歩き、廊下へ上がる。
夜遅いせいか、蝶屋敷はしんと静まり返っていた。
善逸が言う、その『音』というのが獪岳にはわからない。だのに弟弟子は、自分にはわからないことで一喜一憂するのだ。
しかも、幸や鎹鴉はそこらを普通に受け入れている。自分だけ取り残されたようで、なんとも気に食わない。
「だからとにかく、人間の仲間が少ないよ、獪岳には。確かに前は、わたしがいたから共闘できなかったときはあっただろうけど、今は違うだろう?」
「……疲れた、寝る」
廊下と部屋を隔てる障子を、獪岳は幸の鼻先で閉めた。閉める直前、幸の困ったような顔が見えた。
障子を閉じればどこかに行くかと思いきや、幸の影は立ち去らなかった。かと言って、障子を押し開けてくることもないまま、立ち竦んでいる。
「……あのね、獪岳。わたしが幾つになったか覚えてる?」
しばしの沈黙のあと、障子の向こうの黒い影から告げられたのは、静かな声だった。
獪岳は無言を続けた。
そんなことは知っている。何故今言うのかが、わからなかった。
「十七歳、だよ。鬼になった七つのときから、もう十年も経った。わかってる?わたしが人間だった時間より、鬼になってからの時間のほうが、とっくの昔に長くなったことを」
─────ねぇ、獪岳。
「わたしがいつまでも、このままこうやって人間らしくいられるかは、わからないんだよ」
明日も明後日も、漠然と『このまま』が続く保証など何処にもない。
壊れるときは、一瞬だ。
鬼として生きる時間が伸びれば伸びるだけ、人間の身体であったころの感覚は薄れていく。人であったころの記憶は何一つ擦り切れずとも、何かが消えて行く。
自分がかつて、心臓が潰れても、胴が両断されても、簡単に死ぬような脆い生き物に生まれついたという実感が欠けてゆく。
ぼろぼろと、乾いた泥の塊が日に当てられたときのように。
崩れ切ってしまえば、後には何が残るのか。
残ったものをかき集めて、それでも尚今と変わらずに人々と在れるのか。
わからないのだ。
『例外』が生きるというのは、そういうことだから。
「だから、鬼のわたしにばかり頼りかかるのは、やめて。あなたは、人間だから」
冷たいほど静かな声に、堪りかねて障子を勢いよく開けると、誰の姿もない。
ぽつんと、縁側の上に木箱がひとつ置かれていた。中は空だ。
「幸!」
呼んでみても、獪岳の声だけが虚しく夜のしじまへと消えていくだけだった。
【新章用、ざっくり人物解説】
獪岳
主人公。
色々あって、現在は引退した元炎柱・煉獄杏寿郎の弟子。
特に特異体質とかそういうのはない。耳や鼻で鬼と人の区別がつくなんて何だそれは。
相変わらず霹靂一閃は使えない。そろそろ呼吸を混ぜだす。
顔を横一文字に走る傷痕、首の勾玉飾り、黒地に白い三角形が散った模様の羽織りが特徴。
寺で盗みをせず、従って追い出されもせず、鬼を招きもしていないが、作りかけだった幸せの箱は、作る手助けをしていた少女諸共一度叩き壊された。
現在、ばらばらになった箱を組み立て中。
自分が少女に向けている感情が何かは知らず解らず。
今日も今日とて、その少女と共に鬼殺を続ける鬼殺隊隊員。
上弦の弐を殺したい。
幸
獪岳の幼馴染みの少女。鬼。
金色の瞳と、三つ編みにした髪につけた胡蝶の飾りが特徴。
完全記憶能力という特異体質持ち。
実の親のせいと、獪岳に関わったことで、人間を捨てることになった。
とはいえ、どちらのことも恨んではいない。
子は親を選べないし、もう一度やり直しができてもやはり自分は獪岳を放っておけないだろうと、ある種悟りの域にいる。
あの日の選択を、後悔はしない。
獪岳より一つ年下だが、気分的には姉。
行冥さんと桑島さんにこれ以上心配をかけたら許さん。
それから、わたし以外にも友達とかそういう存在はいないのか。
上弦の弐をどうしても殺したく、アヴェンジャー化した。
殺すためなら人間に戻れなくていい。
だって、人間の自分は弱いから。
獪岳以外の人間には基本的に敬語。
鎹鴉
名前はある。電右衛門という。
あるが、獪岳も幸も知らない。名乗りの機会を無くしたままである。
獪岳にはクソ鴉、幸にはかすがい君、またはからす君と呼ばれている。
鬼連れの隊士というとんでもない者が担当になってしまい、最初ははちゃめちゃに苦労したが、最近は幸の膝の上で昼寝するのが好きというくらいには順応した。
ただし、相変わらず獪岳のことは煽る。
初対面で焼き鳥にすると脅された恨みは深かった。