鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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では。


二話

 

 

 

 翌朝のことである。

 昨晩あのようなことを言った割に、幸は夜明け前には箱の中に戻り、日が出てからは眠りに入っていた。

 箱の板越しに、すぅすぅと寝息が聞こえてきたときは肩透かしを食った気分だった。

 昨日のは何だったのかと拍子抜けしつつ、任務も無いからと刀の手入れをしていた獪岳のところに飛んできたのは、鎹鴉である。

 

「救援要請!救援要請ィ!至急、北北東ノ街へ向カエ!向カエェ!」

 

 しかも来たのは、救援要請。

 つまりは、任務に向かった隊士が鬼が手に負えないからと発した助けである。

 以前、十名以上の鬼殺隊が犠牲になった那田蜘蛛山のように、強力な鬼が待ち受けている可能性がある。

 あのときは山に巣食っていたのが下弦とはいえ十二鬼月であり、最終的に柱が二人も駆り出される事態になっていたが、今度はそこまでではないらしい。

 が、救援要請は救援要請で、緊急案件だ。

 羽織りを着て刀を持ち、箱を拾った。

 障子を開け放てば、よく蝶屋敷の中で見かける看護婦の少女たち三人が、敷布を抱えて歩いているところだった。

 

「あ、獪岳さん!任務に行かれるんですか?」

「幸さんも一緒ですか?」

「いつ頃戻るんですか?」

 

 三人に一度に来られ、獪岳は引いた。

 見かけることはあれど、幸とは違って獪岳は彼女らと碌な会話などしたことがないから、名前も覚えていないのだ。

 

「カァ!獪岳ト幸、救援任務!任務ゥ!至急向カウベシィ!」

 

 獪岳が答える前に肩に乗っかった鴉が喚き、三人娘は途端に表情を引き締めて道を開けた。

 幼くとも負傷した鬼殺隊員たちの看護婦だからか、判断が速い。

 気をつけて頑張ってください!という声援に見送られて獪岳は蝶屋敷を後にして駆けた。

 

 鎹鴉の案内に従って走り、一度列車に乗る。

 前のように、横転した挙げ句に上弦の弐と参が相乗りしてくるような最悪の列車じゃあるまいな、と切符を買うときに一瞬嫌な思い出が蘇った。

 あそこでは、乗務員と乗客の一部が鬼に唆されてこちらを罠に嵌めようとしてきた。

 自分の恨みと憎しみで目が曇って暴走し、幸に刀を向けた馬鹿な隊員も、鬼の甘言に引っかかったあいつらも、それでも人間だから鬼殺隊が斬るべき相手ではないのだ。

 

 殺すつもりはないが、例の馬鹿は、どこかで出会ったら何発か殴ってもいいだろう。

 

「獪岳?」

 

 日が沈み、箱から出て来た幸は向かいの席に座ってきょとんと顔を横に傾けていた。

 ちなみに幸は自分が入っていた箱は、自分で持つからと膝の上に置いている。今代わりにそこに入っているのは、鎹鴉だ。

 鴉を肩に乗せていては乗車できないので、鳥籠代わりになっているのだ。

 

「あ?なんだよ」

「悪い顔していたから、何かと思った。救援要請が心配?」

「別に」

「じゃあ、列車が嫌いになった?」

「なんでそうなんだよ。あんなひでぇ列車、二度もあって堪るか」

 

 舌打ちしてみせると、幸は軽い笑い声を上げた。

 本当に、昨晩の儚さはなんだったのだろう。殺しても死にそうにないくらい頑丈であるのに。

 ふと思い立ったことがあった。

 

「お前、行冥さんとは話せてんのか?」

「手紙を出してる。行冥さんは忙しいから、会えてはないけど。獪岳は手紙をくれぬのかとまた泣いてたって、鴉さんと不死川玄弥君に言われた」

 

 箸が転がっても決壊しそうな、悲鳴嶼の涙腺である。

 容易にその顔が想像できて、獪岳は額を押さえた。

 

「あと、少しでよいから玄弥君のことを気にかけてやってはくれぬかって」

 

 悲鳴嶼の弟子か、と獪岳は鼻を鳴らした。

 どこに行っても何になっても、あの坊さんは誰かの世話を焼かねば気が済まないのだろうか。

 

「不死川って、風柱と同じ苗字だよな」

「実の弟って言ってた。だけど事情が込み入ってるから、玄弥君にはただの玄弥君として接してほしいみたい」

 

 身内でがたつくのはこれまたどこも同じなのか、と獪岳は目を細めた。

 煉獄杏寿郎は父に、不死川玄弥は兄。幸は二親。

 幸のところとは違って、煉獄の家と不死川のところは身内が生きているだろうし、屑ということもあるまいに。

 といって、別に彼らをどうこうする気は獪岳にはさらさらないのだが。身内が絡んだそんなややこしい問題、関わり合いたくない。

 

「いや多分、玄弥君からしたら全然悲鳴嶼さんに会いに行かない獪岳は獪岳で、じれったいと思う」

「ふざけんな」

 

 そこまで口出しされる謂れはない。

 手刀を額に落とすと、幸はあは、と軽い笑い声を上げた。

 同時にくい、と鎹鴉の嘴が箱の蓋の隙間から覗く。

 

「カァ!次ノ駅デ下車!下車ァ!ソノ後、北北東ニ進路ヲ取レェ!」

「北北東?そっちには確か……山があったよね?」

「然リ!山道ニ巣クイ、旅人ヲ喰ラウ鬼アリィ!」

 

 では、救援要請はその鬼を討伐しに向かった隊士が出したものであるのだ。

 

「急ぐぞ」

「うん」

 

 徐々に速度を落としていく列車の中を、獪岳と幸は出口目指して歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救援要請を出した隊士を見た瞬間、幸が珍しく顔を強張らせた辺りで、嫌な予感はしたのだ。

 山道にある小屋で頬の傷の手当をしていたそいつもまた、幸を見るや顔をしかめた

 

「階級・丙の隊士、獪岳と連れの幸だ。あんたが救援要請をしたのか?」

 

 が、二人が固まった状態では話が一向に進まない。面倒ではあったが、獪岳しか口を挟める人間がいない。

 

「……そうだ。鬼は三体。山道を通る旅人だけを選び、喰っている。三体とも血鬼術を使い、不意討ちされてこちらは仲間が一人やられた」

 

 食欲に呑まれきったやつではなく、頭が回る手合いだと、獪岳より幾つか歳上に見える階級・甲の隊士、田津(たづ)という名の彼は応じた。

 隣人や家族が失踪に気づきやすい街や村の住人を見逃し、敢えて足がつきにくい旅人を選んでいるなら、狡猾な鬼である。

 実際、鬼は連携を取ってきて不意を突かれた隊士が一人、腕を肩から食い千切られたという。日輪刀も鬼に奪われ、一度撤退せざるを得なかった。

 その隊士に関しては止血はし、藤の花の屋敷へ獪岳たちと入れ違いに運ばれたが、二度と刀は満足に振るえないだろう。

 そいつの代わりに呼ばれたのだ。

 そうして獪岳と幸が来たため、剣士が二人に鬼が一人となる。

 

「鬼はどっから来た?」

「北の山道だ。北から登っていけば、恐らくあいつらの隠れ家を見つけられる」

 

 山狩りだ、というその隊士の目はぎらついていた。

 幸は黙ったまま、佇むだけである。

 よく考えると、幸が善逸たち以外の鬼殺隊と仕事に来て、初対面の鬼殺隊員の前に普通に姿を見せたのは初めてだった。

 

「……おい」

 

 山を進みながら、獪岳は声を低めて尋ねた。

 

「あいつ、お前を斬ったやつか?」

 

 夜闇でも、幸が驚いたように目を瞬くのがわかった。

 

「やっぱりか」

 

 やけに睨んでくると思えば、なんの事はない。蝶屋敷で幸を斬ったのが、田津だったのだ。

 

「隠すな、阿呆」

「……ごめん」

 

 ごめんで済む話ではないのだが、任務に来てしまったならば、鬼を始末するか死ぬか、重傷を負って戦えなくなるまで戻れないのが鬼殺隊である。

 獪岳とて、こちらを睨んでくる人間と長々仕事などしたくない。

 

「お前、鬼の気配探れるだろ。早くやれ」

「うん」

 

 こくりと頷いて、幸は目を閉じた。

 数秒後に目を開いた幸は、すぅ、と指を動かしてある方向を指す。

 道などろくにない木々の間の闇で、田津が向かっている山頂へ至るのとは逆の方向だった。

 

「おい、あんた」

 

 構わず先に進もうとする背中に呼びかけると、田津は振り返った。

 改めて見れば、彼は獪岳より頭半分は背が高い。歳は一つ二つ上だろう。

 蝶屋敷で抜刀騒ぎを起こすようなやつだから、どんな乱暴者かと思えば特段気性が荒そうに見えるというわけではない。

 どちらかといえば、優しげで人に好かれやすい風貌に見えた。

 尤も、獪岳と幸へ向ける顔が石のような無表情でなければ、の話である。

 

「なんだ?」

「そっちじゃねぇ。鬼はこっちだ」

 

 幸が示した方向だと言えば、田津は顔を歪めた。

 

「何を馬鹿な。そっちは村がある方向じゃないか。鬼がこっちへ逃げるのを俺は見たんだぞ」

「でも、あっちから気配はしています。鬼のほうが移ったんじゃないでしょうか」

 

 幸が口を開くと、田津は舌打ちを返した。

 

「貴様の言うことなんて信じられるか。人喰い鬼のくせに」

 

 幸から、するりと表情らしい表情が抜け落ちる。だが何も言い返さなかった。

 それをどう取ったか、田津は一歩距離を詰めてくると、幸の細い肩を突き飛ばした。

 ぐらりと幸の体が後ろへ傾ぐが、倒れることはなかった。数歩たたらを踏み、幸は伽藍堂の瞳で田津を見上げる。

 

「いいか、貴様が人の言葉を話そうがなんだろうが、人喰い鬼は人喰い鬼だ。いつか薄汚い本性を見せるに決まっている。鬼はそういうものだからだ!」

「あんた、いい加減にしろよ」

 

 ついに我慢ができずに、獪岳は田津の前に出た。

 

「ぐだぐだ話してる場合じゃねぇだろうが。こいつが鬼はあっちだって言うなら、俺はこいつを信じる」

「鬼を信じるのかお前は!」

「蝶屋敷で刀抜いて騒ぎを起こしたあんたより、黙ってるこいつがよっぽどマシだろ」

 

 夜目でもわかるほどに、田津の瞳は血走っていた。

 

「勝手にしろ!喰われるときに後悔すればいい!」

 

 ついには吐き捨てるように言って、田津は山の上へと走って行く。

 獪岳はもう、追いかける気にもなれなかった。

 敵より厄介なのは、足を引っ張る味方だ。あの分では共闘も糞もないだろう。

 ため息をついて、獪岳は頭をがりがりとかいた。

 

「仕切り直しだ、糞が。鬼はこっちだな」

「うん」

 

 いないものは仕方ない。

 最悪、血鬼術が使える鬼三体を二人で相手することになるが、上弦の弐に斬り刻まれたほどの絶望はないのだ。

 比較するものが明らかに狂っている自覚はあったが、そう思いでもせねば苛立ちが募って仕方がなかった、

 

「……獪岳」

「さっさと謝るくらいなら、斬られたことを俺に言っとけ。余計な手間くったじゃねぇか」

 

 蝶屋敷で斬られたんだろう、と尋ねれば、走りながら幸は頷いた。

 

「人から聞いたけど、あの人は許嫁だった女の子と、家族を鬼に喰われて鬼殺隊になった。その鬼は、弟だったんだって」

 

 そういう経緯を背負っているから、幸にはあの田津とかいう隊士を恨む気は起きなかった。

 どうせ傷は治り、着物は繕えば元通りだ。

 それに何より、人間に殺意や刀を向けられることは幸には初めてでも何でもない。

 藤襲山での年月はそんなふうに襲われては逃げ、襲われては逃げの繰り返しだったから、今さら恨む恨まないもない。

 そこまで聞いて、獪岳は走りながら幸の頭をかなり強く叩いた。

 ぼす、と間抜けな音が夜道に響く。

 

「馬鹿か。ここはもうあの山じゃねぇんだよ。お前、お館様と蟲柱に鬼殺隊として認めるって言われてんだろ。お前はもう、斬られるための選別用の鬼じゃねぇ。それを斬ってるあいつのほうが間違いだ」

「だけど……」

「第一、お前が下っ手くそに俺に隠し事するから、話が無駄に拗れたんだろ。どうすんだ、今の状況。下手すると三対二だぞ。馬鹿幸」

「……何度も馬鹿って、言うな。何が相手でも上弦の弐よりは、マシ」

 

 やはりこいつも比べるものがおかしくなっていた、と獪岳は鼻にしわを寄せている幸を呆れて見やった。

 と、嫌な気配がどろりと空気に混ざるのを感じた。

 二人同時に息を殺して身を屈め、木の陰にしゃがみ込む。

 首だけを伸ばして闇を透かし見れば、木々の向こうで蠢いている歪な丸い影があった。

 幸に目配せをすれば、指が一本立てられる。数は一、ということだ。

 背に負った刀を音を立てずに抜き、獪岳は指を三本立てる。幸が頷くのを確かめて、構えを取った。

 木立の向こうで蠢く影が、頭と思しい部分を持ち上げる。闇の向こうでぎらりと目玉が光った瞬間、獪岳は地を蹴って低く飛び出した。

 同時に幸が高く飛び上がり、地面から拾い上げていた礫を、羆に似た異形の鬼の顔面目掛けて雨のように投げつける。

 

「ギッ!?」

 

 耳障りな声を上げ、鬼が上を見たときには、獪岳はその懐の内にまで辿り着いていた。

 鬼の眼がぎょろりと動き、刀を捉える。

 鈍間、と獪岳は心中で吐き捨てた。

 

 ─────炎の呼吸

────弐ノ型、昇り炎天

 

 教えられた通りの、下から上へ斬り上げる斬撃が鬼の顔面を縦に割る。

 痛みに仰け反り、晒された鬼の頚を、斬った勢いそのままに体を回転させ、刀を横に倒した獪岳の一撃が刎ね飛ばした。

 頭を失った巨体が傾き、こちらへ倒れてくる。後へ飛び退り、獪岳はそれをかわした。

 回転するように体を捻り、刃に勢いを乗せた動きは、雷の呼吸の参ノ型、聚蚊成雷を軸にした動きである。

 炎の呼吸の弐ノ型、昇り炎天と組み合わせて一繋ぎの技のようにして使ったのは初めてだが、存外うまく行ったと思う。

 

「次、あっち」

「……ああ」

 

 が、成功の余韻に浸る暇もないのだ。

 くい、と幸に羽織りの袖を引かれた。

 鬼の体が端から塵になって行くのを認めてから刀を鞘に収め、山の麓、人里がある方へ向けて走り出す。

 人里に到達されれば、まずいことになる。一層、足を早めた。走る中で、幸が口を利く。

 

「最初の一撃、炎の呼吸?」

「は?……だったらなんだよ」

「綺麗な炎だなって思ったから」

 

 こいつにはちゃんと見えていたのか、と肩をすくめて応じた。

 やがて木々の間に、ちらちらと橙色の人家の灯りが見え始める。人里に近いのはまずい、と獪岳が顔をしかめたそのときだ。

 

「獪岳、上!」

「ッ!」

 

 間一髪で前に飛び出し、樹上から放たれた赤い斬撃を避ける。

 樹上を見上げれば、気味の悪い猿のような小さな姿が、枝の中に見えていた。左手に鷲掴みにした赤い何かを、そいつは振りかぶる。

 

「避けろッ!」

 

 幸と共に左右に跳べば、枝がばきばきと折れて降り掛かってきた。

 砂埃が巻き上がり、獪岳と幸のちょうど中間に位置する地面が、大鎌で切り裂かれたように深く縦に抉られているのがちらりと見える。

 

 斬撃を飛ばす血鬼術、と咄嗟に仮定。

 落ちてくる枝を避けつつ仰ぎ見れば、猿のような鬼は軽々と枝を渡って人里の方へと駆けていく。

 

「テメェ!待ちやがれ!」

 

 ─────雷の呼吸

────伍ノ型、熱界雷

 

 まぼろしの雷光を纏う斬撃が猿鬼の背を掠め、そいつが握ろうとしていた枝と、足場にしていた枝を切り落した。

 熟した柿の実のように、鬼は背中から地に落ちる。

 

「グギィィッ!鬼狩りガァァ!」

「ん」

 

 藻掻き、木の上へと逃げようとした猿鬼の脳天に、追いついた幸の踵落としが突き刺さり、再び地面に叩きつけた。

 だが、猿鬼の腕に、またも血色の刃が形成される。

 

「コノ餓鬼ィィィ!オレダヂノ邪魔をするナァァァ!」

 

 ひゅ、と振り向きざまに放たれた縦に回転する血でできた刃を、幸は首を横に振って避け、猿鬼の腕の関節を踏みつけにした。

 その背後で標的を外した血鬼術が、幾本もの木を轟音と共に切り倒して行く。

 腕を抑えられ、無防備になった頚に獪岳は日輪刀を振るった。

 

 確かな手応えに、はぁ、と深く息を吐く。

 

 正に、しわくちゃの猿のような形相の鬼の頚が転々と土の上を転がった。

 地面に倒れた子どものような矮躯は、猟師のような毛皮の衣を纏っている。毛深い猿に見えたのはこれのせいかと、獪岳は妙なところで納得した。

 塵になって死んでいく生きものの、底無しの昏い両眼から目を逸らしつつ、獪岳は幸の方を見る。

 僅かに避け損なったのか、右の頬がぱっくりと割れ、血が着物の襟を汚していた。

 

「これで、あと一匹か?」

「うん」

 

 羽織りの袖で、幸がぐいと頬を拭う。

 かなり深く見えた傷は、既に糸のような浅いものへ変わっていた。

 にしても、これだけ騒いだのならあの田津が引き返してこないものかと、獪岳は山の上を見る。

 が、幸はやおら顔を真っ青にして叫んだ。

 

「獪岳!最後の一つが村に入る!」

「チッ!」

 

 本音を言えば、村人の前で刀を振り回して大立ち回りなどしたくなかったのだ。通報されると、またぞろ警官が湧いて出てくるから。

 が、最早言っている場合ではない。

 人家の灯りがある方へと走り、木立を切り抜けて転がりでたところは、小さな山里の裏手である。

 既に、里の奥の方で怒声や悲鳴が聞こえてきていた。

 騒ぎを聞きつけたのか、外へ出てきたらしい里人の女は、獪岳の手にある抜き身の刀を見るなりぎょっとしたように目を剥いた。

 

「お前ら、家から出てここから離れろ!」

 

 怒鳴りながら、家が立ち並ぶ里を駆け抜ける。叫び声や悲鳴を上げ、逃げて来る人々の流れと逆らう方へ獪岳と幸は走った。

 

 ─────見つけた。

 

 篝火が炊かれた村の広場の中心。

 ぬめりと光る鱗を持つ大蛇が一匹、今にもやけに身なりの良い村人に、喰いつかんとしていた。

 

「だめっ!」

 

 幸が弾丸のような勢いで獪岳を追い抜き、大蛇の目を爪で狙う。

 だが、大蛇は幸を見ることもなく丸太ほどもある尾を振るう。鞭のようにしなるそれが、幸を横に薙ぎ払った。

 小石のように幸は吹っ飛び、一軒の小屋に叩きつけられる。板壁が割れて崩れ、幸は砂煙の向こうに消えた。

 

「ヒ、ヒィィッ!」

「何してんだテメェ!動け!」

 

 大蛇の頭の下でまだ腰を抜かしている男を、獪岳は引きずり上げて突き飛ばす。

 幸は後回しにするしかない。

 あの程度では、鬼は死なないのだから。

 相対した大蛇を、獪岳は見る。

 単純に、大きい。

 鎌首を擡げている今、里の家の屋根より上に頭がある。首は獪岳の胴回りよりさらに太い。

 人どころか、雄牛や羆でも一度で丸呑みにできそうなほどに口も巨大で、二股に裂けた赤黒い舌がちらちらと覗いていた。

 

 流石に悍ましい姿に、頬が引きつる。

 列車と融合した鬼もいたが、蛇に、しかもここまで巨大な姿に変貌したのは見たことがなかった。

 そして鱗に覆われた額、真っ赤な二つの目のちょうど中間辺りに、人間の頭らしきモノがあった。

 あの、体に反して異様に小さい箇所が本体の顔なのだ。問題はそれ以外の人間らしい部分がほぼ肉に埋没しており、頚が見えないこと。

 

「な、何だって鬼が村にく、来るんだ……!それに、お、お前らはだ、誰だ……!?」

「鬼殺隊だ!あれは俺たちが殺す!テメェらはどっか行ってろ!」

 

 本気で、うろちょろされると邪魔である。

 叫ぶと、身なりの良い中年の男は這うようにして遠ざかる。

 広場の周辺からは、既に里人の姿が消えていた。

 ふっ飛ばされた幸はまだ戻らず、獪岳の前には大蛇のような形に変貌した鬼が一匹。

 額の肉に埋もれた、木乃伊(ミイラ)のように干からびた顔が、口を開いた。

 

「鬼狩り、鬼狩りィィィ!オ゛レの弟タチハどうジたァァぁ!」

 

 蛇体がのたうち回り、篝火を跳ね飛ばす。火種が飛び散る中、走り回って巨体の攻撃を避けながら、獪岳は叫び返した。

 

「熊と猿みてぇなのが弟だってんなら、とっくにくたばってるぜ!後はテメェだけだ!クソ蛇!」

「ギザマ゛ァァァァ!」

 

 汚い叫びを上げながら、蛇が地面を尾で叩く。丸呑みにしようと迫って来た蛇の口を避け、獪岳は片目を刀で切り裂いた。

 蛇体が仰け反って、巨大な頭部が櫓を一つ倒す。

 

 煉獄杏寿郎に、散々打ち込み稽古で叩かれ慣れたせいだろう。

 今までとは違い、攻撃を予測して避けられている実感はある。

 吐くほど打たれ続けたせいか、打たれそうになる直前で、狙いが何処かがわかるのだ。

 杏寿郎相手では、狙いがわかったところで速さに追い付けずに結局打ち倒されるが、この蛇鬼は彼よりは遅く、攻撃自体は単調である。

 

 だが、兎にも角にも体がでかく重すぎ、本体がある頭に届かない。

 余り続ければ、獪岳の体力が先に切れて喰われる。

 頭上すれすれを通り過ぎる尾を避けたところで、小さな姿が視界の端に見えた。

 倒れた家の残骸からようやく抜け出てきた、幸である。

 

「鬼の本体は額だ!頸は肉に埋もれてやがる!揺らせ!」

「ん!」

 

 今度は蛇体を避けた幸は、倒壊した櫓の柱と思しい丸太を一つ、持っていた。

 丸太というより、それは折れて先の尖った杭である。

 小さな体に不釣り合いなその杭で、幸は蛇の頭を殴り飛ばした。

 蛇鬼の体が、横に揺らぐ。

 飛び出した獪岳は、その体を駆け上がった。

 滑りそうになる鱗の上を走り、額にまで取り付く。足元に、目だけがぎょろぎょろと光る鬼の顔があった。

 

 頸は恐らく、足の下。

 

 ─────雷の呼吸

────弐ノ型、稲魂

 

 五つの斬撃が蛇の首を抉る。

 だが、頚に届いた手応えがない。鱗が硬い。

 

 ──────技が、違った。

 

 一撃必殺ではない稲魂では、浅かったのだ。しかし獪岳は霹靂一閃は使えず、炎の呼吸の型も、雷の呼吸に比べればまだ威力に劣る。

 それでももう一度放とうとしたとき、ずるりと鱗で足が滑った。呆気なく体が横ざまに傾ぎ、宙に投げ出されるのを感じた。

 逆さまになった視界で、辛うじて蛇の尾が振り上げられるのを捉える。

 咄嗟に刀から片手を放し腕で庇った脇腹に、尾の一撃が強く食い込んだ。

 

「……ッ!」

 

 全身に響く衝撃は、内臓を口から吐き出しそうになるほどのものだ。だが、歯を食いしばって耐えた。

 空中を飛んだ体が家屋の板壁に叩きつけられる寸前、背中に何かやわらかいものがぶつかる感触があった。

 それでも勢いが殺し切れない。

 板壁を巻き込み、獪岳は地面に背中から落ちた。

 

 咳き込みながら、立ち上がる。

 後ろで同じように立ったのは、幸だった。獪岳の体が激突する直前で、割り込んだのだ。おかげで、背骨を痛めることはなかった。

 ずん、と再び地面が下から突き上げるように揺れ、割れた板壁の間からぐわりと開いた蛇の口が突っ込んで来た。

 呑まれては堪らないと幸共々転がるようにして避け、何とか家屋から外へ逃れれば、蛇は更に荒れ狂った。

 尾が地面を叩き、木片が飛び散る。

 もう一度、今度は頚を間違いなく落とさねばならないと、互いに刀と爪を構え直す。

 鋒を蛇へ向けたとき、ばち、と耳慣れた音を耳が拾った。

 

「退け!」

 

 背後からのその声に、体が動いた。

 獪岳が右へ、幸が左へと跳んだのと、ほぼ同時に雷光がその間を駆け抜ける。

 それが雷光でなく、霹靂一閃の光なのだと、獪岳にはわかった。

 田津の居合いが、蛇の頚を半ばまで断つ。

 だが、頚を寸断しきるには至っていないと見てとるや、獪岳は駆けていた。

 使うのは、炎の技。まだ完成してはいないが、他に手がない。

 

 ─────炎の呼吸

────壱ノ型、不知火

 

 暗闇に、炎が走る。

 霹靂一閃と似通う、相手の間合いに踏み込んでからの袈裟斬りが、繋がっていた蛇の頚を完全に断ち切った。

 そのまま技を放った勢いが余り、足が滑る。

 

 べしゃり、という抜けた音と共に、獪岳は土の上にうつ伏せに倒れた。

 

「獪岳!?」

「……平気だ」

 

 少なくとも体は、肋がやられた程度だ。

 最後の自分の間抜けさに、心が大分重傷になったが。

 尾で打たれた脇腹を擦りながら立ち上がれば、大蛇に変じた鬼の体は、徐々に塵へと還っていくところであった。

 鬼は、死んだのである。

 死体の近くに立つのは、滅の文字が描かれた、黒い隊服を着た鬼殺隊員だった。

 

「なんだあんた、来たのかよ」

「……あれだけ騒がれればな」

 

 せせら笑うようにその背中に向けて言えば、苦い顔で田津が振り返った。

 山を登っている最中に、こちらの戦う音を察知して駆け戻り、そのまま霹靂一閃で加勢した。そんなところだろう。

 寄りによって、雷の呼吸使いだったのか、と内心で吐き捨てる。

 元々いけ好かないと思っていたが、今の一撃で獪岳は果てしなくこいつが嫌いになった。

 

「大丈夫か?」

「別に」

 

 逆に、先ほどまでの刺々しさを忘れ去ったかのように田津は話しかけてくる。

 本音を言えば、尾の一撃をくらった肋がかなりの痛みを訴えているのだが、こいつに言う気はなかった。呼吸で痛みは和らぐし、治りも速まる。

 まだ何か言いたげな田津を無視し、幸を探す。

 何処へ行ったのかと辺りを見回せば、小さな姿が、先ほど破壊してしまった建物の陰に見えた。

 声をかけようとするより先に、幸のほうが何かを手に持ち、駆け寄ってくる。

 小さなその手に握られているのは、黒い鞘に収まった一振りの刀だった。

 

「獪岳、これ、日輪刀?」

 

 幸の手が刀を抜けば、姿を見せたのは赤く染まった紛れもない日輪刀の刀身。

 何とはなしに頭を過ったのは、鬼に奪われたという隊士の刀である。

 

 ────刀が何故、ここに?

 

 疑問を浮かべて辺りを見回したまさにそのとき、獪岳はちり、と首筋を刺す殺気を感じた。

 崩れかけの蛇体の向こう、田津の背後に里人たちがいた。

 その先頭にいる男の手には、黒光りする銃。銃口が狙っているのは、田津の背中。

 

「おい!!」

 

 獪岳が叫び、動くより先に里人が引き金に指をかける。銃口が火を吹く。

 夜の山里の空に、一発の銃声が響き渡ったのだった。

 

 




人に信じてもらえない話。



【コソコソ裏話】
 
この山の鬼は、人間の頃からの三兄弟です。

羆、猿、蛇に似た姿になっていますが、羆が三男、猿が次男、蛇が長男です。

弟鬼が敢えて山頂へ逃げる姿を見せ、鬼狩りを上に誘う間に、兄たちで里の人間を食べようとしていました。
直ぐ様引き返してくるのが予想外だったため、ばらばらに倒されました。

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