鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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では。



五話

 

 

 焚き火があった。

 赤々とした熱の舌が、積み上げられた落ち葉をちろちろと舐めて、炎に変えていく。

 灰色になって燃え崩れていくそれには、一体なんの意味があるのだろう。

 

「うむ!よく焼けているな!」

 

 その焚火の傍らに立つのは、何故か元炎柱、煉獄杏寿郎で、彼が手に持っているのは焼けたさつま芋だった。

 

 ─────なんだこれ。

 

 獪岳が我に返ったのは、焼き立ての芋を渡されてからである。

 熱さで正気に返った、とも言う。

 

「熱ッ!」

「ゆっくり食べると良い」

 

 それから何故か、同じようにさつま芋を持とうとして熱くて喚く弟弟子に、やたら存在感がある悲鳴嶼がいる。

 そう狭くはない煉獄家の庭にいるというのに、悲鳴嶼の巨体が三人分ほどの空間を占拠しているようだった。

 いや、本当になんだこれ。どういう状況だ。俺はどういう顔をすればいい。

 これで幸か鎹鴉がいれば、獪岳が黙っていても何かしら喋ってくれるのだが、生憎今は両方いない。

 状況が飲み込めぬまま、四人並んで煉獄家の縁側にさつま芋を持って座る。

 向かって右から、煉獄、獪岳、善逸、悲鳴嶼の順である。

 

「あの、師匠。これどういうことなんですか?何で俺たちは焼いた芋持ってるんですか?」

「うむ!勿論食べるためだ!獪岳、さつま芋は好きか?」

 

 好きかどうかでいうなら、好きである。芋は腹が膨れるし、溜まるからだ。

 だから根本的に、そこではないという前に、悲鳴嶼の声がかかった。

 

「獪岳、何故幸がいないのだ?」

「うむ!俺もそれを聞こうとしていた。君の鎹鴉が、君と幸少女が行方不明だと騒いだからな」

「それは報告します。だから、さつま芋の意味は」

「美味かろう。美味いものを食べると話しやすくなるのではと思ったのだ。ちょうど焼こうとしていたしな」

 

 さつま芋は師匠の好物だろうが、と獪岳は内心でぼやいた。

 ひと口齧ってみれば、確かに美味かったが、口の中の水分が吸い取られて話しづらくなりそうだった。

 明らかにこの場に向いていない食い物である。

 鎹鴉が騒ぎまくったらしいが、一体全体どこまで語ったのだろう。

 

「任務先で、人に襲われたと聞いたぞ」

 

 げほ、と獪岳は悲鳴嶼の言葉に咳き込んだ。

 

「……知、ってんじゃないですか」

「大まかな話だけだ。鬼を倒しに行った先で、里人に襲われたと。……幸が、理性を失くして人に襲い掛かろうとしたと」

 

 隣に座った悲鳴嶼の方をちらちらと見て怯えたような顔をしていた善逸が、ぐるんと頭を巡らせた。

 そこまで知られているなら、今更焦る意味もない。

 幸は、襲いかけただけだ。襲ってはいない。

 

「理由がなかったわけじゃないですよ。それにあいつは、誰も傷つけてません。襲い掛かろうとしたのは、頭を銃で撃たれて、半分ぐらい脳を吹っ飛ばされたからです」

「それは……人間にやられたのか?」

「そうです。あそこの里は、鬼に余所者を差し出してました。そのついでに追剥ぎ紛いなこともやってて、だからまぁ、役人に見咎められる前に俺たちを殺して、なすりつけようとしたんですよ。鬼の死体は消えちまうから、証拠もクソもなくなるって焦ったんでしょう」

 

 刀を持った余所者なんて、うってつけだったでしょうから、と付け加えると、煉獄と悲鳴嶼の顔が顰められ、善逸は顔を伏せた。

 過去、十年前の悲鳴嶼の話を、獪岳は今の彼の顔を見て思い出した。

 子どもらを殺した鬼を、悲鳴嶼は朝日が昇るまで殴り続けて足止めした。が、日に焼かれて鬼の遺体は崩れ去り、悲鳴嶼は殺人者として投獄されたのだ。

 死体を残さなかったあの大蛇の鬼に、今更のように怒りが湧いて来た。

 

「幸は、俺と、俺たちと共闘してた別の隊士を庇って、二度頭を猟銃で撃たれました。最後は俺が銃で狙われたから、それで動揺して暴れたんです。だけど俺の力で押さえつけられたから、人は喰ってません。傷つけてもいません」

 

 だから、隊律違反になるようなことは何一つしていない。

 そう一旦は締めくくって、獪岳は芋をまたひと口齧った。

 美味いは美味いが、獪岳にとって食事とは食べられればそれでいいだけのものである。雁首揃えて芋を食う意味がわからなかった。

 尋問というのなら、確かに気が緩んで口が多少回りやすくなるかもしれないが。

 

「君の鎹鴉は、その帰り道で君と幸少女が姿を消したと騒いでいたぞ。そして今の君は、幸少女を連れていない。これはどういうことだ?」

「幸は、珠世という鬼に預けました。お館様も知ってる鬼舞辻を殺したいと願ってる医者です。竈門も世話になったことがあると言っていました」

「え、炭治郎が言ってたあの珠世さん?獪岳、知り合いだったの?」

「んな訳ねぇだろ。会ったのは昨日が初めてだ」

「初対面の相手に幸ちゃん預けて来たの!?」

 

 喧しい、とぴしりと獪岳の額に青筋が立つ。

 悲鳴嶼と煉獄がいる前では、毎度のように蹴とばせないから我慢であるが、何故この弟弟子は関係ないことで一々騒ぐのか。

 

「獪岳」

「……あのままだと、幸の食人衝動は抑えるのが厄介になると言われました。元々あいつは、自分で自分を縛ってたんです。……元になってたのは、悲鳴嶼さんが教えてた言葉らしいです、が」

 

 年齢相応の自我を取り戻したが故に、暗示が効かなくなり始めていた。

 そこへ来てあの怪我を負い、このままではどうしようもなくなると言われたから預けて来た。

 数日したら連絡が来るから、そのときに迎えに行く。

 珠世という鬼は、少なくともあそこの里人たちよりは何倍も信用できるから、と。

 

「隊律違反はしてませんよ、俺たち。幸はあいつらを傷つけてません」

 

 寧ろ、獪岳と田津のほうが鞘に入れた刀を振り回して暴れ、数人の骨を折っている。が、そうでもしないとこちらが殺されていたろうから、正当防衛の範囲だ。

 

「報告は以上です。ご馳走様でした」

 

 さつま芋の最後の一欠片を、ほとんどやけっぱちのような感じで食べ切り、言い切った。

 

「……そうか、里人……人間がそのようなことを」

 

 毎度の如くに数珠を携えた悲鳴嶼行冥は、見えぬ目からまた涙を流していた。

 別に珍しかないだろうに、と獪岳はそれを見る。

 鬼は人を喰い殺すが、別に人殺しなどそこらにいる。嘘ばかりつくやつも、欲望のまま振る舞うやつも。

 

 寒くなれば地べたに冷えた(むくろ)を晒す乞食や親なし子、珍しくも何ともない。そいつらの懐から物を漁ることだってした。自分以外の生命なんて、(ちり)のように軽い。

 他人を騙して、奪って、殺すやつらもいくらだっている。

 獪岳は人殺しこそしたことないが、寺に拾われる前と寺が壊れた後、盗みはいくらでもやった。生きるためにそうした。

 あの寺の外には、自分の食べる分を削ってでも獪岳のひもじさを満たしてくれる相手も、盗みをやめてと腕を掴んでくるような物好きもいなかったのだから、仕方ない。

 

 まともなものを食べられずに力が無かったから、追い剥ぎこそやっていないが、もし先生に拾われずにいたならば、いつかしていただろうし、ろくな者になっていなかったはずだ。

 里人と己の違いなど、鬼を殺せる力を持っていたかいなかったか。ただそれだけ。

 

 だから獪岳には、あいつらの性根も考え方も、嫌になるほど簡単に見抜けた。

 それを考えると、あの田津とかいう隊士は大分おめでたいやつだった。

 鬼に家族を奪われるまでは、獪岳や幸よりよほどまともで、人間みのある暮らしをしていたのだろう。

 鬼の敵意には臆すことなく、人の悪意を目の当たりにすればあからさまに動揺していたのだから。

 そんな“善い”やつが、九年も人間性の一切を取り上げられても、恨み言も泣き言も言わずに守るために戦っているやつを捕まえて、悪鬼だ化け物だ本性を見せろ、と罵った。

 それで結局、人間の無償の善意など欠片も信じられない自分に罵倒され、阿呆面さらして野に立ち竦んだのだ。

 

 無様極まりない。

 自分も、幸も、あの隊士も、里の人間も。

 何が最悪って、最もまともで馬鹿な少女が、一番報われていない。

 

「つらかったな。よく耐えた」

「は?」

 

 やおら静かな声で師匠に問いかけられ、獪岳は素で頓狂な声を出した。

 

「守れたはずの人間に、罵倒されることは俺もあった。何故もっと早く来てくれなかったのか、何故自分の大切な人を守ってくれなかったのか、とな。だが、今回君たちが目の当たりにしたのはそれとも異なる、人の悪意だったな」

 

 柱は人間であり、いくら強かろうが腕も脚も一対で体は一つだ。

 血を吐くほどの勢いで走っても、間に合わないことはある。

 同時に救われた側の人間には、そのようなことは関係ない。

 自分を助けてくれるほど強いならば、自分の大切な人を何故助けてくれなかったのかと、身勝手に期待して、身勝手に罵倒する。

 同じことを、あの村長は言っていた。

 お前たちは遅すぎた、と。

 お前たちがもっと早くに来てくれていたら、こいつらを殺してくれていたら、自分たちもこんなことをせずに済んだのだ、と。

 間に合わなかったお前たちが悪いのだから、ここで里のために死んでくれ、とそういう理屈だった。反吐が出る。

 

「俺はそれでも、人間が好きだ。弱く儚く、それでも強い人間という生命を俺は愛しているのだ」

「愛せ、る……?」

 

 獪岳は目を瞬いた。瞬いて、まじまじと煉獄を見た。

 すぐ近くにいるはずの師匠が、いきなり何尋も隔てた向こう側から語りかけて来たように感じたのだ。

 人間を愛す、愛さないなど意味がわからない。弱さも儚さも、獪岳は厭う。

 弱さや儚さを慈しむという理が、獪岳の中には存在しない。

 弱ければ死に、なす術なく道端で屍となれば誰が愛してくれる。誰を愛せる。

 

 煉獄杏寿郎という、この数ヶ月師事して来た人間が、急に見知らぬ生き物に見えた。

 それでも彼は、常に無い凪いだ口調で語るのだ。

 

「俺はそう思って生きてきたし、柱にもなった。己が人よりも強く生まれたのは、弱き人々を守るためである。それ故に天から与えられた力で、人々を苦しめることは許されない、とな。亡き母のその言葉を、俺はひたすらに信じ、守り続けている」

 

 目が眩むような眩しさが、そこにあった。

 それは─────その、言葉、は。

 

「強者の理屈、だろうな。ああ、わかっているとも」

 

 生まれついてに強い己を律して律して、律し続けて煉獄杏寿郎は炎柱になったのだ。

 生まれついて与えられた強さと、何年経とうが守るべきだと思える言葉をくれる人を(しるべ)にして。

 

 獪岳に、そんなものはなかった。

 そんな人はいなかった。

 生まれついて持っているものなど、自分の生命と、名前だけ。

 帰ろうよ、と自分に手を伸ばした少女は、見捨てた。逃げてと言われて、振り返りもしなかった。

 そうしなければ、生き延びられなかった。

 圧倒的に強い者に出くわせば、皆そうするだろうと、そう恥とも思わず生きてきた。

 

 しかしこの師匠は、煉獄杏寿郎という男は決してそうしない。

 浄罪の炎のように燃え盛り、成すべきことをなすのだ。

 その生き方は眩しすぎて、怖い。

 炎に近づきすぎれば、人間の肌など簡単に焼き尽くされてしまう。

 

「それでも君は生きている、獪岳。なすべきことを為して、怒りに満ちていても、ここにいる」

 

 声が降ってくる。空から落ちる天の炎のように獪岳だけに向けて、真っ直ぐに名を呼ばれる。

 声には、俯いた顔を上に向かせる力があった。

 

「君と俺は違う。違うが、俺は君の師匠だ。無事を喜ぶのは当たり前だろう。上弦の弐という自分より遥かに格上の敵からも、君は逃げなかった。何故だ?」

「それ、は……」

 

 だって、それは─────。

 

「幸が、いたから。俺の横に、隣にずっと、いて、あいつは、戦うと決めていて、子どもを……列車にいた子ども、庇って……俺のことも」

 

 言葉が捻れてままならない。

 頭の中が捩れて、ばらばらになる。

 横にいるはずの弟弟子のことも養い親のことも、獪岳はこのとき忘れていた。

 

 鬼から人を守りたかったわけじゃない。

 拾われた人間に、才能があると、お前なら鬼を殺せると言われたから、鬼殺隊になったのだ。

 鬼殺隊が救うべき()()()()()()人間は、獪岳を助けてはくれなかった。優しくしてくれなかった。

 家のない子を哀れむだけで、手を差し出してくれなかった。汚いと顔を背けた。

 あいつらが何人喰われようが死のうが、知ったことではない。

 そんなやつらより、ただ獪岳が生きていてくれてよかったと言ってくれた、たった一人の生命を優先して、何が悪いのだ。

 鬼であっても、化け物になっていても、関係ない。

 でもそれを、当の本人であるあいつは望まないのだろう。

 

「君は、鬼である幸少女の生命と、人間である里人の生命のどちらを取る?」

 

 だから唐突に投げかけられたその問いには、鬼殺隊として正しい答えを返すことができなかった。

 一つ残った煉獄杏寿郎の燃えるような瞳が、怖くて見ることができない。

 は、と自分の息が漏れていく音が、呼吸が浅くなっていく音が聞こえた。

 

「ち、ちょっと待って下さい!」

 

 素っ頓狂な声が響いたのは、そのときだった。

 声の出どころは、獪岳の真横。焼き芋片手にそこにいる、弟弟子だった。

 顔を赤くしたり青くしたり白くしたり、目まぐるしく変えながら、我妻善逸はつっかえながら口を開いた。

 

「獪岳が……獪岳と幸ちゃんがもし、そうなっても俺がいます!俺たちが守らなきゃならない人たちと、幸ちゃんとどっちかが死ななきゃならない状況になんて、絶対、絶対にさせませんから!いやえっと……俺は弱いけど、炭治郎とか伊之助とか!獪岳と幸ちゃんは一人じゃないですから!そういうことにならないように、俺、頑張りますから!」

 

 捲し立てるように善逸が言って、言い終わると同時に沈黙が満ちた。

 叫びが、そこらの空気の中に漂う。

 黄色い頭は、きょときょと落ち着かなげに辺りを見渡した。

 

「え、え?いや獪岳、何か喋ってってか何とか言えよぉぉ!俺、お前のこと言ってんだよ!?」

「うるせぇ」

 

 ごす、と獪岳は善逸の脳天に拳を落とした。

 

「いった!今本気で殴っただろ!なんでだよ!」

「別に」

「別に!?幸ちゃんにいつも言われてるじゃん!言葉惜しむなって!」

「近寄んな」

 

 ぎゃあぎゃあと喚き散らす善逸の顔面を鷲掴みにして遠ざけた瞬間、腹に響く笑い声が聞こえた。

 笑い声の出どころは言うまでもなく、煉獄杏寿郎。そもそもここまで呵呵と衒いなく笑う人間など、獪岳の知る限り彼くらいだ。

 獪岳と善逸は、揃ってぽかんと彼を見た。

 

「いやはや、驚かせてすまんな。我妻少年、君は獪岳の弟弟子だったな?同じ師匠に師事していた、雷の呼吸の使い手だと」

「え、あ、はい……。そうです」

「ならば良し!」

 

 何がどう良しなのだ、と言いかけた獪岳の背を、煉獄が全力でばしんと引っ叩いた。

 げほっ、と咳き込む。

 

「君は俺から見ても些か以上に頑なだな。他人に対しても、自分に対しても」

「?」

「わからぬか、気づいていないかどちらなのだろうな。いずれにしても、今日の君は真っ当に怒り、悲しんでいただけだ」

「悲しむ?俺が、何を?」

「む?幸少女の負傷に関して、だろう。彼女は人を守った。だが、人は彼女を守らなかった。君はそれに怒り、かつ悲しんでいただけだ」

 

 それにしては目が荒んでいたがな、とまたも煉獄は獪岳の背中を叩いた。

 

「ままならぬことだ。君たちを撃った里人は誤りを犯し、君たちはそれでも鬼殺隊の本分を全うした」

「そりゃあ、しますよ。俺たちに、他に場所なんてないんだから」

「む」

 

 人を喰らう衝動を必死に抑えなければならない鬼と、剣術以外に生きる術を知らない人間。

 まともに生きる道が、鬼殺隊以外のどこにあるのだ。

 獪岳の言葉をどうとったのか、煉獄は今度は軽く優しく、獪岳の肩を叩いた。苦笑するような笑みがあった。

 

「ああ。ままならぬ。何もかもままならぬことばかりだ。だが、ままならぬことを見据え、逃げることなく、俺たちは心を燃やして生きてゆかねばならない。人間とは、そういうものだからだ」

 

 俯瞰したその物言いは、獪岳には理解できないものではあった。

 それでも、生きてゆかねばならないという言葉は不思議と耳に残った。

 心を燃やすなんて言う言葉は、如何にもこの炎そのもののような師匠によく似合っていた。

 ばしん、とまたも煉獄は獪岳の背を叩いた。

 叩かれ過ぎて、そのうち背中が平たくなりそうである。

 

「とにかく今は、旨いものを食べて休め!俺は珠世という鬼を直接には知らぬが、竈門少年やお館様、君が信じられるというならば、信じるべき鬼なのだろう!」

「……休もうとしてましたよ。こいつに駅から引っ張って来られなきゃ」

「よもや!それはすまんな!何せ鎹鴉が派手に騒いでいたからな。俺も悲鳴嶼さんも心配しようというものだ」

 

 じゃらじゃら、と悲鳴嶼の数珠が鳴った。

 

「知らぬ血鬼術の気配だけを残して、お前と幸が消えたと鴉が騒いだ故な。だが、あの鴉を怒ってやるな、獪岳。口うるさいかもしれないが、雷右衛門はお前たちを心配していたぞ」

「すいません。その、らいうえもんって誰ですか?」

「お前の鎹鴉の名だが。知らなかったのか?」

 

 そんな、武士そこのけの古い名前だったのかあの馬鹿鴉は。

 多分、獪岳より鴉と仲良くしている幸も、知らないのではなかろうか。かすがい君とか、からす君とか、割と適当に呼んでいたから。

 何気に衝撃であり、獪岳は固まる。

 

「うむ。では今は、幸少女の復帰を待つしかないな。ところで皆!焼き芋のお代わりはいるか?」

 

 それはもう結構です、と乾いた喉で獪岳はやや咳き込みながら答える。善逸も似たような感じで断っていた。

 貰おう、と答えたのは悲鳴嶼だけである。

 煉獄はやや残念そうに、眉を下げた。

 

「そうか?俺はいくらでも食べられるのだがな」

 

 底なし胃袋の持ち主と比べられても困るのだと、獪岳は深く息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体いつまで人の庭先で焚火をするのだと、珍しく酒のにおいをまとわりつかせていない煉獄槇寿郎の小言が入ったことで、煉獄家での焼き芋大会は終わりとなった。

 途中から、焼き芋そっちのけで獪岳は木刀を持ち出してきた煉獄にしごかれ、逃げ遅れた善逸も一緒くたに手合わせに巻き込まれ、悲鳴嶼がそれを芋を齧りながら眺める、という訳が分からず、説明のつかぬ空間になったが。

 最終的には千寿郎まで出て来て、御無事で何よりでした、と見送られて獪岳は帰途についた。

 悲鳴嶼と善逸と、共に。

 特に会話らしい会話もないまま、日が落ちて暗くなった道を歩く。

 

「獪岳……今日は泊りに来ぬか?」

「え」

「お互い任務もないだろう。お前は手紙も寄越さないし、機会がなければ話ができぬ」

 

 筆まめな幸とは違って、獪岳は手紙など自分の用事がなければ出さないのである。

 幸が出しているのだから、自分が出さなくともよいと思っているのだ。

 何だか幼いころに叱られたときのようで、獪岳は首を縮めた。

 

「幸は手紙で話してくれるが、お前とは話せたように思えないのだ」

「それはまぁ……すいません、でし、た」

 

 滂沱と涙を流されながら言われると、思いっきり目を逸らしたくなった。怒るでもなく怒鳴るでもなく、大樹のような彼にただひたすら静かに泣かれると、どうしようもない気分になるからだ。

 頭の中で、行冥さんに心配かけちゃ駄目じゃない、と幸がつけつけと言って来る感じがある。

 うるさい喧しい。心配をかけない鬼殺隊員がいるわけないだろうが、とその幻聴をかき消した。

 

「玄弥とも話してくれると、嬉しいのだ」

「不死川玄弥ですか?俺、あいつからは嫌われてんじゃないかと思ってるんですが」

「そういうわけでは、ない……と思う。共に鍛錬でもすると良い」

 

 列車の中で、幸と話したことを思い出す。

 玄弥君とは、ただの玄弥君として接してほしいと行冥さんが手紙に書いていたと、幸が言っていた。

 

「獪岳、行ってきたら?悲鳴嶼さんと話せることなんか、滅多にないだろ?なほちゃんときよちゃんとすみちゃんには、俺が言っておくからさ。あの子たちも、獪岳たちのこと心配してたんだぜ」

 

 なほ、きよ、すみ、とはまたあまり聞いた覚えがない名だった。

 だが恐らく、あの蝶屋敷のそっくりな三人の看護婦少女たちのことだろう。

 確か彼女たちには任務に出るとき、いってらっしゃいと見送られていたのだ。

 普通に帰るつもりだったのに、結果はこうなってしまったのだ。

 

 煉獄家と、蝶屋敷のあいつらと、悲鳴嶼と、それに善逸と、随分とあちこちに心配をかけて、気遣われていたのだと思った。

 そしてそういうときに限って、幸はいないのだ。

 

「……今日は、やめときます。今度、幸がいるときに行きます」

 

 目を逸らしながら言うと、ぽん、と軽く頭に手が乗せられ、すぐ離れた。

 

「そうか。では、待っているぞ」

 

 それきり、辻で悲鳴嶼とは別れる。

 経文の描かれた羽織りを翻して、岩柱は去って行った。

 後に残るのは、黄色羽織りの弟弟子である。

 

「……」

「……」

 

 互いにこれまた、無言である。

 揃いの模様の羽織りの袖に両手を引っ込めるようにして、相変わらず善逸の視線は俯き加減で、頼りなげにさ迷っている。

 自分にできぬことをできるくせにと、修行時代と変わらぬ苛立ちがこみ上げて来て獪岳は足元の石ころを蹴った。

 その音をきっかけにでもしたのか、善逸はがばと顔を上げた。

 

「あ、あのさ、獪岳」

「あ?」

「さ、さっき俺の言ったこと、本当だからね。獪岳が俺のこと嫌いなのはわかってるけど、でも俺は獪岳にも幸ちゃんにも、いなくなってほしくないんだよ。それは、本当に本当だから」

 

 鬼か人間か、どちらか一つしか救えぬような絶望が訪れないように。

 

「幸ちゃんと獪岳がさ、二人だけで戦ってるわけじゃないんだからさ。いや、俺をあんまり頼りにされると困るっちゃ困るんだけどね!」

 

 そこは最後まで言い切るだけの度胸が何故つかないのか、と獪岳は横目で善逸を睨んだ。

 

「……テメェなぁ、偉そうなこと吠えんなら、鍛錬、逃げんじゃねぇぞ」

「いっ!?」

「常中の訓練のとき、お前サボってんだろ。でなきゃ、あんなにぐだぐだするわけねぇだろうからな」

「ぎゃっ!?」

「鬼に首の骨折られんのと、鍛錬で肋折んのと、どっちがマシかよく考えやがれ。カス。テメェに心配されるようなことなんざねぇよ」

「ちょっとそれは喩えが極端じゃないかな!?」

「黙れ」

 

 手刀を脳天に落とすと、善逸はびゃあ、と汚い高音で叫んでその場に蹲った。

 善逸をさっさとそこに取り残して、獪岳は足早に歩き出す。

 

「あー!ちょっと置いてくなよぉ!」

「静かにしろ。ついてくんな」

「おんなじ蝶屋敷に帰るのに無茶言うなっての!」

 

 喧しい、という獪岳の言葉と共に、再び手刀が善逸の脳天に振り下ろされたのだった。

 

 

 

 

 




時間的には遊郭編ぎり手前くらいの話。
友達増やそうね、でないと死ぬからね、という話。

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