鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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思うところがあって、タイトルを変えました。
よろしくお願いします。

二話です。

では。


二話

 

 

 那田蜘蛛山の麓に獪岳がたどり着いたころには、すっかり日が暮れていた。

 ここならばいいだろうと、背負った箱を下ろし、蓋を叩く。

 

「仕事だぞ。鬼っ子」

 

 すると、ぱたりと扉を開けて幸が出て来た。

 地面に立った瞬間にその姿は伸びて、赤子並みから七つ、八つの子ども並みにまで大きくなる。

 その気になれば、幸は大人の女くらいにまで体を大きくできるのだが、疲れるのかなんなのか滅多にそこまで大きくはならない。

 自分が鬼に変えられたころの大きさが、一番馴染むらしいのだ。

 

「お前、もう少し大きくならねぇのかよ」

「う」

 

 箱を適当に隠しながら愚痴のように呟くと、ふるふると首を振られた。

 そのまま、幸は目の前に聳える黒い山へととたとたと歩いていく。

 獪岳の上を、鎹鴉が旋回していた。

 

「那田蜘蛛山ァ!山へ向カッタ隊士ガ十人、音沙汰無シィィィ!現在、新タニ三名ノ癸ノ隊士ガ入山中ゥゥ!」

「おいクソ鴉、俺は聞いてねぇぞ。他の奴らがいるなんて」

 

 鬼の幸を見られると面倒なことになるから、獪岳は単独任務を請け負うことがほとんどだし、今までそれで何とかしてきた。

 

 鬼殺隊がうろうろしている山に行けば、幸が斬られる場合もある。

 何より、鬼を連れているのは紛れもない隊律違反だった。

 特に柱にばれれば、罰せられるのは獪岳である。

 

「問答無用ゥゥ!任務、遂行スベシィィ!」

 

 獪岳の頬を翼でばしりと引っ叩き、鎹鴉は飛び去った。

 どこかで見張っているのだろうが、ああなると捕まえられない。

 そして無視すれば、後々面倒なことになるだろう。

 頭を乱暴にかいてから前を向けば、幸がじぃ、とこちらを見ていた。

 

「俺以外の鬼殺隊に見つかんじゃねぇぞ。お前が斬られても、俺は助けねぇからな」

「ん」

 

 こくり、と幸は頷く。しかし急に何を思ったのか、くいくいと獪岳の袖を引いて一点を指さした。

 その指の先、道の上で膝を抱えて座り込んでいる背中に、獪岳は見覚えがあった。

 

「……あ?」

 

 地獄の底から響くような低い声に、幸が無言で一歩引く。

 そのまま獪岳から離れて駆け出した幸は、事もあろうに道端に座り込んでいたその人間の肩を、ぽん、と叩いたのだ。

 

 途端、野太く甲高い汚い悲鳴が、夜の闇をつんざいて響いた。

 

「ひっぎゃああああああ!って女の子ぉぉぉぉ!!??」

「ん」

「ってこの子、鬼ィィィ!どうなってんの俺が一人になったら鬼が出るとか本当どうなってんのこれぇ!!」

 

 叫びながらのたうち回るその鬼殺隊員を、追いついた獪岳は全力で以て蹴り飛ばした。

 ほぎゃあああああ、と果てしなくやかましい声を上げながらごろんごろんと転がった少年は、獪岳を見るなり地面から一尺ばかり跳び上がった。

 

「え、獪岳!?獪岳なんで獪岳!!どうしてここにいるわけ!?」

「静かにしやがれ。カスが。任務に決まってんだろうが。テメェこそ道で何してやがる」

「俺だって任務だよぉ!だけどさぁ!炭治郎と猪頭が先に行っちゃったんだよしょうがないじゃん!!」

「ん?」

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で叫ぶのは、獪岳の弟弟子である我妻善逸。

 同じ師の下で同じ時期に学んだ仲であり、だからこそ獪岳にとっては、どこまでも気に食わない相手である。

 

 鬼殺隊に入れたとは聞いたときは、最終選抜で死ななかったことが忌々しい奇跡だとすら思ったほどだ。

 

 無論、顔など合わせたくなかった。

 うるさく喧しく、意気地がなくてすぐに泣きわめく。だというのに、獪岳がどれだけ努力しようが使えなかった壱ノ型を、この出来損ないは使うことができるのだ。

 兄弟弟子同士にあるべき情など、持てるわけがなかった。

 まして、同じ任務にあたるなど真っ平御免である。

 

 あの馬鹿鴉は今度会ったらただではおかないと、獪岳はこの瞬間に決めた。空に逃げても、幸が本気で跳べば捕まえられるだろう。

 善逸の叫びが怖くなったのか、びっくりしたのか、幸は獪岳の脚の後ろに隠れる。

 それを見て、善逸は目を丸くした。

 

「え、獪岳その子なんなの?もしかして俺が知らない間に、少女趣味に目覚めちゃったの?」

「殺す」

「え、ちょっと待って刀鳴らさないで鯉口切るのはちょっと待ってぇぇぇ!!隊員同士の抜刀は隊律違反でしょぉぉぉ!」

「任務放棄して道端でぐずつくのも違反だろうが、カスが。どうせ怖気づいて、仲間に置いてかれたんだろ」

 

 たちまち俯く善逸に、獪岳は心底呆れた。

 いつもいつも、怖い痛い無理だと喚いて逃げ出そうとするのが、我妻善逸という弟弟子なのだ。

 

「テメェみてぇなカスに付き合ってられるか。そこで一生みっともなく喚いてろ」

 

 行くぞ、と促せば、幸は頷いた。

 すると、ひどい面のまま、善逸はついて来たのだ。

 

「え、待ってなんでそんなちっさくてかわいい子まで行く気満々なの?っていうか、本当その子誰!?」

「うっせぇ。ついてくんじゃねぇよ」

「嫌ぁぁぁ!ここ絶対ヤバいから!俺一人だと死んじゃうからぁぁ!てか、獪岳めちゃくちゃ強いんだから女の子を危ないとこに引っ張ってくなよぉぉ!」

「死んどけ」

 

 余りの喧しさに、本気で斬ってやろうかと背負った刀の柄に手をかけたときだ。

 

「かいがく、だめ」

 

 刀の小尻が、横に引かれた。

 

「かたな、おに、きる、もの。かいがく、おに、きる、ひと」

 

 鬼殺隊の刀は鬼を斬るためにあるから、人を斬ってはならない。獪岳は鬼を斬る人だから、人を斬ってはならない。

 大方、そんなところだろう。

 

「しゃ、喋った?え、禰豆子ちゃんはしゃべれなかったのに?って、そういえば炭治郎、禰豆子ちゃん持ってってんじゃん!!」

 

 びゃああああ、と汚い奇声を上げる善逸をもう一度蹴り飛ばし、今度こそその場に放り出して、獪岳は走り出した。

 これ以上付き合ってはいられない。

 山にどんな鬼がいるかは知らないが、善逸のように怖気づくのは真っ平御免だった。

 鬱蒼と木の茂る山の中は、踏み入ると嫌な気配に満ち溢れていた。

 そこかしこで、嫌な臭いがする。

 血と、死んだ人間の気配がした。

 

「鬼はどこだ?」

「とおい、あっち」

 

 鬼となった幸は高い脚力の他に、鬼の居場所をある程度把握することができる力を持っている。

 血鬼術とはまた違うのだが、恐らく、周り中敵の鬼ばかりの藤襲山に、何年も閉じ込められていた間に得た能力なのだろう。

 躊躇いなく、幸は暗闇のある方向を指さした。

 

「やま、おに、おおい」

「鬼が群れてやがるってのか」

「そう」

 

 鬼は、通常ならば群れない。

 集まれば途端に共食いを始める、あさましい生きものなのだ。そのお陰で鬼殺隊が鬼を殺せているとも言えるが。

 だが、鬼の例外で言うならば獪岳の前にいるこの鬼とてそうだ。

 理性を持って人を喰わぬ鬼よりも、鬼同士で群れて人を喰う鬼のほうが、何百倍も『らしい』存在だった。

 

「つよい、おに、いる」

「……十二鬼月か?」

「ん」

 

 やや自信なさげに、幸は頷く。獪岳は舌打ちを返した。

 鬼の中でも特に強い十二体の鬼は、十二鬼月といわれる。

 実力が上のものが上弦、下のものが下弦と呼ばれ、これを一体倒すことが『柱』になるための資格の一つでもあった。

 だが下弦の鬼ならばともかく、ここ百年以上の間、柱が上弦の鬼に負けて殺された話しか聞かない。

 獪岳は『柱』になりたい。

 誰にも殺されないほどに、強くなりたい。幸と共に鬼殺を続けて、五十以上の頸を落としたが、まだ壱ノ型には届いていない。

 

 死ぬのは御免蒙るのだ。

 下弦の鬼ならば獪岳でも倒せるのだが、上弦となると十中八九死ぬだろう。

 だが、ここで任務を放棄して帰っては、あの喧しい弟弟子と同じことをする羽目になる。

 それだけは絶対に嫌だった。

 ともあれ、幸の先導に従って山を駆け抜けること数十分。不意に幸が足を止めて、岩陰に獪岳を手招いた。

 

「かいがく、あそこ」

 

 幸が指差す先には、女の鬼がいた。

 長い白い髪の鬼で、山道をただ歩いている。獪岳や幸には、まだ気づいていない。

 あれならば、丁度良かった。

 

「俺がやる。お前は周りを見てろ」

 

 背に負った刀の柄を握り、低く腰だめに構える。

 息を深く、深く吸って吐き、獪岳は両足に力を込めた。

 

 ───雷の呼吸、×ノ型

 ─────××××

 

 瞬足の抜刀と踏み込みにより、一瞬で鬼へと肉薄する。

 すれ違いざまに振るった日輪刀が、女鬼の頚を過たず斬り落とした。

 

「え……」

 

 鬼にとっては、何が起きたかもわからなかっただろう。

 間の抜けた声を上げた頸が転がり落ち、残った体だけがしばらくふらふらと揺れていたが、それもすぐに倒れ伏す。

 獪岳は刀を一振りして鞘に納め、苛立ちを込めて斃れた鬼の体を蹴とばした。

 

 今の技は、違う。

 違う、違う違う違う違う!違うのだ!

 

 あんな醜いものは、本物の壱ノ型には及ばない。

 鬼の頸を落とせたとはいえ、獪岳が求める壱ノ型・霹靂一閃には程遠かった。

 

「鬼……狩りィ……!」

 

 転がった女の頭にはまだ意識があるのか、獪岳を恨みの籠った目で睨みつけた。

 つくづく、鬼というのは化け物だ。こんなザマを晒しても、すぐには死なないというのだから。

 だが、僅か数秒で女の鬼はぼろぼろと灰のように崩れて消え去った。

 鬼の死に際はいつも同じ。亡骸も残さず、崩れ去って風に散らされる。

 

「ん」

 

 岩陰から幸が出て来て、女の鬼が消えた跡に小さく手を合わせる。口からは、何か言葉がこぼれ落ちていた。

 寺にいたころ、坊さんから教えられた経の一部を幸はまだ覚えている。

 獪岳が鬼殺隊として鬼を殺すようになってからは、いつも鬼が消えたところに立ってそれを唱えているのだ。

 といっても、長い言葉を喋ることができない幸の経は、たどたどしくて意味も通りはしないのだが。

 

「何してやがんだ、グズ。とっとと次の鬼の位置を探れ」

 

 小さな手を合わせている幸の頭を、獪岳は刀の柄頭で叩いた。

 鬼になったくせに、時折人間だったころを思い出させる振る舞いをされるのは、腹が立った。

 

 馬鹿だったあの少女は、数年前に死んだ。

 今ここにいるのは、同じ姿形をし、たまたま理性を失わないでいるだけの、鬼。

 日輪刀と同じ、獪岳の使い勝手のいい武器であり、そうでなければならなかった。

 刀で小突かれようが、幸にとっては痛くも痒くもないのだろう。

 それでも、心無しか哀し気に幸は女の鬼の体が崩れた場所から離れ、目を閉じて鼻を動かした。

 

「あっち」

 

 数秒経ち、幸はまた森の奥を指さす。そのまま獪岳より先に走り出した。

 幸が本気を出して走れば、獪岳でも追いつけない。

 元から脚力に優れた体であるのに加えて、いつの間にか勝手に獪岳を見て覚えたらしい全集中の常中を使うようになってからは、いよいよ幸は、手が付けられない速さを持っているのだ。

 

 ちなみに、獪岳は決して幸に全集中の呼吸など教えていない。

 獪岳が常中の訓練を積み、会得している様を見て、勝手に覚えやがったのである。

 鬼と戦うための人体強化術、呼吸法をよりにもよって鬼が覚えると、手が付けられなくなると獪岳は身を以て知る羽目になっているのだった。

 

 そして今、放たれた矢の勢いで、夜の山道を物ともせずに進む幸の後を、獪岳は必死で追った。

 

「少、し、抑えろよ……!」

「ん」

 

 幸が首を振った。

 急がなければならない事情があるのだろう。

 こういう場合、大概行く先には鬼に襲われている人間がいるのだ。

 岩を飛び越え、木の枝から枝へと飛び移り、転がるように駆ける幸を追っていけば、行く手にまたも鬼の気配があった。

 

 今度の鬼の影は、大きい。

 大人の男を縦に二人分重ねたほどの体躯に、異様に盛り上がった筋肉に鎧われた異形の鬼。

 蜘蛛そのものな、牙を剥きだした貌の周りに、白い髪がざんばらになって散っている。

 異形の鬼の、丸太のように太い腕は、何か人間らしきものの首をつかみ、持ち上げていた。

 

「だ、め」

 

 小さな声と共に、幸がさらに加速した。

 ぐ、と足を曲げたかと思うと、弾丸のような勢いで幸は異形の大鬼に飛びかかった。

 真っ直ぐな踵落としが、人間をつかんだ鬼の腕に炸裂する。

 ボグ、と骨が粉砕される鈍い音がした。どさりと、つかまれていた者の体が落ちる。

 

「ギ、グァァァァァ!」

「ん」

 

 異形の腕が振るった腕を、ひらりと蝶のように幸が避けた。

 地面に落ちた人間を一瞬で担ぎ上げ、後ろに跳び退る。

 必然、幸の後を追っていた獪岳が前に出る形になった。

 

「チッ」

 

 ───雷の呼吸、弐ノ型

 ────稲魂

 

 

 瞬きの間に放ったのは、五連の斬撃。

 だが、まともに鬼の体を切り裂けた斬撃は三つまでだった。残りの斬撃を、鬼の体は耐えていた。

 単純に、この鬼の体は固く、獪岳の刀を弾いたのである。

 

 だがそれならば、斬れるまで斬ればいいだけの話だった。

  

  ───雷の呼吸、弐ノ型

  ────稲魂

 

 再びの五連撃が、蜘蛛そのものの悍ましい顔をした鬼に突き刺さる。

 一撃目は、右腕。だが、鬼の固い体は辛うじて耐えた。

 二撃目が、左腕を斬り落とす。

 三撃目が、左足首を半ばまで切断する。

 四撃目が、右足首を斬り飛ばす。

 最後の五つ目の斬撃が狙ったのは、再び右腕だった。

 一度目の斬撃を走らせた箇所を完璧になぞった一撃は、今度こそ鬼の右腕を落とした。

 

 四肢を斬り落とされ、達磨のようになった鬼の巨体が地に落ちる。

 だがまだ、鬼は死んではいなかった。

 頸を落としていないから、死ぬことができないのだ。

 

「この山で一番強い鬼は何処だ。十二鬼月は何処にいやがる?」

 

 日輪刀を頸に突きつけ、問い詰める。だが鬼は、錯乱したのか闇雲に暴れて、土の上をみっともなくのたうち回るだけだった。

 蜘蛛の目玉で、鬼は茫洋と佇む幸を睨んでいた。

 

「ヴェァァァァ゛!俺の家族ニ近ヅクナァア!」

「……役立たずが」

 

 刀を一閃し、頚を刎ねる。

 これ以上は時間の無駄にしかならないだろう。

 刀を鞘に戻せば、助けた人間の体を担いだまま、とてとてと幸が近寄って来た。

 だがその人間、辛うじて下に隊服こそ着ているものの上半身は裸だし、どこからどう見ても首から上が猪である。

 おまけに、幸に抱えられて尚じたばたと元気に動いていた。

 

「おい、なんだそいつ。鬼か?」

「ちっげぇぇよ!おいお前ら、俺と勝負しやがれ!」

「ん、むり」

 

 ごろん、と幸が猪頭を地面の上に雑に下ろす。

 即座に屈んだ獪岳は、猪頭の腹に柄頭を叩きこんだ。

 声も出さずに頽れ、猪頭は気を失う。

 

「うるせぇ。俺たちのこと見やがったなら、しばらく寝てろ」

 

 一瞬しか見ていないだろうが、この猪頭隊士は幸が戦うところを見たのだ。

 だがとりあえず気絶させておけば、ほとんど幻覚で処理されて気づかれないものである。

 今まで危ういときは、毎回そうしてきた。

 何より、この状況で勝負しろとかいう猪頭野郎の要求は、明らかに面倒くさいとしか思えなかった。

 訳のわからぬ猪頭はとりあえず置いておき、次へと進もうとする獪岳と逆に、幸はみるみる崩れて行く異形の蜘蛛鬼の体に、やはり手を合わせていた。

 

「お前、いつまでそうしてやがる。意味なんざねぇだろ」

「いみ、ある」

「ねぇよ。お前がやることなんざ、いつだって無駄だ」

「……」

「とっとと行くぞ。鬼はまだ死んでねぇ」

 

 異形の鬼は硬かったが、それだけで十人もの隊士が行方不明になるとは思えない。

 この山にいる鬼は、こんなものではないはずだ。

 幸は俯くこともなく、いつも通りの茫洋とした顔のままついてくる。

 鬼になってから、幸の表情はほとんど変化しなくなっていた。薄っすらと、悲しみや怒りを読み取れる程度だ。

 

「……ん」

 

 す、とその幸の表情が引き締まる。

 同時に獪岳も、こちらへと走って来る足音を聞きとっていた。

 微かに聞こえる、鞘走りの音。音の発生源は、幸の背後。

 次の瞬間、幸の真後ろに黒髪の男がひとり現れ、刀を振り被っていた。

 青い刀が狙っているのは、幸の頚。

 

 咄嗟に、本当に考える間もなく、獪岳は幸の肩をつかんで背後へと放り投げていた。

 男の刀は空を切り、獪岳は自然と幸を背後に庇う形になって、襲撃者と向き合うことになる。

 男の刀に刻まれている、悪鬼滅殺の文字を見た瞬間に、獪岳は己の行動を後悔した。

 刀に悪鬼滅殺の文字を刻んでいる者は、鬼殺隊を支える柱以外にあり得ない。

 柱の前で、獪岳は堂々と鬼を庇ってしまったのだ。

 だが、柱の男はむしろ興味深そうに獪岳と幸を見、刀を僅かに引いた。

 

「その娘、鬼か?」

「……そうだ。だが、人を喰ったことはない。俺が連れている鬼だ」

 

 他に、答えようがない。

 今からでも幸を斬ればいいのか、と迷う間に、男はさらに獪岳に問うてきた。

 

「それはお前の妹か?」

「は?」

「違うのか。お前も、鬼になった身内を持っているのかと思ったんだが」

 

 ─────この柱、何を言っているんだ?

 

 鬼になった身内を、お前『も』持っているのか、だと?

 その前に、幸は妹でも何でもない。獪岳に家族はいない。

 

 男の言葉の意味がわからなさすぎ、言いたいことがありすぎて、逃げればいいのか何をすればいいのか獪岳は固まった。

 

「ん」

 

 くい、と幸が袖を引き、我に返る。

 金色の二つの眼は、獪岳を真っ直ぐ捉えていた。

 

「おに、まだ、いる。うえ、いち。した、いち」

 

 この状況で律儀に索敵をして俺に報告するなボケ、と獪岳が罵る前に、柱の男は至極冷静な口調で問うてきた。

 

「その鬼の娘は、鬼の居場所がわかるのか?」

「……大体はな。今は山の上に一体。下に一体いるってことだ」

「そうか。ならば手分けしよう。下はお前たちが行け。上には俺が向かう」

 

 顔色ひとつ変えずに、柱は言ってのけた。

 

「何をしている。早く行け。それから俺以外の隊士や蟲柱の前では、その鬼は見せないほうが良い。俺は前に見ているからいいが」

「あ?何を見たって……」

 

 獪岳が尋ねる前に、柱の男は走り去り、消えていた。

 言いたいことだけ言われて去られ、気分としては荷車に追突されて逃げられたにも等しいのだが、あの男はどうやら幸をすぐに斬るつもりも、それを連れている獪岳も罰するつもりはないようだった。

 少なくとも、今この場においては。

 

「なんなんだ、あの柱」

 

 刀身が青ならば、恐らくは今代の水柱になるのだろう。

 水の呼吸に適性がある者は、刀身が青く変わりやすいというから。

 

「かいがく、おに、いく」

 

 だがともかくも今は、水柱の言うとおりに鬼を斬るしかなかった。

 おかしな水柱に加えて、毒使いだという蟲柱まで来ているとか最悪以外の何ものでもないのだが。

 

「いそぐ、おに、ちかい」

 

 状況がわかっているのかいないのか、幸は変わらない。淡々と告げ踵を返すや否や、全速力で以て走り出す。

 獪岳も、その後を追う。

 数間先の木々の中で、覚えのある気配を感じたのは、そのときだった。

 空気に微かに混ざる、物が焦げるような臭い。

 

「待て、止まれ!」

 

 闇の木立の中で叫べば、幸は急停止して獪岳を振り返った。

 

「あれは雷の呼吸の技だ。気配があった。鬼はもう、いねぇだろ」

「ん。おに、きえた、きいろかみ、ちかい」

「黄色って、あのカスかよ」

「ん。きった」

 

 認めたくはない弟弟子、我妻善逸。

 それがどうやら、下にいた鬼を獪岳たちに先んじて斬ったらしい。

 山の入り口で、めそめそとしていたくせに。

 

「……初めからやれ」

 

 いつもいつもいつも、獪岳にできぬことができるくせにやらないから、腹が立つのだ。

 だがこれで、獪岳が下に行く必要はなくなった。

 それならば、ややこしい柱に遭遇する前に、幸をどこかへ隠すに限る。

 だが、再び幸は走り出したのだ。

 

「おい!」

「ひと、ち、におう」

「戻れって言ってんだよ!」

 

 幸は止まらなかった。

 駆けて駆けて、ようやく止まったのは木々のない開けた場所。

 一軒の小屋の残骸が、糸によって地面からはるか離れた中空に浮いている、不気味な広場だった。

 辺りに目をやれば、何かカサカサと地を這って暗闇に隠れたものがいた。蜘蛛か何か、のように見えた。

 

「なんだここは。……鬼、の住処か?」

「ん」

 

 頷いて、幸は地を蹴り小屋の上に飛び乗った。

 そしてすぐさま、人間をひとり担いで跳び下りて来る。血の気の失せた血だらけのそれは、あの弟弟子に他ならなかった。

 

「そいつ、死んだのか」

「ちがう。いきてる。いきる」

 

 鬼は斬ったが、相討ちにでもなったのだろう。

 手足が異様に縮んでいるから鬼の毒でも受けて死にそうなのか、と獪岳は冷めた頭で考えた。

 そして面倒なことに、このように鬼のために死にかけている人間を見れば、幸はまず助けようとする。

 普段は従順に獪岳の言うことに従い、殴ろうが蹴ろうがついてくるというのに、これだけは直らない癖だった。

 

 地面に横たえた善逸の体の上に、幸が手をかざす。

  

「う……ぁ?」

 

 意識がまだあったのか、善逸が呻き声を上げた。

 虚空を見ていた視線が、獪岳へ向けられる。

 

「じい……ちゃん?」

「うるせぇ、カスが。何無様晒してやがる。呼吸をしろ。死ぬぞ」

 

 毒の巡りを遅らせなり出血を抑えるなり、呼吸を用いて己ひとりで何とかしろ、という話である。

 罵ったつもりなのに幻覚でも見たのか、善逸の顔がやや安らいだものになり、正しく毒の巡りを抑えるための呼吸が始まる。

 同時に、善逸の体に幸の手から放たれた薄紅の光が降り注いだ。

 

 ─────血鬼術・癒々(ゆゆ)ノ巡り

 

 それは、幸が持つ血鬼術の光だった。

 毒の浄化を行う癒々ノ巡りと、怪我を癒す癒々ノ廻りの二つしかなく、攻撃を行うことはできないが、効果が単純なだけに扱いやすい血鬼術だった。

 だが、この技を使うと、幸は戦いが終わったあとに深い眠りに落ちる。手遅れ寸前の人間を一人癒せば、丸二日、場合によっては三日は目覚めない。

 そうなると必然、獪岳が幸を抱えて帰らねばならなくなるのだ。それが面倒くさいのである。

 だが、血鬼術を発動させた幸を引き剥がすなど、不可能なのだ。

 

 癒々ノ巡りの光を浴びて、善逸の表情がみるみる安らかなものになる。

 光が消える頃には、ほぼ安らかに眠っているに等しい阿呆面で眠る弟弟子が、そこにいた。

 

「ん」

「終わりかよ。んじゃ、とっとと帰るぞ」

 

 言って、獪岳は立ち上がろうとした。

 だが、できなかった。

 いつの間にか、首元すれすれに刀が添えられていたのである。

 ひく、と喉が震えた。

 

「かいがく!」

「あら、鬼のお嬢さん。動かないで下さいね。少しでも動けば、この人の首が落ちてしまうかもしれませんよ」

 

 耳元で響く、やわらかな声。

 目だけを動かせば、異様なほど細い刀の鍔に近い部分には、『悪鬼』の二文字が刻まれているのが見えた。

 声の音だけが悍ましいほどに優しい女の声は、獪岳の背後で唄うように続けた。

 

「私は蟲柱、胡蝶しのぶ。あなたも鬼殺隊であるならば、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。それとも、鬼を連れている掟破りの隊士さんは、私のことなどご存知ありませんか?」

 

 獪岳は答えられない。

 首元に日輪刀を突きつけられた状態で、何が言えるというのだろう。

 善逸の体を挟んだ向かいには幸がいるが、獪岳が押さえられているために動けないでいる。

 幸は、獪岳が怪我をすることに怯えるし、何より人間を傷つける行動を決して取れない。

 それを行えば、最後の理性を焼き切ってしまうとでも思っているのか、異常なほどに人を傷つけられないのだ。

 だから幸は、ただ獪岳の目の前で金色の瞳をいっぱいに見開いたまま、凍りついていた。

 

「あら、答えないということは、知らないということで構いませんね。さて、あなたがそこの鬼とこの山で何をしていたのか、しっかり聞き出させてもらいますからね」

 

 獪岳にとってそれは、悪夢にも等しい宣言だった。




【コソコソ裏話】
幸は耳や鼻ではなく、記憶力が異様に発達していました。

一度見聞きしたものは忘れず、それ故に育ての親の話す教えも、家族である皆との会話も、すべて覚えていたのです。

食人衝動を抑えることができたのも、この図抜けた頭のためであったりします。

状況:高校の先輩後輩において、彼らの関係は(イメージで)

  • 保険委員と不良
  • 図書委員と不良優等生
  • 剣道部の先輩後輩
  • 学生バンドのメンバー(人数:2人)
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