鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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では。


九話

 

 

 

 

 

 吹っ飛んで離れていく怒号をよく聞いている暇は、なかった。

 鎌から放たれた斬撃が、首筋を掠めて行き、背後で軌道を変えて頬の肉をざくりと抉っていったからだ。

 放り投げた獪岳の懐から落ちた何かを拾い上げて懐に押し込み、幸は前転の要領で鎌を避ける。

 

 この血でできた鎌の刃は飛び、しかも曲がる。加えて、傷から痛みと痺れが全身に走ったのを鑑みれば、毒が混ざっている。

 鬼にこうまで効くならば、人間には間違いなく致命。

 毒を分解する血鬼術を、即座に使った。

 紅の光を纏いながら、幸は鎌鬼へ飛びかかる。

 躱し、爪で武器の軌道を器用にずらして、掌底で顎の下を打ち抜いた。

 ぐらり、と鎌鬼の体が後ろに揺れる。しかしすぐさま、上体を立て直し横薙ぎに鎌を一閃された。

 宙に飛んで躱す。頬の横の髪がざくりと斬られた。

 

「お前、本当にそれだけしかできねぇんだなぁぁ!人を助けて殴って蹴って、爪で斬るだけかよお!」

「……」

 

 無論、斬って殴るだけで鬼が死ぬわけはない。

 幸には刀を扱うことができない。

 刀の柄を十秒以上握ると手が震えだして、どうしても振り回せなかった。

 全集中の呼吸はできても、獪岳や善逸のように頸を正確に刀で切り裂けないのだ。

 だから、鬼殺の剣士がいなければ鬼をまともに殺してやることすらできない。

 ひゅう、と背後に迫っていた曲がる斬撃が袖を切り裂いていった。この斬撃は、鬼の血でできた鎌の刃だ。

 宙で曲がるだけではない。何かに当たって弾けるまで相手を追い続ける。

 猛毒が含まれ、並みの人間がくらえばまず即死。鍛えられた剣士でも、死ぬのが僅かに遅れる程度にしか、持ち堪えられないだろう。

 

「早く死ねよぉ。そんで、死ぬときやグルグル巡らせろ。俺は妓夫太郎だからなぁ」

「……」

 

 蟷螂のよう、と無表情の下で思う。

 両手に持った鎌を自在に振るい、しかも隙がなく、速い。

 幸はいくら斬られても、血鬼術を使える限り、動きは止まらない。力でも経験でも負けていようが、それでも速さは負けていないから、保たせていられる。

 ひらひらと緩く速く動きを変えながら、鎌鬼を翻弄し、いなす。

 周りからは、次々人が逃げていく。

 先程、幸が建物に投げつけられ、壁をぶち壊した音で起きた住人たちは、痩せ細って鎌を携えた男と、爪や牙を光らせる長髪の少年が宙で斬り合うのを見るや、悲鳴を上げて逃げていくのだ。

 それでも、何か声を上げようとした人間には、殺気混じりで視線を飛ばす。ぎらぎら金に光る、縦に割れた化け物の瞳で睨みつければ、皆逃げてくれる。

 その悲鳴が、また別の人間を叩き起こす。

 

 逃げて、逃げて、早くここから逃げて、と祈るように願う。

 この鬼は、決してあなたたちのところには行かせないから、と。

 

「なぁ、なぁなぁなぁ、お前はさぁ、童磨が鬼にしたやつなんだろう?死にかけの、みっともない有様だったって聞いたぞぉ」

「どう、ま?」

 

 鎌と爪で斬り合いながら、鬼、妓夫太郎が嗤うように告げる。

 幸いなことに何故か、この鬼の狙いは幸に強く向いていた。周りの人間を、ほぼ無視して幸だけを切り刻もうとする。

 さっきも獪岳のほうはあまり注意を払っておらず、上弦の弐のように、人間をこれみよがしに拾い上げ、喰おうとしたりしない。

 戸惑いに呟いた幸を見て、彼はにやりと嗤う。

 

「上弦の弐さぁ。俺と妹もなぁ、あいつが鬼にしたのさぁ。おかげで今じゃ、俺たちは上弦の陸ってわけだなぁ」

「……そうか。童磨って言うんだ」

 

 どうま。

 それがあの氷の鬼の名前、らしい。

 仇の名が、心の底に冷たく重く沈む。

 きひ、と妓夫太郎がまた嗤った。何がそれほど楽しいのだ。

 

「俺たちは童磨のおかけで十二鬼月になったけどよぉ。お前はみっともないまんまなんだなぁ。人間なんぞ庇ってよぉ。あいつも今から、どうせ俺たちに奪われるんだからなぁ」

「奪われる?」

「そうさぁ。俺たちは奪うのさぁ。人にされた痛みを苦しみを、人にやり返して取り立ててやるんだよ。それが俺たちの生き方だからなぁ。逆らう奴は皆殺しにしてきたのさぁ」

 

 胸が悪くなるほど濃い血臭を放つ十二鬼月は、あくまでも嗤うのだ。

 鎌からは毒血が滴り落ちて、傷口から体内に入り込み、体を死に至らしめようとする。鬼だから死にはしないが、痛みがないわけではない。動きが鈍くなってはならない。

 紅の光を纏いながら体を駆け巡る毒に抗いつつ、幸は返した。

 

「……あなたの生き方、好きじゃ、ない」

「あ?」

「わたしは、誰かから奪って、誰かに奪われるだけがわたしの人生だなんて、思いたくない。それで自分の人生を一杯にしても、満たされない」

 

 はた、と妓夫太郎の動きが一瞬止まる。

 次の瞬間、彼は引き裂かれたように口を吊り上げた。

 

「そうかよぉ。じゃあお前は、幸せな生き方してたんだろうなぁぁぁ!!」

「……そうだね。……うん、そうだよ」

 

 いつも、誰かが何かを与えてくれた。

 神さまも仏さまもいなかったけれど、人間はいた。

 親に捨てられたときは、行冥さんが拾い上げてくれた。

 鬼になったときは、獪岳がついて来いと言ってくれた。

 本当の本当に心の底から一人ぼっちになって、絶望に心を明け渡したことはない。ずっと、抗うことができた。

 それは、自分が特別強かったからじゃない。

 誰かに与えられた優しい記憶があったから、捨てたくないと思えるだけの、人間でいたころの縁を覚えていられたから。

 側にいなくても、触れられなくても、見えなくても聞こえなくても、色褪せない記憶の中の人たちをいつも、忘れなかった。

 

「あなたも妹も殺すし、童磨も必ず殺す。そのために、ここに、いる」

 

 この鬼は、人間だったころどうしていたのだろう。

 自分と同じように童磨と出会い、人に奪われたものを取り返すためだと、奪われてきた者の言葉を振り翳して、十二鬼月になるまで、一体どれだけの人を貪り喰ったか。

 だから、この鬼は、殺さなければならない。

 過去がどうであれ、この鬼もその妹も人を喰い続けている。

 なんの罪もない人からも、奪い続けていく。

 それは許されない。許さない。誰も救われない、報われない。

 

 首の皮一枚切り裂いた鎌を肘で突き弾いてずらし、その隙間から妓夫太郎の痩せ切った胴体に蹴りを放つ。

 鈍い音がして、妓夫太郎がわずかに下がった。同時に背後から迫っていた鎌が、幸の背をざくりと深く斬る。

 

「ッ!」

 

 衝撃で膝をつきそうになるのを堪えた。

 荒く浅くなりそうになる呼吸を抑え、整える。

 この鬼は、強い。

 幸より何倍も長く生きてきた、恐い鬼。

 だけど、だからこそ殺さなければならない。十二鬼月の陸は、弐より弱いのだから。

 殺したいのは、殺さなければならないのは、上弦の弐だ。

 上から斬りかかって来た妓夫太郎の鎌の二撃を飛び退って避けた。地面が深く抉られる。

 

「ヒッ!」

 

 場違いな声がした。

 頭を巡らせれば、そこにいたのは着物の女。逃げ遅れがいたのだ。

 

「逃げて!」

 

 幸の叫びに慌てて着物の裾をからげ、女は走り出した。

 

「ひひっ!逃さねぇよぉ!」

 

 瞬間、鎌鬼が跳んだ。

 鎌を振り上げ、女に飛びかかる。気配を感じて振り返った女の顔が、恐怖に歪んだのが見えた。

 

「……ぐ……っ!」

 

 間一髪で、届いた。

 振り下ろされる鎌と女の間に飛び込み、袈裟斬りをその身で受ける。傷をそのままに鎌鬼の両腕を掴むや、幸は頭突きをくらわせた。

 仰け反った鎌鬼の胸板を、全力で蹴り飛ばす。

 脚の筋肉が音立てて切れるほどの力で蹴り飛ばせば、やせ細った体の鎌鬼は礫のように吹っ飛んでいった。

 女の方を向く。喉が鳴った。

 鎌から放たれていた血の刃が、女の背後に迫っていたのだ。

 

「待っ……!」

 

 駆け出そうとしたとき、横合いから殴りつけるような二刀が走った。

 毒の鎌が叩き落とされ、地が割れた。

 

「待たせたなァ!無事かお前!」

 

 夜闇に、しゃらりと石を綴った飾りが鳴った。

 血鎌を切り飛ばした音柱は、幸の方を真っ直ぐに見た。

 ほっとした。心から。

 音柱は幸の方を見て、やや顔をしかめた。

 

「おい、その怪我でやれんのか?血の臭いがひでぇぞ」

「治し、ました。鬼の鎌は猛毒で、町の人がくらったら、死にます。斬撃は曲がります。当たるまで追ってきます」

「応」

 

 音柱が手短に伝えた途端に、影が差す。戻って来た妓夫太郎が、星空を背に天高く飛び上がっていた。

 ぎゅる、と空気が捻り、鳴る音を聞いた。

 

「下がれ!」

 

 前に出た音柱が、鎖で繋がれた二刀を構えた。

 鬼の両腕から放たれた竜巻のよう黒い血風の刃が音柱の連続攻撃と衝突し、相殺される。

 幸にはわからないが、あれがきっと音の呼吸なのだ。

 音柱の剣戟を掻い潜り、背中に迫っていた刃を蹴りで相殺する。刃で脚は切れるが、血鬼術ですぐ繋げば動きに淀みはない。

 幸が珠世にかけてもらった暗示は、前のものよりも強力だった。というより、幸は自分が自分に暗示をかけていたと指摘されるまで自覚はなかったのだ。

 

 感覚としては、前よりも無理が利く域が上がっている。血鬼術を使って戦える時間が増えているのだ。

 獪岳に追いついて早々に上弦と戦うことになるのは、完全に予想外だったけれど。

 あの短気者、ひとが動けない間になんてところに来ているのだ。

 

「おい鬼っ娘ぉ!こいつはなんなんだ?花魁の蕨姫ってのがこいつかァ!?」

 

 そんなわけがない、多分。

 幸はぶんぶん首を振る。

 

「違います!妹の鬼が、あっちに!」

「そうか!あっちには善逸と伊之助が行ってらぁ!こっちの鬼は俺とお前でどうにかするぞ!」

「わかり、ました!わたしの頚だけ、斬らないで!」

 

 逆を言えば、頚以外ならば多少巻き込まれて斬られても構わない。幸は鬼なのだから、案外簡単に繋がる。

 毒の鎌が、音柱と幸を斬り刻もうと次々襲い来る。

 だがその速さに、音柱も幸も慣れつつあった。音柱は鎖で繋いだ二振りの日輪刀で、派手に斬撃を弾いて寄せ付けず、刻まれても毒が回ろうとも、幸は死なないのだ。

 それに音柱の技は、どことなく獪岳と善逸の雷の呼吸の型と似ていた。隙間を縫うように立ち回るのは容易ではないが、できないことではないのだ。

 焦りからか、妓夫太郎が大振りな鎌の一撃を振るう。瞬間、音柱が間合いの外から深く踏み込む。

 到底届かないはずの距離から振るわれた一撃は()()()

 

 

「!」

 

 幸も驚く。

 鎖で繋いだ刀の一本の刃先を握り、もう一方の刀の間合いを手妻のように伸ばして一気に詰めた日輪刀が、妓夫太郎の頸に吸い込まれ深く食い込み、切り離される。

 が、幸は妓夫太郎の口元が弧を描くのを見た。

 

「危ない!」

 

 音柱の胴に腕を回し抱えて、幸は跳んだ。

 小柄な幸では体当りして吹き飛ばすような勢いになったが、振り返れば妓夫太郎を中心に毒刃の竜巻が迫っていた。

 

「逃さねぇよぉ!!」

 

 竜巻に乗って、妓夫太郎が飛びかかってくる。その有様を見て、幸は驚愕で束の間動きを止めてしまう。

 妓夫太郎は手に、己の頸を持っていたのだ。

 

「無駄なんだよぉ!」

 

 小脇に抱えられた頸が、獣の如き哄笑を上げる。

 宙をかいた片腕を凄まじい力で掴まれた。後ろに引きずられる。

 巻き込まれれば肉片になる、刃の暴風の中に。

 

「離せ!!」

 

 音柱を渾身の力で遠くへ突き飛ばした勢いで、幸は自分の腕を捩じ切った。ぶちり、と嫌な音がした。

 筋肉と血の管が纏めて引き千切られ、幸の腕を握っていた妓夫太郎は支えを失くす。が、直後に彼の蹴りが幸の腹に突き刺さった。

 目玉が飛び出そうなほどの衝撃が走る。

 先程の比ではない勢いで、幸は自分の体が後ろに吹っ飛ぶのがわかった。血を吐いた。胴が千切れかけだった。

 追いついてきた毒刃の竜巻に呑まれ、建物を幾棟も巻き込んで破壊し、飛ばされる。

 背に叩かれたような衝撃が走り、体がようやく止まった。

 目を下にやれば、腹を貫いて一抱えもある太い木の柱が生えていた。口から、血がだらだらと溢れていく。

 半ばから折れ、先が尖った支柱の一本が、幸の腹を突き破り、縫い止めて磔にしていた。背中には、天井板の硬さを感じる。

 柱をへし折ろうと動かした残った片腕が、風切り音と共に切り落とされる。

 

「捕まえた、なぁ。ったく、手間かけさせんじゃねぇよぉ。ちょこまかちょこまか、鬱陶しいったらありゃしねぇなぁ」

 

 幸を縫い止めている柱の上に、妓夫太郎が音もなく飛び乗って来た。その手に、切り落とした幸の腕を、鷲掴みしていた。

 一口齧り、不味いものを喰ったかのように顔をしかめると、放り捨てる。

 妓夫太郎の重みでぎしりと梁が軋み、腹の中の臓腑と肉を、木のささくれでかき混ぜられる不快感が走った。

 髪を掴まれ、上を向かされる。間近で見れば、妓夫太郎の頸の周りの傷は既に塞がりかけていた。

 頸をぐるりと巡る傷跡。

 音柱の一撃は、確かに頸を落としたはずだった。なのに、彼は生きている。

 

「っ!?」

「ヒヒッ。どうして頸を斬っても死なねぇのかってツラしてんなぁ」

 

 今まで殺してきた十五人の柱もそんな顔をしていた、と妓夫太郎は嘲笑う。

 

「……じゅう、ご?」

「ああ、そうさぁ。俺たちは二人で一つさぁ。そして俺が十五で妹が七。たらふく柱を喰ったもんさぁ。十六人目は、俺の血鎌に巻き込まれたあの色男の柱になりそうだがなぁ」

 

 そこで初めて、幸も辺りを見た。

 花街の一角は、瓦礫の山と化していた。

 人の血の臭いは濃くないが、それでも瓦礫の隙間に体がいくつか転がっているのが見えた。

 誰の姿も、ない。

 音柱も、炭治郎も禰豆子も、伊之助も、善逸も獪岳も、誰も。

 

「お前は刻んでばらばらにして、妹の帯に閉じ込めとくぞぉ。んで、太陽で炙れば死ぬだろぉ。夜明けまでは、まだ長いからなぁ。他の奴らが殺されるのを見とけよぉ」

 

 髪をさらに強く掴まれた。喉に鎌が添えられる。

 首だけにして閉じ込められれば、回復に時間がかかり過ぎる。何もできなくなる。

 千切られて斬られた両の腕の再生が、間に合わない。ぼこぼこと肉は蠢いているが、妓夫太郎の鎌が速い。

 骨が浮いた鎌を持つ腕が、振り上げられた。ぎり、と幸が奥歯を噛みしめる。

 

 鎌の刃がぬらりと光った刹那に、飛来した刀が、妓夫太郎の腕を切り落とした。

 

「どっせぇぇぇぇぇ!」

 

 瓦礫をぶち抜き、跳び上がったのは猪頭の少年。二刀のうちの一刀を投げて、鬼の腕を切り落とした伊之助は、そのまま妓夫太郎に背後から刀を振るった。

 跳びよけた妓夫太郎を、伊之助が蹴り飛ばす。

 ざく、と幸の顔のすぐ横の板に、妓夫太郎の腕を落とした伊之助の日輪刀が突っ立つ。頸すれすれだった。

 

「伊之助くん、柱、切って!」

「おう!」

 

 伊之助の二刀が、腹を貫く杭となっている柱を一息で切り刻む。

 解放された幸が彼に体当たりをして地面に転がった一瞬後に、殺到した帯が地面を砕いた。

 

「アンタたち!お兄ちゃんによくも!」

 

 次々振ってくる帯鬼の攻撃を、幸と伊之助は避ける。途中で伊之助が拾い上げてくれた片腕を、ともかくも切り口に押し当て繋ぐ。

 腹の穴から溢れそうになっている内臓は押し込みつつ、血鬼術を総動員して塞いだ。

 

「ありがとう、伊之助くん!」

「気にすんな!お前は紋逸と各角と派手柱を掘り起こしてこい!帯鬼はなんとかしてやらあ!」

「善逸くんと獪岳と音柱さまね!気をつけて!」

 

 妓夫太郎の攻撃に巻き込まれたと思しい伊之助の怪我も、軽くはない。肩や腹から血が流れている。

 それでも力強く刀を振った伊之助の背後に、影が現れた。

 腕を繋げ、鎌を持った妓夫太郎である。

 

「伊之助!」

 

 が、降って湧いたように飛び込んできた炭治郎が鎌を受け止めた。箱を背負い、刀を構えている。

 

「遅れてすみません!しばらくこっちはなんとかしますので、幸さんは皆をお願いします!」

「わかった!二人とも鎌の毒に気をつけて!」

 

 それだけを言い置いて、幸は走った。

 最も近い匂いは、善逸のものである。太い梁と梁の隙間に丁度挟まれていた。

 梁を蹴り飛ばし、引っ張り出す。気絶しているのか、善逸は目を閉じていた。

 彼の頭から爪先までを見て、幸は一言。

 

「……へんな格好」

「それ今言うことかなぁ!?」

 

 くわっ、と善逸は一瞬で正気に戻った。

 心なしいつもより引き締まった顔で、善逸は刀を掴んで立ち上がった。

 

「獪岳ならあっちだよ。鞘投げて俺を突き飛ばしてくれたから、その分逃げ遅れて……」

「わかった。大丈夫だから、鬼のほう、お願い」

 

 互いに頷き、別々の方向へ向けて地を蹴った。

 背後からは破砕音が続いていた。

 頸を落とされても、妓夫太郎は死ななかった。まさか上弦は、頸を斬られても死なないのかと、最悪の想像が過ったのを打ち消した。

 不死は有り得ない。

 殺す方法は必ず、ある。

 

 くん、と動かした鼻が、嗅ぎなれた匂いを探し当てた。

 崩落した屋根を、幸は、えい、と片腕で持ち上げた。運良く足元に落っこちていた自分の腕も拾い上げる。

 

「獪岳!」

 

 ようやく揃った両腕で襟首掴んで瓦礫の下から一息に引きずりあげれば、うつ伏せに倒れていた幼馴染みの青年は、ぽかんと目と口を開けていた。

 額に瓦礫でもぶつかって切れたのか、顔の半分が血で真赤だ。あちこち羽織りもぼろぼろで、まぁひどい有様だがともかくも五体は一つたりとも欠けていない。

 刀を手から離していない辺り、執念と根性は本当に人一倍である。

 襟首から手を離すと、獪岳はしゃんと立った。

 

「無事だったのか、お前」

 

 乱暴に目の周りの血を拭い、獪岳は言った。垣間見た呆けた顔はなかったことにして、幸は頷いた。

 あとは音柱か、と気配を探った途端に背後から、音柱の剣戟らしい轟音が聞こえた。

 彼は彼で、自力でどうにかできたらしい。

 

「獪岳、あの鬼、おかしい。鎌の兄鬼、頸が落ちても死ななかった」

「あ?」

 

 音柱の轟音が戻った戦場へ駆け戻りながら、幸が言えば、獪岳は口を引き結んだ。

 

「こっちも妙だった。妹の頸が落ちかけた瞬間に、兄が妹の体、操りやがった。陸の字だって両方にある」

「鎌鬼は、自分たちが、二人で一つって」

「言葉通りと考えるぞ。つまりあいつらは」

「二人で、一つの生命を分けてる」

「両方の頸を、繋がってない状態にしなけりゃ」

「きっと、死なない」

 

 二人で早口に話を突き合わせる。

 恐らくは、そうなのだろうという不思議な確信があった。

 

「一人でやり合えば柱でも殺されるわけだな」

「言ってる場合じゃ、ない」

「当たり前だろうが。お前、あっちの鎌鬼の方へ行け。俺は帯鬼の方へ行く」

 

 こん、と獪岳は裏拳で軽く幸の額を叩いた。

 

「お前は下手なよそ見して誰か庇うんじゃねぇぞ。んなヒマ、ねぇんだろ」

「……了解」

 

 だったら毒に当たらないで、と胸の中で呟いて、幸は獪岳と別れて駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 




少し間が空きました。
リアルで色々ありまして、ご理解願います。

間が空いたお詫びに小話を。
当SSの獪岳は、a.maz.ara.shiの「リビングデッド」、鬼っ娘は坂.本真.綾氏の「逆光」辺りの曲が合うと思って書いてます。
二人だと、am.azar.ash.iの「さよ.な.らごっ.こ」かと。

【コソコソ裏話】
 幸が刀を持てないのは約八年間藤襲山にいた折、選別者に刀を向けられることが長く続き、刀を持つことにトラウマがあるからです。
 
 包丁サイズの刃物は扱えますが、刀ほどの大きさとなると手が震えだし、剣術は修められません。尚、獪岳には気づかせていません。
 
 また、現在の柱の大方が選別を受けたとき、幸は既に鬼として山にいます。悲鳴嶼と出会わず獪岳と出会ったのは、単に運が良かったためです。

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