鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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感想、評価下さった方々、ありがとうございました。

本当の本当に感想が励みになっているのですが、なにか迂闊なことを話して興醒めさせてしまいそうで、返信できておりません。
その文せっせと書きますればご容赦願います。(土下座

では。


十話

 

 

 

 音を置き去りにする勢いで駆けて行った幸の背中から、目を逸らして獪岳は刀を握って走った。

 色鮮やかな帯を目印に、瓦礫を飛び越え着地すれば、速攻で帯が降って来た。

 

「まだいたの!アンタいい加減死になさいよ!」

 

 先程の罵りは、相当帯鬼の気に障っていたと見える。

 獪岳の姿を視界に捉えた瞬間、帯鬼は音立てて大気を切り裂きながら帯を振り回し、獪岳へと向かわせた。

 

「獪岳!」

 

 善逸と伊之助がこちらを見るが、うるさい。

 帯ならば一人で捌くから、お前らは頸を何とかしろと言っただろうが。

 苛立ち混じりに体を回転させ、刀の動きに帯を巻き込む。

 そうして一纏めにした塊から刀をするりと抜き、帯をまとめて断ち切った。

 高慢ちきに美しい帯鬼の顔が、驚愕からか歪むのが見えた。

 こちとら元鳴柱と元炎柱に師事しているのだ。これくらいやれなければ、散々稽古で打ちのめされている意義がない。

 

「獪岳、宇髄さんが、帯鬼と鎌鬼の頸は両方落とさなきゃ────!」

「うるせぇ!知ってる!さっきと変わんねぇ!帯は俺が抑えるから跳び込め!斬れ!」

「ッ、わかった!」

 

 まだあの頓珍漢な女装のまま、善逸は霹靂一閃を振るっている。

 猪頭共々傷が増えているが、今すぐ出血でどうかなるほどではなさそうだった。

 

 千切れた腕を小枝のように拾ってくっつけて、戦場に跳び込んでいった馬鹿は、一体いつまで保つのか。

 鬼だから回復能力など段違いとわかっていても、あの少女の腕が地面に転がるのを見るのはあまり良い気分にはならなかった。

 舌打ち一つで、獪岳は帯鬼の間合いにさらに踏み込む。

 このままではじり貧になるだけだ。

 鬼と体力勝負する以上の愚行はない。

 帯の密度がさらに上がるが、急所に届く帯のみ避けて、大半を切り裂く。

 広範囲を薙ぎ払う盛炎と、帯を斬り払う雷撃が入り混じる。

 足元の瓦礫を蹴り飛ばし、帯鬼の視界を一瞬塞ぐ。その合間に、藤花の毒が塗られた苦無を捩じ込んだ。

 

 獪岳が苦無を突き刺したのは、帯鬼の額に開いた三つ目の目玉。

 耳に突き刺さる悲鳴を上げて仰け反った鬼の帯が腹に当たり、獪岳は後ろへ吹っ飛ぶ。その肩を踏み台にし、一直線に前へ跳ぶ姿があった。

 

 雷が走り、鞘から解き放たれた刃が嫋と鳴る。

 

 善逸の霹靂一閃が、過たず鬼の細頸を斬り飛ばす。

 甲高い声を撒き散らし、鞠のように宙に跳んだ頸を、伊之助が受け止めた。

 

「持って走れ!繋げさせんな!」

「わかってらぁ!」

 

 叫んだ瞬間、肌が粟立つ殺気を感じた。

 握り込んだ刀を構え、獪岳は屋根へと跳び上がりつつ熱界雷を放つ。

 下から上への斬り払いが捕らえたのは、鎌鬼の片腕だった。

 

「またお前がぁぁぁあ!」

 

 斬、と鎌鬼の咆哮と同時に背中を冷たさが撫でた。

 飛ぶ血鎌の曲がる斬撃に、背後を取られて斬られたと認識すると同時に、凄まじい熱が体中に広がる。

 喉にせり上がる血の塊を吐いた。隣では猪頭が、肩を深く切り裂かれるのが見えた。

 捕まえていた頸が逃れて、転がっていく。

 毒、の文字が頭を掠めた。

 

「獪岳!伊之助!」

 

 跳んだ善逸の八連の霹靂一閃が、鎌を振り上げていた鬼と獪岳たちの間に振るわれた。

 鎌鬼はそれを掻い潜り、後退する。脇には帯鬼の頸を抱えていた。

 屋根の上に落ちていた首無しの胴に、女の頸が繋げられる。

 復活するや否や、帯鬼が鎌鬼の背に取り付き、ずぶずぶと体を沈めていく。そして彼らは、夜空を背にして高々と跳んだ。

 

「待て!」

 

 追い縋った善逸が叫び、獪岳は刀を杖に立ち上がった。

 鬼の兄妹が、一つに戻りかけている。

 逃げる気なのか何なのか、獪岳たちでは手が届かない空へと逃れかけていた。

 音柱たちの方はと見れば、瓦礫の山が見える。埋められたのかと、察した。

 毒血の鎌で鬼狩りの粗方を斬り、捨て置けば全員毒が回って死ぬと、あの鎌鬼は考えたのかもしれない。

 こちらには毒消しができる血鬼術使いがいる。追っても追わなくとも、死ぬことはない。

 

 どちらを選ぶべきか、獪岳の中で天秤が揺れた。

 迷いを強制的に砕いたのは、瓦礫の山が内側から爆発する轟音だった。

 

 蜘蛛のような手足を伸ばして上へ逃れた鎌鬼よりもさらに高く、より月に近い夜空に小さな姿が舞った。

 結わえ髪に留められた、翡翠色の蝶の翅が煌めく。

 深く呼吸し、全身に力を巡らせる音が聞こえた気がした。

 小さな体が、縦にくるりと回る。鉄槌のような踵落としが、融合しかけている二体の鬼を地上へと叩き返した。

 

「誰か!斬って!」

 

 鬼の兄妹を蹴りで落としながら、自分も帯に薙ぎ払われ大地へと落ちながら、幸が叫んだ声が届いた。

 

「各角、頼むぞ!」

「は!?」

 

 轟、と耳元で音がして、気がつけば獪岳は宙を飛んでいた。

 巴投げの要領で獪岳を鬼目掛けて放り投げたのは、伊之助である。

 宙をかいた脚が、そこらを漂っていた帯を捉える。

 疲労と毒による震えが来ている脚で、獪岳は帯を蹴った。

 

 毒が全身を犯していく痛みがある。

 口腔の中に溜まっていく血を味わいながら、落ちる獪岳が狙ったのは、鎌鬼と帯鬼の体の繋ぎ目。

 融合されて彼らが一つに戻ってしまえば、また殺し方がわからなくなる。

 二つに切り裂き、別々に殺すしかない。

 半身が既に兄と融合しかけている帯鬼の、腰に刃が食い込む。

 手から力が抜けかける。毒の巡りが速い。死が近い。

 折れそうなほど、奥歯を噛み締めた。

 霞む視界に、炎が行き過ぎる。

 未だ扱えない玖ノ型、煉獄の豪炎が瞼の裏に翻ったのだ。

 

 ─────あんなふうに、なれたなら。

 

 ひたすらに鬼を斬るため鍛えられた、炎刀の化身。炎柱・煉獄杏寿郎の太刀筋。

 あの領域には至れない。

 あの技には、まだ手が届かない。

 それでも、何分の一かでいいから、今この刹那にあの強さを手繰り寄せなければならなかった。

 記憶の中の動きをなぞる。

 体を目一杯捻り、刃に威力を上乗せする。聚蚊成雷の動きを思い出せと、己で己を叱咤する。

 

 届け、

 斬れろ、

 刀を放すな。

 

 獪岳の心にあったのは、それのみ。

 

 落下しながら振り抜かれた日輪刀が、帯鬼の体を腰で断ち切った。

 両断され、引き剥がされた帯鬼と鎌鬼の体は分かれて落ちていく。鎌鬼の頸に柄まで深々と刺さった苦無があるのを、獪岳は見て取った。

 

 あの苦無が、僅かなりとも鎌鬼の動きを鈍らせている今しかない。

 

 そのときには火と雷が、墜ちていく二体の真下に滑り込んでいた。

 火を纏った竈門の刀、紫電を放つ善逸の刀が、鬼の兄と妹の頸を捕らえた。

 逆さになって落ちて行く獪岳の視界に、二つの頸が断たれて舞い飛ぶ様が見える。

 

 気づけば、瓦礫だらけの地面が迫っていた。腹の底が冷えた。

 頭を下にして落ちる獪岳には、受け身を取る力すら残っていない。胴を断ち切ったときに、全身の力を使い果たしたのだ。

 このまま地面に激突すれば、首の骨が折れる。

 思わず目を瞑った。

 

「危ねェ!」

 

 間一髪、獪岳は自分の体が轟と吹き抜けた風に掬われて回り、背中が下になるのを感じた。

 仰向けになった視界に光ったのは、澄んだ金色の眼。なす術なく落下していた体は、やわらかく強いものに、しっかりと受け止められていた。

 

「獪岳!?」

 

 獪岳を両手で横抱きにしたのは、幸。

 地面に叩きつけられる寸前の獪岳の下に跳び込み、落ちて来た体を受け止めたのだ。

 

 降ろせこの馬鹿と言う前に、喉の奥から血がせり上がり、音柱の叫びが聞こえた。

 

「全員逃げろォォォォ!」

 

 またも吹き荒ぶ毒血の風が、轟、と幸の背後で吹き上がるのが見えた。

 

「舌、噛まないで!」

 

 そんな叫びを最後に、意識がぶつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炭治郎と善逸の刀が、鬼の兄妹の頸を落としたのと同時、妓夫太郎の体から吹き上がったのは毒血の嵐である。

 最期の足掻きとばかりに生まれた、すべてを飲み込み砕く暴風に真っ先に反応したのは、音柱だった。

 まだ鎌鬼たちの間合いにいた炭治郎と善逸を、彼が蹴っ飛ばして離脱させる。

 その音柱は、獪岳を抱えたままの幸が体当りして弾き飛ばす。

 もつれ合うようにして攻撃範囲の外まで転げ出て、地に伏せて嵐をやり過ごしてからようやく、幸はその場にへたり込んだ。

 膝をつき、腕に抱えていた獪岳を地面になんとか降ろす。

 回復と血鬼術を繰り返したせいか、頭の芯にずきずきと痛みが走った。

 だけどまだ、頑張らなくてはならなかった。

 妓夫太郎の毒がある。

 毒を、消さなくてはいけない。

 小刻みに震える手を獪岳の体の上に翳したとき、幸は横からその手を掴まれた。

 

「む!」

 

 長い黒髪をした、幸より小さな女の子がいた。ふるふると首を振られる。

 

「禰豆子ちゃん?」

「む、むむっ!」

 

 ぽんぽんと幸の頭を撫でた禰豆子は、とん、と獪岳の体に手を当てる。

 

「あっ」

 

 何が起きるか察した幸が、慌てて離れた途端、気絶している獪岳の体が()()()()()()

 けれど、幸は慌てない。

 禰豆子の血鬼術、爆血は、鬼だけを燃やすことができる。鬼の毒の浄化にも使えるということを、幸は知っていた。

 ただ、幸も鬼だから爆血に僅かでも触れれば、燃やされてしまうのだ。

 やがて獪岳の体から火が消える。

 毒に犯されて斑に変色していた顔が、元の色に戻っているのを見て、幸は禰豆子に思わずきゅっと抱きついた。

 

「ありがとう!ありがとう、禰豆子ちゃん!」

「む!」

 

 えへん、と言いたげに禰豆子が胸を張った。

 ほわ、と微笑みかけた幸は、思い出した。音柱も斬り合いの中で毒を受けていたのだ。

 

「禰豆子ちゃん!音柱さまに、も!」

「む!」

 

 地面の上には、炭治郎の使っている箱が蓋が開いて転がっていた。

 恐らく戦いの弾みで箱が飛んで、禰豆子は出て来たのだ。

 幸の言葉に大きく頷いた禰豆子は、瓦礫をぽてぽて踏んで、離れたところで目を丸くしている音柱の方へ寄っていく。

 

 毒を浴びつつも二刀で瓦礫の山を叩き崩して幸が空へ跳ぶための道を開き、炭治郎を庇って鎌鬼の頸へ繋げた音柱は、かなりの重傷だった。

 片目が斬られて潰れているし、脇腹を大きく抉られている。毒にもやられ、顔が爛れかけていた。

 瓦礫に背を預けていた彼は、とたとた近寄って来た禰豆子と幸を見て目を細めた。

 

「今のはなんだ?血鬼術か?」

「……禰豆子ちゃんの爆血、です。鬼だけを燃やし、ます。鬼の毒にも効きます」

 

 音柱の目が丸くなり、にやりと彼は笑った。

 

「なるほどねぇ。んじゃ、一丁頼むわ。炭治郎の妹。それから獪岳んとこの鬼っ娘、お前他のやつら探せるか?」

「む!」

「はい!いってきます!」

 

 身を翻して、幸は気配がある方へ走った。

 においと心音が一等近い伊之助は、瓦屋根の上に仰向けに倒れていた。

 毒で皮膚が爛れているのを見てとるや、幸は両手をその体の上に翳した。

 

 幸の血鬼術、癒々ノ巡りの紅光が伊之助に降り注ぐ。

 

 だらりと投げ出されていた伊之助の手足に、力が戻った。むくりと猪頭が起き上がる。

 

「おっ!?幸か!?鬼はどうなった!」

「気配はない、から。消えてる」

 

 いきなり動き出そうとする伊之助の肩を抑えて言えば、彼の肩から力が抜けた。

 妓夫太郎の気配も、その妹の気配も感じ取れない。

 それに二人の頸が落ちるのを、確かに幸は見た。

 

 倒したのだ。上弦の陸を。

 百年以上欠けることがなかったという、十二鬼月の一体を。

 

 けれど目の前で起きたはずの事実に、頭が追いついていない。

 ふわふわと雲を踏んでいるようで、何も心に浮かばなかった。

 

「他のやつらは?」

「今、炭治郎くんと善逸くん探してる。他の皆は、無事。伊之助くんは、動いちゃだめ」

 

 毒を止めたとはいえ、伊之助は重傷なのだ。

 それなのに立ち上がろうとした伊之助を抑えて寝かせ、幸はひょいひょい瓦礫を越える。

 炭治郎と善逸の気配は、ほぼ同じ場所にあった。

 二人はなんとか自力で起き上がったのか、地面に座り込んでいた。善逸は壁にもたれ、炭治郎は地面にある何かに、手を添えて見下ろしていた。

 近寄り、幸は炭治郎がそっと手を添えているものの正体を見た。

 黒い髪に痣のある顔は、妓夫太郎のものだ。切り離された頸は、既に崩れかけていた。

 彼の前には、もう崩れて塵になった、形のない何かの残骸がある。

 

「梅!!」

 

 悲痛な声を残して、妓夫太郎の頸が砂のように崩れた。

 空へ還っていく、妓夫太郎と妹の名残りの灰を目で追う。

 風に吹き散らされる輪郭を失ったあれが、自分と同じ鬼に掬い上げられ、鬼へと変わった兄妹の最期の姿なのだ。

 

 心の何処かが、きゅっ、と締まる。

 あの二人の名前は、妓夫太郎と梅と言ったのだ。

 さよなら、と彼らに向けて呟いた。

 

 空へ還る灰を見送った善逸の視線が下を向いたときに、こちらを捉えたのを感じて幸はひらっ、と片手を上げた。

 

「あっ!幸ちゃん!!」

 

 目敏く幸を見つけた善逸の大声が響く。

 幸は二人に駆け寄った。

 

「二人とも、毒は?」

「俺は大丈夫です!それより皆は!?皆はどこに!?」

「俺も平気だよ、幸ちゃん!だけどだけどさぁ!獪岳と伊之助は!?二人とも毒で斬られてそれでさぁ!!」

 

 伊之助と同じく、闇雲に立ち上がろうとする二人を慌てて幸は抑える羽目になった。

 

「待って、待って。お願い、おね、お願いだから二人ともおちついて。みんな、皆、生きてます。皆、心配、ないから」

 

 一言一言、区切るように言う。

 むしろ、この二人の怪我が一番深いかもしれない。

 毒こそ受けていないようだが、一体、体の骨が何本折れているのだ。

 特に隊服無しで戦っていた善逸は、炭治郎よりひどい裂傷も受けている。両脚とも、折れているのではなかろうか。

 頼むから、無闇に動かないでほしい。

 小枝が折れるみたいなぽきりという音が、人の体からするのは、本当に心臓に悪い。

 幸の言葉を聞いた途端、二人はすとんと力が抜けたように腰を落とした。

 

「……みんな、ですか?」

「うん」

「獪岳も?伊之助も?」

「皆、大丈夫。獪岳も、伊之助くんも、禰豆子ちゃんも、音柱さまも、みんな。毒も、うん、平気」

 

 皆生きてる、皆で生き残ってる。

 そう言えば、二人は顔を紙くずみたいにくしゃりとさせた。

 

「よかったよぉぉぉぉぉ!俺、俺さぁ!獪岳と伊之助が毒で斬られたの見てさぁ!もうだめかもしんないと思ったけど、二人がさあ!獪岳は斬れって言うし、伊之助は跳べって言うし!やるしかないじゃん!頑張ったよ!俺、俺ものすっっごく頑張ったよ!」

「ん。善逸くんは、えらい。……だけどそれ、二人に直接言ってくだ、さい。わたしじゃなくて、ね」

 

 ぎゃぉん、と縋りつかんばかりの勢いで、顔中を口にして泣き笑いする善逸の頭を、幸はとん、とん、とゆっくり撫でる。

 禰豆子の真似だが、たんぽぽ色の善逸の髪は意外と触り心地がよかった。

 何処ぞの誰かの真っ黒な髪は案外ごわごわしているし、普段は幸の頭より高い位置にあって、あまり触れられないのだ。

 善逸を優しく見ていた炭治郎が、いきなり顔色をざっと変えたのはそのときである。

 

「あっ!しまった!上弦の血!」

「わたしがとるから!愈史郎さんのお使いの猫ちゃんならわかるから!た、炭治郎くんたちは、お願いだから、じっとしてて!」

 

 鬼を人に戻す薬のために、炭治郎は鬼の血を集めているのだ。それも、無惨に近い鬼のものならば尚良い。

 十二鬼月上弦の血ともなれば、混ざっている無惨の血は濃くなる。だからといって、全身ぼろぼろのままで、瓦礫を乗り越えようとしないでほしい。

 炭治郎を押し留めて血を採るための道具を借りてから、くんと鼻を動かし、幸は血のにおいを嗅ぎ当てる。瓦礫の間に、ようよう手のひら一杯分ほどの血がこぼれていた。

 

 にゃぁん、と足元から猫の声。

 首に箱をつけた小猫が、賢そうな目で幸を見上げていた。

 

「……」

 

 小刀のような形の器具を血溜まりに入れると、血が吸い取られた。蝶屋敷にある注射器と、似た仕組みなのかもしれない。

 

「……できた。お願い、ね」

 

 小箱に器具を入れると、猫は一声鳴いて姿を消す。

 あのまま、猫は珠世と愈史郎のところへ帰るのだ。

 やるべきことはやったと思うと、脚から力が抜けた。眠気が抑えられそうにない。

 ぺたりと尻を地につけて座り込むと、辺りの惨状が嫌でも目に入る。

 折れた柱に千切れた障子や布団、割れた畳に砕けた箪笥や机などが折り重なる瓦礫の所々に、色鮮やかな着物や小物が埋もれかけている。

 それが、瓦礫の山に咲いた歪な花々のように見えた。

 幸いなのか、空気の中に人の血のにおいはほとんどない。人々の避難は、辛うじて間に合ったらしい。

 誰が、逃げ惑っただろう人々を導いてくれたのだろう。

 幸は、縦横無尽に飛んでくる妓夫太郎の血鎌から人を庇うのが精一杯で、到底気が回らなかった。

 眠気に覆われつつある頭をゆらゆら揺らしながら、そんなことをぼんやり考える。

 いつもの睡眠が、やって来ていた。

 

「ここにいたの」

 

 声がした方に顔を向けると、黒い髪の女の人がこちらに寄って来るところだった。

 長い黒髪を後ろで一つに結って、袖や裾が短い動きやすそうな着物を着ている。

 誰だろう、と思う前に記憶が答えを出した。

 

「……雛鶴、さん」

 

 音柱、宇髄天元の三人いる妻の一人だ。

 元々は、行方がわからなくなった彼女たちを探すのが本来の任務だった、はず。

 幸は、吉原で獪岳を探している間に偶然出会えた鎹鴉の雷右衛門から、おおまかな話しか聞いていない。

 他の二人の名前は、確か。

 

「まきをさんと、須磨さん、は?」

 

 雛鶴の瞳が驚いたようにまあるくなり、それから安心させるようにふわりと弓の形になる。

 嗚呼、とても、きれいな微笑みができる人だ。

 

「二人とも無事よ。あなたがなかなか戻らないから、探しに来たの。立てるかしら?」

「あ。……はい」

 

 怪我はもう無いし、眠気もまだ我慢できる。

 隣で倒れていた柱に手をついて立ち上がった。そういえば、愈史郎からもらった服には腹のところに大穴が開いていた。

 折れた支柱が、腹を貫いたときの穴である。腹の傷は消えたが、布地がごっそり抉れて、薄くて生白いお腹が見えてしまっていた。

 でも、しのぶからもらった蝶の髪飾りは壊れていない。嬉しい。

 

「平気?」

「……はい。雛鶴さんこそ、動いていいんですか?」

 

 破れ屋で倒れていた雛鶴は、毒を呑んだらしく随分憔悴していたけれど、今は少なくとも歩けてはいた。

 

「なんとかね。天元様に毒消しをもらったから、解毒はできたわ。街の人たちも逃がせたし」

「……そうです、か」

 

 手で目を擦りながら、幸は雛鶴の横をついて歩く。歩く途中で、体を七歳くらいのときの大きさに縮めた。

 このほうが、消耗しない。

 元の場所に戻れば、瓦礫にもたれて座っている音柱の傍には、二人の女の人がいた。

 わんわんと音柱に取り縋って元気に泣いている人を、もう一人の人がぺしんと引っ叩いているが、どちらも元気そうで、叩き方にも親しみが籠もっている。

 きっと、女の人のどちらかがまきをで、どちらかが須磨なのだ。

 四人とも無事であることに、ほっと息を吐いた。

 毒に犯され、潰されてから時間が経ちすぎてしまった音柱の眼球は、幸にはもう元に戻せないけれど。

 

「幸」

 

 寄り添い合う彼らと反対側の位置に立つ崩れかけの土塀に、獪岳が背中を預けて座っていた。

 意識が戻ったのだ。顔色は青白いが、血止めも、自力で完了させたようだった。

 雛鶴にぺこりとお辞儀して、幸は獪岳の横に膝をつく。

 傷が痛いのか、不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。いや、これはいつもの表情だった。

 

「……平気?」

 

 尋ねると、ぴし、と額を指で弾かれた。

 鬼の額より人間の指のほうがやわいから、痛い思いをするのは獪岳のほうなのだが、獪岳はそんな素振りは欠片も見せなかった。

 

「平気に見えンのか、馬鹿。そっちこそ、足元ふらっふらだろ。とっとと寝ちまえ。つか、その腹どうした」

「……建物の柱が、こう、ぐさっと」

「ぐさっとぉ?」

「ぐさっと、刺さった。木のささくれ、気もち悪かった」

「当たり前だろ。死んでねぇだけ儲けものって思っとけよ」

 

 しかめ面の獪岳の傍らには、日輪刀が抜き身で置かれている。鞘は、どこかで失くしてしまったらしい。

 今回、刀は折れずに済んだのだ。目立つような刃毀れもない。

 つまりそれだけ、刀に負担をかけない、上手い斬り方ができていたということだ。

 幸も獪岳の横に腰を下ろした。

 こつんと触れ合った肩から、じんわりと生きているあたたかさが伝わって来て、目の前が滲む。

 

 生きていて、よかった。

 

 安堵と一緒に、くらりと目眩いが来た頭を横に倒すと、ちょうど獪岳の鎖骨が、耳の下にあたった。

 

「獪岳」

「あ?」

「ただいま」

 

 ずっと言いたかった言葉を口に出した途端、ぷつんと意識の糸が切れる。

 ことりと、幸は夢も見ない深い眠りに落ちて行った。

 

 

 

 

 だからこの後、疲労と負傷に負けた獪岳が、自分に半ばもたれかかるようにして諸共眠りに落ちたことも、善逸が、回収に来た隠の背中からその光景をしっかりと見たことも、幸は何一つ知らないで終わったのだった。

 

 遊郭の長夜は、かくて明けたのである。




遊郭激闘編終了です。
共闘雷兄弟弟子の話。

尚、妓夫太郎の頸に苦無を刺したのは幸です。
獪岳をぶん投げたときに彼の懐から落ちた苦無を拾い(前話参照)、踵落としのタイミングで投擲しました。

ちなみに特に言う必要ないかと思っていたのですが、以下にTwitterで漏らしたことを加えておきます。
不要ならば読み飛ばしてくださって構いません。

・このSSの獪岳は、仮に上弦の壱に城以外でエンカウントすると、問答無用で確殺されます。裏切り者の鬼を連れてる鬼狩りを鬼にする理由とか無い故。
・主人公も幼馴染みも、生き残るのかどうなるのか、当方にもわかりません、正直。さいごまで書けるようには頑張りますが。

以上です。

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