鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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感想、評価、誤字報告下さった方々、ありがとうございました。

前話で二章が残り一話と言いましたが、カウントミスでした。
これ含め、残り二話です。

では。


十二話

 

 

 

 

 

 杖を使いながらも歩けるようになった獪岳が最初に向かったのは、煉獄家だった。

 蝶屋敷で安静にしていて下さい、と蟲柱には言われていたが、あそこにいては精神的に安静になれない。

 まだ目覚めない炭治郎や伊之助は静かで良いが、騒ぐ善逸にまた巻き込まれる。

 獪岳は、任務以外でこいつらと関わりたくないのだ。

 それこそ、十二鬼月を相手にするようなとき以外、間違っても共闘したくない。煩わしい。

 こいつらと関わった二度の任務で、二度とも十二鬼月の、それも上弦が現れたのはなんの冗談だ。

 柱とて、十二鬼月の上弦に出くわすことは滅多にないというのに。

 

 先生である桑島慈悟郎からは、上弦の陸戦に参戦して討伐に成功し、生き残ったことを言祝ぐ分厚い手紙が来たが、宛先は善逸と獪岳の名が並べて書かれてあった。

 わかっていたことだが、虫が好かない。

 だから幸が縫い合わせて直した羽織りを着て、籠を背負い、獪岳は煉獄家を訪れたのだ。挨拶以外に、外せない用事もあった。

 

「杏寿郎ならば出かけている。日が暮れる前には戻るだろうがな」

 

 が、現れたのは師匠の父である煉獄槇寿郎である。

 糞親父と罵って彼に殴られて以来、獪岳は槇寿郎と一対一でまともに言葉を交わしていない。

 今も寝ている炭治郎や毒にやられた伊之助ほどではないが、獪岳もそれなりの怪我は負った。遊郭での戦い以後、稽古に行けていなかったのだ。

 歩くのに杖は必要で、右脚は今も固定されているような有様だ。額や背にも、包帯が巻かれていた。

 幸が起きていたら、無理せず寝ていろと止めたろうが、獪岳は幸が深く眠っているのをいいことに、勝手に布で包んだ背負い籠に詰め、持って出てきたのである。

 尚、幸を運ぶための箱はまたも無くなったため、籠なのである。

 箱はよく壊れたり無くしたりして、そろそろ五代目か六代目だ。

 

「……失礼しました。出直します」

「待て。杏寿郎に用があるのではないのか」

「ありますが、急ぎでもないんで」

 

 槇寿郎の視線が、杖によりかかるようにして立つ獪岳の頭から爪先までを通る。

 彼から、以前訪れたときと同じく、酒の匂いが薄れていることに獪岳は気づいた。

 

「上がっていきなさい。茶くらいは出す」

「え」

「わざわざ訪れた怪我人を追い返すような家と思ったか。杏寿郎が戻るまで、上がって待っていればいい。その鬼の娘も連れていて構わない」

 

 早くしなさい、と急き立てるように言われ、獪岳は履物を脱いだ。

 

「千寿郎は買い物に行っている。少し待っていなさい。足も崩していい」

 

 足を傷め、正座がきつい身としては願ったりだったのだが、そう言い置いて厨へ消えて行った槇寿郎の背中を、獪岳は不思議なものを目の当たりにした思いで見送る。

 改めて見れば、濡れた着物のように彼に貼り付いていた荒んだ空気が、薄れている。

 何か、彼に酒から遠ざかることを決意させるような出来事があったのだろうか。

 通された部屋も、幸のことを考えてくれたのか、雨戸と襖で日が遮られている奥の間だ。ここならば、昼でも鬼が出てこられる。

 しかしどうしよう、となんの気なしに視線を上に向け、驚いた。

 幾人もの顔がそっくりな男や女が、並んでこちらを見下ろしていたのだ。

 

 一瞬身構えたが、よく見れば絵や写真である。

 先祖なのだろう。どいつもこいつも同じ顔だった。

 

 それを見ているうちに、悪戯心が起こった。

 

「幸。おい、幸。出て来い。すげぇもんが見れるぞ」

「……なに?」

 

 布を解いて呼びかけると、若干むすりとした顔の小さい幸が、籠からひょこりと出てくる。

 自分の預かり知らぬ間に、籠に詰めこまれて連れてこられた少女のしかめっ面は、しかし天井近くに並べられた煉獄家を見て、すぐ驚いたものに変わった。

 ぽかん、と口と目を丸く開ける。

 

「ご先祖さま、たち?」

「どう見てもそうだろ。こんだけ似た顔ばっか並んでんだからな」

 

 槇寿郎、杏寿郎、千寿郎の煉獄家の三人は全員が全員ともあつらえたように顔が瓜二つ、もとい瓜三つなのである。

 皿のように大きな目に、赤と金の二色という逆立ち気味の癖の強い髪と、墨をたっぷり含ませた筆で描いたようなくっきり太い眉。

 ひと目で、親子兄弟とわかるのだ。

 壁に並んだ彼らも、皆同じ顔立ちであった。

 膝立ちに手びさしをして、故人たちを端から端までを見た幸が、ぽつりと声を漏らす。

 

「若い人が、多いね」

「……炎柱の家だからだろ」

 

 先祖代々、最前線で鬼と戦う炎柱を継承してきた煉獄家だ。任務に殉じ、若くして死んだものも多かろう。

 だがだとしても、幸に言われて気がついた老境に至れた者の少なさに、胸の辺りがうそ寒くなる。

 師匠とてまだ二十歳の峠を越してすらいないという事実を、獪岳は過去の人々の面影の上に思い出した。

 

 無限列車での戦いを境に彼は柱を退いたが、あそこで死んでいれば、杏寿郎は獪岳の師匠にすらなっていない。

 炎柱というただの称号として、獪岳はその在り方も生き様も、何も知らぬまま終わっていた。

 煉獄杏寿郎は今頃、自分たちを見下ろす四角い額縁に、彼の先祖と同じく収まっていたのだろう。

 煉獄家にとっては、死とは連綿と続いてきた、先祖の流れに連なることなのだ。

 

 獪岳が知っている死の形では、なかった。

 死とは、華々しく誰かのために生を捧げるものでも、惜しまれながら穏やかに看取られるものでもなく、誰にも顧みられない土の上で、冷たい肉の塊に成り下がるものだ。

 鬼殺隊に入ってからも、変わらない。

 飢え、病み衰えた挙げ句のみすぼらしい死骸が、化け物に喰い殺された死骸に変わっただけだ。

 

 そういう生命の終わり方しか、知らない。

 それ以外があるなんて、誰も教えてくれなかった。

 死とは負けで、無意味なのだ。

 獪岳はあんなふうには、なりたくない。

 

 生まれたときから、血の繋がりを感じられる家族と暮らし、数多の先祖に見守られ、いつかは己もその一角になると信じていればこそ、煉獄杏寿郎という人間は、炎のように生きられるのだろう。

 

 獪岳には、到底無理な話だった。

 

「生まれたときから、自分とよく似た顔の人たちと一緒にくらすって、どんな気分なんだろう」

 

 煉獄家の先祖を端から端まで見終わった幸が尋ねた。

 自分の今の心を言い当てたのかと思ったが、幸は屈託なく首を傾けて獪岳の答えを待っていた。

 たまたま、同じ時に似たことを考えただけだった。紛らわしい。

 

「俺たちにわかるわけねぇだろ、馬鹿か」

「……ばかは、ひどい」

「考えるだけ無駄じゃねぇか。お前と違って、俺は親の顔も残ってねぇよ」

「残ってなくっても、思い出したくなくっても、想像はできるよ、獪岳」

 

 だから、自分たちがそうすることになんの意味があるんだと思いつつ、獪岳は眉間に皺を寄せた。

 暇なのだから思いつきの一つに付き合うくらい、いいだろう。

 

「良いことばっかりでも、ねぇんだろうなぁ。でなきゃ、元炎柱が酒に溺れっちまったりしねぇよ」

 

 一応、辺りに人の気配がないか探りながら、獪岳は思いついたままを口にした。

 

「そうなのかな、やっぱり。……あんなに強い人でも、お酒に逃げたくなるくらい、柱は重いのかな」

「だぁから、俺がわかるわけねぇっつぅの」

 

 獪岳は槇寿郎が嫌いだ。嫌いなやつのことを、わざわざ深く考えたくはない。

 初っ端に才能もない半端者のくせにと罵られたことは忘れていないし、真っ昼間から酒をかっくらっているのに、そこらの者より余程いい暮らしができているのも気に入らない。

 

「ん」

 

 むい、と幸の指が頬を抓った。音もなく、側によっていたから、避けられなかった。

 

「何しやがる!」

「口の端、ゆがんでた。そういう顔、あまりよくない」

 

 指を払い落とすと、幸は手をひらひらさせて返してきた。

 

「獪岳の好き嫌いは、わかりやすいね。獪岳が嫌いになる人、獪岳にないほしいものを持ってる人だから」

「……」

「獪岳は羨ましいんだ、槇寿郎さんのことが。……わたしと同じ」

 

 沸騰する湯のように瞬間滾った怒りの炎は、切なそうなその声を聞いて消え去った。

 代わりに舌打ちをして、眉間にしわを寄せた。

 

「どこが羨ましいんだよ」

「色々」

「色々ってなんだ。わかんねぇよ」

「色々は、いろいろ。だけど、言わない」

 

 幸は、真顔で自分の唇に指を当てた。

 自分で決めたことならば、誰が相手でも貫き通すやつだから、これは本当に聞き出せない。

 面倒くさいやつ、と呆れたとき、足音が聞こえた。程なくして槇寿郎が現れる。

 一家の当主が手ずから茶を持って現れた驚きで、獪岳も幸も固まる。

 しかも彼は去りもせず、その場に胡座をかいた。

 茶を飲めない幸は人形よろしく固まってしまうし、作法が定かでない獪岳はともかくも湯呑みを持ち上げて、味もわからぬ茶を啜った。

 一口飲んで湯呑みを置いたとき、槇寿郎が唐突に獪岳の方を見た。

 

「獪岳君。……すまなかった」

「……?」

「初めて会ったときのことだ。才能がない半端者など、すぐ死ぬというひどい言葉を君に向けて吐いた。謝罪したいのだ」

 

 深々と頭を下げた元炎柱のつむじを、獪岳はぼんやり眺めた。

 

「別に、構いやしないです。そう言われることは初めてでもないんで」

 

 壱ノ型が使えないくせに、どうせ大したことはないくせに偉そうに、出しゃばりめ、と陰口を叩かれたことなど、隊士になってすぐのころから今まで、いくらでもあった。

 鬼を連れていた獪岳には、彼らに構う余裕がなかった。

 下手に殴り返しでもして、階級が上の隊士や柱に目をつけられたら、詰むのは鬼を隠している獪岳のほうだからだ。

 それに、そういう口さがないやつらほどとっととくたばったから、放っておけば済んだ。

 だから他の隊士を殴り、問題を起こした善逸に苛立ったこともあった。どこまで行っても、世間から見れば獪岳と善逸は同門の兄弟弟子である。

 弟弟子の問題が、兄弟子へ流れて来たらどうしてくれるのかと。

 槇寿郎を殴り返したのは、幸を隠さなくても良くなったからである。

 要は、どちらも間が悪かった。

 

「君に、才能がないわけはない。君たちは上弦の弐、陸と戦い、生き残った。これは柱であっても生半な者では成せぬ。……だからこそ、君が何故雷の呼吸の壱ノ型のみできなかったのかが……」

「それは、もういいんです」

 

 ぐる、と胸の底で蠢いた獣を留めて、一言だけを絞り出した。

 

「よくない」

 

 だが、獣を抑えつけるのを良しとはしない声があった。

 羽織りの袖を引いて、幸が(かぶり)を振っていた。

 

「目をそらしたら、だめ。()()()()()()()()()()、考えて、話して。それは、()()()()()()()()()()()()

 

 汚泥の底に奇跡のように残った、砂金にも似た瞳が光る。

 胸に灯った怒りも憎しみも、ねじ伏せられるほどの、逆らえないうつくしさのある瞳だった。

 槇寿郎の前で、獪岳は辻に取り残された迷い子のように固まる。

 

「君は、何故鬼殺隊に入った?……竈門君のように、そこの娘を人に戻すためか?」

 

 その問を肯定しておけば、これ以上何も言わずに済むか、とちらりと思う。

 しかし、羽織りの袖にかかった重みが、偽りを口にすることを許してくれなかった。

 

「……いいえ、関係ありません。俺はこいつが、十年前に死んだと思ってました。鬼殺隊に入りたかったのは、自分で鬼を殺せるようになりたかったからです」

 

 復讐がしたかったわけではない。

 あの場所の人間たちに幸ほど心を傾けていたわけでもなかったし、第一寺が壊れたあとは、また食うや食わずの、何も持てない生活に逆戻りだった。

 生きていくのに精一杯で、復讐なぞ考えている(いとま)がなかった。

 また鬼に出会ったときに殺されないために、殺す技術を手に入れたかった。

 一度目は庇われたから運良く助かったが、自分の身を投げ出してまで救ってくれるような誰かが、二度も現れると思えなかったから。

 また鬼に出会ったら、今度こそ殺されて喰われる。

 死にたくは、なかった。

 

「桑島の先生に拾われたのは、たまたまです。俺には才能があるって言われたから、ついていきました」

「……獪岳、すごく、幸運だよね。そういうところ」

「うっせぇ。混ぜっ返すな」

 

 事実であるから割と腹が立つ。

 羽織りの袖を幸の指の間から引っ張って引き剥がし、槇寿郎に向き直った。

 

「俺の理由なんてこれだけですよ。でも鬼が死ぬなら、鬼殺隊にとっちゃなんだって構わないでしょう」

 

 言い切れば、槇寿郎は曰く言い難い顔になった。

 ゆらゆらと手の中の湯呑みを弄んでから、彼は口を開いた。

 

「……呼吸は、それを扱う者の心にも左右される。心技体揃っていなければ、成功しないものもある。見たところ、君には技と体は備わっている。ならば、残るのは心だろう。君が刀を取ったその心、そこに理由があるのではないか?」

「理由って、なんのですか」

「君が未だ霹靂一閃を使えない理由だ。遊郭での戦いの折りも、頸を取ったのは弟弟子で、君は彼を庇いつつ周辺の攻撃を捌いていたのだろう?霹靂一閃があったならば、君一人でも鬼の頸の最低、片方だけでも落とせたのではないか?」

 

 茶を槇寿郎の顔面にぶち撒けなかったのは、なけなしの理性のなせる技だった。

 手をきつく握ると、爪が食い込む。

 掠れた声で、獪岳は返した。

 

「仮にそうだったとして、それが、あんたとなんの関わりがあるんですか」

 

 獪岳が生きても、死んでも、槇寿郎にはなんら関係はなかろう。

 息子の弟子だからどうだというのだ。

 その息子たちを才能がないと罵っていたのは槇寿郎だ。

 何から何まで、元炎柱の行動の意味がわからなかった。

 

「関係はある。そこの娘は息子の生命を救ってくれた。そして鬼の娘があの戦いの場に居合わせることができたのは、彼女を殺さずに守っていた君がいたからだ。感謝する理由はあるだろう」

 

 息子とよく似た眼差しが、獪岳を正面から捉える。断固とした一本芯が通った口調も、師匠そのものかと思うほどだ。

 いや本当は、逆だ。息子が父に似たのだ。

 槇寿郎は、訥々と続けた。

 

「杏寿郎の継子に以前、甘露寺という娘がいた。知っているだろうが、今の恋柱だ。……個性が強すぎ、独立して恋の呼吸を確立させたがな」

「……こい」

「言っておくが、色恋の恋だぞ。私もそれを聞いてふざけているのかと言ったが、杏寿郎に言われたのだ。甘露寺は己の……なんと言ったか……ときめきを大切にしている。それが呼吸に深く繋がり、強さにも繋がっているのだ、と」

 

 恐らく重要なことを言われているとわかっていたのだが、獪岳は吹き出しかけた。

 桑島の先生のような、頑固親父然とした面の男の口から、恋だのときめきだのという言葉がこぼれるのだ。

 似合わないこと、甚だしい。

 ちゃんと聞け、とばかりに幸に肩をど突かれた。金色の瞳が、尖った三角形になっている。

 槇寿郎も似合わぬことを言った自覚はあるのか、やや眉間にしわを刻んでいた。

 

「……続けるぞ」

「すみません」

 

 温くなった茶を啜り、槇寿郎は口を開いた。

 

「言いたいのは、呼吸の適性は扱う者の心と関係があるということだ。……霹靂一閃は、鬼の懐深く飛び込み、一撃で頸を刎ねる居合いだろう」

 

 知っている。

 何より知っている。

 求めても焦がれても、手の中に降りてこなかった神鳴(かみな)りの一太刀だからだ。

 

「殺されないために殺したかったと君は言うが、君は初めて鬼と遭遇したとき、何を思い、何を心に刻まれた?……そこから目を逸らしてはならない、と君の連れている娘も言いたいのだろう」

 

 こくん、と幸が頷いて、丁寧にゆっくりと槇寿郎へ頭を下げるのが見えた。

 尤も、と槇寿郎が一つ呟く。

 

「目を逸らしてはならない、などと、私が人に言えた義理はない。瑠火の……妻の死からずっと蹲り続け、逃げ続けた、とんだ大馬鹿者だ。だがだからこそ、見え、言えることもあると思ったまでのことだ」

 

 手の中の湯呑みはすっかり温くなって、日は中天に差し掛かっている。

 槇寿郎は、見えない何かを探すように部屋の外を見やる。

 ぺしぺしぺしぺしぺし、と幸が高速で背中を叩いてきた。目線だけで振り返ると、お、れ、い、と口がぱくぱく動いている。

 礼を言うまで叩くのをやめない、と目が言っていた。

 

「……ありがとう、ございました」

「いや、いい。唐突に言っても、訳がわからんだろう。君の師匠は、あくまで杏寿郎だからな」

 

 もう間もなく帰る頃だ、と槇寿郎が立ち上がった瞬間、庭の方から障子がかたかたと震えるほどの声で帰宅を告げる声があった。

 続いて、どかどかと廊下を歩く音が続く。

 ぬっ、と隻眼の師匠が現れた。

 

「ただいま戻りました!千寿郎も共におります!父上!……獪岳!?幸少女!?いつ来たのだ!」

「しばらく前だ。お前の帰りが遅いから、二人とも待っていたぞ」

 

 面差しの似た息子を前に、父親は湯呑みを乗せた盆を手に立ち上がった。

 

「よもや!それはすまなんだ!それにしても出歩く許可が下りたならば、俺が蝶屋敷まで赴いたものを!怪我はまだ治っていないのだろう!」

 

 獪岳が答える前に、幸がしれっと言った。

 

「そんな許可、ありません。かってに、獪岳が抜けだしました」

「テメッ!」

「なんと!君が胡蝶の言いつけを破るのは既に十回目だろう!なかなかに無謀なことをするな!」

「……後で叱られますから」

「叱られる前に、任務に行ってごまかすのはだめ」

「お前ほんと一回黙れ!」

 

 騒ぐうちに、槇寿郎はいなくなっていた。

 獪岳の前に残った湯呑みを見、杏寿郎は元から大きな目を殊更大きく見開いた。

 

「これは父上か?」

「……ええ、はい。そうです」

 

 小さくなった幸の襟首を小猫よろしく掴んでぶら下げたまま、獪岳は答えた。

 幸は、ぶかぶかになった着物の中で手足をぷらぷら振っている。普通に眠たげに、二重瞼の目を擦っている。

 考えてみると、いつもなら寝こけているはずの日中に連れ回しているのだから、こうなって当然だった。

 

「寝てろ」

「ん!」

 

 ぼと、と獪岳は籠の中に幸を落として入れた。

 籠は、幸が膝を抱えて丸くなると丁度よい収まり具合になる大きさだ。やや不服そうに目を尖らせていた幸も、眠気には逆らわずすぐに瞼を閉じた。

 

「獪岳!それはそうと、父上と何を語らったのだ!」

 

 それを待っていたかのように、杏寿郎がすいと寄って来る。

 顔の圧が凄かった。

 

「大したことじゃありません。前のことの、その、謝罪と、あと師匠の前のお弟子の話を」

「甘露寺のことか!うむ!彼女は個性が強くて独立したのだ!そのうち、君も同じようになるのではないかと俺は思っているが!」

「俺も?」

「元々君は雷の呼吸の適性が高い!雷が走る日輪刀が何よりの証だ!出す技も、あくまで雷の技を基盤に炎が混ざった型になりつつあるぞ!」

 

 確かに、動きを組み合わせて、頸を斬りやすいように戦ってはいる。

 突進して薙ぎ払う型の多い炎の技と、複数の斬撃を繰り出す雷の技。

 それらを組み合わせて、一つにして、そうやって戦えていた、ということらしい。

 が、そこまでやっても、上弦の陸の頸を落とすことはできなかった。何も嬉しくない。

 

 足りない。

 足りないのだ、何もかも。

 強さが足りなければ、あの黄金はまた壊れる。また失う。

 最も欲しいものが、手に入らない。

 

 肉に爪が食い込むほどきつく手を握りしめたとき、ぽん、と頭の上に手が置かれた。

 

「眉間のしわが酷い!君は、何事にも集中しすぎるきらいがあるからな!」

「……俺は、元々こういう顔だって言ったじゃないですか」

「む!幸少女が、幼いころの君は笑うと愛嬌があったと言っていたのだが!」

 

 これまでの人生において、凡そ縁のない批評である。

 そりゃまあ、一度か二度くらいは素直に笑ったことがあったかもしれないが、そんなものはうんと餓鬼のころの話だ。当人も忘れている。

 ここまで来ると、幸のあの記憶力はいっそ異能か、化け物じみたものに思えて来た。

 一度見たもの、聞いたものを覚えて、しかも決して忘れないとは何なのだそれは。

 だから、実の親に気味悪がって捨てられたりするのだ。

 

「ともあれだ!上弦の陸戦では、よく生き残った!君の鎹鴉が相変わらず細かく報告はくれたが、俺は君の口から、直接戦いの模様を聞きたい!」

「あいつ、またここに来てたんですか……」

 

 馬鹿鎹鴉、ではなく雷右衛門。

 姿がないと思ったら、そんなことをやっていたらしい。

 

「うむ!父上や千寿郎も聞いていたぞ!特に千寿郎は、最近竈門少年と手紙のやり取りをしているようでな!以前より明るくなっていて、兄としては嬉しい限りだ!」

 

 煉獄千寿郎は、竈門が使うヒノカミ神楽とかいう独特の呼吸の研究のために、炎柱の書を復元しているとは、獪岳も幸から言われていた。

 

「というわけでだ!獪岳!二度目の上弦との戦闘はどうだったのだ!」

「話します!話しますから師匠は声ちょっと抑えてくれませんか!!傷に響いてんですよ!地味に!」

「ぬんっ!!」

「いや、ぬんっじゃなく!!」

 

 しっちゃかめっちゃかだと、獪岳は内心頭を抱えた。

 桑島の先生のように雷が落ちて張り飛ばされたりということはないが、煉獄の師匠は声がでかくて話を聞いていないときがある。

 

 くぅくぅという穏やかな幸の寝息を聞きながら、獪岳は日が傾くまで師匠相手に語り続けた。

 そうして獪岳の話が終わったころには、幸は籠の縁に顎を乗せて起きていた。

 

「話はこれで、終わりです。師匠」

「うむ!獪岳、よく戦った!師として俺もとても嬉しい!幸少女もよく戻った!」

「……はい」

 

 ころりと籠から出てきた幸は、ぺこりと畳に手をついて頭を下げた。

 

「だが君は、型を整理したほうがよいな!」

「整理?」

「名をつけ、数字を刻んで整理するのだ!己の技を整えることで、より励めるだろう!甘露寺も恋の呼吸と名をつけた技を使っているだろう!」

「恋柱様ですよね?その呼吸、他に使ってる人っているんですか?」

「俺の知る限りではおらんな!」

 

 だと思った。名前が珍奇すぎる。

 師の言いたいこともわかった。

 今は感覚で組み合わせて使っている新しい型もどきを、名をつけることで整えろ、ということなのだ。

 

「すぐに決める必要はないが、技の精度は即刻高めるべし!精進あるのみだ!」

「はい!」

 

 だから、声がでかい。

 そうは思いつつも、自分が自然応えるような大声になっていることに、獪岳は気づいていなかった。

 

「ん」

 

 隣に膝を揃えてちんまり座る幸だけが、幼馴染みの青年の横顔を見上げ、袂で口元を隠して小さく笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、師匠。頼みたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

 話が落ち着いたのち、獪岳は指を組み合わせたり開いたりしながら尋ねた。

 

「君が稽古以外で何かを頼むとは珍しいな!それで頼みとはなんだ!」

「……岩柱の、悲鳴嶼さんの家の場所を教えてくれませんか?こいつが帰って来たら会いに行くって約束してるんですけど、俺たちあの人の家の場所知らないんです」

 

 皿のような目が、ばしばしと瞬きされた。

 

「知らなかったのか!!幸少女もか?手紙のやり取りはしていただろうに!」

「こいつは、黒猫伝いで手紙送ったりもらったりしてるだけで、悲鳴嶼さんの住んでる場所は知りやしません」

 

 こつん、と幸の頭を拳の裏で突くと、肘が脇腹に入った。地味に痛い。

 幸はふん、と小さく鼻を鳴らすと、杏寿郎の方を真っ直ぐに見た。

 師匠もそうだが、幸も、どうしてこう人の目を、何の衒いも恐れもなく覗き込めるのだろうか。

 柄にもなく、そう思った。

 

「教えて、ください。あいに行きたいんです」

 

 答えは当然、是、だった。

 

 

 

 

 

 

 




煉獄家でのお話。

親子関係に関してまぁまぁに鈍い主人公。
鈍くはないが言えることがない幼馴染み。

尚、千切れた腕を繋ごうが、吹き飛ばされた頭を治そうが化け物と思わず、自分に都合の悪いことを覚えている記憶力を化け物かと愚痴る主人公。
そういうところでしょう。

次で悲鳴嶼さんちへ行きます。


アンケートありがとうございました。
次なるアンケートを設置したので、またよろしくお願いします。

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