設定の把握ミスで誤りを書いており、誠に申し訳ありません。
修正しましたが、また何かあるやもしれません。
では。
結果から言うと、那田蜘蛛山を降りたあとも、獪岳と幸の首はまだ繋がっていた。
繋がってはいたのだが、獪岳はもう一人の鬼を連れた隊士と共に、柱と鬼殺隊の頭領が集まる裁きの場に引き出されることになった。
那田蜘蛛山で獪岳たちが斬られなかったのは、あの善逸のお陰である。
蟲柱、胡蝶しのぶと共に現れた別の女の剣士が幸の頚を刎ね飛ばそうとした際、土壇場で善逸が目覚めて、幸を庇ったのだ。
それはもう見事に、怪我でまだ足腰が抜けてろくに立てないような状態の善逸は、体ごと幸の前に立ちはだかった。
見ていた獪岳が、唖然とするくらいの勢いだった。
「ち、ちょっと待ったぁぁ!獪岳はともかく、この子は俺のこと助けてくれたんです!斬るのはやめてぇぇぇ!」
助けてやったのに、獪岳はともかく、という言い草は腹の立つことこの上なかったが、幸の血鬼術でなんとか喋れるようになるまでには回復していた善逸が、ぎりぎり目覚めて喚いたお陰で、幸の頚は斬られなかった。
「あら、私はてっきり、彼と鬼が手を組んであなたを殺しかけていたと思ったのですが、違いましたか?その鬼があなたに向けていたのは、血鬼術ですよね?」
「違いますぅぅ!ヤバイのはなんか知らない間にいなくなってる蜘蛛の鬼ですぅぅ!この子の光で痛いのが治ったんですぅぅ!それに獪岳はともかくこの子は、本当に優しい音がしてる子だからぁぁ!獪岳はともかく、獪岳はともかくぅ!」
なんで四回も言った。
首に蟲柱の刀をあてられていなかったら、呼吸の力込みの本気で殴っているところだ。
というか、蜘蛛の鬼とかいうのはお前が斬ったんじゃないのかと、問い詰めたかった。
斬る斬らないの、殺すの殺さないのと、蟲柱と善逸が押し問答をしているときに飛んできたのが、鎹鴉だった。
鴉は、山にいる二体の鬼と二人の剣士を殺さずに捕縛し、連行しろと喚いたのである。
それを聞くや、蟲柱は引いた。
「では、私はもう一人の鬼連れの剣士を探しに行ってきます。カナヲ、ここは任せましたよ」
「はい、師範」
蟲柱は弟子らしい剣士にその場を任せて去り、獪岳と幸は裁きの場に引きずり出すまで大人しく待てと言われた。
とはいえ、もう一人の鬼連れの剣士が捕まるまでの間、獪岳たちは善逸と同じ場所に拘束されていた。
幸の血鬼術は、毒を除きはしたが鬼の毒で縮んだという善逸の手足をすぐさま元に戻すには至らなかったから、包帯で蓑虫のようにぐるぐるに巻かれた善逸と、逃げぬようにと縄で縛られた獪岳、口枷の竹を噛まされて箱に詰められた幸は、まとめて地面の上に置かれたのだ。
周囲では、後始末を行う隠たちが忙しく立ち働いていた。
鬼殺隊と鬼が戦ったあと、周辺を直したり、負傷して前後不覚になった鬼殺隊を回収するのが、隠の仕事である。
前に赴いた鬼によって全滅させられていた村も、隠が埋葬や始末をつけたはずだ。
だが、現れる隠の数がやたらと多かった。
入山したばかりの獪岳は知らなかったが、この那田蜘蛛山は、予想以上に人を喰う鬼が巣食っていたらしい。
だからこそ、柱が二人も派遣されたのだろう。
「なぁ獪岳、その子誰なんだよ」
「……」
「なあってば。俺、お前が鬼連れてるなんて、知らなかったんだけど。もしかして、爺ちゃんにも隠してたのか」
ろくに動けはしないが口は利ける善逸は、獪岳が無視しようが何度も問いかけてきた。
あまりにしつこく、少しだけ喋ることに決める。
「……最終選別のときに拾っただけだ。俺の言うことなら聞くから、使っていた鬼だ」
「え、じゃ獪岳は、藤の花の山降りたときからずっとその子といたのか?どこの子で、どうして鬼になったのかとか知らないの?」
「そんなもん、俺が知るか」
嘘だった。
真実など語る気もないのだ。
土台、語ろうとするとどうしても獪岳の過去まで話さなければならなくなる。
見下している善逸にそれを知られるのも、丁寧に説明してやるのも嫌だったのだ。
だが、いつもなら獪岳が少し乱暴に吐き捨てれば、意気地なく俯いて引き下がる善逸は、まだ顔を上げたままで、いつになく真剣な顔だった。
「獪岳、あのさ。これ、お前に言ったことなかったんだと思うんだけど、俺、ほんとすっごく耳が良いんだ。だから俺はさ、人が嘘ついてるかどうかすぐわかるんだよ」
「は?テメェは女に騙されて、借金背負うような馬鹿を晒してやがったじゃねぇか」
善逸が入門した理由は確か、先代の『柱』である師範に借金を肩代わりしてもらったからという理由だったはずだ。
くだらないことを言うなと睨みつけると、善逸はびくっと肩を跳ねさせた。
「いっ!?いやあの、それはともかくな!!俺は嘘ついてるかどうかわかんの!……だからさ、獪岳が今言ったことが……嘘だってことも、わかるんだよ。獪岳、本当はその子が何処の子か知ってんじゃないのかって思うんだけど、どう?」
「あ?」
「妹とか姉じゃないんだろ。獪岳と音が違うし。なら、その子にも家とか家族とか、そういうのがさ……」
「ねぇよ」
「へ?」
善逸は、ぽかんと目と口を開けた。
「あるわけねぇだろ。こいつにも俺にも、家なんざ元からねぇよ。挙げ句に家族だと?そんなもん、いるわけねぇに決まってんだろ」
これ以上腑抜けを見るのも嫌になり、獪岳は体ごと善逸から顔を背けた。
とはいえ縄で縛られているから、大した距離は取れなかった。
「ご、ごめん……。だけど、俺みたいなやつでも嘘かどうかはわかるからさ、柱の人たちにじ、尋問とかされるとしたら……最初から全部、本当のこと喋ったほうがいいよって……言いたかった……んだけど」
話すに連れて自信なさげに目を彷徨わせながら、善逸は続けた。
「その子が人間食べてないって獪岳がいうの、俺は信じてるよ。だって禰豆子ちゃんがそうだったんだし、その子、すっごく優しい音がするし、かわいいし。だけど……」
「おい、カス」
殺気混じりで言えば、善逸はぴたりと貝のように口を閉じた。
「黙れ」
それ以上反吐が出るほどぬるい言葉を聞いていられず睨みつければ、善逸は黙った。
結局それから、獪岳は連行されるまで、善逸とは一言も言葉を交わさなかった。
包帯蓑虫は隠の手でどこぞに運ばれて行った。大方、剣士たちの治療院を兼ねているという蝶屋敷だろう。
最後まで、幸が入った箱と獪岳をちらちらと見比べ、不安そうな顔をしていたのに苛つく。
そのような経緯を辿った後、獪岳は産屋敷邸の庭に引き出されていた。ここまで来ると、どうにでもなれと言う投げやりな気分である。
いつもの、八歳そこらの大きさになった幸は、日光を避けるために厚手の布に包まれて上から縄をかけられ、横に置かれていた。
善逸に使った血鬼術の代償があるため、場違いなまでに安らかな寝息を立てて眠ったままである。
産屋敷邸に獪岳たちを連行してきた蟲と水、それに岩以外の柱はまだ来ていないため、裁判が始まらないのだ。
獪岳の隣には縄で縛られた少年が、砂利の敷かれた地面の上に倒れて気絶していた。
少年の名は、竈門炭治郎。
連れていた鬼は元は妹で、竈門禰豆子というそうだ。
炭治郎は那田蜘蛛山でひどく負傷し、気を失っているのだ。
獪岳は出くわさなかったが、水柱が向かった先にはやはり下弦の伍の鬼がいて、竈門炭治郎は水柱が応援に駆けつけるまで、それと戦っていたそうだ。
竈門炭治郎の階級は一番下の癸だというから、十二鬼月の相手は死闘になったらしい。
その怪我で、竈門炭治郎はまだ起きないのだ。
こいつが目覚めず、柱が来ないことには、裁判は始まらないというから、獪岳も縄で縛られたままである。
だが、そんなことは何もかもどうでもよくなるほど、今の獪岳は混乱していた。
表面は無表情でも、内面は嵐である。
目の前、地面に正座で座らされた獪岳の膝のすぐ前に仁王立ちをする、岩柱がいるからだ。
岩柱の名を、悲鳴嶼行冥という。
柱の中でも最古参であり、鬼殺隊最強の剣士とされている岩の呼吸の使い手である。
数珠を手に持ち、南無阿弥陀仏と書かれた奇妙な羽織を纏う、見上げるような筋骨隆々の大男が、白濁した瞳でただひたすらに無言で、獪岳を見下ろしているのだ。
岩柱の鍛え上げられた体と精神が持つ威圧感たるや、炭治郎と獪岳を運んだ隠が、その尋常でない様子に完全に怯えてしまい、蟲柱に退出を許されて涙目で礼を言いながら逃げてしまったほどだ。
その巨躯から放たれる強者の気配は、これまで会ってきたどんな鬼よりも、重く、強い。
何か迂闊なことを話せば、自分など一瞬で殺されるとしか思えなかった。
隣で聞こえる、くぅくぅという子犬のような幸の寝息がなかったら、土下座して命乞いでもしているところだ。
自分より小さく、眠るしかできない無防備な生きものがすぐ隣にいるから、なんとか獪岳は理性を保っていられた。
これがいるのに、無様を晒すことはできないのだ。
「名は、何というのだ?」
「……」
しかし、上から降り落ちてくる岩柱の問いに、獪岳は答えられない。
この『柱』の姿と、獪岳の記憶にある『彼』の姿はあまりに違い過ぎた。
「どうしました?あなたは獪岳君ですよね。雷の呼吸を使う鬼殺隊の隊員で、階級は丙。連れている鬼の名前までは、知りませんけれど」
代わりのように、蟲柱の胡蝶しのぶが答えた。水柱は、少し離れたところで静観しているのみだった。
「この子が連れている鬼は、どのような姿をしている?」
「小さな女の子の形をしていますね。髪を三つ編みにして、紺地に白の矢絣模様の着物に群青の帯。黒の羽織を着ていました」
岩柱は、目が見えない。だから、鬼の容姿も見ることができないのだ。
幸の着物は、人間だったころによく着ていたものとよく似ている。
元の着物は藤襲山に閉じ込められている間に襤褸きれ同然になってしまった。
代わりを買わねばならなくなったとき幸がそれを着たがったから、獪岳が買ったものである。
岩柱の白濁した目からは、それを聞いて彼が何を考えているのか読み取れなかった。
「鬼になったこの子の名前は何というのですか?獪岳君。あ、何も答えないというなら結構ですけれど、知っていることは話しておいたほうがいいと思いますよ」
蟲柱が屈み込み、獪岳の顔を覗き込んで来る。
藤の花の匂いが、鼻をくすぐった。
「……幸。幸福の幸と書いて、さちだ」
久々に口に出したその名に、皮肉な名づけだと、急に笑いがこみ上げてきた。
幸福という意味を名に持っているくせに、生みの親によって足を折られた。
それからも獪岳を庇って鬼になって閉じ込められ、散々人間のために戦わされ、今はその人間によって縛られ、殺されそうになっている。
ほらやっぱり、他人に優しくするなんて無意味でしかない。
そんなだからこいつはいつも、幸せにそっぽを向かれてばかりだ。
そして、幸という名を聞いた岩柱の反応は、劇的だった。
青い天を仰ぎ見、見えぬはずの眼から滝のような涙を溢す。
「あああ…よりによって、よりにもよって、その子が鬼になっていたのか。不幸なことだ。気の毒な子どもたちだ。可哀そうに……。早く殺して、解き放ってあげなければ…」
「は?」
数珠をこすり合わせる音が強く激しくなる中、怒りが、岩柱に感じるほとんど本能的な恐怖を一時押しのけた。
後ろ手に縛られたまま、獪岳は片膝を立てて下から白く盲いた瞳を睨み上げた。
「不幸?可哀そう?何言ってやがんだ。それはアンタだろ、行冥さん。馬鹿なガキの一人が外に出たばっかりに、みんな鬼に殺されたんだからな。おまけに、守ったガキはアンタが殺したって言ったんだろ。こんなとこで生きてるとは、知らなかったぜ」
「……やはり君は、君たちはあの獪岳と、幸だったか。嗚呼……哀しい。何ということだ。死んだと思った子が生きていたというのに、私は君たちの生を喜ぶことができない。鬼も、鬼に憑りつかれた剣士も、殺さなければならぬのだから」
ぞわり、と悲鳴嶼行冥の体が、大きく膨れ上がったように感じた。
無論、そんな訳はない。
悲鳴嶼から放たれた気迫に、獪岳が気圧されただけだ。
息が詰まる。呼吸が止まる。心の底から、こいつには敵わないと思い知らされる。
堪らずに膝を折り、獪岳は恐怖から咳き込んだ。
「鬼を連れてた派手に馬鹿な隊員どもは、そいつらか?」
「そのようだな!癸の隊士だけでなく、丙の隊士までが隊律違反を犯していたとは嘆かわしい!よもやよもやだ!」
低められた声と、やたらと威勢がいい声が響いたのはそのときである。
威圧感がやや減り、獪岳はようやく呼吸を取り戻すことができた。
そちらを見れば、派手派手しい格好の大男と、黄と赤が混ざった不思議な髪の男がいる。
さらに辺りを伺えば、桜色の髪の女やら獪岳より年下に見える長い黒髪の少年までもが現れていた。
気づけば、強い人間の気配が都合六人分、増えていたのだ。
柱は九人なのだから、つまり彼らがこれから獪岳と竈門炭治郎を裁く人間たちである。
だが、竈門炭治郎はまだ目覚めない。
いい加減に起きろと、獪岳は脚で地面を強く踏み込んだ。
呼吸により強化された踏み込みに地面が微かに揺れ、炭治郎の瞼がぴくりと動く。
「いつまで寝てんだ。起きろってんだよ」
「ぇ。……っっ!?」
獪岳を見、周りの柱たちを見、炭治郎は大層驚いたらしかった。
そもそも、癸で隊士になりたてであるならば、産屋敷邸のことや柱のことを知っているかすら怪しい。
「君たちはこれから、この鬼殺隊の本部で裁判を受けるのですよ。竈門炭治郎君に、獪岳君」
蟲柱のやわらかな声に、竈門炭治郎が何かを言おうとし、咳き込む。喉が枯れていたらしい。
すかさず蟲柱によって鎮静剤入りの水を飲まされ、炭治郎が語り出した。
妹は確かに鬼になったが、誰も人を喰っていない。
二年以上も正気を保ち、鬼殺隊として戦えるのだと、要約すると彼はそのようなことを述べた。
「派手に話にならんな。人を守る鬼だと?そんなものはド派手に存在していない」
「しています!妹は、禰豆子は人を喰ったりしません!」
「ではもう一つ聞こう。君はそちらの隊士と面識はあるか?名は獪岳。雷の呼吸を使う、丙の隊士だ」
岩柱の問いに、炭治郎が獪岳の方を向いた。赤色がかった瞳には、素直に戸惑いが浮かんでいる。
獪岳も、無論こんな少年のことは知らなかった。
善逸が言っていた『たんじろう』と『ねずこちゃん』がこいつらのことだったのかと、そう思っただけだ。
現状獪岳は『ねずこちゃん』の顔すらも見ていないのだが。
「この竈門炭治郎というやつを、俺は知らない。こいつが……幸が鬼になったのは、十年近く前だ。こいつ以外に人を喰わない鬼なんて、俺は見たことがなかった」
十年というその言葉に、柱たちは驚いたらしかった。
同時に、布の包みがもぞもぞと動き出し、その隙間で幸がちらりと覗く。
獪岳の体でできた影にしっかりと隠れながら、今の自分の有様と、そして居並ぶ柱たちの有様を見て、茫洋とした眼を瞬かせた。
ぐ、と細い顎に力が籠る。
幸が何をしようとしているか悟って、獪岳は腰を浮かせた。
「あ、馬鹿こら、やめ……!」
止めるより先に、幸は自身の口に噛まされていた竹の口枷を、噛み砕いていた。
気色ばむ柱たちをまったく気にすることなく、幸は竹の破片をぺっぺっと吐き出し、ふんすふんすと鼻を鳴らしている。
かなり、満足げですらある。
尖った破片で傷ついた口の中は、鬼の再生力で一瞬で治っていた。
単に、口に嵌められた枷がおさまり悪く、気持ち悪かっただけらしい。
そうだった。
空気を読むという概念は、この鬼には存在していなかった。
「馬鹿か!ここで動くんじゃねぇよ!小さくなってじっとしてろ!」
「ん」
獪岳の怒鳴り声にこくん、と幸は頷き、体を赤子並みに小さくして布の中にもぞもぞと潜った。
それを見て、蟲柱があら、と頬に手を添えた。
「どうやらあなたの言うことを、その鬼はよく聞くようですね。あなたも、その鬼は人を喰わず、襲わないと言うのですか?」
「……襲わない。俺の言うことは聞くから、連れていた。俺や他の人間が怪我をしたときに血の臭いを嗅いでも、鬼に襲われた村で人間の死体を見ても、こいつは理性を失ったことはない」
「禰豆子も同じです!妹も俺も、鬼殺隊員として人々を守ることができます!」
やたら派手派手しい身なりの男、音柱の目が針のように鋭くなった。
「二人も隊士が揃って、何ド派手に馬鹿を抜かしてやがる。人を喰わないこと、これからも喰わないことをどうやって証明しやがるつもりだ」
「嗚呼、そのようなことは決して有り得ぬだろう。……その子らも、鬼となった子どもたちも、早く殺して救ってやるべきだ」
岩柱が一歩、踏み込んで来る。
かさり、と布の奥で幸がまた身じろぎする音がした。
忘れていたが、あの坊さんに一番懐いていたのは、幸だった。
寺にいるときはよく、『ぎょうめいさん』に纏わりついていたものだ。
そうでなければ、念仏なんてもの未だに御大層に覚えているわけがない。
だって獪岳は、もう忘れてしまったのだ。
「は。殺して救う?うっせぇんだよ。アンタが、俺たちを憐れむんじゃねぇ!」
憐れまれること、ひいては己が下に見られること、それが獪岳は何よりも我慢できない。
かつて寺で自分たちの面倒を見てくれた、お人好しな枯れ木のように痩せた坊主が、どういう経緯を辿って鬼殺隊最強の岩柱に至ったのか、獪岳は知らなかった。
岩柱が誰なのかを知ってこそいたが、顔など見に行けるはずがない。
獪岳のせいですべてを失ったはずの者に、何故憐れまれなければならないのか。
恨みや憎しみを向けられたほうが、まだよかった。それならば、理解できるからだ。
それが歪んだ思いであっても、間違いでも、獪岳はそう思うことを止められないのだ。
岩柱を睨み上げる獪岳に、竈門炭治郎は驚いたように眼を見張っている。
「話にならねぇなァ、どいつもこいつも。とっとと鬼諸共斬ればいいだろォが」
新たな声が庭に響いたのは、そのときだった。獪岳が持っている、幸を運ぶ箱とよく似たものを持った男が、そこにいた。
─────あの、男。
いつからそこにいたのか、獪岳は気づけなかった。
気配が九つあるのは感じ取れていたが、その男は急に現れたとしか思えない。
白い髪はざんばらで、凄まじいまでに悪い目つきの男である。
「鬼が人間を守る?そんなことはなァ、有り得ねぇんだよォ!」
叫ぶや否や、その男は己の刀を、持っていた箱に突き立てる。
箱から、ぼたぼたと真っ赤な血がこぼれた。中にいたものが、刀で刺し貫かれたのだ。
「禰豆子!」
「ハッ!本性を表しやがれ鬼共ォ!」
瞬間、男の姿が再び消える。
だが今度は、見て集中していたから獪岳にも反応できた。
男が来るのは獪岳の真横。地面に転がったままの幸だ。狙いは、その頚。
「チッ!」
咄嗟に、片脚だけで獪岳は幸を蹴り飛ばした。
鞠のように飛んだ幸は炭治郎に派手にぶつかり、彼らは諸共後ろに倒れる。
一瞬遅れ、白髪男の刀が地面に突き刺さった。砂利が勢いよく飛び、幸を蹴り飛ばした衝撃で体勢を崩して倒れた獪岳の額に当たる。
額のどこかが弾けたのか、たらりと血が流れた。
「なんのつもりだァ?テメェの階級は丙だろうが。それだけの階級になっておいて、鬼の本性がどれだけ醜いか、まだわかってねぇのかァ?」
白髪男の刀が、ぴたりと獪岳の首元に添えられた。
こいつもだ。
こいつも、獪岳を見下している。気配でわかる。
怒りで、目の前が赤くなった。
「わかってるに決まってんだろ。あいつは、俺の言うことならなんでも聞く道具だ。使いやすい道具を使って戦うことの、何が悪い?」
「道具ねェ。じゃ、こうすりゃどうだァ!」
言うが早いか、刀の柄を横に振り抜き、男は獪岳のこめかみを殴り飛ばした。体が横に傾いだところで脇腹に強烈な蹴りが突き刺さり、体が吹っ飛ぶ。
飛ばされる刹那に、左の肩口から右腰までをざくりと刀で斬られる感触があった。
受け身を取りはしたものの、獪岳はごろごろと地を転がった。
「ガ……ッ!」
骨がみしりと軋み、傷からだくだくと血が溢れる。体を起こす間もなく、獪岳の上に何かが投げつけられ、腹に直撃する。
「そら鬼ィ!お前らの大好きな、人間の血だぞ!」
獪岳の上に投げられたのは、幸だった。
飛ばされた衝撃でかけられていた布が僅かにずれ、日光がはみ出た細い足を焼く。
じゅ、と肉の焦げる音がした。
「やめてください!」
「不死川さん、やり過ぎです」
竈門炭治郎と、蟲柱の静止が入る。
獪岳はと言えば、何とか体を捻って仰向けになったところだった。
胸の上には小さな布包み。そこから、もぞりと顔が出た。
まろい金色の瞳に、獪岳の血だらけの姿が映る。くしゃり、と幼い顔が傷を見て悲しそうに歪む。
ぽう、と幸の体が淡く紅色に光った。
─────血鬼術、癒々ノ廻り
幸の体から発された光が獪岳の傷口に触れれば、すぅ、と痛みが和らぎ、流れていた血が止まる。
数秒だけ光ったかと思うと、幸は再び布の奥深くに引き籠る。獪岳が体を起こすと、幸はそのまま、ころりと地面の上に転がった。
「今のはなんだ!どうした!その鬼の血鬼術か?」
「鬼の女の子が、男の子の怪我を治したみたいに見えましたけど。……あの、やっぱり私たちだけで決めちゃっていいんでしょうか?だってお館様が、この子たちのことを知らないはずがないと思うんです」
黄色と赤の髪の男と、桜餅のような色合いの髪の女が言う。
だが、岩柱が手に持つ数珠を一層音高く擦り合わせ、獪岳と幸の方へ一歩を踏み出した。
「その必要はない。お館様の判断を伺うまでもない。如何な理由があれ、鬼は殺さねばならない。鬼となった可哀相な子どもも、それを庇う哀れな剣士も同じことだ」
うるせぇボケ、と獪岳は罵りかけた。
恨みすら見せず、ひたすらに人を憐れむ岩柱が、獪岳には腹が立つ。
己の怒りが理不尽であるか正当なものであるか、獪岳はそのようなことは考えないし、できない。
だが獪岳は結果的に罵れなかったし、岩柱がさらに近寄ることもなかった。
誰よりも先に、動いたやつがいたからだった。
「あああああ!」
竈門炭治郎である。
叫びながら、まだ禰豆子が入った箱を持つ白髪男に特攻したのだ。
白髪男の刀が、ちきり、と鳴る音を獪岳は聞きつけた。
「やめろ!もうすぐお館様がいらっしゃるぞ!」
水柱の静止の声に、白髪男の動きが束の間止まる。その隙を見逃さず、跳躍した炭治郎は、あろうことか頭突きを白髪男に見舞う。
見ていた獪岳の時間も静止した。
何考えてんだあいつ。
肉と骨がぶつかった鈍い音がし、炭治郎と白髪男の両方が鼻から血を流してぶっ倒れた。
「テメェ!!本気で殺すぞ!」
「うるさい!さっきから何なんだあんたたちは!幸ちゃんからは、人の血の臭いなんてしない!」
縛られたまま、妹の入った箱を背中に庇って竈門炭治郎は叫んだ。
「道具と言ってたけど、獪岳さんだってその子を気にかけてる!大事に思ってる!幸ちゃんも同じだ!その獪岳さんが斬られても血を見ても、幸ちゃんは堪えただろう!善良な鬼と悪い鬼の区別もつかないなら、柱なんてやめてしまえ!」
大声で啖呵を切り、ぜぇはぁと竈門炭治郎は息を吐いた。
しぃん、と庭が不気味に静まり返る。
「この餓鬼ィ、言うじゃねェかよォ……!」
「嗚呼……」
だがそれは一瞬のことであり、白髪男の燃えたぎるような怒りと、岩柱が数珠を擦り合わせる音がさらに激しくなる。
庭の空気が膨れ上がり、今にも爆発寸前にまでなった瞬間。
「皆様、お館様のお成りです!」
一丁の柝を入れるかのような、澄んで高い童女の声が、鬼殺隊すべての頭領の到着を告げたのだった。
【コソコソ裏話】
獪岳は任務のない夜ほぼ毎回、幸相手に鍛錬しています。
全集中の常中を使えるようになった幸の最高速度は、獪岳でも追いつけないほど速いため、いい鍛錬となっています。
しかしそれでも、壱ノ型・霹靂一閃を使うことができていません。