鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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では。


七話

 

 

 

 

 体の大きさが、半分になっていたそうだ。

 焼けて、燃えて、焦げついて。

 あと数分発見が遅ければ、日の光を浴びて灰になっていたと聞かされた。

 焼けきる前に隠たちが駆けつけることができたのは、翼を斬られても鎹鴉が鳴き続け、救援を呼んでくれたからだった。

 だが雷右衛門は、死んだ。血を流しすぎたからだった。

 それを聞いて、幸は一人で泣いた、らしい。

 そのとき獪岳はまだ目覚めていなかったから、幸は雷右衛門の亡骸を隠から受け取って、一人で埋葬したそうだ。

 蝶屋敷の裏に小さな穴を掘って、石を立てて。それらしいといえば、それらしい。

 見えないところで泣くだけ泣いて、寝台にほぼ括り付けられるような有様の獪岳のところへ戻って来たとき、幸には涙の跡もなかった。鬼であるから、仮に目を赤くするほど泣いても一瞬で元に戻るのだろうが。

 

「いやぁ良かった良かった!鍛えた刀を、危うく墓前に備えることになるかと思った!」

 

 と、夕方、影が忍び込んできている病室に押しかけてきてそんなことを宣ってくれたのは、あの刀鍛冶だった。少し言い草に腹が立ったが、あそこの鍛冶屋は変人揃いらしいから諦めた。

 刀を無くしても包丁が出てこない分、こいつのほうがマトモだ。

 

「上弦の壱に会って、よくも生命があったなぁ。膾切りみてぇになってるが」

「うるせぇよ。いいから刀を寄越せ」

「はいよ。つっても、しばらく振っちゃなんねぇんだろ」

「別に抜くぐらいはいいだろうが」

 

 獪岳は手のひらまで包帯が巻かれている。言うまでもなく、鍛錬も任務も許可は下りていない。

 今回は、三週間そこそこ眠っていたらしい。怪我だけで言うならば、斬撃だけなのだ。上弦の陸のときのような、体をじわじわと弱らせる毒を喰らったわけではない。

 それでも、血鬼術の止血がなければ、出血死していたほどの大怪我だったと蝶屋敷の看護婦娘たちからは言われたが。

 箇所により、骨まで斬られていたらしいし、額が斜めにがすぱりとやられたものだから、右眼ごとが包帯で覆われて視界不良である。幸い目は斬られなかったが、あとほんの僅かずれていれば失明だったそうだ。

 あの上弦壱の斬撃は、鬼殺隊の隊服も肉も、容易く切り裂いていったのだ。

 獪岳のいのちを拾った当の血鬼術の使い手は、案外元気そうに獪岳の日輪刀を見ている。

 獪岳が刀を手に持った瞬間、無色だった刀身が黄色く染まり、黒い稲妻模様が走るのを見たときは、ぱちぱちと小さく手すら叩いていた。

 そう言えば、日輪刀の色が変わる瞬間を、幸に見せたことはなかったなと思いながら、獪岳は刀を鞘に収めた。

 振った感触を確かめることはまだできないが、握った感じで言えば手に馴染む気はした。

 

「……どうも」

「はいよ。まー、それが届く前に戦いになっちまったのは不運だったなぁ。使ってたほうはどこに行ったんだ?」

「川」

「は?」

「俺たちが落ちた川に流された。見つかってねぇ」

 

 たちまち、泡を吹きそうになったひょっとこ面である。川床で錆びる刀を想像し、発狂寸前になってしまったらしい。

 だが、回収できる状況ではなかったから、仕方ないのだ。

 

「畜生ォォォ!お前ェ、その刀長いこと使わねぇと承知しねぇからなぁぁ!」

 

 常の口調をどこかへやり、そんなことを言って、どたばたと鍛冶屋は出て行った。まさかと思うが、刀を拾いに行くつもりなのか。今は夕方だが、これから夜だぞ。

 

「……いい人、だね」

「そうか?」

「刀を長いこと使えって。それだけ、無事でいろって、ことじゃない?」

「……ああ」

 

 そういう解釈も、しようと思えばできるのかと、獪岳は刀を脇に置く。

 置いてそのまま、寝台の横にいる幸の前髪を手で持ち上げた。

 白い額には、二つの小さな瘤のようなものが出来上がっていた。角の、名残である。

 幸は上弦の壱との戦いで感情を爆発させ、角と傷跡のような痣が出現した。痣は引き、角も消えたかに見えたのだが、角は縮んだのみで根を張ってしまっていた。

 血鬼術の威力は上がったが、また言葉が不安定になったような気もする。

 鬼化とは、一度苦しんで済めばそれまでなのかと思っていたが、そうではなかったのだ。鬼である限り、苦しみは終わらない。

 前髪から手を離して、獪岳は肩をすくめた。髪が下りれば、角は見えなくなった。

 額を摩りながら、幸は眉を下げる。

 

「そうかも、ね。……そう言われたの、はじめて、だけど」

「他に誰かに何か言われたのか?」

「ううん。ねてた、から」

 

 獪岳が眠っている間、鴉の墓を作ったときを除いて幸は動かず、箱の中にずっといて眠っていたらしい。

 あのとき幸は、上弦の鬼に首を掴まれていた。そのとき恐らく、血を流し込まれた。獪岳も幸も、はっきりとは口にはしないが、鬼化が進行したのは激昂したのに加えて注がれた血もあるのだろう。

 一般に、強い鬼ほど鬼舞辻の血の量が多いそうだ。だがその分、支配から逃れるのは難しくなる。自我が塗り潰されるためだ。

 恐怖で歪んだ幸の顔を、獪岳は初めて見た。数秒遅ければ恐らく、許容できない血を流し込まれていただろう。

 鬼化にも浅さと深さがある。幸はまだ、戻って来られる量の血しか与えられていない。が、あの鬼は戻って来られないほどの血を与えようとしていたと思しい。

 上弦の適当な穴埋めで、二人纏めて人喰い鬼になんぞされてたまるかという話だ。鬼舞辻に頭を弄くられて殺される鬼には、なりたくない。

 強い鬼を手っ取り早く作るために、呼吸を身に着けた剣士を使う発想は理に適っているが、己で試されるのは御免被る。

 

「……しんぱい、した」

 

 ぽすん、と幸は上半身を折って獪岳の脚の辺りに顔を伏せた。

 そのままくぐもった声で幸は続けた。

 

「ばか。ほんとばか。わたし、は、きられたって死なない。なのに、どうして前に出た、の?」

「馬鹿はお前だろ。俺が間に合ってなかったらお前、今頃人喰い鬼だぞ」

「でも……」

「お前が人喰ったら、先生も俺も腹斬ンだぞ。しかも、俺がお前の頸を落とさなきゃなんねぇし。付き合い長いヤツの頸斬るなんて胸糞悪ィこと、俺にさせんな馬鹿」

 

 鬼は、自分で死ぬことも大層難しい。

 人間ならば舌を噛んで死ねるが、鬼は自分の頸を自力で引き千切っても死ねない。

 殺せるのは日輪刀、日の光、藤の毒、それに鬼の始祖たる鬼舞辻だけだ。

 上弦の壱の目くらましに用いた藤毒は、蟲柱から貰ったものだろう。それも多分、自殺用に。

 幸はそういう考え方をするし、蟲柱はそのための道具を渡すだろう。

 鬼殺隊は鬼を殺すための組織で、戦いで自分の生命を捨てても構わない場所なのだから。二人とも、何も間違えてはいない。 

 硬い、鬼の角の感触が、布団越しに伝わる。 

 布団に突っ伏したまま、幸は起き上がろうとしなかった。気力が挫けたように、伏せて蹲っていた。

 

「童磨を殺して、あいつらの仇取るんだろ。お前、そのために生きてるんじゃねぇのかよ」

 

 撫でるのでなく、ただ幸の頭に手を置いて、獪岳は言った。綺麗に編まれた髪には直された蝶の飾りがついている。

 あの鬼に姉を殺されたという蟲柱が、目印にとくれた髪飾りだ。斬られて千切られた羽は、丁寧に直されていた。

 こいつと蟲柱の共通点は、そこだ。

 幸は殺すために生きている。

 もう二度と、戻って来ない誰かのために生きている。自分以外の誰かのために、生命を燃やすことができる。

 そして正否善悪感情一切関係なく、幸にはそうする以外にもう、生き方がない。

 人を喰わずとも幸は鬼で、生を許されるためには鬼を殺して、人を助け続けなければならない。

 

「……そう、だよ。そう、だけど、ちがう」

「あ?」

「獪岳がいきてないせかいは、わたし、いやだ。……いや、なのに、獪岳、わたしの前に、出て、きられ、た。……死んでた、よ。わたしがいなかったら、死んでたんだよ」

「死んでねぇだろうが。勝手に殺すんじゃねェよ」

「死んだんじゃないかって、おもった」

 

 ああそういえば、こいつは寺のあいつらの死に様も死体も、墓すらも見ていなかったのか、と獪岳は気づいた。

 生きていると思っていたはずのあいつらが、とうの昔に死んでいたと知ったとき、幸はどんな表情をしていたのだか。

 鬼殺隊に入ることができて、割合すぐのころだったから、まだ幸の頭が曇って、ぼうっとしていたころだ。

 死を伝えたのは、獪岳だ。

 大事な者を亡くした人間が浮かべた表情を、獪岳は思い出すことが、できなかった。

 頭に触れていた手を離して、肩を掴む。

 

「いちいちうるせーよ。俺もお前も生きてンだからもうそれで終いだろ。つか離れろよ。ツノが当たっていてぇんだよ」

 

 力づくでひっぺがすことは、残念ながらできない。腕力では幸に敵わないのだから。

 突っ伏したままの幸が、ゆるゆると頭をもたげる。金色の瞳は蜜を固めたように光っていた。

 

「いたくないでしょ、う。獪岳、脚をきたえてるん、だから」

「はァ?痛ェわ馬鹿。斬られてんだぞ。降りろよ」

「やだ。いたくないように、ちゃんとしてる」

 

 その通り、力加減が絶妙で痛くはないのだ。角が当たっているだけで。

 こうも幼いことを言い張る幸は、なんというか、()()()()()()()

 だが、七歳から十六歳になるまで、誰ともまともに会わず話さず閉じ込められていたのだ。

 だから多少なり、見た目がこれでも歳より幼い面も残っているのだ。言い合いが阿呆らしくなる。勝手にさせればいいかと、獪岳は寝台に仰向けになった。

 飽きれば、そのうち剥がれるだろう。

 

「寝返り打ちにくそうなもん生やしやがって。引っ込まねぇのかよ、それ」

「できたら、やってる。行冥さんに、あんまり見せたくないんだけ、ど」

「見えねぇだろ、あの人には。言わなきゃバレねぇよ」

「そう?……だと、いいなぁ」

 

 岩柱の名を聞いて思い出した。

 戦闘の報告書を上げなくてはならないのだ。鎹鴉が死んでしまったから、上弦の壱を詳しく覚えているのは、獪岳と幸だけになってしまった。

 書くものと紙といえば、幸はぱたぱと出て行って板と筆と紙を持って戻って来た。

 

「わたしが、書く」

 

 まあ書いてくれると言うならばそのほうが獪岳には楽だ。あまり綺麗な字ではないが、読める字なのだから誰が書いたって同じだろう。

  

「あの鬼、呼吸を使ってたよな?」

「うん。月、の呼吸だって。日と、対、みたい」

「ってことは古ィのか。そんな呼吸、聞いたことねぇけどな」

「けされたのかな?……鬼を、出したから。しかも、上弦の壱だも、の」

 

 呼吸を知ってかつ使っているなら、あの鬼は元々鬼殺隊だったはずだ。

 一門から鬼を出したなら、最低でも育手は腹を切らねばらない。

 月の呼吸とその一門も、そうなったのだろうか。残しておいてくれたなら、多少なりとも動きが読めたかもしれないのに。

 あの鬼の前では、焼け石に手で掬った水をかけるようなものだったろうが。

 

「あと、あの鬼、絡繰の縁壱さんと顔が、にてた。……親子とか、きょうだい、くらいには」

「……似てたか?」

「にてた。目を、へらしたら」

 

 六つ目を四つ取っ払った顔なんぞ、想像できるかと獪岳は呻いた。

 正直、人相などろくに覚えていない。

 六つ目から放たれる威圧感と、気がついたら斬られていた高速の剣術くらいしか覚えていないのだ。

 

「あいつの血鬼術はなんだ?刀をつくってたあれか?」

 

 刀鍛冶が発狂しそうな血鬼術である。

 んん、と幸は筆を持ったまま目を思い出すように動かしていた。

 

「たぶん。あと、呼吸の、というか、剣術がなにか、へん、だった。……よけられたはずなのに、斬られて、た。ひとふりで斬る範囲が、おかしいくらい、広い。ひとふりごとで、まあいが広くなる、のかな?」

「……やってらんねぇな」

 

 それは獪岳も斬られたから覚えていた。

 最後の一撃は、振りもなしに周囲を薙ぎ払ったのだ。僅かなりかわしたつもりが、全身を斬られた。

 刀生成能力というより、()生成能力なのかもしれない。

 毒や氷をつくるやつらもいたが、あの鬼はそれに加えて、呼吸まで使っていたのだ。元々の身体能力が化け物の鬼が、人の技を上乗せしているのだから、手がつけられないことこの上ない。

 上弦一体柱三人、といつか誰かから聞いた言葉を思い出した。

 上弦の鬼一体を討伐するのに、柱が最低三人必要という言い回しだ。だが実際には、柱は各地に散って任務にあたるため、三人もの柱が共闘できる機会などない。

 だから柱が各個撃破されてしまうし、何より上弦の鬼の情報はほぼない。情報がないまま初見で戦わねばならず、ここ百年は上弦が倒されたことなどなかった。

 列車、遊郭、今回と、上弦が頻発して現れる今が異常なのだ。

 それより前には、浅草では竈門炭治郎が鬼舞辻無惨と遭遇したと言う。

 

「あいつさえ死んでくれりゃ、それでいいんだよ……」

「?」

 

 筆を動かしていたからか、幸は本気で聞き落としたらしい。きょとり、と首を傾げていた。

 

「なんでもねぇよ。で、書くことそれくらいか?」

「あとは、戦闘場所と被害、かな。……かなり、山の木が、たおされた、から」

「それはいいだろ。薙ぎ倒したのは俺たちじゃねぇんだから」

「いや……わたしは、けっこう……木、壊した」

「黙っときゃいいんだよ」

 

 まともに戦わず、山の中を逃げ回った結果だ。あの分だと、まともに戦おうとした瞬間に死んだろう。

 が、鬼殺隊の掟と引き比べて、それがどう取られるのかと思わないでもなかった。

 近くに人里があったから、近づかせないようにしたのだと言えば言い訳のしようもあるし、その半分は事実なのだが、()()()()()()()()()()()()と取られると、罰せられるだろう。

 鬼は死ぬまで殺せ、己が死んでも殺せが鬼殺隊なのだ。できるできないでなく、やらねばならないことがあると、皆が考える。

 いのちを差し出したって、決して叶わないことだってあるだろうに。

 人間のいのち一つで賄えるものは、案外ちっぽけでつまらなくて、替えが効くのだ。自分のいのちはひとつしかないのに。

 だから逃げたし、間違ったとは思わない。

 何にしても、もう終わってしまったのだ。

 上弦にはまともな傷も与えられなかったが、人里はほぼ無傷。

 鎹鴉は死んでしまったが、獪岳と幸は生き残った。

 結果がすべてで、もう覆しようもない。

 はぁ、と息を吐いてふと横を見れば、やたら正確な上弦の壱の似顔絵が、紙の上に出来上がりかけていた。

 恐ろしさで胃の中のものをぶちまけるほどのあの面を、なんでまたもや見なければならない。丁寧に顔の痣まで再現され、しかも無駄に上手くて鳥肌が立つ。

 

「ん」

 

 そして、ずい、と獪岳の前に幸は似顔絵を突き出してきた。

 

「こっちに見せんな」

「にてるか、ききたい、のに」

「似てる似てる。似てるからしまえ」

 

 顔どころか服装まで覚えているのだから、記憶力が変わらずおかしい。普通はそんなもの、覚えている余裕がない。

 戸口のところに気配が現れたのは、ちょうどそうして、似顔絵を押し付けあっているときだった。

 

「あ」

「わ」

 

 敷居をくぐって入って来た気配に、揃って反応したときには、揃って丸太のような太い腕に抱き締められていた。

 頭を濡らすこれはなんだろう。雨粒だろうか。蝶屋敷がまさかの雨漏りをしていたのか。

 いや違う。雨じゃない。路地に落ちる雨はもっと、容赦なく冷たかったから。

 ────じゃあ、これはなんなのだ。

 

「ぎ、行冥さん!ぬれちゃう!包帯、ぬれちゃいます、よ!」

「ああ……そうか……すまないな」

 

 包帯で元々狭められている視界が開ける。

 相変わらずの巨体で、ぼろぼろと泣いているのは、岩柱・悲鳴嶼行冥だった。

 鉄鎖と鉄球、斧の日輪刀があるということは、任務帰りか。

 

「任務で上弦の壱と戦闘になったと、聞いた。無事か?」

「いや、まァ……俺も幸も、生きてますよ。肺も斬られてないし、目も無事です。治れば任務に戻れますんで」

「そうか……」

 

 悲鳴嶼の手のひらが額に触れる瞬間、ぴく、と幸が身を引いて後ろに逃げようとした。が、獪岳は背中に手を添えてそれを止める。

 隠したかろうが、もうこうなると駄目である。鬼の気配は、やはり柱には隠し通せたものではなかった。

 分厚い手が髪をかきわけて顕になった額には、小さな角が残っていた。瘤のようなそれを、岩柱は撫でた。

 

「この角、痛くはないか?」

「い、たくは、ないです。いたいのは、獪岳のほう」

「そうなのか?」

「怪我が痛ェのは当たり前ですよ。俺のは治るんで」

 

 怪我は治るが角は消えず、傷が塞がれば血は止まるが注がれた血は抜き取れない。

 それを知ってか知らずか、やはりこの人は泣くのだ。なんのための涙なのだろう。

 

「お前たちが戦った付近にあった村だが、村外れの一家以外は皆、無事だった。上弦の壱も、あの付近に現れたという報告はない。……よく、生きて戻った」

 

 はい、と応える声が揃った。

 じわり、と胸が疼く。

 嗚呼そうだ。

 あそこから、あの夜から、好き勝手を抜かす鬼の前から、ここにまで戻れたのだ。生き残ってやったのだ。ざまあみろ。

 ぞわぞわとした笑いが泡のように吹き上がっては弾けて、消えた。

 

「さっきは何を騒いでいたのだ?怪我に響くことはしていないのだろうな」

 

 ぴしり、と幸の背筋が伸びた。

 

「して、ません」

「こいつが上弦の似顔絵見せて来ただけですよ。似てますけど」

「報告にいるから、かいたの、に。獪岳が、ちゃんとみない、のが悪い」

「一回見りゃ十分だろうが。押し付けんなってんだよ」

 

 ふ、と悲鳴嶼の気配が和らぐ。顔を上げれば、薄い微笑みがあった。

 

「……」

「……」

 

 怒られるのでなく、微笑まれるとなるとどうしたらいいかわからない。わからないから、二人揃って黙った。

 

「報告なら後ほどまた上げてもらうが……何か、気づいたことはないか?お前たちは、何かと上弦と出会っている」

「……壱は、陸の穴埋めを探してたみたいでした。前の陸が童磨に鬼にされた奴らで、俺たちも二人で行動してて、その辺りが丁度良く似てるとかなんとか」

「壱は、たぶん、むかし鬼殺隊にいたんだと、おもい、ます。三百年は、前くらい、の」

 

 芝居か絵の、侍のような服装だったのは確かだ。そもそもあれは、現れたときからして、いきなり降って湧いたようで芝居がかっていた。

 幸の気配探知にもかからず、現れたのだ。

 そうだ、忘れていた。

 あれが、何より奇妙だった。

 

「獪岳、どうした?」

「いや、あの……あの鬼、いきなりでてきたっていうか、直前まで来るのに、気づけなかったんです。そういう血鬼術、ありますか?」

「無いことはないだろう。それがあの鬼の血鬼術か?」

「いえ、多分違うんです」

 

 ならあれは、別の鬼の血鬼術か。

 気配を消すものとは考えられない。姿を、見せなければよいのだから。

 いきなり、空から降って来るようにして移動する。

 そんな血鬼術使いが、まだあそこにいたのだろうか。────わからない。

 

 わからずに獪岳が頭を抱えたとき、悲鳴嶼が顔を上げる。幸も気づいたのか、椅子から立ち上がりかけていた。空気に、いがらっぽい慌ただしさが混ざって来る。

 

「二人はここで待っていなさい。様子を見てくる」

 

 そう言って、悲鳴嶼は出て行った。

 元の通り椅子に座った幸も、落ち着かなげに外と獪岳の顔を代わる代わる見ては、においを嗅ぐ仔犬のように鼻を動かしていた。

 

「怪我人です!そこを通して!道を開けて!空いている人は手を貸してください!」

 

 そんな声が聞こえてくる。

 蝶屋敷は、落ち着くということがなかなか無い。

 そわ、と幸が肩を揺らした。

 

「……手伝い、行きたきゃ行って来いよ。どうせ人手がいるんだろ。俺なら寝とくからほっとけ」

「うん!」

 

 椅子から飛び降り出ていく寸前、敷居のところで幸は獪岳を振り返り、手を振る。

 手を振り返し駆けていく軽い足音を聞きながら、獪岳は枕に深く沈み込んだのだった。

 

 

 

 




鎹鴉は殉職しました。
鬼っ娘にとっては初めて見た、親しい誰かの墓です。

刀鍛冶の里は既に襲撃されており、怪我人が蝶屋敷に運び込まれたのがこの日となります。
壱が出た後だったため、多少里の警備が強化されていました。

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