鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

38 / 46
感想、評価、誤字報告下さった方々、ありがとうございました。

本誌の物語、終わりました。
色々と余韻を噛みしめていますが、鬼滅の刃という物語を読むことができる時代に生まれて、本当に幸運だったと思います。

このSSもこのSSで、終われるように頑張ります。
では。


十話

 

 

 

 

 

 少しでも早く怪我や病から回復するにはどうすればよいか、という問いに対する答えは、多少医学が進んでも、古今東西変わらない。

 休め、である。

 噛み砕いて言えば、適度に身を清めつつ、滋養のあるものを食べよく眠れというわけだ。よく笑うことも良いそうだが、そちらはどうだか。

 ともかくも実際、それが確保できていれば人間は案外、死なないようにつくられた生き物らしい。

 無論、手の施しようがない場合とて多いが。

 なら、貧乏人が金持ちより長生きできないのも当たり前だ。体を休めたりなぞすれば、働けなくなって食えなくなる。

 寝ていれば治るというのは、多少寝て働かないでいたとしても、生きるのに困らない人間の言うことだろう。働くのを、動くのをやめたら、貧しさに殺されてしまう。住む所もない人間は、尚更だ。

 

 真理なんて御大層な題目でもなんでもなく、世間はそういうものなのだ。

 

 だから、ただ体を休めておればいいと言われても、休み方が獪岳には掴み切れない。

 ぼうっとしておけば、とは幸の意見だが、随分簡単に言ってくれる。

 人間のころからぼうっとしているのが得意だったやつの言うことは、この場合てんから役に立たなかった。

 第一、幸の呆とした人形振りも、足が古い怪我のせいで動かしづらいし、動けば無駄に腹が減るしと、動いても良いことが然程なかったから、何もしないことが得意になっただけである。それさえなければ、普通に歩き、走って遊んでいたかったろう。

 要するに、獪岳はじっとしていることを耐え難く感じる性格なのだった。

 しかし、動けば傷は治りづらい。

 じりじりと待って待って、眉間のしわがさらに深くなったころに獪岳の復帰許可が出た。

 そのころには柱稽古は既に始まっていたし、善逸も一足先に参加していた。

 蝶屋敷預かりになった幸を箱ごと置いて、獪岳が向かった先は、柱稽古第一段階の、音柱・宇髄天元の下である。

 

「お!お前か!上弦に会って、生きて帰って来れたとは運が強ェなぁ!あの鬼の嬢ちゃんがいなけりゃあ、五体満足とはいかなかったみたいだが!」

「……そうですね」

 

 上弦の陸と戦って片目を失った相手の言うことである。確かに獪岳も、幸の血鬼術がなければ、死んでいたはずだ。

 おまけに出血したまま激流に落ちたのだから、あれだけの速さの血止めがなければ失血で死んでいましたからね、とさらりと蟲柱に言われたときは、ぞっとしたものだ。

 

「善逸に伊之助はまだいるぜ。訓練一緒にや……るって面じゃねぇな」

 

 心底嫌だ、という感情がありあり顔に出たらしく、宇髄はとりあえず走って来いと、獪岳に告げた。

 ここでの稽古は基礎体力向上である。

 要するに、しごきまくられ体力を作ることが目的という単純さだが、周りの屍累々ぶりから考えて、相当きついらしかった。

 はい、と答えて獪岳はさっさと走り出す。

 山を上り下りし続けろ、という課題だが走るに慣れていないとこれはきつい。

 休んでいた分の体はやはり鈍っており、思っていたよりも早く息が上がり出すのだ。ただ闇雲に走るのでなく、疲れない走り方をしなければ、すぐ脚がもつれて転びそうになる。

 とはいえ、夜に上弦の壱に追いかけ回されながら逃げ回った山と比べれば、どんな険しい山でも天国である。天下の嶮たる箱根だって、あれよりは楽なものだろう。

 比較対象ががんがん人間としての最底辺へ近づいている気もするが、そんなことは今更だった。

 思うよりも動かしづらい体の軋みを確かめながら走っていると、ふと、試したくなる。

 助走をつけて、獪岳は岩の上へ飛び乗った。そのまま枝を掴んでくるりと体を回して、枝へ移る。

 幸の腕ほどしかない細い枝を折らぬよう、次の枝へ移る。

 自重を支えられるほど太い枝から枝へ飛び移ることなら割合楽にできるが、細枝から細枝へ飛び移ることは易しくない。

 幸なら、獪岳を担いだ状態でも重石がないかのように軽々跳んで動ける。

 猿のようなあの動きは、多分鬼故の身体能力の高さもあるが、自分の体の重さや動かし方を、よく知っているのだ。

 人や鬼から逃げ回った期間が長いだけに、体の動かし方を叩きこまざるを得なかったのだろう。技術はなくとも、感覚でそうなっているし、実際幸も全集中の呼吸は会得している。

 慈悟郎のところで修行をしていたときも、似たような話を教わったことがあった。

 己の体の寸法、筋肉や血管のすべてを把握してこそ、本物の全集中の呼吸だ、と。

 雷の呼吸は特に脚に意識を集中させる。尚のこと脚の筋肉のひとつひとつ、血管の一本一本にまで気を払い、力を込めて地を蹴って加速する必要があった。

 そうと聞かされても、何度も何度も何度も鍛錬しても、壱ノ型は獪岳にはできなかったのであるが。

 つ、とあの苛立ちと怒りが過った途端に体の制御をしくじり、踏みしめた枝がバキリと折れた。

  

「……」

 

 当然足場を失った獪岳は、折れた枝諸共空中へ投げ出され、音もなく着地した。

 さすがに脚を挫くようなことはないが、落ちた衝撃はそれなり腹立たしさを呼び起こした。

 舌打ちして髪についた葉を取ったときだ。

 

「おっ!お前角々じゃねぇか!久しぶりだな!」

「はあ?」

 

 誰が()()()()だと振り向けば、間近にいたのは見覚えがありまくる猪頭・嘴平伊之助である。

 

「お前、今何やってたんだ?猿の真似か?」

「猿じゃねぇ。枝を折らねえように跳んでたんだよ」

 

 それだけ告げて、獪岳はまた木を蹴って枝の上へ乗る。

 やや覚束ないながらも枝から枝へと跳んで移動すれば、なんと伊之助はその下を走ってついて来た。

 

「お前何の訓練やってんだよ、それ!」

「……」

 

 体を制御し、よく動かすためである。

 枝を折らないよう体重を意識し踏みしめて、一瞬だけ力を込め次に跳ぶだけだが、集中と呼吸をしくじれば枝が折れるか足が滑るかして、体が落ちる。

 木々が途切れたところでやむなく地上に降りれば、伊之助はついて来ていた。というよりも途中で同じように細枝に乗って跳ぼうとし、踏み折って落ちていたのである。

 木の葉と木っ端だらけの伊之助は、鼻息荒かった。毛皮についている猪のぎょろ目が煩い。

 

「雷岳!さっきのどうやってたんだ?」

「獪岳だっつってんだろ、猪頭。集中してやってんだよ」

 

 前々から思うのだがこの猪、頭の中身まで猪なのか四六時中人の名前を間違えている。

 しかも、しつこい。振り払おうとかなりの速さで走っても、楽々追いついて来るのだ。

 走りながら、獪岳は答えることにした。

 周りの隊士たちから何やってんだこいつら、という視線が刺さって来るが、今更気にすることではない。

 

「全集中の呼吸で、血管や筋肉にも集中するってのがあるだろ。あれだよ」

「なんだそれ!わかんねぇ!」

「わかれ。俺がやってたのはそれだ。お前も全集中の呼吸、使ってるだろ」

 

 伊之助が扱うのは我流の、獣の呼吸とかなんとか言っていた気がする。

 遊郭のとき、伊之助がとんでもなく変則的な二刀流で戦っていたのを、獪岳は覚えていた。あの鞘もない刃毀れ刀の切り口は、斬るというより犬に噛みつかれた傷や、獣の爪で引き裂かれたものに近かった。

 

「とにかく、テメェの体を上手く使えてなきゃ落ちるような跳び方してたんだよ。できるならやってみろ」

「おう!豚逸にも言っとくぜ!」

 

 余計なことを喋るなと言うより先に、伊之助は馬鹿のような速さで、猪突猛進と叫びながら駆け去ってしまう。

 どこかですっ転んで、頭でも打ってくれないだろうか。無理か。無理だろうな。

 苔が生えた岩を滑らないよう踏み、時折枝に跳び乗り、頂上についたらまた道を下る。

 延々同じことを繰り返している間に、気づけば日は暮れていた。

 一度止まれば、一日走り詰めだった疲れが脚に来る。獪岳は地面に座って脚を揉んだ。

 その目の前に、舞い降りて来た鴉が一羽。

 

「カァ!獪岳、獪岳ゥ!蝶屋敷ヨリ手紙ダ!」

「手紙?」

 

 鉤爪付きの足にくくりつけてある手紙をほどけば、割合見慣れた金釘文字が並んでいた。幸だ。

 要約すると、新しい鴉にはじめて頼んで手紙を出したことと、修行頑張れということだった。自分のことを書いていないのは、もう諦めた。

 それにしても。

 

「カァ、ナンダ?オ前モ手紙、手紙ヲ出スノカ?カァ?」

「出さねぇよ。必要ないしな」

 

 鬼が出してと頼んだ手紙を、出会ったばかりの鴉がよく運んだものだ。雷右衛門も、最初は幸を警戒して、腕が届く範囲に決して入ろうとしなかった。

 フン、と鴉の雪五郎は胸毛を膨らませた。

 

「オ前タチノコトハ、雷右衛門カラ聞イテイタ。味ガ良イ木ノ実ヲクレルムスメト、乱暴者ノ勾玉ノ隊士ダトナ!カァ!」

「娘、ねぇ」

 

 ではあの鴉は、少なくとも鴉仲間の前で幸を鬼とは呼んでいなかったわけだ。それだけ絆されてくれていて─────だからこそ、死ぬまで鳴いて、助けを呼んでくれた。

 助けがなければ、隠に見つけてもらえなければ、獪岳も幸も死んでいたのだ。

 ばさばさと羽音を立て、やや距離を開けて隣にチョンと止まった雪五郎を獪岳はそのままにした。

 数珠玉のような鴉の黒目が、試すようにじろじろと見てくるのを努めて無視し、獪岳は手紙を畳んでしまった。

 背中を預けている木の幹は硬い。周りには適当に、疲労でぼうっとした面の隊士たちがいる。

 音柱の三人いる妻が作ったという握り飯を食べたら、また走るかと獪岳もぼんやり考える。

 やることがあるのも、やらなければならないことがあるのも、なんら苦ではない。

 特に飛び去るわけでもなく、獪岳の周りを歩き回っていた鴉が、頭を上げるのとほぼ同時に、獪岳も気づいた。

 地べたに座って休んでいる隊士の一人が、こちらを見ている。

 視線が合ったかと思えば、そいつは握り飯を四つ持って、獪岳の前までやって来た。

 

「やあ、久しぶり」

 

 全体人が良さそうな、見覚えがあるような、ないような顔の隊士だった。雪五郎の方を見てみるが、キョトンと首を傾げられる。

 

「覚えてないか?田津だよ。鬼がいた山里で、一緒に戦ったこと、あるだろ」

「……ああ。あんたか」

 

 思い出したのは、人と鬼が組んで旅人を殺していた里の一件である。

 村人に殺されそうになるわ、幸が猟銃で頭を吹っ飛ばされて人を襲いかけるわと、散々な目に遭ったあの山里の戦いのときにいた隊士だ。

 田津という名も、随分久々に聞いた。

 さすがに階級が高いだけあってか、階級が低い隊士のように稽古が終わった途端にぶっ倒れるほどでもないらしい。

 

「なんだあんた、まだ生きてたのか」

「……随分だな。今日はあのときの……箱の鬼はいないのか?」

「日の当たる柱稽古に連れて来れるわけねぇだろ。預かってもらってんだよ」

「そ、そうか」

 

 どこかへ行くのかと思いきや、田津は隣に座ると握り飯を四つ、包みごと渡して来た。

 

「まだ食ってないんだろ。それ、やるよ」

「そりゃまぁ……どうも」

 

 田津は相当な鬼嫌いのようだったから、鬼に味方する人にも、人を庇った鬼にも、随分衝撃を受けていたはずだ。

 何か言った気もするが、如何せんあの後はそれどころではなかったから、獪岳の中での田津の印象は、朧なもので止まっていた。

  

「あれから上弦と二回戦ったんだろ?」

「ああ」

「俺はまださ、十二鬼月と戦ったことはないんだが、どうだった?」

 

 どうもへちまもない。

 死ぬかと思うほど強かったし、恐らく普通なら五回かそこいら死んでいたろうが、生き延びることができた。それだけだ。

 遊郭のときは音柱と竈門たちが、上弦の壱のときは幸と鴉がいたから、どうにかなった。

 そうして死線を越えて生き延びられたことはどんな稽古にも勝る、己を生かす経験になるのだと、煉獄の師匠には言われたのだったか、と指についた塩の粒を舐めとりながら、獪岳は考える。

 

「強かった。あれに比べりゃ、あの里の鬼なんか雑魚も良いところだ」

 

 やたらでかい図体の大蛇の鬼だったが、あれよりも鬼殺隊員が殺せない里人のほうが万倍も厄介だったし忌々しかった。

 あそこのあいつらは、あれからどうなったのだろう。

 案外、口元を拭って何事もなかったかのように生きているのかもしれない。もう、興味もなかったが。

 

「で、あんたは俺に何か用か?」

「よ、用がないと話しかけたら駄目なのか?」

「あんた、俺の連れを鬼だからって嫌ってただろ」

  

 嫌うどころか、一度蝶屋敷で斬りつけるまでに鬼の幸を嫌悪し、憎んでいたのだ。

 鬼殺隊士に珍しくない手合いだったとしても、そんなやつに話しかけられたら何事かと思うし、警戒だってするだろう。

 握り飯は有難かったし美味かったが、それとこれは別の話だ。

 無表情に獪岳が見やると、田津はああ、とか、うう、とかよくわからない呻き声を出した。

 出してから、意を決したように獪岳の方を見た。

 

「あ、謝りたかったんだ。きみたちに。あのとき俺は正しい判断をしなかったし……正しいことを言っていたあの鬼の子を、斬った。そんな俺に、きみは言っただろ。善良な鬼と、悪人の区別くらいしろって。あれがずっと、忘れられなかった」

「……」

 

 言ったような気もした。

 とはいえ善良な鬼、つまり人喰いをしないで済む鬼、済んだ鬼というのは、本当に例外中の例外だ。

 大体は鬼にされてすぐに飢えに負け、身近にいた人間を喰ってしまう。人を喰わずに済む鬼と喰ってしまった鬼の境目は多分、生まれついての体質という才能と、幸運だけ。

 いくら人間として優しかろうが強かろうが、恐らく才能がなければどうにもならない。

 どうにもならないで人喰い鬼になって、どうにもできずに殺された数のほうがよっぽど多かろう。

 田津に言ったことだって、ただの当てつけと八つ当たりだった。

 

「もういい。あそこの鬼は殺せたし、それにあんたが謝ったって、あいつは元々怒っても恨んでもないだろうから」

 

 体質があるから田津の顔も名前も忘れてはいないだろうが、変に頑なな幸には自分をわかってもらうことをはじめっから放棄している節がある。多分本当に本気で、斬りつけてきた田津を恨んだりしていない。

 憎むのも恨むのも、童磨と、精々鬼舞辻無惨だけだろう。

 何とも言えぬ顔で、田津は眉を歪めた。

 

「あの子は、元気にしているのか?」

「……それなりにはな」

 

 角が生えたり言葉がたどたどしくなったり、色々はある。あるはあったが、生きてはいるのだし元気は元気だ。

 なら、それ以上は望まない。

 人を喰わずに人に殺されずにあのままでいてくれるなら、それだけでいいのだ。

 何も、無理な願いでないはずなのに、そう思っていたら、あの冗談のような上弦の壱が現れたりする。

 もう、糞がと罵るしかない。

 そうして天に唾を吐いたところで、何処にも届かず顔に落ちて来るだけであった。

 

「音柱様の稽古の次は恋柱様だって、知ってるか?」

「知ってる」

 

 話の方向がまた変わって、獪岳は二つ目の握り飯を頬張ったまま目を瞬いた。

 恋柱・甘露寺蜜璃の柱稽古は、柔軟が主であるらしい。

 元々炎柱の継子で、独特過ぎて独立したという恋の呼吸の剣士に、興味はあった。

 何より、呼吸の名前から戦い方がまったく想像できない。

 田津は頬をかきながら問うて来た。

 

「俺は明日っからそっちに行くが、きみはどうなんだ?」

「俺は今日、許可が出て稽古に参加してんだ。まだ次には行けねぇよ」

「そうか。……なら、あまり奇抜に動いて無理はするなよ。さっき猪頭の隊士と黄色い髪の隊士が、きみと同じように枝を渡るのを試して落ちていたが、黄色い髪の隊士は、きみの同門なんだろ?」

「……育手の先生が同じだったんだよ」

 

 竈門炭治郎が合流してうるさくなる前に、とっとと次に行こうと、今獪岳は固く決めた。

 

「はは。じゃあ、生きていたらまたどこかで会おうか。……あのときは、本当にすまなかった」

 

 田津はそれきりで、去って行った。

 ずっと沈黙していた鴉が、二度ほど跳ねて膝の側に寄って来る。

 

「手紙、返サヌノカ?」

「返さねぇっての」

 

 齧りついた三つ目の握り飯は、甘塩(あまじょ)っぱくて美味かった。

 

 

 

 

 

 

 




貰った握り飯を食いながら喋ってました。
柱稽古編は、人と関わるほのぼの話with鴉の雪五郎です。

田津隊士は、二章の二~三話に登場した階級・甲の鬼殺隊員です。

今更ですが、原作とこのSSの獪岳の一番の違いは、

命懸けで助けてくれた他人がおり、かつそれが『家』を飛び出してもすぐ迎えに来た人間だったこと、
鬼に命乞いをし、他を犠牲にすれば生き延びられた経験がないこと、

の2つと思っています。
あとは、羽織り着てたり顔に向こう傷が二つぐらいできてたり。
彼らが旅の最後まで行けるように、頑張ります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。