鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

4 / 46
四話です。

本日二話目の投稿です。ご注意ください。
では。


四話

 お館様、鬼殺隊の頭領である産屋敷耀哉は、不思議な静寂を衣のように纏い、庭に面した平屋敷の中から現れた。

 外見は痩身で黒髪の男性。かつ病の為か盲目であるらしい。

 白い髪の童女二人に脇から支えられながら、ようよう歩いているような有様だったが、立ち居振る舞いに、不思議と平伏したくなるような何かがあったのだ。

 

 彼が姿を現した瞬間、それまで好き勝手に喋っていた柱一同は跪き、炭治郎は白髪男に、獪岳は岩柱によって地に押さえつけられた。

 よくよく数えれば、姿が見えなかった縞模様羽織の柱までもが増えていた。

 

「ぐ……っ!」

 

 正しく巨大な岩に伸し掛かられたようで、動くに動けない。

 目玉だけを動かして、地面に打ち捨てられたままの布の塊を見ると、隙間から覗く金色の目と目があった。

 

────う、ご、く、な。

 ───く、う、な。

 

 と、獪岳は口だけを動かす。肺が圧迫されているせいで、全集中の常中はおろか、まともな呼吸ができないのだ。

 それでも、幸には伝わったようで頷いた気配があった。

 金色の瞳の奥にある手で触れられそうなほど濃い哀しみの感情を、獪岳は見ないふりをした。

 

 そこからは、なんとも流れるようだった。

 まず彼は、前『柱』であり今は水の呼吸の剣士を育てている鱗滝左今次と、現『柱』の冨岡義勇が、竈門炭治郎が鬼の妹を連れて行くことを認めてくれるよう出していた嘆願書を読み上げたのだった。

 そこには、もしも禰豆子が人を喰ったならば、竈門炭治郎と冨岡義勇、鱗滝左近次が腹を斬って責任を取る旨も記されていた。

 

 しかし、そうは言っても万が一人が喰われたならば責任など取りようがない。

 よって、即刻庇っていた隊士諸共処断すべきだという黄色と赤の髪の炎柱、白髪男こと風柱を前にお館様は穏やかに語りかけた。 

 

 鬼殺隊の長、産屋敷耀哉は、禰豆子と幸のことはとうに知っており、容認していた。

 双方ともに、すべての鬼の始祖である鬼舞辻無惨がかけた『呪い』を自力で外すことをやってのけており、また炭治郎は鬼舞辻と直に接触し、追手を差し向けられてすらいる。

 柱ですら、鬼舞辻には遭遇したことがないというのに、これは快挙である。

 鬼殺隊の宿敵が、僅かに垣間見せた尻尾を離したくはないのだと、お館様は語った。

 さらに重ねて、彼は幸にも語り掛けた。

 

「そうだね。では一つ、その子が呪いを外している証拠を見せよう。幸。君は人を喰う衝動を抑えつつ、自我をはっきりと保っているようだね。鬼舞辻無惨の名も、口に出すことができるのだろう」

 

 ややあってから、布の中から幸の声がした。

 

「きぶつ、じ、む、ざん」

 

 はっきりと聞こえたその声に柱たちが驚いたのは、鬼たちには共通して、鬼舞辻の名を口に出した瞬間自死するという呪いがかけられているからだった。

 すべての鬼には、鬼舞辻の細胞が与えられている。只の人間を人喰いの化け物へと変貌させるものこそが、鬼舞辻の血なのだ。

 彼の名を出せば、その細胞が暴走して宿主である鬼を殺す。それが、『呪い』のひとつである。

 

 だが、それが何の証明になるかと、柱は言った。

 『呪い』を外していると言っても、人を襲わない保証にはならない。

 獪岳は師である先代の雷の呼吸使いの柱にも、幸のことを隠していたから、助命嘆願の文などもあるはずがなかった。

 

「だがそれでも、獪岳と幸は、獪岳が鬼殺隊になってから五十体以上の鬼を倒しているよ。君たちも知っているだろうけれど、それは柱にもなりうる戦果だ。そしてその戦いのすべてで、幸は一度たりとも人を襲っていない。鎹鴉からの報告だから、これは確かだ」

 

 柱になるには、十二鬼月を一体倒すか、鬼を五十体討伐するかの二つがある。

 獪岳は確かに幸と共に、その片方を満たしていた。

 それでも階級が丙のままなのは、まだ明かすべきときではないと、お館様が隠していたかららしい。

 あの馬鹿鴉が、まさかお館様に直接報告していたとは獪岳も知らなかったことである。

 

「鬼舞辻が追手を放った炭治郎、五十体以上の鬼を幸と共に討伐していた獪岳、鬼舞辻にとって予想外のことを引き起こしただろう、禰豆子と幸。彼らの存在を私が容認していたのはそういうわけなんだ。皆、わかってくれるかな?」

 

 だがそれでも、風柱の不死川実弥だけは納得しなかった。

 鬼の醜さを証明してみせると叫ぶや否や、禰豆子が入っている箱と、幸が包まれている布の包みを一瞬で奪い、自分の腕を斬ってそこからこぼれた血を降りかけたのだ。

 そのまま彼は布の塊に刀を突き立て、中にいた幸も串刺しにした。

 だが、日向では鬼が出てくるはずもない。

 彼はお館様に断りを入れると、座敷の中に跳び込み、そこで改めて二体の鬼の前で自身で傷をつけた鬼を差し出した。

 

 人の血を目の当たりにすれば、通常傷を負って飢餓状態になった鬼は、理性を吹っ飛ばして喰らいつくものなのだ。

 水柱が、あまりにもきつい縞模様羽織の蛇柱による拘束を払い除けたため、自由になった炭治郎は叫びを上げて駆け寄り、禰豆子の名を呼んでいた。

 岩柱の拘束は重すぎて、獪岳は声を上げることもできなかった。日輪刀で刺され、左胸の辺りを、己の血で朱に染めた幸を、ひたすらに見ていることしかできなかった。

 

 だが、全員が見守る前で、血の滴る腕を前にした禰豆子は、炭治郎の言葉を聞いた途端にそっぽを向いて腕を拒絶し、幸は岩柱と獪岳の方を見た後に、これも同じようにぷい、と顔を背けた。

 禰豆子は血が零れるほどに強く拳を握りしめながら、幸はぎゅっと歯を食い縛りながら、人の血を拒んだのだ。

 

 獪岳を地にねじ伏せている岩柱、悲鳴嶼行冥は、その光景を見た途端に体を戦慄かせていた。

 獪岳は、彼の表情を見ることができなかった。

 

 結局、これが決め手になって禰豆子と幸が『人を襲わないこと』の証明ができる形になったのである。

 血を啜わせようとした風柱の行動が、結果的に二人の精神力の高さを示す結果になったのは皮肉な話である。

 

 そうして、炭治郎と獪岳の話はお開きになった。

 鬼を倒し続けること、ひいては鬼舞辻を倒すために戦い続け、禰豆子と炭治郎、幸と獪岳が、鬼殺隊として活動できることを皆に示し続け、認めさせ続けなければならない、というお館様の言葉と共に、ひとまずは無罪放免になったのだ。

 

 岩柱による拘束が解かれ、縄の縛めが解かれたとき、お館様は獪岳に語り掛けた。

 

「獪岳。そしてこれはもしもの話だけれど、もし幸が人を襲ったのなら、君は彼女の頚を間違いなく落とし、己の腹を切らなければならないよ。雷の呼吸の継承権を持つ、力ある隊士の責務とは、そういうものだからね」

 

 心に染み込んで来る言葉だった。従いたくなるような、不思議な高揚感を伴う声である。

 ともあれこの場において、是、以外の答えはなかった。

 

「わかり、ました」

 

 獪岳が頷けば、お館様は満足げに目を細めた。

 

「そうか。では一度君は、自らの育手の下へ行くことを勧めておくよ」

 

 これで二人の話はお終い、とそうやって彼は裁判の終わりを告げた。

 その場で手を上げたのは、蟲柱の胡蝶しのぶだった。

 炭治郎と禰豆子は、一度彼女の屋敷で預かるとのことだそうだ。確かに、怪我をしている炭治郎には休息が必要だろう。

 

 獪岳は、このとき自分たちにはまた鎹鴉からの任務が下されると思っていたのだ。

 炭治郎たちと違って、ほとんど怪我はしていない。

 一番ひどいのは、獪岳が風柱に斬られた傷であるが、それは幸の血鬼術でほぼ治っている。

 今は一刻も早く、岩柱がいるこの場から離れたかった。無言で背に突き刺さる視線が、物理的な痛みまで伴うようなのだ。 

 今更、話すことなどはない。

 なのだが。

 

「それから、獪岳君も私の屋敷にまで来てくださいね。君の刀と幸さんの入っていたと思われた箱、両方とも私の屋敷でお預かりしていますから」

 

 蟲柱のその一言で、獪岳まで蝶屋敷に向かうことになってしまった。

 ちなみに、庭から退出する際に、傷が酷い炭治郎は控えていた隠に背負われ、獪岳は彼らの後を幸を担いで追うことになった。

 一人で満足に歩けもしない、そんなずたぼろの状態で柱に頭突きしたり啖呵を切ったりしたのかこいつ、と獪岳が炭治郎を見る目は、完全に奇人を見るそれになる。

 

「お前らなぁ!ほんと何したの!!何やらかした!特にお前だよお前!勾玉つけてるお前!よりにもよって岩柱様がめちゃくちゃ怖くなってたんだぞどうしてくれるんだ!」

「あの人キレたらすげぇ怖そうなんだぞ!キレたとこなんて知らないけど!死ぬかと思ったんだからなぁ!もうほんと許さないからな!」

「謝れよ!」

「そうだ!俺たちに謝れ!!」

 

 と、隠二人から涙混じりに罵倒された。

 炭治郎は素直に謝ったが、勾玉の首飾りをしている獪岳はあっさりそれを無視した。

 勝手に怯えまくるほど弱い、こいつらのほうが悪いのだ。

 

「かいがく、へいき」

 

 もぞ、と胡蝶しのぶの屋敷である蝶屋敷へ向かう道半ばで、背負われたまま幸が動いた。

 隠の二人は当たり前だがここまで間近にいる鬼になれておらず、その声を聞いてひぃ、と情けない声を上げている。

 隠たちの様はともかく頭から追い出す。

 幸が刺されたところは、とっくに治ったものであるらしい。

 

「いいから寝てろ。鬱陶しい」

 

 血で一部が斑に染まった布越しに、頭のあるだろう場所を叩くと、幸は静かになった。

 運んでいる間、大抵は眠っているものなのだ。そのほうが静かでやりやすい。

 が、幸が黙ると、入れ替わりのように声をかけてくる者がいた。

 

「あ、あの!俺は竈門炭治郎といいます!獪岳さんでしたよね?」

「は?」

 

 で、なんでこいつは、竈門炭治郎は、獪岳にやたら親しげに話しかけるのだろうか。

 初対面である。そのはずである。

 お世辞にも、とっつきやすい性格や外見をしているとはいえない獪岳だ。

 ここまで裏表なく、しかも元気よく話しかけられたことはほとんどなかった。

 

「獪岳さんは、我妻善逸って隊士を知ってますか?雷の呼吸を使ってて、俺と一緒に那田蜘蛛山に行ったんですけど」

「お前、やっぱりあのカスの知り合いかよ。道端にあの馬鹿置いてったらしいじゃねぇか……ってぇ!」

 

 獪岳の声が途中で途切れたのは、背中の幸が肩に頭突きをしてきたからである。

 ぴょこ、と目だけが獪岳の肩越しに炭治郎の方を見たようだった。

 

「たんじろ。かいがく、ぜんいつ、あに、でし」

「え、そうなの?それに君は、言葉が喋れるのかい?俺の妹の禰豆子は喋れないんだけど」

「ん。さち、おに、ながい、から。ことば、うまく、ない」

「そんなことないよ。獪岳さんは善逸の兄弟子なんだね。ありがとう、幸ちゃん」

「ん。そ。ありがと、たんじろ」

  

 人の背中に乗ったまま会話するな、と文句を言おうとすれば、ぽんぽんと幸に背中を撫でるように叩かれた。

 

「たんじろ。かいがく、よく、おこる。き、しない」

「なるほど。獪岳さんはよく怒るけど、機嫌が直るのも早いから気にしなくていいと。教えてくれてありがとう」

「ん」

「テメェら……人の背中で勝手抜かすんじゃねぇよ!クソが!」

 

 布包みを前後にぶん回すと、きゅう、と幸は言って中で静かになった。

 

「獪岳さん!?あんまり幸ちゃんを乱暴にするのはよくないと思います!そんなに小さいのに!」

「何鬼の見た目で誤魔化されてんだ。こいつはお前とそんな違わねぇよ。縮んでるだけだ」

「え、ぇぇえ!」

 

 炭治郎が何歳かなどということは知らないが、善逸と同じくらいならばおそらく獪岳や幸よりは下だろう。

 鬼の外見の年齢など当てになった試しがない。

 これで黙るかと思ったのだが、炭治郎は懲りずに話しかけてきた。

 

「そういえば、獪岳さんと幸さんは善逸に会ったんですか?」

「ん。やま、なか、あった。ぜんいつ、けが、ある。あった」

 

 ぶん回しからはすぐに回復したらしい幸の言葉に、炭治郎が目を丸くした。

 

「ぜ、善逸は怪我をしたんですか!?山に入って!?」

「けが、ある。ぜんいつ、ぶじ、いる。かくし、はこぶ、いった」

「怪我はしてたけど無事で、善逸は隠の人に運んでもらっていたってことでいいんですね?」

「ん」

「そうですか……。よかったぁ」

 

 ぴし、と獪岳の額に青筋が立った。

 だから人の背中に乗ったまま、うるさく喋るなと。

 それに炭治郎のほうは、なぜ普通に会話を成立させているのだろう。

 場慣れしているはずの隠が、鬼の幸が口を開くたびにびくびくしているのに。

 だが、鬼が何をするのか知っている人間の反応としては、そちらのほうが正常だ。

 

「そのさ、善逸ってのが黄色い髪した剣士なら、俺たちで間違いなく蝶屋敷に運んだぜ。確かに色々ぼろぼろだったけど、多分大丈夫だろ」

「ほんとですか!ありがとうございます!」

「お、おう。これからお前たちが行くのが、蟲柱様のお屋敷で、病院でもある蝶屋敷だからな。ついたら会えるだろ」

 

 普通の怪我や休息なら、藤の花の家紋の家を探せばいいのだ。そこの家は、昔鬼殺隊に生命を救われたというので、隊員ならば無償で受け入れてもらえる。

 蝶屋敷は、重傷を負った者や重体になるほどの大怪我をした者が逗留するところだった。

 尚、獪岳は藤花家紋の家は使っても、蝶屋敷を使ったことはない。

 幸がいるから、柱の屋敷には寄り付けないためだ。よほどの重傷ならば、幸に治させている。

 隊員になってから、親しくなった者も特にいないために、見舞いなどで訪れることもない。

 元柱に指南してもらったくせに、雷の呼吸における基本、壱ノ型だけ使えない出来損ないだと罵倒してきた相手と派手に喧嘩をし、散々に叩きのめして以来、仲間の隊士との連携は縁遠くなっていた。

 刀と箱を取り返したら、また鬼を狩る毎日になるだけだ。

 そう思っていたというのに、空から降りてきた鴉がある。

 鴉は急降下すると、獪岳の頭の上に降り立った。

 

「カァ!獪岳、獪岳ゥ!コノ後ハ、己ノ育手ノ下ヘ一旦向カウベシ!向カウベシィィ!」

「なんだと?」

「拒否権ハ、ナァイ!ナァイ!オ館様ノゴ指示ナリィィ!説教サレルガイィ!カァ!ザマァ!カァ!」

「おいふざけんなこの馬鹿鴉!最後のはテメェの恨みだろうが!」

「グェッグェッグェェェェ!獪岳ノ自業自得ゥ!自業ォォ自得ゥゥゥ!」

 

 尾羽をつかもうとした獪岳の手をすり抜けて、ひらりと翼を翻し、空高くに逃げた鴉は、一頻り騒ぎまくるとどこかへ飛んで行った。

 昼日中ではさすがに幸に捕まえさせるわけにも行かず、地上の獪岳は歯ぎしりするしかない。

 ふと見れば、隠たちも竈門炭治郎も、唖然としていた。

 

「おまっお前なぁ!鎹鴉にあんなに言われるなんて、何やらかしたんだ?」

「この鬼を連れてこうとしたときにぎゃあぎゃあ騒ぐから、刀向けて焼き鳥にするって言っただけだ」

「十分やらかしてんじゃねぇか!もー!柱といいお前といい、鬼殺の剣士ってみんなこんなのばっかりかよぉぉ!」

 

 ぶわわっ、と目だけを出す覆面をつけたまま隠の一人がまたしても泣き出した。

 非常に、やかましい。

 

「ごめ、ん。かいがく、よく、おこる。からす、おこる」

「獪岳さんがよく鎹鴉を怒るから、あんなふうに鴉に煽られるんだね」

 

 だからどうやって、竈門炭治郎はそんなに初対面ですらすら幸の言葉がわかるのか。

 獪岳も幸のたどたどしい言葉の意味はわかるが、それは人間のころの癖やらなんやらを覚えているからだ。

 獪岳の胡乱なものを見る視線はまったく気にせず、炭治郎は真っ直ぐに言った。

 

「獪岳さん。事情はあったと思いますが、鴉も俺たちと同じに任務をこなしてるんですから、雑に扱ったらかわいそうですよ」

「うるせぇよ。なんとか次郎」

「俺は竈門炭治郎です!」

「どうでもいい」

「よくありません!」

 

 蝶屋敷への道のりは、そんなふうに獪岳にとっては果てしなく疲れるものとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 思いがけなく疲れる道のりを経た蝶屋敷は、名の通りに蝶が乱れ飛ぶ屋敷だった。

 獪岳の日輪刀と幸が入るための箱は、確かに二つとも屋敷の入り口にあり、受け取ることができた。

 それが返ってきたならここに用は無い。

 気が進まないのだが、獪岳の剣の師匠、桑島慈悟郎のところに向かわなければならなかった。

 流石にこの状況で、お館様から言われたことに従わないほどの馬鹿ではない。

 誤魔化せていたと思っていたが、あのお館様にはすべてお見通しだったのである。だから、従わなかったらすぐわかるのだろう。

 

 善逸に会っていかないのか、と竈門炭治郎に言われたが、獪岳は会いたくもなかった。そもそも、屋敷の中に入るつもりもなかったのだ。

 が、布包みから出てきた幸は箱に入らず、くんくんと鼻を動かすと、なんと箱をさっと奪い、半分そこに身を隠したまま走り出してしまったのである。

 隠と竈門炭治郎も、これには驚いた。

 

「なにしてんだ!」

「馬鹿ァ!お前その鬼のことちゃんと見とけよぉぉ!」

「ん」

 

 箱を甲羅のように持ち日除けにして、屋敷の中を迷いなく走った幸は、一つの部屋の戸を開け放つとそこで足を止めた。

 

「手間ァかけさせんな!」

 

 飛びかかって幸を箱に突っ込み、蓋をばたんと閉めたところで、獪岳は気づいた。

 幸が開けたのは、病室の扉。

 いくつもある寝台の一つに、半身を起こした状態で寝ているのは、我妻善逸だったのである。

 獪岳を見た瞬間、善逸の顔が引きつる。獪岳は目を細める。

 空気が凍った。

 

「善逸!」

 

 しかし、直後に竈門炭治郎を背負った隠が飛び込み、炭治郎が善逸の無事を喜んで騒いだために、完全に空気は解けた。

 しかも善逸の寝ている寝台の横には、あの山で見かけた猪頭がいたのだ。

 山妖などではなく、まさかの鬼殺隊員だったのかと、獪岳は驚いた。

 よく思い出したら下半身は鬼殺隊の隊服だった気がしないでもないが、如何せん頭のイノシシ皮が強烈すぎてそれしか覚えていなかった。

 伊之助!とまたも騒ぐ炭治郎に、あいつも仲間だったのかと、獪岳は冷めたふうに見ていた。

 付き合いきれずに部屋を出ようとしたところで、またも止められる。

 

「あ、あのさー、獪岳?なんかすっげえ斬られてない?主に左肩から右腰まで血まみれじゃない?鬼にでも出くわしたの?」

「あ?風柱に斬られただけだ。いちいち騒ぐな。血なら止まってる」

「ハァ!?いやなんで柱に斬られてるのォ!アンタほんとに何やってんだ!?」

「善逸!ここは病室なんだから騒ぐな!獪岳さんは風柱に斬られたけど、幸さんが治したからどうもない!」

「どどどどどうもないわけないでしょぉぉ!幸ちゃんは大丈夫だったわけぇぇ!」

「全員静かにしなさい!叩き出しますよ!」

 

 そして、負傷した隊士の看護役をしている蝶屋敷勤めの鬼殺隊員に、全員雁首揃えて怒られる羽目になった。

 ちなみにこの騒ぎの隙に、隠二人はとっとと去っていった。

 

「獪岳さんですよね?あなたも怪我の手当を受けて、少し安静にしてから行ってください。大体、破れた隊服でどうするつもりなんですか。それからさっきの鬼の子も、人の血まみれの格好で外に出す気ですか?」

「……」

 

 単に、この空間にいたくなかっただけの獪岳は、正論で来られると返せない。

 

「……手当はいらん。呼吸で血なら止める。服が来るのは早くしろよ」

 

 人をニ、三人殺してきたようなしかめっ面で、獪岳はそう答えた。

 服が直るまで、ここで待つことになったからだ。

 確かに幸の血鬼術は便利だが、使い過ぎると人体に影響がないとも限らないのだ。

 あくまであれは非常用で、乱発はできない。

 喧しい病室を出て、適当な部屋に入る。

 あの三人とあれ以上顔を合わせていると、神経が保たないのだ。

 似たような寝台だらけの無人の部屋に入ると、こんこん、と肩に担いだ箱が内側から叩かれた。

 

「かいがく、へいき?」

「どういう意味だよ」

「ぎょうめいさん、いた」

 

 ぐ、と束の間喉の奥で空気が潰れて、鳴る。

 幼い声が、箱の中から続けた。

 

「ぎょうめいさん、いわばしら。ないて、た。さち、おに、なった、みた」 

 ─────岩柱になった行冥さんは泣いてた。

 ────幸が、わたしが、鬼になったのを見てしまったから。

 

「さち、また、あえる。ぎょうめいさん。かいがく、へいき」 

 ─────わたしは、行冥さんにまた会える?

 ────獪岳は、平気?

 

 長い腐れ縁というのは、そんなふうに言いたいことを無駄に伝えて来てしまうものなのだ。 

 幸がまだ、あの『ぎょうめいさん』に会いたがっていたこと、そしてあのころのように会えることがないのだけは、確かだった。

 

「俺が知るわけねぇだろ。柱と、鬼だぞ」

 

 答えは、吐き捨てるようなものになった。

 岩柱には自分を憐れまれた。幸を憐れまれた。みすぼらしくて哀れな子どもと言われた。

 それを思い出せば、腸が煮えくり返るように感じる。

 同時に、日の光を避けた闇の中からでしか、人と語り合うことができなくなったこの馬鹿な幼馴染みを見ていると、怒りが乾いて行くようにも感じた。

 青空の下に立っていた、荒れ寺の庭。

 あそこでこいつが笑うことなど、もう二度とないのだ。

 鬼は、太陽に焼き殺されてしまうのだから。

 

 寺は壊され、他のやつらはほとんど死んだ。

 坊主は柱になり、自分は剣士になって、こいつは鬼になった。

 

「かいがく」

 

 いつも淡々としている声が震えたように聞こえて、獪岳の中で何かが弾けた。

 力任せに、幸の入った箱を殴る。

 バァン、と乾いた音が部屋に木霊した。

 見えはしないが、多分幸は箱の中でびくりと肩をはねさせただろう。

 

「俺は、寝る。お前は勝手にしてろ」

 

 部屋の暗がりに箱を放り投げ、適当な寝台に刀を抱いたまま横たわる。

 一晩、山中を走って鬼を斬り、そのまま裁判に引き出されたのだから、疲れていないはずはなかった。

 だが、箱の中から聞こえる規則正しい呼吸の音が妙に耳につき、なかなか眠りが訪れてくれないのだ。

 

 獪岳が眠りについたのは、それから四半刻後のことだった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

「あ!」

 

 那田蜘蛛山を切り抜けた三人の癸の隊士が、互いの無事をひとしきり喜んだ後のことである。

 不意に叫んだのは、竈門炭治郎だった。

 

「幸さんに、血を分けてくださいって頼むのを忘れてた……!」

 

 竈門炭治郎は、妹の禰豆子を人間に戻し、鬼に殺された家族の仇を取るために、鬼殺隊の剣士になった。

 妹を人間に戻す方法は、まだ見つかっていない。

 だが十二鬼月の血を採り、鬼を人間に戻す研究をしている珠世のところに送って彼女が研究を進められれば、人間に戻す方法が見つかるかもしれない、という可能性があった。

 珠世も、鬼である。

 鬼ではあるけれど、鬼舞辻の支配から自力で逃れた鬼のうちの一人だった。

 

 鬼舞辻に多くの血を与えられ、彼と近い血を持つ十二鬼月ならば、治療の手がかりがあるかもしれないというのだ。

 鬼舞辻の血を十二鬼月から集めるのと、極めて特殊な状況にあるという禰豆子の血を調べれば、必ず鬼が人間に戻る方法が見つかるはずだと、炭治郎は信じていた。

 

 だから炭治郎は、禰豆子や珠世と同じように鬼舞辻の呪いを自力で解除したと思われる幸の血も、採りたかったのだ。

 幸もまた鬼にされ、けれど人を喰わず、襲わずに生きていた鬼だという。

 きっと彼女にも、珠世が言っていたような『何か』があるのだ。

 もちろん、ちゃんと頼んで頼んで頼んで頼み込んで、それでも駄目だと言われたら引き下がるつもりだった。

 

 だが、善逸や伊之助の無事を喜んでいるうちに、幸と、幸を連れている獪岳はどこかへ行ってしまったのだ。

 獪岳は、炭治郎と同じく鬼を連れていたために裁かれることになった隊士だ。

 その階級は、十ある上から三つめの丙というから、一番下の癸の炭治郎たちよりずっと上になる。

 

 だが獪岳は、常に怒っているような匂いがするのだ。

 鼻が生まれつきいい炭治郎は、人の感情や鬼の弱点すらも、嗅ぎ分けることができる。

 その感覚に則れば、獪岳は常に苛立っているのだ。どうしてなのか、わからないけれど。

 一番その感情の匂いが揺れたのは、あの裁きの場で岩柱と相対していたときだ。

 あのときの獪岳からは、複雑な感情が絡み合った匂いがしていた。

 

「あー……あいつやっぱり、炭治郎の鼻でもそんな感じがするんだ」

 

 獪岳と同門だという善逸は、あまり獪岳とは仲が良くないらしい。

 

「仲が良くないどころか俺、弟弟子って言っても獪岳にめちゃくちゃ嫌われてるからさ、あんまり話したことないんだ。手紙出しても返事来たことないし。俺もあいつのこと好きじゃないから、そこは一緒だけど」

「そうなのか?」

「うん。でもアイツすっごい強いんだ。爺ちゃんもよく褒めてたし、俺にはできない雷の呼吸、みんなできるしさ」

 

 という善逸は、炭治郎にはどこか自嘲しているようにも見えた。

 

「確かに、獪岳さんって俺たちより柱に近い匂いがしてたな」

「んあ?」

 

 那田蜘蛛山で同じく負傷した、猪頭こと伊之助がそこで声を上げた。

 といっても彼は鬼に首を絞められたときに喉を傷めたため、あまり喋れない。

 その上山での戦いで鬼に歯が立たなかったので、思い切り自信喪失状態だったのだ。

 それが、獪岳の話になると少し復活した。

 

「バチバチ野郎か?あの野郎、すっげぇ強かったぞ」

 

 炭治郎と伊之助が出くわし、倒せなかった那田蜘蛛山の鬼の一体。

 蜘蛛の頭に人の胴体がついたような形の異形の大鬼を、獪岳と幸は一瞬で倒したのだという。

 伊之助曰く、しゅっと音がしたらがっと幸が現れて鬼の腕の骨をばきっと一撃で蹴り砕き、獪岳が鬼を切り刻んで倒したそうだ。

 

 その二人に助け出された伊之助は勝負を挑んだが、獪岳に一瞬で気絶させられて放置されたそうだ。

 

「当たり前じゃん!お前その状況でなんで勝負挑んでるんだよ馬鹿だろ!?」

「うるせぇ……」

 

 ぷい、と伊之助がそっぽを向き、炭治郎は頬をかいた。

 

「ともかく、俺はあとで幸さんに血を分けてもらいに行って来るよ。事情を話したら、あの人はわかってくれると思うからさ」

「あー、でも早くしたほうが良いかもな。獪岳、きっとすぐここを出てくと思うよ」

 

 そういう善逸からする匂いは、なんとも曰く言い難い、嗅いだことのないものだった。

 炭治郎はひとまず、わかったと答えたのだった。

 

 

 

 




pixivに投稿した分までは、予約投稿に設定されています。

日に二度、12:00と22:00に投稿されます。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。