鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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お久しぶりです。

では。


十六話

 

 

 悲鳴嶼行冥が、教えるのが苦手というのは誇張でも何でもなく真実であった。

 説明が訥々として上手くなく、かつ時々南無阿弥陀仏が挟まるし、本人が些細なことで滂沱と泣くし、鬼殺隊最強の七尺を超える大男に怯む隊士がいるしと、なかなか教えると言っても進捗は芳しくない。

 捨て子たちを拾って育てたり、鬼喰いを繰り返す玄弥と蝶屋敷に繋がりをつけたり、面倒見が良い割に、悲鳴嶼は教えるのは上手くないのだ。

 それでも、見ていれば学べることも多々ある。

 昔手を染めた掏摸の技も、獪岳は見て覚えたのだ。教えてくれる者など皆無だったから。

 上半身に力を込めるのでなく、下半身に力を込めて全身で押す。

 押し負けないためには、これまた全身の力が必要なのだ。

 一瞬で集中力を高める記憶は、あの、最も惨めだった夜の森の記憶と決めた。

 自分よりずっと弱いと思っていた小さな少女に庇われ、突き飛ばされ、鬼から逃げるしかなかった日のことだ。

 あれからもう随分経っているのに、未だ思い出すだに鳥肌が立つ。思っていたより引きずっていたあのときの感情を、思い出して引きずりだせば、岩は僅かに動いた。

 

 といっても、どこかの鬼娘が遊び半分でやったようにあっさり動いたわけではない。

 獪岳が全身で突っ張ってようようずるずると動いただけだし、課題は一町動かすことだ。まったく足りない。

 それでも、全集中の呼吸が使えない玄弥でも動かすことができるのだ。ならば、獪岳にできないわけはない。

 ほとんど負けん気で粘って粘って数日経って、ついに岩は一町動いた。

 動かし終えはしたが、さすがに全身に重石をくくりつけられたように怠い。

 滝のような汗をかいたまま、岩に背を預けて呼吸を整えていると悲鳴嶼が現れた。

 

「やり遂げたのか」

「当然ですよ。やるって言いましたから」

「南無……」

 

 何が南無なのかは、相変わらずよくわからずに、獪岳は悲鳴嶼を見上げた。

 仁王のような岩柱は、獪岳が動かしたものよりも大きな岩と取っ組んで動かし、まったく疲れていないように見えた。底が知れない。

 悲鳴嶼と違って、全身が綿のようにくたくたで疲れてはいても、獪岳が行うのは全集中の呼吸で、そうしていると自然、体も休まる。

 回復の呼吸に、常中の呼吸、炎の呼吸に雷の呼吸と、思えば様々な言葉を言われ、習って来た。

 どれもこれも、極めたというにはほど遠く、しかしやれるだけのものを繋ぎ合わせてどうにかやって来た。

 とはいえ、獪岳一人ならばやはりどこかで死んでいたろう。

 上弦とあれだけ会敵して、五体揃っているのは奇跡だとか、あり得ないだとか、ちらほら聞こえる。幸の、怪我を治せる血鬼術がなければ獪岳の五体は揃っていなかったから、そういう声は正しい。

 

「じゃ、俺は山を降りますね。ありがとうございました、悲鳴嶼さん」

「うむ。……気をつけて行きなさい」

「はい」

 

 上着を着て礼をして、その場を立ち去る。

 言いたいことがあるような、しかし何を形にすべきかはわからないまま、離れる。

 稽古場のあちこちには、未だ岩を押そうと四苦八苦の隊士たちがいて、その中には黄色頭もあった。また親しげに声をかけられるのも面倒で、獪岳は迷わず人が目をかけない獣道へ踏み込んだ。

 下草をかきわけ、時間をかけて小屋へ戻り、荷物を取って建物を出る。

 その頃には疲労で震えていた手足も元へ戻っていて、山を降りて蝶屋敷へ辿り着く頃には、疲れはほぼ取れていた。

 

 見慣れた蝶屋敷の門をくぐったところで、奥からぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。建物の陰から、両手一杯に白布や端切れを抱えて現れたのは、竈門禰豆子だった。

 獪岳の姿を見るなり、無垢な瞳が輝いた。

 

「おか、えり!」

 

 おかえり、と繰り返す禰豆子は、まるで言葉を覚えたての幼い子どもだ。

 太陽を克服しても、頭にかかっている霞は晴れなかったのか、禰豆子はずっとこうである。かつては幸もこのような具合であったから、いずれまともに喋れるだろう。禰豆子の場合は、それより前に、薬で人へ戻るのだろうが。

 それはともかく。

 

「……おいお前、布の端引き摺ってるぞ」

「?」

「だから、持ち過ぎなんだよ。貸せ」

 

 古い肌着や敷布をほどいて、また何かに使うのだろう。だが、如何せん禰豆子は持ち過ぎで、白布の端が地面を引きずりそうだった。

 半ば奪うようにして、禰豆子が抱える布を半分ほど取ったところで、禰豆子を追いかけてきたらしいなほが、建物の陰から兎のような勢いで現れた。

 

「あ、獪岳さん!こんにちは!お帰りなさい!」

「……ああ」

 

 蝶屋敷の名物のような三人の看護婦娘の一人は、獪岳を見るやぱっと明るく笑って駆けてきた。

 

「幸さんなら、今屋敷の中です。難しい薬を作ってるから、その……」

「別に、あいつに今すぐ会いに来たわけじゃねぇよ。俺は薬なんてわからねぇからな」

 

 なら何をしに来たのかと言われれば、獪岳には応えられない。会いたいと、はっきり思っていたわけでもない。

 だが、修行を終えて真っ先に足が向くのは、幸がいるこの場所しかなかった。今は昼過ぎだから、今この屋敷にいる鬼たちは竈門の妹以外、誰も外に出てこられないことは知っていたのに。

 まあ、それは良いのだ。

 

「なほ。こいつに持たせ過ぎだ。布が汚れそうだったぞ」

「す、すみません」

「別に。……どこに持ってきゃいい」

「あ、えっと、案内しますから付いてきて下さい!」

 

 やはり物がわかっていなさげに、ただにこにこと微笑む禰豆子と、駒ねずみのようによく動くなほに挟まれるように、獪岳は布を運んだ。

 一体自分は何をしているのやらとも思うが、乗りかかった船でもある。

 常日頃、寝台のどれかがうめき声を上げる怪我人で埋まっているような蝶屋敷も、今は束の間の休息なのか、屋敷に漂う気配はやや穏やかだった。

 先を歩いていたなほが、首をそらせて獪岳を見上げる。

 

「獪岳さんは、柱稽古を終えられたんですか?」

「岩までは終わった。水の稽古はやるんだかやらねぇんだかわからないから、戻ってきたんだよ」

「水柱様は、この前炭治郎さんが追いかけに行って、稽古をなされることになったと聞きましたけど……」

「あいつが?」

「はい。脚の怪我が治りきらないうちに炭治郎さんが出ていかれてしまったから、しのぶ様が怒ってました」

 

「何やってんだ……」

 

 しかし獪岳も、治りきらない傷を抱えたままでふらふらとそこらを歩いて、蟲柱に怒られる口だ。

 怪我を無視して動き回るその手合いは、隊士の中には割といて、蟲柱に睨まれるところまで同じだ。

 

「あとですね、伊之助さんも前来られて、禰豆子さんに名前を覚えてもらってました!」

「名前ぇ?」

「おやぷん!」

「……」

 

 多分、何か間違えて覚えたのだろう。

 それにしても、禰豆子の頭の中身はかつての幸よりもさらに幼くなっているように見えた。

 幼子と縁のない生活をしていたから、比べるものが少ないのだが。

 詰まる所は、幸と禰豆子は優先されたものが違うのだろう。

 禰豆子は太陽の光を克服したが、理性が戻っていない。幸は理性はあるが、太陽には焼かれる。そこのからくりは、多分蟲柱や珠世が解き明かそうとしているところだ。ひょっとすれば、鬼舞辻無惨も。

 人間の体質とは、思えば不思議なものだ。

 禰豆子も幸も、どちらも大して力もない、ただの少女に見える。鬼にされたころは、今よりも幼かった。なのに、大人の男ですら抗えない鬼の食人衝動を耐え切って、笑顔を浮かべていられるのだから。

 幸運と、生まれ持った体質なのだろう。

 

「お前、絶対人に戻れよな」

 

 つい口から溢れた呟きを聞き取って、禰豆子がまた何もわかっていなさげな無垢な笑顔を浮かべた。

 

「いもふけ!」

「俺は伊之助じゃねぇよ。獪岳だ。いいか。か、い、が、く」

「かくかく!」

「……もういい」

 

 あの猪頭と、似たような間違いである。

 どいつもこいつも本当に、人の名前を覚えていない。だが、なほは振り返って小さく微笑んでいた。

 これが善逸だったならば笑ってんじゃねぇと一発入れているが、なほである。目を逸らすしかできない。

 裏手まで回れば、そこにはすみときよがいて、くるくると機械を回して包帯を巻き直していた。

 

「あ、獪岳さん!」

「獪岳さん、柱稽古は終わったんですか?」

 

 気配に気づいてか、顔を上げた二人の顔も明るくて、獪岳は布で両手を塞いだまま、軽く頭だけを下げた。

 

「なほ、これはどこに置けばいい」

「こっちです。一度、洗わなくちゃいけないから」

 

 鬼は今出てこないが、いずれまた現れる。そのときのための、準備と思えた。

 黙ったまま、洗い場まで布を運んで桶につける。そのまま流されるようにして布を洗っていると、三人娘と禰豆子は座って楽し気に布を洗ったり包帯を巻きなおしたりと、仕事を始めた。

 その会話に交ざる気はないが、うるさいとも特には思わず、獪岳は黙ったまま手を動かした。

 獪岳の隣のくぐり戸からゆらりと人影が現れたのは、日が完全に落ちて手元が覚束なくなるころだ。

 猫のように金眼を光らせた幸は、獪岳がいることに驚いたように目を瞬いた。

 

「よう」

「ん。稽古、終わった、の?」

「ああ」

「……おつかれ、さま」

 

 ぽん、と獪岳の背を軽く撫ぜるように叩いて、幸は中に入って来た。

 

「幸さん、終わったんですか?」

「ま、だ。……だけど、しのぶさ、んに、何か食べるもの、もってきて、と。珠世さん、が」

 

 わたしたちに合わせていると、あの人が倒れてしまう、という幸の拙い言葉を聞いて、きよとすみがぱたぱたと厨へ駆けて行った。

 幸は、愈史郎と共に物覚えの良さを活かして珠世と蟲柱の手伝いをしているが、蟲柱以外の三人は飲まず食わずでも平気な鬼なのである。

 彼らに引きずられて蟲柱が倒れないように、気も配らなければならないらしかった。きよとすみが持って来た握り飯を持って、幸は研究室のほうへ帰って行く。

 全体何をやっているのかは知らないのだが、鬼を人に戻す薬ができたのにまだああも忙しないということは、それ以外の毒だか薬だかも作っているのだろう。血鬼術を中和する薬、治す薬、鬼の毒血を和らげる薬。

 作るべきものなど、いくらでもあろうから。

 結局、幸が再び出て来たのはそれから随分時間が経ってからだ。

 しかも何故か、珠世たちが連れていた猫を抱いている。

 

「あ、獪岳」

 

 みゃあ、と鳴く猫を抱いたままの幸に、獪岳は片手を上げて応じた。

 三人娘と禰豆子は、寝に行った。獪岳はただ何となく眼が冴え、寝るでもなく縁側に座って起きていたのだ。

 

「その猫、どうしたんだ?」

「……鬼、になった、子」

「猫が?」

  

 鬼となるのは、人だけではなかったのかと目を剥いたが、どうやら珠世が猫も鬼にできる術を作ったらしい。とはいってもなり立てだから、体がきちんと動くのかどうか外へ連れ出して見てあげてと言われ、幸は猫を抱いて外へ出て来たらしかった。

 しかし、猫を鬼にして、一体どうするのだろう。

 珠世の作った鬼ならば、人の血肉を喰らうことはないのだろうが。

 幸が猫を庭に放せば、猫は軽やかに跳んではね、みゃおう、と鳴いた。前に見たときも思ったが、まるで人の言葉がわかっているようだ。

 鎹鴉と、似たような感じだろうか。

 

「大丈夫そうだな」

「そう、だね」

「けど、こいつ鬼にしてどうすんだよ。猫だろ」

「……愈史郎さん、の、ため」

「あ?」

「珠世さん、そう言った、よ。さみしくないよう、に、て」

 

 眉を顰めかけて、獪岳は思い至った。

 愈史郎が寂しくないように、同じ悠久の時を生きられる鬼の猫を増やした。ということは、つまりあの珠世という医者は、もうとうに自分は死ぬつもりなのだろう。

 己がこの先愈史郎の側におられないから、せめて寂しくないようにと心遣いをするほどに。

 三毛猫は、そんな想いも何もかもわかっているかのような賢しらな瞳でそこらを歩き回ってから、幸の脚絆にまとわりついて喉を鳴らした。

 

「うん。平気、そう」

 

 屈みこんで猫を腕の中に掬い上げ、幸は指で天鵞絨のようにつるりとしている猫の額を撫でた。

 爪を立てるでもなく、猫は喉を鳴らしている。知らぬ間に随分、幸は三毛猫に懐かれたらしい。鬼だからか、大概の小動物は幸に怯えるのに。

 

「獪岳、寝ない、の?」

「疲れてない」

 

 ふうん、とあまり信じてないふうに頷いた幸は、猫を抱いたままどこかへ駆けて行って、戻ってきたときには猫を持たずに、毛布を持っていた。

 

「おい」

「冷えると、だめ」

 

 寝ないなら寝ないでもいいが、体を壊すなと、そう言いたげに眉を下げて、幸は獪岳の額を軽く指で突いた。

 こちらがはっとするほど優しい眼でそれをされては、意地を張るほうが馬鹿馬鹿しい。

 獪岳の肩を覆うようにしっかりと毛布をかけて、幸は満足そうに首を少し傾けた。

 

「ちゃん、と休むんだ、よ」

「お前もな」

 

 しかめ面で返せば、幸は日だまりの猫のように目を細めてひらりと手を振り、戻って行った。極微かな、藤の花の香りを残して。

 鬼と人が、夜っぴて共に研究するなど、鬼殺隊の長い長い歴史の中でも、誰も考えつかなかったことだろう。その結果は恐らく、もうすぐ顕れる。

 そのとき己が生きているのか、幸が生きているのかはわからない。

 わかるのは、これからまた刀を握り、殺さなければ生きていけないということだけだ。

 鬼殺隊の人らしい幸せや和らぎは、鬼舞辻が生きている限り、所詮薄氷の上だ。

 それでも、そっとかけられた毛布のあたたかさは、まだ壊されていない。

 壊れてほしくなかったものほど儚く壊れゆく残酷さと、奪われるときの冷たさを幾度も思い知らされて来ても、それでも求めることを、やめたくはなかった。

 かけられた毛布からは、ごく微かに藤の花の香りがする。

 それに包まれていると、意識がゆっくりと解けていった。

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 岩柱の稽古場からは、その後数日かけてばらばらと人が降りて来たそうだ。

 竈門や嘴平は岩の稽古が終わると同時に水柱のところへ行き、そして善逸と玄弥は何故か獪岳の方へ来た。

 しかも、日暮れてから。

 

「だって俺、獪岳と稽古するって言ったし。獪岳もやるって言っただろ?」

「言ったか?」

「言った!絶対言ったよ!忘れんな!」

 

 その厚かましさは本当に見習いたい、と獪岳は頭痛を覚えたが、風柱屋敷で稽古すると己が言った記憶もある。

 久しぶりに、蝶屋敷の研究部屋から幸も出てきていた日のことである。

 曰く、やるべきことがなくなったからと、獪岳に背負われていたのだ。これまで持っていなかった鞄のようなものを腰の後ろにつけていること以外、何も変わらない幸は、くうくうと居眠りを始める始末だ。

 もう日は落ちているから箱から出てもいいだろうに、堂々さぼっている。要するに、兄弟弟子同士のあれそれには関わらないといういつものあれだった。

 結局、玄弥に箱を預けて獪岳は善逸と蝶屋敷近くの草原で向き合った。

 得物が互いに真剣なのは、雷の呼吸が抜刀術に重きを置いているからだ。木刀ではやはりどうしても、補えないところがある。

 

「始めるぞ」

「うん!」

 

 腰を低く落として、善逸が構える。

 だが、どうにも浮ついていた。顔を見ればわかる。

 そんな顔の相手と稽古したところで、得られるものなどない。知らずに怒気を立ち上らせながら、獪岳も刀の柄に手をかけた。

 審判役のようになった玄弥が手刀を上げ、下ろした瞬間に、獪岳は地を蹴っていた。一切合切の躊躇いなく、善逸の背後に回り込んで頸を狙う。

 澄んだ音と共に、半ばまで抜かれた善逸の刀が獪岳の刀を受けとめていた。

 

「真剣に、やれ」

 

 さもなければ、殺す。その勢いで、刃を押し込んだ。

 どうせ、善逸は音で獪岳の考えだか感情だかを読めるのだから、獪岳が限りなく本気であることが、聞き当てられるはずだ。

 聞き分けたのか、善逸の顔からすう、と無駄がそぎ落とされた。

 

「……ごめん、獪岳」

 

 シィィ、という独特の呼吸音。

 善逸の片脚が動いたのを視界の端で捉えると同時に、獪岳は刃を引いて片手斬りを放った。善逸が飛び退り、一度刀を鞘に収めるのと同時に、再び切りかかる。

 距離を取った瞬間に、懐に飛び込んで頸を刎ねるのが霹靂一閃だ。善逸の技のすべては、それを基盤に構成されている。

 一つのことしかできないならばと、一つを極め、広げていった。獪岳と、逆に。

 炎の呼吸・炎虎をやや崩して放つ、薙ぎ払うような獪岳の一太刀を、善逸はさらに跳ね飛んで避け、腰を大きく落として、片脚を下げる。

 大気が焦げるかような音と共に、善逸の体は一瞬で正面に来ていた。太刀筋は袈裟懸け。頸を刎ねるつもりはないらしい。

 上半身を逸らしつつ、刀で受ける。側面から叩かれないよう、刃を立てて。だが、逸らしきれなかった刀が頬を掠る。ひやり、と鋼の冷たさを感じた。

 だが、獪岳の刃が善逸の刃を弾いた瞬間に、善逸は即座に退いて回り込む。死角から斬り込む気だった。

 雷の呼吸参の型・聚蚊成雷の要領で獪岳も体を回転させ、善逸と向き合う。

 正面から向き合った金髪が縁取る顔には、眠気の欠片もなかった。いつのまにやら再び刀は鞘に収められており、抜刀の構えを取っていた。

 下から上へ、昇り炎天の切り上げで、獪岳は善逸の一刀を上へかち上げた。一瞬がらあきになった胴へ、体ごとぶつかるような当身をくわせて、その体を吹っ飛ばした。

 ごろごろと受け身を取りつつ吹き飛ばされた善逸は、その勢いのままにとんぼを切って立ち上がり、立ち上がりかけたところで、その顔面を掴まれた。

 斬りかかろうと間合いを詰めていた獪岳も、刀を握った手首を上からまとめて掴まれ、止められる。

 

「終い!そこま、で!」

 

 左手で善逸を、右手で獪岳を文字通り掴んで止めた幸は、そう叫んで手を離した。

 気づけば日は落ちて、辺りは暗くなっていた。

 斬り合いの真っただ中に飛び込んで来た幸は、目を細めていた。後ろから追いついて来たらしい玄弥が、肩をすくめる。

  

「一度止めろって言ったのに、お前ら聞いてなかっただろ」

「集中、し、すぎ」

 

 集中は悪いことはないが、周囲に気を張り続けるのも必要なことである。幸がやや眉を吊り上げるのも、無理なかった。

 だがそれにしても。

  

「なんで止めたんだよ」

「こ、れ」

 

 幸が眉を吊り上げたまま、玄弥が手に持つ『何か』を指さした。

 

「うげっ!何これ気持ち悪っ!」

「うるせぇ」

 

 ぽかりと善逸の頭をどついてから、獪岳も玄弥の手のひらの中のものを見た。

 蚯蚓と目玉がくっついた化物、に見えた。

 大きさは、膨れた青虫が一回りか二回り大きくなったほどだが、青虫には血走ったヒトの目玉などついていない。

 しかも、玄弥の手の中でその目玉はさらさらと灰のように崩れて消えた。消え方が、鬼と同じだ。

 

「何だこれ」

「知らねえよ。だけどお前らが戦い始めてすぐに、こいつが草むらから見つけたんだよ」

「ん。……そいつ、見て、た」

 

 ごく薄い鬼の気配を感じて、幸が飛びかかったのだ。果たして捕まえたのは、蚯蚓と芋虫が合わさったような化物。

 

「鬼か?」

「え、でもこれ小さくない?頸斬れたわけじゃないんだろ」

「斬って、ない。逃げようとした、から、握った。ら、つぶれた」

「お前、百足じゃねぇんだから何でも潰すなよ」

 

 毒の血鬼術だったら、どうするつもりだったのか。

 ともかくこれは蟲柱にでも報告すべきかと、獪岳も善逸も刀を鞘に収める。稽古などしている場合でなくなったのは、確かだった。

 ぴり、とした痛みを感じて頬を触ってみれば、浅く切れていた。

 蹴り飛ばされた腹を、幸に擦ってもらっている善逸を、獪岳は見る。

 打ち合っていたときは幾分ましな顔つきだったのに、既に緩んだ顔になっているのは、つくづく苛々する。

  

「獪岳?」

 

 善逸から離れて、幸が首を傾げる。

 何でもない、とそれに答えようとしたときだ。

 野原を見下ろす山の一つから、火柱が吹き上がった。

 え、という泡のような呟きは、誰が漏らしたものか。

 轟々音を立てて、山から火が吹き上がっている。どころか、まるで何かが爆発したかのように木が抉られて山の地肌までが遠目に見えていた。

 

「ば、爆発っ!?」

「え、どういうこと!」

「知るか!いいから行くぞ!」

 

 幸いにして、この場の全員が日輪刀と武器を持っている。

 鬼の手下か何かのような虫が出た途端に、爆発が起きたのだ。ほぼ勘だが、無関係には思えなかった。

 山道を、走る。

 走るにつれて次第に、焦げた臭いが漂って来た。獪岳の先を走る幸が、顔を歪める。人間より五感の優れた鬼には、何かに感づけるのだ。

 空から急降下して来た鎹鴉と雀たちが飛び回り、口々に叫ぶ。

  

「産屋敷!産屋敷邸!襲撃ィ!隊士ハ至急向カウベシィ!」

「襲撃!?襲撃って、誰が!」

「カァ!鬼舞辻ィ!鬼の始祖、鬼舞辻無惨ニヨル襲撃ィ!隊士ハ、至急急行セヨ!セヨォ!」

 

 獪岳と玄弥の鴉と善逸の雀が、狂ったように鳴き立てる。

 鬼殺隊の要が、鬼の始祖に襲われているのだ。騒ぐのもわかる。

 だが、何故今になって。これまで、鬼舞辻が自ら動いたことなどなかったのに。

 木の根を踏み越え、草を踏みつぶして走る。薄暗くとも、夜目は利いた。

 だが唐突に、踏んだ地面が消える。

 一歩踏み出したその先が、無かったのだ。飛び退る間もなく、四人全員が虚空に放り出される。

 無理に体を回転させて上を見上げれば、障子戸が閉じられるのが見えた。鴉と雀の尾羽ぎりぎりで、戸が閉められる。

 深い縦穴へ、放り出されていたのだ。

 なすすべなく落下していた体が、唐突に横から衝撃をくらい、吹き飛ぶ。

 内臓が浮き上がるような浮遊感を味わったと思う間に、獪岳は硬い床の上へ落ちていた。

 転がって受け身を取り、四肢を踏ん張って止まる。叩きつけられた感触は、畳だった。

 同時に上から感じるのは、鬼の気配。

 前転し、勢いのまま抜いた刀で頭の上にある妻戸から降って来た鬼の頸を切り裂いた。

 刀を引く間もなく横手から獪岳の胴に食いつこうとしていた犬に似た鬼の額に、銃弾が炸裂する。駆け寄って来た玄弥は、脇差でその鬼の頸をかき切った。

 鬼が塵のように崩れ、そこでようやく獪岳は一度息をついた。

 体に染みついた動きで鬼を斬ったが、ここはどこなのだ。

    

「大丈夫か?」

「ああ」

 

 銃を構えた玄弥が駆け寄って来る。だが、善逸と幸の姿が見えなかった。慌てて、廊下の縁に駆け寄る。

 廊下の縁は、まるで斬り落とされたような絶壁である。奈落を覗き込んでも、下が見えない。幸と善逸の姿はない。

 まさか二人とも、底まで落ちたのか。

 下へ向けて叫ぼうとしたまさにそのとき、下から声がかかった。

 

「かい、がく、こ、こ」

 

 見れば、廊下の縁に五指をかけて幸がぶら下がっていた。

 片手には、善逸の襟首を掴んでいる。ふらふら揺れる善逸の足元には、奈落の闇が口を開けていた。

 

「あ、ありがとう幸ちゃん……」

「ん」

 

 安堵を感じながら、玄弥と二人がかりで幸と善逸を引き上げて、ようやく獪岳は息をついた。

 だが、安心はできない。周囲はまるで建物がつぎはぎにされたようで、足元には畳があり、頭の上に引き戸がある。

 そして周囲いたるところから、鬼の気配がしていた。

 

「ここ、は?」

「鬼の根城だろ。どう考えても」

 

 恐らく、血鬼術で落とされたのだ。

 

「カァ!ココハ鬼ノ城!各員鬼ヲ撃破シツツ、鬼舞辻ノ下マデ向カエ!向カエェ!」

 

 玄弥の鴉の指示に、獪岳は目を細めた。

 各員ということはまさか、鬼殺隊全員がここへ落とされたというのだろうか。柱も、含めて。笑えない。何の冗談だ、それは。

 

「コッチ!コッチィ!ツイテ来イ!来ィィ!」

 

 獪岳の鴉、雪五郎は翼を広げて飛ぶ。

 誰からというでもなく、四人揃って走り出した。

 幸いなのは、それぞれ武器を携帯していたことか。これで丸腰のときに落とされていたら、目も当てられなかった。

 先頭を走る幸が、そのとき足を緩めた。

 

「ひだり!」

 

 幸が指差した漆喰の壁を、獪岳と善逸の一撃が砕く。その上に潜んでいたらしい鬼が、ばらばらと頸を落とされ塵になった。

 

「多くない!?さっきと合わせて何体いるんだよこれぇ!!」

「今まで姿消してた鬼全部が、ここに集められてんじゃねぇのか?」

「……だけじゃ、ない。血が、濃い」

 

 ぽつりと、幸が呟いた。

 襲い掛かって来た鬼すべてに、異様なまでに無惨の血が多く与えられているというのだ。ただし、与えられ過ぎた代償としてか理性はなく、外見も人からかなりかけ離れ、崩れている。

 要するに、雑魚鬼に無理やり血を与えて強化したということらしい。それに耐えきれなかった鬼が、このように理性も利かない異形となったということか。

 

「コノ屋敷ニ無惨!鬼舞辻無惨ガイル!イルゥ!協力者ガ無惨ヲ抑エテイル間ニ向カエェ!」

 

 走りながらも、鎹鴉からの指令は止まない。

 上弦と無惨を含めたすべての鬼がこの前後左右上下が狂った屋敷に蔓延り、鬼殺隊士も全員がそこへ落とされた、ということらしい。

 つまりここに、童磨もいる。

 刀の鞘を知らずに握りしめたときだ。

 

「あぁぁ!こいつ、こいつら何なんだ!血鬼術なのか!?」

 

 横手から、悲鳴が上がる。獪岳たちが立ち止まるより先に、幸がそちらの壁目がけて拳を振り抜いていた。

 板の壁が吹き飛び、その向こうに刀を構えた隊士たちの姿が見える。

 黒い残像が獪岳の横を駆け抜けて、隊士たちに迫っていた氷の像を蹴り砕く。

 ばらばらと人形が砕け、足を下ろした幸は尻餅をついていた隊士を見下ろした。

 

「大丈夫です、か?」

「あ、ありがとう」 

 

 幸に追いついて、獪岳は砕けた氷の像を見下ろす。

 一見したところ、膝丈までしかない小さな人形だ。だが、手には扇子を持っており、襲われていた隊士の手足は薄っすらと氷に覆われている。

 幸が頭を完全に蹴り砕いたからか、人形は倒れて動かない。だが、手に持っている扇子には血がついていた。

 こんな血鬼術を扱う鬼は、一体しか思いつけない。

 幸を振り返れば、元々白い肌がさらに青ざめていた。

 次の瞬間、幸の顔が強張る。強張って、上を見上げた。

 

「よけて!」

 

 全員が飛び退いて開けたその空間に、天井を突き破って、巨大な氷の拳が振り下ろされた。

 

 

 




何かが色々変わっている無限城編、開始。

落下の際、鬼っ娘は獪岳と玄弥を蹴飛ばして横穴に放り込んでいます。
善逸は間に合わなかったので襟を掴みました。

諸事情により月一更新と化していますが、完結まで頑張りたいです…。

コミックス最終巻も読めました。
とても心が洗われました。

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