鬼連れ獪岳   作:はたけのなすび

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では。


十八話

 

 氷の巨像の拳に捉えられ吹き飛ばされた瞬間、天地がぐるりとひっくり返った。

 掴んだ玄弥の体だけは意地でも離すものかと堪えられたが、天井や壁を掴むことはできない。飛ばされて奈落の穴に落ちる直前、笑みを含んだ童磨の瞳と視線が交わる。

 

 ─────やられた!

 

 悟っても、どうしようもない。

 何もできないまま、風に巻き上げられた木の葉のようになす術なく飛ばされた。

 生き物のように動く柱や壁に叩かれ弾かれ、ようやく止まったときには玄弥と幸はまったく見知らぬ場所に叩き落とされていた。

 

「玄弥、くん!」

 

 飛ばされる直前、童磨の氷に腹を貫かれた玄弥を、慌てて地面に横たえる。地面に叩きつけられたときは、幸が下敷きになったからいいが、服が生温かい血で濡れたのだ。

 玄弥の傷口の周りの肉が動いていたが、まだ完全には塞がっていない。爪を伸ばすや、幸は髪を掻き切って髪の束を玄弥の口元に押し付けた。

 意図を察してくれたらしい玄弥は、なんとも言えない顔で幸の髪を食べる。

 鬼の体の一部を取り込んだ途端、玄弥の腹に空いていた穴はみるみる塞がった。髪で効いてくれて、ほっと息を吐いた。

 

「悪ぃ、助かった。……だけど、結構飛ばされちまったな」

「ん。でも、気配、ならわかる、よ」

 

 鬼の気配だらけだが、ついさっき戦ったばかりの童磨の気配は、わかる。執念の成せる技かもしれないが、四の五の考えている場合ではなかった。

 玄弥も立ち上がり、脇差を鞘に一度戻す。

 

「なら戻ろう。あいつら二人で上弦の弍は厳しい」

 

 言われるまでもなかった。童磨の気配を手繰ろうと、幸は辺りを見回す。

 幾本もの柱が並び、床は格子状の陶製板か何かが敷き詰められた部屋だ。

 先ほどまでいた畳や障子で区切られた場とは、随分趣向が異なる。この城はおそらく、このように様々な種類の部屋が、でたらめに継ぎ接ぎになっているのだろう。それを空間に作用する血鬼術で操って、手足のように動かしている。

 この広大な城のどこかに、鬼舞辻と上弦の壱と参と、弍がいる。

 そう思うと、全身が総毛立つ。獪岳と、離されてしまったせいかもしれない。

 大丈夫、と想う。服の胸元を、きつく握りしめる。

 獪岳は善逸と一緒だから。二人とも、簡単に死ぬような人間でないから。

 あっち、と童磨の気配の方角を、指さそうとしたときだ。

 

 後ろで、静かに、()()が、降り立つ気配がした。

 

 咄嗟に屈むや、屈んだ勢いで幸は玄弥の脚を蹴りで払う。綺麗に足払いをくらった玄弥の体が倒れて開けたその空間の空気を、斬撃が切り裂いていった。

 倒れながらも、身を捻った玄弥の弾丸が今度は空中で叩き落とされる。刀身に目玉がびっしりとついた、刀によって。

 

「────ッ!」

 

 出し惜しみなしの血鬼術の雷が、大気を焼く。その雷鳴の中を、三日月の形の斬撃が縫うように襲いかかった。肌が斬撃で深く浅く切り裂かれ、床に血が飛び散る。

 

「…ふむ」

 

 軽々と静かに降り立つのは、上弦の壱。刀を手にしたその姿は、悍ましいほどに重みがあった。

 

「金眼の鬼に…貴様は…鬼擬きか…童磨の策が…当たったと…見える」

「……策、なに?」

「お前と…勾玉の鬼狩り…揃えて…戦わせは…しない……。柱でもなく…下弦…ですらない…者が…こうも足掻くのは……想定…していない」

 

 要するに、獪岳と幸と、二人揃っているのが予想以上にしぶといから、引き離して別に殺すと、そういうことであるらしい。それを思いつき実行したのは、童磨なのだろう。見事にやられたのだ。歯が軋む。

 柱でもない剣士と、下弦にすら至らないような鬼を殺すのに、随分と用意周到なことだ。

 確かに幾度か上弦と戦ってはしぶとく生き残ってきたが、いつも死にかけていた。そこまでのことか。

 

 ─────そこまでだったから、こんな事態になったのだ。

 

 逃げてどうにかなることは、もうない。そんな時期は、とっくに過ぎた。

 鬼舞辻を、ひいては彼と命が繋がっている童磨を殺すには、上弦の壱を倒さなければならない。それが、どれほど無謀に思えても、実際に無謀であったとしても。

 せめて、柱の誰かがここに来てくれるまで、持ち堪えなければならない。

 

「先程の…一撃で…引き裂く…つもりだったが…やはり…お前は…勘が…いい」

「……」

「わからぬ…何故…お前が…刀を…取らぬのか…。更なる強さが…得られる…だろう」

 

 幸は眉をひそめた。取らないのでなく、取れないだけである。

 この鬼は、以前もこんなふうに強さに執着したことを言っていたけれど、言われたところで幸は顔を顰めるだけだ。

 刀を向けられると、或いは握ると、幸は手足が震えてしまうのだ。きっと、藤の山に長くいて、何度も人喰い鬼と罵られて刀を向けられたせいだろう。刀やおおきな刃物そのものを掴んでいることも、いつの間にかできなくなっていた。

 心の状態が体に作用することもあるのだと、胡蝶しのぶが教えてくれたからわかったことだ。

 

「刀、なんて、取りたく、ない。……嫌い、だ」

「…何?」

「許される、なら、戦いたく、も、ない。なかった」

 

 上弦の壱は、聞く構えを見せていた。ただし、こちらが仕掛けようとすればすぐさま斬って捨てるだろうし、それができる実力も、ある。

 文字の刻まれた瞳は、不思議と静かにこちらを見ていた。弱い人間を足下に見下す、ありふれた鬼の眼だった。

 

「強くなろうと…励まぬ…のか。才を…持ちながら…。鬼となれば…お前も、あの勾玉の鬼狩りも…さらに…高みに…至れようものを」

「……」

 

 その問答の答えは、前も今も変わりはしない。

 強くなりたい。それはずっと、焼けつくように願ってきた。もっと強かったら、もっと何かできたんじゃないかと、何度も悔やんだ。

 でも強くなるのは、強くなって護りたいものがあるからだ。もう二度と、奪われたくないものがあるからだ。強さは手段であって、目的にはならない。永遠に。

 強くなるために鬼の血を取り込んで、それで、我を忘れて誰かを傷つけることだけは、あってはならない。してはならないのだ。

 玄弥が鬼を食べたのだって、食べて強くなければ家族の近くに行けなかったからだ。

 そうまでしても、彼は家族を護りたかった。護りたいその家族に拒絶されたとしても、諦められないほどに。

 そうでなければ誰が、変わり果てていく自分の体と向き合える。自分の体が、違う何かに少しずつ入れ替わっていく恐怖に耐えられる。

 鬼になることが、幸には怖い。

 何かを護るためでなく、傷つけないためでもなく、ただ強くなるためだけに強くなることは、絶対にない。

 ゆっくり、幸はかぶりを振る。

 僅かでも何かを違えれば、この鬼は斬りかかってくるだろう。綱渡りの気分だった。

 

「鬼殺隊、は、強くなること、が、目的じゃ、ない。人喰い鬼、から人を、護るため、の、場所」

「……ほう」

「今、鬼殺隊で、一番強いひとだっ、て。戦いが好きな、わけ、じゃない。そうしなければならなく、なったから、そうした、だけ。……()()()、は、ちがう、の?」

 

 かつて鬼狩りだったかもしれない誰か。仲間だったかもしれない鬼。

 上弦の壱となった何者かは、ゆるりと刀を鞘に収める。次の瞬間、空間を赤雷と三日月が縦横無尽に蹂躙した。

 壱の刀の軌跡に合わせ、斬撃が襲いかかる。防ぐために幸も血鬼術を飛ばすが、馬力と量が違う。完壁に、対応できない。

 

「う、わ───ッ!」

 

 玄弥の腕を輪切りにしかかっていた血鬼術を、伸ばした爪で咄嗟に弾いた。岩も引き裂く鬼の爪が、爪楊枝のように容易くおられる。

 ほう、と間近で独特な呼吸音。玄弥に肘鉄をくらわせて吹っ飛ばし、幸自身も後先考えずに瞬きの間に迫っていた壱の刀を避ける。

 壱の動きは、幸には見えている。反応もできる。

 だが、獪岳より遅い玄弥を庇いながら動かなければならない。玄弥が弱いわけではないが、獪岳よりはやはり遅く、連携が絶妙に合わない。何かがずれる。

 その上、日輪刀を扱えない幸では鬼に止めを刺せない。

 上弦壱の武器は、形を変える斬撃に、完成された剣術と、鬼殺のための呼吸法で上乗せされた身体能力である。

 十二鬼月の頂点は、ただただ絶対的な強さを持つ。修羅だ。

 反撃を考えず、ひたすらに回避しなければすぐさま頸を斬られそうになる。腕や脚ならともかく、頸は斬り落とされれば回復に時間がかかる。

 鎌鼬のように襲いかかる剣閃を躱して、踏み込んで爪を振るう。壱が避けようと微かに仰け反り、生まれた間合いの隙間に、地面に散っていた血から血鬼術を発動させた。

 四方から飛んだ槍の形の赤雷を、壱は危なげなく刀を振るい、叩き落とす。

 手首を返そうとした壱の間合いに、幸はもう一歩踏み込んでいた。深々と肩を抉られるが、構わず刀身そのものを掴んで、血鬼術を使う。

 生き物の細胞を破壊する鬼の力に、刀は硝子のように砕けた。けれど刀の破砕音が消えるより先に、一切動揺もなく壱は柄から手を離し、蹴りを放つ。

 砲弾を腹に浴びたような衝撃と共に幸は飛ばされ、柱に叩きつけられた。

 ひと抱えもあるような柱に亀裂が走って、背骨を強か打ちつけ内臓が潰れたせいで肺から空気が吐き出される。人間ならば、体が二つに引きちぎられていただろう蹴りに、立ち上がるのが遅れた。

 顔を上げれば、そこにはこちらに駆け寄ろうとする玄弥と、彼の背後で刀を振り上げる上弦、壱。

 やめて、という言葉が形になるより前に、刀が玄弥の胴と腕を両断した。

 肉の塊のように、玄弥の体が三つに分かれて落ち、倒れた玄弥の背後でしばし脚を止めた上弦は、無造作に刀を振り上げる。

 咄嗟に床から掬い取った礫の形の瓦礫を、壱の刀の柄めがけて投げた。人の頭骨にならば穴を穿てる勢いの一投が柄に当たり、刀が上へ逸れる。

 両手両脚に力を込め、獣のように幸は跳んだ。

 鋭く伸ばした爪が、空を切る。風にしなる柳の枝のように爪の一撃は避けられたが、空中でさらにもう一度身を捻って幸は蹴りを放つ。

 壱はこれも避けたが、爪先がその髪を掠めた。後ろへ飛び退った壱と玄弥の間に、幸は降り立つ。

 上弦の髪だけが、はらりと落ちた。まったくの無表情で、相手は泰然と佇んでいる。

 回復に使う力を血鬼術と脚力にすべて割り振ったために、塞がっていない傷を晒し荒くなった息を吐きながら、幸は上弦の前に立った。

 砕けたはずの刀も、もう元通りだ。前と変わらない。この鬼の血鬼術かは知らないが、武器を奪ったところで何の役にも立たないのだ。

 胴を両断された玄弥は、生きてはいる。鬼の血肉を取り込んでいるから。けれど、立ち上がれずにもがいていた。

 血鬼術でどうにかしたいが、目の前の上弦から一瞬たりとも意識を逸らせない。

 

 ─────手加減されて、これか。

 

 その気になれば殺せるだろうに、所々で手が抜かれているように感じるのは、この鬼が以前のようにまだ幸を完全な鬼舞辻の手駒にしようとしているからだろうか。殺すのではないのか。

 上弦下弦が、鬼殺隊によって倒されて数を減らしているのは事実だ。その穴埋めに誰かを当てようと考えるのは不思議ではない。やられてたまるかという話だ。

 

 迂闊に動けない。空気が重い。

 じり、と脚を動かしかける、その刹那だった。

 

 唐突に、()()()()()()

 上弦の壱と幸の、丁度間の天井が崩れて瓦礫が降り注ぐ。

 ばらばらと落下する破片の中に、黒い隊服の影がちらりと見えた。

 器用に瓦礫を蹴って姿勢を立て直したその黒衣の何者かは、銀閃を振るう。一閃を容易く避けた上弦の壱の、その横手から吹き荒れたのは肌を裂くような烈風だった。

 

「退けェ!」

 

 幸と上弦の双方を巻き込まん勢いで、横から迫ったのは風を纏ったかのような激しい剣だった。

 床に獣の爪痕のような傷が刻まれ、竜巻が吹き荒れる。鋭い舌打ちが、幸の耳朶を打つ。

 白い髪を吹雪のようになびかせ、部屋に飛び込んできた風柱と、上から落ちるように現れた霞柱に、幸は束の間呆気に取られた。

 

「おい鬼の餓鬼ィ、テメェはそこの馬鹿な弟連れて下がれェ。頸を落とせねェのは邪魔なんだよォ」

「君の血鬼術、怪我を治せるんでしょう?玄弥をお願い」

「……わかり、まし、た」

 

 怒気を立ち上らせる風柱・不死川実弥と、淡々と冷静に告げた霞柱・時透無一郎は、それぞれ日輪刀を構えて壱を睨み据えながら言う。

 上弦の壱は、柱二人の到着にも揺らいだ様子はなかった。隙のない立ち方で、観察するように呟く。

 

「霞に…風か……。いや待て…お前は」

 

 何故か、霞柱を壱は注視する。六つの眼で彼を凝視する壱の視線から逃れるように、幸は下がって玄弥を持ち上げた。見事なまでに、胴体が両断されている。切断面はあまり見たくない。

 

「このようなことが…あるのか…。お前は…私が継国家に…残した子の…子孫か」

「……俺の名前は、継国じゃない。霞柱、時透無一郎だ」

「そうか…継国の名は…絶えたのだな…」

 

 何が何だかよくわからないが、妙に重大そうな問答が為されているのを聞き流しながら、幸は玄弥の傷口に両手を当てる。血鬼術の雷が走り、腕と胴が繋がった。

 

「すまねぇ」

「いい。それ、より平、気?」

 

 玄弥が答えようとした途端に、ぐわりと頭上に迫るのは剣閃で切り裂かれて折れる柱。

 揃って転がるように避ければ、風と霞と三日月の斬撃が斬り合う、凄まじい空間が展開されていた。

 どうすればいいかと、幸はきつく拳を握りしめるのだった。

 

 




鬼っ娘は性格から境遇から信念から、黒死牟とひたすら相性最悪です。
それに鬼の頸を斬れてかつ気心知れて連携の取れる速い剣士と動いてないと、強みが活かせないという。
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