では。
拝啓、爺ちゃんへ。
暖かい日が続きますが、そちらは日々、如何お過ごしでしょうか。
こちらは、なんとか鬼殺隊でやっていけている不肖の弟子です。
最近あった怖いことといえば、毒を使う蜘蛛の鬼に噛まれて手足がすっげぇ縮んで短くなったことくらいです。
早速ですが俺は何か、爺ちゃんを怒らせるようなことをしたでしょうか。
確かに俺は、六つある雷の呼吸の型のうち、一個しかできませんでした。
爺ちゃんにもぼこすこ殴られましたし、俺も大っ変申し訳なく思ったりもしました。
五つ型ができる兄弟子より俺は出来が悪いし、すぐ泣くし逃げるし、情けない弟子であることは重々承知してます。
だからと!!言って!!
「なんでしばらく獪岳と任務しなきゃいけないんだよぉぉ!炭治郎ぉぉ!」
「善逸!落ち着けったら!獪岳さんはちょっと怖いし不安定だけど、悪い人じゃないぞ!それに幸さんも教えてくれるじゃないか!」
「そっちもだよ……。何あの兄弟子は女の子連れて鬼殺してるんだよ……。しかも、妹じゃなくてかわいい幼馴染みとか。鬼殺隊舐めるなよ……」
「善逸、嫉妬はよくないぞ」
わかってるわぁぁぁ!と同期の仲間によるド正論に、大絶叫した善逸である。
一つ前の任務、那田蜘蛛山で救援に駆けつけた兄弟子の名は、獪岳という。
確かに同じ時期に同じ師匠の下にいたが、獪岳が善逸に優しかった記憶はない。
常に怖かったし、善逸を見るなり舌打ちするわ罵倒するわ物を投げつけてくるわと、色々と嫌われていたのだ。
面と向かって、出て行けと言われたことも、ある。それこそ何度も。
善逸も、獪岳が嫌いだった。
嫌いではあったが、ひたむきに、真面目に努力して鍛錬に励み、型を覚えていく背中を尊敬してもいたのだ。
壱ノ型だけ使えない出来損ないのくせに偉そうだ、どうせすぐ死ぬだろうよ、と獪岳のことを悪く言う隊士を見たときは、思わず殴り飛ばしてしまったほどだ。
鬼殺隊に入隊してから、手紙を出したこともある。獪岳から返ってきたことはないが。
実際、獪岳は強い。
那田蜘蛛山でも、幸という鬼の少女の手助けがあったとはいえ、二体の鬼をあっさり斬って倒している。
その場面を見ていた仲間の伊之助によれば、ばちばちっとしたかと思えば、鬼の手足がばらばらになって落ちていたのだという。
その鬼の体は、炭治郎や伊之助では斬り裂けないほど硬かったという。それを苦もなく両断した獪岳が、相当に手練れであるのは間違いない。
それに、あの獪岳は幸という鬼の少女を師にも隠して連れていた。
聞いた話では、彼女は獪岳の幼馴染みなのだという。
何があって、獪岳の幼馴染みが子どものころ、鬼にされたかまでは知らないが、鬼になっても庇っていたということは、獪岳にも善逸の知らない優しさ、のようなものがあったのかもしれない。
いやまぁ正直言って、七歳か八歳か、下手すると五歳くらいに見える小さな女の子と並んで仏頂面をしている兄弟子の絵面が、色々とアレであったとも思う。
そんな状態では、凄まれても前ほど怖いとは思わなかった。
知らない間に、兄弟子が変な方向に走ったのかと思ったほどだ。誰を好きになっても構わないとは思うが、五歳相手はちょっと。
言ったら殴られたので二度と言わないが。
が、それとこれとは話が別なのである。
「獪岳だって俺と働くなんて嫌に決まってるよぉ!絶対死ぬぅぅ!」
「うるせぇぞ紋逸!俺はあのバチバチ野郎と勝負するからな!」
「バチバチ野郎じゃないぞ伊之助!獪岳さんだ!」
喧々轟々病室で言い合う三人に、蝶屋敷の看護婦でもある隊員、アオイの雷が落ちたのはすぐのことである。
三人とも、まだ那田蜘蛛山での負傷が治りきっていないのだ。
ちなみに、三人のうち一番重症なのは、蜘蛛の鬼から毒を受けて手足が縮んだ善逸である。
「善逸さんは、静かにして薬をちゃんと飲んでください!それから獪岳さんという人なら、育手の方のところから帰ってきて以来、皆さんの回復待ちでずっとここにいますよ!というかあの人、育手の方のところで何故かたんこぶをつくって帰って来たんですよね。治療しましたけど」
それ多分、爺ちゃんにぼこぼこ殴られたあとです、と言いそうになって善逸はやめた。
鬼を連れていた炭治郎と獪岳は、那田蜘蛛山での戦いの後、鬼殺隊の本部で裁判を受けたそうだ。
そこでお咎め無しとされたから、二人とも鬼殺隊を続けていられるが、初めから師が鬼となった妹のことを知っていた炭治郎と違って、獪岳は師にも隠していたそうだ。
そのため、裁判が終わってすぐ、獪岳は育手のところに一旦呼び戻され、おそらく散々っぱら叱られて戻って来た、ということであるらしい。
善逸にとっては、自分のようにぼこぼこに怒られる兄弟子というのは、見たことがないものであった。
修行中も、獪岳を見習え、とか、獪岳のようになれ、と師からは怒鳴られ通しであったのだから。
とはいえ、一度師に言い聞かされた程度で獪岳の性格が丸くなったのかと言われたら全然そんなことはなく、毎度顔を見るたびに舌打ちされるわカス呼ばわりされるわと、何も変わっていないようだった。
が、炭治郎と幸が、いくら何でも人のことをカスとかお前とかで呼び続けるのは駄目だと注意しまくったため、獪岳のほうが根負けし、渋面ながらもその二人がいれば善逸、と呼ぶようにはなっていた。
そもそも滅多に名前を呼ばれたりしないから、あまり変わっていないともいうが。
優しさと善性の塊のような炭治郎は純粋な気遣いから、幸のほうはどうも出来の悪い弟を叱るような感じで注意したものであるらしい。
それを聞いて、おかしいな幸ちゃんのほうが年下なんじゃなかったっけ、と善逸はやや遠い目になったものだ。
とにもかくにも、炭治郎と幸の二人からは、そういう少し似た感情の動きを示す『音』が聞こえていた。
自分の腰までか、少し高いくらいの背丈の小さい女の子に訥々と叱られて、しかも不機嫌ながらも逃げずに聞いている兄弟子の印象は、新鮮すぎだった。
逃げても脚力で負けて捕まるから大人しく聞いているというだけかもしれないが、師や自分以外にも、あのとっつきにくい兄弟子をちゃんと見て、気にかけている人がいたというのは、善逸には嬉しくもあったのだ。
「っていってもさぁ、それで何でしばらく獪岳と任務こなさなきゃいけないんだよぉ……。爺ちゃん何考えてんの」
「善逸、幸さんが解説してくれたじゃないか。善逸と獪岳さんには、欠けてるところがあるから、一度戦いを通して見つめ直せって」
「わかってるよぉ!だけど、それ伝えに来たときの獪岳の顔、炭治郎と伊之助も見ただろ!?絶ッ対納得してないよアレ!人殺しそうな目付きしてたじゃん!」
獪岳を叱り飛ばした師匠、桑島慈悟郎は、どうやら『任務を一つ、善逸と共同で片付けろ。やらなければ破門だ』と言ったらしい。
獪岳の鎹鴉伝手で、爺ちゃんの手紙により念押しまでされたから、いよいよ善逸は逃げられなくなっていた。
「いいじゃねェか。あのクソ速三つ編み女に俺は勝つ!」
「三つ編み女じゃない!幸さんだ、伊之助!」
那田蜘蛛山で、獪岳と幸に助けられた伊之助は、再戦する気満々だし、幸から鬼の研究のための血を分けてもらい、話も聞いてもらえたという炭治郎は、普通に受け入れている。
現状、ぐずぐず言っているのは善逸だけだった。
「明日からは、三人揃って機能回復訓練にも行けるんだから、しっかりしないと駄目だぞ」
「うぅぅぅ……」
那田蜘蛛山で蜘蛛の毒を受けた善逸だが、幸が血鬼術でかなり治療してくれたおかげで、回復は善逸に比べれば軽傷である炭治郎たちと同じくらいにまでなっていた。
手足はまだ少し小さいままだが、明日から始まる鈍った体を鍛え直すための訓練にも参加できる。
とはいえ、血鬼術による治療は、長期的に続ければ人体への影響がないとも限らないため、あくまで緊急時にしか使わないものだという。
それだけ、善逸の状態が危険だったということだ。
「てか、その機能回復訓練って何するんだろ」
「さぁ。獪岳さんと幸さんは、それが終わるまでこの辺りにいるらしいぞ。今までは、どこにも寄り付かないで任務を受けてたから、ちょっとゆっくりできるって幸さんが言ってたな」
一つの拠点を中心に任務に出ず、常に流れて特定の仲間もつくらず、そうやって獪岳が戦っていたのは、多分同じ鬼殺隊の仲間から、幸を隠すためだったのだろう。
幸に関して、善逸が知っていることはあまりない。
獪岳の幼馴染みで幼いころに鬼にされ、最終選別の山で獪岳が見つけて連れ出した、という経緯だけしか、善逸は知らないのである。
あとはまぁ、小さいことと、可愛いこと、自分を血鬼術で助けてくれたこと、脚がやたら速いらしいこと。あんな可愛い幼馴染みがいるの隠してたのかよ獪岳の馬鹿野郎ということ、くらいである。
最後の一つは、完全に私怨であるが。
「あ、獪岳さんだよ」
「えっどこ!?」
頭を抱えていると、そんなことを言われる。
窓の外を見れば、日輪刀を背負い、幸が入っている箱を肩に担いだ獪岳が蝶屋敷の庭を横切っているところだった。
任務帰りなのか、獪岳の『音』はいつにもまして物騒な感じだった。
ふと見れば、隣で炭治郎が今にも声を張り上げそうになっていた。
善逸は炭治郎に慌てて飛びついた。
「わぁぁ!止まれ止まれ!何するつもりだよ炭治郎ぉぉ!」
「む。どうしてだ。任務から無事に帰って来たんだから、挨拶しないと」
「絶対獪岳キレるから止めろぉ!」
おかえりなさい、と大音量で呼びかけでもしたら、確実に今の仏頂面の獪岳はキレる。
と、箱を担いだ獪岳の前に現れた人影があった。
「え、誰?」
背は高く、髪を頭頂部から後頭部にかけて一筋だけ残し、あとはすべて剃るという馬の鬣のような変わった髪形をしていた。
そいつは、険しい顔のまま何ごとか獪岳に話しかけていた。
庭から窓まで距離はあるが、善逸の聴覚は人並み外れているから、その声はすべて聞きとれていた。
「ヒメジマさんに会わないのか、だって……?」
ヒメジマさんとは、誰だろう。
ともかく、不思議な髪型のほうの彼は、そう獪岳に言っていた。
獪岳のほうは、うるせェの一言で彼の腕を振り払ってどこかへと歩いて行ってしまう。
残された彼は追おうと動いたが、獪岳は跳躍して屋根の上へ乗り、走り去ってしまった。
「……」
徹底的な拒絶である。
獪岳を呼び止めた少年は、諦めたように去って行った。
「最終選別のときの人だ!」
「ふわっ!?」
いきなりの炭治郎の大声に、善逸はひっくり返った。
「最終選別……ああ!炭治郎が腕の骨折ったやつ!」
鬼殺隊入隊のための最終選別で、早く鬼狩りの為の刀を寄越せと、案内役だった二人の少女を殴ったやつがいた。
そいつの腕をつかんで止めた炭治郎は、最終的にその腕を折ったはずだ。
剃りあげ頭の彼は、そのとき腕を折られたやつだったのである。
「ヒメジマさんって、岩柱の悲鳴嶼行冥さんじゃないか?裁判のとき、獪岳さんの感情のにおいが悲鳴嶼さんと話すときは乱れてたし」
「岩柱ァ!?なんでェ!?」
「お前さっきからうるせぇぞ。気になるんならバチバチ野郎をとっちめて聞き出しゃいいじゃねぇか」
「それ俺のほうが確実にとっちめられるやつだからぁ!」
とはいえ確かに、知りたければ誰かに聞く他ないのである。
善逸が知らない獪岳のことを知っていて、かつ怖くもなくて尋ねれば話してくれそうな相手といえば、目下のところ、一人しか心当たりがなかった。
#####
『ヒメジマさんは、確かに現岩柱の、悲鳴嶼行冥さんのことです。彼はわたしたちの、育ての親でした』
「育ての……」
『はい。かいがくやわたしは身寄りがなく、行冥さんに拾ってもらって似た境遇の子どもたちと共に、お寺で暮らしていました。今から大体十年ほど前のことです』
日も暮れた蝶屋敷。
善逸と伊之助の寝台の間に置かれた丸椅子に、ちょこんと人形のように腰掛けて、さらさらと巻き紙に筆を走らせているのは、鬼の少女、幸だった。
昼間の一件や今の獪岳が何を考えているのかを知るため、善逸が相談相手に選んだのは幸だった。
夜になり、放置されていた箱から出てきてとことこと蝶屋敷の庭を歩いていた幸に頼めば、快く引き受けてくれた。
が、一つ問題があった。
炭治郎の妹、禰豆子と違い、幸は本来の年齢相応に思考できるのだが、言葉を話そうとすると片言になってしまうのだ。
人を喰いたいという衝動を常に抑え込んでいるから、言葉がうまく扱えなくなり、長めに喋ると疲れるようになってしまったとか。
これでも、前よりはかなりマシになったとのことだが。
聞き慣れている獪岳は普通に会話できているし、雀とも話せる炭治郎も平気なのだが、善逸にはそこまではできないし、疲れさせたくなかった。
だが、書くならばできる、というので、こんな形になったのである。
やや読みにくい金釘文字だが、筆先には淀みがない。
尚、『悲鳴嶼行冥』は漢字で書くのに、何故か『獪岳』はひらがなである。なんでだ。
『詳しい経緯は省きますが、寺の近くに現れた鬼に、まず外にいた、かいがくとわたしが襲われ、わたしが鬼になりました。その後、鬼は寺を襲い、一緒に暮らしていた子たちは、一人を除きみんな鬼に殺されてしまったと聞きました』
筆が紡ぐ話の重さに、善逸は絶句した。
書いている幸はといえば、能面のような無表情だった。しかし、その内側では深い哀しみの音が木霊している。
『鬼は、寺のお坊さまが食い止めてくれているうちに、朝日を浴びたことで消滅しました。しかしわたしたちの家は壊されて、鬼から逃げることができていたかいがくも、帰る場所がなくなりました。そこから紆余曲折を経て、彼は善逸君の師匠でもある桑島さんのところに落ち着いたようですね』
そのころには、幸は鬼になって藤襲山に封じられていたから、すべて後で獪岳から聞いた話だという。
『行冥さん、岩柱の悲鳴嶼行冥さんが、このお坊さまです。裁きの場で出会うまで、かいがくも私も、行冥さんとは一度も会えていませんでした。かいがくは、行冥さんが岩柱になっていると知っていたようです。わたしは知らなかったから、あのときはとても驚きました』
「もしかして……」
『はい。裁きのとき以来、かいがくもわたしも行冥さんに会えていません』
物凄くその場面が想像できるだけに、善逸は、ああ、と頭を抱えた。
予想以上に、重い話だった。
淡々と書き記しているのが、外見は小さな女の子であるだけに、善逸は目の前がぼやけるのを感じた。
中身は既に成長していると言えど、この子はこの幼い年齢のときに、今書き綴っている辛い体験をしたのだ。
『善逸君?』
「あっ、ず、ずみ゛ません……」
『こちらこそ、冷たい書き方になって申し訳ありません。わたしも、その、細かくは書けなくて』
ぽた、と文字が滲んだ。
よく見れば、人形のようだった幸の瞳から滴が零れていた。
箱から出ていた禰豆子がとてとてと近寄って、その頭を撫でる。
本当なら禰豆子のほうが年下なのだが、どうも彼女は自分より小さい幸のことを、年下と認識しているらしい。
『ありがとうございます。すみません。一度泣けて以来、よく涙がこぼれるようになって。いえ、いいことなのですが』
ともかく、と幸は袖で涙を拭って続けた。
『かいがくに声をかけてくれたのは、不死川玄弥さんです。彼は今、行冥さんの弟子、という形になっているそうで、恐らくそのときに私たちの名前を聞いたのでしょう』
行冥さん、と幸が書く岩柱は、裁きの場で躊躇いなく獪岳と幸を処刑すべきと判断したという。
昔、共に暮らした子どもたちに対して下した判断にしては、あまりにも非道にも見える。
けれど、鬼にすべてを奪われた者が、生き残っていた子どもの一人が鬼になり、一人は鬼殺の剣士になりながら隊の規律を破って、その鬼を匿っていた様を見たのだ。
その心中を察するには、余りある。
鬼になった者は、死なない限り、救われない。鬼となった身内を捨てられないものは、破滅するしかない。
だからこそ、彼らの生命を絶つことで一刻も早く救うべき、と彼は言ったのだそうだ。
鬼殺隊古参の岩柱ともなれば、鬼による悲劇など嫌というほど目の当たりにしてきただろう。それ故の判断とも言えた。
お館様によって処刑はなくなり、禰豆子と幸が、鬼の特例として鬼殺隊の一員として存在するのをを認められたとはいえ、結局その場で獪岳と岩柱が和解することはなかった。互いに話しかけもしなかったという。
『というより、かいがくが避けていて。多分、行冥さんに哀れな子どもたち、と言われたのが我慢ならなかったんでしょうけど。……ほら、その、かいがくは、憐れまれたり見下されたりするのが大嫌いなものだから』
「あ……あー……」
獪岳の性格を知っている弟弟子としては、納得の呻き声を上げるしかなかった。
いやそれにしても、もうちょっと歩み寄ってもいいのではなかろうか。
育ての親と再会できたというのに、意地を張って会わないままというのはあまりに切なすぎる。
特に全員が、今は明日鬼と戦って死ぬかもしれない鬼殺隊員なのだ。
獪岳にしろ、幸にしろ、今日の任務が無傷だったからと言って、次の任務もそうとは限らない。
『わたしだけで会う……というのも考えはしましたが、そうなるとかいがくがさらに拗らせそうですし、わたしは鬼ですから、一人で会いに行くなど馬鹿か、とかいがくには止められましたし』
結果、不死川玄弥に問い詰められる段になる今まで、そのままの状態が続いていたそうだ。
『不死川君は、行冥さんがわたしたちの名前を呟いていたのを聞きとがめて、会わないのかと聞いてくれたのですが、またかいがくがつっぱねてしまって。元々、かいがくもわたしも器用な質ではないし、友だちもいませんし、こういうときはどうすればいいのやら、と……』
金釘文字は、途中からぐにゃぐにゃと曲がってしまった。
禰豆子がむぅと唸って、幸の頭を胸に抱き込み、その頭を優しく撫でた。
幼い子どもをあやすようなその手つきに、幸の顔が少しやわらかくなる。
それから、そっと禰豆子の胸を優しく押しやり、幸はまた筆を走らせた。
『……すみません。愚痴のようなものを書いてしまって。わたしは稽古に行ってきますので、みなさんは休んでいてください。明日の機能回復訓練に備えないと』
くるくると紙を巻き、筆と一緒に懐に仕舞うと、幸は丸椅子からぴょんと飛び降り、ぺこり、と礼をした。
稽古というのは、獪岳が夜にしている稽古のことである。
夜になり、幸が動けるようになると、獪岳は彼女相手に稽古しているのだという。
善逸は、その場面を見たことがない。
屋敷を壊してはならないから、少し離れたところでやっている、と聞いたくらいだ。
とたとたと、小さな姿は一人で病室を出て行きかけている。
「ね、ねぇ!」
気づくと、善逸はその背中に呼び掛けていた。
「それ、俺も見に行っていいかな?」
え、と言うふうに敷居をまたぎかけていた幸が、首を傾げた。
「ぜ、絶対、見つからないようにするからさ!駄目、かな?」
この子をひとりで行かせてはならない、と何故かそんな気がしたのだ。
こく、と幸が頷いたのは、それからすぐだった。
#####
見つからないようにすると言ったからには、こっそりと幸についていかなければならなかった。
善逸ほどではないが、獪岳も耳はいいし、鬼殺隊の剣士で勘が鈍いというのも滅多にいないのだから。そういう手合いは、もう死んでいる。
しかも何故か、炭治郎と伊之助と禰豆子までついて来たのだから、善逸は頭を抱えた。
「俺も気になるんだ。大丈夫。ばれないようにするから!」
「そんな気になるもの見逃すわけねぇだろ!」
「むー」
大体こんな感じで、彼らまでついて来ることになった。
小さな姿で鳥のように街中を抜けていく幸を追い、辿り着いたのは街外れの空き地だった。
獪岳は既に、木刀を構えてそこにいた。幸は大きく跳躍して、その前に降り立つ。
物陰に隠れて様子を伺うと、獪岳の声はよく聞こえた。
善逸がよく耳にする不機嫌そうなぴりぴりとした声ではなく、やや静かなものだった。
「始めるぞ」
「ん」
獪岳が木刀の柄を握って腰を落とし、幸が爪を構えて右足を後ろに引く。
ヒュ、と笛が鳴るような音がした瞬間、二人の姿が消えていた。
「え?」
「善逸、上だ」
炭治郎に言われて上を見る。
夜の闇が広がる空き地の上空では、鬼の爪と木刀がぶつかり合っていた。
一瞬の交錯の後、二人は同時に地上に降り立って、再び衝突する。
跳び上がったかと思えば、地の上を走り、まばらに生えている木を足場にしたかと思えば、空き地の中央と、目まぐるしく場所を変えていた。
有体に言って、幸と獪岳はそれぞれの爪と木刀で斬り合っていた。
時折獪岳の攻撃に混ざる五連撃や、回転しながら放つ斬撃は、雷の呼吸の型である。
幸は主に長く伸ばした爪を使い、時折蹴りや拳も交えている。
しかも、二人とも速い。
目で動きは捉えられるが、あそこに放り込まれても体がついて行ける気がしなかった。
「く、訓練……だよな」
「そのはずだ。だけど、二人とも凄い気迫だ」
遠目では二人の表情まではわからないのだが、聞こえて来る『音』は二人とも張りつめている。
互いに、互いへの殺意がないのが不思議なくらいだった。
バキッ、と乾いた音がしたのは、間もなくのこと。
獪岳の木刀が、根元から二つに折れたのだ。
だが、幸はまったく動きを止めずに飛びかかり、鋭く尖った爪を振るう。
一方の獪岳も木刀が折れたことにはまったく怯みを見せていなかった。
低く身をかがめるや、半分になった木刀の柄を、幸のこめかみに叩きつけた。
鈍い音と共に、諸にくらった幸の体が毬のように跳ね飛び、木に叩きつけられて止まる。
「ん、一本」
一秒後、幸はあっさりと起き上がった。鬼なのだから、無論回復は早いのだ。
着物についた土汚れを払い、幸は折れた木刀の半分を拾ってとたとたと獪岳に近寄った。
「また木刀が壊れちまったじゃねぇか。これで何本目だ」
「九十三ぼん、め。……折れて、も、くだけても、てかげんし、ない、かいがくが、言った、こと。刀、おれても、鬼、とまらない」
「あーあー、わかってんだよ。クソが。そっちはいくら殴られようが、すぐ起きやがるんだからな」
折れた木刀の半分を渡された獪岳は、乱暴に頭をかいた。
してみると、これは彼らにとっては日常茶飯事なことであったのだ。
しかし、鬼とはいえ、躊躇いなく小さな女の子の頭を木刀の柄で殴り飛ばすのも、それはそれでどうなんだ。
確かに鬼の中には、幼い子どもや可愛らしい少女の外見を持つものもいるが。
「かいがく、壱、する?」
「ったり前だろ」
「ん」
てってってっ、と歩いた幸は、空き地の隅っこに膝を抱えて腰を下ろした。その肩の上に、鎹鴉が止まる。
折れた木刀を放り捨て、獪岳が取ったのは真剣である。
低く腰を落とすその構えは、善逸には覚えがあった。
深い呼吸の音が、聞こえる。
声とならない獪岳の言葉を、善逸はそのとき確かに聞いたと思った。
───雷の呼吸、壱ノ型
────霹靂一閃
鞘走る音が鳴ったかと思えば、獪岳の正面に立っていた細い木の枝が一本、切り落とされていた。とさり、と枝が地面に落ちる音がした。
獪岳自身は、刀を振り抜いた姿勢で木よりも向こう側にいた。
「カァ!失敗!失敗ィ!」
「ん」
ぎゅう、と鎹鴉の嘴を幸が押さえる。
だがそちらを見た獪岳の声は低かった。
「……駄目だ」
「かいがく」
「こんなのは、壱ノ型じゃねぇ!霹靂一閃でもなんでもねぇ!お前も知ってるだろ!」
そうなのか、と善逸の横の炭治郎が小声で尋ねてきた。
そうだ、としか善逸には答えようがなかった。
速く強く、鋭い一撃ではあった。
それでも、かつて師から習ったものとはやはりどこか違う、としか言えないのだ。
霹靂一閃を使える者の勘、とも言うべきなのか、善逸にはあれが、どこがどうとまでは言えなくとも、本来のものと違うということが見抜けていた。
それは、獪岳にもわかっているのだろう。
苛立たしげに、足元の砂を蹴りつけていた。
「もう一回だ。それからそこの鴉、静かにさせとけよ。気が散るじゃねェか」
「……わかっ、た」
肩の上の鎹鴉を撫でながら、幸がこくりと頷く。獪岳は鼻を鳴らして、再び刀を構える。
その夜、空の端が白み始めるまで獪岳が手から刀を放すことはついぞ無かったし、稽古に見入ってしまい、途中で抜け出す機会を完全に失くした善逸たち三人は、一晩病室を無断で抜け出したことで、蝶屋敷の女の子たちから、目玉が飛び出るほど怒られたのであった。
【コソコソ裏話】
幸の髪は、解くと腰までほどある黒髪で、いつも後ろで一本の三つ編みにしています。編むのは幸だったり怪我をしたときは獪岳だったり、まちまちです。
前髪は長めで、瞳は若干隠れ気味です。
瞳が金色なのは生まれつきで、瞳孔が縦に割れたのは鬼になってからです。