悲しい結末を迎えたはずの舞台の幕は、一人の登場人物の献身によって再び上がる―全ては、幸せな終わりにたどり着くために
「もう止めようよ、みんな……!」
にんげんの一人-ジャックというらしい―が、もう何度も同じようなことを仲間のにんげんたちに叫んでいる。でも、にんげんたちはそれに耳を貸さずわたしを殺そうと襲い掛かってくる。わたしはただ、人魚姫を生き返らせたいだけなのに。そのために必要なウィッチクラフトを、早く作らないといけないのに。何もしていないわたしにいきなり襲い掛かってきて、逃げても逃げても追ってきて、そして今もわたしの邪魔をしようとしている。
にんげんたちがわたしよりもずっと強いということは、今までの戦いの中でとっくに分かり切っている。でも、あきらめるわけにはいかない。もう一度、人魚姫に合うために。会って、あの時、助けてくれてありがとう、って伝えるために。そのために、こんなところで負けるわけにはいかない。
-そう思っても、わたしがにんげんたちよりも弱いのは変わらない。わたしがメルヒェンにさえ負けることのあるほどひ弱なナイトメアであるというのもあるけど、何よりもこのにんげんたちが強すぎる。今まで見たすべてのにんげん、いやそれどころかメルヒェンとも比べ物にならないほどに。強すぎる攻撃。速すぎる動き。付け込む隙のない連携。逃げることもできないまま、一方的にダメージを蓄積してしまう。そして、ついにその時はやってきた。ダメージで動きの渋ったわたしに黒髪のにんげん―他のにんげんからはアリスと呼ばれていた―の剣が振り下ろされる。それをわたしは避けることも防ぐこともできない。
嫌だ。まだ、わたしは死ねない。死ぬわけにはいかない。人魚姫を生き返らせられるのは、わたしだけだから。願いをかなえてくれるウィッチクラフトのことを知っているのは、ナイトメアであるわたしだけだから。
しかし、その剣がわたしに届くことはなかった。振り下ろされる剣から目をそらさず睨みつけていたわたしの目の前に割り込んでくるものがあったからだ。まるでわたしを守るかのように。それは―あのにんげんの男、ジャックだった。
「………がふっ………」
「………え………」
「……………い、いやぁぁぁああああああああ!!!」
「な、何やってんのよジャック!?」
「っ!!そんな話は後よ。まずはジャックの治療をしないといけないわ。」
「グ、グレーテルの言う通りだよっ!!親指、白雪、ラプは手伝って!!シンデレラ、ネム、ハーメルンはアリスをお願い!!他のメンバーは周りを警戒!!」
「は、はいっ!!」
「じゃっくーっ!!」
「……アリス、……ジャックは……大丈夫……だから……!」
「そうですわ、アリスさん!!気をしっかり持ってくださいましっ!!今ブラッドスケルター化したら取り返しがつきませんわ!!そうなったら、一番傷つくのはジャックさんですのよ!?」
「しっかりするのだ、お嬢!!」
「……まったく、一体ジャックはどうしてしまったのですか……。」
わたしも含めてみんな固まっていたけど、にんげんたちはアリスと呼ばれていたにんげんの悲鳴で再び動き出した。何人かのにんげんたちがわたしを突き飛ばしてジャックと呼ばれていたにんげんに駆け寄る。わたしは突き飛ばされてしりもちをついたまま、にんげんたちの様子をぼんやりと見ていた。
にんげん達は、突然の出来事に驚いている。わたしも意味が分からない。わたし達は戦っていたのに、その相手を庇ったのだから。
いや、このにんげんだけは、最初からわたしに対して敵意を持っていなかった。むしろ、仲間たちに戦わないように求めてさえいた。でも、その理由が分からない。そもそもわたしはこのにんげんのことを知らないのだから。
今、にんげん達の注意は怪我をした男に向いている。今なら逃げられるかもしれない。そう頭では理解しているのに、人魚姫を助けるためならそうすべきなのに、この場を離れられない。たとえ敵だとしても、人魚姫と同じようにわたしを助けてくれた相手にお礼を言えないままというのが嫌だというのもあるが、またこのにんげん、ジャックを置いていくというのが―
―『また』?―
「………ぐ、がぁぁあああぁああぁああああぁあ!!」
「っ!!今度は何!?」
「………いきなり苦しみだしたわね………。」
自分の思考に違和感を覚えた瞬間、頭に激痛が走った。脳みそを直接いじられたような不快感が沸き起こってくる。それとともに、知らない記憶が次々と頭をよぎる。見たことのない景色、知らない人の声、知らない料理の味と香り、そして、知らない手の温度。それらはやがて一つの情景に収束していく。
―倒れたジャックに縋りつくアリス。鬼のナイトメア。消えていった二人。鬼からの逃亡。迫る『限界』。次々と倒れていく仲間たち。『姫』の慟哭。『恩返し』。正しい『今』。そうだ、『僕』は―
「………っ!!ジャックっ………!!」
「っ!!こいつ、ジャックの名前を……!?」
今、はっきりと思い出した。僕が『前』の世界で過ごした日々を。そして、ジャックの意味の分からないと感じていた行動の意味もやっと分かった。ジャックはどうしてか、僕よりも前に記憶を取り戻していたらしい。そして、僕が何をしようとしているのかを知って止めようとしたんだろう。―前の、悲しい終わりを知っているから。
「ジャックっ……!!僕はっ……!!」
「あら、ジャックに何をするつもりかしら」
「ジャックには、指一本触れさせませんよ~?」
「かぐや姫……、グレーテル……。」
「……私たちの名前も知っているのね。いえ、名前なら、今までの私たちの会話から把握することも可能かしらね。」
ジャックに謝ろうと近づく僕を妨げるようにグレーテルとかぐや姫が立ちはだかる。二人は僕のことを覚えていないようだから当たり前だけど、仲間に拒絶されるのはやっぱり辛い。それに、僕には自分の立場を証明するのが難しい。初対面の相手では分からないみんなのことを話して聞かせるという手段もあるけど、この世界の歴史と僕の知る歴史が同じではない以上、間違っている可能性もあるからだ。現に僕の目の前にいるみんなは、僕の知るみんなと違うところが多い。服装が違う。髪型が違う。シンデレラにいたっては年齢さえ違うように見える。それにみんな、身に纏う雰囲気が全く違う。僕を見る目が他人を見るようだとかそんなレベルではなく、僕の知るみんなよりも明らかに柔らかくて暖かな雰囲気を放っている。特に赤ずきんと親指は、一瞬別人かと思うほどに刺々しさや心が摩耗したような危うさがない。まず間違いなく僕の知る二人とは何か大きな相違があるとはっきり分かる証拠だ。みんなが幸せだということが伝わってくるから間違いなく嬉しい反面、僕の願いが生み出したあの世界が間違っていることの証拠でもあるようで、物悲しい気持ちになるのも避けられない。
「………ふ、たり……とも………。その、…………こ、は………だいじょ、う……………だ、から…………」
「馬鹿っ!!まだ喋るんじゃない!!」
「そうですよジャックさん!!傷が……っ!!」
ままならない感情を持て余しながら二人と対峙していた僕に、ジャックが声をかけてくる。ただその声は途切れ途切れだし、治療している二人からも安静にするよう怒られていることからして傷は相当深いのだろう。今すぐそばに駆け寄りたいところだけど、目の前の二人はそれを許してはくれないだろう。
「………仕方ないわね。行きなさい。」
「グ、グレーテルさん!?本気なんですか!?」
「ジャックがあそこまでするのだから、本当に二人の間には何かあるのでしょう。今の状態のジャックに大声を出させたら命に関わるわ。それに、既に実力差は明白だもの。万が一あのナイトメアが暴れたとしたら、今度こそさっさと殺してしまえばいいだけよ。」
「グレーテル……。ありがとう。」
「別にあなたのためではないわ。それより、早くしなさい。」
そう思っていたけれど、意外にも許可が出た。理由は実にグレーテルらしい感じだったけど、ありがたいことには変わりない。みんなの気が変わらないうちに急いでジャックのそばに駆け寄る。
「ジャック……っ!!」
「………お、おも、……だした………だね、…………つ、う。」
「ごめんっ!!僕のせいで君をこんなっ………!!」
「……い、い……から……。」
ジャックのそばに駆け寄ってすぐにジャックに謝る。改めてジャックの怪我の様子を見て、その重症さに絶句する。四人がかりの治癒の魔法のおかげでもう半分以上治療されているけれど、体の正面から背中まで貫通するほどの切断痕が、左肩から鎖骨を両断して胸の半ば、心臓ぎりぎりのところまで届いていたのが服の破れ方から分かった。即死しなかったのが奇跡、今こうして意識を保っているのが異常なほどの重症だ。ジャックの周りには彼の血でできた血だまりができているし、顔色も青白いを通り越して土気色になっている。
僕がもっと早くに記憶を取り戻していれば、と思わずにはいられない。そうすれば、ジャックがここまで傷つくこともなかったのだから。前の世界ではジャックはナイトメアになってしまっていたが、それももとはと言えば僕があんな世界を願ったからなのだ。僕は彼を傷つけてばかりだ。
「……っ…………」
「ちょっとっ!!だから動くなって言ってんでしょ!?ほんとに死ぬわよ!?」
「………はぁーっ………はぁーっ………っ、ジャックっ………!!」
そんな風にジャックに対する罪悪感に打ちひしがれている僕の前で、ジャックがおもむろに右腕をあげた。親指がそんなジャックに怒鳴っているのも聞かず、ジャックはそのまま右手で握っていたメアリガンの引き金を引いた。その照準はアリスに向いている。さっきジャックを傷つけてしまったショックで穢れを溜めすぎてしまったアリスがブラッドスケルター化しないように浄化するつもりだったのだろう。見るとアリスは既に瞳はピンク色になり、髪も色が抜け落ちた白色になった状態で、体を痙攣させながら荒い呼吸を繰り返していた。ブラッドスケルター化一歩手前の時の症状だ。
そのままアリスはジャックのそばに駆け寄る。そのまま零れ落ちる涙をぬぐうことも、ジャックの血で自分が汚れることも構わずジャックのそばに膝をついて、浄化のために上げられていたジャックの右手を掴む。
「ジャックっ……!!ジャックっ……!!本当に、ごめんなさいっ……!!私はっ………、わ、たしはっ………!!!」
「………だ、い、……じょ、…………だ……から…………。な、………かな………で…………あり、…………………つ……………」
「……ジャックっ?!ジャック!!しっかりしてっ!!目を開けてっ!!」
「…………脈があるし、息もしている。傷のダメージと貧血で、体力の限界を超えて気絶したのでしょうね。アリス、ジャックは生きているから大丈夫よ。それより、『ワンダーホール』で直接黎明に戻りましょう。治療の続きはそこで。それでいいかしら、赤ずきん?」
「……そうだね。いつまでもここに残るのも危険だし、傷はともかく、血は視子さんに造血剤をもらわないとどうにもならないし……。よし、みんな!早く黎明に戻るよ!あと、そこのナイトメア、えっと……つう、だっけ?あんたも一緒に来て!」
「え……?いいのかい……?」
「……あんたが何者なのかはあたしには分からないし、ナイトメアを同行させるのは正直不安だけど……あんたを命がけで守ったジャックは、あたし達の仲間だからね。あたしは、ジャックを信じるよ。」
「赤ずきん……。」
「その代わりっ!黎明に着いて一段落したら、ジャックとあんたがどういう知り合いか、全部話してもらうからね?」
「……もちろんだよっ……!」
アリスに声をかけている途中で限界が来たらしく、ジャックは気絶してしまった。右手からメアリガンを取り落としたジャックの様子に動揺したアリスに、グレーテルがジャックの様子を伝えて落ち着くように声をかけている。そしてみんなが帰る準備をしている中で、気絶してしまっているジャックを背負った赤ずきんが僕に声をかけてきた。正直メルヒェンやナイトメアに強い憎しみを抱いている様子が強く印象に残っていたから、赤ずきんから同行を求められるのは意外だった。流石にここまで来たら僕とジャックのことを聞いてくるとは思っていたけど、僕はここに残り、みんなは一旦ジャックの治療に戻ってまたここで落ち合う約束をする、というような流れになると思っていたから、嬉しい誤算だ。僕のほうも、赤ずきんのこういった前の世界との違いの理由や、今話に出ていたアリスの血式スキルが『ワンダーホール』だということ―僕の知識ではそれはジャックの力であり、アリスのスキルは『ラビットジャンプ』―といった差について聞きたいことがいっぱいある。
ただ、それらはひとまず後でいい。今はジャックの治療が優先だ。そう意識を切り替えて、僕は帰る準備を済ませてこっちを見ているみんなのほうに足を踏み出した。