幸せな終わり   作:ラバジョゼ

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幸せな終わりの余章

これは、下りた幕の内側の出来事―幸せな終わりを迎えた物語が、新たな幸せの幕を開けている証


下りた幕の内側は

 ジャックと姫、僕の三人で行われた話し合いの翌日。姫の希望通り、僕達三人は解放地区に行くことになった。他のみんなは僕達がデートに行くのを聞いても特別反対はしなかった。アリスあたりは僕が二回続けてジャックを連れ出すことに渋い顔をするかもしれないと思っていたのだけど、彼女がそんな素振りを見せることもなかった。姫のことをくららに紹介すること、姫に解放地区の中を案内すること、というれっきとした理由があったからかもしれない。

ただ、もちろんジャックがデートをすることにみんなは思うところがあったわけで、また後日みんなともデートに行くという約束をジャックに取り付けていた。具体的な日程や順番なんかを今日相談するそうだ。

あと、ジャックの姫の呼び方が変わっていることに気づいた何人かの血式少女達も、自分の呼び方を変えるように求めていた。白雪とか、眠りとか。あと、意外なことに赤ずきんもさん付けをやめてほしいと言っていた。自分だけ敬称付きで呼ばれるのは、自分だけ距離を取られているような気がして気に入らないらしい。いつもお姉さんらしくあろうとしている彼女が拗ねたような表情でそんなことを言う様子に、ジャックを含め僕達は随分と驚いたものだ。その可愛らしい行動にジャックは顔を真っ赤にしながら彼女のお願いを聞いていた。もちろん、他の子達のお願いも同様だ。

 そんな今日の出来事を思い出しながら三人で歩いていると、黎明の敷地を出たところでジャックが口を開く。

 

「それで、解放地区を案内するってことだけど、まずはくららのお店に行こうと思ってるんだけど、いいかな、人魚姫さ……人魚姫?」

「……今さんづけしそうになってたよね、ジャックく、ん?」

「ご、ごめん……。」

「やっぱり、まだ慣れない?」

「正直に言うとね……。」

「そっか……ならもうとやかく言わないけど、出来るだけ早く慣れてね?おねーちゃんも言ってたけど、自分だけさん付けっていうのはちょっと寂しいもん。」

「分かったよ、人魚姫。」

 

 姫とジャックが和やかに会話を楽しんでいる。前の世界で共有した時間のほとんどはジャックがナイトメアだったにもかかわらず、二人の間の空気にぎこちなさはない。むしろ、ずっと一緒に過ごしていたかのような気やすさがある。

 

「……そういえば……。」

「うん?どうかしたの、おつうちゃん?」

「あぁ、いえ。……その、ジャック。」

「え、何?」

「その、……ジャックは前の世界のことを、どこまで覚えているんだ?」

 

 そのジャックの態度を見てふと思い出したことを聞いてみる。僕とジャックの距離感は前の世界とあまり変化がなかったし、こっちの世界のみんなとの距離感がどうだったのかを僕は知らないから今まで気が付かなかったけど、姫との距離感、もっと言うと、今の僕との距離感も、少し考えるとおかしいということに気づく。だって前の世界で僕達が一緒にいた時は、ジャックは知性や記憶が殆どなく、言葉もほとんど話せないナイトメアだったんだから。そんな状態のジャックと取れていたコミュニケーションは、かなり大雑把なものだった。にもかかわらず、ジャックの僕達二人に対する態度は赤ずきんたち他の血式少女達に対するものと大差ない。僕達との距離が近いのは嬉しいけど、その理由が分からない。

 それでも、まだ僕に対する態度は理解できなくはない。前の世界では僕はジャックの感情を感じ取ることができていたのだから、それと逆のことがジャックにもあった可能性があるからだ。現にそういったようなことを本人も度々口にしている。言葉を交わした数は少なくても、感情を共有していれば仲が深まったとしてもある程度の説得力はあるだろう。

 ただ、それでは姫についての説明ができない。僕の姫に対する感情を共有していたから、とも考えられるけど、それならジャックが姫に抱く感情は愛でないとおかしい。でもジャックにそんな様子は見られない。姫に対する接し方はあくまでも仲の良い友人、どれだけ高く見積もっても友達以上恋人未満の相手―他の血式少女達も現状だとこの部類に入るけど―に対するものだ。

 そんなちぐはぐなジャックの態度の原因が、前の世界での記憶にあるのではないか。そう僕は考えたわけだ。ジャックが前の世界のことをどれだけ覚えているのか、僕は知らない。特に、前の世界のナイトメアだったジャックが世界をどんな風に捉えていたかなんて想像もできない。引き継いだ記憶が一部だけなのかもしれないし、前の世界の記憶自体が断片的なのかもしれない。もちろん他の可能性もある。

 僕の質問にジャックは少し考えるような素振りを見せてから、ゆっくりと話し始める。それは、慎重に言葉を選んでいるように僕には見えた。

 

「うーん……全部、かな?」

「全部……?」

「うん。つう達に出会う前のことも、つう達に出会った後、ナイトメアになってからのことも全部ね。……もちろん小さな子どもだった時のことなんかは思い出せないけど、少なくとも、つう達と出会ってからのことで、忘れてることはないと思う。」

「でも、前の世界でわたし達と一緒にいた時のジャック君はナイトメアだったよね?その時のことも全部ちゃんと覚えてるの?ナイトメアって、そんなに頭がいいイメージが湧かないんだけど……。」

「それなんだけど、ナイトメアだった時も、別に何か人と違う見え方とか聞こえ方をしていたわけじゃないんだ。だからこそ、君のマイクに残っていた歌を聞いて、きちんと君の歌だって認識できたわけだしね。」

「あ……確かにそう言ってたね。」

「何というか……ナイトメアだった時にはほとんど知性がなかったって話はしたよね?あれは、物を見て何かを考えたり、それを他の人に上手く伝えることができなかった……ってことなんだよ。」

「成程……。」

 

 ジャックの答えは僕の予想していたものとは違った。まさかジャックが全部覚えているとは思わなかった。でもそれはそれで、ジャックが姫に対して親し気な態度を取る理由にはなっている。ジャックにとって、姫と過ごした時間は決して短くないということなのだから。感情のベクトルが僕の思うものと違う理由はいまいちわからないままだけど、それも今のジャックの感情がベースと考えれば納得がいく。そもそも僕だって似たようなものだ。僕も前の世界でジャックのアリスに対する強い感情を感じ取ることは多々あったけど、僕自身はあくまでもアリスのことは仲間の一人だと思っている。正確に言えば一番のライバルと最近は思っているけど、その感情はあくまで僕のものだ。ジャックの感情が流れ込んできたからといって、それに引きずられているということはない。それはジャックも同じ、ということなのだろう。感情については目に見えるわけでもないから、本当のところがどうなのかは正直いくら考えても分からない気がするし、これ以上あれこれ考えても仕方がないだろう。理由はともかく、姫とジャックが親しくしているというのは、二人の恋人としては喜ばしいことなのだから。

 そんな風に一人納得していると、姫が笑顔で声を掛けてきた。もっともその笑顔はいつものような慈愛に溢れたものではなく、稚気に富んだというか、いたずらっぽいものだったけれど。

 

「うんうん。おつうちゃんも普通にお話しできるようになったみたいだし、その格好にももう慣れたってことかな?」

「考えないようにしてただけだから言わないで欲しかったなぁ!!」

 

 姫の言葉に思わず大声で叫んでしまう。自分でも言ったように今の自分の格好から必死に意識をそらしていたのに、今の一連のやり取りでその努力が無駄になってしまった。意識してしまったせいで途端に恥ずかしさが湧いてくるし、僕の大声に驚いた周りの人達の視線がそれに拍車をかける。

 

「うぅ……。」

「……つう、そんなに恥ずかしいの?スカートを穿くのって。」

「当たり前だろうっ!?こんな辱めを受けることになるなんて欠片も思ってなかったんだぞっ!?」

「人聞きの悪いことを大声で叫ばないでよ!それを用意したのだって僕じゃないんだけど!?」

「でもジャックも着てみてほしいって言っただろう!?」

「それはそうだけど……。」

「まぁまぁ、おつうちゃん、落ち着いて。みんなこっち見てるよ?」

「ひぅ……。」

「ふふふっ、そうしてると本当に女の子らしくて、新鮮で可愛いよ、おつうちゃん。」

 

 姫の言葉に顔を真っ赤にしながら、必死にスカートの裾を押さえる。足元がスースーして落ち着かないし、ヒラヒラしているから下着が見えそうで心もとない。おまけに太もものあたりに視線を感じる気もする。他のみんなはよくこんな格好で街を歩いたり探索任務でメルヒェンと戦ったりできるものだ、と心から尊敬する。僕には無理だ。絶対無理だ。今もこの場でしゃがみ込みたいくらいには恥ずかしい。

 そんな僕の今の格好というのは、黒いセーラー服―この世界での血式部隊の制服だ。基本形としては、アリスのものが一番近いだろう。といっても他のみんながそうであるように、細部は結構違う。アリスのようなワンピース型ではなくて上下が分かれたタイプのセーラー服だし、アリスのものが半袖であるのに対し、僕は長袖を手首のところで折り返している。腰のベルトのバックルは鶴を模した飾りになり、手袋もアリスと同じものではなくいつもの白い制服と同じだ。セーラー服の特徴の一つである大きな襟もなく、スカーフの代わりに首元には白と赤のマフラーを巻いている。デザインはいつもの物と同じだから色違いということになるだろう。

 もっとも、僕にとってそこは些細な問題だ。本当の問題は、下が膝上丈のスカートであるということ。赤ずきんのようなホットパンツでもなく、眠りのようなロングスカートでもないそれは、日頃から長ズボンしか穿かない僕にとっては刺激が強すぎる。

 そもそも何で僕がこんな恰好をしているのか。その原因は、今日の朝に遡る。

 

 

 

 

 

「制服の新調、ですか?」

 

 みんなと朝食を取り―その場でジャックの姫への呼称とか今日の予定とかで色々あったため、朝食というには食べ終わるまでに随分時間がかかったけど―解放地区に行くことを視子さんに伝えるために救護室に行った僕達に、視子さんはそう言ってきた。問い返す僕の言葉に頷いた視子さんは、その場にいたハルさんのほうに視線を向ける。その視線を受けて今度はハルさんが口を開いた。

 

「血式部隊の制服ってのはただの服じゃねぇ。メルヒェンとの戦闘に使うことを前提にした防具でもある。それは、前の世界とやらでも同じだったんじゃねぇか?」

「はい。僕達もそう聞いたことがあります。」

 

 ハルさんの言葉に僕はそう返す。僕達がまだ小さかった時にこの制服は作られ、以来僕達の成長に合わせて何度もサイズを変えて作り直されてきたわけだけど、その目的自体は昔から変わらない。

 

「そういえば、おつうさん達の制服は私達の物と見た目が違うけど、何か理由があるのかしら?」

 

 制服についての話になったところで思い出したのか、この場に、正確にはジャックについてきていたアリスが口を開いた。

 ちなみにアリスがついてきているけど、それには何か用事があるから、といった特別な理由は何もない。ただアリスがジャックと一緒に居たがったから、それだけだ。

 僕だけでなく他の血式少女達とも恋人になったジャックだけど、彼はまだ僕やみんなに対する恋愛感情を抱いていない。抱いていないのか自覚していないだけなのかは分からないし、それは大きな違いだけど、少なくとも自覚できるほどはっきりした愛情を持っていないのは確かだ。それでもいいからと僕達はジャックに告白したわけだし、ジャック自身も僕達に恋愛感情を持てるように努力すると約束してくれたけど、いつまでもこのままの状態でいるつもりは僕達にはない。そのために、みんなも色々アプローチを考えている。今日僕達がジャックを連れて解放地区に行くのに誰も反対しなかったのも、一先ずプランを練ることを優先したから、というのもある。実際みんなは後日ジャックとデートに行く約束を取り付けていたし、今日を含めそれまでの時間を使ってその時のためのプランを考えたり、異性に対するアピールの仕方を勉強すると言っていた。

 そんな中、朝食の席でそんな話をし、朝食が終わった後は赤ずきんを筆頭に元気よく食堂を飛び出していったみんなと違い、アリスだけはその場に残ってこうして僕達についてきている。理由は先のとおり。

ジャックを誰よりも愛しているのは自分だと豪語したアリスなら、誰よりもジャックに愛されるために手を尽くすだろうと考えていた僕としては、彼女がのんびりとしているというか、落ち着いている様子なのは少々意外だった。

 アリスがジャックについていきたい旨を話す傍らその理由を考えていたことが顔に出ていたのか、姫が僕のそばにやってきて、あくまでも自分の想像だと断ったうえでアリスの行動の理由を話してくれたけど、僕はそれを聞いて成程と感心した。

といっても、そこまで複雑なことでもなかった。簡単に言ってしまえば、姫の予想はアリスは今浮かれている、ということだったのだから。

 長年ジャックとともに過ごすことで生まれた強い信頼関係と、それに基づく二人だけの距離感。そして、醸成された愛情。それとは逆に、告白に失敗してしまうことでそれらが失われてしまうことに対する不安と、その二つに板挟みになっているという苦悩。本人の自覚はともかく、それらが合わさった複雑な感情を抱き続けていたアリスは、しかしつい先日、ジャックと恋人になるという最上の結果を手に入れた。その結果として、長年抱え続けていた感情の重圧から解放されたアリスの心は、ジャックと恋人になれた喜びで飽和した。それによって今までは抱えていた不安によって抑圧されていたジャックに対する感情を抑えきれなくなり、感情に従って存分にジャックに甘えようとしているというのが、今のアリスの状態なのではないか、と。

 姫の分析に感心している僕に対し、姫は若干呆れながらもさらに補足してくれた。今のアリスは強敵だから、ジャックの一番になりたいなら注意した方がいい、と。姫曰く、日頃理性的に行動するアリスが、自分の心に素直になり、恋する乙女全開でジャックに甘えている今の状況は、恋愛経験に疎く、僕達の告白で僕達のことを異性として意識し始めたジャックにとっては破壊力抜群だから、とのこと。ついてくる理由を聞いたジャックに微かに頬を朱に染めながら柔らかな笑顔で答え、嫌ならばいいと寂し気な表情で言うアリスの様子は、確かに僕から見ても可愛らしいものだった。そして、それに顔を赤くするジャックの様子は、確かに僕からすると面白くはなかった。姫が呆れた表情だった理由も分かった。僕達がジャックのことで火花を散らしていた様子を見ていたから、姫は僕に助言をしてくれたのだろう。

 もっとも姫はそれなら僕がどうするべきか、ということについての助言はくれなかった。みんなで幸せになる、が目標の姫からすれば、いくら恋人とはいえ僕だけに肩入れをするのは不公平だと思ったのだろう。姫の考えは理解できたし、僕自身自分の好きな人は自分の力で振り向かせるべきだと思ったから、姫にそれ以上の助言を求めることはしなかった。

 

「えっと確か……そうだ、親指ちゃんがこの色がいいって言ったからだったと思う。おねーちゃんの服も最初は今と同じ色だったけど、その話の後で変わったの。」

「へぇ、親指姫が……。人魚姫さんたちの服は、なんだかタイヨウ教団の人と似ていると思っていたのだけど、親指姫が提案していたというのなら不思議はないわね。彼女達三姉妹は確か、タイヨウ教団出身だと言っていたし……。」

 

 アリスを見て救護室に来る前のことを思い出していた僕に代わり、姫がアリスの質問に答えてくれた。それを聞いて僕も思考を今のことに戻す。姫の言葉を聞いて、僕も思い出した。親指の提案に僕も賛成したはずだ。確か、雪みたいで素敵だと言ったのだったか。

 

「二人とも、話を戻してもいいかしら?この後出かけるのでしょう?」

「あっ、ごめんなさい、話の腰を折ってしまって……。」

「気にしないでいいわ、アリス。私も少し気になっていたことではあったもの。……それはともかく、貴方たちも血式部隊のメンバーとしてこれから活動していくのだから、制服は揃えたほうがいいと思ったのよ。『黒と赤の制服に身を包んだ少女達』として、血式部隊は認識されているのだからね。グレーテルと……念のためハーメルンの分も、そのうち準備するつもりよ。」

 

 そんな風に僕達が盛り上がっていると、視子さんが苦笑しながら口を開いた。その視子さんの話を聞いて、僕はそういうことかと納得する。視子さんの言うことももっともだ。黎明の職員の制服も同じ色なわけだし、この世界に来て日が浅く、まだ解放地区の人達に知られていない僕達が黎明に所属していることを分かりやすく示すことにもなるだろう。順番的には僕達よりも血式部隊に加わったのが早いグレーテルたちが後回しなのは、服の変更に素直に応じるかどうか、がかかわっている気がする。聞いていないから断言はできないけれど、他に思い浮かぶ理由もないのだし。それはともかく―

 

(制服、か……。)

 

 もう何年も着てきた制服を変えるというのに抵抗がないわけではないけど、僕達が今生きているのはこの世界だ。少々大げさな表現になってしまうけれど、この世界の在り方には従うべきだろう。

 何より、この世界での黎明とタイヨウ教団の仲は、前の世界ほど悪くないと聞いている。千昭も、生きていると聞いている。それを聞いたときは胸が熱くなったし、この世界での監獄塔の攻略の時に色々とあったせいで今はタイヨウ教団も慌ただしくなっていると聞いているから今すぐとはいかないけど、もう少し時間が経ったら、姫と一緒に二人―ミチルと千昭のところにも顔を出そうと思ってもいる。もちろん二人は僕達のことを知らないだろうけど、成長した千昭と、その千昭とミチルが二人一緒にいる光景は、例え二人に忘れられていたとしても、見に行くだけの価値があると思っている。

 だから、今この制服の色に拘る必要はない。姫のほうに視線を向けてみると、姫もこっちを見ていたようで視線がぶつかる。視線の先で姫はそっと頷いていた。それを見て僕は視子さんに向けて口を開く。

 

「分かりました。そういうことなら……。」

「ありがとう。人魚姫もそれでいいかしら?」

「はい。」

「そう。なら早速で悪いのだけど着替えてみてもらえない?」

「え?もう準備できてるんですか?」

「えぇ。……もう準備はできたのよね?」

「まぁな。もっとも、他の血式少女の予備を少し手直ししただけだが。」

「と、いうことなのよ。そっちの……ベッドがあるほうなら、カーテンで仕切れるから、そっちで順番に着替えてみて。問題があるようなら、これから直してもらうことになるから。」

 

 そう言って視子さんはハルさんから受け取った袋を渡してくる。その中に今話に出てきた制服が入っているのだろう。僕は姫に先を譲る。こういう時はレディーファーストだろうと思ったからだ。僕も性別的には女だけど、僕は姫の王子様なのだから。

 

「……着替えてみたけど、どうかな?」

「おぉ、とってもお似合いですよ、姫!ジャックもそう思うだろう!?」

「へっ?あ、う、うん。良く似合ってると思うよ、人魚姫さん。」

「む……。」

「あ、あれ?人魚姫さん?」

「……呼び方……。」

「え?……あ。……よ、よく似合ってると思うよ、人魚姫。」

「うん、ありがとう、おつうちゃん、ジャック君。……ジャック君は、呼び方を間違えなかったら満点だったね。」

「うっ……。」

 

 昨日の夜、さん付けをしないで呼ぶと姫と約束したのを忘れて今まで通りの呼び方をしたジャックを、姫は頬を膨らませながら睨む。といっても、いつもより幼い印象を与えるそんな仕草に恐ろしさはなく、むしろ可愛らしい。そんな風に伝えられた不満を受けて、ジャックは苦笑しながらやり直しをしていたし、最後のダメ出しを受けて気まずそうに顔を背けていた。

 それはともかくとして、カーテンを開けて出てきた姫の姿を見て、その可憐さに僕は惜しみない称賛を送る。姫が着ていたのは、いつもの制服のカラーリングのみが異なるものだった。白の部分が黒に、黒の部分が白に、青の部分が赤に置き換わったそれは、制服の新調と聞いて一番最初に予想したものだった。

 しかし予想通りの姿だったとはいえ、その美しさは予想を上回るものだった。黒を基調とした制服は、姫の銀の髪や白い肌、青い瞳をより一層引き立てている。いつもの白い制服に身を包んだ姫には儚さの同居した妖精のような可愛らしさがあったけど、今の姫には儚さの代わりに妖艶な大人っぽい美しさを感じる。そんな新鮮なギャップが―

 と、そんなことを考えていると、何故か姫が顔を真っ赤にして俯いているのに気が付いた。他にも視子さんとジャックは苦笑いを浮かべながら、ハルさんは呆れたような表情で、アリスは冷たい目をして、とそれぞれ異なる表情を浮かべながら僕のことを見ている。そんなみんなの視線の意味が分からず呆けた顔をする僕に、姫が消え入りそうなか細い声で声を掛けてくる。

 

「………おつうちゃん、全部声に出てたよ……。」

「へ?」

「…残念ながら人魚姫の言う通り、貴方は人魚姫の制服姿の感想を全部口に出していたのよ。」

「えぇっ!?」

「あー……まぁいいんじゃねぇの?お前と人魚姫は恋人なわけだし、興奮すんのも分からなくはないしな。」

「まぁ言ったのが女の子であるおつうさんでなければ、間違いなく変態扱いされるだろうくらいには、興奮していたけれど。」

「がはっ!?」

 

 みんなから立て続けに告げられる事実に心が痛い。特に最後のアリスの発言のダメージが大きい。確かに姫の服装を見てそのあまりの可愛さに興奮したのは事実だし、そのせいでうっかり感想が口から出ていたのは僕の落ち度だ。でも、そんなにはっきり罵倒しなくてもいいじゃないか。ハルさんの言った通り、僕は姫の恋人なんだし。

 

「あはは……まぁ、確かにいつもとは違う新鮮な感じがするのは確かだね。……そういえば人魚姫さ……人魚姫。やっぱり、服装を変えた時は、しっかり感想を言った方がいいのかな?」

「へ?あ、うーん……。わたしはやっぱりそっちの方が嬉しいかな?どんな風に思っているのか言ってくれた方が、ちゃんと見てくれてるって分かるもん。でもそれがどうかしたの?」

「いや、僕もそういう風な……何というか、女心みたいなものを勉強した方がいいのかなって。その……恋人がたくさんいるわけだしね。」

 

 そんな僕達の様子を見ていたジャックが、苦笑しながら僕のフォローをしてくれる。続けてジャックは未だ顔を赤くしていた姫に質問をしていた。表情は変わらなかったけど、その質問をした時のジャックの雰囲気は、ただの雑談をしているにしては少し真剣さが強いように感じた。

 そんなジャックの雰囲気に当てられたのかはさておき、姫は顔色を元に戻してジャックの質問に返事をしていた。単に気が付かなかったのか実際に間違えなかったからなのかは分からないものの、ジャックが呼び方を間違えそうになった時にそれを指摘しなかった姫だけど、ジャックの質問の意図については質問し返していた。その質問にジャックは、表情を複雑なものに変えながら返答する。

 そのジャックの表情を見て少し悲しくなる。視界の端でアリスも眉をひそめている。

 紆余曲折を経て、今ジャックには総勢十一人もの恋人がいる。そしてジャックは未だ、僕達に対する明白な恋愛感情を持っていない。僕達はそれでもいいからと恋人になってもらったのだし、ジャックに僕達への恋愛感情を持たせるためにこれから具体的な行動に出るつもりでいたのだけど、僕達の告白を受けて、ジャックもジャックなりに僕達のことを恋人として大切にしてくれようとしているらしい。

 その気遣いは、純粋に恋人として嬉しい。そんな風に、彼からも積極的に動いてくれようとしてくれるのも、彼を愛する者として喜ばしい。

 けれど―できればその複雑そうな顔は辞めてほしいと思ってしまう。もちろんジャックに悪気がないのは分かっている。ジャックはきっと、僕達に対して負い目があるからあんな表情をしているのだろう。恋愛感情を自覚できていないこと。複数の恋人がいること。僕達が望んだこととはいえ、僕達の関係は傍から見れば確かに異常だ。赤ずきんが数日前に、姫からのお願いを聞いてジャックが約束した内容を受け入れがたいと思ったのと同じように、ジャックの感性も少なからず現状に対して拒否感や罪悪感を抱いているはずだ。

 それが普通だというのは分かる。ジャックが僕達のことを大切に思ってくれているから、傍から見れば僕達を蔑ろにしているような現状に心を痛めているのも分かっている。それは分かっているけど、それでも、僕はジャックにそんな顔をしてほしくない。僕達は、彼を困らせるために告白したのではない。彼のことを愛しているから、彼とともに笑っていたいから告白したのだ。ジャックには、僕達の愛する人には、笑顔でいてほしいと、そう思う。

 

「……大丈夫さ、ジャック。」

「つう?」

「時間はいっぱいあるんだ。これからゆっくり進んでくれればいい。」

「おつうさんの言う通りよ、ジャック。…それに、ジャックが心から好きだって言ってくれるようにするのが、私達の目標なんだもの。だから、そんな顔はしないで。」

「アリス……。うん。二人ともありがとう。」

 

 ジャックの右手をそっと握る。それとほぼ同時に、アリスが左手を握っているのが見えた。驚いた顔でこっちを見てくるジャックに、微笑みながらそう告げる。僕が言いたいことの残り半分は、その後にアリスが言ってくれた。アリスも僕と同じことを考えていたようだ。

 僕達の言葉を聞いて、ジャックの雰囲気がいつもと同じ柔らかいものに戻る。お礼を言いながら僕達に微笑みかけたジャックが、僕達の手を握りかえしてくれる。

そのまま三人で見つめあっていると、僕達の様子を黙って見ていた姫たちが声を掛けてきた。

 

「うんうん、三人ともとっても仲睦まじい感じで、凄く恋人っぽいよ。」

「えぇ、本当にね。」

「あー、まぁ、なんだ。仲がいいようで何よりだ。……つーかジャック、お前今のままでも十人以上誑し込んでんだぞ?もっと男を磨くとか、これ以上恋人増やす気か?」

「いやっ、そんなわけないでしょう!?」

「……あの、ジャック……?そんなこと、しないでね……?」

「僕もアリスに賛成だな。大体もし仮にそんなことになっても、正直その人とは仲良くなれそうにない。」

「二人とも!?ハルさんの言ったことは冗談だからねっ!?僕はそんなことしないよ!?」

 

 姫と視子さんの言葉に頬を赤らめていた僕達三人は、僕達の様子を疲れたような表情で見ながら口を開いたハルさんがニヤニヤ笑いに表情を変えて続けた言葉に、それぞれ表情を変えて口を開く。アリスは悲しみと不安が混ぜ合わされた表情、ジャックは焦りと驚きが混ざった表情、僕は微かな怒りと真剣さの混ざった表情だ。自分の顔は見えないから想像だけど。

 アリスは本気でジャックが恋人を増やす可能性を考えたらしいけど、僕はそっちについてはそこまで心配していない。自分でも言ったように、ほぼ確実に仲良くできないからだ。そもそも僕達がジャックと全員で恋人になるという選択ができたのは、僕達の間に強い絆があったからだ。数日前の血式少女達だけでの話し合いの時にシンデレラが言ったことがその証拠だ。自分一人で好きな人を独占することができなくなるとしても、他の人が恋に破れるのを見たくないと思えるほどの仲間意識が、僕達にはある。これがもしただ同じ人を好きになった他人同士だったとしたら、普通は確実に奪い合いになるはずだ。そしてそれは、僕達の間に他の人が割り込もうとしたとしても同じだ。もちろんこれがもし新しく見つかった血式少女だったりしたら話は別だけど。血式少女という共通項があり、危険な探索任務をともに繰り返していれば、例え過ごした時間が短くとも、僕達との間に強い信頼関係を築くことができるだろうから。

 でも、そんな偶然が起こる可能性はとても低いわけで、そうなると新しくジャックと恋人になろうとする人は普通の人間ということになる。そしてそうなった時、ほぼ確実に、新しく入ってきた人が破れる。当たり前だ。もし仮に知らない女が僕達の間に入り込もうとしたとしたら、僕達はまず間違いなく全員で協力してその女を排除しにかかるのだから。一対十一で勝てるわけがない。何より、僕達は血式少女だ。普通の人間とは桁違いの戦闘力を持っている。勿論実力で排除しにかかるなんてことを僕はするつもりはないけど、全員がそうとは言えない。何人か怪しい人がいるのは否定できない。随分と殺伐としているけど、返り血に塗れながら戦うのが僕達血式少女……って、これは流石に洒落にならないか。

 まぁそれはさておき、そんな理由があるからジャックが僕達以外に恋人を増やすなんて心配はいらない。ジャックも流石に僕達全員の反対を押し切ってまで誰かと恋仲になろうとはしないだろう。そんなことをしたらジャックはともかく、相手の女が先に音を上げることになるのだし。

 けど、それを考えて不快にならないわけではないのが乙女心なわけで。誰か見知らぬ女性とジャックが仲睦まじい様子で一緒に解放地区を歩いている様子なんて、想像しただけでも心の底からふつふつと怒りが―

 

「あの……つう?」

「ん?何だい、ジャック?」

「いや、あの……手、緩めてくれないかな?すごく痛いんだけど……。」

「へっ?……あっ、ご、ごめんよ、ジャック……。」

「ははっ!ホントにモテモテだな、ジャック。」

「……もとはと言えば、ハルさんの冗談のせいなんですが?」

「……そういやつうは制服の試着がまだだったな。この後くららのところに行くんだろ?早く済ませちまったらどうだ?」

「……まぁいいですけど。」

 

 一人どこぞの馬の骨、もとい、見知らぬ女性に怒りを燃やしていると、困ったような声でジャックに呼び掛けられた。どうやら怒りが行動に出ていたらしい。ジャックに八つ当たりしたところで何の意味もないから、すぐに謝って手を放す。

 手をさするジャックを見ている僕に笑いながら声を掛けてくるハルさんを半眼で見ると、ハルさんは顔と話をそらしてしまった。その背中に思わず恨みがましい目を向けてしまうけど、ハルさんの言うことも一理ある。一つ溜息をついてから、僕も制服に着替えるためにカーテン付きのベッドのほうに向かった。

 後にこの時のことを振り返ると、僕は油断していたと言えるだろう。姫の制服が予想通りのものだったこともあって、僕の新しい制服というのも今着ている制服の色違いだと、信じて疑わなかった。だから、最初袋から取り出した服が女物のセーラー服だというのを見て思考が停止した。

 

「……あの……。」

「あら、どうかしたの、つう?」

「……僕の制服というのは、どれでしょうか……?」

「は?いや、袋に入ってただろうが。」

「……これ、女物ですよ……?」

「……あなた、女の子でしょう?」

「それはそうですけど……え?まさか本当に……?」

「だから、それがお前の分だぞ。」

「嘘でしょうっ!?」

 

 あまりのことに半ば思考停止してしまった僕は、カーテンの隙間から顔だけ出して視子さん達に確認を取る。もしかしたら、これは何かの間違いなのではないかと。そんな淡い希望に縋ってされた僕の質問に、しかし二人は無情な答えを返してきた。それを聞いてとうとう僕は叫び声をあげる。

 

「僕にこんな恥ずかしい格好をしろと!?」

「……私達は、いつもそれを着ているのだけど?」

「あっ、いやっ!アリス達にはとっても似合ってると思うけど!なんで僕もこれなんですか!?いつもみたいな制服でいいじゃないですか!」

「他の奴の予備を手直ししたって言ったろ?血式部隊の制服には、男物はねぇんだよ。」

「いや、ジャックの分がありますよね!?僕もそれでよかったのでは!?」

「なんだ、ジャックとお揃いが良かったってか?」

「そ、それは……っていやそうじゃなくて!!」

 

 僕の発言に微かに怒りの表情を見せるアリスとハルさんの茶化しに少し焦りながらも、僕は自分の意見をしっかりとハルさん達に主張する。ここで引き下がるわけにはいかない。流石にこれを着るのは恥ずかしすぎる。しかし本気で異議を申し立てる僕に対し、ハルさんの態度は実に飄々としたものだ。

 

「あー……まぁ、真面目な話をするとだな。ジャックが来ている制服は、あくまでも黎明の男性職員用の制服を補強しただけのものだ。だから、お前たちが来ている物ほど耐久性が高くない。」

「え?そうなんですか?」

「前の世界とやらでは必要なかっただろうから、知らねぇのは無理もないがな。……話を戻すが、直接戦うことがないジャックはともかく、お前は防御力がないと困るだろ。」

「う……それはそうですけど……。」

「大体、ちょっと前に俺に『女なので。』とか堂々と言い切ったのはお前だろうが。それを聞いてたから、俺もわざわざ男物の制服を新しく作ったりしなかったんだよ。」

 

 未だに渋る僕を見かねたのか、ハルさんが揶揄うような表情をやめてこの女物の制服を準備した理由を話してくれる。その意外としっかりとした理由に僕の反論が途切れる。確かに血式部隊の制服が防具を兼ねている以上、防御力はないと困る。特に僕は親指達のような純粋な後衛ですらないから、メルヒェンの攻撃を受ける可能性も高い。それを考えると、確かにハルさんの言う通り戦闘に参加しないジャックと同じものを着るわけにはいかない。その点は、ジャックの制服が他のみんなと違うものだというのは知らなかったとはいえ、ジャックが普通に制服を着ていたからと、この世界の血式部隊には男物の制服もあるのだと勝手に考えていた僕の落ち度だ。それに、僕がハルさんに対して自分が女であることを強調したのも事実。ジャックとのことを説明するのには大切なことだったし、僕が女であるのはれっきとした事実なわけだから、まだ付き合いの浅いハルさんが僕の発言から、僕が制服は男物を着ているとはいえ女物の服も着るのだと判断してもおかしくはない。つまり今のこの状況の原因は、ほぼすべて僕の自業自得というわけだ。

 それは分かる。分かるが、出来れば一言僕に相談してからにしてほしかった。相談されればほぼ間違いなくこんなことにはならなかった。思わず顔に手を当てる。その様子から僕の強い拒否感を感じ取ったのか、それまで黙っていた視子さんが僕に声を掛けてくる。

 

「仕方ないわね……。つう、新しく制服は作ってもらうから、今日は試着はしなくていいわよ。」

「本当ですかっ!?」

「流石にそこまで嫌がっているのを見て、無理やり着せるつもりはないわ。」

 

 視子さんの言葉に声を弾ませて問い返す。その僕の様子に苦笑しながら視子さんが言葉を続ける。その言葉は僕にとっては願ってもないものだった。これでこの制服で今後戦闘や探索にあたるなんてことにならずに済む。ハルさんに手間をかけさせるのは忍びないけど、これで一安心だ。

 ほっと胸をなでおろした僕はカーテンを開けてジャック達のところに戻ろうとして―

 

「あっ、視子さん。やっぱり試着はさせてあげてください。」

「……へっ……?」

 

 姫の言葉に動きが止まる。姫の言ったことが理解できない。正確には、理解することを脳が拒んでいる。

 僕のそんな様子を無視して、姫は視子さんとの話を続ける。

 

「私は構わないけど……つうは嫌がってるわよ?」

「おつうちゃんは嫌がっているんじゃなくて、女の子っぽい格好をする機会が今までなかったから、恥ずかしがっているんですよ。それに、今日はおつうちゃんが女の子らしく振る舞う練習もかねての外出なので、ちょうどいいかなって。」

「ちょ、ちょっと待ってくれ姫!ま、まさか本気……じゃないよね?」

「もちろん、本気だよ?」

「そんなぁ!?」

 

 そのまま放っておくと大変なことになる気がした僕は、慌てて姫と視子さんとの会話に割り込む。恐る恐るした僕の質問に、姫は笑顔で絶望的な答えを返す。その笑顔はいつもの可愛らしい笑顔だったけど、今の僕には下手なメルヒェンよりも怖かった。黒い制服と相まって、まさに美しい死神といった風情だった。

 顔から血の気が引いていく。まずい。この流れはまずい。今まで姫と過ごしてきた僕の経験が、最近の姫の行動力を知っている僕の直感が、このままではこの制服を着る運命から逃げられないと告げている。

その状況を改善できる手を必死に考える。しかし、姫の行動のほうが一段早かった。

 

「だって、せっかくハルさんがわざわざおつうちゃんのために作ってくれたんだよ?一回も着ないなんてもったいないし、ハルさんにも失礼だよね?」

「うっ……。」

「それに、おつうちゃんだってジャック君の恋人なんだから、少しは女の子らしいところも見せないと。わたしのために王子様っぽく振る舞ってくれるのは嬉しいけど、あんまりやりすぎるとジャック君から男友達みたいに扱われちゃうよ?他のみんなが恋人として扱われている中で、一人だけそんな風になってもいいの?」

「ぐふっ……!」

 

 姫の言葉が僕の心に突き刺さる。特に、僕だけジャックに男友達扱いされる場面が何故か妙にはっきり想像できたせいで、あまりのダメージに膝をつく。まだカーテンを閉めたままだから、その様子はみんなからは見えていないだろうけど。

 

「い、いや、つう?大丈夫だからね?僕はちゃんと君のこと、女の子として見てるよ?」

「ジャックっ……!」

 

 そんな僕の様子を心配してか、ジャックが僕に励ましの言葉を送ってくれる。良かった。ここでジャックにまで姫の言葉で納得されたらと思うと肝が冷えた。

 ジャックにはちゃんと女の子として扱ってもらえているということが分かり、微かに希望が見えた気がした。僕はジャックにさえ女の子として扱えてもらえればいい。そして、それは既に果たされている。ならば、今から無理に女性らしさを身に着ける必要はないはずだ。それを軸に姫の意見に反論しよう。僕一人では姫に勝てないけど、ジャックが僕の意見を肯定してくれれば姫も引き下がるはず。そう考えた僕はジャックを味方につけるために声を掛けようとして―

 

「でも、ジャック君も見てみたいよね?おつうちゃんの新しい制服。」

「え?そ、それは…………うん。」

「ジャックー!?」

 

 あろうことか、その本人に速攻で裏切られた。目を見開いて、頬を微かに赤らめて顔を背けるジャックを見る。あまりに早すぎる掌の返し様に言葉が出ない。逆に姫は笑顔で頷いている。

 

「うんうん!やっぱりジャック君もそう思うよね!」

「まぁこんなことでもないと、つうがみんなと同じ制服を着る機会なんてないだろうから……折角ならって。もちろんつうが本当に嫌なら、無理にとは言わないけど……。」

「だって、おつうちゃん?」

 

 ジャックの考えを聞いた姫が、笑顔で僕に決断を迫ってくる。その横でジャックは、微かな期待と大きな不安が混ざった瞳で真っすぐに僕を見てくる。その様子はまるで捨てられた子犬のようで、僕の罪悪感を大いに刺激する。無理にとは言わないというのならその表情はやめて欲しかった。

 ここで断ると、きっと僕は後で今のジャックの表情を思い出して後悔することになる。逆に渡された制服を着たとしたら、後でそのことを思い出して恥ずかしい思いをすることになる。どっちに転んでも嫌な思いをするということだ。どうしろというのか。

 いや、まぁ、その二つなら―

 

「……分かった、分かったよ!着ればいいんだろう!?」

「「ホントっ!?」」

「貸し一つだからなっ!?」

 

 僕はジャックの希望を叶えるほうを選ぶんだけど。完全なる惚れた弱みである。僕の返事に笑顔を浮かべるジャックと姫を見ながら諦めの溜息をつく。

 それに貸し一つとは言ったものの、姫の件に始まり僕のほうがジャックに対して数えきれないほどの借りがあるわけだから、実際は僕がジャックに対して恩を返していると言った方が正しい。それは僕の心情的に苦痛だから、あえて貸しということにしているだけだ。返してもらうつもりはないし、むしろ返されても困る。主に僕の債務超過による罪悪感という意味で。

自分から着ると言ってしまったから、決心が鈍らないうちにさっさと着替えてしまおう。僕達のやり取りをニヤニヤしながら見ていたハルさんの視線を無視して、僕はカーテンの隙間から出していた顔を引っ込める。

 袋から出した黒い制服を改めて眺めてみる。全体的なデザインとしては落ち着いた雰囲気のセーラー服であり、あまり馴染みのない黒が基調であるという点を加味しても悪くないと思う―自分で着るのでなければ。このセーラー服のスカートはそれなりに丈が短い。膝にまで届かない可能性だってあるくらいの丈なのだ。せめてもの慰めはアリスのものほどミニではないということだけど、スカートを穿いた記憶も、セーラー服を着た記憶もない僕にいきなりこれを着ろというのは、一種のいじめだと真剣に思う。

 ただ、どれだけ恨みがましく思ったところでスカートの丈が伸びることはない。そこはもう諦める。その代わり、制服を眺めている時に気が付いたことがあった。それを解消するために、僕はもう一度袋の中に手を伸ばす。僕の予想通りならこの中に―

 

「-あった。」

 

 そう呟いて、僕は袋の中からもう一回り小さな袋を取り出す。それを開くと、中から女性用下着が出てきた。予想通りの中身を見て、僕はもう一度ため息をつく。

 僕が制服を見て気づいたこと。それは、胸元が妙にゆったりしていることだ。それを見て僕は、数日前の視子さんとのやり取りを思い出していた。検査のために上着を脱いだ僕を見た視子さんは、僕が晒で胸を押さえているのを見て呆れつつも僕を窘めたのだ。体を縛り付けたり過剰に押さえつけたりするのは、健康的な面で避けたほうがいいと。その時は注意されただけだったけど、おそらく制服を変えるのを機にやめさせようと思ったのだろう。新しい制服は、僕の本来の胸の大きさに合わせてサイズが調整されていた。晒を巻いたままだと胸元がぶかぶかになってしまう。

 ここで意地を張って晒を巻いたまま着たとしても、どうせすぐに外す羽目になる。それが分かったうえで晒を巻いたまま制服を着たりはしない。完全に時間の無駄だからだ。大人しく晒をほどいて用意されていた下着に着替える。なんだかどんどん流されているような気がするけど、抗っても変わらないことに抗うつもりはない。この後もまだ予定があるのだ。それを前に余計な体力と気力を使いたくないというのが本音だ。

 新しい制服を着て、ベルトも締める。予想通り膝上までしか丈がなかった制服のスカートはヒラヒラして非常に頼りない。こんな格好でよくみんなは平気だなと感心しつつ、この後ジャック達の前にこの姿で出ないといけないことを思い出して憂鬱になる。   

 姿見がないから今の自分の格好がどんな風になっているかは分からないけど、今更ながら、似合わなかったらどうしようという不安が頭をもたげる。女の子として扱ってくれるジャックに僕は心惹かれたのだし、そう扱ってもらえるのに喜びを感じるのは確かだけど、僕が他のみんなよりも女性らしさに欠けているのは事実だ。その自覚もある。姫のために、女性ではなく王子さまらしくあろうとしてきたのだから。それを後悔なんてしていないし、その結果女性らしさが乏しくなったのだから仕方ないと受け入れることもできるけど、それでも、仮にジャックに女性らしい格好は似合わない、とでも言われたら流石に落ち込む。もちろんジャックがそんなにはっきりダメ出しをするとは思わないけど、微妙そうな顔をされたりコメントに困ったような表情をされるくらいは、嘘の下手な彼ならありえる。

 カーテンを開けて今の姿を見せるのは不安だ。けれど、ここで躊躇するのは別の意味でまずい。ここで時間をかけすぎると、僕が今の格好に不安を抱いていることがバレてしまい、ジャックの正直な感想が聞けなくなる可能性もあるからだ。僕が不安に思っていると気づけば、彼はきっと気を使って僕が傷つかないような感想を考えるだろう。そうなれば似合わないと言われることはないかもしれないけど、気を使わせて褒められても意味がない。似合わないと言われるのは嫌だけど、だからといって嘘をつかれたいわけでもない。毒を食らわば皿まで。せめて正直な感想を聞きたい。

 それに、元々女性らしくないのは分かっている身だ。今更改めて指摘されたからといって落ちこんでも仕方ないし、今は駄目でもこれから努力すればいい。どうせジャックに愛してもらえるように努力しなくてはいけないのだ。女性らしくなるのというのは女性として愛してもらえるようになるのに必要なことだし、そっちもこれから努力するとしよう。

 そう開き直った僕は、軽く自分の姿をもう一度確認してから、自棄気味にカーテンを開ける。

 

「……どうかな?」

 

 ジャックや姫の視線が、カーテンを開けて出てきた僕に向けられる。いくら開き直ったとはいえこうして実際に人に見られると、不安と緊張と羞恥で今すぐカーテンを閉めてその視線から逃げたくなったけど、せめて感想を聞くまでは堪えようと弱気になりそうな心を奮い立たせる。

 カーテンの向こうから姿を現した僕を、ジャックは最初目を丸くして見ていた。次いでその視線が全身に動く。他のみんなほど異性に視線を向けられることが少ないから断言はできないけど、その視線には別段嘗め回すような厭らしさはなくて、代わりに妙なくすぐったさがあった。けれどそれが不快ではなくて、むず痒いけどやめてほしくもなくて。そんな複雑な感じに、思わず軽く身をよじる。

 その僕の動きでジャックが我に返ったかのように表情を動かす。次いで徐々に頬の赤みが増し、その頬が緩んで柔らかな微笑を形作る。そのまま僕の目を真っすぐ見ながら口を開く。

 

「うん!すごく似合ってるよ、つう!」

「ほ、本当かい……?」

「もちろんだよ!雰囲気というか、表情というか……とにかく、いつもより柔らかい感じがしてすごくドキドキするし、顔を赤くしてスカートの裾を気にしているところもすごく可愛いと思う!それにいつのも白い制服を着ている時は凛々しい感じがするけど、今はお人形さんみたいな儚い感じがして守ってあげなくちゃいけない感じもするし、あと―」

「も、もういいから!十分分かったから!恥ずかしいからやめてくれ!」

「え?あ、ご、ごめん……。」

 

 ジャックの口から飛び出す怒涛の誉め言葉の連続に耐えきれなくなった僕はジャックを止める。僕の言葉でジャックは正気に戻ったらしく、自分のやっていたことを思い出して僕から顔をそらした。

 まさかジャックにあそこまでべた褒めされるとは夢にも思っていなかった。ジャックの今言ったことを思い出してまた頬が熱くなる。心臓がうるさいほどに胸の中で暴れている。僕に新しい制服姿を褒められた時の姫もこんな気持ちだったのだろうか。だとしたら、姫があれだけ顔を真っ赤にしていたのも理解できる。好きな人にあれだけの熱量で称賛されるというのは凄まじく恥ずかしいし、何より堪らなく嬉しい。愛する人の目に魅力的に映っているという事実。意識を独占しているという優越感。熱のこもった視線を向けられているという感覚。他にも多くの要素がすべて幸福感となって胸を満たす。その幸せに満ちた心のもたらす熱は、その場にとどまっているのも難しいほどに切ない。

 

「ふふっ、よかったね。おつうちゃん。」

「まさかジャックがあそこまで情熱的に女の子を褒めるなんてね……。」

「……私も何かいつもと違う私服を探すべきかしら……。」

「あージャック。お前はあれだ。女心を学ぶとか言ってたがいらんだろう。むしろやめろ。」

 

 姫たちが僕とジャックのやり取りに思い思いの感想を口にする。感想もばらばらだけど、それを口にするみんなの表情もばらばらだった。姫は笑顔で、視子さんは目を丸くし、アリスは真剣な表情で、ハルさんはうんざりしたような顔をしている。ハルさんは数日前にジャックとアリスが抱き合っているのを見た時も同じ顔をしていたから、僕達の様子はそれと同じくらい甘いものだったということだろう。それに気づき、僕とジャックは二人揃ってまた顔を赤くする。

 

「ふふふっ。……あ、おつうちゃん。わたしも感想を言った方がいい?」

「い、今は勘弁してほしいかな……。正直今はもうお腹いっぱいだよ……。」

「そっか、そうだよね。あんなに一杯感想もらった後だもんね?」

「うぅ……。」

 

 そんな僕達の様子を微笑まし気に眺めていた姫が、思い出したように僕に声を掛けてくる。それに僕は苦笑いしながら返事をする。姫はそれを聞いて笑みを濃くして再度口を開くけど、姫の言葉にまたさっきのジャックを思い出して胸が熱くなる。暫くは思い出すたびにこうなりそうな気がする。一度思い出すと中々冷めないのが困りものだった。その胸の熱さが決して嫌ではなくて、むしろとても幸せだというのが、更に困りものだった。

 

 

 

 

 

 今朝あった出来事を順番に思い出して、記憶が今に追いついたところで止める。

 あの後、結局僕と姫は新しい制服のまま解放地区に行くことになった。姫が昨日の夜に言っていた僕の今日のデートの目的を考えれば当然と言えるけど、僕としてはやっぱり羞恥心が抜けない。いくらジャックにべた褒めされたとはいえ慣れない格好なのは事実だし、そんな恰好で不特定多数の目に晒されるというのはやっぱり精神的に負担が大きい。

 もっとも、その苦労も一先ずは終わりが近い。というのも、そろそろくららのお店につくからだ。彼女のお店に入ってしまえば向けられる視線の量はぐっと減る。くららにこの姿を見られるというのはもちろん恥ずかしいけど、顔見知りなだけまだマシだ。まだ姫に確認してない―正確には怖くて聞けていないだけだ―けど、くららのお店で用事を済ませたら真っすぐ黎明に帰れる、なんてことは多分ないだろうから、少しでいいから心の休憩がしたい。

 そんなことを考えながら歩いていると、視界にくららのお店が入ってきた。本当は駆けだしたい気持ちでいっぱいだけど、今スカートだということを思い出して少し歩調を早めるだけに止めて、前に訪れた時より随分と遠く感じる残りの道のりを歩く。こんな格好で激しく動きたくない。というか、動けない。歩調を早めた僕の様子にジャックと姫も当然気が付いていたけど、僕の気持ちが分かっているようで苦笑しながらついてきてくれた。そのまま僕を先頭にお店の中に入る。

 

「へぇ、ここがくららさんのお店なんだ。結構広くてびっくりしちゃった。」

「そうだね。まぁ、物が多いから何となく狭い感じがするけど……。」

「あはは……。でも何だろう?初めて来たはずなのに懐かしいっていうか……。」

「それは多分、置いてある物のせいだと思いますよ?」

「え?……あっ、本当だ。これ見たことある。……あっ、こっちも。」

 

 姫は初めて来たくららのお店を、興味深そうに見渡していた。その表情はただ楽しそうなだけではなくて、懐かしいものを見た時のようなノスタルジックな気持ちもあるように見えた。それは僕にも覚えがある。僕もここに初めて来たときには、不思議な既視感を感じたものだ。その時はくららのお店だと知らなかったし、その後もジャックについての噂なんかで忙しかったから懐かしさは感じなかったけど、姫と同じようにここを訪れていたら僕もそう思ったのかもしれない。

 そんな風に会話する僕達の声が聞こえたのか、奥からくららが顔をのぞかせる。そのまま彼女は僕達のほうに歩いてきた。

 

「ジャックさん、おはようっす!今日も何か御入用で?」

「おはよう、くらら。今日はそうじゃなくて、紹介したい人がいるんだ。」

「紹介したい人っすか?あ、もしかして前に言ってた……。」

「うん、人魚姫だよ。」

「初めまして、くららさん。人魚姫と言います。これからよろしくお願いしますね。」

「おぉこれはどうもご丁寧に。ここの店主をしているくららっす。ジャックさん達や師匠がいつもお世話になってるっす。」

「師匠?」

「ハルさんのことですよ、姫。」

「はいっす。おつうさんの言うと……。」

「ん?どうかしたのかい、くらら。」

 

 ジャックの紹介で姫とくららが挨拶を交わす。そこで出てきた師匠という言葉に首をかしげていた姫に僕が補足を入れる。それを聞いたくららが僕のほうを向いて―そのまま動きを止めてしまった。彼女は何か変なものを見たとでも言いたげな顔をして目をこすっている。

 

「……おつうさんっすよね?」

「へ?……あ、制服が違うからかい?」

「いや、その胸は一体……?」

「あ、そっちか。」

 

 くららの言葉に思わず苦笑い。どうやらくららは僕が前と全然違う姿だったから戸惑ったようだ。彼女が気にしていたのは、僕の予想と全く違うところだったけど。まぁ服は簡単に変えられるけど、胸の大きさなんて簡単に変わるものではないから、そんな反応も分からなくはない。

 

「おつうちゃんは普段胸に晒を巻いてるの。……本当は胸が大きいのに……。」

「あ。」

 

 しまった。姫の押したら駄目なスイッチを押してしまった。この話を続けるのはまずい。早く話題を変えないと。

 

「へぇー。まぁそれなら納得っす。それで、前とは制服が違うっすけど、そっちは?」

「あ……えっと、これはその……ちょっとした手違いでハルさんがね……。僕の制服は前のやつの色違いになるんじゃないかな?」

「そうなんっすか?それも可愛いと思うんっすけど……。」

 

 僕にとっては幸運なことに、くららはすぐに話題を変えてくれた。それを逃す手はない。僕もその話題を広げる。まぁ新しい話題は僕にダメージが入るものだったけど、致し方ない。

 くららは苦笑しながら口を開く僕に不思議そうな顔をする。彼女は本当にそう思っているのだろう。変に思われていないというのは嬉しいけど、流石にこれをこれからも着続けるのは避けたい。

 

「ははは……僕はあまり女らしい服装や言動をしてこなかったからね。落ち着かないんだよ。」

「またまたぁ。この前だってジャックさんと手を繋いでデートしてたじゃないっすか。もうその噂が流れてるんすよ?」

「……今度はどんな風に?」

「『ジャックがまた女の子を誑かした。』『今度は男装の美少女だった。』『タイヨウ教団の女の子とずっと手を繋いでデートしていた。』……他にもいっぱいバリエーションがあるっすけど、聞きたいっすか?」

「いや、いい……。ってちょっと待って、タイヨウ教団の女の子?」

「うちは、おつうさんの制服の色を見て勘違いしたんじゃないかって思ってるっす。」

「あーうん……。」

 

 噂という単語に反応したジャックが僕達の会話に入ってくる。いかにも恐る恐るといった様子で質問したジャックに、くららは指折り数えながら真顔で返事をする。それにジャックはげんなりした顔で言葉を返していた。その様子は、数日前に交際の報告をしにハルさんのところに行った時のハルさんと赤ずきんがやっていたやり取りとそっくりだった。流石はハルさんの弟子、ということなのだろうか。

 

「……本当に噂が好きだな、ここの人達は。」

「おつうさん達、というか血式部隊の皆さんは、話題に事欠かないっすからね。おつうさん達が増えたってのもあるっすから、暫くはジャックさん12股疑惑が流行ると思うっすよ?」

「……ねぇ、おつうちゃん。さっきから何の話をしてるの?ジャック君がどうとかって……。」

「……くらら。」

「はいはい、了解っす。」

 

 ほんの数日前のことがもう噂として解放地区に流れている。しかも、その時初めて解放地区を出歩き、その後数日姿を見せていない僕のことが。呆れた僕が苦笑いをしながら呟いた言葉に、くららは肩をすくめる。くららも僕と同じ心境なのだろう。知り合いであるジャック達が噂の対象になっているというのもあるかもしれない。

 そんな僕達の話が気になったらしく、今まで黙って話を聞いていた姫が口を開く。そういえばまだ姫には詳しい話をしていなかった。それを思い出した僕はくららに声を掛ける。解放地区に流れている噂に関してこの中で一番詳しいのは彼女なのだから、説明は彼女に任せた方がいい。くららも姫が数日前の僕と同じだと思ったようで、僕の意図を汲んで姫への説明を始めてくれた。

 

 

 

 

 

「あははははははっ!!」

「爆笑しないでくれないかなぁ、人魚姫!?」

「だって、だってっ……あははははっ!」

 

 くららから解放地区に流れているみんなについての噂、特にジャックの十股疑惑について聞いた姫はお腹を抱えて大笑いしている。それに対してジャックが苦言を呈いしているけど、姫の笑いは収まらない。ジャックの性格からかけ離れた噂が流れていることが可笑しくてたまらないという姫の気持ちも、自分にとっては迷惑な噂を笑われたジャックの気持ちもどちらも分かる僕としては、苦笑して二人を見ていることしかできない。くららもそれは同じようで、僕の横で黙って二人を見ている。

 

「……はぁ。こんなに大笑いしたの、久しぶりかも。」

「……僕はそんなに大笑いしている君を見たのは初めてだけどね……。」

「あー……ジャック、姫に悪気はないから、出来れば許してやってくれないか?」

「ご、ごめんね、ジャック君。あんまりな噂だったからつい……。」

「……まぁ、別にいいよ。そもそも今の僕には、もうどうこう言う資格もないしね。」

「「あ……。」」

 

 ようやく笑いが収まったようで目尻に浮かんだ涙をぬぐう姫を、恨みがましい目で見ているジャックに僕は声を掛ける。僕の言葉でジャックを怒らせてしまったと考えたのか、姫も慌てて謝っている。そんな僕達にジャックは力なく笑いながらそんなことを言う。それを聞いて僕達は今のジャックの状況を思い出した。関係を迫ったのが僕達からとはいえ、結果的にはジャックは十一人の恋人を持つに至ったわけだから、噂は全くの濡れ衣ではなくなっている。そもそも今日僕達がここに来たのも姫をくららに紹介するためだけではなく、ジャックの交際について説明するためでもあるのだ。

 

「ん?なんか今ジャックさん、面白そうなこと言ってなかったっすか?もしかして……。」

「……うん、少し前から、アリス達とお付き合いすることになったから、今日はその報告に来たっていうのもあったんだよ。」

「おぉ!!……って、アリスさん達?それじゃあお相手は複数っすか!?誰っす!?」

「……人魚姫以外全員……。」

「へ?」

「人魚姫以外、全員だってば……。」

 

 目を丸くして固まるくららに、ジャックは視線をそらしながら同じ言葉を繰り返す。そのくららの様子を見ると、やっぱり僕達の関係は傍から見たら異常なものに映るのだということが改めて実感できてしまう。姫も複雑な心境のようで、困っているとも悲しんでいるともとれる表情をしている。自分たちが納得できれば周りの人に否定されても構わないとは思っているけれど、それでも、これからもきっと長く付き合うことになるくららには祝福してほしいと思ってしま―

 

「じゃあ…………人魚姫さんだけ独り身ってことっすか!?なんでそんな仲良さそうなのに一人だけはぶってるんすかジャックさん!?」

「えっ!?そういう反応になるの!?」

「え?他になんかあるんすか?……はっ!まさか人魚姫さんには他にお相手がいるとかっすか!?」

「そ、それは確かにそうだけど!他にもっと驚くところがあったと思うんだけど!?」

 

 ズッコケた。あまりにも意外な反応に、言葉を返せたのはジャックだけだった。姫は僕と違ってズッコケたりはしていなけど、口をポカンと開けて目を丸くしている。姫がこんな反応をしているところなんて、正直僕も数えるほどしか見たことないんだけど。

 

「他に驚くとこって……。」

「いやほら、相手がいっぱいるところとか!」

「いやだって、うちは皆さんがジャックさんに惚れてるの、ずっと前から知ってたっすからね?」

「へ?」

「流石におつうさんは違うっすけど……。少なくとも、白雪姫さんとかには相談されたこともあったすし、姉貴も最近は惚気がひどかったんすよ?」

「「えぇ!?」」

 

 くららの言葉に僕とジャックは声を揃えて驚愕する。意外なところでみんなの気持ちを知っている人が見つかったものだ。みんなの気持ちに関してはハルさんや視子さんでさえ、アリスを初めとした比較的わかりやすい子のことしか知らなかったみたいだったから、てっきり他に知っている人はいないと思っていたのに。それに白雪はともかく、あの赤ずきんが惚気をくららに語っていたなんて正直信じられない。そもそも彼女が自分の恋心を自覚したのはかなり最近のはずだ。本人がそうはっきりと言ってたのだから間違いない。そんな状態で惚気ていたとは一体どういうことなのか。

 

「それはそうと、さっき人魚姫さんには他にお相手がいるってお話でしたっすけど、誰か聞いても大丈夫っすか?」

「あーそれは……実は僕なんだ。」

「へぇーおつうさ……………え?……いや、え?」

「そっちには普通のリアクションだね……。」

「だっ、だって、え?おつうさん、女の子っすよね?しかも、ジャックさんの恋人……あれ?」

「……ちゃんと一から説明するよ。もともと今日はそのために来たんだからね。時間、大丈夫かい?」

「だ、大丈夫なんでお願いするっす。というか、こんな話放置してたら気になって仕事どころじゃないっす……。」

「あはは……あ、でもくららさん、わたし達のお話の後で、くららさんもさっきのお話、聞かせて欲しいな。」

「もちろんっすよ。うちも聞いてほしいことがあるっすから。……特にジャックさん。」

「え?僕に?」

「はいっす。まぁ、今はそっちの方から聞きたいっすけど。」

 

 そんな僕達の驚きをよそに、くららは先の姫の話について聞いてくる。それにはさっきのジャックの話の時とは違い至って普通の反応を返すくららに、僕は思わず苦笑してしまう。ジャックに恋人が複数いるのよりも、僕が姫の恋人だというほうが彼女にとっては衝撃が大きいようだ。時系列的には姫との関係のほうがずっと前のことだから、僕個人としてはジャックとの関係のほうが意外なのだけど。それこそ、ジャックと出会う前の僕にそんな話をしても絶対に信じなかったと断言できるくらいには。

 そんな僕の個人的な気持ちはさておき、僕達のほうにもくららのほうにもいろいろ聞きたいことができてしまった。ここは一度しっかりと情報交換をした方がいい。そう思った僕はそれをくららに提案する。くららのほうも同感だったようで、すぐに賛成してくれた。

 ただ、くららは気になることも言っていた。半眼でジャックを見ながらそれを口にしたくららを見ると、少なくとも愉快な話ではなさそうだとは思う。ただ内容までは予想できない。それはジャックも同じようで、僕と同じく自分に対して文句を言いたいというくららの気持ちは分かっているらしく少し居心地の悪そうな顔をしているものの、その顔にはそれ以上の困惑が浮かんでいる。ジャックにも、くららがそんな表情をする理由に心当たりがないのだろう。つまり、くららに話を聞くしかないということだ。そう判断した僕は、取り敢えず姫と一緒に僕達の事情を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

「……なるほど~。そんな情熱的に人だったんすね、おつうさん。」

「ははは……。」

「まっ、さっきはいきなりだったんで驚いたっすけど、うちとしてはお二人がお幸せならそれでいいと思うっすよ。あ、今はジャックさんもいるんだったすね。」

 

 僕達は姫と僕の関係を話した。もちろんくららは黎明の職員ではないからすべてを話したわけではない。特に前の世界の存在やウィッチクラフトなんかについては話さないよう注意して、あくまでも僕が幼い頃に姫にプロポーズをしたことやそれに対する姫の返答なんかを中心に話をした。まぁそのせいで、僕達の話を聞いたくららは僕のことをちょっと誤解してしまった様子だけど。仕方のないことではあるし、結果的にはくららも僕達のことを祝福してくれたのだから良しとしよう。

 

「それで、くららがさっき言ってたことについて、もう少し詳しく聞いてもいいかい?」

「あ、わたしも聞きたいな。特におねーちゃんは最近まで自分の気持ちに気づいてなかったはずなのに、くららさんには惚気てたんだよね?」

「あー……。そうっすね、まずなんで皆さんがうちにそんな話をしてたかってところから話した方がいいっすか?」

「あぁ、確かにそうだ。みんなはわざわざ近くにいる視子さんじゃなくて、君のところに来てそんな話をしてたんだもんな。」

 

 僕達の話が一段落したところで、くららに僕達の聞きたいことの説明を求める。それを受けてくららは少し考えるようなそぶりを見せてから口を開いた。

 そのくららの第一声で早速疑問と気づきが出てきた。そういえば、何故わざわざくららに相談したのだろうか。一緒に住んでいて時間の都合をつけやすい視子さんに相談するほうが簡単なはずなのに。

 

「はいっす。……まず、うちは血式少女の皆さんとの付き合いが結構長いんすよ。姉貴とかなら、ジャックさんよりも長いくらいっすからね。」

 

 くららの言葉で、失念していたことがあったことに気が付いた。そういえばこっちの世界でのくららの立ち位置を、僕と姫は考えていなかったのだ。確かにくららは解放地区にお店を構えるくらい長く住んでいるのだし、正式な職員ではないとはいえハルさんのことを師匠と呼ぶくらいには黎明にもかかわりがある。そんな風にくららは前の世界とは異なる人生を歩んでいるのだから、人間関係をはじめ違いがあるほうが自然だ。見た目や雰囲気、話し方等の特徴に変化がなかったし、解放地区でお店を構えているという大きな差に気を取られてそこをすっかり失念していた。

 

「姉貴たちとの交流が結構あって、年齢も近い。おまけに客商売をやってるのもあって顔が広いから情報通。最後に、一緒に住んでいるわけでもないんでちょっと他の人に聞かれたくない相談をしてもバレにくい……そんな相手になっちゃったわけっすよ、うちが。」

「「「あー……。」」」

 

 くららの口から語られた彼女の立ち位置を聞いて僕達は揃って同情した。確かに彼女のポジションは、アリス達恋する乙女としてはとても助かるものだったろう。視子さんに相談しなかった理由も分かった。黎明に一緒に住んでいるのに相談しなかったのではない。黎明に一緒に住んでいるから相談しなかったのだ。万が一他の血式少女、特にアリスに聞かれたら困るから。ジャックの幼馴染であり、ジャックに好意を持っていることが傍目にも明らかだった彼女に聞かれたりしたら、確実にその後彼女との仲は気まずくなる。本人は幼馴染から一歩踏み出すのが怖かったと言っていたけど、彼女の愛の重さを知っている身としては、彼女が他の人がジャックと結ばれるのを素直に受け入れたとは全く思えない。まず間違いなく小姑みたいになるだろう。

 それにアリス以外にも、話を聞かれたくない人は何人かいる。例えばラプンツェルはまだ幼いから何かのはずみでうっかりジャック本人に聞いた話を漏らしてしまうかもしれないし、グレーテルは隠す意味が分からないからと勝手に言ってしまう可能性もある。彼女の場合は口止めしても聞いてくれなさそうだし。

 第一、仮にその二人が問題なかったとしても、日頃からいつも一緒に活動している人に自分の好きな人―しかも相手も知っている人―がバレるなんて、相手が誰でも気まずいに決まっている。だって相手はいつも自分がジャックと話しているところを、自分が好きな人と話しているという前提で見ることになるのだから。そんなのはある意味罰ゲームみたいなものだ。

 しかしそれはあくまでも彼女達の都合。それに巻き込まれるくららとしてはたまったものではないだろう。邪険に扱うわけにもいかないし、かといって誰か一人のみに肩入れしてそれがバレたとしたら、他の人から恨まれるのは彼女なのだ。もし仮に彼女の手助けでその人がジャックの心を射止めたりしたらそれはもっと過激になる。だからこそ、バレたら全員に何かを言われると分かっていながら彼女は全員を平等に相手していたのだろう。ジャックが誰か一人を選んでその人に手を貸していたことがバレて残りの人に恨まれるより、誰も選ばれていない状況でみんなの手伝いをしていたことがバレる方が、みんなから買う恨みが少なくて済むから。それが現状を改善することにはならないと分かっていても、彼女には他に出来ることがない。

 

「分かるっすか?誰か一人を応援することもできず、そんなことになってると本人たちにも言えず、友達の間で板挟みになって、不公平にならないように平等にアドバイスをしたり愚痴を聞いたりし続けたうちの苦労が。」

「……ごめんなさい。」

 

 光のない目で虚空を見ながら疲れた声でそう訴えかけてくるくららに、あまりにも不憫な彼女の立場を理解したジャックはくららに向けて大きく頭を下げる。みんなが恋慕していた相手であるジャックとしては、彼がもっと早く行動するなりみんなの気持ちに気づくなりしていればくららにここまで苦労を掛けることはなかったと思ったのだろう。くららがさっきジャックに恨めし気な目を向けていた理由が、本当によくわかった。

 

「……まぁいいっすよ。もう済んだことっすし、皆さんはジャックさん含めてうちの友達でお得意様っすから。それに、皆さんが全員ジャックさんと恋仲になったってことは、もううちが皆さんに恨まれることもないっすからね。ようやく肩の荷が下りたっす。」

「そっか……。そう考えると、わたしの考えにくららさんも力を貸してくれたってことだもんね。わたしからもお礼を言わせて、くららさん。」

「それこそいいっすよ。人魚姫さんが皆さんを動かしてくれなかったら、どうせうちが皆さんに恨まれることになった可能性大っすからね。むしろうちがお礼を言いたいくらいっす。」

 

 くららの話を聞いて何かに気づいたような顔をした姫が、くららに向かって柔らかな笑顔とともにお礼を言う。確かにくららはみんながジャックへの恋心を、恋人になりたいと思えるほどに大きなものに育てるのに一役買っていたと言える。そう考えれば確かにくららはある意味姫の計画の成功の立役者とも言えるわけだから、姫が感謝するのも納得だ。

 ただくららは姫のお礼に笑って首を振る。くららの言う通り、ジャックが誰かを選んでその人以外に恨まれるのか、全員に肩入れしているのがバレて恨まれるのかはさておき、流石にいつまでも隠し通し続けるのは無理だろうから、くららの心配は正当だろう。

 彼女の笑顔と言葉を聞いて、彼女が本当に姫に感謝しているというのが伝わってきて、良い場面のはずなのに僕としては微妙に申し訳ない。くららの感じていた心労の原因が、一人残らず身内だから。謝ってもどうにかなることではないし、口に出したらさっきの姫と同じように笑って受け流されそうな気がするから、くららに対して心の中で僕も頭を下げる。

 

「いやーしかし、これでうちが皆さんの愚痴を聞かされることも減りそうっすね。良かったすよ、ホントに。」

「……減るだけで、無くなりはしないんだね?」

「ジャックさんが、誰にも不平不満を一切抱かせることなく、一生皆さんを幸せにし続けられるっていうんなら、ないと思うっすよ?」

「…………。」

「ははは……。と、ところでくらら。さっき赤ずきんが君に惚気てたって話をしてたけど、そっちはどんな感じだったんだい?」

 

 嬉しそうな顔で姫との話を締めくくったくららの最後の言葉に、ジャックが微妙な表情で声を掛ける。一瞬で真顔に戻ったくららの言葉に無言で目をそらしたジャックを見て、僕は話題を変えることにした。くららに聞きたいことがまだ残っていたのも事実なのだし。

 僕の言葉にくららは苦笑しながら口を開く。

 

「うーん……うちが惚気って感じただけで、姉貴自身は自覚してなさそうだったんすよね。」

「それはそうだろうね。本人も恋心を自覚してなかったって言ったし。」

「そもそも、最初は愚痴だったんすよ。『最近ジャックがトレーニングに誘っても乗ってくれなくなった。』って。」

「そうなの、ジャック君?」

「……言われてみれば、最近は時間があるときは本を読んでることが多かったかな。グレーテルに色々教えてもらったりしながら勉強してたんだよ。」

「勉強?」

「うん。僕とアリスは独房エリアにいた時間が長いせいで知らないことが多いからね。」

 

 姫の質問に答えたジャックの言葉に最初は首を傾げたけど、理由を聞いて納得する。この世界のことを聞いた時に、幼いころのアリスと二人での生活のこと、前の世界と同じように彼が昔独房に囚われていたことを聞いた。幼い頃から黎明の中で育った僕達と違い、彼にはきちんと勉強をする機会がなかったはずだ。赤ずきんほどはっきりと嫌いではないものの、勉強が大好きなわけではない僕としては進んで勉強をするというのは受け入れにくいけど、折角の機会を生かそうとするのは分からなくはない。

 

「そうそう!そんなことも言ってたっす。『グレーテルとイチャイチャしてばっかりでさ?』って。」

「……だ、そうだけど?」

「いや、勉強してただけだってば!」

「さて、どうかな?」

 

 くららの言った赤ずきんの愚痴を聞いて半眼で睨む僕に、ジャックは慌てたように無実を訴えてくる。少なくとも彼にそんなことをしていたつもりはないのだろう。それは僕にもわかるけど、僕は肩をすくめてジャックの弁論を受け流す。

 事実がどうだったかを考えるなら、きっとジャックの言っていたことが正しい。二人はあくまでも一緒に勉強をしていただけ。赤ずきんもそれは分かっていたはずだ。そうにもかかわらずあんな言い方をしたのは、赤ずきんが拗ねていたからだろう。自分の好きな人が、自分の誘いを断って、別の女の子と一緒に過ごしている。当時の赤ずきんに自覚がなかったとはいえ、恋する乙女としては不機嫌になるのも当然だ。

 

「ふふっ。おつうちゃん、もしかして嫉妬してる?」

「い、いやっ!流石にこれくらいでそんな……っ!」

「えー?羨ましいって顔に書いてあるよ?」

「…そ、それでくらら。その後赤ずきんはなんて言ってたんだ?」

 

 姫のからかい交じりの問いかけにちょっと焦る。それが見抜かれたのか、僕がちゃんと否定したのに姫は追及をやめてくれなかった。

 ジャックが別にイチャイチャしていたわけではないといった以上、僕にはそれを否定する材料はないし、日頃のグレーテルの様子から考えれば本人も言う通りそんなことはしていない可能性は高い。

 高いけど、ジャックならもしもがあり得る。何故ならあのグレーテルが、ジャックとずっと一緒に居たいと断言するだけのナニカが、この世界の二人の間ではあったはずなのだから。あのみんなでの話し合いの時、彼女を告白する決断に至らせた出来事が、『あの』グレーテルに普通の少女の顔をさせるだけのきっかけが。それをもたらしたのがジャックでありかつ本人にその自覚がない以上、彼の自己申告をそのまま信用するのはちょっと躊躇われたし、そこに思い至ったから僕にも思うところができたのだ。僕だって彼の恋人なわけだし、彼にそんな風なナニカを期待したりグレーテルが羨んだりしてもバチは当たるまい。

 とはいえそれを素直に言うのは恥ずかしい。特に本人が目の前にいるのだから。だからその話を誤魔化すために、僕と姫のやり取りをニコニコしながら見ていたくららに先を促す。その顔は止めてほしいのだけど。

 

「えーっと確か……『大体あいつはあたしの扱いが雑なんだよ。かぐやとかネムの部屋にはよく行くのにあたしの部屋には滅多に来ないし……。』」

「眠り姫……じゃなくて、ネムは廊下で寝てるのを運んでるだけだし、かぐや姫に至っては掃除か雑用なんだけど……。」

 

 くららから語られる赤ずきんの不満にジャックは困った顔で合の手を入れる。ジャックの言うことが本当なら、その二人の部屋に行っているのには相応の理由がある。少なくとも眠りのほうには。それと一緒にされても、と思ったのだろう。ジャックの体は一つしかないし、使える時間も限られている。だから誰かに対して時間を割けば、他の人に使える時間は減ってしまう。おそらく、その皺寄せが赤ずきんに行ったのだろう。血式部隊のリーダーであり僕達の中では最年長の彼女なら大丈夫。そうジャックが考えるのは分かる。

 それに、別にジャックも彼女のことを蔑ろにしていたわけではないだろう。会いに行く頻度や時間はともかく、赤ずきんに対してもちゃんと気を配っていたはずだ。現にさっきくららは赤ずきんが『滅多に来ない』と言っていたと口にしている。滅多に、であり、全く、ではない。

 そこまで考えれば、僕もジャックと同じ立場なら同じことを思ったかもしれない。赤ずきんを蔑ろにしたのではなく、むしろ赤ずきんも含めて全員のことを平等に気にかけたからこそ、そんな風な状況になったのだろうから。

もっとも、それはジャックと同じ立場なら、だ。僕の今の立場は赤ずきんに近い。自分以外の女の子に多くの時間を割いているジャックの姿に、たとえその理由が頭で分かっていたとしても寂しさを感じる赤ずきんの気持ちも、僕には理解できる。

 

「『スキンシップをとっても前ほど反応しなくなったし……あたしのこと、可愛い女の子とか言ってたくせに。』」

「………。」

「なんでそんな目で見るの!?」

 

 ジト目で自分を見る僕に、またしても反論するジャック。心なしか姫の目もそんな感じになっている気がする。グレーテルほどではないものの女性らしい面を見せることの少ない赤ずきんがジャックに惚れた理由について、僕達はほとんど知らない。彼女がそれを話すのを渋ったからだし、まずジャックにそれを伝えたいと言った彼女の気持ちを尊重したから僕達から聞き出そうとすることもなかったけど、やっぱり相応の理由がありそうな気がする。本当に天然の女誑しである。

 

「『別に厭らしい目で見られたくはないけど、全然反応がないのも女の子に対して失礼じゃない?いや、ジャックに悪気がないのは分かるんだけど。あいつが優しいのは知ってるし……腕っぷしは全然だけど、あれで意外に頼りになることもあるし……あ、そういえばこの前ジャックが―。』……って感じで、そのまま惚気が始まったっす。30分くらい。」

「長いな!?」

「ゆるっゆるな笑顔でいかにジャックさんが優しくて頼りになるかを延々と話し続ける姉貴の姿を見た通行人達が原因で、『ジャックが赤ずきんを手籠めにした。』『遂に血式部隊のリーダーにまで鬼畜の毒牙が伸びた。』って噂が流れることになったっす。」

「鬼畜!?毒牙!?」

「へぇ、そういう理由があったんだね、あの噂。」

 

 くららの話のオチを聞いて、僕達三人は三者三葉の反応を示す。あと驚いているジャックには悪いけど、鬼畜はともかく毒牙は微妙に否定しにくい。ジャックが天然でみんなをその気にさせるような行動をとっていたという疑惑が、さっきのくららの話のせいで出てきてしまったからだ。帰ったらみんなにもちょっと聞いてみよう。探せば色々出てきそうな気がしてきた。

 

「でも、姉貴はまだいい方だったっすよ?」

「もっと惚気た人がいたのか!?」

「そうじゃないっすけど……何というか、ネガティブな反応をする人がいたんすよ。」

「誰か聞いてもいい、くららさん?」

 

 続いたくららの言葉に僕は思わず叫んでしまった。まさか30分以上惚気るような強者が身内にいたのかと。あぁいや、アリスがいるか。彼女にジャックの話をさせたらたぶん一日あっても足りないだろう。それだけの時間と想いの積み重ねが彼女にはある。

 それはともかく、くららのネガティブな反応と聞いて、僕の脳裏に最初に浮かんだのは白雪だった。彼女は自分がジャックに好きになってもらえるはずがないと諦めていたと言っていた。くららにそんな話をしてもおかしくないだろう。

 

「一人目は白雪姫さんっすね。泣きそうな顔で『くららさん!痩せられるお薬とか置いてないですか!?』って飛び込んできたことがあったすよ。」

「……それだけなら、正直あってもおかしくないと思うんだけど……。」

「そうっすけど……ジャックさんは原因に関わってるっすよ?」

「えっ!?」

「……まさかとは思うけどジャック君、白雪ちゃんに太ったとか言ってないよね?」

「当たり前だよ!そもそも白雪ひ……白雪は太ってないじゃないか!」

 

 くららの言葉に驚くジャックを睨む姫。しかしそれを見てジャックは勢い良く首を横に振っていた。まぁ流石にジャックがそんなことを言うとは思わない。

 そもそもジャックの言う通り、別に白雪は特別太っているわけではない。痩せていると断言できる程かどうかはともかく、体型的には普通の範疇だ。彼女も女の子である以上そういったことに過敏になるのは自然だし、そうでなくともスレンダーなアリスやトレーニングで引き締まった体を持つ赤ずきん、スタイル抜群なシンデレラや眠りなんかがそばにいるからつい比べてしまうのと、彼女の自分に自信のない性格が合わさった結果として、太っていると思っているだけだ。

 それでも本人が太っていると思っているわけだから、彼女は時折ダイエットに精を出すわけだけど、太ってない以上痩せられるわけがない。結果の出ないダイエットに挫折して落ちこみ、また何かの拍子に自分が太っていると思ってまた落ち込む。そんなことを彼女は繰り返している。

 でも確かに、幾ら彼女でも痩せられる薬なんて怪しげなものにまで手を出そうとするというのは考えにくい。それこそ、そうせざるを得ないほど彼女を落ち込ませる何かがない限り。くららがジャックが関わっていると言ったことを考えると、恋する乙女として放置するのは許せない何かがあったというのが妥当な線か。

 

「ジャックさん覚えてないっすか?白雪姫さんに、新しくもらった服の感想を聞かれたの。」

「……あ!でも待ってよ!あれは親指姫が悪くないかな!?」

「え?親指?」

「いや、白雪がもらった服っていうのが、親指姫のおさがりだったんだよ。でも当然サイズが合わなくて……。」

「ボタンを閉めようとして、ボタンがはじけ飛んだそうっすよ。」

「うーん……。確かにそれは……。」

「親指が悪いね……。」

 

 続きを話したくららの話を聞いて、ジャックがくららの話を補足する。その内容を聞いて僕も姫も苦笑いを浮かべる。親指にも悪気はなかっただろうけど、出来ればもう少し自分のことをよく理解して行動してほしかった。彼女は確かに白雪の姉だし、姉として妹におさがりの服を渡そうと思うのはおかしくはない。でも彼女はどう見ても白雪よりも小柄だ。おさがりを渡すなら正直方向が逆だろう。親指のプライドがそれを許すかは別にして。あるいはそのプライドが、彼女の目を曇らせてしまったのかもしれない。

 

「好きな人の前で来ている服のボタンがはじけ飛ぶ、なんてことになったショックは相当大きかったらしくて……そんな薬はないって説得して、さっきジャックさん達が言ってたことも説明して、ようやく落ち着いてもらえたっす。」

「うーん……。親指には悪いけど、これからは白雪に自分の来ている服を渡そうとするのは止めてもらおう。毎回白雪を落ち込ませるわけにはいかないし。」

「でもどうやって説明するつもりなの、つう?」

「……今の話を全部説明して、白雪が落ち込んだこともきちんと伝えるしかないかな。流石に白雪のことまで伝えたら、優しい姉としては諦めてくれるだろう。……女の子としては、複雑かもしれないけどね。」

「ははは……。」

 

 くららの話を全部聞いて思ったことを口にする。苦笑しながら言った僕の最後の言葉に、質問してきたジャックも曖昧な表情で乾いた笑い声を出している。男であるジャックに女の子である親指の身体的特徴の話を、しかも本人に対してさせるのは幾ら何でも酷だから、僕から話そう。あと親指は前の世界では姫に対しては素直だったから、その時は姫にも手伝ってもらおう。

 

「あと、落ちこんだっていうので一番大変だったのはシンデレラさんっすね。こっちは完全にジャックさんが悪いっす。」

「まだあるの!?」

「そりゃあもちろんっすよ。」

 

 白雪の話が一段落すると、すぐさまくららが新しい話題を提供してくれた。今度はシンデレラの話らしい。シンデレラも白雪も、どちらも自己評価が低いというかネガティブなところがあるのは事実だから予想外ではない。

ジャックはまた自分が原因だと言われて驚いていた。僕も少し気になることがある。くららは今わざわざ前の話と区別したうえでジャックが悪いと断言していた。白雪の話はジャックが悪いとは言えなかったけど、くららの話し方からすると今回はジャックが悪いのは間違いなさそうだ。本人に心当たりはなさそうだけど、人間関係でのすれ違いにはよくあることだからそれだけではジャックが無実という証拠にはならない。

 

「ジャックさん、シンデレラさんと黎明の屋上で話をしたことないっすか?」

「え?」

「「あっ。」」

「その反応だと、おつうさん達はご存じみたいっすね。多分お二人の想像通りだと思うっすよ。」

「……やっぱり、シンデレラは気にしてたのか、あのこと。」

「気にしてたなんてものじゃないっすよ。ふらっと暗い顔でお店に来たと思ったら、『どうせわたくしなんて眼中にないんですわ。だから気づいてももらえなかったんですわ。どうせわたくしなんてそんなものですわよね。ちょっと褒められたからって調子に乗るからこんなことになるんですわ。』とか……さめざめと泣きながら、延々とぶつぶつ言いながら店の隅に座っていじけてたっすよ。うちが声を掛けても全然泣き止んでくれないし、雰囲気が暗すぎてお店の中のお客さん皆居心地が悪くなって帰っちゃったくらいっす。」

「えぇっ!?」

 

 くららの言葉を聞いて驚愕の声をあげるジャックをよそに、僕は思わず天を仰ぐ。数日前にその話をしていた時の彼女にはそこまでの強い悲しみは感じなかったから、まさか彼女がそこまで気にしていたとは思っていなかった。というか、よくそこから持ち直したものだと思う。そこまで沈み込んでしまったら普通ならもっと引きずるはずだ。いや、きっとくららがそれはそれは苦労して彼女を立ち直らせてくれたのだろう。それしか思いつかない。

 

「ちょっと待って!?もう少し詳しく聞いてもいいかな!?」

「いいっすよ~。むしろうちは聞いてほしいっすね。うちがどれだけ苦労したか。」

 

 驚いてくららに近寄るジャックに彼女はニヤリと笑う。しかしその目は若干虚ろだった。彼女がした苦労とやらの一端が垣間見えた気がした。明るくて過去を引きずらないさっぱりした性格―少なくとも僕は思っている―のはずの彼女があんな反応をするほどの苦労とは一体。

 

 

 

 

 

 

「…………。」

「と、そういうことがあったわけっす。……少しは反省してくださいよ?」

「……本当に、ごめんなさい。」

 

 くららの話を聞き終えたジャックは、無言のまま顔に手を当てていた。流石にジャックとしても、シンデレラが泣いていたということを聞いた後で言い訳をする気にはならなかったらしい。反省を促すくららの言葉に素直に頭を下げていた。今日のジャックは彼女に頭を下げてばかりである。

と、ここでくららの話を聞いてジャックが驚いていたあたりから黙っていた姫が口を開いた。ちなみに姫の表情は今も、ジャックがくららに説明を受けている時もずっと無表情だった。

 

「ジャックさん。」

「に、人魚……姫?」

「帰ったら、シンデレラさんに謝って。」

「そ、それはもちろんそのつもりだけど呼び方―」

「謝って。」

「あの―」

「謝って。」

「…………。」

「謝って。」

「はい。」

 

 呼び方を前のものに戻して声を掛ける姫にジャックは怯えた様子を見せる。ジャックの気持ちは分かる。いつも優し気な様子を崩さない姫が、見てわかるほどに激怒しているのだ。怒られているのが僕でないのは分かっていてもなお、そばで聞いている僕も背筋が寒い。視界の端でくららも震えているのが見える。

 

「ホントに反省してね?ジャックさん。」

「も、もちろんだよ!」

「あ、あの……姫?ジャックも反省してるみたいだし、その……。」

「そ、そうっすよ人魚姫さん!その……ほらあれっす!次シンデレラさんがうちに来た時にもしジャックさんが誤ってないって分かったら、ジャックさんを出禁にするっすから!だからその辺で……。」

「え!?出禁になるの!?」

「なんすか!?謝るんなら問題ないっすよね!?問題あるっすか!?」

「な、ないです……。」

 

 その空気に耐えられなかった僕とくららは必死に姫の機嫌を取りなす。そこで出てきたくららの発言にジャックは驚いていたけど、くららの必死な様子に説得を諦めていた。それにくららの言う通り、ジャックがシンデレラにちゃんと誤れば済む話だ。ジャックもそれは分かっているはずだし、ジャックも流石に謝るつもりはあっただろうから、出禁という言葉に驚いただけだろう。

 

「……はぁ。まぁおつうちゃんがジャック君の恋人になれてるのにかかわることだから、ホントはわたしにとやかく言う権利はないしね……。でも、一世一代の告白を気づいてもらえないっていうのは、やっぱり女の子としてはとっても辛いんだからね?」

「うっ……。その、ホントにごめん……。」

「謝るべきなのは、わたしじゃなくてシンデレラさんだよ?」

「もちろん、シンデレラにも今日帰ったら謝るよ。」

 

 僕達の説得が効いたのかはさておき、姫は一つ溜息を吐くと苦笑しながら矛を収めた。まぁジャックに最後にくぎを刺していたけど、それも本気で怒っているというよりは注意に近い感じだった。それを聞いてジャックは改めて真剣な顔でシンデレラに謝ることを約束していた。姫の雰囲気とジャックの呼び方が元に戻ったことで姫がもう怒っていないと分かり、そっと胸を撫で下ろす僕とくららだった。

 

「うーん……。」

「どうかしたの、くららさん?」

「いや、ジャックさんが姉貴達と恋人になったのも人魚姫さんがきっかけだったみたいっすし……今のやり取りも合わせると、そのうちジャックさんは完全に人魚姫さんに頭が上がらなくなりそうだなぁって思っただけっすよ。」

「あはは、そんなことはないよ。ね、おつうちゃん?」

「そ、そうですね……。ははは……。」

 

 ジャックと姫のやり取りに胸を撫で下したくららがしみじみと言った言葉を笑って否定した姫が僕に同意を求めてきたけど、僕には素直に受け入れることができなかった。僕もくららの言う通りだと思ったからだ。

 僕達はジャックに急いで女心を学ぶ必要はないと言ったけど、ジャックはきっと僕達の言葉だけを信じて何もしないということはないだろう。そうなると当然何かしら女心を学ぶ手が必要になるわけだけど、ジャックの周りでそう言ったアドバイスを求められる相手の最有力候補が姫だ。ジャックと親しい異性であり、みんなの性格や趣味嗜好についても熟知し、ジャックが抱えている事情も把握している。まさに相談にはうってつけの人材だろう。そうなるとジャックは色々と姫に頼る機会が増えていくわけで、姫に対してジャックが頭が上がらなくなるのは時間の問題だろう。ただでさえジャックは大人しい性格をしている上に、日頃優しい姫は怒ると非常に怖いことがさらにそれに拍車をかける。

 もっと言えば、正直既にジャックだけではなく僕も含めた血式少女はみんな姫に頭が上がらないと思う。姫の恋人である僕が姫に強く出られないのはともかくとしても、そもそも僕達がジャックと恋人になれたのは姫の尽力が大きいのだから。その一点ですでに僕達は姫に大きな借りがある。それに、きっとみんなはこれからジャックに異性として好意を持ってもらえるようにするためのアドバイスを姫に求めようとするはずだ。王子さまとして振る舞っていた僕の恋人を長年続けている姫は、僕達血式少女達の中では一番女性らしい振る舞いをしている。女性らしさをアピールしていくことになるみんながそれを学ぼうとするのは自然だろう。そうなるとますます姫に強く出られなくなる。恋人関係という意味ではジャックが一番みんなとのつながりが強いけれど、実質的な意味でみんなの手綱を握っているのは、多分姫だ。他のみんなに聞いたとしても同じことを思うのではないだろうか。

 

「あ、そうだくららさん。」

「何すか、人魚姫さん?」

「一つ気になったてたんだけど……ジャック君についての噂って、みんなジャック君に厳しいっていうか、ひどいことばっかりなの?」

 

 姫がふと思い出したようにくららに投げかけた質問に僕もくららの方を向く。今まではジャックについての噂の内容そのものに注意が向いていたから気が付かなかったけど、言われてみると確かに、くららから聞くジャックについての解放地区での評価は不思議だと僕も思う。

 確かに血式部隊の男女比は女子側にかなり偏っているし、ジャックは前線に出て戦うようなこともしない。血を使って僕達の穢れを浄化するという彼の役割は下手をすると直接メルヒェンと戦う僕達よりも負担の大きいものだけど、それは彼の使うメアリガンのことを知っている僕達だから分かることであって、僕達の活動の断片的なことしか知らない人から見れば確かにジャックは後ろにいて時折不思議なことをしているだけにしか見えないかもしれない。そうなるとジャックに対して厳しい評価をする人、特に見目麗しい美女美少女ばかりに囲まれていることに、何もしていないくせにとやっかみを言う男性が多くてもおかしくはない。

 それに、単純に色恋沙汰の話のほうが話題としては楽しいというのも考えられる。血式部隊は確かに戦闘集団であり、もちろん解放地区の人達もそれは知っているけど、僕達は最年長の赤ずきんでさえ20歳ほどだ。平均年齢はさらに低い。おまけにいかにも強そうな筋骨隆々な男達ということもなく、むしろその対極のような華奢な女の子達ばかりが集まっている集団なのもまた事実。いくら戦っている様子を見たことがあったとしても戦闘よりも他の話に関心が強くなることもあるだろう。

 さらに言えば、そもそも解放地区はこのジェイルの中でメルヒェンの脅威から人々が身を守りながら生活するための空間であり、ここに住んでいる人達は戦場に立って勇ましく戦っているみんなの姿よりも、任務の重圧から解放されて束の間の休息を楽しむ年相応の少女らしいみんなの姿のほうが印象深いというのも考えられる。それならみんなについての恋愛関係の憶測が多くなるのも、そんなみんなを―事実はともかく表面上は―とっかえひっかえしているように見えるジャックについての悪い噂が立つのも不思議ではない。

 ただそれでも、ジャックについての悪い噂しかないというのは幾らなんでもおかしい気がする。血式部隊、もっと言えば黎明がジェイルからの脱出のために活動していることも、解放地区の治安と安全を守っているのも解放地区の人達は知っているはずだ。そしてジャックもその一員。傍目には何をしているのか分からなくとも、本当に何もしていないのに黎明に、しかも命の危険の大きい血式部隊にいるはずがないのだから、何の意味もなく彼が黎明にいるのではない、と考える人がいてもおかしくない。というか、そのほうが自然だ。そしてジャックについての噂をするのならそこについて話題になることもあるだろうし、そうなればジャックについての好意的な意見が出てくることもあるだろう。前にくららに聞いた話だとジャックの仕事はみんなのメンタルケアだと解放地区の人達には思われているようだけど、それはそれで大事なことなのだから否定的に捉えられるというのは疑問が残る。

 にもかかわらず、僕達が耳にするジャックの話は微妙な評価ばかり。勿論くららが知らないだけ、というのも考えられるけど、彼女は結構な量の噂話を知っている。その中に一つもジャックに好意的な話がない、というのは些か考えにくい。

 そんな風に疑問を抱く僕の視線の先で、姫の言葉を聞いたくららは勢いよく首を振る。しかしその顔には苦笑が浮かんでいた。

 

「いえいえ!もちろんそんなことはないっすよ?ジャックさんに好意的な噂もちゃんとあるっす。」

「あ、そうなんだね。ならよかった……。」

「でもくらら、なんでそんな微妙な顔をしているんだ?」

「あー……。ジャックさんについての評価って、人によってかなり差が激しいんすよ。」

「そうなの?」

「勿論、うちが知っている範囲なんで違うところもあるかもしれないっすけど……。」

「それでもいいから、良ければ聞かせてくれないかな?」

 

 くららの表情が気になって質問した僕に対するくららの返答に興味が湧く。今までとは毛色の違う話が聞けそうな予感がする。それは姫も同じようで、視界の端で興味深そうな目をしている。

 ―話題の中心であるはずのジャックの、さして興味のなさそうな様子は気になったけれど。

 

「えーっと……まず一番極端なところだと、姉貴達やジャックさん自身についてよく知らない若い男性達からは悪く言われることが多いっすね。」

「へぇ。ちなみに若い男性からっていうのは……。」

「まっ、ほぼただのやっかみっすよ。姉貴達は皆さん美人揃いっすから。」

 

 僕がくららの話を聞いて思ったことを口にしようとすると、その内容を予想したくららが肩をすくめながら途中で答えを教えてくれた。その内容は僕が少し前に想像した通りのものだ。まぁ―

 

「……でも、ジャックにはジャックにしかできない役目があるから、血式部隊にいるんだ。その結果としてみんなとの仲が深まったとしても、それを周りからとやかく言われる筋合いはないはずだ。」

 

 ―予想していたからと言って、予想が当たって嬉しいかと言われるとそんなことはなくて、むしろ僕としては面白くないのだけれど。多分、いや間違いなく、アリス達が聞いても同じような感想を抱くだろう。

 確かにジャックは身体能力も常人並みで、メルヒェンとの戦闘にも参加しない。そこだけを見れば確かに彼は何もしていないけれど、でも彼は僕達血式部隊の中でもっとも重要な役割を担っている。メアリガンによる穢れの浄化という役割を。それがないと僕達はメルヒェンを相手に満足に戦うことができないし、それはジャックにしかできないことでもある。彼は僕達と同じように血式部隊の一員として貢献している。

 いや、むしろ負担という点で言えば彼のほうがずっと大きいだろう。ジャックが僕達の穢れを浄化する方法は、彼の血液をメアリガンで抜き出して噴射するというものだ。しかも、ただでさえ一度穢れを浄化するだけでもそれなりの血液を必要とするのに、彼は一人で十人以上の穢れを浄化する必要がある。僕はこちらの世界でのジャックの力の詳細についてあまり詳しくは知らないけれど、メアリガンは造血速度が人よりずっと速いという彼の体質と造血剤が合わさることで実用に足るだけの性能になっているだけで、使用者にかなりの負担がかかる代物だというのは知っている。実際ジャックは結構な頻度で探索が終わると貧血になって部屋で寝込んでいると聞く。僕達も探索任務の後はそれなりに疲労を抱えることはあるけど、流石に寝込むほど疲れることはナイトメアと戦った時でさえない。それはつまり、彼のほうが僕達よりもずっと大変な思いをしながら探索任務にあたっているということだ。

 そして―だからこそ、彼が文字通りの意味で身を削り、時に倒れながらも僕達を守っているのを、ジェイルからの脱獄というこのジェイルの中にいるすべての人々の悲願のために努力しているのを知らない人が、ただの嫉妬で彼を軽んじているというのは、はっきり言って不愉快だ。僕達やジャックの事情をよく知らないから仕方がないことだというのは、僕だって理解している。ただ、理解するのと、そのせいで彼が批判されるのを納得するということは同じではない。特に僕は、彼が誰よりも優しくて、誰よりも他の人のために行動できる人だと知っている―だけでなく、彼の恋人なのだから。自分の愛する人が理不尽な理由で軽視されているというのを、素直に受け入れることはできない。

 見ると、姫も表情が少し険しくなっている。おそらく僕の言った言葉を聞いて、僕と同じような考えに至ったのだろう。そういえばくららもさっき肩をすくめていた。彼女が僕達の事情をどれだけ把握しているかは知らないけど、彼女もさっきのジャックに対する評価には思うところがあるのかもしれない。

 

「えっと……つうも人魚姫も、もしかして怒ってるの……?」

 

 と、そこで今まで黙って僕達の話を聞いていたジャックが会話に入ってきた。その声と表情には困惑が浮かんでいる。彼の言葉から察するに、僕達が彼に対する評価に機嫌を損ねていることに気が付いていないようだ。

 その言葉を聞いて、ふと疑問に思ったことが出てきた。出てきてしまった、のほうが正しいかもしれない。何故なら、僕にとってはあまり喜ばしいことではないから。そんな微妙に嫌な予感を抱えたまま、彼に疑問をぶつける。

 

「……ジャックは、さっきの話に腹を立てたりしていないのか?」

「え?みんながその……美人だっていうのは事実なわけだし……。」

「……褒めてくれるのは嬉しいけど、そっちじゃなくて。君は君でちゃんと頑張っているのに、それに気づかれずに悪く言われてもいいのかってことだよ。」

 

 ジャックの思わぬ誉め言葉にちょっと動揺したけど、何とか僕の思っていたことをジャックに伝えることには成功した。もっとも―

 

「うーん……。何も思わないってことはないけど、僕がメルヒェンとの戦闘に直接加わっていないのは事実だからね。僕が何をしてるかなんて、僕達のことをよく知らない人には分からないだろうし……。だから、別にそれは気にしてないよ。」

「ジャック……。」

「そもそも、僕はあくまで、アリスやみんなの力になりたくてメアリガンを使っているわけで、別に誰かに褒められたくて血式部隊にいるわけじゃないから……。流石に鬼畜だとかって言われるのは嫌だけど、それでも別に実際に困ったことはないし……」

 

 ―最初の質問に望んだような回答が返ってこなかった時点で、僕の嫌な予感というのは的中していることになるのだけど。案の定、僕の再度の質問にジャックはそんな答えを返してくる。その顔には特に強い感情も、それを無理に隠そうとしているような様子も見られない。みんなも関わっていた噂についての話の時に苦笑しただけで、自身についての評判にはあまり興味がない様子が窺われる。

 気になってはいたのだ。自分の噂話について聞いているのに、当の本人であるジャックの反応が薄いことが。みんなとの関係についての話の時は僕らのやり取りにもしばしば口を挟んできていたのに、今回の話ではそんな様子を彼が見せることはなかった。

 彼が周りからの悪評に心を痛めていないことが―悲しい。もちろん僕も姫もくららも、彼が心を痛めれば嬉しかったというわけではない。ただ、自分についての悪評に何も思っている様子のない彼の姿が悲しかったのだ―それが、彼の自身に対する評価を表しているようで。

 他人からの批判を気にしていない、という場合に考えられる理由は二つあると僕は思っている。一つは、他人に興味がないということ。でもこれはおそらくジャックには当てはまらないだろう。彼が他者を大事にしていることは、今まで彼と過ごした日々の中でずっと見てきた。最初は自身をナイトメアと呼んで敵対していたグレーテルや、グレーテルを守ろうとしていたナイトメアであるヘンゼルに対してさえも、最後まで対話での友好を模索し続けたとも聞いている。それを踏まえれば、彼が他者に、たとえそれがよく知らない相手であったとしても、関心がないというのはあり得ないだろう。

 だから、彼が他人からの悪評を気にしていない理由はもう一つのほう―そもそも自分のことを高く評価していないから、ということだと思う。自己評価が低いから、他人からの評価が低くても違和感がない。そういうことなんじゃないかと思う。

 確証はない。彼がそう断言したわけでもないし、きっと彼は僕達がそんなことを言ったとしても否定するだろう。けれど、さっき彼にしかできないことがあるにもかかわらず、彼は自身が戦闘に参加していないことを真っ先に口にしていた。それも考えれば、僕の考えはあながち間違っていない気がする。

そしてその彼の自己評価の低さは、僕達を不安にさせる。きっとそれが、彼の強すぎる自己犠牲精神の一因だろうから。

普通、人は自分が怪我をしそうな行動を避ける。僕だって怪我をしたいなんて思ったことはない。当たり前のことだ。誰だって自分が大事なのだから。

 にもかかわらず、彼はそれをしない。僕達の穢れの浄化のために倒れるまで自分の血を使うのを躊躇わない。僕達を庇って自分が怪我をすることも躊躇わない。それが彼の長所でもあり短所でもあると言っていたのはハルさんだったし、僕もそう思っている。僕は彼のそんな行動に救われたことも、彼のそんな行動に肝を冷やしたこともあるのだから。

 でも、僕は一つ勘違いをしていたのかもしれない。彼がそんなことをする理由を、僕は彼が底抜けに優しいからだと思っていた。彼の優しさが自身の痛みやそれに対する恐怖を上回っているから、彼はあんなことができるのだと。

 しかし、本当はそんな立派な理由ではないのかもしれない。彼が自分の身が傷つくのを顧みないのは優しいからなんかではなく、自分のことを軽視しているからなのではないか。自分の価値を低く見積もっているから、自分以外のもののために簡単に自分を犠牲に出来るのではないか、と。

 考えすぎだとは思う。心配のしすぎだとも思う。実際はそんなことはなくて、単に彼が優しすぎるだけだろう、とも思っている。

 でも―それでも、彼が自分のことをそんな風に思っている可能性があるというだけで、僕は不安になってしまう。自分の大切な人が自身のことを大切に思っていないことが悲しい、というだけではない。そんな彼の自己評価を放っておいたら、いつか取り返しのつかないことになるんじゃないかと、そう考えてしまうのだ。

 僕がこの世界で記憶を取り戻した日、赤ずきんとハルさんはナイトメアだった僕を庇って大怪我をしたジャックについて、彼が赤の他人であっても命がけで庇ってしまうのではないかと心配していた。二人がその時本心ではどう考えていたのかは分からないけど、僕は少なくともそこまで本気で思ってはいなかった。ジャックが僕を庇ったのは、あくまでも僕が知り合いだったからだと、そう思っていた。僕には彼と過ごした日々の記憶があったし、彼も僕のことを覚えていたから―僕のことを『相棒』だと、そう言ってくれるほどに大切な存在だと捉えてくれていたから。そう思っていた。

 でも、もしそうでないのなら。ふと彼が姫を生き返らせるためにウィッチクラフトに飛び込むと言った時のことが頭をよぎる―彼が姫の蘇生に失敗し、僕を、アリスやみんなを置いていなくなってしまうかもしれないと血の気が引いたあの時のことが。

 自分を犠牲にすることを躊躇わない彼が、いつかまた同じようなことをして―今度こそ本当に、僕達のもとに帰ってこなくなってしまう。そんな風に思ってしまった。

 そして、それだけで泣きたくる。体から力が、視界から光が、心から熱が失われていく錯覚がした。僕はもう、大切な物を手にしてしまったから―それを失ってしまうことに耐えられるほど、強くないから。

 僕の視界の中では姫も悲しそうな顔をしている。くららも気づかわしげな表情でジャックを見ている。僕も思わず彼から目を背けてしまいそうになって―それではダメだと頭の中で警鐘が鳴っている気がして、彼の服の袖に手を伸ばす。そうやって彼から目をそらすことこそが、一番やってはいけないような気がして―目を離してしまったら、それがたとえ一瞬だとしても、彼を失うには十分な気がして。

 

「ん?……つう、どうかしたの?」

「……やめてくれ。」

「へ?」

「君のことを大切に思っている人は、僕を含めていっぱいいるんだ。……だから、もっと自分のことも気にかけてくれ。」

「えっと……?」

 

 胸に巣食う不安に突き動かされるように口を開く。表情や態度を取り繕う余裕も言葉を飾る余裕もないせいで、ジャックに上手く思いを伝えられないのがもどかしい。でも、それに気づいていても、思考が上手くまとまらない。伝わりやすい綺麗な言葉を考えるよりも早く、感情に任せた素の言葉が漏れる。

 

「君がそんな風に自分を軽視しているのを見ると、不安になるんだよ。……前みたいに、他の人のために自分を犠牲にしそうな気がして。」

「前?……あっ。い、いや、別に自分のことがどうでもいいからあんなことをしたわけじゃ―」

「事実がどうかは問題じゃない。僕からすればそう思えるってことが問題なんだ。」

「…………。」

「僕もアリス達も、君がいなくなってしまったら生きていけないんだ……いろんな意味でね。だから、もっと自分を大切にしてくれ……君自身のために、じゃなくていい。僕達のために、でも、僕達のせいで、でもいいから……。」

「……うん。」

 

 僕が続けた言葉でようやく僕の心配が理解できたようで、ジャックは焦った顔で弁解してくる。その様子から彼は、僕の言いたいことを理解はしていても納得はしていないというのが分かってしまった。だから、さらに直接的な言葉を使う。それに弱弱しい笑顔で頷いたのを見て、ようやく少しだけ安心した。少しだけ、なのは、これが所詮一時しのぎでしかないと分かっているからだ。僕が一言二言言ったくらいで彼が行動を改めるのなら、アリスあたりがとっくにどうにかしていたはずだ。同じことを何度も何度も繰り返して、僕達に言われたからではなく、彼自身が自分のことを大事にしようと思ってくれるようになって初めて、本当の意味で僕は安心できる。

 なら何故ジャック自身のことなのに彼自身のためと言わなかったのかといえば、そのほうが彼は素直に聞いてくれると思ったからだ。参考にしたのは昨日のハルさんの意見。いざとなったら泣き落とせばいい、と言っていたあれだ。ハルさんが言っていたことの本質は、ジャックに本当に聞いてほしい願いをする時は、彼の優しさに訴えかけたほうがいい、という意味だと思ったから。ジャック自身のために、よりも、僕達のために、といったほうが彼はきっと真剣に取り組んでくれると、そういうことだろう。泣けばいいというのはあくまで例えだろう。僕もみんなも、自分の意思ひとつで泣けるほど役者ではない。もっとも、できるかどうかは分からないけど涙は女の武器だというくらいだし、それは今後の課題ということにしておこう。それはともかく―

 掴みっぱなしだったジャックの服の袖を軽く引いて、彼の胸に額を押し付けて目を閉じる。自分が中々、いやかなり重いことを言っているのは、一応分かっているつもりだ。彼に想いを告げた時のように、簡単に自分の命に言及してしまった。僕達血式少女にとって、彼の持つ特異な力が文字通りの意味で死活問題になりうるということを差し引いてもなお、それが普通でないことは分かっている。最近の僕はいつもこうだ。彼の前だと、そうでなくとも彼のことになると、簡単に取り乱してしまう。王子さまでいられなくなってしまう。アリスのことをとやかく言えないくらいには、冷静さを欠いてしまう。

 そしてそれが、最近自覚した僕の我儘で脆い本質だ。今ある幸せでは飽き足らずにどこまでも求めるくせに、一つでも取りこぼしそうになると我慢できない―そんな甘やかされた子どものような身勝手さ。さっき、僕達のせいで、なんて言い方をしたのもそれが原因だ。

 あれはきっと、彼にとっては鎖になると思う。あるいは免罪符かもしれない。いざ彼が本当に困った人を見つけた時、自分の身を犠牲にして助けるのをやめさせるための―行動を縛るための鎖。そして、それを僕達のことを言い訳にして正当化するための免罪符。

 勿論自分が見捨てたせいで誰かが死んでしまったとしたら、きっと彼は深く傷つく。それは分かっている。―その原因が僕達に、僕にあるということも。

 でも、例えそうだとしても、仮にそれで彼に恨まれることになってしまったとしても、僕は彼に生きていてほしい。勿論彼に恨まれたら僕は涙が枯れるまで泣き続けるだろし、彼のそばにずっといたいと思ってもいるけれど、例え僕が彼のそばにいられなくなってしまったとしても、彼が生きてくれているのならば、まだそのほうがいい。体の傷は魔法で治せる。心の傷は時間が軽くしてくれる。でも、命だけは、元に戻せないのだから。

 どうにかしたいとは思っている。我儘ばかり言っていたらジャック達に迷惑をかけてしまうかもしれないし、弱さばかりを晒していてはみんなを心配させてしまうかもしれない。姫の王子さまになると遠い昔に約束したのだから、簡単にそうでなくなるようではいけないとも分かっている。そして―僕の突然の行動に文句一つ言うことなく頭を撫でてくれるジャックの優しさと暖かさに、情けなさよりもまず心地よさを感じている自分に、そんな風な強さを身に着けるまでは遠そうだと、心の中で情けない自分に溜息を吐いてもいる。

 

「おぉ……流れるように甘い空間を作り出したっすね。さすがは恋人……。」

「……あははっ、確かにそうだね。でも、くららさんならジャック君とアリスさんがこんな風になってるのも見たことあるんじゃないの?」

「あー……今までのお二人は、どっちかというとアリスさんのほうから幸せオーラが駄々洩れだったっていうパターンが多かったすねぇ。ジャックさんは割といつも通りだった気がするっす。」

「うーん……ジャック君は鈍いからなぁ。」

「まぁ、しょうがないっすよ、ジャックさんっすし。」

「あの……二人して聞こえるように悪口を言うのは止めてくれないかな……?」

 

 僕達のやり取りを黙って聞いていたくららと姫が会話を始めた。流れるようにジャックの悪口に移行した話を聞いて、少し顔を赤くしたジャックが二人に苦言を呈する。二人の視線に気が付いて気恥ずかしくなった僕はジャックの服の袖を放して一歩下がる。顔をあげた僕の視界に映った二人の顔には、既に暗い表情ではなく笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「……ところで、噂の話だけど……。」

「あ、そうっすね。さっきも言ったっすけど、ジャックさんについて好意的な評価をしている人もちゃんといるっすよ。」

 

 くららと姫がジャックを軽くからかって雰囲気が軽くなったのを見計らって、くららに少し前まで聞いていた話の続きを促す。大分脱線してしまっていたけど、僕の一言で彼女はすぐに本題を思い出してくれた。もともとはジャックについての好意的な評判を聞きたかったのだ。さっきまでの話ではその話題を出した意味がない。

 

「こっちも一番分かりやすいところから言うと、黎明の女性職員からの評判が一番いいっすね。姉貴達のこともきちんと知ってるんで、姉貴達がただ綺麗で強いだけじゃなくて、個性的でそれなりに相手をするのが大変って分かっているから、らしいっすよ。」

「へぇ……結構身近にいたんだな。というか、相手をするのが大変って……。」

 

 黎明の職員がジャックに好意的というのは別に意外というほどではない。ジャックには彼にしかできない役割がちゃんとあって、それに全力を尽くしているのを知っているはずだからだ。

 問題なのはむしろくららの話の後半部分だ。相手にするのが大変、なんて評価を受けているのか、僕達血式少女は。この世界に来てまだ日の浅い僕と姫は違う、と思いたい。

 

「まだまだ子どもなラプンツェルさんはともかく、常識はずれなことをすることが多いハーメルンさんやグレーテルさんとかっすね、筆頭は。」

「あはは……。」

「あとは……口数が少なすぎて考えてることが分からない眠り姫さんとか、最近はそうでもないそうっすけど、何かと用事を頼んでくるかぐや姫さんとか。子どもの時の姉貴にも随分手を焼いたって聞いてるっすよ。」

 

 くららの口から追加で語られた名前と評判に、ジャックは彼の内心を表すような乾いた笑いを漏らしている。正直僕も同感ではあるけど。グレーテルとハーメルンはそれなりに付き合いが長い僕達でも戸惑うようなことをすることがあるし、眠りの言いたいことが分からないことも少なくない。かぐや姫の件についても別に彼女自身の性格が昔から変わったということではなく、単にジャックが彼女の頼みを聞くようになっただけらしい。ジャックが来る前は自分達だけで遊んでいるか血式少女自体に関する検査が、ジャックが来てからは探索任務が生活の中心で、ハルさんと視子さんという例外を除けば黎明の職員とも接点が薄めな僕達についての評価としては、別におかしいということはない。特に、子どもの時のことを言われると弱い。今はもちろんそんなことはないけど、子どもの頃は感情が昂ると力加減を間違えて物を壊してしまうということが僕も何度かあった。それに加え、僕の記憶にある赤ずきんと同じなら、彼女はかなり腕白だったはずだ。物を壊したりしたことは僕よりも何倍も多いだろう。そんな彼女を知っていれば彼女の相手は―物理的な意味で骨が折れるほどの―重労働だと思われていても、だからこそ相手をするのが大変だ、と言われても仕方がない。

 

「そ、それはともかく……さっき女性職員に限定したのなんでだい?」

 

 この話題を続けても微妙な雰囲気になるだけな気がした僕は、別の質問をくららにする。彼女の話を聞いた際に違和感のあった部分だ。彼女はさっき、黎明の女性職員、と言っていた。職員ではなくわざわざ女性とつけたのには何かわけがあるのだろうか。

 

「それなんすけど……ジャックさんは、結構女性受けがいいみたいなんすよねぇー。特にジャックさんよりも年上の女の人から。これは黎明の職員だけじゃなくて、解放地区の女性たちの間でも割と言われてるっすよ。なんでも……可愛いとか、健気だとかで。」

「………健気、はともかく、可愛い……?」

「主に顔立ちと、姉貴達に振り回されてる様子が草食動物……どころか小動物っぽいってことらしいっす。」

「しょ、小動物……?」

 

 くららの語った理由の予想外さに上手く言葉が出ない。当事者であるジャックに至ってはフリーズしている。ちなみに姫は爆笑している。

 確かにジャックは小柄で体格も華奢だ。大きな目をはじめ顔立ちもカッコいいというよりも可愛らしい印象を与えるのは否定できないし、声も特別低いというわけではない。口調も穏やかで、基本的に気弱な性格をしている。そういった要素は確かに可愛いという表現をするには困らないかもしれない。年上に人気、というのも、多分庇護欲を誘うという意味だろうし、赤ずきんに振り回されるジャックの姿は簡単に想像できるから―物理的な意味で振り回す様子も想像できてしまったけど―健気というのもそこから来たのだろう。年上の女性に振り回される大人しい男の子。そんな風に見えたということか。

 ただ、僕達の中でジャックのことを可愛いと思っている人は多分いない。むしろカッコいいと思っている人さえいると思う。僕達は、ジャックは芯の強い側面を持った、やるときはやる熱くて真っすぐな男だと知っているから。実際僕は彼に何度も助けられているし、アリスをはじめジャックを頼りにしている血式少女も多い。可愛いとか小動物、なんて僕達の認識とかけ離れた人々の評価をすんなり受け入れるのは難しい。

 

「まぁ、ジャックさんは解放地区にいる時は大体そんな感じっすからね。うちは姉貴達に結構話を聞いてるんで違うっすけど、探索任務の時のジャックさんを知らないとそうなるんじゃないっすか?」

「あ、あぁ。そういうことか……。」

 

 戸惑いを隠せない僕を見てくららがそう補足を入れてくれる。それを聞いてようやく多少納得できた気がしなくもない。確かに探索任務の際のジャックの様子を知っているのは僕達血式少女くらいのものだ。そしてジャックは探索任務で不在というのとは別に、貧血を理由に部屋で休んでいることもそれなりにあるそうで、僕達血式少女よりも解放地区に足を延ばす頻度が少ない。ジャックの部分的なことしか知らない人が多くても不思議ではないし、だからこそわかりやすい容姿や表面的な性格だけでジャックを理解する人が多いのだろう。

 僕の予想で正解なのかは分からないし、真実がどうかも確認のしようがないから、そういうことにしておこう。微妙な気持ちを残したままだけど、対処するべきことは他にもあるのだから。僕はくららの言葉に僕以上に複雑な気持ちになっているだろうジャックに声を掛ける。フリーズからは回復したらしい彼は、困っているとも悲しんでいるともとれる非常に微妙な表情で頬をかいていた。ついさっき彼に自分の評判をもっと気にしてくれ、と言った本人としては、彼がそれをちゃんと実践してくれているのが嬉しい反面、その矢先の評判がこんなことになってしまって申し訳なくもある。本人にとっては不名誉だとしても言っている側としては誉め言葉だというのが分かるから、下手な悪評よりも対処に困る。

 

「えっと……ジャック……。」

「……確かに自分が力が強いわけでもカッコいいわけでもないっていうのは自覚してるけど……男としては、流石に可愛いって言われるのはちょっと……。」

「だ、大丈夫さ!ジャックにはちゃんとカッコいいところがあるから!」

「……例えば……?」

「えっ!?あ……えっとその……。」

 

 何と言って慰めようか決まらないまま一先ず声を掛けてみると、先に本人から悲しそうな声で心境が語られてしまった。その若干自虐的な言葉と雰囲気を見かねて深く考えずに否定をすると、彼は表情を変えないままさらに追及を加えてくる。僕の言葉をすぐさま否定したり冗談と捉えたりされなかったのは良かったけど、彼の追及に探索任務のことを例に挙げようとしたところで僕は言葉に詰まってしまった。反射的に、みんなのために自分の不調を顧みずにメアリガンを使える意志の強さとか、怪我を恐れず身を挺してみんなを庇える勇敢さとかを褒めそうになってしまったからだ。それをやめてほしいと言ったばかりなのにそれを褒めたりはできないし、そもそもついさっきまでと今とではジャックのその行動に対する印象は違っている。前は比較的良いことだと思っていたけど、彼の自己評価に関する先のやり取りでそれはむしろ逆転しているのだ。焦りのせいでそれを失念していた。

 

「……別に気を使ってくれなくてもいいんだよ、つう?」

「そ、そういうわけじゃなくてっ!……え、えっと、そうだ!ほら、この前僕を抱きしめて一緒に寝てくれた時のジャックはとっても素敵だったよ!!」

「「えぇっ!?」」

「「……あ……。」」

 

 しかし、僕の沈黙が事態を悪化させてしまう。自嘲するような苦しい笑顔を浮かべるジャックにさらに焦った僕は、ここ最近で一番自分の印象に残っている場面を例に出す。僕が彼に心奪われる一番のきっかけになったと言ってもいいあの出来事は、彼に対する愛情を自覚した今の僕にとってはジャックに心からときめいた素敵な思い出であり、彼が素敵な人だという何よりの証拠なのだ。

 もっとも、それは事態をさらに悪化させる結果になった可能性が高いのだけど。僕の爆弾発言に姫とくららは目を丸くし、その二人の様子を見て僕とジャックは今の発言が失言だったことに気が付いた。

 まだ僕は、姫にジャックと同じベッドで一晩明かしたことがあるという話をしていない。いつかは話さないといけないと思っていたけど、この世界に姫がやってきた直後にそんな話をするというのは気が引けたし、この世界に慣れたと言えるようになった最近は僕達の告白とかで慌ただしかった。そのせいで姫に説明をしないといけないのに忘れてしまっていた。

アリスにもまだ前の世界のことで話をしていないことがあるのも一緒に思い出す。それについても改めて相談しないといけない。

 そのためにも今は―

 

「……おつうちゃん、説明してくれるよね?」

 

 引きつった笑顔ですさまじいプレッシャーを放っている姫に、誠心誠意謝って許しを請うことから始めよう。

 

 

 

 

 

 

「-と、そういうことがありまして……。」

「…………。」

「そ、そのっ!決してずっと隠しておくつもりだったわけでは―」

「おつうちゃん。」

「ごめんなさい。」

 

 僕は事情を説明した。そうなった経緯から今まではなさなかった理由まで、くららがいるから若干ぼかしたところはあるけど、話せることは全て何一つ隠すことなく。恋人に対して不義理なことをしたのは事実だし、それに対して怒られたとしても甘んじて受け入れるつもりはあったのだ。タイミングがまずかっただけで。この期に及んで隠し事をするような女々しい真似をするつもりも、怒っているのが分かる姫の態度を見てもなおそんな火に油を注ぐ様な真似をする勇気もない。

 ただ、姫が気付いていないこととみんなが言っていないのをいいことに、このままずっと黙っているつもりだったと誤解されるのだけは嫌だった。だからそれだけは分かって欲しくて改めてそれを強調しようとした僕だけど、無表情の姫に名前を呼ばれただけでその恐ろしさに耐えきれずに謝罪する。今の僕にできるのは、どうやら姫の言葉のサンドバッグ―物理的な意味ではないと信じたい―になることだけのようだ。

 

「……もう。別に怒ってないってば。」

「え?」

「おつうちゃんが私のいない間心細かったから、ジャック君が慰めてくれてた……っているのは、ちゃんと分かったから。理由がちゃんとあるのに怒ったりするほど我儘じゃないよ?」

「そ、そっか……よかったぁ……。」

 

 苦笑しながら姫の言った言葉を聞いて、心の底から安堵を覚えた。姫ならそう言ってくれるのではないかと思ってはいたけれど、本人の口から直接それが聞けたというのは、主に僕の罪悪感という意味では大きい。思わず胸を撫で下ろす。

 

「あ、あとそれはもういいけど、おつうちゃんは今日私と一緒に寝てね?」

「……へ……?」

「え?ジャック君はよくて、私はだめなの?」

 

 もっとも、撫で下ろした胸はまたすぐに弾むことになるのだけど。突然の姫からのお願いに思わず目を丸くしてしまう。対する姫も似たような表情だった。僕の反応がよほど予想外だったようだ。

 

「い、いやそんなことはないけど……ど、どうしていきなり?」

「どうしてって、ジャック君が羨ましかったからだけど……。私だって、おつうちゃんの恋人なんだよ?」

「そ、そうだね……分かったよ、姫。」

「やったぁ!」

 

 理由を問う僕に、姫は不思議そうな表情を変えないまま答えを返してくる。それを聞いて納得した。姫は僕が前にジャックと同じベッドで眠ったことに怒ってはいないと言っていたけれど、それはそれ、これはこれ、ということなのだろう。怒ることはないけれど、羨ましくないということでもない、と。僕も前に、グレーテルがジャックに告白する時に似たようなことを思った。

 理由が分かれば、拒む必要はない。もとより拒むつもりもないのだけれど。姫のお願いを聞き入れる旨を伝えると、姫は無邪気な笑顔を見せてくれた。その柔らかな笑顔と雰囲気に、さっきまで感じていた緊張が解けて肩の力が抜けると同時に、コロコロと変わる姫の様子に苦笑してしまう。もっともそれは、自分を翻弄してくる姫に呆れているからではなく、そんな姫の様子も可愛いと思ってしまう自分の単純さに対するものだけど。

 

 

 

 

 

 

 その後くららと暫く雑談をしていた僕達は、くららのお店にお客さんが来たのを機にお店を後にした。

でも僕には一つ気になることがあった。というのも、お店を後にする前に姫がくららに何やら耳打ちしているのが見えたからだ。その時の姫はいたずらっぽい笑みを浮かべ、逆にくららは苦笑いを浮かべていた。その表情とさっきまでの話の流れを思い出して大体の想像はついたけど、念のため姫に確認してみる。

 

「そういえば姫、さっきはくららと何の話をしていたんだい?」

「あー……。おねーちゃん達が近いうちにアドバイスを求めに来るかもしれないかもって、くららさんに伝えてたの。」

「ははは……。」

 

 姫の口から語られた予想通りの答えに思わず乾いた笑いが漏れてしまう。今まで恋愛関係の話をくららにしていたみんなが引き続きくららに助言を求めようとするのは簡単に予想できるし、詰め寄ってくるみんなを持て余すくららの姿も簡単に想像できる。くららはジャックと恋人になったみんなの愚痴やこれからも聞くことになる惚気を心配していたけど、今まだしっかりとした恋愛感情を持っていないジャックに好かれるためのアドバイスを求められるというのは失念していたみたいだから、確かに姫の話がなかったら混乱したかもしれない。くららの話してくれたジャックに関する話題がどれも予想外すぎてその話をするのを忘れていた。

 

「それより……。」

「どうしたの、人魚姫?」

「うん……今までも周りの人に見られてる気はしてたけど、その時は理由が分からなかったの。でも、さっきのくららさんのお話で理由が分かったなって。」

「…………。」

「ははは……。」

 

 姫が笑顔で言った言葉にジャックは渋い顔で口を閉ざす。それを見て再び乾いた笑いを漏らしてしまう。姫の言葉を聞いて改めて周囲を気づかれないよう注意しながら見回すと、確かに多くの人達が僕達に対して視線を向けている。しかもその視線の種類も様々だ。

 まず一番多いのは不思議そうな視線。これはおそらく、今まで見たことのない僕と姫が血式部隊の制服を着てジャックと一緒に歩いているからだろう。今まで途中から血式部隊に加わったメンバーはそれこそ今ここに居るジャックを含めてそれなりにいるけれど、そういえばきちんと血式部隊の制服を着ている人は意外に少ない。ジャックの制服は厳密に言えば血式部隊の制服ではないし、グレーテルとハーメルンについてもそれは同じだ。訝し気、でないのは、少ないとはいえアリスとラプンツェルという前例がいたからだろう。あるいは、この前僕がジャックと一緒に歩いているのを見ていた人が、前と大きく異なる格好をしている僕を不審に思っているという可能性もある。

 次に多いのは、微妙に生温かい視線。これについては最初意味が分からなかったけれど、この前ジャックと一緒にくららに聞いた噂を思い出して予想ができた。あの、ジャックがみんなにシェアされている、というあれだ。僕達の制服を見て僕達が赤ずきんたちの同類だと思った人達が、相手にする人間が増えて苦労が増したジャックに対して同情しているのか、あるいは惚れた女の子を増やしたジャックの誑し具合に呆れているのかどちらかだろう。生温かな視線になっているのは、僕達のそんな関係に好意的で、温かく見守ろうという人が多いから、と思っておこう。実際のところが、赤ずきんたちに振り回されるジャックか、逆にジャックの何気ない言動に翻弄される赤ずきんたち血式少女達のどちらかを楽しみにしている野次馬根性だとしても。

 その次が、若い男性の恨めしげな視線。これはまぁ、そういうことだろう。これが割と多いというのはどうかと思わなくはないけど。

 その次に多い―もっとも、ここまで来るともうそこまでの数ではないのだけれど―のは、若い女性の興味深そうな視線。これを僕は最初カエデやヒカリのように恋愛話に目がない女性だからこそ、新しくジャックのそばに現れた少女である僕達とジャックの関係に興味津々なのだと考えていたのだけど、くららの話を聞いた今となっては、ジャック自身に興味があるから見ているように見えてしまう。それが、今の僕には男性の視線ほどではないものの、愉快ではなかった。

 考えすぎだと頭では分かっているし、そもそも別に関係もないはずだ。ジャックが他の女の子に目移りしているというのならともかく、今の状況はその逆なのだから。むしろ内容はともかく、ジャックのことを魅力的だと思っているから周りの女性たちがそんな視線を向けているのだとすれば、そんな相手と恋仲になれていることを誇ってもいいくらいだろう。

 

「む……。」

「え?ど、どうしたのつう?」

 

 にもかかわらず不愉快に感じている理由が、僕にはわからない。分からないが、不愉快なのは確かなわけで。モヤモヤした感情を持て余したまま、何とはなしにジャックの手を握る。突然の僕の行動に驚くジャックに答えることなく、握った手に軽く力を籠めながら目だけを動かして周りの様子をもう一度見る。

 僕達に向けられている視線は、若干変わっていた。男性からの嫉妬の視線は強くなっているし、生温かだった視線はその量とぬるさを増している。女性からの視線の大半にはさっきまでよりも強い好奇が宿っているし―ごく一部だけではあるけれど、僕に対して、羨望の眼差しを向けてくる女性もいる。それを見て何故か少し溜飲が下がって、気分が良くなった感じがした。それで、僕が抱いていた感情が分かった気がした。そう、これはきっと―

 

「ふふっ。おつうちゃんは面白くないんだと思うよ?周りの女の人がジャック君に興味を持ってるのが。」

「へ?」

「ひ、姫っ!」

「えー?だってホントのことでしょ?」

 

 姫がいたずらっぽい笑顔で楽しそうに告げた言葉に、ジャックは間の抜けた声を出す。図星を刺されて姫に慌てて声を掛けた僕の様子に、姫はニマニマと笑みを深める。

 姫の言う通り、僕は周りの女性達の様子が面白くないと感じていた。そしてそれは、男性達に感じていたような微かな怒りの混じった不快感ではない。この感情は、独占欲。

 

 ―ジャックのことを想っているのは、僕達だけだと思っていたのに―

 

 幼い子どもが自身の秘密基地にしていた場所に他の子どもがいるのを見た時のような、資料室でお気に入りの本が他の人に借りられていた時のような、行きつけのお店に見知らぬ客が来た時のような、そんな感覚。別に自分だけのものではないのに、それは分かっているというのに、何となく自分の宝物が汚されたような気がして面白くないと思ってしまう、そんな酷く子どもっぽい我儘。

 驚いたような表情を浮かべているジャックの様子に、改めて姫に指摘された自身の感情を自覚して赤面する。ジャックに自分の想いを伝えた時から分かってはいたことではあるけれど、僕は恋愛が絡むと酷く我儘になってしまうらしい。こんな些細なことにさえ心を乱してしまうということが、自分の未熟さと脆さを表しているような気がして、それを知られてしまったことに羞恥を覚える。

 もっとも、抱いたのは羞恥だけではない。同時に不安も抱いている。あまり自分の感情だけを優先していては嫌われてしまうのではないか、束縛しすぎていては疲れさせてしまうのではないか。そんな不安。ただでさえジャックは自分よりも他人を優先することが多く、優しい性格をしている。それでもジャックだって普通の感性を持った男の子なのだ。不満やストレスだって感じるはずだ。他人のことを考えて、それらを我慢してしまうだけで。だからこそ、恋人として僕達のほうでジャックのストレスを減らしてあげなくてはいけない。それなのに、僕が自分でジャックのストレスになるようなことをしているというのはやっぱり情けない。

 

「……つう、そうなの?」

「う、それはその、……ごめん。」

「え?なんで謝るの?」

「いや、だって……こんなに簡単に嫉妬するなんて面倒くさいだろう?」

「うーん……僕は嬉しかったんだけどな……。」

「へ?」

 

 姫の言ったことの真偽を問いかけてくるジャックに渋い顔で返事をした僕に、ジャックは意外なことを口にする。思わず呆けたような顔をしてしまう僕に、ジャックは気恥ずかしそうに笑う。

 

「だって、つうが嫉妬したってことは……それだけ僕のことを、その……好きだって思ってくれてたってことだよね?そんなに真剣に想ってもらえるっていうのは、やっぱり嬉しいよ。」

「……そっか……。」

 

 空いている手で赤く染まった頬を掻きながら、照れくさそうにジャックは僕に微笑む。そんな彼に、僕はそう返す。

彼の手を握っている手を、強く握り直す。短い言葉とは裏腹に、僕の内心は複雑だった。悪い意味ではない。いろんな形での喜びを噛みしめていた、という意味だ。

 彼が面倒くさい僕を受け入れてくれたこと、だけではない。それはもちろんあるけど、一番大きいのはそれではない。僕が一番嬉しかったのは、僕が彼のことを想っていることを、彼は幸せだと思ってくれていた、ということだ。

 それが当たり前だ、なんてことを僕は思っていない。だって、彼の中にはまだ、僕への確固とした愛がないのだから。愛情かどうかはともかくとしても、彼が僕に好意を持ってくれていることは流石に疑ってはいなかったけど、それでもこうしてはっきりと言葉にして彼の思いを聞くことができると安心する。

 それは何故か―僕は、自分に愛されることが必ずしも相手を幸せにできるのだと、そう無条件に信じられるほど、自分を信じることができないから。今それが形として残っていないとしても、多くの不幸を齎したという事実があるために。ジャックや姫がどれだけ許してくれたとしても、それを理由に罪から目を逸らしてはいけない。前を向くことと後ろを振り返らないことはイコールではない。罪を背負っているからこそ、その償いをするために、未来を見据える。それが、今の僕のすべきことだと思っている。―ジャックと姫、他のみんなと前へ進んでいくうえで、僕が外すことのできない枷だと思っている。

 だから―そんな僕が、僕の想いが、僕の愛する人を幸せにできるのだと、それが分かったこの瞬間を、僕はずっと忘れないだろう。僕が強く手を握ってきたことに、一瞬不思議そうな顔をしたものの、理由も聞かずに握りかえしてくれた彼の手の温かさと感触に、僕はそう思った。

 

「うーん、ラブラブだね、二人とも。」

「あ……その、ごめんね人魚姫。二人だけで話してて……。」

「ううん、気にしないでいいよ。今日はおつうちゃんが女の子らしくする練習でもあるんだもん。それにわたしも、今日は朝から一杯おつうちゃんの女の子っぽいところが見られて楽しいし。」

 

 しみじみと呟いた姫の言葉で、ジャックはさっきまでの様子からいつもの雰囲気に戻って姫に謝る。笑いながら姫の言った言葉に赤面する僕だった。さっきからずっとこんな感じな気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。

 

「さっ、くららさんのところにも挨拶に行ったことだし、デートの続きをしよっか、二人とも。」

「っと、に、人魚姫……?」

 

 笑顔でジャックの腕に抱き着いた姫に、抱き着かれた本人であるジャックは驚いたような顔をする。そんなジャックに姫は楽しそうな口調で言葉を続ける。

 

「ほら、ジャック君には二人一緒にエスコートするっていう目標があるんだから、わたしのこともちゃんとエスコートしてね?」

「あ、あぁ、そういうことだったんだね……。」

「うん!おつうちゃんも、頑張ってね?」

「う、うん……。」

 

 姫の言葉に僕とジャックは揃って頬を軽く赤くする。改めて口に出されるとやっぱり多少気恥ずかしくはある。姫がジャックの腕に抱き着いたことでさらに周りからの視線が集中しているから余計に。

 

「え、えっと、その……二人は、どこか行きたい場所とかあるかな?」

「うーん、わたしはまだここにどんなお店があるのかよく分かってないんだよね。」

「なら、前みたいに一通り見て回ったらいいんじゃないか?」

「僕は構わないけど、つうはいいの?」

「あぁ、どこに行くかは、それから決めてもいいと思うよ。」

 

 いつまでも顔を赤くしているだけではどうにもならないと思ったようで、ジャックは両腕にくっついている僕達にそう声を掛けてくる。姫の言葉を受けて僕はジャックにそう提案する。もともと今日は姫に解放地区を案内するという意味もあったのだから、姫のことを優先するほうが自然だろう。僕達二人の意見を聞いたジャックを先頭に僕達は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったね!」

「う、うん、そうだね……あははは……。」

「あ、あぁ……ははは……。」

 

 今僕達は、デートを終えて解放地区から帰ってきて黎明の食堂で休憩している。ニコニコと上機嫌に微笑みながらそう言う姫に、僕とジャックは辛うじて笑みを浮かべながら返事をする。

 いや、三人でのデートが決して楽しくなかったわけではないのだ。むしろとても楽しかった。ただ僕もジャックも、慣れないことをしていた分の疲労が大きいだけだ。ジャックはまだ僕と一緒に解放地区を回った時にエスコートの経験があったから多少はマシのようだけど、僕にとっては女の子らしさを求められた今日のデートは中々大変だった。羞恥心という意味で。

 例えば、今ジャックの両手に抱えられている服とか。解放地区の中を簡単に案内した後、姫が行ってみたいと提案した場所の一つが服屋だったわけだけど、そこで服を買ったのは姫だけではない。僕も服を買っている。正確には、姫に選ばれた服を買わされている。女物の服を持っていないから、今度ジャックとデートに行く時に着ていく服がないと困るだろうということなんだけど、姫は嬉々として僕を着せ替え人形にして色々な服を選んでいた。中には丈の短いスカートだったり露出が多めなものもあったりして、姫とジャックに一着一着感想を言われるたびに僕の羞恥心は膨れ上がっていった。

 他にもあんなことやこんなことも……と、思い出すと今すぐこの場から逃げ出したくなってしまうので思い出すのは止める。今度またジャックと出かけるときには今日買った服を着ていかなくてはいけない―着ていかないときっと姫に怒られる―から、どうせその時には思い出すわけで、今僕のやっていることは現実逃避にしかならないのだけど、それでもせめて今だけは心に余裕が欲しい。

 

「あれ、三人とも帰ってきてたの?」

「あ、おねーちゃん。それにみんなも。」

「随分と大所帯だね……。」

 

 食堂の入り口から聞こえてきた声のほうに視線を向けると、そこには赤ずきんを筆頭にアリス、親指姫、白雪姫、眠り姫が立っていた。血式少女達の半数近くが集まっていることになる。色々勉強してくる、と言っていたのだが、それはいいのだろうか。

 

「いやほら、さっきまで日程とか、順番の相談をしてたんだよ。それで時間もちょうどいいし、折角だから一緒に夕ご飯にしようってことになってさ。」

「あぁ、成程、そういうことか。」

 

 僕の言葉に赤ずきんのした返事に納得する。彼女は何の、というのは言わなかったけど、どうやらジャックとのデートのことを相談していたようだ。他のメンバーがいない理由は分からないけど、今いるメンバーだけでも予定を合わせておけばその後の話し合いはしやすくなる。それにみんなは異性へのアプローチの仕方を勉強していたはずだけど、もしかしたら一緒にやっていた可能性もある。若しくは情報を共有していたのか。どちらにしても一人でやるよりははかどるだろうからおかしくはない。

 

「な……な……。」

「んっ!?」

 

 と、僕が赤ずきんとそんな話をしていると、親指が僕のことを指さしながら震えているのが見えた。その顔には驚愕と絶望が浮かんでいるようだけど、僕には彼女がそんな顔をする理由が分からない。

 

「つ、つう……あんた、そ、それ……。」

「へ?……あ、あぁ、ハルさんが新しく用意してくれた制服だよ。まぁこれを着るのは多分今日が最後―」

「そ、そっちじゃないわよ!そ、その胸……っ!?」

「あ、あー……。」

 

 親指の言葉に苦笑い。このやり取りは今日で二度目だ。制服よりもこっちが気になる人が多いのはどうなのだろうか。

 

「おつうさんは、日頃晒で胸を押さえているらしいわ。だからあれが正常ということになるわね。」

「そ、そんなっ、そんなことって……っ!」

 

 憎々し気な目で僕の胸元を見てアリスが親指にそう説明すると、親指の顔がさらに青ざめる。なんだか僕が悪いことをしているような感じがするけど、僕は一体どうするのが正解なのだろうか。晒で胸を隠していたのは事実だけど、それ以外は何もしていないのだからどうすることもできない。多分謝っても許してもらえないだろうし、そもそも謝ったらきっと逆に怒られる気がする。

 

「そ、それよりっ!なんでその制服は今日で最後になるんですか?」

「あ、あぁ……やっぱり、僕にはちょっと落ち着かないからね。今まで女物の服を着たこともなかったし……だから、今まで来ていた制服を、みんなの制服と色を合わせたものをハルさんが新しく作ってくれることになったんだよ。」

「そうなんですか?とってもお似合いだと思うんですけど……。」

「……ん……ん……。」

 

 姉の様子を見ていられなかったのか、白雪が焦ったように僕に制服のことを聞いてくる。それは僕にとっても都合のいいことだったから、白雪のほうを向いて制服の話を広げる。正直放っておくと姫まで加わってきてしまいそうで怖かったから助かった。

 苦笑して事情を話す僕に、白雪と眠りは不思議そうな顔をする。くらら同様褒めてくれるのは嬉しいけれど、やっぱり僕には女物の服というのは落ち着かない。少なくとも、今着ている制服を日常的に着れるようになるには相当な時間がかかると思う。今日買った服を着ていくうちに少しずつ慣れていけばあるいは、といったところだけど、正直制服を着るのは探索に行く時なのだから、動きやすさという点でスカートよりもズボンのほうがいい。だから女物の服を着ることはあったとしても、わざわざこの制服を着ることは多分ないだろう。

 

「そういえば、今日のデートはどんな感じだった?」

「それがね、おつうちゃんとっても可愛かったんだよ?例えば―」

「ひ、姫……?何を……?」

 

 僕と白雪たちがそんな話をしている傍ら、赤ずきんは姫に今日のデートの感想を聞いていた。笑顔で姫が今日の感想を述べているのはいいとして、それに続いた姫の言葉に嫌な予感がする。

例えばとはなんだ。まさか今日買った服を今から出すのか、それを着てみろとでも言うのか、と一瞬思ってしまったけど、多分そうじゃない。それなら多分姫の感想は楽しかったになるはずだ。姫は僕に色々な服を着せるのをとても楽しんでいたから。終始笑顔で僕に着てみてほしい服を差し出してくる姫の様子を見て、断れなかったから僕は今こんなにも疲れているのだ。それは間違いない。

でも姫は、僕が可愛かった、と言っていた。僕の可愛い様子に対して例えば、なんて言葉が出てくるのは一体どういうことなのか。

 嫌な予感を抱えたまま僕の視線の先で、姫はお気に入りのマイクを取り出す。そしてボタンを押す。すると―

 

『ほ、本当にやるの、姫……?』

『うん!』

『わ、分かったよ……ジャ、ジャック……あ、あーん……。』

『あ、あーん……。』

『ど、どうかな……?』

『う、うん……おいしいよ、つう。その…ありがとう。』

『そ、そっか……な、ならよかった……。』

「わぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 聞き覚えのある声と身に覚えのあるやり取りに思わず大声で叫んでしまう。そのまま姫の手からマイクを取って電源を切る。

 

「あっ!もう、なにするのおつうちゃん!」

「いや姫、それは僕のセリフだから!なんでこんなものがあるの!?」

「え?それはもちろん今日録音したからだけど……。」

「なんでそんなことしてるの!?っていうか聞いてないんだけど!?」

「言ってないもん。」

「いや、もん、じゃなくて!?」

 

 頬を膨らませて抗議してくる姫に全力で物申す。本当に何しているのだろうか。何で録音なんてしているのか。百歩譲って録音するのはいいとしても、なんで僕に言っていないのか。はっきり言って盗撮みたいなものだ。写真じゃないから厳密には盗撮ではないけど、そこは正直問題ではない。

 

「大体っ、これジャックの声も入ってるよな、ジャックはいいのかっ!?」

 

 姫に抗議しても意味がない気がした僕は姫以外から攻略することにして、音声が録音されていたもう一人の人物であるジャックに声を掛ける。ジャックが味方になってくれれば流石に姫も諦めてくれると思ったのだ。なんだかこの流れにも既視感を覚えるのだけど、そんなことを言っている場合ではない。

 必死に訴える僕からジャックは顔をそらしながら口を開く。何故だろう、その動きだけで今後の展開が読めてしまった。

 

「あ……その、つう、僕は知ってたから……。」

「……へ……?」

「人魚姫に今日の朝、みんなのデートの参考になるかもしれないからって言われて……。録音されてるって知ったら緊張しちゃうかもしれないからおつうちゃんには言わないで、って言われてたから伝えてなかったけど……。」

「ジャ、ジャック……君ってやつは……。」

 

 僕の予想通り、ジャックは僕の味方になってくれなかった。それどころか、最初から姫の仲間だった。仮にも恋人よりも友人を優先するのかと思った僕は多分悪くない。

 

「僕も最初はどうかと思ったけど、形はともかく、思い出を形として残すっていうのはいいことかなって思ったから……。それに、デートの時のつうは確かにとっても可愛かったと思うよ。」

「う……。」

 

 そらしていた顔を僕のほうに向けてジャックの言った内容に、思わず気勢が削がれる。思い出を形に残すというのには確かに僕も賛成できると思ったというのが一つ。ジャックに可愛いと言われて嬉しかったのがもう一つだ。我ながら単純だと思わなくはないけど、愛する人に真正面から可愛いと言われて喜ばない女はいないと思う。

 

「あははっ!随分楽しかったみたいだね、つう。」

「えぇ、本当にね。……羨ましいくらい……。」

 

 僕がジャックにやり込められたのを見て赤ずきんたちが声を掛けてくる。その表情は実に楽しそうだ。多分録音されていた僕達のやり取りだけではなく、今の僕らのやり取りも含めて楽しんでいるのだろう。それが分かっていても僕に出来ることができない分余計に悔しい。あとアリスが怖い。こっちは僕がジャックに「あーん」をしたのが気に障ったのだと思う。多分彼女はジャックにそんなことをしたことがないのだろう。彼女は数日前、僕に先を越されるのが気に入らないと言っていた。彼女がまだしたことのないことをした僕に嫉妬しているということだろう。

 

「参考になりそう?」

「は、はいっ!ありがとうございます。」

「……他には……?」

「あ、他には―」

「待ってっ!?まだあるの!?」

「うん。」

 

 姫が笑顔で聞いた言葉に、同じく白雪が笑顔でお礼を言っている。無駄にならなかっただけマシかもしれないと一瞬思ったけど、笑顔で他の場面を頼む眠りを見て、楽しそうに僕からマイクを取って再生しようとする姫にはストップをかける。思い出を形に残すのには賛成だし、既にあるものに文句を言ってもしょうがないから、もうこの際録音していることについてはとやかく言わない。ただ流石にこれ以上みんなにこんな場面ばかりを暴露されるのは恥ずかしい。ただでさえ今ここに居ないメンバーにもさっきの場面を聞かせることになるだろうという予想をしているのだ。本当にこれ以上は勘弁してほしい。

 

「何よ、もうここまで来たんだから諦めて全部教えてくれてもいいでしょ?」

「それとこれとは話が別なんだよ!」

「えー。折角だから、今日どんな風にデートしてたのかみんなにお話ししたかったんだけどな……。」

「ほらほら、人魚もこう言ってるんだし、恋人のお願いは聞いてあげたら?王子さま?」

「ぐぅ……。」

 

 親指と赤ずきんがさらに追い打ちをかけてくる。まずい。これは本当にまずい。このままだと確実に今日何があったか根掘り葉掘り全部話させられる。しかも姫がとった録音とともに。そんな公開処刑は嫌だ。

 しかし現実は無情だった。僕が何か手を打つ前に、姫が僕にとどめを刺す。

 

「あ、そういえばおつうちゃん。」

「な、何、姫?」

「みんなは解放地区に流れてる噂は知っているの?」

『噂?』

「「あ……。」」

 

 姫の口にした言葉に僕とジャックの顔が盛大に引きつる。その姫の言葉と僕達の反応をみんなが見逃してくれるはずもなく、姫に詳細を話すように求めている。さらに―

 

「あら、皆さんお揃いで何をなさっていますの?」

「おや~?おつうさんの格好がいつもと違いますね~。」

「人魚姫もそうみたいね。」

「おなかすいたー。」

「おぉ!全員集合ではないか。」

 

 今まで食堂に居なかったメンバーまで集まってきてしまった。それぞれ注目しているところは違うけど、僕達のほうに注目している。ラプンツェルは違うけど。

 

「あ、今はみんなに今日の―」

「ははは……。」

 

 新しく食堂に来たメンバーに笑顔で今の状況の説明を始めた姫を見て思わず乾いた笑いが漏れてしまった。特に好奇心が強くデリカシーにかける部分のあるグレーテルが来たのが痛い。さっきの噂の件も合わせて、きっと今日あったことを粗方話さないと彼女は満足してくれないだろう。この時点で僕は本当に録音を聞かせないことや今日あったことを話さなくて済む手を考えることを諦めた。

 

「ホ、ホントに大丈夫、つう……?」

「ジャック……正直今の時点で心が折れそうなんだけど……。」

「そんなに嫌なら、みんなにやめてもらえるように頼もうか……?」

「……君がみんなをとめられるのかい?」

「……うん、ごめん。」

 

 そこで、僕の様子が心配になったらしいジャックが声を掛けてきた。その気遣いは嬉しいが、もとはと言えば彼が姫が今日のことを録音するのに反対しなかったからこんなことになっているのだけど。ジャックの立場としては、姫はともかくみんなは僕と同じく恋人だから、みんなのためと言われたら断れなかったのだろうから、ジャックに文句を言ってもしょうがないのかもしれない。あと、ジャックはみんなを止めるのを諦めるのが早くないだろうか。僕にも今のみんなを止めるのは多分無理だけど、彼は皆の恋人なのだからできればもう少し頑張って欲しかった。

 

「……はぁ、まぁいいや。」

「つう?」

「でも、ジャックは説明を手伝ってくれよ?」

「それはもちろんそのつもりだけど……。」

「うん。これで今朝の分の貸しは帳消しでいいよ。」

「あっ……分かった。」

 

 姫がグレーテルたちにアリス達にしたのと同じ説明をしているのを見ながら気持ちを切り替えた僕は、ジャックに手伝いをお願いする。僕が言った言葉に、僕がいつもの調子に戻ったと思ったようでジャックが柔らかく微笑む。それに僕も微笑み返す。

 近くに来ていた彼の手をそっと握る。彼もその手を握りかえしてくれた。こんなところを見られたらまたみんなにからかわれたりアリスが不機嫌になったりするだろうけど、正直今更だからもうそれは気にしない。

ジャックと手を繋いだまま歩いていく―騒がしくも大切な、僕らの愛する人達のところに。

 

 

 

 

 

 

 

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