幸せな終わり   作:ラバジョゼ

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幸せな終わりの3章

王子さまは儚さを知る―傷だらけの自分と、支えてくれる少年の儚さを。


儚さ

「ジャック。マイクを少し借りといていいか?」

「ハルさん?何かするんですか?」

「流石に直すのは無理だが、血糊を落とすくらいはできるからな。何もしないよりはいいだろう。」

「なるほど……ありがとうございます、ハルさん。」

「ありがとうございます……。」

「こんくらい気にすんな。」

 

 話し合いが終わったところで、明日に備えて今日はもう休もうということになった。みんなが部屋を出る前にハルさんがジャックに声をかけている。どうやらマイクを綺麗にしてくれるらしい。それで結果が変わるかは分からないけど、些細なことでも気にしてくれるハルさんの優しさが嬉しい。

 

「ジャック。大分体調も回復したみたいだし、もう部屋に戻っても大丈夫よ。」

「分かりました。治療ありがとうございました、視子さん。」

「それが私の仕事だもの。お礼はいらないわ。ゆっくり休みなさい。」

「はい、おやすみなさい。みんなもお休み。―じゃあ、つう、行こうか。」

「あ、あぁ、うん。」

 

 視子さんに部屋に戻る許可をもらったジャックは視子さんにお礼を言って部屋に戻ろうとする。もう大分回復はしていても、明日に備えて体調を万全にするつもりなのだろう。みんなに声をかけて会議室を出ようとしている。ジャックに声をかけられた僕も、若干の違和感を覚えつつもついていこうとして―

 

「ちょ、ちょっと待って。ジャック、あなたおつうさんと一緒の部屋で寝るつもり?」

「へ?……あ。」

「あ、あー……。」

「……そういえば、つうも別に抵抗しなかったって言うか、当たり前みたいについて行ってたけど……、あんたら、もしかして一緒の部屋で生活してたわけ?」

「えぇ!?」

「そ、その言い方はやめてくれ!」

「こ、これはその、前の世界では僕はナイトメアだったし、暴走するかもしれないからできるだけつうのそばにいなくちゃいけなかったんだ!その時の癖っていうか、つい流れで……」

 

 焦った様子のアリスに呼び止められた。アリスの言葉でさっきの違和感の正体が分かった。ジャックの言う通り、できるだけ一緒にいるべきということでジャックは僕の部屋で寝ていたから、同じ部屋に向かうのに疑問を抱かなかった。でもその時はジャックはナイトメアで、部屋に誘導するのも僕のほうだったから違和感があったのだ。みんなに前の世界についての説明をした時も、必要性の低い情報はまた今度ということで最低限の話しかしていない。当然ジャックと同じ部屋で寝起きしていたなんて話はしていない。みんなが驚くのも無理はない。

 僕は僕で、今は立場が逆転しているけど、確かにお互い十分な意思疎通ができる状態で同じ部屋で一晩明かすというのは今までなかったから、意識すると途端に気まずくなってきた。というか、むしろ別の誰かの部屋に止めてもらうべきじゃないのだろうか。

 

「暴走、ね……。今はつうのほうがナイトメアなわけだけど、暴走の危険性はあるのかしら?もしそうなら、ジャックと一緒にいてもらうのが一番だけど。『相棒』なんでしょう?」

「え、えっと……そのことなんだけど、暴走の可能性があるっていうのもあるし、前の世界のことでつうと二人で話したいことがあるから、できればつうには僕の部屋に泊まってほしいんだけど……。」

「えっ!?」

 

 そんな風に悩んでいる僕とは対照的に、グレーテルの意見を受け入れてしまったジャック。しかも断りにくい理由付きで。そんな風な言い方をされてしまったら断れない。いや、グレーテルの言う通り、僕がナイトメアである以上今のようにきちんと意思疎通が取れていたとしても万が一があるのは確かだし、それを考えるとジャックのそばになるだけいたほうがいいのは確かなわけだから、断る理由もないんだけど。

 

「理由があるならそれでいいではないですか。わらわはもう休みたいです~。」

「……まぁ、大丈夫だとは思うけど、グレーテルの言う通り、万が一があっても困るわけだしね。あたしはそれでいいと思うよ?ベッドはどっかの空き部屋から持ってきてもらうことになるけど……。」

 

 さらにかぐや姫と赤ずきんからも賛成意見が出る。かぐや姫はさっさと話を終わらせたいだけのような気がするけど。これでますます逃げ場がなくなってしまった。

 

「……分かった……。今晩はお世話になるよ、ジャック。」

 

 このまま話が進んでも結局ジャックの部屋に泊まることになりそうな気がした僕は、さっさと諦めてしまうことにした。僕が気まずいというだけで別にジャックの部屋に泊まるのがダメな理由があるわけではないのだから、いつまでも文句を言い続けても意味がない。それにかぐや姫ではないけど僕も今日は色々ありすぎて疲れている。明日を万全な状態で迎えるためにもこれ以上の時間の浪費は避けたい。

 それに、僕のほうにも言いたいことや聞きたいことができた、もとい、思い出した、というのもある。

 

「うん、よろしくね、つう。……ということになったんだけど、いいかな、みんな?」

「いいと思いますよ~。話はまとまったことですし、これで失礼します~。」

「お二人がそう決めたのでしたら、わたくしも構いませんわ。」

「……分かったわ。ジャック、何かあったら、いつでも私のところに来てくれてもいいから……。」

「うん、ありがとうアリス。……じゃあ、おやすみ。」

「えぇ、おやすみなさい、二人とも。」

 

 僕も納得したことで話はまとまったらしく、みんなもそれでいいと言ってくれた。心配そうにしていたアリスも最後には納得してくれたようだ。ただ、色々心配ではあるのか、最後にジャックに一言付け加えていた。

 他のみんなにも挨拶をしてからジャックの部屋に向かう。黎明でのジャックの部屋がどこなのかは分からないから、ジャックの後をついていく。その間、特にジャックの方から話しかけてくることはなかった。話があると言っていたけど、部屋で話すつもりなのだろう。

 

「ここが、僕の部屋だよ。さぁ、入って。」

「うん、お邪魔します。」

 

 そのままジャックの部屋に着くと、ジャックは扉を開けて中に招いてくれた。ジャックが扉を持っているから先に入らせてもらう。

 ジャックの部屋は、一言で言えば殺風景だった。特に目立つような私物もなく、家具も黎明の一員の部屋にデフォルトで備え付けられている物のままで、壁紙なんかも貼っていない。てっきり、前の世界でのみんなの部屋のように各人の好みに合わせたコーディネートがされていると思っていたから少し驚いた。他のみんなのこの世界での部屋はまだ見ていないから断言はできないけど、この世界でもそうだとしたら、何故ジャックだけ部屋がそのままなのだろうか。

 きょろきょろと部屋の中を見回す僕に、ジャックが不思議そうに声を掛ける。

 

「……どうかしたの?」

「え?あ、あぁ、いや、その……随分物が少ないなって……。」

「今まで特に困ったことはなかったからね。……変かな?」

「い、いや、別に……。」

 

 何か理由があるのかと思ったら、特に理由はなかったらしい。すぐに会話が終わってしまった。黙っているのも気まずいから話題を提供するつもりもあって聞いてみたのだけど、上手くいかなかった。

 ジャックが部屋に備え付けのテーブルの前の椅子を持ってきて僕に勧めてくる。ジャック本人は僕の向かい側に椅子を持って行ったから、2人で向かい合って席に着く。

 いざジャックの部屋に来たはいいものの、まだ少し躊躇いがあった。ただいつまでも先送りしていてもしょうがないから、覚悟を決めて口を開く。

 

「その、ジャック……。」

「う、うん、何……?」

「その……改めて、助けてくれて、ありがとう。それと……本当に、ごめん……。」

「え?あ、あぁ、うん。その……どういたしまして。あと、アリスにも言ったけど、結果的に僕は無事だったんだから、もうあまり気に病まないでいいからね?」

「違うんだ、そうじゃなくて……いや、もちろんそれもあるんだけど、それだけじゃないんだ……」

「え?」

「……僕のせいで生み出されてしまった前の世界で、一番辛い目にあったのは、ジャックだから……特に、君には申し訳ないことをしたなって、思ってね……。」

「つう……。」

 

 そんな僕の様子にちょっと緊張しているジャックに向けて、そう言って謝る。これが僕のジャックに言いたかったことだ。僕が記憶を取り戻した時ジャックは満身創痍だったし、その後もみんなへの説明でそれどころじゃなかったから今まで謝れなかったけど、僕はジャックに対してあまりにも多くの迷惑をかけ続けていた。前の世界の存在そのものがそうだし、この世界でもそうだ。謝ったところで過去は変わらないけれど、それでも、僕には謝ることしかできないから、せめて誠心誠意ジャックに頭を下げて謝る。

 

「……謝らなくていいよ、つう。」

「でも……っ!」

「確かに、前の世界では辛いことがたくさんあったけど、決してないほうが良かったとは思わないよ。あの時間がなかったら、僕はつうや人魚姫さんとは出会えなかったわけだから、今君とこんな風に話していることもなかったわけだし……。」

「ジャック……」

「……そのことで、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「……構わないけど、それが、君が僕を部屋に呼んだわけかい?」

「それだけじゃないけど、一つではあるよ。……話したくはないかもしれないけど、前の世界は、どういう結末を迎えたのかなって……。僕は最後、一緒にいなかったから分からないんだ。だから……。」

「……ウィッチクラフトのことを知っていたから、それも知っていたのかと思っていたんだけどね……。本来持っていないはずの記憶を持ってしまったせいで、歪な形になってしまったのかな?」

 

 ジャックが僕にしてきた質問は、僕にとっては意外なものだった。ただ、それに答えないという選択肢は僕の中にはない。ジャックは謝る必要はないと言ってくれたけど、僕がしたことがジャックを傷つけてしまったのは、死なせかけてしまったことは、事実なんだから。こんなことで罪滅ぼしになるなんて都合のいいことは思っていないけど、それでも何もしないよりはいい。確かに進んで話したいことではないが、求められているのなら話すべきだろう。僕はジャックにジャックがアリスとともに消えてしまった後のことを話した。

 

「……なるほど……だから、つうは世界を元に戻したんだね……。辛いことなのに話してくれてありがとう。」

「いや、君には知る権利があったからね。気にしないでくれ。」

 

 僕が話し終えると、ジャックは真っ先にそう言ってきた。それに僕は軽く返す。僕の言ったことは紛れもない本心だ。他のみんなには既に簡単にだけど話していたことなんだから、ジャックだけのけ者にするのは不公平だろう。

 

「……つう、さっきの話の続きなんだけど……」

「……あぁ……」

「……やっぱり、あの世界で過ごした時間は、間違いなんかじゃなかったんだと思う。その記憶があるから、今僕達は、本当に幸せな終わりを迎えるためにできることがあるんだから……。」

「ジャック……」

「だから、これ以上自分を責めるのはもうやめてほしい……。人魚姫さんは、必ず生き返らせるから。君には、彼女と一緒に笑ってこれからも生きていてほしいって、そう思う。」

 

 ジャックの言葉に、泣きたくなった自分がいる。自分を辛い目に合わせた張本人の幸せを心から願える彼の優しさが、自分の望みのために、多くの人を巻き込み、数々の悲劇を引き起こし、大切な人たちの命さえ奪うきっかけを作った僕には、眩しすぎたから。

 

「……今度は、僕から聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「何だい?」

「……どうして、君はあそこまでして、僕を守ったんだ……?僕が記憶を取り戻す保証なんてどこにもなかった……。なにより、君は死んでしまうかもしれなかった。君が死んでしまったら、アリス達みんなが悲しむのは、分かっていたはずだ。……みんなを悲しませるくらいなら、僕のことは諦めてしまったほうが、良かったんじゃ、ないか……?」

 

 そんなジャックを直視できなくて、僕は目をそらしながらジャックにそう質問する。その声が硬くこわばっているのを感じた。助けてもらったくせに何様のつもりなのかと、自分でも思う。

 でも、僕が言ったことは間違ってはいないはずだ。あの時記憶を取り戻していたのはジャック一人だけだった。僕を含めて他の人は誰も思い出していなかった。だから、あの時ジャックが僕のことを助けようとしなければ、僕があの場でみんなに倒されて、それで終わっていたはずだ。そうすれば、今ジャック達に降りかかっている面倒の大半は生じなかっただろう。 なにより、ジャックが傷つくことはなかった。ジャックが僕を庇って生き残れたのははっきりいてただの偶然だった。死んでしまう可能性のほうがずっと高かった。そうなっていたら、他の血式少女みんなが不幸になっていた。僕を庇わなかった時に不幸になる可能性があるのは、ジャックと、もしかしたらその後記憶を取り戻したかもしれない僕と、もしかしたら生き返ったかもしれない姫の最大三人。実質はほぼジャック一人だった。逆にジャックが僕を庇って死んでしまっていたら、血式少女の十人が不幸になっていたことを考えたら、僕を庇わないほうが正しかったようにさえ思える。それが分からないジャックではないはずだ。彼が中々頭がキレるのは、姫を生き返らせる方法を考え付いたことからも分かる。それでも、そんな状況で僕を助けたのはなぜなのかを、知りたかった。

 

「……なら、僕が逆の立場だったら、君はそうするの?」

「え……?」

「僕がナイトメアで、死んでしまった大切な人……例えばアリスを生き返らせようとしているのを君が思い出して、でも僕が君を覚えていなかったとしたら、君は僕を見捨てるの?僕を助けないほうが合理的だからって、見殺しにする?」

「そ、そんなこと……」

「今君は僕にそうするべきだったって、そう言ったんだよ!?」

「……っ」

 

 椅子から立ち上がって僕のほうにやってきたジャックは、顔を背けながら質問する僕の両肩に手を置いて声を荒げる。それに驚いてジャックのほうを振り向くと、答えるジャックの瞳には、やりきれない悲しみと強い怒りが浮かんでいた。

 

「さっきも言っただろう!?僕は君に、幸せになった欲しいって思ったから守ったんだ!!あの世界で必死に生きていたのを知っているから!!それが報われないのはあんまりだって、そう思ったから!!」

「ジャック……」

「例えあの時失敗して死んでしまっていたとしても、君を守ったことを僕は後悔なんてしない!!みんなには申し訳ないとは思うけど、君を見捨てて、君と人魚姫さんを救えたかもしれない未来を諦めて、そのことを一生後悔しながら生きていくよりはずっといい!!」

「……」

「……君を守るために命を懸けたのに、それを君に否定されてしまったら、僕は、何のために、アリスを泣かせて、みんなに心配をかけてまで、君を守ったのか、分からないじゃないか……。だから、そんな悲しいことは言わないでよ……。」

「……ぐすっ……ごめんっ!……ごめんっ、ジャック……!」

「……アリスにも、言ったけど、ありがとうのほうが、僕は嬉しいな……?」

「っ!……ふっ、……はは、そう、だったね、……、ありがとうっ、ジャックっ……」

「うん、どういたしまして。……人魚姫さんも、必ず助けて見せるから。」

「……うんっ……」

 

 ジャックの叫びで、とうとうこらえていた涙があふれだした。泣いているところを見られたくなくて、何よりもジャックの顔を見ていられなくて、涙をこぼす僕をそっと抱きしめてくれるジャックの胸に顔をうずめる。そんな僕を優しく抱き留めながら、アリスにしたように優しく頭をなでてくれるジャックの手と、包み込まれている体から感じる温もりに、後から後から涙がとめどなく流れる。

 僕がジャックにあんなことを聞いたのは、別にジャックの行動が合理的に考えて不自然だったからだけじゃない。

 僕は、不安だったんだ。今の僕には何もないから。愛していた姫も、大切な仲間たちも、宝物のマイクも、人間としての姿も、何も。変わってしまった―正確には元に戻った―世界の中で、たった一人放り出されているという状況が、たまらなく恐ろしい。自分だけが異物だという現状が、どうしようもなく息苦しい。自分を知るものが誰もいないという環境が、心細くてしょうがない。

 大切な物が失われるということは、姫と二人、世界をもとに戻す時に、覚悟を決めていた。そのつもりだった。世界を元に戻してしまえば、それまで積み上げてきたものはすべて失われる。それを分かったうえで、僕と姫は僕たち以外のみんなの幸せを願った。僕たちがすべてを失う代わりに、みんなが幸せになる。そう、思っていた。

 でも、実際は違った。姫は死に、僕だけが生きている。失われた世界の記憶を持ったままで。そんな歪な状況は想定していなかった。たった一人で生きていかなければいけなくなるなんて、思っていなかった。

 唯一の例外が、ジャックだった。ジャックがそばにいる時だけは、一人でないと感じられる。他のみんなではだめだった。どれだけ似た雰囲気を持っていても、みんなが僕に向ける瞳が、かける声が、浮かべる表情が、僕の記憶の中のみんなと違うから。

 みんなの中には僕と一緒に過ごした記憶がないから仕方ないことではある。それは分かっている。でも、どれだけそう頭で理解していても、みんなは何も変わっていないと言い聞かせても、僕のことを知らないみんなでは、その差が絶対に埋まらない。こうしてみんなから距離を置いて冷静になって考えるとどうしてもそう思ってしまう。一人だと実感してしまうと、心細さに押しつぶされそうになる。

 だから、今僕はこうしてジャックに縋っている。今の彼はナイトメアではないけれど、彼の『相棒』だった僕には分かる。彼が僕に向ける感情が、何も変わっていないことが。その安心感と、姫にまた会えるかもしれないという希望だけが、今の僕を支えている。

 さっきの質問はそのためのものだった。彼に大切に思われていることを、彼の中に僕の居場所があることを知りたかったから。だからこそ、アリスと抱き合う姿に胸が痛んだ。彼の目が他の誰かに向けられるのが、自分を見てくれないのが怖かったから。だからこそ、わざわざあんな聞き方をした。彼の口からはっきりと、僕のことを大切に思っていると言ってほしかたかったから。

 顔を押し当てている彼の胸から、心臓の鼓動が聞こえる。少し早いペースで聞こえるそれが、たまらなく心地いい。彼がすぐそばにいると強く感じられるから。今はナイトメアであるとはいえ、一応は女である自分を抱きしめていることに緊張しているらしい彼の様子が、自分のことを見てくれていると教えてくれるから。

 

 

 

 

 

「……落ち着いた、つう?」

「うん、ありがとう、ジャック。」

 

 不安を忘れるように頭の中を空っぽにしながら、僕はジャックの腕の中で感じる温もりに身をゆだね続けていた。いまだに彼の腕の中から出ない僕に、ジャックが声をかけてくる。あれからどれだけの時間が過ぎたのかは分からない。数分のようにも感じるし、数十分とも思える。

 

「それで、その……」

「何だい?」

「もう大分いい時間だし、そろそろ寝ない?明日は大変なんだし……。」

「……そう、だね……。でも、質問はもういいのかい?」

 

 本音を言えばもう少し彼の腕の中にいたかったけど、ジャックの言うことは正しいし、何より僕にとって最も大切なことだから、後ろ髪をひかれながらジャックの腕から抜け出して立ち上がる。そんな僕のほうを向きながら、椅子に座っていた僕を抱きしめていたジャックも腰を上げて立ち上がる。僕の質問にジャックは少しだけ躊躇った様子を見せる。でもそれはすぐに消え、僕のほうを向いて口を開く。

 

「……つうは、アリスが前の世界でどうなっていたのかを詳しく話していなかったよね?」

「……あぁ、あれ以上アリスを追い詰めるのはやめたほうがいいと思ったからね。……ダメだったかい?」

「ううん、そんなことはないよ。僕も同じことを思ったから、話さなかったしね。……ただ、いつかはちゃんと話したほうがいいと思うから、その時は、手伝ってほしいんだ。」

「もちろんだよ。僕のほうから勝手に話すこともしない。」

「ありがとう。」

 

 ジャックの言ったことは、別に不思議ではなかった。僕もそう思っていたし、ジャックが言わなければ僕から提案していただろう。ただ、内容的にはかなりショッキングなものだから、もうしばらくは伏せたままになるだろう。姫が黎明に来た時には事情を話して口止めしておかないといけない。

 

「さて……、話は一段落したことだし、そろそろ寝ようと思うんだけど……」

 

 ジャックはそう言ってちょっと困ったような表情で視線をベッドに向ける。そこにはベッドが一つ。ジャックの部屋だから当然ではある。ただ―

 

「……赤ずきんにベッドを持っていくように言われていたのに、忘れてたね……。どうしようか……。」

「……ナイトメアだった時の僕は、ベッドを使ったりしていなかったからね……。うーん……。」

 

 そう、ベッドが一つしかないのが問題だった。僕はあの時緊張していたし、ジャックは前の世界の時の習慣が残ったままだったようで、二人ともベッドを準備するという考えが抜けていた。ジャックは僕と二人で部屋に戻る、という状況ではベッドを新しく準備するなんて発想には至らなかったようだ。前の世界ではジャックはベッドに寝られるような大きさではなかったから仕方ない。

 人と同じ部屋で寝ることになったにもかかわらず、寝具の準備を忘れる。冷静ではなかった僕はともかく、特別緊張した様子のなかったジャックがそれを忘れていたのは、やはり前の世界の記憶の影響が強く出ているのかもしれない。それは少し気になる。

 ただ、流石に考えすぎだろうとは思う。ジャックが寝具の用意を忘れたのも実はジャックも緊張していたと考えたほうが自然だ。仮に前の世界の記憶の影響が思ったより強かったとしても、おそらく記憶が蘇った直後だからだろう。今後も続くようなら何か考えなくてはいけないけど、数日もすれば落ち着くはずだ。

 ジャックについての考察は一旦置いておいて、今は目の前の状況をどうにかしよう。一番簡単なのは新しいベッドをどこかから持ってくることだけど、夜も遅い今、大きな音がするだろうベッドの移動はみんなの迷惑になる。僕かジャックが別の誰かの部屋に行くというのもダメだ。僕は暴走を心配してジャックの部屋にいるんだし、そもそもみんなももう寝ているかもしれない。そんな中でお邪魔するのは気が引ける。

 

「……つう―」

「自分は床で寝るから、僕にはベッドを使え……とか、言おうとしてたね?」

「……そんなに分かりやすかったかな?」

「まぁ、君なら言うだろうと思ったからね。もちろん断るよ。治ったとはいえ大怪我をしていたわけだし、ジャックのほうがナイトメアの僕より体力がないんだから、床で寝るなら僕のほうだろう?」

「それは……うーん……。」

 

 ジャックが僕に声をかけてきたけど、内容は予想できていたから正論で断る。あっさりと返されてしまった上に、内容も否定しにくいものだからか、それ以上の反論は帰ってこなかった。

 しかし、いつまでもこうしていても埒が明かない。本当はお互いに解決策は分かっているけど、気恥ずかしくて言い出しにくかったから今まで避けてきた。それをジャックから提案させるのは酷だから、僕から言うしかない。

 

「……ジャック、二人で寝よう。」

「えっ!?いや、流石にそれは―」

「ベッドで寝たほうが疲れは取れる。二人で遠慮しあっていても時間が過ぎるだけで意味がない。新しくベッドを用意したり、他の人の部屋にお邪魔するのも時間的に難しい。……何か、反論はあるかい?」

「で、でも、女の子と一緒に寝るのは……」

「僕は王子様なんだけどね。……今はナイトメアだけど。」

「人魚姫さんにとってはそうだけど、僕にとっては君も血式少女の一人なんだけど……」

 

 僕から勇気を出して解決策を出したのに、ジャックは渋る。まぁ、予想はできたけど、正論を並べ立てて反論を封じたのにまだ渋るのは流石に意気地がなさすぎるのではないだろうか。そもそも僕を女の子扱いするのなら、その女の子から許してもらっているんだから遠慮する必要もないだろうに。

 

「……僕が、そうして欲しいんだよ……。」

「え……?」

「さっきみたいに、抱きしめていてくれると嬉しい……。不安なんだ……。」

「つう……」

「朝起きたら、君もみんなもいなくて、また僕は一人でもういない姫を探しながら、都庁を彷徨っているんじゃないかって……。そんなことがないって思えるように、僕のそばにいてほしい。……一人じゃないって、そう感じさせてほしい。……ダメかい?」

「……分かったよ、つう。そういうことなら……」

「……ありがとう。」

 

 いい加減じれったくなってきたから、最終手段に打って出ることにする。それは、ジャックの情に訴えかけること。優しいジャックなら女の子が不安がれば何とかしようとするだろうという考えによるものだけど、予想通り上手くいった。

 ただ、全てが嘘ではない。むしろ、ほとんど本音だ。わざと自嘲するように笑いながらジャックに言ったけど、口に出したその予想に背筋が凍る。体が震えだしそうになるのを懸命にこらえているつもりだけど、上手くいっている自信はない。きっとジャックにもばれているだろう。自分が口に出した内容が実現してしまったら、今度こそ立ち直れなくなってしまうかもしれない。それか、また前と同じように一人で単身ウィッチクラフトに飛び込むか。

 そんな僕の様子にジャックもようやく決心してくれたようで、ジャックと二人でベッドに向かう。ジャックは救護室に戻った時に寝やすい服に着替えていたから、そのまま二人で横になる。姫以外とこんな風に過ごすのに罪悪感はもちろんあるけど、正直、今は安心感のほうが強い。特に明日のことを考えると、正直一人では一睡もできない可能性もあった。

 ジャックの腕が僕の背中側に回されて、そのまま軽く引き寄せられる。ちょっと前まで感じていた温もりが戻ってきて、ついさっきの想像で寒々しい状態の僕の心に少しだけ熱が生まれる。

 

「……こんな感じでいいかな……?」

「……うん。……とても、安心するよ。……これなら、よく眠れそうだ……。」

「そっか……。」

 

 僕のその言葉にジャックは軽く微笑む。その頬が赤くなっているのは、女の子扱いしている僕と同じベッドに寝ているうえに、その相手を抱き寄せているという状況が気恥ずかしいからだろう。それでもちゃんと約束を守ってくれるジャックの優しさが心地いい。けれど―

 

「……僕は、弱くなったな……。」

「え?」

「不安で一人で寝られない、なんて……小さな子供みたいなことを言って……こんなことじゃあ、王子様失格だよ……。」

「つう……。」

 

 ジャックの顔を見ないように、彼の胸に顔を押し付けながらそう自嘲する。改めて口にすると、自分の弱さに愕然とする。前の世界、あの過酷な状況で、僕はみんなのリーダー―僕としては赤ずきんの代わりだったけど―として、みんなを率いてジェイルを探索してこれた。

 みんなの支えでいたつもりだった。でも、そうじゃなかった。みんなに支えられていたのは僕のほうだった。それが今になってはっきりとわかった。

 僕は一人では何もできないほど弱い。それに前の世界では気づかなかった。前の世界は確かに過酷だったけど、孤独ではなかったから。僕のそばにはいつも仲間のみんなが、そして、姫がいたから。姫やみんなを失ってしまった途端、こんなにも弱くなってしまった自分が、一人では生きていけないという僕の弱さの何よりの証拠だ。こんなザマでリーダーをやれていただなんて盛大に勘違いをしていた自分の道化具合にいっそ笑いがこみあげてくる。

 

「……別に、それは悪いことじゃないと思うよ?」

「え……?」

 

 僕の背中に回されていた腕に力が籠められる。意外な言葉に思わず顔をあげると、ジャックも僕のほうを見ていた。その顔には苦笑が浮かんでいる。

 慰められるのは予想できたけど、その内容が予想外だった。てっきりジャックはそんなことはないというようなことを言ってくると思っていたのだ。優し気な微笑みとともにそんな言葉を投げかけてくる彼の姿がありありと浮かぶだけに、表情と言葉の意外さに困惑する。そんな僕に対して表情を変えないままジャックは言葉を続ける。

 

「僕も昔は弱いところを見せられないって思っていた時があるんだけど……その時、僕もアリスに言われたことがあるんだ。辛いときは言ってって……。せめて二人きりの時は私を頼ってって……。」

「……ジャック……」

「だからさ、つう……。君も、せめて僕の前でくらいは肩の力を抜いてもいいんだよ?いつも強くあろうとするのは大変だろうからね……。これでも、僕は君の『相棒』なんだから……。」

「……あり、がとう……。」

「うん、どういたしまして。」

 

 ジャックの背中に腕を回してそっと抱き寄せる。そんな僕に、ジャックは背中に回していた手を僕の頭にのせて優しく撫でてくれる。

 みんながジャックに心を寄せていた理由がよく分かった気がする。みんなはこの優しさに骨抜きにされたのだろう。僕達は血式少女。メリュヘンと互角以上に戦う力を持った黎明の秘密兵器。そんな風に僕達は育ったし、解放地区の人たちもそういう存在として僕達のことを認識していた。僕達のことを、強い存在だと考えていた。それは黎明の人たちも変わらない。ハルさんと視子さんは例外だけど、僕達のことを知っている人ほどそういうふうに思っていた。僕達は、心配されることに、頼ってくれと言われることに、慣れていなかった。お互いに思いあうことはあっても、お互いがお互いを守りあっているのだから、僕達はあくまでも対等だ。

 だから、そんな中で現れたジャックにみんな惹かれたのだろう。自分たちと同じ、特別な力を持った存在。血式少女と対を成す血式少年。でも、決して対等ではない。何故なら僕達はジャックがいなければ満足に戦うこともできないから。ジャックの血は、ジャックは、僕達の命綱だ。彼がいるから戦えるし、逆に彼がいなければ僕達は簡単に命を落とす。前の世界の、ジャックがいなくなってからのみんながそれを証明している。彼には戦う力はないから一方的に守られるだけではないけど、彼のほうが僕達のことをより強く支えているのは変わらない。

 初めてあらわれた、自分たちを守ってくれる人。そんな存在である彼の見せる優しさが与えてくれる安心感は、血式少女たちにとってはあまりにも甘美だったのだろう。そして―だからこそ、誰よりも無茶をする彼から目が離せないのだろう。僕達よりも圧倒的に弱い彼は、簡単に死んでしまうのだから。いつ無茶をするか分からない不安感が、いついなくなるか分からない儚さが、彼に意識を向けるのを辞めさせてくれない。それを強く感じた。

 

「……つう。」

「何だい?」

「明日は、必ず成功させるから。」

「……うん、信じてるよ。……おやすみ、ジャック……。」

「……おやすみ、つう。」

 

 ジャックの言葉にまた一粒涙を流して、でも笑顔でジャックに返事をする。そして、ジャックの胸に顔をこすりつける。流れた涙をぬぐうように。

 

明日で、運命が決まる。幸せな終わりか、それとも―。

 

ジャックの腕の中で、彼の温もりに包まれて、僕は、そっと、瞼を閉じた。今日はきっと、よく眠れるだろう。

 

 

 

 

 

翌朝、起きてこない僕達のことを起こしに来た皆に同じベッドで寝ているところを発見され、大騒ぎになったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

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