王子さまは、大切なことに気が付く―彼女の本当の幸せが、一体どこにあるのかということに。
「わたしはお婿さんって感じじゃないし、お嫁さん二人じゃ……て思って、とっさに『王子さまになって』って言ったの。」
「それでおつうは王子様な感じで振る舞ってるんですね~。」
ラプンツェルの質問に端を発したみんなの疑問に答える僕と姫。最後にそう説明した姫の言葉に、かぐや姫がそう口にする。今まではそれどころではなかったから聞かれなかったけど、こっちのみんなは僕達のことを昔から知っているわけではないのだから疑問に思うのは当然だろう。
僕とジャックがウィッチクラフトに飛び込んでから数日、時刻はまだ朝と言える頃。姫の蘇生に成功した僕達は黎明の食堂に集まって話をしていた。話題は主に僕達のことで、僕と姫の関係なんかをみんなが質問して僕達がそれに答えるといった流れで話が進んでいる。この場にいる血式少女のみんなは今まで知らなかった内容ばかりで楽しいらしく、興味津々といった様子だ。内容を知っているはずのジャックも少し前にここにきて話を聞いているけど、並んで話をしている僕と姫を見ながら楽し気な表情を浮かべている。その顔には、僕達二人が揃ってみんなの輪に自然に加われているのがとても嬉しいとはっきりと書かれている。
あの時、ウィッチクラフトは僕とジャックの願いを叶えてくれた。しかも、当初の願いよりもいい形で。姫は僕達と同年代にまで成長した姿で生き返ったし、僕も人間の姿に変わっていた。一緒にウィッチクラフトに飛び込んだジャックにも別段変わったところはなかったことから、僕達にとって望ましい結果だけが残った形だ。姫と僕が前の世界の姿に変わっていることに気づいたときはジャックにも同じようなことが起きて前の世界の姿、ナイトメアに変わってしまったのではないかと肝が冷えたけど、黒い制服を纏った人間の姿のジャックが、生き返った姫と人間の姿になった僕のほうを向いて満面の笑みを向けてきたのを見て心底ほっとしたものだ。
前の世界で最後に姫と二人で望んだ、みんなが幸せに過ごす日常を、僕達は手に入れることができた。しかもそこに僕達も加わることができている。これも、ジャックが記憶を思い出し、最善の方法を考えてくれたおかげだ。ジャックにはどれだけ感謝しても足りない。
―が、僕は今、諸事情によりジャックと顔を合わせづらい。
「確かにおつうさんの方が王子さまっぽいわよね、ジャック。」
「そうだね。でも、こう見えてもつうは意外と女の子っぽいとこ……」
「……っ」
「ちょっとジャック、あなたおつうさんのそんな深いところまで知ってるの!?」
「ごご、ごめん!ってかアリスには説明しといたよね!?前の世界のこと!」
「そ、そうね。ジャックは前の世界では―」
ジャックの口から僕の名前が出たことに動揺して、動きが止まる。本当ならジャックの言葉を否定しにかかりたいところだけど、それもできない。そんな僕の動揺をよそに、ジャックの言葉に強く反応したアリスに対して慌てて弁解するジャック。その時ジャックの口から飛び出した、アリスを特別扱いしていると取れる発言に一瞬心がざわつく。でもそれは表に表さないように全力で押し殺す。ジャックとアリスの二人の間には強いつながりがあることなんて分かり切っていたはずだ、それは前の世界でジャックの感情を誰よりもはっきりと感じていた自分が一番分かっているだろう、と必死に自分に言い聞かせて動揺を抑え込もうとする。
幸い、赤ずきんたちはジャックの言葉が気になったらしくそっちに注意を向けていて、僕のほうを向いていなかったから気づかれてはいないだろう。そのことにそっと胸をなでおろして、ジャック達の会話に混ざりに行く。ジャックに僕のことを好き勝手に話させるわけにはいかないし、自分の名前が出てきたのにいつまでも話に加わらないのは不自然だろうから。
みんなに僕の動揺を悟らせるようなへまはしないつもりだ。これでも何年も王子さまらしい振る舞いの演技を続けてきたのだから。
―ただ、僕はどうも脇が甘かったらしい。僕のほうをじっと見つめる姫の視線に気づくことができなかった。
「-相変わらず、みんなはにぎやかですね、姫。」
「……そうだね、おつうちゃん。」
時刻はお昼まで1、2時間といったころ、食堂でのみんなからの質問攻めが一段落し、僕達は自分たちに割り当てられた部屋に帰ってきていた。僕達は急遽黎明にやってきたというのもあって二人分の部屋をすぐには用意できないらしく、今は同じ部屋で生活している。数日前に訪ねてきたジャックは慣れない環境や二人で同じ部屋を使っていることなどが大変ではないかというようなことを聞いてきたけど、私物もほとんどないし、姫と同じ部屋で生活するのは嫌でも何でもない、むしろ嬉しいくらいだから別に問題はない。ただ、その時も僕はジャックの言葉に一々過剰反応してしまい姫には怪しまれてしまった。まぁその時はジャックも同じような様子だったし、ジャックが前の世界のことを引き合いに出して事情を説明してくれたのに便乗して誤魔化せたから、何とか僕の心境を悟られることはなかったのでほっとしている。
二人で同じ部屋に帰るという状況に思い至ったことで数日前のことを思い出しながら、さっきまでの食堂での話題を苦笑しながら隣に腰かけている姫に投げかける。ただ、姫からの反応が薄い。僕のほうを向いているから話を聞いていなかったというわけではないだろうけど、何か他に考え事でもしているのだろうか。
思えば、食堂でも途中から姫は口数が少なかったように思う。話を聞いていなかったのか他のみんなから質問をされた時に驚いたような反応をしたり、何か考え事をしていたのかぼんやりとしていることもあった。他のみんなも少し不思議そうにしていたから間違いないだろう。ただ、特別体調が悪いというような様子ではないから、熱があるとか風邪をひいているといったことはないはずだ。
「……何かあったのですか、姫?」
「……わたしよりも、むしろおつうちゃんのほうが何かあったんじゃないの?」
「……え……?」
大丈夫だろうと思いはしたけど念のために質問してみたら、逆に聞き返されてしまった。予想外のことに一瞬思考が止まる。すぐに否定できれば良かったけど、そんな状態ではうまい返しなんてできるわけもなく、言葉が出てこない。
「……やっぱり、そうなんだ。」
「い、いえ、そんなことは―」
「-ジャックさんと何かあったの?」
「なっ!?」
「ジャックさんと接するときのおつうちゃん、どう見ても様子がおかしかったし……。それに、なんとなくだけど、ジャックさんと距離を置いているような気もしてたの。」
そんな僕の様子に確信を得たらしく、姫は質問を続ける。しかも今度はさらに核心に近づいていた。ジャックの名前が出てきて今度こそ絶句する。上手く隠せていると思っていたのに、まさかこんなにあっさりとばれてしまうとは思わなかった。
「い、一体いつから……」
「わたしは割と最近だよ。他のみんなとの接し方と全然違ったのにはもっと早くに気づいていたけど、それはジャックさんが人間の姿だからだと思ってたの。でも他のみんなも、わたしが来てからおつうちゃんのジャックさんとの接し方が変わってて不思議だって言ってたから……。」
「……ってみんなにもばれてるの!?」
「うん。あ、でも、ジャックさんは気づいてないんじゃないかな?」
姫が確信を持っているようだったため、もう誤魔化すのは難しいと判断して姫にいつから気づいていたのかを聞くと、更に驚きの事実が告げられた。どうやら上手く隠せていると思っていたのは僕だけだったらしい。ジャックには気づかれていないという姫の言葉が事実ならまだましだけど、ジャック以外のみんなが気づいているのなら、ジャックに気づかれるのも時間の問題だろう。他のみんながジャックに僕と何かあったのかと聞いてしまったらすぐにばれてしまうのだから。というか、そこまで周りの人にはバレバレだったのにジャック本人は気づいていないのか。ばれていないことにホッとすればいいのか鈍いジャックに呆れればいいのか分からない。
「それで、おつうちゃんはジャックさんと何があったの?」
「……っ、そ、それは、えっと……前にも話したみたいに、前の世界のこともあって、ジャックとどんな風に接したらいいか分からないというか、その……」
「でも、それは兄弟みたいなものだってことで決まったよね?」
改めて問いかけてくる姫の言葉に必死にそれっぽい言い訳を返すも、姫には通じなかった。姫から背けているから見えないだろうけど、顔が引きつっているのが自分でもわかる。額から流れる冷や汗も止まらない。ついでにさっき姫に答えていた時の声も震えていたような気がする。我ながら不審すぎる。そもそもその話はジャックが僕達のところに訪ねてきたときに姫の言葉がきっかけで決着がついたのだから、それを持ちだしてもどうにもならないに決まっている。それなのにそんな話をしてしまったのはそれだけ僕が動揺しているから、もとい、上手い言い訳が出てこないほど焦っているからだろう。
そして、その話を口に出してしまったことで、また一つ、思い出したくないことを思い出してしまった。あの時、僕達は姫の言葉で僕達の新しい関係性を表す名前を見つけた。あの時二人の前では笑ってみせていたけど、実は僕は内心それが不満だった。
僕とジャックの今の関係を表すのに、前のような『相棒』という言葉が相応しくないのは分かっている。ジャックはナイトメアではないし、逆に僕もナイトメアでなくなったからずっとそばにいる理由はない。コミュニケーションがちゃんと取れるから、僕だけがジャックの気持ちを感じ取れるという特別なつながりもない。前の世界のように黎明が壊滅してもいないから、ジャックと過ごした時間が他のみんなよりも長いということもない。むしろ、この世界でのジャックのことをほとんど知らないのだから、他のみんなよりもつながりが弱いと言われても否定はできない。
そんなことは、自分でも分かっている。でも、それでも僕はジャックの『相棒』でいたかった。ジャックとの間に、僕だけの特別が欲しかった。兄弟では足りない。この世界のジャックは赤ずきんとは家族だから。だって、それがないと僕は彼女に―
「……アリスさんが羨ましい、とか……?」
「なっ……!?なんでっ……っ……!!」
「……やっぱり、そうだったんだ……。さっき食堂で話していた時も、ジャックさんと話すアリスさんを見て悲しそうな顔をしてたから、そうなのかなって思ったの。」
姫の口から出た言葉があまりにも僕の心情を的確に表していたせいでつい反応してしまった。慌てて言葉を止めたけど、二人で話している以上当然姫には僕の言葉が聞こえていたわけで、そんな僕の様子は姫の言葉が正解だったと言っているのと変わらない。そんな僕を見ながら姫は言葉を続ける。どうやら食堂での僕の様子が不審だったらしい。他のみんながジャック達のほうを向いていたから気づかれなかったと思っていたけど、隣に座っていた姫にはばれていたようだ。
そう、僕が今悩んでいるのはそれだ。ジャックにとって特別な存在ではなくなったことが、自分でも驚くほど悲しいのだ。
記憶を取り戻した直後の僕は、姫をはじめ僕の知っている人がいない、僕を知る人もいない、自分が人間ですらないという状況に突然放り出されてしまった恐怖と孤独をジャックに縋ることで乗り切った。ジャックから部屋に誘ってくれたこと、不安がる女の子を放っておけないジャックの優しさ、更にはナイトメアであることさえも使ってジャックに甘えた。姫という最愛の人がいるにも関わらず抱きしめてもらったり添い寝をしてもらったりもしてしまった。
それだけなら、まだ問題なかった。もちろん何の問題もないわけではないけど、そうする理由があったのだから。みんなが気を使ってくれているのかまだ姫はそのことを知らないけど、この気持ちをきちんと整理できたタイミングで話すつもりはちゃんとあったし、姫が怒るならどんな罵声や仕打ちも甘んじて受け入れるつもりだったけど、きちんと事情を説明すれば姫は最後には許してくれるのではないかとも思っていた。もちろんそれが僕の願望である可能性もあるけど、心優しい姫なら全くの見当違いということはないはずだ。
だから問題はそこではない。僕がいまだその時の気持ちを捨てきれていないことが問題なのだ。ジャックの幼馴染であるアリスが羨ましくて仕方ないのだ。誰よりもジャックのことを知り、ジャックとともに過ごし、ジャックのことを想い、そして、ジャックにも思われている彼女が。ジャックが彼女に話しかけるのを見るたびに、彼女に微笑みかけるのを見るたびに、心がざわつく。アリスの場所にいるのが自分でないことに不満を覚える。二人が強い絆で結ばれているのは前の世界でも散々見てきたからそれは分かっていたはずなのに、あふれ出る感情が胸を焦がす。
よりにもよって、一番知られたくなかった相手に知られてしまったことに、血の気が引いていく。心臓が痛いくらいに早鐘を打ち、何か言わないといけないのに頭が真っ白になってしまっていて何も思い浮かばない。そんな僕に姫は、僕が恐れていた言葉を口にする。
「……おつうちゃんは、ジャックさんの特別な人になりたいのんだね。」
「そんなんじゃないっ!!僕には姫がいるんだからっ!!僕は君のことを愛している!その気持ちに嘘はないんだっ!!だからっ、それは信じてくれっ!!」
その言葉だけは聞き流せなくて、姫の肩に手を置いて姫の顔を真っすぐ見つめながら全力で否定する。泣き出したい気持ちを懸命にこらえながら姫の瞳から目をそらさない。自分の言葉が嘘でないと示すために。
表情を取り繕う余裕はないから僕は今顔をくしゃくしゃにしながら叫んでいることだろう。でも今の僕にはそれを気にする余裕はなかった。姫の真意が表情から全く読めなくてそれどころではなかった。
姫の顔に浮かんでいたのは、いつもと変わらない優し気な微笑みだった。不誠実な僕に怒りを向けるような表情ではない。僕の心が自分から離れてしまったと悲しむ表情でもない。僕の言葉を疑う表情でさえない。その表情の意味が全く分からない。それが逆に恐ろしい。理由の分かる怒りよりも、理由の分からない優しさのほうが、何倍も恐怖を煽る。
僕がジャックのことを避けていたのはこれが理由だ。姫に僕の悩みがばれ、姫に僕の愛を疑われるのが、姫が僕のことを嫌いになってしまうのが何よりも嫌だった。だからジャックと距離を取っていたのだ。いつかこの気持ちが消えてなくなるまでジャックと距離を取り続けることで、姫に気づかれることなく姫のことだけを考えられる自分に戻る。それが僕の考えだった。
そもそも、姫をこの手に取り戻したことで、ジャックに縋らなくても僕は生きていけるはずだ。だからこの気持ちもすぐになくなると思っていた。でもそんなことはなかった。むしろ時間がたつほどに気持ちはどんどん強くなっていった。それが、僕には怖かった。いつか姫への想いよりも強くなってしまうのではないかと考えると、恐ろしくてたまらなかった。世界を変えてまで救おうとした相手への想いが、長年僕を支え続けてきた思いが別物に変わってしまうのは、まるで自分という存在そのものが全く別のものになってしまうようで怖かった。
でも、ジャックへの思いを捨てることもまたできなかった。それができればこんなに悩む必要なんてなかった。姫に対して誠実でありたいのなら、姫への想いが失われるのが怖いなら、そうするのが正解だと頭では分かっていても、心がそれを拒絶してしまう。ジャックの心が自分に向けられる。ジャックの温もりに包まれる。ジャックの特別になれる。一度味わってしまった、ジャックへの思いを捨ててしまったらもう二度と手に入れられないそれらが放つ魅力に抗えなかった。
姫への想いとジャックへの思い。それらを天秤にかけることさえできなかった僕は、結局逃げることしかできなかった。今もう手にしている姫の愛を失うのが怖くて、でも手に入れられるかもしれないジャックの愛も諦められなくて、いずれなくなると自分を誤魔化して、ジャックと距離を取ることで想いに蓋をして、時間が解決してくれると、今を引きのばそうとした。前に進んでしまったら、何もかも失ってしまうかもしれないから。ジャックの心を手に入れることもできず、姫の愛も失ってしまうという最悪の未来を恐れて、言い訳を重ね、自分を騙し、姫やみんなに嘘をつき続けていた。
これがその報いなのだろう。過ぎた望みが身を滅ぼすということを誰よりも知っていたのに、結局僕はまた同じ過ちを繰り返してしまった。姫の幸せを願ってウィッチクラフトに飛び込み、結局最後には姫の大切な人たちの死で姫を泣かせてしまったあの時と同じように、ジャックの心を求めて姫に嘘をつき、結局姫の愛を失ってしまった。結局僕は何も―
「-大丈夫だよ、おつうちゃん。」
「……姫……?」
「わたしは別におつうちゃんに怒ってるわけでも、おつうちゃんを責めたいわけでもないの。」
「え……?」
最悪の結末に涙を流しそうになっていた僕の頬に姫の手が触れる。柔らかくて温かいその掌にいつもならドキドキするところだけど、今は姫の言葉の意味が分からなくてそれどころではなかった。
僕がしようとしていたことは、一言で言えば浮気になるだろう。夫婦の契りを結んだ相手がいるにもかかわらず、他の人からの愛を求めたのだから。いくら実際の行動に移したわけではないとはいえ、姫には僕に怒る権利が十分ある。それこそ僕に愛想を尽かしてしまっても不思議ではない。にもかかわらず、姫にはそんな様子が全く見られない。
姫の考えが全く分からなくて何も言えずに固まっている僕の顔に手を置いたまま、姫は言葉を続ける。
「……おつうちゃんは、わたしにプロポーズしてくれた時のことって、覚えてる?」
「え?そ、それはもちろん覚えているけど……。」
姫の口から出てきた言葉は全く予想していないものだった。今なぜその話が出てきたのかは分からなかったけど、特に困るような質問ではなかったため正直に答える。忘れるはずがない。だってあれは、僕と姫が夫婦になった瞬間なのだから。
話の展開についていけずに混乱する。視線があちこちにさまよっている僕を見てクスリと笑った姫はそのままの表情でさらに続ける。
「あの時おつうちゃんは、お嫁さんにしてくださいって言ったでしょ?……あれって、おつうちゃんがなりたかったのは、王子さまじゃなくてお嫁さんのほうだったってことだよね?」
「そ、それは確かにそうだったけど……」
続く姫の言葉に困惑が大きくなる。確かにあの時の僕はお嫁さんにしてください、と言ってプロポーズをした。自分の性別的にそれが自然だと思っていたから。それに姫が王子さまになってと返してきたから王子さまになることになったわけで、そこだけ見れば僕の願いは叶っていないということになる。でも―
「でも、僕にとって大事なのは姫と夫婦になることだから……。今僕は幸せだよ。」
そう、僕の望みは叶っている。僕の望みはお嫁さんになることそのものだったわけじゃなくて、姫に愛される存在になることだったのだから。愛する姫に、僕と同じように愛してもらうことが目的だった。そしてそれはきちんと満たされている。だから、別に僕には不満なんてない。そしてだからこそ、姫が今になってその話を持ち出してきた理由が分からない。
混乱は続いているものの動揺はいい加減落ち着いてきた僕は、姫の顔を真っすぐに見つめる。きちんと向き合って落ち着いて話を聞かないと、姫の真意はいつまでたっても分からない気がしたからだ。疑問を顔に張り付けて見つめてくる僕の顔に触れていた手を下すことなく姫は再び口を開く。
「うん、わたしも幸せだよ。おつうちゃんにお嫁さんとして大事にしてもらえて……。でもね、だからこそ、時々考えちゃうの。わたしが王子さまになってって言ったから、おつうちゃんは、女の子なのに、わたしみたいにお嫁さんとして幸せを感じることはできないんだなって……。」
「え?いや、それはそうかもしれないけど……別に僕はそんな―」
「-なら、なんでジャックさんのことも好きになったの?」
「そ、それは……。」
姫の言いたいことの意味が分からずに否定しようとした僕の言葉は、続く姫の言葉にさえぎられた。僕がジャックのことも憎からず思っていることはもう姫に気づかれてしまっているからそこは置いておくとしても、姫の言っていることの意味が分からない。
僕がジャックに心奪われてしまったのは、簡単に言ってしまえばジャックに寄りかからなければ心がつぶれてしまいそうになった時に感じた、ジャックにとって大切な存在でいられたという幸福を忘れられないからだ。言葉にすると自分が随分と簡単な人間のような気もするけど、それほど僕は精神的に追い詰められていた。
ジャックしか頼れる人がいなかったから、ジャックに見捨てられるのが怖かった。だから、ジャックの近くにいたかった。ジャックの意識が他の人に向くのが嫌だった。ジャックの心に自分の居場所が欲しかった。ジャックの特別になりたかった。それは事実だ。
でも、僕はジャックのお嫁さんになりたかったわけじゃない。特別な存在になりたいとは願っていたけど、それは相棒という肩書でも良かった。だから僕はことあるごとにそのことを口に出していた。かぐや姫に質問された時も、ジャックに文句を言った時も。だから、姫がここでその話をした意味が分からない。
「-ジャックさんは、おつうちゃんのことをいつも女の子扱いしてるよね?」
「え?う、うん……。」
「そして、おつうちゃんもそれを嫌がってない。」
「そ、そんなことは……。」
「ううん、間違いないよ。おつうちゃんを誰よりもそばで見てきたわたしには分かるの。おつうちゃんは、恥ずかしがってはいても嫌がってはいないって。」
「……。」
「それに、さっきジャックさんがアリスさんと仲良さそうに話しているのを見ていたおつうちゃん、完全に恋する乙女だったよ?なんと言うかこう……好きな人が他の女の子と仲良くするのが嫌だけど割って入るのも恥ずかしくてできないっていうままならない想いを持て余している女の子?」
「なっ!?そん―」
「そんなことあったの!同じくおつうちゃんに恋する乙女のわたしが言うんだから!」
「あ、ありがとう……ってそうじゃなくて!!」
否定を続けようとする僕にいい加減じれったくなったのか、姫は頬を膨らませて立腹気味な表情になる。そんな顔も可愛らしいといつもの僕なら頬を緩めるところだけど、今はそれどころではない。
姫の言っていることが信じられない僕がいる。というか、信じたくない僕がいる。これでも僕は王子さまのつもりだ。姫の夫として相応しい王子さまになるために、一人でこっそりセリフを練習するくらいには、そうあろうと努力もしてきた。でも今姫の口から語られた僕の様子は、僕の理想とする王子さまとは程遠い。むしろ対極にあるとさえ言える。そんな姿をあろうことか一番王子さまらしく振る舞う必要のある相手に見られていたというのは、ちょっとどうしていいか分からない。
それに、今姫の口から語られたことが事実だとしたら、この後姫から語られることは―
「……ちょ、ちょっと待って!!」
「ダメ。」
「ちょっ!?」
「おつうちゃんは―」
「あああああああ―!」
「おつうちゃんっ!!大事なことなの!ちゃんと聞いて!」
「っ!」
「……おつうちゃんは確かにわたしの王子さまだけど、やっぱり女の子としての一面も持ってるの。だから、男の人であるジャックさんに惹かれたの。優しい男の子に、一人の女の子として。」
「…………。」
嫌な予感がした僕は姫を止めようとする。けど姫は聞いてくれなかった。僕の静止を微塵も気にかけてくれなかった。仕方なく物理的に聞かないようにしようと声をあげてみたけど、未だに頬に添えられたままだった手で両頬を挟み込んで止められた。まさかこのためにずっと手を下さなかったのだろうか。だとしたら僕は完全に姫の掌の上だったということになるのだけど。考えると怖いのでそれは一旦置いておく。
それに、僕には今そんなことを気にしている余裕はなかった。姫に突き付けられた言葉が、僕の中でぐるぐると回る。
姫の言葉で、僕がなぜジャックの特別な存在になりたいという思いを捨てられなかったのかがようやくわかった。正確には、その直前には分かっていたけど、それを認めたくなかった。
僕がジャックの特別な存在になることにこだわったのは、ジャックだけが言ってくれたからだ。自分の前で王子さまとして振る舞う必要はないと。
王子さまとして振る舞いことが嫌なわけでは、決してない。姫と夫婦であるために、もっと言えば姫に愛してもらうために必要だと思っているから、姫からの愛がほしい僕がそのために必要なことを嫌がるわけがない。姫への想いは、そんなに弱くない。そうでなければ、世界を変えてまで死んでしまった姫を生き返らせたりしない。
けど、王子さまとして振る舞うのに、何の苦労もないわけでもない。だって僕は、最初から王子さまだったわけではないのだから。姫にふさわしい王子さまになるためにいろいろ努力をして今の自分を保っているけど、そもそも努力が必要な時点で僕が最初から王子さまだったわけではないことは明らかだ。
そして、そういう振る舞いは大なり小なり体力や気力を消耗してしまう。嫌ではなくても、慣れていても、素の自分とは異なる自分を演じ続けるのは疲れる。
赤ずきんがいい例だろう。みんなのお姉さんであろうとする彼女は、みんなの前では強くてかっこいい存在で在ろうとしている。でも、本来の彼女はそんな人間ではない。可愛いもの好きで、甘えん坊な女の子だ。素の自分と異なる役割を果たそうとしているこの世界の彼女は、そこからくるストレスをジャックに対してだけは素の自分で甘えることで解消している。この数日の二人の接し方を見て僕はそれを知った。
そして、それは僕も同じだ。姫を生き返らせる前の日、僕はずっとジャックに甘えていた。色々な事情で精神的に不安定だった僕は、王子さまという役割を忘れてジャックに頼り切っていた。そのせいで、素の自分で誰かに頼ることの安らぎを知ってしまった。他のみんなに甘えることはなかったし、今までも姫の前では素が出てしまうことはあったけど、あくまで王子さまであろうとする姫に対して素で甘えてしまうことは今までほとんどなかった。そうする時も、すぐに王子さまに戻ろうとしていた。でもジャックに対してはそうではない。だって彼は言ってくれたのだ。自分の前でまで王子さまとして振る舞う必要はないと。はっきりと口に出してくれたのだ。自分を頼れと。
「……だからね、おつうちゃん。おつうちゃんが望むなら、ジャックさんのお嫁さんになってもいいんだよ?」
「なっ!?」
自覚したくなかった胸の内を自覚して黙り込む僕に姫が言葉を続ける。その姫の顔はいつもと同じ穏やかな微笑みだけど、内容が全く穏やかではなかった。
僕が先の思いを認めたくなかった理由がこれだ。先の思いを姫が知れば、姫は僕が王子さまとして振る舞うのを負担に思っていると思いかねない。そして心優しい姫は、僕のことを気遣って王子さまを辞めていいと言いかねない。結果として、ジャックに僕を譲って自分は身を引くということをしかねない。自分の命と引き換えに皆の幸せを願った姫の願いを受けて僕は世界を元に戻したのだから、十分にあり得る。それが嫌だったから認めたくなかったのだ。ジャックが与えてくれる安らぎを捨てたくはないけど、姫の夫という立場を失いたいわけでもまた、ないのだから。
「待ってくれ、姫!!僕は君の王子さまを辞めたいなんて思って―」
「うん、それはもちろんだよ。」
「………………え……?」
「いくらジャックさんにでも、わたしの王子さまを譲ったりなんてしないよ?わたしはおつうちゃんのお嫁さんを辞めたくなんてない。折角みんなもいる幸せな世界に来られたのに、おつうちゃんを失ったりしたら台無しだもん。」
今度こそ、僕は絶句する。姫の言いたいことが、まったくわからない。いつもと変わらない笑顔のままそんなことを言い出す姫の胸の内が理解できない。
ジャックのお嫁さんになってもいいと、さっき姫は言った。そのすぐ後に、姫の王子さまは辞めるなと言った。矛盾する姫の主張が僕の頭の中で繰り返しリピートされる。きっと、その言葉の意味を理解できるまで永遠に続くのだろう。
姫の王子さまだから、僕はジャックの恋人にはなれない。ジャックの恋人になったら、姫の王子さまではいられない。姫とジャック、どちらかしか選べないから僕はここまで悩んできたのだ。それを姫も分かっているはずだ。なのに、それを真っ向から否定するような意見を当然のように姫は口にした。
「……姫……熱でもあるの……?」
「えっ!?いきなり何、おつうちゃん?」
「……いや、姫がいきなり変なことを言い出したから……。」
僕としては、それしか言えない。心外そうな表情と声でそう言う姫には申し訳ないけど、今の突拍子のない発言を聞けば僕以外のみんなも同じことを言うだろう。
「もうっ、そうじゃなくてね、おつうちゃん。どっちかだけしか選べないなんて決めつけなくてもいいよってこと!」
「…………は…………?」
「だから、わたしとジャックさん、二人とも恋人にすればいいってこと。」
「…………は、はぁぁあああああぁああぁぁあああっ!?」
姫の口から飛び出した斬新すぎる解決案に僕は叫ぶ。まさか姫の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかった。というか、誰が予想できるというのだろうか。あろうことか、恋人に二股を推奨されるなんて。
いや、どちらかというと、これはハーメルンの読んでいた漫画っぽい表現を使うとすると、いわゆるハーレムという奴だろうか。二股というのは基本的に二股をされる相手同士はお互いがそんなことをされているとは知らないものだろうけど、少なくとも姫はその状況を知っているのだから。というかそもそも問題はそこではない。
「ちょっと姫!?本当にどうしたの!?」
「だって、これしか解決方法がないでしょ?わたしはおつうちゃんのお嫁さんでいたい。おつうちゃんはジャックさんのお嫁さんになりたい。だったら、ジャックさんに事情を説明しておつうちゃんの恋人になってもらうしかないよね?」
「そ、そんな不誠実な関係誰も納得しないと思うんだけど!?」
「わたしは納得してるよ?」
「た、確かに……。って、いやいやいや、ジャックは!?優しいあいつがそんな女の子を軽く扱うような事―」
「優しいジャックさんだからこそ、わたしたちが本気で頼んだらきっと認めてくれると思うよ?そもそも、この場合それに気をつけるべきなのはおつうちゃんだよ?」
「世間体とか……。」
「確かに外聞は悪いかもしれないけど、本人たちが納得できればそれでいいでしょ?」
「そ、そうだね……。いや、だからっ……!!」
姫の意見を正論で論破しようとしたら、至極あっさりと反論されてしまった。しかも無茶苦茶な内容のわりに正論っぽい意見だった。当事者の姫は納得しているし、ジャックも本気で説得すれば最終的には納得するだろう。仮に僕達が本当に真剣に頼んだとすれば、ジャックは僕達を傷つけない選択肢を選んでくれそうではある。彼の底抜けの優しさは、命がけで守られた時に文字通り身に染みてわかっている。それに、周りから何と思われようと、自分たちが納得できればそれでいいというのもそうだ。女である僕が王子さまとして姫の夫をやっているのだから今更だろう。
その選択肢は、確かに僕にとっては魅力的ではある。僕の願いがすべて叶うかもしれないのだから当たり前だ。でも、僕の中の常識がそれを選ぶのを拒む。当たり前だ。不誠実であるのは変わらないのだから。だから僕はまた反論をしようとして―
「-じゃあ、おつうちゃんは諦められるの?」
「っ!!」
姫の言葉に出かかった言葉が途切れる。姫の僕を真っすぐ見つめてくる目を直視できなくて下を向いてしまう。その時さっきまで頬に置かれていた姫の手が離れる。姫は僕に自分のほうを向かせるようなことはしなかった。
「ジャックさんのお嫁さんになれなくてもいいの?いつかジャックさんが他の誰かと恋人になっても、後悔しない?笑顔で祝福できる?」
「……そ、れは……っ」
「できないでしょ?だからあんなに迷ってたんじゃないの?」
姫の声は、驚くほど優しい音色だった。でも、その一言一言が僕の心に突き刺さる。図星すぎて反論もできない。
姫の言葉は、全て事実だ。僕はジャックのことを諦めきれないし、ジャックに恋人ができたら絶対に後悔する。笑顔で祝福することなんてできなくて、一人になったら泣いてしまうだろう。それは分かっている。分かっているけど、それでもまだ僕には、前に進むための勇気が足りない。
「……わたしもね、おつうちゃん。別に軽い気持ちでこんなことを言っているわけじゃないの。」
「……それは、分かっているけど……。」
「わたし達は、沢山の奇跡に恵まれて今ここにこうしていられてる。それってとってもすごいことでしょ?もしそのうちの何か一つでもなかったら、わたしもおつうちゃんもここに二人でいることができなかったかもしれないんだから。」
そんな僕に姫は穏やかに声をかけてくる。膝の上で組んだ両手に視線を落としている僕の肩に手を置いて囁くように。
もう何度も思ったことではあるけれど、姫の言葉で改めて、今という奇跡の尊さを噛みしめる。僕とジャックが都庁のジェイルで出会えたこと。僕がマイクを落としたこと。そのマイクに姫の歌が残っていたこと。それでジャックが記憶を取り戻したこと。僕を庇ったジャックが即死しなかったこと。数え上げればキリがないほどの膨大な奇跡が、今の僕達を形作っている。
「それにね、わたし達は、とっても危険な日々を生きているんだって…………前の世界で、たった半日でわたしとおつうちゃん以外のみんなが死んでしまった時にね、思ったんだ……。」
「……姫……」
あまりにも強い悲しみのこもった姫の声音に、思わず顔をあげる。姫は儚げな雰囲気を纏って苦笑いしていた。そこには、全てを失ってしまうまでそんな大事なことにも気づけていなかった―そんな姫の後悔が滲んでいるようだった。
姫の言っていることは、確かにその通りだ。僕達は確かにメルヒェンどころかナイトメアでさえ倒すことができるほどの力を持っているけど、それは同時に僕達を戦いに駆り立てるものでもある。戦う力がある者をただ遊ばせておけるほどの余裕は、このジェイルの中で生きる人々にはない。
でも、僕達はいつ暴発するかわからない特大の爆弾を抱えて生きている―ブラッドスケルター化という爆弾を。ジャックの血で穢れを浄化しなければ、僕達はメルヒェンと長時間戦い続けることができない。簡単に暴走し、自力で元に戻ることもできず、暴れまわって目につくものをすべて壊し、力尽きるまで止まらない。ジャックの血があればそれらの問題は解決するけど、ジャックの血は無限にあるわけじゃない。ジャックの血に代わるものも結局何一つ見つかっていない。だから、ジャックがいなくなってしまったら、僕達は簡単に死んでしまう。前の世界のみんなが、それを証明している。
それに加えて、穢れを払うためにジャックはいつも戦いの場に同行する必要がある。しかも、この世界のジャックは僕達のように自衛できるほど強くない。一番重要な力を持ったジャックが一番死にやすい、そんな状態で僕達は戦う必要がある。そんなリスクを抱えたまま戦いに身を投じ続けるのは、ひどく危険だ。いつ死んでしまっても不思議ではない。姫の心配を否定することはできない。
「だからね、おつうちゃん。わたしは今のわたし達がいるこの世界で、やりたいことは全部やりたいなって、そう思ってるの。もう二度と、失ってから後悔しないように。今生きているこの一瞬一瞬を、大切にして生きたいの。」
「……」
「だからね、おつうちゃんも遠慮なんてしないで。わたしにできることなら、何だって手伝うから。わたしやおつうちゃんだけじゃなくて、ジャックさんやおねーちゃんたちみんなで、幸せになろうよ。」
そう、今度は楽しそうな笑顔で言う姫の顔から目が離せなかった。姫にはここまでの覚悟があったなんて、思っていなかった。姫はきっと、今言った言葉を実行に移すのだろう。僕や自分だけでなく、他のみんなも幸せになれるようにするために、あらゆる手を使う。そう思わせるだけの強い意志が、その澄んだ瞳から感じられる。かつてヘンゼルとグレーテルに啖呵を切った時のような力強さを肌で感じる。
姫の強さが眩しい。かつて僕がナイトメアだった時に命を救われた時のような強さを感じる。それに比べて僕は―
「……できないよ……」
「おつうちゃん……?」
「だって僕は……ジャックを何度も傷つけてしまったから……。ジャックに愛してもらう資格なんてない……。それに、ジャックにはアリスがいるから……。」
上げていた視線を再び膝に戻して僕は言う。改めて口にすると自分のムシの良さと、ろくでもなさを実感してしまう。
前の世界で、ジャックは僕を庇ってブラッドスケルター化したアリスに切られて死にかけた。ナイトメア・アリスと融合したジャックを殺した。力尽きて消えそうになるジャックを置いていこうとした。この世界でも、ジャックはアリスから僕を庇って死にかけた。僕は何度もジャックを傷つけてしまった。ジャックが許してくれたとしてもその事実は消えない。
何よりも、ジャックにはアリスがいる。ジャックがアリスを大切に思っていることはよく分かっているし、そのアリスのことも、僕は散々傷つけた。僕が願った世界の中で、アリスはジャックを失ったと思ったショックでブラッドスケルター化し、最後にはナイトメアになった。ジャックと融合した彼女を殺した。コアによって擬態化されたアリスが目の前で殺されるのを止められなかった。彼女の遺体を置いて逃げた。どれもすべて、僕があの世界を願ってしまったせいで起きたことだ。アリスはそのことを覚えてはいないけど、僕が彼女を、ジャックにとって大切な存在を傷つけたのは事実だ。そして、そのアリスから僕はジャックを奪おうとしている。ジャックが僕と結ばれてしまえば、アリスは間違いなく傷つく。ジャックがそれを望むならと、ジャックの前では笑顔で祝福するだろうけど、誰も見ていないところでひとりで涙を流すだろう。今まで散々傷つけてきて、その上また彼女を傷つけようとしている。そんな身勝手が許されるはずがない。ジャックと結ばれる権利が僕とアリスのどちらにあるかと考えれば、間違いなく彼女にあるだろう。ジャックへの思いを諦めたくはないけど、そのことが僕の心の中に残り続ける限り、僕はジャックと結ばれても心の底から喜ぶことはきっとできない。
「……そんなことないよ。」
「姫……でも僕は―」
「そんなこと言ったら、そもそもおつうちゃんはわたしのためにいろいろしてくれたんだから、一番悪いのはわたしってことになっちゃうよ。……おつうちゃんをいっぱい傷つけたわたしには、おつうちゃんのお嫁さんでいる資格はないの?」
「そんなこと―!!」
「それと一緒だよ、おつうちゃん。だから、大丈夫。」
「……っ……」
「それと、アリスさんのことは任せて。わたしに考えがあるから。」
「考え……?」
「うん、でもこれはジャックさんにもかかわることだから、ジャックさんにも一緒に聞いてほしいの。だから、今はわたしを信じて?」
「姫……」
そう笑顔を向ける姫を見て、僕は正直ズルいと思ってしまった。そんな言い方をされたら拒めない。そんな優しい声と表情で言われたら、姫の願いを断れない。そんな甘い言葉で誘惑されたら、抗えない。姫に任せてしまいたくなる。
「……姫は、本当にいいの……?」
「え?」
「……僕が、姫以外に愛を囁くことになっても……。」
「おつうちゃんを独り占めできなくなるのは、もちろん悲しいよ?でも、わたしは自分一人だけが幸せになるよりも、わたしの大事な人たちみんなと一緒に幸せになるほうがいいの。だから、大丈夫。」
最後の抵抗としてそんな質問を投げかけてみても、姫の笑顔は揺るぎもしなかった。躊躇なく返された返事は、反撃したはずの僕のほうが受けるダメージが大きいほどに強い決意が滲んでいて―
「……いい、のかな……その道を選んでも……。」
「おつうちゃん……!うん、もちろんだよ!」
「……分かったよ、姫。僕も、覚悟を決めるよ。」
「うん、それでこそわたしの王子さまだよ、おつうちゃん!さぁ、早くジャックさんのお部屋に行こう!?」
「えっ!?今から行くの!?」
「もちろん!善は急げ、だもん!」
「わっ、ちょっ、姫!?」
もう、僕は我慢できなかった。自分の気持ちを抑えることが、できなかった。僕の言葉に嬉しそうな声をあげる姫の笑顔を見て、せめて最後くらいは王子さまらしくあろうと思った僕は姫の目を真っすぐに見ながらそう宣言した。もっとも、直後に僕の手を取って立ち上がった姫の発言に、折角かぶり直した王子さまの仮面はすぐに剥がれ落ちてしまったけど。
ただ、これから僕がしようとしていることを考えれば、そのほうが正しい気がした。これからジャックに女の子として告白しに行くことになるのだから。
今にも鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌の姫に手を引かれてジャックの部屋に向かいながらそう思い直した僕は、すぐに頭を働かせ始めた。せめてきちんとしたプロポーズの言葉を贈るために。