ワンサイド・ゲーム 戦車道プロリーグ奮闘記 作:ヤン・ヒューリック
大洗にてじっくりと選手達の練習を見た後、引き継ぎを兼ねて本社に戻った小林は、広報部のエースである谷口稔と久しぶりに食事をした。
「驚きましたよ、小林さんがアングラーズの社長とか」
外見も言動もチャラい男ではあるが、妙に人なつっこく、常陸スチールの広報部では広告代理店やマスコミとも幅広い人脈を築いて、広告活動を行っている谷口は、アングラーズのことも理解している。
「俺が一番驚いている。なんで俺が、大洗で戦車道をやるのかをな」
「奥さん大丈夫ですか?」
「単身赴任で納得してくれた」
家が柏市にあることから、妻は単身赴任になることに反対したが、ヘタな取締役よりも怖い小林家の主を説得することは骨が折れた。
「それよりも、問題はアングラーズをどうするかだ」
「まさか潰すってことはないですよね?」
谷口の冗談に、小林は笑わずお茶を飲んだ。
「それも考えている」
「やっぱり、問題はこれですか?」
「年間五十億円使って、売り上げは立ったの五千万だからな。一割どころか1%だ。大洗アングラーズは常陸スチールの支援で全て成り立っている」
一応、他のチームも調べてみたが、黒字になっているチームが無いことに驚いた。
「今年プラチナリーグで優勝したアヴァロンズも赤字、チェンタウロスも赤字、だが、それでもそれなりの活動をやっているから、終始の面で見ればなんとかまだマシに見えるな」
アヴァロンズもチェンタウロスも、親会社以外のスポンサーを見つける、あるいは出店の経営などをやったり、ファンを増やすことに専念している。
実際、アヴァロンズもチェンタウロスも、本拠地がある横浜市や宇都宮市では抜群の知名度をファンを抱えている。
プラチナリーグではこの二チームが、君臨しているのが現状だ。
「八幡ヴァルキリーズも同じだな。予算はウチの倍かけているが、それなりの広告宣伝費やらスポンサーやらが付いている。ところが、ウチは全くそんなことをしていない。まあ、原因は隊長の富永だろうがな」
「ああ、会ったんですか富永に?」
「正直、社会人になってからあれほど酷い奴に会ったのは初めてだよ」
最下位へと転落したチームを指揮していて、それに対する反省も詫びも無く、チームが最下位へと転落した原因を改善するどころか、ご大層な寝言をほざいた時点で、富永恭子に対する評価はゼロを通り越してマイナスになった。
「そもそも、なんであんな奴が隊長をやっているんだ?」
「プロリーグ発足からの選手で、日本一に輝いたからですよ」
「あいつがか?」
「厳密に言えば、その頃は戦車一台を任せれていただけの選手だったんですけど、チームの隊長になったことで、アングラーズはあんな感じになっちゃいましてね」
経歴を確認すると、飛び級で海外の大学を18歳で卒業した富永は、十年前に発足した大洗アングラーズが初めて日本一となったあの伝説の時代からの選手だ。
「だが、彼女の手腕で優勝したのか?」
「あれは当時の隊長のおかげですからね。たまたまアングラーズにいただけですよ富永はね」
「そもそもだ、なんであんな奴が隊長をして、それもあそこまで偉そうなんだ?」
最下位になった上に、その三年前は五位から四位を行ったり来たりで、アングラーズの成績は低迷していた。
それは、丁度彼女が隊長になった時期と被る。
「ここだけの話ですよ。実は富永の母親は日本戦車道連盟の理事やってるんです」
「なんだ、親の七光りか」
縁故採用を死ぬほど嫌っている小林はその理由に納得した。日本戦車道連盟は日本の戦車道を全て牛耳っている。
「後、富永の父親が与党の富永京介議員なんです」
「保守派の大物じゃないか」
政治家との付き合いもある常陸スチールにとって、富永京介は与党の大物政治家であり、富永派を率いている派閥の主でもあり、いくつかの大臣も歴任している。
「あいつが大洗アングラーズに入ったのは、先代の社長と富永議員が懇意で、その縁でねじ込んだそうなんですよ」
「それで、あんな甘ったれなクソ野郎が、プロチームを指揮しているということか。笑い話にもならんな」
親の七光り、縁故で採用され、大洗アングラーズというチームの主として君臨しているが、それは結局のところ裸の王様ならぬ、全裸の女王だ。
「正直、お前にだけは言っておくが俺はアングラーズの選手をリストラしようと思っている」
「マジすか。実は俺、アングラーズに彼女が……」
「お前、いつの間にそんなことをやっている?」
「いやね、広報部ってアングラーズの面倒見るじゃないですか。それで向こうの広報やってる子とちょっと仲良くなって……」
相変わらず手が早いことに小林は呆れてしまう。
「まあいい。だが、それはあくまでチームを強化する為だ。アングラーズがここまで落ちぶれた原因があり、それが明確な形になっているならば、それを改善すれば良い」
経営戦略室室長として辣腕を振い、様々な大型事業を成功させてきた小林の意見はいつも明確であった。
「まずは強いチームにする。年間五十億の赤字を改善するには、チームを強くするしかない。またリーグ優勝、そして、ジャパンシリーズを勝ち抜いて日本一になる。それが出来るチームにしなければスポンサーも集まらない」
赤字まみれのアングラーズではあるが、それを改善しないままにで放置するのは、小林の気質に合わなかった。
収益の見込みが無いわけではなく、それを改善する為の方策があるならばまだなんとか出来る。
「とりあえず、縁故野郎はさっさとご自宅にお戻りしてもらわないとな」
「恥をかかせてくれたわね秋山さん」
隊長である富永恭子に呼び出された秋山優花里は、恭子の取り巻き達に囲まれていた。
「すいません」
「だいたい、隊長である私がいるのに勝手にあんな男とおしゃべりしているなんてどういうつもりなの?」
盛大な就任式をしようと思っていた中で、アポも無く、唐突にやってきては聞きたいことだけ聞いて、見るだけ見てさっさと帰った小林に対して富永恭子もあまり良い印象は持っていなかった。
「でも、社長が聞きたいっていうから」
「このチームの隊長は誰?」
「それは富永隊長です」
「では、私が命令していないことを勝手にやるのはどういうことかしら?」
口調は穏やかではあるが、内容は明らかに気に入らない優花里を糾弾しているだけでしかない。
「そうやって勝手なことをするから、今年は最下位になったのよ」
富永の取り巻きである服部章子が優花里にそう言った。
「だいたい、あんこう中隊は勝手すぎるわ。この前のウラヌス戦でも、やられてしまったのはあなた方のせいよ」
61式戦車で構成された習志野ウラヌスは決して強いチームではないが、猪突猛進ぶりに腰が退けたアングラーズ、特に服部率いる中隊から切り崩されて敗北した。
実際は西住みほ率いるあんこう中隊がいなければ、一方的なワンサイド・ゲームになっていただろう。
「まあいいわ、とにかく秋山さん、勝手なことをしないでね。でないと、私もついお父様やお母様に話したくなりますから」
戦車道連盟の理事を務める母と、与党の大物政治家である父、その両親の絶大なコネを持つ富永恭子はアングラーズの独裁者として君臨している。
それに逆らうことは、事実上戦車道から追放されることを意味している。
「……わかりました」
アングラーズが勝てない原因である富永恭子と服部ら取り巻きには、流石の優花里も忸怩たる思いがある。だが、戦友である西住まほや、華、麻子、沙織達のことを考えると我慢することが出来る。
だが、このまま行けばきっとアングラーズは来年も最下位への道を突き進むことになるだろう。それだけは絶対に受け入れたくは無かった。
それからしばらくして、大洗アングラーズの社長となった小林は、親会社である常陸スチール社長である池田や前任のアングラーズ社長を兼任していた福原と共に、都内のホテルにて開催された正式な社長就任式に出席した。
「なんだ、小林さん緊張してるのかな?」
アングラーズの広報担当となった谷口は揶揄しながら、ビールを飲んでいる。常陸スチールを立て直した池田を前に、流石の小林も大人しくしているのは実力を認めているからだろう。
「何一人で飲んでるの?」
アングラーズの制服姿ので現れた武部沙織に突っ込まれると、慌てて谷口はビールを置いた。
「なんださおりんか、びっくりさせんなよ」
「グッチーおひさ、私がいるのに一人でポツンと飲んでるのって、ひどくな~い?」
「しょうが無いでしょ、これも仕事なんだから」
広報部に配属され、いくつかの大口案件を成功させた後、谷口が担当したのは常陸スチールが抱えている二つのプロチームの広報であった。
一つが、プロラグビーチームであり、通算十二回もの日本一優勝を果たした鹿島ハーキュリーズ。そして、戦車道の大洗アングラーズだ。
学生時代、モテるという理由だけでラグビーをやっていた経験から任された仕事だが、チームの広告という形で貢献し、ハーキュリーズの面々とも親しい谷口だが、同時に戦車道プロリーグで活躍する大洗アングラーズの広報となったのは一重に、女子チームで目の保養をしたかったという身も蓋もない理由である。
そこで広報担当を兼任していた沙織と出会い、あれこれ企画や打ち合わせをしているウチに気づいたら男女の仲になった。
何気に女子力が高い沙織との付き合いは、気づけば合コンをセッティングしていた合コン魔王のあだ名を返上するほど一途な物になってしまった。
「あれが噂の新社長か。割と良い男」
「凄い人だよ小林さんは」
「でも、飛ばされてウチに来たんでしょ」
「どうなんだろうな。この前会ったけど本人それなりにやる気持ってたぜ」
先日都内で食事をした時、小林は意外にやる気を出していたように見えた。
「気を付けろよさおりん。あの人怒らせるととんでもないことになるぞ」
「それって忠告?」
「半分はな。だが、あの人は筋を通す人だぜ。根はいい人だ。でなきゃ俺、クビになって広報部に行かなくて、さおりんに会っていないかも」
入社した当初、営業を志望していたが総務部に配属されて、めんどくさい仕事をやらされて不満たらたらの新入社員だった谷口は、その後に営業部に呼び出され、当時課長だった小林の下に配属された。
持ち前の人なつっこさがあり、商談をする上での駆け引きを小林に教えて貰った谷口は営業でそれなりの成績を収めた後、広報部へと異動してそこではさらに活躍した。
「マジで?」
「若手社員で出来る奴はみんな、あの人に大なり小なり面倒見て貰ってるよ。営業部や海外事業部とか、広報部とかもまさにそんな感じだ」
上層部への受けはともかくとして、配属された社員の面倒を誰よりも見て、誰よりも彼らを守り、同時に育てていったのは小林である。
初めはダメ社員の烙印を押された新入社員でも、小林の下に付いた瞬間、驚くような仕事ぶりをしたことで一時期小林に着いたあだ名は「再生工場」であった。
「それだけに、あの人の為ならと動いてくれるのが俺含めて本社や製鉄所にもそれなりにいるしな」
小林がアングラーズの社長に就任したことで、一番びっくりしたのが谷口を含めた小林を慕う若手社員達である。出来る奴には大任を任せ、他の部署で評価が低い、あるいはまだ実力が付いていない社員達の面倒を見て、第一線で活躍できるようにした恩義は今でも忘れていない。
本人はそれで取り巻きを作ったりするのが大嫌いなので、決してそれで派閥を作ったりするようなことはしないが、横のつながりはしっかりと維持されている。
「案外、池田社長も小林さんにアングラーズを任せたのも小林さんに本気で立て直して欲しいからかもしれないな」
「なら、良い戦車買ってくれるかな?」
「多分ね。ところで、チームのみんなと一緒に飲まなくていいの?」
谷口の指摘に沙織は、ハモン・セラーノを口にしながら「だって、グッチーに会いたかったから~」と返答する。
「俺は嬉しいからいいけどさ、それでも今年最下位じゃん。みんな落ち込んでるだろ」
「あーそれグッチーから聞きたくなかった」
一気に赤ワインを飲み干す沙織は、無理矢理現実にへとたたき込まれたような気分になった。
「だってさ、あれじゃ勝てないよ。他のチームは第二世代MBT使ってるのにさ」
高校から戦車道をやり、そのまま城南大学でかつてのチームメイト達と大学でも四年間戦車道をやり、その後にプロ入りした沙織は現状に憤りを感じている。
「アヴァロンズもチェンタウロスも滅茶苦茶強くなってるしな」
「ダージリンもアンチョビも、プロ入りしてから神がかって強くなってるんだもん。反則だよあんなの」
アヴァロンズの隊長を務めるダージリン、そしてチェンタウロスの隊長を務めているアンチョビ、それぞれ弱小だったチームを持ち前の統率力で鍛え上げ、今ではリーグ優勝を争い、ここ五年ではどちらかが優勝しては、盟主である八幡ヴァルキリーズと戦っている。
「でも、八幡ヴァルキリーズにはかなわなかった」
八幡ヴァルキリーズは三年連続リーグ優勝し、ジャパンシリーズも三連覇した戦車道プロリーグの盟主といってもいいチームだ。その実力にはプラチナリーグの覇者であるアヴァロンズもチェンタウロスも霞んでしまうほどである。
「あ~それも聞きたくない。今日のグッチー全然私に優しくない」
甘ったるい言葉でそういう沙織ではあったが、いつもならばそのまま二人でいちゃついて朝帰りするパターンではあるが、今日の谷口は珍しく仕事モードに入っている。
「いやね。恩人の就任式だからさ、俺も本当はもっと優しくしたいのよ」
「恋人の私と社長どっちが大事なのよ!」
凄い究極の選択を持ってくる沙織に、谷口は困惑するが、相手が小林でなかったら速攻でこの目の前にいる彼女を選択する。
それに、もし小林がアングラーズを変えてくれるのであれば、それを第一線で見てみたかった。
「おめでとう小林君」
「ありがとうございます。池田社長」
正直、本当に喜んでいるのか、喜ぶべきことなのか小林は分からないが、とりあえずは池田の顔を立てるつもりでそう言った。
「君は若手社員達から相当な人気があるそうだな」
「噂ですよ」
若手社員、特に現場の第一線で働く社員達の中には、自分を慕ってくれている社員がそれなりにいることは小林も知っていた。
「君はその噂じゃ、再生工場というあだ名があるそうだな」
「何故それを?」
「君が思っている以上に、君は現場のエース達からは非常に人気が高い。君の部下となり、その後活躍した社員達は皆、各部署の中核を担っている。その話は各部署の上長を通じて私の元に入ってきているよ」
学生時代、ラグビーをやっていたという池田は今でも六十代には見えないほどガッチリとした体をしている。その池田に褒められることに、小林は少しだけ恐縮した。
「私をアングラーズの社長にしたのはその噂が理由ですか?」
「それもあるがそれだけではないな」
ウイスキーを飲みながら池田はそうつぶやいた。
「アングラーズは我が社の聖域になっている。これは決して好ましくは無いことだ」
かつてアングラーズ並みに低迷していた常陸スチールを立て直し「技術の常陸」を復活させた池田の言葉には、小林も理解しているアングラーズの癌が思い浮かんだ。
「会社に聖域など存在しない。そして、それで特権があると思い込んでいる者がいれば、それは会社にとって非常に好ましくは無い」
常陸スチール初のリストラをも敢行させ、同時にそれまで削られていた研究開発費を上げて改革を断行した池田の言葉にはかなりの重みがある。
「早速お出ましだ」
そういう池田の前には、このチームを最下位へと転落させた戦犯とその一家がいた。
「池田社長、お久しぶりです。そして、小林社長、就任おめでとうございます」
綺麗な花にはトゲがあるとは言うが、トゲならぬ癌と言ってもいい富永恭子の姿に、小林は先ほどまで飲んでいた酒を全部吐き捨てたくなる。
「池田さんも思い切ったことをされたものですなあ」
引き締まった池田と違い、無駄に恰幅がいい富永議員の姿はなんというか滑稽に見えた。
「素人さんで大丈夫でしょうか?」
和服姿の中年女が呆れてそう言った。日本戦車道連盟の理事を務めている富永都は理事長を務めている東条有希江の側近とまで言われている。
「富永先生、都理事、確かにこの小林君は戦車道の素人です。ですが、彼は我が社最年少で執行役員となり、経営戦略室室長として辣腕を振ってくれました。私が信頼する、役員の一人です」
池田はクレーバーな経営者であるだけに、その池田にそこまで言ってもらえることは、常陸スチールの役員冥利に尽きる。
「低迷しているアングラーズを、変えることが出来るとすれば、彼のような改革者の存在が必要不可欠です」
「ほう、池田社長がそこまでおっしゃるとは出来る方なんでしょうなあ」
「池田さんは本当に面白いお方ですわ」
富永夫妻がそろって笑いながらそう言うと、それに池田も追従したが、それがポーズであることは小林には分かっていた。
池田の目は少しも笑っていないからである。
「とにかく、アングラーズは小林に一任致します。小林君、アングラーズを立て直してくれ」
そういう池田は小林に向かって頭を下げる。聖域と言った富永夫妻と、富永恭子の前で「立て直してくれ」という言葉は単なるポーズでは口に出来ない。
その勢いに、小林は完全に燃えていた。
「お任せください」
池田から言わされたような言葉かもしれない。だが、変えて行かなくてはならないと、任せるという言葉の意味。
そして、小林自身のあだ名である再生工場に恥じないようにしたい。自分の課せられた使命の重さを実感しながら、小林はアングラーズを立て直す決意をした。