僕のクラスには、帰国子女であろう女の子がいる。
ライトグリーンの髪に、朱色の瞳を持った、おおよそ日本人ばなれした容姿の少女である。
彼女とはただのクラスメイトであって、友達と呼べるような存在ではないのだが、僕は彼女のことをよく知っている。
初めに弁明しておけば、間違ってもストーカーではない、教室の隅にある自分の席で好きなこと、例えば本を読んでいたりすると、会話が聞こえてくるのだ。
彼女の名前はシエル。友人であろうクラスメイトに、「しえるん」と呼ばれているから多分そうなんじゃないだろうか。正確に教えることが出来ないのは申し訳ないが、僕はクラスメイトの名前をいちいち覚えるようなそんな人間ではない。
クラスメイトの名前ですら想像で話しているが、僕はボッチなどという、爪弾きにされた存在ではなく、ただ互いに過干渉を嫌う友人がちゃんといる。そんな友人とは、日時を決めてから集まり、一緒にゲームをするくらいの仲ではあるのだ。
「でっさー」
ほら、こうしている間にも、彼女の友人であろう派手なクラスメイト──彼女の隣に立てば、美醜がハッキリするのだから面白い──が必要以上の大きさの声で話をしている。
「駅地下の喫茶店に新しく入ったバイトがめっちゃイケメンなの! しえるん一緒に行こうよ!」
「うぅーん・・・」
彼女は人付き合いが苦手、というわけではなく、むしろ明るい性格で周りからの評価も高い。
お淑やかそうな表情と普段の行動から、運動が出来ないと思われがちなのだが、体育の成績は五段階評価で言えば最高の五がつくだろう。部活はバスケ部。ただ部自体が弱小であるため、大会優勝を目指すというよりは仲良くやっていると聞く。
だからこそ、ああして放課後の寄り道を提案することが出来るのだろう。
「私は・・・いいかな。バイトがあるし」
「え?! しえるんバイトしてるの!? どこでどこで!?」
ああ。また囲まれている。彼女の友人は人を囲むのが得意なようだ。
バイト。彼女がバイトをするならば、それが接客業ならとても繁盛していることだろう。なぜなら美少女と呼ばれる存在だから。
時は過ぎて、放課後である。
昼休みに話していた、彼女のバイト先も少し気にはなるのだが、僕にはそれ以上に勝ち取らなければならない品があった。深夜に放送している魔法少女物の限定DVDである。予約特典付きなので、事前にしっかりと予約し、発売日である今日受け取りにいく。
その道中のことだった。
「・・・あれ?」
ふと、いつも近道として使っている路地裏に踏み込んだとき、強烈な違和感を感じたのだった。
景色がグルリと変わり、昔のテレビのように色素が抜け落ち、白と黒が基調となった──というかむしろその色しかない世界に放り込まれたのだった。
「■■■■■■■──!!」
夢。でも見ているのだろうか。
それとも、これは見たくもなかった現実だというのだろうか。
黒い巨体の、人型をした人語を解さない怪物。現実的ではなく、漫画やアニメ、小説の挿絵くらいでしかお目にかかれないであろう化け物が、目の前にいた。
「──どう、いう・・・」
喉が渇く。
いつの間にか呼吸も、動悸も速くなっていた。理解不能の恐怖に、一、二歩下がる。
その瞬間。
「■■■■■■!!」
化け物が、腕を振り下ろす。
その動きがとても、ゆっくりに見えた。恐ろしい程ゆっくりに。よろけたといった方がいい程、ただ後ろに下がったあの動きがなければ、潰されていた。そう思う程目の前に、拳が落ちた。
「──ッ!」
後ろを振り向いて、逃げだそうとして気付く。
道がない。
どういうことだ──!?
とにかく、後ろのこいつから逃げなくてはならない。そう思って脚を動かす。普段の僕なら絶対に考えられない程の速度で、走れていた。
「・・・なっ、なんなっ──だよ!」
「■■■■!!」
化け物は興奮しているのか、後ろから聞いたこともないような咆哮が飛んでくる。それはもう、声と言うよりは音だった。耳を塞いでしまいたくなるような、そんな音。
「まだ、死ねないんだよ! 悪い夢なら覚めてくれ! 頼むから!」
闇雲に逃げ回る。
土地勘どころか、道すらない広大な空間で、どこに逃げればいいのか分からないが、とにかく距離をとりたかった。
逃げる先に、小さな洞穴を見つけて、思わず飛び込んだ。山を崩せるような力を持っていたらどうするのか、そんな事を考える余裕などなく、ただあの手から逃れることが出来る場所に、まっさきに飛び込んだだけだった。
「ハァッ・・・ハァッ・・・ハァッ・・・・・・」
「■■■■■■■!!!」
化け物の声は聞こえている。恐怖で震えるのも止まってしまった。もう、震えることすら出来ないのか。怖いのも一周回っておかしくなってしまったようだった。
「いた!」
「■■■■■■■!」
外から女の子の声が聞こえる。何かの気のせいだろうか。
「喰らいなさい!」
「■■■■■■■──!!」
悲鳴のようにも聞こえる、化け物の声を聞いて、穴の奥で震えているのをやめて、様子を見に入り口に近づいてみる。
すると、そこには。
ライムグリーンの魔女がいた。
より正確に言えば、ハロウィン等の催しで着用されているであろう、魔女のコスプレらしきものをして、化け物を退治しているクラスメイトがいた。
「シエル・・・さん・・・!?」
「え。えぇ!? ええええええ!?」
「み、民間人が居たホ!? イエーレがこんな所にいたものも彼が理由だったホね」
「ジャック! 民間人は結界内には入れないはずでしょ!?」
カボチャを被った小さな妖精。ジャック・オ・ランタンであろうその妖精に、コスプレをした僕のクラスメイトは叫ぶ。
結界だの、イエーレというらしい化け物のこととか、気になることは多々あるけれど、そんなことより、気になることが一つ。
「バイトって、なんかの撮影? ・・・じゃあ、ないよね?」
だって実際襲われたし。あんな不思議現象を目にして楽観的な考えをしていられるはずがない。
だから、比較的前向きに考えて、良くある巻き込まれが発生した。そう考えよう。自分がこの立場に立つとなると、面倒この上ないことが良く分かる。
ゴメンよ主人公くん達、今まで美味しいポジションしやがってとか思って。死ぬかと思った。
「あ、あのね! これは違うんだよ!? 私は──」
「君にも微弱だけど魔の力が眠っているみたいホ! だから、ラホーレの中に入って来ることが出できたようですホ」
「・・・・・・あの、一から十まで説明してくれる?」
記憶を忘れさせて貰っては困るのだ。
この後、予約したDVDを取りに行かなくてはならないから。
「知ってると思うけど、私はシエル・ベルリネッタ。こっちはジャック」
「ジャック・オ・ランタンのジャックですホ。よろしくどうぞです。ホホ」
「え・・・っと。よろしく」
僕は知るよしもなかった。これから彼女達と関わる内に少しずつ、大好きだった魔法少女アニメが苦手になっていくことを。
それでも、魔法少女が好きなのは変わらないということを。
今の僕は、知らなかったのだ。