お父さんは言っていた。
正しい呼吸をし続ければいつまで動いても疲れないんだって。
いつもは床に伏せて咳をしているお父さんは、その時だけはカッコいい火の神様になる。
私はあの綺麗な舞いが好き。
火の神様へのお祈りという名目があっても、それは私にとって芸術作品のようなものだった。
終ぞ、お父さんに綺麗な舞いを見せることは叶わなかった。
それでも、この舞いは私の大切な生きた証だ。
だから、違和感があった。
水の呼吸___
花の呼吸___
冨岡さんと胡蝶さんの見せてくれた型はどれも本当に綺麗だった。
でも、心の底から感動はしなかった。
寧ろ、疑問に思った。
どうして、そんな余分なことをするの?と。
私は身の程をわきまえない、浅ましい思考を咄嗟に感激の声で塗りつぶす。
私を救って下さったこの呼吸で?
誰かを救えるように?
そんなものはただの方便だ。
薄汚い詭弁だ。
私は慢心としか言えない確信を抱いては刃を振る。
透き通る…いや、透明な世界で。
◇◇◇
「夜が明けるまでに、先ほどの小屋まで戻って来い。その結果を持って入門を認める」
このおじいちゃんは何を言ってるの?
脳が鱗滝先生の言葉を理解しようとするのを否定していた。
神社で炭治郎と一緒に鬼を討った。
そこで、冨岡さんに稽古をつけるよう頼まれたと、呼吸を使った反動で気を失い今しがた目を覚ました私の前に現れた天狗のお面を付けた奇妙なおじいちゃん。
そのおじいちゃんは多くは語らず稽古をつけて欲しかったら着いて来いと言った。
私は言われた通りついていった。
日光を浴びることのできない炭治郎を籠に納め、それを背負いながら走った。
日中ずっと。
途中、ここ通ったよね?って思うことが何度かあったが、最早反論する気力などなく、呼吸を必死で整えながら走ることで精一杯だった。
夕暮れ時。
小屋に到着しこれで稽古をつけていただけますか?と問うた私に返ってきたのは
「入門の試験はこれからだ。籠を置いて付いてこい」
という言葉。
一瞬、私は騙されているんじゃないかと思ったが、全く呼吸も乱れず足音を立てることなく走行することのできるこのおじいちゃんが、私のような小娘にそのような企みなど抱くはずも無いと、勝手に鱗滝先生を美化しながら沸々と湧き出す苛々を押さえ込んだ。
それからは山を登った。
膝が嗤った。
汗を拭い取った肌からは、もう何も滲んでこなかった。
そして、頂上に着いた途端告げられた下山の指示。
ここで私の不満も頂点に達した。
「………上等よ…やってやる…絶対に帰ってやる…!夜明けまでなんて悠長なこと言わない…!月が昇ってる間に戻ってやろうじゃない!!」
疲れ果てた身体に怒りの力が染みわたる。
そして私は全力で山の斜面を駆け抜けて___
「落とし穴とか……あの陰険爺ーーー!!」
流れるように罠にはまっていた。
夜空に浮かぶ満月が私の滑稽な姿を嘲笑っているように感じた。
◇◇◇
「___ムー!!ムー、ムー!ムー――!!!」
炭次郎は困惑していた。
姉と共にお面の老人の住居に招待され(姉が走っては引きずりまわされ)漸く姉は身体を休めることができるのかと安堵していたところに、老人はお前はここで待っていろと言い、姉を連れて行ってしまった。
小屋に入り籠から出ることはできたが、未だ陽は沈んでおらず、姉を守りたい気持ちはあっても体が陽の光を浴びることを本能的に拒否していた。
炭治郎が動けずにいる間に老人は姉を連れて行ってしまう。
炭治郎は何もできない己の無力さを痛感しながら、早く陽よ落ちてくれと天に祈った。
陽の光が差し込まなくなったと同時に炭治郎は小屋を飛び出した。
姉の匂いは覚えている。
見失うはずがない。
しかし、狭霧山に佇む高濃度の霧に含まれる森林の香りが炭治郎の探知を邪魔をする。
「ムー――!!!」
返事はない。
ここで立っていても事態は好転しないと思った炭治郎は二人が小屋から遠ざかっていった方向に向かって駆けだす。
しかし____
「小屋で待っていろと言った筈だが?」
「グッ!?」
突然、進行方向に天狗のお面が肉迫し、掌底によって顎がかちあげられる。
すぐさま体勢を立て直した炭治郎は、老人の抜き放った刀に乗せられた殺気に全身の肌が泡立った。
「殺す気で来い。さもなくば___その頸、泣き別れることになるぞ?」
無慈悲な斬撃は炭治郎の左手を斬り飛ばした