ごめんなさい。
その女性は名家の出身だった。
幼い頃から花よ花よと育てられ、少女という蕾はいつしか鮮やかな大輪の華を咲かせるに至った。16で親交の深い豪農の家に嫁いでからも、その魅力は褪せることを知らなかった。夫を支え、子を成し、御家を守ることを第一に懸命に自分の役目を果たした。
ある日、女性は不運に見舞われる。
本来、割れることのない石窯が割れ、その中でよく煮立っていた湯を身体に浴びてしまったのだ。焼け爛れた皮膚は際限の無い痛みと苦しみを女性に与えた。そればかりか、いつも優しかった家族全員が女性を腫れ物に触るように接してくるのだ。その時、女性は思った。かつての自分はもうあの時死んだのだと。
女性は痛みを受け入れた。
家を出て、信仰を始めるようになってからは自分の容姿が気にならなくなっていた。自分たちを平等に扱って下さる神様は、殊更女性の目に優しく映ったのだろう。
女性は傷みを受け入れた。
ある日、一通の文が届いた。家族が焼死体となって見つかったと。原因は嘗て女性が使っていた炊事場での火が家全体に燃え広がったことだと、文面には記されていた。その文を読み終えた時、女性はあまりの嬉しさに頬を赤らめた。愛しい家族が自分と同じ傷みを感じられたことが。どうしようもなく、嬉しかったのだ。
女性は悼みを受け入れた。
女性は同じ神様を信仰している仲間を殺した。仲間は人の痛みを知らない人だったから。女性はその仲間の家族を殺した。傷みを教えなかった家族もまた、傷みを知らなかったから。女性は周りの人間を全て殺した。誰もが悼みを知り、また誰も悼みに苦しむことが無いように。
女性は鬼になった。
鬼になってからも、女性は人々に痛みを分け与えた。そして傷みに苦しむ人たちをこの世の軛から解放してあげた。悼みを知った人々は、とても隣人に優しくなれた。
だから今日も、女性は祈る。
どうか人が人に優しく在れますようにと。
◇◇◇
目の前の少女が倒れる。痛みに耐え切れなくなったのだろう。私は少しばかり術の効力を抑える。私は痛みを知っては欲しいが、悪戯に苦しめたいわけじゃない。少女が臨むのなら、その命を貰うことで苦しみから解放させてあげないといけない。
私は、息も絶え絶えになっている少女に耳を寄せて、彼女の願いを聞く。
「____一つ、お聞きしても?」
『…何?』
この子はとても強い子だ。きっと、たくさんの悼みを経験している子。人にずっと優しくなれる子だと思った。私はそんなこの子の願いを無碍にしたくなくて、掠れる声に耳を澄ませた。
「貴女は鬼となったことを後悔していますか?」
意外だった。もっと、鬼に対する恨言のようなことを口にするものだと思っていたから。私は当てが外れたようになんとなく、正直に話したくなった。
『…分からないわね。人であった時も、鬼になってからも、痛いのは変わらなかったから』
「辛くないですか?この先も、ずっと同じ痛みを抱えたまま生きていくなんて…」
『そうね…もう痛みのない状態の方が考えられないけど。___もし、叶うのなら。また家族に会って、みんなに綺麗だねって言って欲しいわね…。もっと、優しい夢を、みることができたら、本当、幸せね…』
「じゃあ、私が叶えてあげますよ」
少女がそう言った瞬間、私の右目に小刀が押し込まれる。前方の視界が黒に染まる。しかし、この程度の傷、どうということはない。すぐに回復する。私はそれよりも、少女が無理をして余計に苦しむことの方が気がかりだった。
『無理しないで。痛むでしょ?今、楽にしてあげるからじっとしてて………!?』
突然、私の中で、何かが暴れた。
血流に乗って流れ込んでくる冷たい感覚に、私の生存本能が危険信号を発する。
『_______ぁ____ぁ___』
身体が動かない。
地面に伏しているはずなのに、何の感触もない。
後ろにある眼も機能しない。
自分という存在がゆっくりと嬲られるように消されていくような感覚に身体が恐怖を覚える。
何、これ?
そんな中、妙に冴えている意識は頭上、高いところから掛けられる少女の声に反応する。
「___それでは、実験開始です。大丈夫、貴女は鬼ですからすぐには死にません。痛いことよりも辛いかも知れませんが、頑張ってくださいね?」
身体が震えた。
そして、自分の判断を今ごろ後悔した。
この少女。いや、この女は、殺さなくてはならない存在だったのだと。
暗闇の中浮かぶ悪魔のような笑みに、私は唇を噛んで声を殺す。
惨劇の幕は、すでに上がっていた____
◇◇◇
「まさか、自分の術の内容を馬鹿正直に吹聴する鬼がいるとは思いもしませんでした」
足元に伏している鬼に向かって、受けた痛みをお返しするように、皮肉たっぷりの口調で話す。
「そういうことは隠しておいた方がいいですよ?私みたいに薬を使う隊士だっているんですから」
私は痛みの引いてきた左手を握ったり、開いたりして動きを診ることで、薬の効果を確認する。
「うーん…部分麻酔とはいえ、即効性のあるものはやはり運動機能の低下が目立ちますね。これだと、解剖の途中に大事な臓器を誤って切っちゃいそうです」
落ちていた日輪刀を拾い、軽く刀を振って、鬼の腕を落とす。私の力でも簡単に落とせるようになっているため、鬼の身体が相当脆くなっていると分かりました。
「細胞の壊死によって再生不能。もしくは再生速度の阻害ですかね?…うん。近くに寄せてもくっつかないということは成功でしょう」
次は毒を注入した付近の部位と、血を全身に送る機能のある心臓。そして、太い血管周辺の状態確認ですね。
「あ、これも良さそうですね。今の状態なら普通の毒も効くのかな?うーん、やっぱり被験体は生きたものに限りますね。作業が捗ります!」
「これは…取ったら死んじゃうのでこのままで…」
「うん。この肺胞の機能なら気化した毒の吸収もありですね」
「骨もそろそろ限界ですか」
「最後に中枢神経の確認を____」
どのくらい時間が経ったのか。
私は夢中になって作業を進めた。
今まで、鬼を倒したことのなかった私は完全に浮かれきっており、冷静さを明らかに欠いていた。
毒の効果を確認するため、何かに取り憑かれたかのように鬼の身体をバラバラにしていく。
そして、鬼にとって地獄のような時間は突然終わった。
「水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨」
◇◇◇
鬼の身体が崩れ始めると同時に、胡蝶妹の手首から、呪印が消失する。
彼女の肌を覆っていた返り血も、塵となって風に運ばれる。
狂った笑みを浮かべる人形のような仕草で、胡蝶妹が俺に詰め寄る。
「何、してるんですか?何をしたか、分かってるんですか?鬼の構造を調べる絶好の機会だったんですよ?あれだけ従順に解剖させてくれる鬼なんてもういないかも知れないんですよ?」
俺は彼女を落ち着かせるよう注意しつつ言葉を選ぶ。
「お前の毒は鬼に効くと証明できた。ならば、それで十分だ」
俺の言葉に胡蝶は余計に頭に血が上ったように舌を回し始めた。
「十分?何を持って十分と言い切れるんですか?死んでなかったじゃないですか?鬼の首を切るのと同じ効果を出せなかったじゃないですか?その原因を究明できるのは毒の効果を受けたあの鬼の身体だけなんです。。千載一遇の機会だったんです。…その機会を貴方が奪った!」
「落ち着け、胡蝶。冷静になれ」
「冷静?私は冷静ですよ!何ですか?鬼を解剖するのが可愛そうだから介錯したんですか?柱である貴方が、鬼に情けをかけるんですか!?」
「胡蝶」
「そうですよね。貴方は柱ですものね。私みたいな力のない隊士のするお飯事に付き合ってられないですよね。すみません。水柱様の貴重なお時間を無駄にしました」
「胡蝶」
「次の被験体を探します。まだ、夜明けまで時間は十分あります。今から探せばもう一体くらい___」
「胡蝶!!」
「っ!!?」
胡蝶は俺の一喝に、身体を一瞬強張らせると。表情を固くして、こちらを窺うようにみてきた。
「___命令だ。先に戻れ」
回想編終わりませんでした。
もう後書きに適当な次回予告とか書かないので許して下さい。
しのぶさんは柱になるまでにたくさん苦労していて。
鬼の首が切れなくて苛立ちや焦燥感があったのかな?なんて妄想で今回の話を書いてみました。
解剖シーンは元の文章から相当削りました。あとで読んで気持ち悪かったので。
挿絵も随時あげていく予定です。
700人の方にお気に入り登録をいただきモチベーションは最高です。
今後ともよろしくお願いします。
それではまた
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