産屋敷家の庭に黒い羽根が落ちる。
翼が空気を揺らす音を感じた男性は床の間から身体を起こし、鎹鴉の報告を聴く。
「___そうか。ここまでよく頑張ったね」
震える指で鴉の首元を撫でると、気持ち良さそうな鳴き声をあげる。
その声が少し老いたものであるのは、紛れもなく冨岡義勇の鎹鴉であることの
証明に他ならない。
男性は病に侵され痛みを訴える右目に手を当て、傍に控える妻に言伝を頼む。
「彼女に伝えてもらえるかな?これはきっと、彼女にしか任せられないことだ」
妻は夫の意思を汲んだかのように、伝聞を書にしたためる。
物語は大きな分岐点を迎えようとしていた。
◇◇◇
水の呼吸
壱ノ型 水面斬り
弐ノ型 水車
参ノ型 流流舞い
肆ノ型 打ち潮
伍ノ型 干天の慈雨
陸ノ型 ねじれ渦
漆ノ型 雫波紋突き
捌ノ型 滝壺
玖ノ型 水流飛沫
拾ノ型 生生流転
「覚えたか?」
「えっと…あの…」
「…俺がお前に与えられる力など、この程度のものでしかない」
力が欲しい。
そう目の前の少女に乞われた時、真っ先に思い至ったのは自身の力不足だった。
最終選別で運良く生き残れただけの落ちこぼれが、偶々空席だった水柱の任を負わされているだけに過ぎない。
そんな、偽りの柱である自分が少女を導いて良いはずがない。
この娘…禰豆子には剣の才能がある。
特に、鋭敏な危機察知能力からくる独特な戦闘勘は、闘いに生き残るための大きな武器になるだろう。
しかし、俺では彼女の育手は務まらない。
彼女を育てる資格があるのは、本物の柱である彼らか…、もしくは鱗滝先生くらいのものだろう。
だから、俺は断った。
自分にその資格は無いと。
お前の育手に俺など相応しくないと。
だが、彼女は想像以上に頑固だった。
何度も何度も頭を下げて、教えを乞うてきた。
こちらが折れるまで、純粋な心持と瞳で想いをぶつけてくるのは、一種の暴力に他ならない。
鬼を殺す術しか知らない俺にとって、それは闘いにすらなっていない、一方的な蹂躙だった。
技を見せた。
水の呼吸を。
十ある全ての型を。
鱗滝先生に教わったことの全てを。
禰豆子に伝えた。
しかし____
「えーと…もう一回だけお願いします!」
「話にならんな」
まさか自分に、これほどまでに人に教える才能が無かったとは…。
禰豆子は俺の不甲斐ない姿を気遣ってか、妙に腰を低くして応対してくる。
「ごめんなさい!物覚えが悪くて、ホントにごめんなさい!」
そういう庇い方はやめろ。
庇われたほうは堪ったものじゃない。
「…もういいだろう?」
俺はお前に何も残してやれない。
もっと、お前に相応しい育手がいる。
禰豆子は泣き出しそうな顔をしながら俺の手を握ってくる。
「嫌です!!私は、義勇さんに教わりたいんです!!私と炭治郎を救ってくださった貴方に!」
…だから、その目はやめろ。
どうしていいか、分からなくなるだろ…。
「………もう一度だけだぞ?」
俺は彼女に背を向け、日輪刀を抜刀しながら伝える。
「はい!今度はちゃんと_____名前を覚えます!」
刀身が鞘の半ばまで顔を覗かせて、そしてピタリと止まる。
「 」
こいつは、今何と言った?
名前…?
型の動きではなく?
俺は何か、重大な見落としをしている?
そんなことを考えていると、視界の端に見知った顔を見つけた。
俺は再び納刀すると、禰豆子ではない、彼女のほうに向きなおる。
「随分早かったな?____胡蝶」