IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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Throw off one's mask

「ガハッ!?」

 

 

一瞬、何が起きたか全く分からなかった。不意に風圧が来たかと思うと、既に目の前には強盗犯の姿が。ガードは間に合わないと悟り、反射的に後ろに飛んで衝撃を和らげようとしたにも関わらず、自分の身体はまるでピンポン玉のように吹き飛んだ。飛びそうになる意識を引き戻しながら両足で床につき、衝撃を吸収する。

 

確かに残る腹部の衝撃。硬い鈍器で直接殴られたかのような痛み、もし反応が遅れてモロに一撃を食らっていたとすれば今頃夢の中、下手をすれば酷い外傷を負っていたかもしれない。

 

 

「くっ……ゴホッゴホッ」

 

 

一撃の重さに呼吸が乱れる。

 

じんじんと伝わる腹部の痛みを堪えながら、自分を殴り飛ばした相手を睨み付ける。相手の横にはシャルロットが居るが、何が起きたか分からずに驚きを隠せないでいた。突然人がハネられたかのように吹っ飛べば、動揺するのも無理はない。

 

 

「シャルロット、隣だ!」

 

「っ!」

 

 

ラウラの声に反応し、すぐさま隣に居る強盗犯に向かって蹴りを繰り出すも、バク転で避けられてしまう。涼しい顔をしながら、シャルロットとラウラから距離を取った。無機質ながらもその表情からは挑発にも似た感情が見て取れる。

 

やがてお前らで俺のことを止められるのかと言わんばかりに、手を前に突き出し手招きをしながら挑発をし始めた。

 

相手の仕草に一瞬ラウラは苛立ちを覚えるも、挑発に乗れば相手の思う壺であることを悟って思いとどまる。この狭い店内での慣れた身のこなし、そして相手の力量を把握した上での絶対的な自信。

 

正面からやり合えば間違いなく負ける。

 

 

「ラウラ、大丈夫?」

 

「ああ、何とか。一瞬本気で意識が飛んだかと思ったがな」

 

 

ラウラの言葉に嘘は感じられない。

 

シャルロットもラウラの生身での実力はよく知っている。少なくともIS学園の一年生の中で、生身でラウラに敵う生徒はほとんどいない。そもそも一般人とプロの軍人では天と地ほどの差がある。

 

現に突然の強盗犯の侵入も、難なく鎮圧してるのだ。仮に武道をかじっている人間だったとしても、本気で生死との隣り合わせを経験してきたラウラの敵ではない。

 

相手のことがよく分かっていないハンデがあったとしても、ラウラに対して難なく一撃を入れられるのだから実力は紛れもなく本物。

 

攻撃された部位を押さえながらラウラは立ち上がる。痛み自体は我慢できるが、今の攻撃を何回も受け続けることは出来ない。とはいえ、現状を打破するには目の前の強敵を何とかする他ない。

 

 

(油断などしてなかった……こいつ、私が目視できないほどのスピードで近付いたとでも言うのか?)

 

 

何か仕掛けがあるんじゃないかと考えるも、これといった答えは見つからなかった。決して自分より格下だと油断をしたわけではない。相手を凝視していたにも関わらず、簡単に接近を許した。

 

間一髪反応出来たから良かったものの、種も仕掛けも無いとするともう目視に頼って反応するほか無い。だが人間の反応速度には限界がある、限界を超えて相手の動きを追うことは不可能だ。ラウラが姿を見失ってしまったのには、狭い室内での戦闘である部分が大きい。

 

部屋が狭くなるほど、相手との間合いは縮まっていく。喫茶店ということもあり、動けるスペースは限られていた。狭い分、少しでも隙があれば、あっという間に相手との距離を縮めることが出来る。

 

問題なのは、部屋の狭さを考慮した上でも反応出来ないほどの速さだったこと。凝視しているプロの軍人の反応が遅れるほどのスピード……つまり速すぎた。

 

 

(ラウラの反応が遅れるだなんて……この人、どんな身体能力をしてるんだろう)

 

 

シャルロットも身構えながらも、相手の脅威を悟っていた。他の三人を鎮めるのは決して難しいことではなかったが、最後の一人に関しては二人がかりで飛びかかっても勝てるかどうか分からない。単独で相手をすれば確実に負ける。

 

こんな時大和が居れば……ふと脳裏に大和の姿が思い浮かんだ。

 

 

(そういえば……)

 

 

ラウラがついさっき、この近くで大和の姿を目撃したと言っていたことを思い出す。シャルロットは駅で銀色に髪を染めた大和と良く似た人物を目撃したが、良くある他人の空似だったことが判明。

 

逆にラウラが見たのは紛れもなく大和本人。前者は眼帯を付けておらず、髪色まで違う良く似た別人だが、ラウラが見たのは大和そのもの。人混みに紛れて見失ってしまったが、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。

 

本来全く関係ない大和を巻き込むのは気が引けるが、報告だけでも入れておけば、万が一の時に裏で対応出来ることもある。それに大和なら何か出来るかもしれない。

 

ただ相手がこちらを見ている以上、携帯電話を使って連絡を取り合うことは不可能。それならISのプライベート・チャネルを使って大和に今の状況を伝えるのみ。通信相手を大和に設定し、通信を飛ばした。

 

 

(大和、聞こえる?)

 

(ん……シャルロット? どうした? 学園外でのIS展開や機能の利用は禁止になっているハズだが)

 

 

返す答えがラウラとそっくりだ。ほぼ同じ返答に思わず苦笑いを浮かべるしかないシャルロットだが、今はそんな悠長な事をしている場合ではない。

 

 

(それは分かってるんだけど、ちょっと緊急事態でね。今とある喫茶店に居るんだけど)

 

(それなら仕方ない。それで、喫茶店で何かあったのか?)

 

 

普段ルール違反をしないシャルロットがプライベート・チャネルを使ってまで伝えようとする行動に、危機がすぐそこまで迫っていることを把握する。

 

大和の方も話を聞く体勢になったところで、現状を掻い摘まんで話し始めた。

 

 

(うん、実は偶々入った喫茶店で強盗犯に侵入されたんだ。一人を除いて全員倒したんだけど、残りの一人が相当な手練れでね。ラウラと二人で居るんだけど、手も足も出ない状態で……)

 

(ちょっと待て、それ大丈夫なのか。誰か怪我しているんじゃ)

 

(あ、ううん、大丈夫。ちょっとラウラが手痛い攻撃を受けちゃったけど、怪我まではしてないみたい)

 

(……そうか、どちらにしてもそのままはマズいな。シャルロット、今居る座標を送ること出来るか?)

 

(あ、うん! それならすぐにでも……)

 

「シャルロット! 前だ!」

 

 

座標を大和に転送しようとした刹那、ラウラの声が響き渡る。即座に意識を前に向けると、既に目の前に相手が迫っていた。迫りくる一撃に反応したシャルロットは床を強く蹴り、後ろに向かって思い切りバックステップを踏む。

 

当然大和とのプライベート・チャネルに返答する余裕は無かった。不意にシャルロットの声が聞こえなくなったことで、スピーカーからは何度も自分の名前を呼ぶ大和の声が聞こえる。が、会話に割くほどの余裕は無い。

 

申し訳ないと思いつつも、一旦強制的にチャネルを切った。

 

避けると当時に蹴りが鼻先を横切っていく。後一歩反応が遅かったら危なかった、知らせてくれたラウラに感謝を伝えようとすると、当の本人は攻撃後の隙を狙って再度、相手に攻撃を仕掛けようと接近する。

 

 

「これならどうだ!」

 

 

床を蹴り、高く飛び上がると相手の顔面目掛けて一閃。が、馬鹿正直な一撃であるために、片手でガードされてしまう。

 

ラウラの一撃も相当重たいはずなのに、片手で受け取られてしまったことに歯を食いしばって悔しがる素振りを見せるも、宙に浮いたまま身体を反転させ、遠心力を利用しながら相手の脳天目掛けて踵を振り下ろす。

 

片方は自身の初撃を受け止めたことで使えない。となると残るは片腕のみ、だが先ほどよりも遠心力をきかせた踵落としは、通常よりも遥かに威力の高いものになっており、片手だけで防ぐことは難しい。片手で受け止めようとすれば、衝撃に耐えきれずに持っていかれる。

 

と、本来通りの筋道であれば相手に一矢報いることに成功したかもしれない。

 

だが今回の相手はあまりにも分が悪すぎた。

 

 

「なっ……」

 

 

攻撃の直撃を確信するラウラの瞳に、ニヤリと不気味に微笑む口元が映る。

 

その瞬間、自分の身体が風車のように一回転したかと思うと、勢いよく机に叩きつけられた。威力を増すために使った遠心力を逆に利用され、力そのままにラウラは全身で衝撃を受けることになる。

 

ぐしゃりという嫌な音と共に、強固に作られた机が真っ二つに割れる。割れた机がラウラに伝わる衝撃の大きさを物語っていた。悲痛な音に、隠れている客の表情が歪む。

 

 

「ぐっ……」

 

 

膝に手を当てて立ち上がろうとするも、痛みをこらえるのがやっと。本来であれば骨の一つや二つ折れていてもおかしくない衝撃がラウラを襲っている、むしろ立ち上がることが出来ている時点で奇跡のようなものだ。

 

だがこの身体では今までと同じように動くことは不可能であり、飛んだり跳ねたりする事も難しい。

 

 

「ラウラ!」

 

「な、何のこれくらい……!」

 

 

そう強がってみせるが身体は正直であり、力を込めるだけでも痛みが走る。誰がどう見ても、これ以上の戦闘は出来なかった。ラウラが完全に手も足も出ない上に、二人がかりでも一撃を加えられない現状から判断すると、勝てる見込みはゼロ。

 

なら今下手に戦ってこちらの戦力を消耗するくらいなら、増援が来るのを待った方が勝てる確率は上がる。問題はそれまで相手が待ってくれるかだが、ここに関しては何とか防ぎきるしかなかった。

 

相手の攻撃は食らえば終わりと、シンプルかつ分かりやすい。が、自分たちをコケにして遊んでいるのか、攻撃自体は激しいものではない。防御に徹していれば、何か活路が見いだせるかもしれない。

 

と、相手がいつ来てもおかしくないように臨戦態勢を取るシャルロットとラウラ。ラウラに関してはついさっき食らった一撃のダメージが抜けきっておらず、大きなハンデを背負ったまま、しばらく相手の攻撃を防ぐことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし二人は肝心なことを完全に忘れていた。

 

強盗犯は目の前にいる一人だけではなく、他にも三人いることを。気絶したと思っていた三人の内、一人の手がピクリと動く。どうやら攻撃が浅く、衝撃が伝わりきらなかったらしい。

 

普段であれば目を覚ました強盗犯にも冷静に対応出来たかもしれないが、今回は目の前の一人が強敵すぎるあまり、周囲に対して一切気を配ることが出来なかった。目を覚ました一人が現状を把握すると、近くに落ちたハンドガンに手を伸ばす。

 

 

「……こんなガキ共に、好き放題されてたまるかよっ!」

 

 

立ち上がったのはリーダーの男だった。ハンドガンのトリガーを握り締め、銃口をラウラに向かって突きつける。

 

 

「っ!」

 

 

まさか立ち上がってくるとは思っておらず、シャルロットとラウラは共に驚愕の表情を浮かべた。それに加え、本来であれば難なく対処出来たであろうイレギュラーも、ラウラが怪我をして満足に動けなくなってしまった今となってはどう対応するか考えるだけでも必死。

 

まともに動けるのはシャルロットだけであり、ラウラを守りながら二人と戦う余裕は無い。単独での戦闘で一人は倒せたとしても、ラウラですら手玉に取られた一人を倒せる未来は想像出来なかった。それに意識を取り戻すにしてもあまりにもタイミングが悪い。

 

既に銃口を突きつけられている状況を見ると、まさに絶体絶命、為す術が見当たらなかった。

 

 

「くそっ……!」

 

「くくっ、残念だったな。その年でここまで追い詰めたことは褒めてやる。だが、相手が悪かったなぁ!」

 

 

銃口を突きつける男を睨みつけるラウラだが、所詮は後の祭り。この距離では抵抗する術も無い。ならもう撃ち出される弾丸を避けるか、非常事態ということで禁止されているISを展開するか。

 

トリガーを引いてからでは弾丸を避けることは出来ない。ならトリガーを引く瞬間を判断する必要があるが、相手が複数人いる状態で集中力を維持することは極めて難しい。

 

ISを展開することになっても致し方がない、ラウラの中でそう結論付けた。

 

 

「死ね」

 

 

そしてトリガーが引かれる瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前を銀色の何かが横切っていったかと思うと、ラウラがISを展開するよりも早く、強盗犯の持っているハンドガンが轟音を立てて砕け散った。

 

 

「……は?」

 

 

場にそぐわない何とも間の抜けた声が垂れてしまう。目の前で起きていることを、場にいる誰もが理解出来ていない。トリガーを引くと同時に、弾が発射される事無くハンドガンが砕け散った。

 

 

「うぐっ……」

 

 

ハンドガンの破片により、犯人は手の何カ所かを切ってしまったようで、裂けた手袋からは出血している様子が伺える。加えて相当な衝撃が手に加わったらしく、腕を抑えて犯人がうずくまった。

 

無惨に砕けた銃身の一部がシャルロットの近くに転がると、そこには運ばれてきた料理を切るナイフが突き刺さっている。トリガーが引かれたのだから、銃が壊れたいない限り弾丸は発射される。だが銃口が塞がれている状態でトリガーを引けば、行き場を失った弾丸は中で暴発し、衝撃で銃は砕け散る。

 

問題はこのナイフがどこから飛んできたのか。

 

自分はもちろんのこと、ラウラも投げていない。対峙している一人もナイフを取る素振りなど見せなかったし、ナイフの形状から見て外部から持ち込んだ可能性は皆無。店独自で用意したもののため、外部で入手できるルートは限られた。

 

となると店内のどこかから投げられたとしか考えられない。投げられたであろう先、店舗の入口に視線を移すと。

 

 

 

「おいおい。こんな店内で発砲とは随分物騒な世の中だな」

 

 

店の入口に背を預け、得意げに微笑む大和の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん!」

 

「や、大和! どうしてここが分かったの!?」

 

「外であれだけ野次馬と警察が騒いで居ればな。場所は分からなくても、すぐに検討はついたよ」

 

 

シャルロットからプライベート・チャネルを受けること数分。人目を欺いて移動していた俺はようやく二人の位置を特定することに成功した。最も、偶々俺が近くにいたのと、目的地周辺を警察や野次馬がたむろっていたこと、更に外に面する窓ガラスが盛大に割られていたことで、喫茶店の場所を特定することに時間は掛からなかった。

 

もし俺が実家や学園寮に戻っていたら危なかったが、駅の改札を潜る直前にシャルロットから通信が入ったために、迅速に動くことが出来たのは不幸中の幸いだろう。突然の登場に驚きの表情を隠せないでいるシャルロットとラウラ。

 

……しかしなんつー服装をしているのか。シャルロットはかっちりとした執事服、ラウラはフリフリとしたメイド服。どちらも似合いすぎていて違和感が無かった。

 

ラウラはどこか怪我でもしているのか、いつもと様子が違う。手痛い一発を食らったとは聞いていたけど、どうやらその後にも何かあったらしい。

 

 

「お、お前何者だ!? 一体どうやって……!」

 

「ん?」

 

 

腕を抑えながら、何をされたか分からずにこちらを睨みつけてくる覆面マスクの強盗犯。人の妹に銃を突き付けていたから、物理的に止めるために近くにあったナイフを投げただけなんだが、ほんの僅かな出来事故に全然気付かなかったらしい。

 

まさかそのまま発砲するとは思わなかったが、ある意味人に銃を突きつけた報いかもしれない。見るからに痛々しいものの、流石にここまで事を大きくしていてかける慈悲など無かった。

 

 

「まぁ、悪事は必ずバレるのさ。このご時世、上手く逃げようったってそうは行かねーよ。むしろ下手打つ前に捕まって良かったんじゃないか」

 

「く、くそっ!」

 

「シャルロット、悪いんだが少し見てて貰っていいか。こっちが見ていないところで下手なことをされても困る」

 

「え? あ、うん」

 

 

いくら銃を破壊して攻撃手段を無くしたとはいえ、まだ何か奥の手を残している可能性も考えられる。一番近くにいるシャルロットに声を掛け、残った強盗犯を取り押さえるべく指示を出した。

 

さて、と。残るはコイツだけか。

 

 

「随分と好き放題やってくれたみたいだけど、目的は何だ?」

 

「……」

 

「話すつもりはないってことかい」

 

 

死んだ魚のような無機質な眼差しに覆面マスクを被っているせいか、何を考えているか分からない。ラウラが今そこでうずくまっている男にやられたとは考えにくいし、十中八九こっちの男にやられたんだろう。

 

体格は俺とほぼ同じ。無駄な肉は綺麗に落とされていて、まさに理想的な体型と言える。そこに潜む確かな戦闘力、決して舐めて掛かったわけじゃなく、ラウラの実力を大きく上回っただけのこと。

 

この男、冷静な振りをして体中から発せられるオーラが常人のそれとはかけ離れていた。まるで怖いものなど何一つ無いと言わんばかりに、射抜く無機質な瞳。かつて俺から左眼の視力を奪ったプライドのような狂気的な性格とは正反対の性格だった。

 

だからこそやりにくい。喜怒哀楽がしっかりとしている人間ならば心理戦に持ち込むことも出来るが、感情の変化が分からない以上はどうしようもない……と言いたいところ、もちろん言いたいわけではない。

 

 

「……ふっ」

 

「ん?」

 

 

不意に黙っていた男が声を漏らす。嘲笑とでも言うのか、鼻で笑い人を小馬鹿にしているような雰囲気さえ感じることが出来た。

 

このケースで小馬鹿にされたところで別に何とも思わないが、初めて示す反応に、むしろ俄然興味がわく。一体こいつは何を考え、何のために行動しているのか。易々と強盗犯たちへの攻撃を許した以上、強盗犯のために行動しているわけではないことが分かる。

 

少なくとも喫茶店を襲撃したところでメリットはない。強盗犯には逃走するためのツールを用意する明確な目的があるが、こいつには目的らしい目的を感じられず、本能のまま行動しているようにしか見えなかった。

 

そこにラウラが攻撃を加えたが故に、自身に刃向かう者として反撃に出たんだろう。何もしなければ何事もなく事が済んだ可能性も考えられる。

 

 

「そうか、お前があの……」

 

「ちょっと待て、さっきから何をぶつぶつ言ってやがる。もう少し聞こえるように」

 

「お手並み、拝見といこう……かっ!」

 

「は……うお!?」

 

 

突然目の前から姿が消えたかと思うと、見失うほどのスピードで接近し、体勢を低くしながら踏み込んで来た。とっさの反応で顔を横にずらすと、すぐ横を風圧が通り抜けて行く。

 

少しヒヤリとするも、この程度で焦る訳にも行かずに気持ちを切り替えると、突き出された右手を掴んで後方に投げ飛ばす。速さだけなら今まで相手した中でもトップクラス、加えて一撃の重さもトップクラス。

 

一回攻撃を見ただけだが、そこら辺の一般人じゃまるで話にならない。ラウラが軽くひねられたところから判断すると、体術は達人レベルにまで達しているらしい。

 

ただ完全な我流のようで、今の正拳突きも空手や拳法といったどのカテゴリーにも当てはまらない。だからこそ武術独自の癖が分からず、対応に苦労する。一番相手にしたくない相手だ。

 

投げ飛ばしたところで対した牽制にはならず、空中で身体を反転させると難なく両足を地につく。

 

……仕方ない、言葉で聞かないのなら身体を使って黙ってもらうだけだ。

 

 

手を正面に突き出して手招きをしながら挑発する。その挑発が戦い開始の合図となり、男は地を蹴った。

 

この間僅かコンマ数秒、目で追うのも困難なスピードで近寄ると、加速を利用した重い蹴りを繰り出してくる。迫りくる足を片手を使って別方向へ軌道を逸し、こちらからカウンター気味に右足を上げようとした。

 

……が、背後に殺気を感じると同時に体勢をしゃがみながら低くし、両腕をクロスさせると突然ズシリと全身に衝撃が走った。ビリビリと痺れる両腕の上にはいなしたはずの相手の足がある。たった一瞬で引き戻して次の攻撃動作へと移ったとでもいうのか、恐ろしいほどの速度だ。

 

 

「ちぃっ!」

 

「!」

 

 

このままではジリ貧になるばかりだと悟り、力任せに相手を押し返す。攻撃後の硬直を狙い、力を込めた蹴りを叩き込んで行くが、正面からの攻撃では効果が薄く、腕をクロスさせながら衝撃をいなされてしまう。

 

小刻みにステップを踏みながら、互いに様子を伺う。不特定多数の人間がいる喫茶店で、大暴れをするわけにもいかない。再び接近して拳を乱れ打ちながら、相手の拳幕をかわす。少しでも油断をすれば一瞬にして意識を刈り取る一撃が直撃する。

 

 

「シッ!」

 

「こっちだっ!!」

 

 

襲い来る相手の拳を手で握り締め、カウンター気味に顔面めがけて拳骨を振るうが、乾いた甲高い音と共に手のひらできっちりと衝撃を吸収されて受け止められる。

 

相当な実力者なのは分かっていたけど、こうもあっさりと対応されるとこちらとしても手加減なんか到底している場合じゃない。最もそこまで手を抜いているつもりは無いが、俺の動きにもきっちりと対応してきていた。

 

が、相手もこちらの実力を心の奥底で見下していた部分があったようで、口元が先ほどよりも歪み、目つきが鋭くなる。思ったように攻めることが出来ず、苛立ちを隠せないでいた。

 

通常であれば苛立ちは攻撃の大振りを呼び、大きな隙を作り出す要因となる。感情の変化は見て取れるのに、繰り出す攻撃に大きな変化は無い。苛立ったところで状況判断は冷静、攻撃も正確無比。敵としてはこの上なくやりづらかった。

 

腕を捕まれて入口側へ投げ飛ばされるも、近くにある照明をぶら下げている鉄の部分へと捕まり、遠心力を利用しながら床へと降り立つ。

 

 

「ふぅ、やるな。一体その戦い方はどこで習った?」

 

「……」

 

「なるほど、自身の事に関してはあくまで無言を貫くつもりか」

 

 

そこまで言ったところで、入口の方からはバタバタと駆け寄る足音が複数聞こえてきた。こちらとしては別に相手を完全に伸す必要はなく、場にある脅威を取り去ることが出来れば、結果としてどの方法を取ったとしても特に問題は無かった。

 

ある程度時間を稼ぐことは出来ているし、最終的に相手が自分が不利だと認識し、逃げ出してしまえばそれまで、逆にまだ向かってくるというのなら相手にするまで。今対峙している男以外が動け無い以上、第三者から茶々を入れられる心配は少ない。

 

ポリシーなのか何なのかは分からないが、人質を取ることも無いようだし、俺は安心して目の前の相手に集中することが出来る。

 

 

「……」

 

 

痺れを切らしたのか、床を力強く踏みつけると床に散乱していた食事用のナイフがくるくると回転しながら宙へと舞う。刃先に触れないように取っての部分を掴むと、矛先をこちらへと向けた。

 

 

「おいおい、物騒すぎるだろ。ここ日本だぜ? 少し落ち着けよ……」

 

 

威嚇ではなく、本気で俺殺す気になっているらしい。見た目は冷静でも心の奥底には夜叉が眠っていた。

 

仕方ない、こうなってくると俺も沈静化させれば良いという認識を改めざるを得なくなってくる。こちらが何かを言ったところで、聞く耳など持たないだろう。

 

それに下手に時間を掛ければ他にも被害が出る可能性も考えられる。客の中には加勢しようかと考えている者も出て来ているみたいだし、戦いを長引かせるのは危険。

 

 

「それでもやるってんなら……」

 

 

ただの一般人では全くといって良いほど太刀打ちが出来ないはずだ。それどころか気の立っている相手に下手な刺激を加えれば、命の保証は無い。

 

手加減は無用、ここから先は遠慮なくコイツを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――やってやるよ」

 

 

徹底的に叩きのめす。

 

再び目を見開き地を蹴る。ダンという衝撃音と共に、一足一刀の間合いに飛び込むと全体重を掛けて正拳突きを繰り出す。モーションの少ない手加減なしの一撃が顎をとらえようとするが、寸前のところで背後に下がりかわされてしまった。

 

変わりに襲い来るのは、右手に握られた食事用のナイフ。

 

右利きの人間が攻撃をしようとすると、ちょうど俺の死角にあたる左眼側から攻撃が迫る形になる。死角だからこそ、普段に比べて反応がワンテンポ遅れてしまう。

 

いくら生活に慣れてきたとはいえ、高々一、二ヶ月で両眼が見えていた頃の距離感を取り戻すのは難しい。本来なら日常生活を送るだけでもやっとなはず。

 

……が、それはあくまで一般常識の話であって、常識が通用しない人間だって居る。

 

 

「っ!?」

 

「当たると思ったか? 残念、そんなヤワな鍛え方はしてないんだよ」

 

 

迫りくる刃先を人差し指と中指で挟んで受け止める。反応してきたことが想定外と言わんばかりに、相手は驚きの声を漏らした。彼の反応から俺のことを下に見ていた様子が伺える、多少なりとも何とでもなると慢心していたかもしれない。

 

だが、戦う上での慢心は完全な命取りになる。相手がナイフを引き抜こうと力を込めるも、微動だにしない。力を両指に込めたまま、捻るように指を動かすと衝撃に耐えられなくなったナイフは取っ手の部分を残してポッキリと折れてしまった。

 

 

「少し寝てろ」

 

 

相手のナイフによる攻撃手段を無くした後、多少の動揺で無防備になっている相手の脳天目掛けて、振り上げた右足を思い切り振り下ろした。

 

肉体同士のぶつかり合う鈍い音と共に、二回三回と床をバウンドすると近くの机に当たってようやく止まる。少し力を入れすぎたか、大怪我には繋がらないように配慮をしたつもりだが、いつもとは違う妙な感覚があった。

 

確かにピンポイントで顔面を捉えたはず……だというのに、足に残っているのは鉄製の机でも蹴り飛ばした時に起こるような痺れ。人を蹴り飛ばすことが滅多にないせいであまり覚えていないが、こんなに痺れが残るものなのか。

 

痛いわけではなく、歩けないほど痺れている訳でもない。こんな感覚だったかと疑問に思っただけだ。しかし何にしてもこれで一旦は落ち着きを……。

 

 

「……おい、嘘だろ。そこは大人しく寝とけって」

 

 

取り戻してはいなかった。

 

完全に沈静化させたと思っていた相手は、窓の縁を掴むと重たい身体を持ち上げる。蹴り飛ばした時に地面と擦れたからか、被っているマスクの所々に裂傷が出来ており、ほんの僅かに今まで隠れていた部分が露わになっていた。顔全体とまでは行かないものの、俺の方からは耳に掛かるもみあげまではっきりと見える。

 

この状態でまだやるとでも言うのか。ただし向こうが立ち上がった以上、こちらは戦闘態勢を解除するわけにはいかなかった。

 

 

「……」

 

「あっ、おい!」

 

 

が、予想に反して俺がいる方向とは別の方向に向かって走り出す。走る先にあるのは先ほど強盗犯が銃を撃ち込んだ事で割れてしまった窓だった。

 

窓に向かって一目散に駆け寄り、頭を抱えながら外へと飛び出す。下には警察や野次馬が居ることは本人も重々承知の中飛び降りたのだから、逃げ切ることも想定しての行動なのだろう。逃げられてしまった以上、手を施すことは出来ないし、何より今の喫茶店をそのままにして追いかけるわけにはいかなかった。

 

あの身体能力は間違いなく、俺を始めとした遺伝子強化試験体と全く同じレベルであり、一般の警察ではまず捕まえることは出来ない。加えて覆面のせいで人物の特定は難しく、人混みに紛れてしまえば気付かれることはない。してやられた感はあるが、下手に後追いをして大きな被害になるよりかはマシだろう。

 

幸いなことに喫茶店での襲撃に関しては大きな損害も出ておらず、あるとすればラウラが怪我をしたくらいか。

 

しかしまぁ、あの一撃を食らって立ち上がるのには正直驚き以外の何者でもない。自分自身が鈍っているのか、それとも無意識の内に手加減をし過ぎたのか。どちらにしても立ち上がり、逃げられたのは事実。少し自身の鍛錬にも力を入れ直さなければならない。

 

 

 

強盗犯たちも沈静化されて、一気に静寂が訪れる店内。

 

誰も言葉を発さずに沈黙が続く中、隠れている一人がボソリと声を上げる。

 

 

「私たち、助かったの?」

 

 

既に残った三人の内二人は伸びていて、一人はシャルロットの監視の元身動きが取れなくなっている。シャルロットに目視で確認を取ると、小さくコクリと頷いた。

 

これ以上抵抗する様子は見られないし、後は警察が入ってくるのを待つ……いや、呼びに行けば万事解決となる。ただ俺たちが関与したことをあまり大っぴらに話すと、後々が面倒なことになりかねないため、警察を呼んだら俺たちはさっさとトンズラすることにしよう。

 

専用機を持ったISを動かせる男性と、各国の将来を嘱望された専用機持ちの代表候補生。これだけ大きなことになっていれば、警察以外にも当然マスコミやら何やらが待ち構えていることだろう。

 

店長に裏口の場所でも確認して、場を去るのが勝ちだ。ラウラに関しては足を痛めているらしく、上手く歩けないだろうし、おぶって帰るとしよう。

 

この後の事を考えている内に警察が喫茶店の中に入店し、またたく間に強盗犯たちは取り押さえられることになった。

 

……後から判明したことだが、途中窓から逃げた一人に関しては取り逃してしまったらしく、更に顔も分からないことから未だに行方を追っているとのこと。

 

 

詳しい事情を確認する間もないまま、俺たちは喫茶店を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ!」

 

「やっぱり我慢してたか、ちょっと足を見せてみろ」

 

 

夕暮れのとある公園。

 

先ほどまでの慌ただしさは何だったのかと思うほど落ち着いた夕暮れであり、近くに見える海岸には朱色に照らす円形の光が波を編むかのように漂っていた。昼過ぎに比べると人通りも随分と少なくなり、周囲にいるのは三人を除くとほぼ居ないに近い。

 

公園に来るのはいつぶりだろう。ナギと出掛ける際は大概が買い物であり、他に行ったことがあるとすれば告白をしたテーマパークくらいだ。メインがウィンドウショッピングになっているせいで、近場の公園に足を運ぶ事なんて滅多にない。

 

嫌いな訳ではなく、買い物をしているうちに夜遅くなってしまうのが主な原因となっている。そもそも原因と言うほどのものかどうかも分からないが、この話はこれぐらいでいいだろう、むしろ良しにしてくれ。

 

さて話を戻そう。

 

帰り掛けに公園に差し掛かった時、ラウラが如実に足元を気にし始めた。喫茶店を出る際に何回も確認したが、本人は大丈夫だと首を縦に振らず。これ以上聞いても埒があかないと判断し、渋々ラウラの言うことを信じて電車に乗り、最寄り駅まで来たわけだが、流石に痛くなってきたらしい。

 

歩き辛そうに表情を歪めるラウラを強引に近くのベンチに座らせ、靴を脱がせる。青黒くなってはいないものの、触れるとやはり痛みが走るらしい。骨折まではいってないようだが、これ以上無理に歩かせるのも、患部の状態を見る限りは良くない。

 

 

「うぅ……」

 

「もう、ラウラも素直に言えば良かったのに」

 

「な、何をこれしき! このくらいなら気合でも入れれば……あうぅ!?」

 

 

強引に立ち上がり、再び歩き出そうとするラウラだったが、踏み出した瞬間に痛みが走ったようで、転びそうになる。

 

咄嗟に倒れ込むラウラのお腹に腕を伸ばし、地面に倒れ込まないように抱えて支えた。いくら口が達者だとしても、身体は正直であり、痛みを認識した今となっては、歩くたびに足に激痛が走っている。この状況でどうやって寮にまで帰ろうとしたのか、到底放っておけるようなものではなかった。

 

 

「ほら無理だって。怪我が悪化したらどうするんだよ」

 

「……」

 

 

俺の言葉にどこか納得の行かない表情を浮かべながら、唇を噛みしめる。理由はさっきの相手に手も足も出ずに負けてしまったからだろうか。

 

当然油断していた訳ではないと思うが、聞いた話によると全くと言って良いほどに歯が立たなかったらしい。ラウラは代表候補生であることはもちろんのこと、元々は遺伝子強化試験体として育てられたプロのエリート軍人だ。

 

ある程度力を持つ人間であったとしても負けることなど無かったし、屈服することも無かった。ラウラが明確に負けたと言える相手は俺の知る限り二人。

 

俺と千冬さんだ。

 

それ以外には負けた経験など無かったはず、だからこそ並の人間には負けないというプライドを持っている。が、今回そのプライドを根本からボッキリと折られてしまった。

 

ラウラの中にも切り替えて次にと考えるポジティブの思考の中に、僅かながらネガティブな思考が混ざっており、だからこそ純粋に負けたことが悔しい、そして俺の手を煩わせてしまったことに負い目を感じている。故にこれ以上俺に迷惑を掛けまいと、気丈に振る舞っていた。

 

ただし俺の視点から客観的に見ると、誰がどう考えても相手が悪い……否、悪すぎると言っても過言ではない。今まで生身で手を合わせた中では間違いなく最強クラスの実力を持ち合わせている。

 

それに最後に放った一撃を食らって立ち上がる辺り、タフネスさも常識を逸していることがよく分かった。あれは無意識に俺が手加減し過ぎたのではなく、急所を直撃したにも関わらず、相手は立ち上がって来たと言うのが正しい。

 

そんなバグキャラに、何の情報もないまま勝つなどと無謀にもほどがある。ギャグはせめて日常生活の中だけにして欲しいところだ。

 

 

「ラウラ、確かに手も足も出なかった事が悔しいのは分かる。怪我をさせられたのも、お前にとって相当な屈辱だったのも分からない訳じゃない」

 

 

しょぼくれたラウラに歩み寄りポンポンと頭に触れると、うーと唸りながらも座ったまま顔をこちらへと向けた。納得が行かないのは分かるが、これも実力。自分よりも強い人間がいると再認識する良い機会にはなったことだろう。

 

絶望的な力の差に悲観するような性格ではないことは知っているし、明日にもなれば切り替えていることは分かる。落ち込むことは悪いことではないし、手を掛けてしまったことに対して申し訳なく思う気持ちも大切だと思う。

 

兄として出来る俺なりの慰めにでもなるのか。後自分よりも小さな女の子の頭を撫でるのが変に癖になってしまっているようで、やめられない止まらない状態になっていた。

 

俺の気持ちを察してか、隣に居るシャルロットはクスクスと笑う。

 

 

「世の中には俺より強い年下だっているかもしれないんだ。また明日から頑張れば良いさ」

 

「……うん」

 

「ま、その前に足の怪我を治さないとだけど。どれ、おぶっていってやるからこっちに来い」

 

「えっ!」

 

 

場にしゃがみ込み、ベンチに座っているラウラに向かっている背を向けた。無理して歩かせる訳にも行かないし、かといってわざわざタクシーを呼ぶのも気が引ける。それなら自分がラウラを背負っていった方が手っ取り早い。

 

いつもなら喜んで飛びついてくる姿が容易にイメージ出来るのに、今日は飛びつくどころか恥ずかしがっている素振りが見て取れる。

 

まさか俺の事を兄とは認識せず、一人の男性として認識するようになってしまったのか。『お兄ちゃん』と慕うラウラが、異性として意識するだなんて、そんなアホなことは考えられない……と言えないのが悲しいところだ。

 

 

「あ、足の怪我なんて何ともない! これくらい歩ける!」

 

「はぁ? 立っているだけでも辛いのに、何を強がってるんだっての」

 

 

とりあえず何かと理由をつけておぶさるのを避けようとするが、まともに歩けないことは先ほどの一件で証明済み。誰がどう見ても強がりであることが明らかにも関わらず、頑なに嫌がる理由は何なのか。

 

何だろう、悲しい気分に襲われてならない。

 

 

「し、しかし!」

 

「しかしもへったくれもない! 怪我してるんだから、無理をするなよ。悪化したらどーすんだ!」

 

「ラウラ、ここは大和に甘えた方が良いんじゃない? これ以上無茶して怪我が悪くなったらそれこそ本末転倒だよ」

 

「うっ。シャ、シャルロットまで……!」

 

 

恨めしそうな表情を浮かべるラウラだが、痛みから上手く歩けないのは自分自身が一番分かっていること。言い返せないことに唸るも、頼みの綱だと思っていたシャルロットが俺の方へついているためどうしようもない。

 

チラチラと何度か俺の方を見ると、堪忍したかのように遠慮しがちに背中へ体重を預けてくる。首付近に腕を巻くように固定し、寄り掛かったことを確認すると、衝撃を与えないように膝の裏に腕を回し、スクワットの要領でゆっくりと重たい腰を上げた。

 

周囲から顔を見られたくないのか、直立した瞬間ラウラが俺の肩に顔を埋める。照れる妹の様子に小さく笑みを浮かべ、寮へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん……」

 

「ん?」

 

 

歩くことしばらく、誰も話を切り出すことなく沈黙が続いていたが、不意に背後からラウラが話しかけてくる。ずっと何も話さずにいたからてっきり恥じらいが薄れたのかと思っていたが、やっぱり恥ずかしいのだろうか。

 

控え目におずおずと尋ねるラウラの方に顔だけ振り向かせると、目線だけを俺から逸らして顔を赤らめたまま話し始めた。

 

 

「重たくない?」

 

 

予想の斜め上を行くラウラらしからぬ質問に、思わず間の抜けた声が出そうになる。隣のシャルロットも鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべていた。

 

まさかラウラの口から自身の体重についての質問が出て来るとは思いもよらなかった。自身のセンシティブな情報には変わりないため、一般的な女性の観点からすれば分からなくもない。肉付きを悩む女性も多い中、無駄な肉の一切付いていないラウラからすれば気にすることが無い話題だと思っていたのに、正直意外である。

 

それに普段から人目をはばからず抱きついてきたり、素っ裸のまま人の布団に飛び込んだりするような部分から、恥じらいはないのではと思っていたが、やはり男性に背負われてると意識をしてしまうらしい。それに背負われている理由が、怪我をしてしまった自分にあるとすれば、一層その気持ちは強くなる。

 

ここでもし俺が『重すぎる、普段からどんな食べ物食べてんだよ』などと言ったら空気をぶち壊す事は必須。全く微塵も思ってはいないが、思ってもいないことを冗談半分で言って人をからかう人、いるよな?

 

あれ、意外にウケ狙ってるかもしれないけど割と言われた本人傷ついているから注意しような。

 

 

「全然。むしろ軽くてびっくりしてる」

 

「……ホント?」

 

 

嘘はついていないかと、純粋な眼差しで心配そうに見つめてくる。

 

 

「あぁ、本当だ。逆に好き嫌い無くちゃんと飯は食べれてるか?」

 

「う、うむ。言われた通りキチンと三食食べているぞ!」

 

「そっか、なら大丈夫」

 

 

何が大丈夫なのかよく分からないが、ラウラが納得してくれたから大丈夫、うん。しかしまぁ女性とは難しいもの、こちらから見る限り全く太っているようには見えないのに、自身の体重に対してかなり敏感になっている。

 

ちらりとシャルロットの方を見ると、タイミング良く視線が合った。ラウラはもちろんのこと、シャルロットもスタイルが良い。彼女の場合は身長が女性の平均より低い代わりに、出るところがちゃんと出ている。それも誰もが羨むレベルで。

 

男装していた時には上半身の膨らみをコルセットのようなもので押さえつけていたんだろうが、そこそこ苦しかったに違いない。

 

……むしろうちのクラスでスタイルが悪い生徒は一人も居ないような気がする。なのに食堂ではカロリーがだの、前借りをといった会話が絶えない。俺たちが思っているよりも難しい世界があるようだ。

 

 

「……大和、今何を想像してたの?」

 

「はい?」

 

 

一瞬シャルロットのことを見てしまったからか、ジト目で俺のことを睨みつけてくる。

 

い、いや、特に変なことは想像していないぞ?

 

シャルロットのスタイルは均一がとれているし、道歩く人が見れば見ほれるレベルの容姿もしている。羨む体つきと言われれば間違いないと、首立てに振ることが出来た。当然面と向かってスタイルを誉めるなど、そんなセクハラ紛いなことはしないが、もしかして変に勘違いをされたか。

 

俺には大切な存在もいるし、シャルロットの身体に鼻を伸ばして居るなんてことは……。

 

 

「大和のスケベ」

 

「ちょ! な、何でだよ!?」

 

「だって今の大和、凄くやらしい目つきで見てた」

 

「誤解だって! 確かにスタイルが良いなーとは思った……はっ!?」

 

 

シャルロットの言い分に対して弁明をしようとするも、この状況下で何を言ったところで、盛大にやらかすのは目に見えてるにも関わらず、テンプレ通りの失言をかましてしみう。

 

スタイルが良いと言うことは、シャルロットの身体的な情報になるため、本来であれば避けるべき言葉の一つ。苦し紛れに『周囲を見渡してたら偶々目があった』くらいに言い訳しておけば良いものの、無理に別の言葉を選ぼうとした末路がこれだ。

 

穴があるなら入りたい。

 

 

「……鏡さんに言っちゃお」

 

「おま! それはマズいって!」

 

 

次に落とされた言葉はつまり俺への死刑宣告でもあった。俺にとって一番言われたくない人物の名前を言われたことで、シャルロットの側に反射的に近寄ろうとするも、ラウラを背負っていることを思い出して足を止める。

 

一対一なら拝み倒してでも止める予定だったが、それをすることは叶わなかった。つーんとそっぽを向くシャルロットの機嫌を直そうとするも、この状況で何か有効な打開策があるわけでもなく俺は口ごもってしまう。

 

このタイミングでナギの名前を出すのはズルい。慌てふためく俺の姿を、シャルロットはクスクスと笑いながらしてやったりの表情を浮かべる。不貞腐れていた先ほどまでの姿とは一転した表情に、身体の力が一気に抜ける。

 

 

「冗談だよ。でも女の子の身体をジロジロと眺めるのはいただけないかなぁ?」

 

「……そうだな、注意しよう」

 

 

はぁ変に疲れた。

 

一日の疲れがどっと出た感じだ。まぁどちらにしても強盗犯は無事に縄についたわけだし、今日も今日とて無事に一日が終わった。

 

後は帰って今日のことを報告するだけ、改めて俺たちは寮に向かって歩き出す。

 

 

「そういえば大和ってさ、今日は朝からこっちに来てたの?」

 

「あぁ、ちょっと色々あってさ」

 

 

歩き出すと同時に、シャルロットから思いもよらない質問を投げ掛けられる。確かに朝から来ていたのは間違いないものの、喫茶店で鉢合わせるまで会うことは無かったはず。

 

そもそもどうしてシャルロットは俺にプライベート・チャネルを送ってきたのか、その時点である程度察するべきだったかもしれない。人混みに紛れながら歩いているとはいえ、知っている人間からすれば丸分かりであり、バレない方がおかしな話だ。

 

何処かで俺の姿を見たんだろう。そう思えば、近くに俺がいるかもと判断してプライベート・チャネルに連絡を入れてきたのも合点が行く。

 

しかしまぁ、シャルロット判断力には恐れ入る。自身に危険が及ぶと冷静な判断もままならないというのに、冷静に周囲の状況を分析、判断して的確に第三者へと伝える。

 

誰もが当たり前に出来るようなものではないことは当然であり、さすがは代表候補生だと思える瞬間でもあった。

 

 

「もしかしてさっき連絡入れたのも、俺を何処かで見たからか?」

 

 

恐らくはそうだろうとは思いつつも、念の為に確認を入れる。するとシャルロットの口からは思い掛けない言葉が返ってきた。

 

 

「うん、そうなんだけどちょっと確認したくて。大和って僕に会わない間に、銀髪に髪を染めてたなんてことはないよね?」

 

「……はい?」

 

 

予想の斜め上を行く質問内容に、思わず魔の抜けた返事をしてしまう。

 

俺が銀髪? アメリカンジョークか何かか?

 

冗談にしても中々ハードルの高い質問になる。自分自身の髪型を変えたのならまだしも、この髪を銀髪にした姿を想像することが出来ない。

 

 

「俺が銀髪? 何故に?」

 

「あ、いやその……」

 

 

俺が尋ねると、今度はシャルロットが恥ずかしそうに顔を赤らめながら後ずさる。何故恥ずかしそうにしているかなど状況を知らない俺が分かるはずもなく、更に分からなくなってきた。

 

俺の姿を見たことと、俺が銀髪に見えたことと何の関連性があるのか、全く繋がらない。もしこれで関連付けられたとしたら、どこぞの名探偵もびっくりである。

 

 

「お兄ちゃん。実は駅に着いた時にシャルロットが、髪を銀髪にしたお兄ちゃんそっくりの人物を見つけたのだ」

 

「ら、ラウラ!」

 

「……」

 

 

口籠るシャルロットに変わって、背中にいるラウラが理由を続ける。

 

今までの話を纏めるとこうだ。

 

朝、二人は電車に乗って買い物に出掛けた。降車駅の近くで俺によく似た人物を発見したものの、髪は銀色であり、眼帯もしていない全くの別人だったと。その後、今度はラウラが本物の俺を見かけたときに、シャルロットが急に俺は銀髪に染めたなどと言ったことで双方の意見は相違。

 

最終的にはシャルロットの見間違えで、二人の中では結論付いた形になる。

 

 

「ははっ、そりゃよくある他人の空似ってやつだ。流石に何の脈略もなく髪を銀色に染めることはしないよ」

 

 

可能性としては否定できないが、急に髪を染めるようなことはしない。

 

中々面白い偶然もあったものだ。

 

 

「も、もう! 帰るよ!」

 

「はいはい」

 

 

恥ずかしさから、シャルロットは足早に先へ進もうとする。その後について行くように、改めて俺は後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい、早かったわね」

 

 

部屋に戻るといつものように楯無が手をひらひらと振りながら出迎えてくれた。最初の頃は不法侵入で何回千冬さんを召還しようかと思ったが、ここ最近の扱いは慣れたものだと自分でも思う。

 

部屋に勝手に入っていようが何とも思わなくなった辺り、慣れをより強く感じさせられた。

 

 

「どう? 何か収穫はあった?」

 

「あぁ、お陰様でな。最初は半信半疑だったけど、信じざるを得ないみたいだ」

 

 

話を変えよう。

 

そもそも俺があんな場所にいた理由。他の人間からすれば、夏休みに買い物に来た一人くらいにしか認識されてなかっただろう。今回はプライベートとしてではなく、仕事の一環として赴いていた。

 

実家から戻ってきた日に楯無と会い、そこで伝えられた情報を確かめるべく、買い物客を装って出歩いた訳だが、初日で確認が済むとは思ってもみなかった。

 

 

「───行方不明になっていた()()()()()()()()()()()、ね。まさか本当に俺とそっくりとは思わなかったよ」


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