IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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回顧

(あれ……私IS学園にいたはずじゃ)

 

 

ゆっくりと目を開いた先に広がる風景。

 

つい先ほどまで自分はIS学園にいたはずだが、ナギの瞳に映る風景はIS学園とは全く関係のない別の建物だった。今自分はどこにいるのだろうと思考を巡らせながら改めて周囲を見渡す。

 

汚れでくすんだ壁はどこか年季を感じさせ、至る所に工作の授業で創作したかのような絵画や書道作品が展示されている。同じように展示されている資料も『平仮名表記』が多く、まるで小学生でも読めるような文ばかり。

 

一体どこに来てしまったのだろうか。考えを巡らせるナギはやがて一つの結論へと辿り着く。

 

 

(ここ……どこかで見覚えがあると思ったら昔私が通ってた小学校? でもどうしてこんなところにいるんだろう)

 

 

確か上級生たちに倉庫のような場所へ呼び出されていたはず。

 

そこで何度も何度も罵声を浴びせられ、態度が気に入らないからと挙げ句の果てには伸ばし続けていた髪まで切られた。

 

 

(そうだ、確か大和くんが助けに来てくれて……そしたら私安心して)

 

 

絶体絶命のピンチに大和が駆けつけてくれたことは覚えているが、全てが終わったことに安堵して気を失ってしまっていた。瞬間移動でもしたのかと一瞬思うも、人体の構造上、科学の進歩状況から見ても非現実すぎて有り得ない。

 

気を失っているということは自分が見ているこの風景は。

 

 

(夢、なのかな)

 

 

今見ているもの全てが夢だと考えれば納得がいく。

 

それにしても中々懐かしい夢を見ているものだ。小学校を卒業したのは今から数年前、当時は早く大人になりたいだなんて思っていたが、時の流れは早いもので既に高校生。

 

後四年もすれば成人を迎えることになる。

 

小学生当時は小柄だった身長もすくすくと伸び、合わせて大人の女性の象徴とも呼べる部分も成長してきた。数年前の出来事が昔のことだと思えるようになった辺り、確実に歳を取っている証拠なのだろう。

 

 

「やーい! 悔しかったら言い返してみろよー!」

 

「うまく話せないのかよウジ虫〜! お前の口は何のためにあるんだよー」

 

 

過去を懐かしむナギの耳に二人の声が響き渡る。かなり大きな声だったため、声の出所はすぐ近くだということが分かった。

 

 

(今の声、この教室からかな?)

 

 

会話の内容から察するに誰かをからかっているように見える。即座に声の発信地を特定すると、教室に備え付けられている小窓から中の様子を伺う。

 

教室の中には二人の少年と一人の少女の姿が見えた。室内にある机や椅子が全て後方に下げられていることから教室の掃除をしている最中なのだろう。

 

三人を除いて生徒たちが誰も居ないところを見ると、時間帯的には放課後にあたるようだ。

 

 

「あ、あの……掃除……一人じゃ、終わらないから……」

 

 

ショートカットの女の子が、二人の男子に掃除を手伝って貰うように懇願している。何をされるか分からない恐怖からかビクビクと体を震わせ、目尻に涙を溜めながらも何とか掃除を手伝って貰おうと必死に言葉を伝えていた。

 

二人の少年は如何にもいいとこ育ちのおぼっちゃまをリアルに体現したかのような容姿で、年齢は相応に髪型は七三分け。着ている服もドレスコードでもしているかのような中々にグレードの高いものを着用していた。

 

 

「うるせーなー! お前みたいな暗いやつなんかと掃除してたらバカにされるだろ!」

 

「一人でやっとけよ掃除くらい! お前と一緒にされる俺たちの身にもなれよ面倒せー!」

 

「で、でもこの教室を一人で掃除してたら終わらな「黙れよ!」……ひっ!?」

 

 

続け様に何かを話そうとした矢先に強い口調で脅されて瞬間的自己防衛機能が働き、手を前に出して自らを守ろうとする。

 

彼女のやることなすこと全てが気に入らないらしい。イラつきを微塵も隠すことなく近づいていくと、力任せに身体を突き飛ばした。

 

 

「きゃっ!」

 

 

突き飛ばされた反動で少女は後方へと尻持ちをつく。床から伝わってくる衝撃と痛みが伝わり苦悶の表情へと変わる。

 

 

「う……ううっ……」

 

 

頭を我慢出来ずに少女の双眼からは銀色の滴が溢れ出てきた。頬を伝う涙が床を濡らしていく。何とかせき止めようと必死に目尻を押さえるも、一度決壊した涙腺は中々元に戻らない。

 

辛いと思えば思うほどに涙の量は増えていく。理不尽に振るわれる暴力を受け流せるほど少女はまだ強くない。

 

痛い、辛い、悲しい。

 

負の感情ばかりが先行して何も出来なくなる。ただひたすらにこみ上げてくる涙を流すことしかできず、何度も何度も涙を拭った。顔は涙でくしゃくしゃになり、目尻は涙を拭ったせいで真っ赤になっている。

 

何で自分ばかりがこんな仕打ちを受けなければならないのか。あまりにも理不尽な現実に嘆くも受け入れるしかなかった。

 

強いものが上に立つ。逆に弱きものは強きものに従う。

 

学生生活の中で自然に形成された上下関係そのものだった。

 

 

「コイツ泣いてやがるぜ」

 

「だっせーな! これくらいのことで泣くなんて流石ウジ虫!」

 

「「はははっ!!」」

 

 

泣き出す少女を指差して嘲笑う二人の男子。

 

いじめに対する分別が付かず、少女の気持ちなど到底理解出来ないことだろう。同学年であり、同じ学舎にいる以上立場もへったくれもないにも関わらず、少女よりも強いし立場が上だという優越感に浸り、根拠のない自信を持つ。

 

分かり切っていたことだとしても少女は歯向かうことが出来ず泣き続けるばかり。

 

 

教室内での一部始終を廊下の窓から覗くナギはあることに気付く。

 

二人の少年と一人の少女、どちらの姿にも見覚えがあった。

 

 

(これ……小学生の時の私?)

 

 

忘れかけていた懐かしい思い出、同時に思い出したくもない思い出。

 

脳内に眠る数々の思い出の中の一つ。その一部始終が目の前に広がっていた。

 

元々あまり積極的ではなく人見知りする性格のナギ。自己主張が出来ない、そして上手く人とコミュニケーションが取れない性格が災いし、いじめの中心にいる男子に目をつけられて定期的に嫌がらせを受けていた。

 

 

(ホント、この時は学校なんて行きたくなかったなぁ)

 

 

成長してから初めて分かる当時の心境。複雑な思いが交差して苦笑いを浮かべながら室内の様子を伺う。何故自分ばかりが辛い思いをしなければならないのかと、毎日毎日繰り返される嫌がらせの数々を耐える日々。

 

そこに楽しい思い出なんて何一つなかった。何度も何度も頭の中で相手を殺した。

 

絶対にいつか仕返ししてやると。

 

今となっては懐かしい青春の一コマくらいの認識で終わるかもしれないが、当時の自分に聞いたら何を呑気なことを言っているのかと一喝されることだろう。

 

 

(でも記憶通りならこの後助けてもらったんだよね)

 

 

室内を見つめながら何かを考え込むナギだが、そうこうしている内に中の様子また慌ただしく変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前誰だよ、ウチのクラスじゃねーだろ! 勝手に人のクラスに入っちゃダメなんだぞ!」

 

「……」

 

「無視すんじゃねーよ!」

 

 

今度はどこからともなく現れたもう一人の少年。先にいた少年二人は急な生徒の登場に驚くも、見覚えのない生徒であることから自分たちとは別のクラスの生徒になる。

 

小学生あるあるで間違って別のクラスにきた人間に対して『ここお前のクラスじゃねーから』的な感じでからかうことがある。加えて何の用件もなくクラスに入ってはいけないという、よく分からない暗黙のルールまであるくらいだ。

 

そんな周囲などお構いなしに無愛想で表情一つ変えないまま、幼少期のナギの元へと歩み寄ると、何も言わずにそっと手を差し出した。

 

 

「ふぇ……?」

 

 

状況が理解出来ず、どこか間の抜けた声を出すナギ。少年はただじっとナギのことを見つめながら手を伸ばし続ける。まるで早く掴んでくれと言わんばかりに。

 

 

「立てるか?」

 

 

このまま固まっていられるのも困ると判断したようで、一言だけ声を投げ掛ける。

 

 

「う……うん」

 

 

困惑しながらもおずおずと差し出された手を握り返すと、見計らったように少年は力を込めてナギを立たせた。

 

無事に立ち上がったことを確認すると、少年は今度は二人組の方へと振り向く。

 

今まで誰かに反発されたことなど無かったのだろう。自分たちのことなどさぞかしどうでも良いと言わんばかりの少年の態度に、苛立ちを隠すことなく言葉を続ける。

 

 

「お前こんなウジ虫庇うのかよ」

 

「さぁ、どっちがウジ虫だろうな。お前たちのイジメに耐えてきたこの子の方がよっぽど人間として出来ているように思うけど」

 

 

冷静に淡々と、興味なさげに正論を吐き捨てる姿に言い返すことが出来ないのか、負け犬の遠吠えにも似たような言葉を言い返す。

 

 

「お、お前! 俺らに楯突いたらタダじゃ済まないからな!」

 

「勝手にしろ。俺はただ、お前たちがこの子にすることが許せないだけだ」

 

 

言い返したところで何一つ響かなかった。他の奴らは同じようなことを言っておけばすぐにごめんなさいと平伏してくる。毎回その姿があまりにも滑稽で優越感に浸る方が出来た。

 

自分は権力者の息子なんだ、と。実際に少年の父親はこの学校を運営するために多大なる援助をしており、多数の事業を手掛けている実業家でもある。現に彼の父親には向かう保護者はおらず、教師たちも父親の資金援助のおかげで運営が賄えていることを知っているため、下手なことを言えずダボハゼのように言われたことを言われたようにやるのみ。

 

例えそれが理不尽で間違ったことだったとしてもだ。

 

この少年は自分のことを知らないのか、それともそれ以上の権力者とでもいうのか一切怯む様子もなく飄々としている。

 

気に入らない。

 

コイツだけ自分の言いなりにならないなんてあり得ない。

 

絶対に服従させてやる。

 

怒りに支配された少年に既に周囲は見えていなかった。

 

 

「このっ……! やれぇっ!!」

 

 

一気に相手目掛けて飛びかかる。組みついて話組み伏せようとするも、力が強いのか中々倒すことが出来ない。そうこうしている間に足をかけられて、自分がうつ伏せのまま床に倒される。

 

 

「ぐぇっ!?」

 

 

痛々しい音と共に盛大に顔面着地を見せつけてくれた。顔を押さえて床にのたうち回る。

 

 

「このっ!」

 

 

同時に飛びかかってきたもう一人の少年は死角から腕を振り、ナギの前に立つ少年の頬を張った。パチンという音と共に当たった場所が悪かったのか口元付近から流血し、ポタポタと床に血が滴る。

 

痛みがない訳がないのだろうがそれでも怯む様子もなく、頬を張った少年の腕をしっかりと掴むと相手の間合いに背を向けて潜り込み、小さく背を丸めて背中に相手の体を乗せる。そのまま腕を引きながら背中を軽く上昇させると、遠心力で小さな身体はいとも簡単に宙に浮く。

 

何が何だか分からぬまま視界が反転したかと思うと、背中から勢いよく床に叩きつけられた。

 

 

「ガッ……ハッ!?」

 

 

全身に走る痛みと共に、肺の中から酸素が強制的に吐き出されて呼吸が出来なくなる。何とか動き出そうとうつ伏せになると、酸素を取り入れようと繰り返し空気を吸おうとする。ようやく顔面の痛みから解放されたようで、転ばされた少年は顔を押さえながら悔しそうに立ち上がった。

 

 

「これ以上やるなら本当に容赦しないけど……まだやるか?」

 

「くそ、覚えとけよ! おい行くぞ!」

 

 

うつ伏せになっている少年の手を引くと、力任せに教室の入口へと連れて行く。教室から出て行ったことを確認すると、少年は大きく溜息を吐いた。

 

 

「ふぅ……上手く行った。意外に何とかなるもんだな」

 

「あ、あの……あなたは?」

 

「あぁ、ごめんごめん。突き飛ばされていたみたいだけど怪我はない?」

 

 

すっかり声を掛けているのを忘れていた少年は、再度ナギの方へと振り向くと彼女の身を案じた。

 

 

「う、うん。私は大丈夫だけど、あなたの方が……」

 

「ん? あぁ、これか。これくらい唾付けとけば治るよ」

 

 

このくらいの怪我なんて日常茶飯事だと言わんばかりに口元を押さえる。叩かれた時に相手の爪が食い込んでしまったようで、頬も擦りむいたような痕が残っていた。

 

 

「そ、それはダメ……あの、バイ菌が入っちゃうから……こ、これ良かったら使って」

 

「ありがとう、でも本当に使って良いのか?」

 

「うん。だって怪我してるし……」

 

「ならお言葉に甘えて。後は一人で大丈夫……じゃないよな」

 

 

苦笑いを浮かべる少年の先に映るのは教室の後方に下げられた座席の山だった。掃除は一切進んでおらず、まだ床の至る所にホコリが溜まっている様子が見受けられる。そして掃除が終わったら今度は机を元に戻さなければならない。

 

一クラス数十人と仮定すると、誰がどう考えたところで一人で終えられるような作業量では無かった。先ほどの二人組は教室の外に出て行ってしまったため、今日戻ってくることはないだろう。

 

教室に残っているのはナギだけになる。女の子一人でこの量の作業をするとなると、夕方になっても終わらないかもしれない。

 

 

「一人じゃ大変だし、俺も手伝うよ。床履き終わって水拭きしたら机戻せば良いよな?」

 

「それで大丈夫だけど……どうしてあなたは私のことを助けてくれるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? うーん、何だろう。助けることに理由なんていらないんじゃないないか?」

 

「……」

 

 

ナギは呆気に取られていた。

 

助けたことに理由なんか無いと言い切ったこの少年は何なのか。

 

今まで担任の教師に頼み込んでも何一つ改善してくれなかったというのに、救ってくれた少年は助けることに理由は無いとハッキリと言う。

 

変な感覚だった。でも不思議と悪い感じはしなかった。

 

 

「さぁ、さっさと終わらせて帰ろうぜ。帰り遅くなったらお父さんお母さん、心配するだろ?」

 

「あ……うん」

 

 

奇妙な感覚のまま再び掃除を再開する。

 

その様子を教室の外から見守っていたナギもまた妙な感覚に陥っていた。

 

 

(あの男の子名前何て言うんだっけ……聞いてなかったのかな。思い出せないや……)

 

 

助けてくれた少年の名前を思い出せない。

 

どれだけ記憶を振り返ってもその少年の名前は出てこない。それどころか以降にわたって一度もその少年に会った記憶が無かった。つまりこの時だけに会ったということになる。

 

 

(あの男の子今どうしてるのかな……)

 

 

ただお礼も言えずに終わってしまったとなると、もう一度あってしっかりとお礼をしたい。

 

 

(あれ……視界が)

 

 

ナギの視界がボヤけ始めた。

 

どうやら自分の意識が覚醒に向かっているらしい。徐々に瞳に映る風景にモヤがかかって行く。

 

 

(……え?)

 

 

掃除をしている少年の目が合う。

 

確実に少年の目はこちらを見つめていた。どこか見覚えのある得意げにニヤリと笑う姿を最後にナギは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

目を開けると映り込んできたのは黄金色に光る白の天井だった。眠っている間に寮の自室まで戻ってきたようだ。

 

今何時なのかどれくらい寝ていたのかは分からないが、顔を窓際に向けてカーテンの隙間から覗く闇を見る限りは夜になっているらしい。

 

 

(夢……だったんだよね)

 

 

改めて先ほどまで見ていた光景は全て夢だったことを悟る。ここ数日間の中では幾分体も軽く頭の中もスッキリとしていた。

 

少し寝て身体に体力が戻ったみたいだ。

 

とはいえいつまでも寝ているわけにも行かない。

 

制服の上着は脱がせてくれたようだが、ワイシャツとスカートは履いたまま。このまま履いていたら両方ともシワまみれになってしまう。

 

一旦部屋着に着替えようと身体を腹筋の要領で起こしたところで、ベッドのすぐ横にいる人物の存在に気付いた。

 

 

「えっ……大和くん?」

 

 

自身が寝ているベッドのすぐ横に椅子を置いて座っている見覚えのある姿。

 

身体の前で腕を組んだまま背もたれに体重を掛けるようにして何度も小刻みに身体を動かしている。あらわになっている片目は閉じており、現在進行形で眠りについていることが分かった。

 

どうしてここに大和がいるのだろう。

 

その疑問はすぐに晴れることとなった。

 

 

(よく見たら家具の配置や置いてあるものが違う……じゃあ私のいる場所って大和くんの部屋?)

 

 

ナギがいる部屋が自身の部屋ではなく、大和の部屋に寝かされていたことに気がつく。精神的にも肉体的にも疲労がマックスだったナギは倉庫で気を失うように眠りについた後、全てを解決した大和が学校から寮まで運んできてくれたことを理解した。自室ではないのは同居しているルームメイトがいるからだろう。

 

今の自分の姿を見れば何事かと変に気を遣うことになる。バッサリと無造作に切り落とされた髪の毛を見ればより混乱を招きかねない。

 

混乱を最小限に抑えるために一度自分の部屋へと運び、目が覚め次第部屋に戻すつもりだったと考えればある程度は納得が行く。

 

 

「寝ちゃってる……そうだよね」

 

 

ここからIS学園はそこまで遠くは無いだろうが、それでも人一人を抱えたまま戻ってくるのは中々の重労働になる。加えてここ数日間、ナギと同様に大和自身も心も体も休まる日は無かった。

 

仕事上、寝ないで働くことはあるものの、寝れなかったり睡眠時間が短ければ自ずと身体に疲労は蓄積されて行く。一区切りついて疲れが一気に出たとすれば無理もない。

 

 

「……大和くん」

 

 

布団から出て四つん這いのまま近づくと、彼の頬を優しくなぞる。寝ているから名前を呼ぶナギの声が聞こえるはずもない。すやすやと小さな寝息を立てる姿は普段自分が見ている人物とは思えないほど幼く見えた。

 

結局自分の力だけで解決が出来なかった。最終的に大和だけではなく、楯無やラウラにも同様に巻き込み、迷惑を掛けてしまった。

 

 

「いつもいつも……本当にありがとう」

 

 

今回も自分を窮地から救ってくれた恩人に感謝の言葉を伝える。両手で大和の頭を抱えると、そっと自分の頭を近づけておでこを大和のおでこにくっ付けた。

 

 

「うん……うん?」

 

「あっ」

 

 

おでこをつけた瞬間に大和と目が合う。

 

瞬間的に体温の上昇を感じ、パッと大和から離れた。

 

 

「ふわぁぁあ……あれ、ごめん。俺もしかして寝てたか?」

 

「あ、うん。寝てたと……思うよ?」

 

「なぜ疑問形?」

 

「な、何でもない! 何でもないから!」

 

「???」

 

 

何故そんなに慌てているのかと疑問に思う大和だったが、聞かれて欲しくないことなんだろうとそれ以上追求することはなく、ぐっと腕を天井に向けて伸ばした。

 

 

「悪い。本当は起きているつもりだったんだけど、ナギが気持ちよさそうに寝ていたからその……つい、つられて」

 

「だ、大丈夫だよ。むしろ色々ありがとね。部屋まで運んでくれたの大和くんでしょ?」

 

「あぁ、まぁそんなとこだ」

 

 

照れ隠しのように頬をポリポリとかく。

 

自分が運んだとはっきりと言わずに濁すあたり、大和の優しさが伝わってくる。

 

 

「そうだ。身体は大丈夫か?」

 

「ちょっと寝たから大丈夫。少なくともここ数日間に比べると全然違うよ」

 

「そうか。良かった……」

 

「……」

 

「……」

 

大和の一言を皮切りに会話が止まってしまう。

 

互いに何を話せば良いのか分からず、口を結んだまま視線を左右に彷徨わせた。話したいことは沢山あるが選択肢があまりにも多すぎてどこから切り出せば良いのか分からず、二人揃って混乱しているようだ。

 

 

「えっとだな……起きたばかりで喉渇いているだろ? 飲み物とってくるから少しだけ待っててくれないか?」

 

「は、はい……」

 

 

いつになく硬く、ギクシャクとした様子の二人。

 

大和が飲み物を持って戻ってきた後、改めて二人は話し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。こんなものしか用意出来ないけど良かったら」

 

「ううん、ありがとう。気を遣わせてごめんね」

 

「お構いなく、これくらいならお安いご用だ」

 

 

冷蔵庫の中に残っていたオレンジジュースをグラスに注いでナギへと手渡した。遠慮しているとはいえ、想像以上に喉が渇いていたのだろう。コップに注がれたオレンジジュースはあっという間に半分以下の量まで減って行く。

 

 

「ふぅ……何か不思議な感じだね、オレンジジュースがこんなに美味しく感じるだなんて」

 

「そりゃ良かった。あの後数時間ずっと寝てたわけだし、相当喉が渇いていたんだろう。まだ残ってるからおかわりがあったらいつでも言ってくれ」

 

 

うん、と頷きながらベッドのすぐ近くにある小さなデスクにグラスを置く。ベッドに座るナギの隣に少し間隔を開けて腰を掛け、一息ついたことを確認すると改めて大和は話し始めた。

 

 

「……駆けつけるのが遅くなってごめんな」

 

 

切り出したのは謝罪の言葉。

 

倉庫部屋に駆けつけた際に一度ナギへの謝罪の言葉を伝えている。

 

ナギからもここまで事が大きくなってしまったのは自分のせいだから気にしないで良いと言われているものの、大和の中に眠る蟠りは解消できていなかった。

 

ほんの数秒早く駆けつけることが出来ていれば、髪を失う可能性を未然に防ぐことが出来たかもしれない。

 

 

「え?」

 

 

突然の謝罪にナギは目を丸くして固まる。むしろ謝らないといけないのは迷惑を掛けてしまった自身だというのに、何故大和が謝っているのだろうと。

 

 

「あの後少し考えたんだ。本当にナギの言う通り相談しなかったことだけが悪いのかって」

 

 

思い返すのはナギの一言。

 

確かに事前に相談をしていれば間違いなく未然に防ぐことは出来ただろう。

だがナギはこれ以上大和に負担を掛けられないと判断して相談をしなかった。つまりナギには大和が余裕が無いように映っていたことも事実。それはイコール大和自身の力不足であって、いらぬ心配をナギに掛けさせてしまった。

 

 

「本音を言うなら俺に相談して欲しかったってのはある。でも事の重大さをもっと理解してやれればまた違う結末になっていたかもしれないし、ナギに辛い思いをさせなくても済んだかもしれない」

 

 

加えて事態の重さを理解しきれずに対応が遅れてしまったことも要因の一つにあげられる。

 

と、後悔はいくら出来たとしても今が現実だ。どれだけ願ったところで過去の時間は戻らないし取り返すことも出来ない。

 

 

「だから……「大丈夫」え?」

 

 

途中で言葉を挟まれて慌てたように大和は顔を上げる。大和の瞳に映るのは苦笑いを浮かべるナギの姿だった。まるで予想通りの反応だったと言わんばかりに微笑むとそっと包み込むように優しく大和の手を握る。

 

 

「知ってたよ。大和くんなら私を責めずに自分を責めるって」

 

 

握る手に力が入る。

 

彼ならきっと自分の力不足を嘆き、責めるだろうと。

 

 

「大和くんの言うことも分かるけど、私のことを助けに来てくれた。あの時もし来なかったらもっと酷いことになっていたと思う。本来なら気付かずに放置されてもおかしく無いのに、私のために奔走して、結果助けに来てくれた……むしろ謝らないといけないのは私の方、本当にごめんね」

 

 

助けてくれてありがとう、迷惑を掛けてごめんなさい。

 

それがナギの本心だった。自分を助けるためにきっと大和は奔走していたに違いない、そんな人を誰が悪く言うだろうか。

 

実際に大和はナギを救い出すために多くの手を打った。それでも個人で集め切れる情報には限りがある。ナギが個人でやっていたり、動いていたりする事の全てを把握するのは無理があった。

 

あの時、ラウラの連絡からナギの危機を察知した大和は、呼び出された場所を断定するために職員室に寄って鍵の管理履歴を確認。呼び出しに人目につきやすく、開放感のあるような場所は選ばないだろうという推測から、選択肢を室内に断定。ピンポイントで場所を特定して即座に駆け付けている。

 

普通なら場所を特定することすら困難なはずの中、大和は自分を見つけて助け出してくれた。

 

これ以上のことはない。

 

 

「ナギ……」

 

「だから大和くんが気に病む必要はないよ。それとも髪の毛が短くなった私は嫌?」

 

 

短くなった髪の毛をナギは軽くかきあげる。

 

女性特有の仕草に思わず胸を打たれた大和は顔面の温度が上がっていくのが分かった。どこか大人びた気品ある雰囲気に圧倒され、そして色っぽさから顔を赤らめる。

 

ナギの顔を直視していられず右往左往に視線を彷徨わせながらしどろもどろに言葉を返した。

 

 

「へ? あっ、いや! そんなことはなくて寧ろ似合ってるというか。あの、何と言いますか……」

 

「ふふふっ♪」

 

 

赤面しながらアワアワと慌てふためく大和を見ているだけで元気になれる。

 

心の奥底に眠る気持ちを抑えきれず、大和の肩を握るとそのまま胸元へ顔を埋めた。不意な行動に大和は驚くも、気持ちよさそうに目を細めるナギの身体を両腕で優しく抱きしめる。互いの温もりが着ている制服越しでもはっきりと伝わってきた。

 

ナギは、そして大和は互いのすぐ側にいる。

 

しばらくの間抱きしめ合っていた二人だが、埋めていた顔を離すと真っ直ぐな瞳でナギは大和のことを見た。

 

 

 

 

 

 

 

「実はね。こんな感じで助けて貰うの今回が初めてじゃないんだ」

 

「初めてじゃないってことは、俺が知らない昔にも同じようなことがあったのか?」

 

「うん、小学生くらいのころにね。とはいっても今回ほどは酷くないんだけど」

 

 

髪は切られてないからね、と少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

こうして虐めから救ってもらったのは二度目の出来事であると、過去の思い出話を大和に話していく。

 

 

「私、昔は今以上に人見知りだったから人と話すことも苦手だったし、何より友達も中々出来なかったの」

 

 

元々物静かなタイプではあるが、小さい頃は人見知りが激しくて中々友達も出来ずにクラスでは孤立してしまっていたようだ。小学生の頃といえば比較的男女間での交友も多く、分け隔てなく友達が出来ることが多い。少なくともまだ女性関係や男性関係に深く悩むような年頃ではなかった。

 

逆に目をつけられれば目の敵にされて、あらぬ噂を立てられ、村八分のような状態にさせられて学校に通えなくなってしまうこともある。ナギはまさにその状態で激しい人見知りが災いし、クラスのいじめっ子に目をつけられて日常的に嫌がらせを受けていた。

 

 

「私がちょうど三年生になってしばらく経ったくらいかな。何言われても上手く返せなくてウジウジしていたから一部のいじめっ子から『ウジ虫』って言われるようになっちゃって」

 

 

キッカケなど些細なもので、少しでも人と違うことがあればいじめの標的になることもある。

 

特に海外から来た日本語も覚束無い留学生なんかはまさに例の一つとして挙げられるかもしれない。言葉も通じない、容姿も周囲の子供とかけ離れていることからからかいの的となり、エスカレートするとやがていじめへと発展する。

 

人間は十人十色であり、それぞれに個性がある。

 

容姿が違ったり、性格が違ったりすることは決して悪いことではない。ただ集団行動ならではの考え方なのか、周囲と外れた考え方や行動が気に入らなくなってしまう人間がごく一部いるのかもしれない。

 

 

「酷い話だ、人見知りなんてどうしようも無いだろうに。偶にいるんだよな、ちょっと人と接するのが苦手だからっていじめに走る奴」

 

「あはは……それでね、基本的には関わらないようにしていたんだけど、ある日掃除当番で一緒になっちゃって。誰かに変わって欲しくて先生に相談したら、理由もなく変わるのはどうなんだって」

 

「掃除当番か……ふむ、それでどうなったんだ?」

 

 

一瞬大和が何かを考え込むような素振りを見せるも、すぐさま続けて話をする様に促す。

 

 

「大和くんも想像出来ると思うけど、もちろん手伝ってくれなかったんだ。それにお前みたいな暗い奴と掃除してたらバカにされる! って言われて……何で私ばかりこんな目にあわないといけないのって思ったの」

 

「……」

 

 

大和はナギの話す様子を黙って見守る。心なしかその表情は険しい……というよりかは複雑なものだった。ナギの置かれていた状況を想像したのかもしれない。

 

 

「何もかも嫌になって、私なんて居なくなってしまえばって思った時に……一人の男の子が私のことを助けてくれた」

 

 

彼女にとっては恩人とも言える人物。

 

あの少年がいたからこそ今の自分は無事に生活を送れている、そう言っても過言は無かった。もしあの時助けてもらえなかったとしたら、あのままずっといじめ続けられたことだろう。

 

そして助けてくれた少年は今日に至るまで一度も会うことは出来ていない。だが少年が居なくなったあの日を境にピタリと自分へのいじめは無くなった。それどころか今までいじめを率先して行なっていた二人の少年は別人のように静かになり、黙認していた教師たちも率先していじめ撲滅に協力するように。

 

自分を助けた裏で何が起きていたのかをナギが知る由はない。事実としていじめが無くなったことで、以降は平穏無事な学生生活を送れていたた。

 

もし小学生の時に一度だけ会った少年がIS学園にいたとしたら大和と同じように助けてくれただろうか。

 

 

「名前も聞けなかったし、所属も分からないまま居なくなっちゃったんだけどね。でも何か雰囲気っていうのかな、大和くんにすごく似てるような気がして……え?」

 

 

自分で言いながら途中で言葉を止めてしまう。

 

そっくりだった。仕草も話し方も何もかも。

 

子供の頃の記憶であるが故に多少なりとも曖昧な部分もあるかもしれない。ただ自分を助けてくれた少年のことは今でも鮮明に記憶している。あの時少年は何と言っていたのか。交わした会話の量はそこまで多くない、少し考えれば大体の内容は今でも思い出せる。

 

脳内に記憶されている単語の一つ一つから、あの時交わした会話の内容を探り出していく。やがて結論に達そうとした時、ふと目の前にいる人物は口を開きどこか聞き覚えのあるよう声をだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「---誰かを助けることに理由なんかいらないんじゃないか、か?」

 

「嘘……」

 

 

頭の中がぐちゃぐちゃに入り乱れて何が何だか分からなくなる。

 

口を押さえながら驚きのあまり声を失った。そんなナギに対して大和はどこか恥ずかしそうに、そして得意げにニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 

バラバラだったパーツがようやく繋がり、一つのパズルが完成する。自身の前で笑みを浮かべる大和の姿とかつて少年が見せた笑みが。

 

今、綺麗に重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの時私を助けてくれたのは」

 

「あぁ、俺だ。話の途中まで全然気付かなかったよ。まさかあの時の女の子がナギだったなんて」

 

 

大和としてもまさか自分が助けた少女が幼き日のナギだったとは思いもしなかったに違いない。言われてみると昔の面影がないわけではないが、偶然助けた少女が成長してIS学園に入学しているなんて誰が想像つくだろうか。

 

 

「わ、私凄く探したんだからね。きゅ、急に居なくなっちゃったから本当に心配したんだよ?」

 

 

会いたかった、でも会えなかった、そして凄く心配した。

 

心の中にしまっていたナギの想いを大和にぶつける。自分のせいで少年時代の大和が不憫な思いをしてしまったのではないか。本気で身を案じているナギの顔を見ながら、どこか気まずそうに当時の出来事を話し始めた。

 

 

「ごめん。本当はもう一度ちゃんと挨拶しようと思ったんだけど、急に転校が決まって会えなかったんだ」

 

「て、転校?」

 

「そ、転校。本当はあまり言いたく無いんだけど、実は俺と千尋姉とで学園側と盛大にバトっちゃってさ。残っても良かったんだけど、あれだけ問題を起こしておいて残るのも気まずくて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

順を追って説明していく大和だが、明かされる内容は何ともツッコミどころ満載の内容だった。ナギを助け出すまでは良かったものの、助けた際にいじめっ子たちをボコボコにしてしまい、それに対して相手方の父親が激怒。

 

どう落とし前を付けてくれるのかと、義姉である千尋と大和が揃って呼び出された。父親は地区では名の知れた権力者であり、二人を……特に姉である千尋を強請ろうとするも、毅然とした態度の千尋の前に何も言い返す事が出来ず。

 

挙げ句の果てにはICレコーダーに録音していた悪行の一部始終を大和に公開され、録音した音声を全て市の教育委員会へと提出するという何とも虐殺に近い形で完膚なきまでに叩きのめされた。

 

世間は狭い。

 

学校だけでは無く、地域一帯に一家の悪行は広がることになった。

 

故に学園を利用することも出来なければ、自分たちの立場を使って好き放題することも出来ない。同じ場所に住み続け、同じ地域の学校に進学する以上は常に後ろ指をさされながら生活しなければならないだろう。

 

一連のやり取りで問題は解決。このまま学園に残っても特に問題なく過ごすことは出来たかもしれないが、変に気を使われたり、いじめっ子の一家から横槍を入れられたりしたら面倒だと判断した千尋は大和を別の学校へと編入させることを決断した。

 

大和の転校の理由に関しては家庭の事情という形で処理され、誰も本当の転校理由を知ることなく大和は別の学校へと移る。

 

月日が経ち、小学校を卒業した大和は一般の公立校へ、ナギは私立の女子校へと入学したためにIS学園に入学するまで二人の接点は一切ないままだった。

 

 

「……そうだったんだね」

 

 

端的な説明だったが事情は理解してくれたらしい。

 

 

「もしあの時の男の子が大和くんだったらなんて考えてたけど……そっか、大和くんだったんだ」

 

「……嫌だったか?」

 

 

どこかで聞いたことがあるようなセリフを少し悪戯っぽく笑いながら言う大和にキョトンとするナギだったが、やがて彼女の表情がふっと緩む。

 

 

「……そんなことない。またこうして大和くんと会えたこと。私にとってそれ以上の幸せはないよ。何年経ってもやっぱり大和くんは変わってなかった」

 

 

嫌なわけがない、好きな人はかつての恩人だった。困っている時、悲しんでいる時に彗星の如く駆けつけて窮地を救ってくれる姿はまさにヒーローそのもの。

 

そして長い年月を経てこうしてIS学園で再会し、彼の彼女としてそばにいることが出来る。こんな幸せが他にあるわけがない。大和のことを想う度にどんどん胸の高鳴りは大きくなるばかりで収まる様子は無かった。

 

自分の前に最愛の人がいる。

 

今は彼の……温もりを純粋に感じていたい。

 

 

「……大好き♪」

 

 

好きだという気持ちが抑えきれずにたまらず大和へと抱きつく。

 

あぁ、この温もりだ。彼の胸の高鳴りが、心臓の音がはっきりと伝わってきた。

 

一度病みつきになったら離れられなくなる。制服越しに伝わる彼の身体の大きさ、逞しさは自分の何もかもをしっかりと受け入れてくれた。側にいることが出来るだけで私は幸せ者だ。

 

彼の容姿や性格だけが好きなわけではない。悪いところも全て含めて霧夜大和のことが大好きなのだ。

 

今はもっともっと彼の温もりを感じていたい。

 

気が付けばより強く彼のことを抱きしめていた。自分の身体をこれでもかと言うほどに押し付けて自分の想いを大和に伝える。豊かな双丘は大和の身体に当たって潰れ、肌の温もりがよりダイレクトに愛しの彼へと伝わる。

 

いつも以上に積極的な彼女の姿に何かを感じたようで堪らず大和が声を掛けた。

 

 

「な、ナギ……その、胸が……」

 

 

当たっている。途中まで言い掛けたところでナギの手が大和の顔に伸びたかと思うと、覆っていた眼帯を取り去る。露わになる異質な瞳、見るもの全てを射抜く鋭い眼差し。

 

久しぶりに両眼でナギのことを見た。相変わらず左眼だけ視力が異常なまでに発達してしまっているせいでピントが合わず、距離感が掴みにくい。

 

 

「ねぇ、大和くん……」

 

 

身体を密着させ、腕を掴みながら何かをねだるような目つきで大和のことを見つめる。顔を赤らめ、いつもよりトロンとした妖艶な目つきをしながら上目遣いに、大和の鼓動が高まり始める。

 

いつの間に二人の視線は動かなく……否、動かせなくなっていた。

 

視界からは互いの姿以外のものは消え、ナギは大和の、大和はナギの顔だけが映る。

 

ふとはにかんだかと思うと、唇を大和の左眼に押し付けた。

 

 

「んっ……ふぁ……」

 

 

自分で何をしているのか、感情が昂り過ぎて理解が追い付かない。薄らと目を開きながら、驚く大和をよそに執拗に左眼に舌を這わす。普段触れられる場所ではない上に、眼帯で隠している場所のため人目に付くことがない。

 

故に敏感になってる。くすぐったそうに大和は身体をよじらせた。

 

 

「な、ナギ……っ! く、くすぐったいよ!」

 

「ふ……んふっ」

 

 

大和の言葉でようやく唇を離す。

 

傷跡こそ残っているが痛みは無いが、それでも触られるとくすぐったさを感じるようだ。大和の首に手を回し、唇が触れ合う数センチほどの距離で互いに見つめ合う。

 

荒くも色っぽい吐息が大和の前髪を小刻みに揺らした。女性特有の香りが鼻腔を燻り大和の理性の鎖を一つ一つゆっくりと外していく。

 

 

「ごめんなさい、私……もうっ……」

 

「は……え? ……んむっ!?」

 

 

大和以上にナギの理性は決壊寸前の状態となっていた。数センチ先にある大和の唇、瑞々しくも引き締まった彼の唇に自分の唇を強引に重ねる。驚く大和をよそに決して離さないようにと強く塞ぐ。

 

恋人になってから何度も唇を重ねてきた。

 

 

デートを終えて別れる時に、臨海学校の海の中で、臨海学校から帰るバスの中で、最寄駅の前で。

 

 

それぞれに様々な思い出がある。

 

全てを差し置いて、今この瞬間がナギにとっては一番の幸せだった。幸せで頭が溶けておかしくなりそうになる。唇を重ねることで得られる多幸感がナギを満たしていく。

 

それは大和も同じだった。初こそ驚きを隠せぬまま引き離そうとするも、徐々に伝わってくる甘い香りが脳を刺激して感覚を麻痺させる。マシュマロのように柔らかく、温かく、何事にも形容し難い幸せな感覚。すぅと目を閉じて、互いの唇を貪り求め合う。

 

 

「ん……んんっ、ンフッ……んっ、んぁ……」

 

 

ナギの艶やかな声と唇を重ねているとは思えないほどのみだらな音が室内に響く。もし部屋に誰か来てしまったら……と頭の片隅にも考えられないほどに気分は高調し、今は互いの唇を貪ること以外のことは考えられなかった。

 

 

「んぅ! ……はぁ、はぁ」

 

 

体内の酸素が切れ掛かったのか、一度ナギは唇を離して荒い呼吸のままに外の酸素を求める。

 

が。

 

 

「……まだだ」

 

「ふぇ……大和くん、まっ……んんぅ!!?」

 

 

待ってと伝える息も絶え絶えのナギを強引に引き寄せると、このままやられっぱなしでなるものかと大和が再び唇を塞いだ。理性などとうの昔にすっ飛んでおり、まるで獲物を見つけた獣のように襲いかかる。

 

 

「んっっ!  んはぁ……ふぁ、ふむ……らめっ」

 

 

軽く重ねるものではなく、激しく互いを求め合う情熱的な口づけへと変わる。顔は真っ赤に染まり、ダメだと言いながらも大和の背中に伸びたホールドが解除されることはなく、同じように大和もナギを離そうとはしなかった。

 

もっと欲しいと大和を受け入れて求めてしまう。恥ずかしいなんて感情などそこには皆無。

 

口内でまぐわう舌先。混ざり合う互いの唾液が唇の接合部から溢れて、ナギの口元をつたう。たまった唾液は滴となり、やがてぽたりぽたりとベッドのシーツを汚していった。

 

 

「らめっ……これひ、んぐっ、じゃうひゃれ……んちゅ、わらひ……」

 

 

何かを伝えようとするも唇を塞がれてしまっているせいで、何を喋っているのか全く分からない。ナギが話そうとすることなどお構いなしに、話す暇を与えないように唇を塞ぎ続ける。

 

 

 

「んふぁ……おかひ、あむっ、んっ……くぅ」

 

 

力が抜けていく。

 

大和の身体に必死に捕まっていたナギだったが、徐々に身体に力が入らなくなり、重力に従うままベッドへと倒れ込む。

 

 

 

「ふぁっ……」

 

 

力が入らない。立ち上がれない。ベッドのクッションに身を任せてただ一点を見つめる。

 

 

「ま、待って……わた、しこれ以上「ナギが我慢出来ないなら、俺はもっと我慢出来ないよ」ふえ……んぅっ!?」

 

 

倒れ込むナギにも大和は容赦しなかった。場に倒れ込むナギの上に四つん這いでまたがると、戸惑いながらも言葉を続けようとする唇を再び奪う。

 

頭がおかしくなる。何も考えられなくなる。

 

ひたすらに唇を貪るだけの行為に貪欲になり、そして幸せや快感を感じる。頭がぼぅとしてもう何もかもどうでも良くなる。

 

 

「んぐっ、んっ、くちゅ。んぷっ……ふあっ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

散々貪った唇を離すと互いの唇を銀色の糸が紡ぐ。一定の距離まで伸び切ったところで限界を迎えてぷつりと途切れた。

 

体内の酸素が少なくなり、息も絶え絶えだというのにナギはどこか名残惜しそうなまま、とろんとした視線を大和の顔から切らさない。

 

抱きつきながら互いを本気で求め合ったことで、着ているワイシャツはシワシワになり、止めていたボタンもはだけて中のキャミソールが見えかけている。制服のスカートも脱げ、大和のいるところからは自分の履いている台形型の下着が完全に見えてしまっていた。

 

可能な限り優しく落ち着いた口調で確認する。付き合ってからというもの、『そのような行為』については一度もしたことが無い。

 

ここから先は完全な未知の領域となる。

 

 

「……念のために確認するよ。本当に大丈夫か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今は大和くんが欲しい……」

 

 

ナギの本心が言葉として外に出る。

 

同意を合図に唇を塞ぐとそのまま、ナギのワイシャツに手を掛けていくのだった。


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