「楯無さん! てめぇ、楯無さんをよくもっ!!」
目の前で恩師とも言える楯無がオータムの装甲脚によって貫かれていた。この状況下で落ち着いていられるわけがなく、一夏はオータムに対して飛びかかろうとする。
一方で楯無は自分の胴体を装甲脚で貫かれているというのに、余裕の表情を一切崩さなかった。一夏も最初こそ取り乱したものの、やがて冷静に状況を見つめるととあることに気付く。
(血が一滴も流れてない……?)
明らかに通常では起こり得ない状況に思わず首を傾げた。またオータムも身に染みて目の前で起きている異変に気付く。確かに胴体を貫いたはずなのに手応えがおかしい。
「何だ……手応えがない?」
抵抗の無い何かを貫いているような感覚。少なく人肌を貫こうとすれば、障害を切り裂くような手応えがあるはず。それ全く感じられなかった。
「うふふ、慌てない慌てない」
話せるような状況では無いはずの楯無が声を上げる。傷付けられているとは思えないほどに余裕が含まれた口調に違和感を覚えると同時に、ぱしゃりと音を立てて
透き通った透明感のある液体、これは。
「!? こいつは……水か?」
「御名答、水で作った私の分身よ。どう? 意外に精巧に作られているでしょ?」
楯無の声が今度はオータムの背後から木霊する。マズイと瞬時に判断して振り向くオータム目掛けて大きなランスを薙ぎ払った。
「くうっ!?」
「あら、浅かったわ。そのIS、中々の機動性を持ち合わせているのね。ちょっとびっくり」
直前で躱されたことで直撃とまでは行かなかったようだ。だが、この一撃でオータムの心理状態を崩すには十分であり、余裕を失った声質で叫ぶ。
「てめぇは一体なんなんだよぉ!?」
「私は更識楯無。そして相棒の
にこりと微笑むと、楯無の身体にIS装甲が展開されていく。これまで何度も指導をしてもらった一夏だったが、意外にもミステリアス・レイディを完全展開した楯無を見るのは初めて。
周囲に専用機持ちが多いこともあって比較的数多くのISを見てきたものの、見てきた機体のどのカテゴリーにも当てはまらないものだった。
まず特筆すべき箇所はその装甲に現れている。身体を覆うアーマーの面積が小さい反面、全身をカバーするように透明のフィールド……つまるところの水が彼女の身体を覆うように展開されていた。
手に持っているランスにも同様に水を纏わせ、ドリルのような回転をし始める。
「けっ、覚えておく必要なんかねぇ! てめぇもここで死ぬんだからなぁ!」
「あらあら、なんて悪役発言かしら。これじゃあ戦う前から勝敗は決まったようなものね」
この状況下に置いても楯無はいつものテンションを崩さないでいた。惑わされ、引っ掻き回されているのはオータムの方だろう。自分のペースへと持ち込むことが出来ない。苦し紛れにキツい言葉を浴びせて精神的なダメージを狙うも無意味、むしろ楯無に煽り返されて、自身の中での苛立ちがどんどん増幅していった。
気持ちの面で優位に立つことが如何に重要なことか、それは先程の一夏とオータムとのやり取りでよく分かる。
最初こそ踏みとどまったが、最終的には挑発に易々とのってしまった自分と違って、楯無はしっかりと自分を持っている。それどころか強引にでも自分のペースへ引き込んでしまった。
IS操縦者には経験年数や操縦技術などあらゆる部分が求められる。しかし最も重要なのは力や技術ではなく、操縦者の信念……あらゆる事に立ち向かえる精神力を持ち合わせているかどうか。
改めて一夏と楯無の間にある
戦況が変わったことは喜ばしいものなのかもしれない。ただ一夏としては手放しに喜ぶことは出来なかった。
複雑な心境になるのも無理はない、楯無との実力差を改めて実感し、自身の無力さを思い知らされることになったのだから。
「ぬかせっ!」
そうこう言っている間にも目の前で展開される激しい攻防、オータムは自身の機体であるアラクネを操作し、八本の脚と二本の足で攻撃を繰り出してくる。
圧倒的な手数の多さで優っているにもかかわらず、楯無はたった一つのランスを使って凌ぎ切っていた。楯無の実力が抜きん出ていることもあるが、動揺からオータム自身は無意識のうちに、威力任せの単調な攻撃へと切り替わっており、先ほどと比べると攻撃のキレが全体的に落ちている。
予測が出来、かつこちらが反応可能なスピードなのであればどうということはない。
難なく捌き切る目の前の存在が気に食わない、オータムは苛立ちから腰部装甲に手を添えて二本のカタールを引き抜くと、自らの腕を近接戦闘用に、背中の装甲脚を射撃に切り替えて遠近両方から楯無に応戦する。
「くそっ! ガキが調子にのるな!」
「そんな雑な攻撃じゃこの水は破れないわ」
嵐のような実弾射撃を水のヴェールで完全に受け止め、侵攻を阻害する。勢いのついた弾丸もヴェールに着弾した瞬間に本来の勢いを失って止まり、楯無の元へ届くことは無かった。
おかしい、ただの水でこの弾丸を防ぎ切れるはずがない。徐々に冷静さを取り戻すオータムは一つの結論を導き出す。
「これ、ただの水じゃねぇなぁ!?」
「多少は考えてるのね。ご察しの通り、この水はISのエネルギーを伝達するナノマシンによって制御しているのよ。凄いでしょ」
別にオータムは手を緩めているわけではなく、依然として猛攻撃を続けたままだった。それを涼しい表情のまま、かつ話しながらという常識を捨てたような状態で防ぎ切っている。
普通に考えれば人と話しながらの攻防など出来る訳がない。それを楯無はいとも容易くやってのけている。
決して手を抜いた攻撃をしているわけではないのに、自分の攻撃が相手に通らない。
オータムからすれば屈辱以外の何者でもないだろう。
「くそっ、くそっ、くそっ!! なんなんだよてめぇは!」
「わざわざ二度も自己紹介なんてするわけないでしょ、面倒だし。それにしつこい人は嫌われるわよ?」
「この、うるせぇ!」
自身の攻撃が通用しない。
オータムの中での苛立ちは再びピークを迎えようとしていた。
勝手に怒って自滅するなら勝手に自滅すればいいと、彼女の反応など楯無からすれば至極どうでもいいことであり、気にする素振りを一切見せることはない。
流れ作業のように涼しい顔を浮かべながらオータムの攻撃をことごとく潰していった。
「ところで知ってる? この学園の生徒会長って肩書は学園最強の称号だということを」
「知らねえよ! これでもくらえっ!」
左手のカタールを投げ飛ばし、一気に距離を詰めようと跳び上がるオータム。
「甘いわ……え?」
飛んできたカタールをランスで弾いた楯無だったが、弾いた瞬間にランスに別の衝撃が走る。接近したオータムがランスを蹴り上げており、握っていたランスは手を離れて宙高く舞い上がった。
楯無に一瞬の隙が生まれる。
そこを狙い、オータムは八本の脚の四本を射撃モード、残りの四本を格闘モードへと切り替えて猛攻を仕掛ける。一撃一撃の重みが変わり、鉄壁の防御を誇っていた水のヴェールが押され始めた。
「あらら、これはちょっとキツイわね」
「ははは! その減らず口はいつまで続くかなぁ!? 最強だと? 笑わせんのも大概にしよろガキが!」
ほんのわずかに楯無の表情が曇る。現に手数が増えてからというもの徐々に押され始めており、時折りオータムの一撃がIS本体まで届いているのだ。
近くで戦況をじっと見守っている一夏にも些細な変化は伝わっており、大丈夫なのかと若干ながら不安を掻き立てられる。
「た、楯無さん!」
思わず楯無に声を掛けていた。当然だ、水の防御が絶対ではない限り、突破されない保証はない。現にオータムの攻撃が少しずつ、だが確実に通り始めているのだから。
助けが必要になるのではないか、それなら楯無が粘っている間にでも助けを呼びに行こうと提案しようとする一夏だったが、一夏の心情は楯無にも伝わっているのだろう。
顔だけを一夏の方へと向けるとにこりと笑い、先ほどと変わらない余裕を感じさせる笑顔を作る。
「大丈夫、一夏くんは休んでいて。今は私を信じて任せなさいな。君は君の望みを強く願っていなさい」
「俺の望み? 俺の望みを……強く、願う……」
楯無の言葉に一夏は深く考え込む。
「こんな時に何くだらねぇ話してやがる! 余裕ぶってんじゃねぇよ!」
度重なる攻撃によって楯無のガードを崩したオータムは、蹴りを入れて楯無を弾き飛ばす。併せて一夏と同じように蜘蛛の糸のようなものを投げ飛ばして楯無を束縛した。
「うーん、動けなくなっちゃったわね」
「はぁ、はぁ。てこずらせやがって!」
ここまで追い込むのに相当な労力を使ったようで肩で息をしながら、束縛した楯無を睨みつける。
「あらやだギラついちゃって、どれだけお盛んなのかしら。でも私Mじゃないからいたぶられるの好きじゃないのよね」
「あぁっ!?」
この期に及んで未だ余裕ある減らず口をたたく楯無に声を荒らげるオータムだが、どうしてそこまで落ち着いていられるのかとふと疑問が浮かぶ。
両手足を縛られた状態で身動きが取れない楯無に対して、五体満足で自由に動くことが出来る自分。
そして今白式は自身の手中にある。だから
誰が見ても劣勢状態なのがどちらかなのかは一目瞭然、それなのにこの嫌な余裕を感じさせる雰囲気は何なのか。
「ねぇ、この部屋暑くない? 温度ってわけじゃなくて人間の体感温度が」
「何言ってやがる……?」
意味が分からない。
目の前にいる相手は一体何者なんだろうか、考えていることが何一つ分からず、オータムの中にほんの僅かではあるが恐怖心のようなものが芽生えていた。
「不快指数っていうのは湿度に依存するのよ……
そこまで言われてオータムはハッと我に帰る。気付けば室内全体に蔓延する霧、それも自分の体に纏わりつく気持ちの悪い霧だった。
少なくともつい先程までは発生していなかったはず、楯無に気を取られて気付かなかったとでも……。
「そう、それよ。その顔が見たかったの。己の失策を知ったその顔をね」
やられた。
オータムにわざとガードを集中攻撃させて労力を大量に消費させたのは、確実に一撃で仕留めるためのブラフ。楯無から必要以上に攻撃を仕掛けてこなかったのは、一発で仕留められる術があるのならば攻撃を
勝手に相手が自滅をしてくれるのを待つだけでいい。楯無に以上なまでの余裕があったのはオータムの行動を全て見透かした上で、自身の罠へと誘導出来ていたからだ。
オータムは良いように楯無の掌の上で転がされていた。
「ミステリアス・レイディ……霧纒の淑女が意味するこの機体はね、水を自在に操るのよ。さっきも言ったように、エネルギーを伝達するナノマシンによって、ね」
何が言いたいかよく分かるだろう。
部屋中に蔓延している霧も元をただせば水の集合体だ。水を自由に操ることが出来るミステリアス・レイディの性能を発揮する上で、この上なく恵まれた環境になる。
さーっと血の気が引いていくのがオータムにも分かった。
「し、しまっ……」
「遅いわ」
このままここにいたら危険だ。更衣室から離脱しようと飛びあがろうとするもそれよりも早く、楯無がパチンと指を鳴らした。
指を鳴らすと同時にオータムの周囲を纏っていた水が一斉に爆発を始める。抵抗する術もなく、一気に爆発に飲み込まれていく。
「あはっ、何も露出趣味や嫌味でベラベラと自分の能力を明かしている訳じゃないのよ。はっきり言わないと驚いた顔が見れないんだから、仕方ないわよね」
霧を構成するナノマシンがISから伝達されたエネルギーを一斉に熱へと転換し、対象を爆破する能力……名を『
密閉されたような限定された空間でしか効果的な利用が出来ない欠点はあるものの、決して開放的な空間で全くの利用が出来ないと訳ではなく、かつ一連の流れを行動と同時に行えることを考えると、実戦においては非常に有効的な攻撃手段となる。
楯無の専用機、ミステリアス・レイディの特性を知らない限りは到底対処することは不可能に近い。完全な初見殺しの技となる。
かつて大和が楯無と模擬戦を行った際にも、同様の手口で破れ去っている。まさか周囲の水分が急に爆発を始めるなんて思わないだろう。幾多もの爆発に耐えられなくなったオータムは、重力に身を任せるかのように後方へと倒れ込んだ。
「さて……っと、お待たせ一夏くん。相手の特性が読めない中よく耐えたわね。おねーさん感心しちゃったわ」
戦いに区切りをつけた楯無は付近にいる一夏に声を掛ける。大きな怪我はしていないように見受けられるが、彼の表情は浮かない。
「そんなことないです。俺は……俺は何も出来なかったです」
一夏の口から溢れるのは自身の無力さを悔いる一言だった。よほど悔しいのだろう、グッと拳を握りしめたまま身体は震えている。よく言えば善戦したとも捉えられるかもしれないが、自分一人では何も出来なかった。
特に精神的な部分での綻びがモロに出てしまったようにも見える。一度は我慢したが、自分の身の回りのことを、気に病んでいることを堂々とオータムに指摘されて自身の感情を抑え込むことが出来なかった。
我を忘れて周囲のことが何一つ見えなくなった結果、オータムに良いように捕縛されてISすらも奪われることに。
自分の未熟さが招いた結果がこれだ。
「んー、どうしてそう思うのかな?」
「良いように誘導されてこのザマです。我慢出来なかった、精神的に未熟だった。結局楯無さんに助けてもらえなければ、俺はただやられるのを見てることしか出来ませんでした」
無力。
一夏の脳裏に浮かぶのは自身の不甲斐なさだった。確かに以前に比べれば確実に力は付いているように思える。立ち回りも良くなったし、何より周囲の戦況に合わせた戦い方が出来るようになっている気がした。
だがオータムを相手に自分はされるがままで、まともな抵抗一つ出来なかった。
「そう。確かに精神的な部分で動揺しちゃったのは今後の課題かもしれないわね。でもね一夏くん、そうやって悔しがることは大切よ。だからこそ、あなたはもっと強くなれる」
「俺が……ですか?」
「ええ。私がそこは保証するわ」
「……」
楯無の一言に対して再び顔を俯かせながら一夏は黙り込む。
彼女の言っていることを否定している訳じゃない。
ここ最近何度も繰り返し反復練習を行うことで以前と比べれば着実に出来ることは増えている、ただ自分の成長を上回る勢いで仲間が成長しているのではないかと思い始めていた。
ISを使った実戦練習を行うこともよくあり、善戦まではいくものの最終的にはエネルギー切れを起こして敗北することが多くなっている。あと一歩のところまで行くのに勝てない、それは自分に実力がないからではないのか。
こんな調子では皆を守るどころか、守られているだけ。上手くいかないもどかしさに焦りを感じていた。
「はははっ、ダメですねやっぱり。理解しようとしても気持ちが追いつかないです。焦ることじゃないって思うんですけど、いざ現実を見せられると自分の力のなさが悔しくて」
「……少し前に君は弱いって言ったこと覚えてる?」
「もちろん、今もしっかりと覚えてますよ。あの時はいきなり何を言い出すんだこの人はって思いましたけど」
決して一夏を責めることはなく、あくまで冷静に楯無は話し続ける。彼女の口から出て来た言葉に、思わず一夏は苦笑いを浮かべながら物思いに耽る。彼が楯無に指導をしてもらうきっかけになった出来事、初めて楯無と話した時に彼女ははっきりと『君は弱いよ』と言った。
当然、知り合いの代表候補生から教えてもらい続けて貰った手前そんなことはないと一夏は反論する。『君は弱いよ』の発言が失礼だと思ったのも理由の一つだが、何よりも教えて貰っていた箒やセシリア、鈴やシャルロットのことを間接的に馬鹿にされたかと思ったからだ。
本来は一夏に現状の実力を伝えつつも、IS操縦の教官になろうかと提案を持ち掛ける予定だったようだが、話が拗れて二人は決闘をすることに。一夏も実力者たちに揉まれて力をつけたと思っていたようだったが、想像以上の実力を持ち合わせた楯無に惨敗。
絶望的なまでの実力差を改めて思い知らされた一夏は楯無の指導を受けることを決め、今に至る。
「確かに君は弱かった。実力も専用機持ちとしては役不足感は否めなかったし、一人で出来ることなんてたかが知れていた。……でも勘違いして欲しくなかったのはあくまで君にはIS操縦者としての実力が足りないってだけなの。ただ冷静に考えて頂戴、圧倒的にISを稼働した時間が少ないんだからそこは当然だと思わない?」
「え? まぁ……言われてみれば」
「だから一夏くんの全てを弱いって言ったんじゃないの。君には一つ誰にも負けない強いものを持っているわ、それは多分私なんかよりもずっとね」
「楯無さんよりも?」
意外な一言に顔を上げて一夏は何度も目を瞬かせる。
楯無の指導は厳しく、普段のおちゃらけた雰囲気は皆無のスパルタなもので褒められることも少ない。だからこそ楯無よりも負けないものを持っているという一言に思わず反応した。
「それは一夏くんが誰よりもよく知っているものだと思う。もしかしたら自覚は無いのかもしれないけどね。ま、自覚出来たら出来たで一夏くんの良いところが一つ無くなっちゃうかもだけど」
自覚が無い方が一夏くんらしいよねと楯無は微笑んで見せる。
顔を上げる一夏の背後に回り込むと少し強めに背中を叩いた。パチンといい音が室内に鳴り響くところを見ると、相応に痛みがあったようで衝撃から前方につんのめる。
「いっ!? な、なにするんですか!」
「シャキッとしなさい! クヨクヨしてる一夏くんなんてらしくないわよ!」
「!」
強くハッキリとした口調で一夏に伝えられる。
「今負けて焦りを感じるのは仕方ないけど、焦ったところでいい結果になんてならない。一夏くんは一夏くんらしくやればいのの。無理に背伸びなんかする必要なんかないわ」
「あっ……」
楯無の言葉が以前の大和の言葉とそっくり重なる。
『今負けてることに焦りを感じるのは分かる。ただ焦って突っ走ったところでいい結果になんてなるわけが無い。無理に背伸びする必要はねーよ』
そうだ、何を自分は焦っていたのだろう。
焦ったところで、嘆いたところで何も変わらないのは、自分が良く分かっていることじゃ無いか。今自分に必要なことはそんなことでは無く、直面した現実を受け入れて真っ直ぐ前を見つ直すことだ。
これまでやってきたことは決して無駄では無い。少なくとも自分が何故負けたのか、そして及ばなかったのかを振り返り、悔しがれるだけまだ自分は前進出来る。
胸の中につっかえていた枷がスッと消え去っていくように感じた。
「……すみません、楯無さん。心配かけました、もう大丈夫です」
もう迷いは無かった。
一夏の中にあったネガティブな感情が消え去ったのは、側から見ても明らかであり、その様子を確認した楯無は少し表情を緩めると更に言葉を続ける。
「このままISに乗っていれば一夏くんは間違いなくどんどん強くなるわ。ただ一つだけ気をつけて欲しいのは、力の使い方を誤らないで欲しいと言うこと。あなたの持っている潜在能力や白式の力は想像以上に大きいの。正しい使い方をすれば守れるものも増えるけど、使い方を間違えれば誰かを傷付けることにもなる」
「はい」
強大な力は誰かを守ることが出来るものとなりうる反面、間違えれば仲間を、大切な人を傷つけてしまうことだってある。
力で誰かを屈服させるために強くなりたいんじゃ無い、皆を守りたいから力を欲しているのだから。
「一夏くんの刀は自分一人のためにある訳じゃない。そこはちゃんと肝に銘じておいてね」
「……はいっ!」
はっきりと楯無の目を見据えて一夏は答える。その瞳には確固たる信念が秘められているようにも感じられた。一夏の回答にどこか満足そうに頷くと、楯無は再びピンと張り詰めた雰囲気を醸し出しながら、ある一点を見つめる。
「ぐっ……ま、まだだ!」
楯無の見つめる先には爆発のダメージから立ち上がろうとするオータムの姿だった。オータムの機体であるアラクネは至る所に損傷があり、足取りもフラフラと覚束ない。ダメージが抜けきっていないようで、側から見てもマトモな戦闘を続行するには困難な状況であることが分かる。
「あ、あいつ! あんな状態でまだ!」
が、それでも立ち上がるのであればまだ向かってこようとしている証拠だろう。いくらダメージが残っているとしても機体にエネルギーが残っていれば戦うことは出来る。後は気力がどこまで続くかだが、大人しくしている素振りを見せないところから察するに、エネルギーが尽きようとも戦い続けるに違いない。
だがそろそろこの戦いは幕引きにするべきだ。これ以上続ける理由もない。
「一夏くん。準備して、今なら分かるはずよ。私の問いが、ね?」
「っ!」
今の一夏は専用機を持ち合わせていない、正確には奪われてしまったといったところか。
本来であればこの状態で戦わせることなどしないはずだが、楯無は丸腰状態の一夏に対して意味深な内容を伝える。彼女の問い、それはほんの少し前に伝えた一言だった。
(あぁ、そうだ。楯無さんは願えって言ったんだ。つまりこの状態であっても白式を呼び出せるってことだ!)
願えば遠隔でもISを呼び出せるなどと言った馬鹿げた話は聞いたことがない。
だが、一夏の中には自身で導き出した一つの確信めいたものがあった。
楯無の言ったことがようやく理解出来た。ISが奪われようが遠く離れていようが関係ない、友達を信頼するのと同じで離れ離れであったとしても心を通わすことが出来る。
ISは決してただの無機質な物体では無く、人間と同じ
白式は絶対に応えてくれる。呼ぶ限り、何度でも何度でも!
「こいっ! 白式!」
右腕に意識を最大限に集中し、すぅっと目を閉じた先に僅かに見える光を必死に手繰り寄せる。見えた光はいつの間にかISの展開イメージと重なり、自身の周囲を覆うように集まってきた。
「白式、緊急展開! 雪片弐型、最大出力!!」
やがて本来はオータムの手元にあるはずのコアが一夏の手元へと召喚される。IS展開の常識を覆した光景にオータムは驚くしか無かった。
「な、なんだと!? て、てめぇ何をしやがった!」
「知らねーよ! これでも食いやがれ!」
完全な展開状態となった白式を身に纏い、オータムに向かって突撃する。右手に握り締めた雪平弐型を振りかざした瞬間に
突撃の勢いそのままにオータムに向けてブレードを振り下ろす。
「ぐぅううう!?」
八本の装甲脚を集中させて一夏の斬撃を頭上にて食い止めるオータムだが、対象のエネルギーを全て無効化する零落白夜の前ではいくら防御を固めようとも関係無い。
力任せにガードを切り裂いた。
「んなっ……ぐえっ!?」
零落白夜をまともにくらって装甲脚のいくつかは完全に大破、ガードする術を無くした無防備な胴体に向かって、一夏は瞬時加速の威力を最大限に活かした蹴りを叩き込む。
ヒキガエルがつぶれたかのような声を上げながら吹き飛ばされ、部屋の端に激突するが、それだけでは済まないほどの強烈な威力だったようで、頑丈な壁を突き破ってアラクネの機体は隣の部屋まで吹き飛ばされた。
部屋に開けられた巨大な穴からは黙々と土埃のようなものが舞い上がり、先の様子を目視で確認することが出来ない。これほどに強烈な一撃を喰らったのだから、ただでは済まないはず。
とはいえ一度どうなったか確認しなければならない。先の部屋に足入れようとする楯無だったが。
「! 確かこの先の部屋って……」
一瞬入室を躊躇う。何かを知っているような口ぶりに、後を追って部屋に入ろうとした一夏も足を止めた。
「楯無さん? どうしたんですか?」
「……いえ、何でもないわ。さっさと行きましょう」
「え? あ、は、はい!」
気持ちを切り替えて部屋の奥へと進む二人。
奥に進む二人を待ち受けている光景は意外なものだった。
「くそっ、くそっ、くそっ!!」
吹き飛ばされた瓦礫の中でオータムは何度も何度も悪態をつく。現実を受け入れることが出来ずひたすらに地面を殴り続ける。こんなことがあっていいはずがない、自分が遥かに操縦歴の浅い人間に敗れるなどと。
作戦は失敗。白式を奪うことが出来なかったらだけではなく、自身も無惨に敗れ去った。残されているISのシールドエネルギーは残りわずかな上に、機体は
この状態で二人を相手に戦った結末がどうなるかを予想することは簡単だった。
だが負けを受け入れることは彼女自身のプライドが許さない。やられっぱなしで何の成果も得られずに帰還するなどあり得ない。
「大体何が簡単な仕事だ! ふざけやがってあのガキ!」
そもそも今回の作戦だって予想していないものだったのだ。
本来であれば寮の部屋に一人でいる瞬間を狙って、確実に白式を奪う予定だったはずなのに、急遽大幅な作戦変更を余儀なくされ人目が付く学園祭の場を狙わざるを得なかった。
以前、小手調としてIS学園へと送り込んだ刺客たちが何者かによって撃退されたとの情報が入り、一夏を取り巻く周囲に護衛が存在することが判明。故に迂闊に部屋へ近付くことは危険だと判断され、比較的接近のしやすいこの学園祭の場が作戦の実行現場として選ばれることとなった。
こんな急拵えの作戦なんか立てやがってと悪態をつく。
「あのガキは組織に来た時から気に入らなかったんだ。それに何がリムーバーだ! 遠隔で呼び出せるなら意味ねーじゃねぇか!」
それに一度取り返された以上、二度目のチャンスはない。一度リムーバーを使うとIS自体に耐性が出来てしまい、二度目以降はリムーバー本来の効力を発揮しなくなる。
今回の作戦と、リムーバーを用意した張本人である本人の顔を思い浮かべた。
あの顔を思い浮かべるだけでも忌々しい。自らの能力の高さと相手の能力の低さを確信したかのような見下した視線。歳下であるにも関わらず己の能力にカマかけて、人を顎で使う態度。
その少女の一つ一つの立ち居振る舞いがいちいち気に入らなかった。
「っ! そうか、そうかよっ! あのガキ!!」
そう、あくまで自分は都合よく動く駒の一つに過ぎなかったのだと。リムーバーの検証のために自分は良いように使われたのだと悟ると途端に明確なまでの殺意がふつふつと湧き上がってくる。
引き離す性質のリムーバーに対して耐性が出来る。それ故に遠隔コールが可能になったのだと。つまりリムーバーを使わなければISに耐性もできず、遠隔コールなんかも不可能だった。
使ってしまったことが自らを窮地に陥れるトリガーになってしまったことに気付く。
「殺す……殺す殺す殺す! この私の顔に良くも泥をなってくれたなぁっ!」
自らのプライドに泥を塗ったこと、それは決して許されるものでは無い。既にオータムの眼中に一夏や楯無の存在はなく、あるのはこの作戦を提案した少女に対する明確なまでの殺意だった。
人目を憚らず、汚い言葉を吐き捨ている。
吐き捨てずにはいられなかった。
と。
「―――最近のスパイは随分と間の抜けた奴が多いんだな。どこで誰が聞いているかも分からないのに、自前の装置の機能をベラベラと口に出して喋るだなんて」
「!? 誰だっ!」
誰もいるはずのない室内に突如響き渡る声。先程戦った一夏や楯無のどちらでもない声質、それと変声機でも使っているかのような機械じみた声に、得体の知れない恐怖を感じたオータムは声のした方へと振り向く。
コツコツと暗闇から近付いてくる足音が徐々に大きくなってくる。武装状態を解除しないまま、じっと足音の方角を眺めていると暗闇の中から人型のようなシルエットが浮き出てきた。
人型ということはISを展開していない生身の状態ということになる。咄嗟にオータムはツキはまだ自分にあると信じ、迫り来る影を待つ。
やがて暗闇から姿を表した影ははっきりとオータムの視界に捉えられた。
「な、何?」
「……」
オータムの視界に入ったのは確かに人だった。だがISを展開している素振りも無ければ、ISスーツを着ているようにも見受けられない。
上半身は動きやすい黒い半袖のアンダーシャツに、下は硬い生地で作られたズボン。ズボンから覗く独特のブーツは、金属が埋め込まれた強固な作りになっている。身を守る防具のようなものは何一つつけておらず、あくまで極力身軽に動けるように軽装化を重視されているように見えた。
両手には長く伸びた鍔付きの日本刀。闇の中でもハッキリと光り輝く刀身は、あらゆるものを切り捨てる抜群の切れ味を表すかのようだった。そして正体を悟られないように装着された仮面、無機質な表情を悟らない仮面は得体の知れない不気味さと雰囲気を醸し出している。
右の腰に備え付けられた二本の日本刀ぶら下げ、一歩一歩確実にオータムの元へと近寄ってきた。歩くたびにかしゃかしゃと不規則的に金属が擦れ合う音が耳障りなようで、オータムはメット越しに表情を歪める。
「てめぇ一体誰だ! どこから入って来やがった!」
「……」
オータムの問いかけに仮面の剣士は答えない。じっとオータムのことを見つめながら彼女の反応を待つ。刀を抜いたままであるところを見ると、こちらの出方次第では刀を振りかざすつもりなのだろう。
だが、所詮相手は生身の人間だ。自身を守る防具もなければ、術もない。こちらの攻撃が一発でもまともに当たればそれで全てが終わる。ISの持っている力と比べれば、人間一人が持ち合わせている力などたかが知れている。
相手はISじゃない、
「何とか言えよ! あぁっ!?」
「……」
いくら話しかけても反応しない。仮面越しにオータムの姿を捉えたまま、一足一刀の間合いに入り込むわけでも切りかかるわけでもなく、一歩たりとも動こうとはしなかった。
「この……」
先に動いたのはオータム。
あまりの無反応振りに苛立ちを隠せないまま、づかづかと剣士の元へと近付いていく。この際だ、一人でも多くの人間を巻き添いにしてやる。
そんな黒い感情を隠そうともせずに残っていた腕にあたる部分の装甲を仮面の剣士に向かって振り下ろした。
(ふん! 殺った!)
これで終わりだと、振り下ろしたはずの腕。
そう確かに彼女は振り下ろした。
自信を持ってそう言い切れる。
だが、彼女の自信は一瞬のうちに崩れ去るものとなった。
「……え?」
振り下ろす過程で急激に軽くなる腕の感覚、と同時に正面にいたはずの剣士の姿が
何が起きたのか、自分は剣士に向かって腕を振り下ろした筈だ。なのにどうして目の前から剣士の姿が消えることがあろうか。意味が分からずにただ呆然とするが遅れること数秒後、付近にドサリという金属が落下したかのような甲高い衝撃音が響き渡る。
暗くてよく見えない。
近くに落ちたであろう落下物を顔だけを動かして確認する。
「あ……な、何で」
オータムは愕然とする。
どうしてそれがそこにあるのかと。
ありえない、一体自分は何をされたというのだろう。
理解出来ない、理解出来るはずがない。
衝撃音の正体がまさか
見るも無惨に切り捨てられた断面図は鋭利な何かで一太刀されているようだった。
そしてこの場で剣や刀を抜ける存在がいるとすれば一人しか見当たらない。
「お、お前……」
自身の背後に微かに感じる気配に向かって声を掛ける。
「……」
オータムの問い掛けにもやはり答えない。
だがそこには身を小さく屈めて刀を振り切った剣士の姿があった。