IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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天才の感謝、そして水色との出会い

「……少し熱くなり過ぎたな」

 

 

 篠ノ之と一夏を残して、俺は一足先に剣道場を後にした。今は千冬さんに呼ばれたため、一人校内の職員室へと向かっている。

剣道場での出来事を振り返るとするなら、篠ノ之に目をつけられてしまい、一対一のタイマンを申し込まれたわけだが、ものの見事に圧倒してしまった。

 

あれでは少し剣術を嗜んでいますと言ったところで、信じて貰えないだろう。篠ノ之は全国大会優勝者なわけだし、その人間をあそこまで一方的にやってしまうと後戻りはできない。ただ自分の仕事を口には出していないため、護衛業をやっているのはバレていないと信じたい。

 

剣道に関しては素人だが、戦闘手段として総合格闘と総合剣術を習ってきている。型がはっきりしている剣道と、実際の戦闘を想定した総合剣術では相性の差は歴然。型もへったくれもない俺の方が自由が利くっていうのは当然だった。

 

だとしても、俺としては何事もなく穏便に済ませたかったわけで。残っていた女の子達の何人かにも見られたのは反省ものだ。

 

能ある鷹は爪を隠すなんて言葉があるけど、熱くなると隠すことなんて出来ません、はい。

 

 

過ぎたことをいつまでも引きずってても仕方ない、一度切り替えるとしよう。頬を軽く叩き、気分を入れ換えると同時に職員室の入口に辿り着いた。

 

 

「さて、と。そろそろ会議は終わったか?」

 

 

職員室の扉の前に立ち、携帯電話の時間を確認する。あれからもう一時間以上経っているから、もう会議は終わっててもいい時間か。

 

しかし話ねぇ……どんな話なのか全く聞かされていないから少しばかり不安だ。堅苦しい話はしないってことだし、変に身構える必要はないんだろうけど。

 

もしこれが堅苦しい話だと言われたら思い当たる節があり過ぎて困る所。特にオルコットに切れたことが、イギリス政府に伝わったとかな。

 

流石に国全部を相手に喧嘩を売ろうとは思わない。

 

一体どんな話をされるのだろうかと、思考を張り巡らせながら入口のドアをノックする。

 

 

「失礼します」

 

 

ドアを開けて、一礼をするとそのまま職員室中を見回す。先ほど荷物を届けに来た時より、職員室にいる人数が増えていた。

 

ついさっきは職員室からつながっている資料室に足を運び、戻る時に職員の数を数えたが、すぐに数えきれるほど人数は少なかった。今ではその倍ほどに増えている。職員会議を終えて戻ってきたからだろう。

 

 職員室に入ってきたのが数少ない男子の生徒だったために、教員から好奇の視線を寄せられる。おい、またかこのパターンは。一日目は生徒で、二日目は教員。そして三日目はIS委員会とかいうオチじゃないよな。

 

 中にはどうやら男性とほとんど接したことのない教員もいるみたいだ。俺が視線を向けると、そっぽを向いてしまう。敵意はないからいいんだけど、正直この反応は気になる。寧ろ敵意ならば無視すればいいし、明確に向けて来たら軽くあしらって逃げればいい。

 

 

……ここにも少ないけど何人かいるな、敵意を向けてくる人間が。相手にしても仕方ないし、今は無視しとくとしよう。今用があるのは千冬さんだ。

 

えーっと千冬さんの机は……

 

 

「霧夜、こっちだ」

 

 

ふと、後ろから聞きなれた声を掛けられた。声に釣られるように後ろを振り向く。

 

 

「あ、織斑先生。お待たせしました」

 

「いや、丁度いい時間だ。ここで話するのもなんだ、場所を変えよう」

 

「了解っす」

 

 

後ろから声をかけてきたのは千冬さんだった。空のマグカップを持って、そっと俺の横を通り過ぎる。

 

会議が終わって一息ついて戻ってきたところだったのか。一日ISに関する授業をしてればそりゃ疲れるよな。

 

毎時間教えてよく一日身体が持つと思う。中学時代に教師って実はブラックじゃないかなんて談義を交わしていたりもしたが、実際人によっては相当ブラックなのかもしれない。

 

マグカップを給湯室の洗面台の上に置き、再び俺の方へと戻ってくる。前もって二人で話す準備をしていたのか、既にその手には鍵が握られていた。さらに目を凝らして見ると、生徒指導室って書かれているタグが見える。

 

なるほど、問題を起こさない限りはここに呼び出されることもないし、そうそう人も寄ってこないから二人で話すには丁度いい場所と言えるってことか。

……ちょっと待て、もしかしてさっきから寄せられる好奇の目って俺が問題行動を起こしたって思われているからなのか!?

 

 

「安心しろ。さっき言ったように、重い話をするわけではない」

 

 

ナチュラルに人の心を読まないでください。これで教員の何人かは、俺が入学二日目にして問題を起こし、千冬さんに生徒指導室に呼ばれた生徒という認識をするわけだ。……嬉しくて涙が出そうだぜ。

 

 

 

―――生徒指導室。中学時代から一度も入ったことのない場所に、こんな意味の分らない形で入れるのはある意味幸運なのかもしれない。

 

 部屋の真ん中に机があり、机が対面に置いてあるだけの殺風景な部屋だった。警察ドラマに出てくる取調室をイメージしてくれると分かりやすいだろう。

さて、そんな殺風景な部屋に俺と千冬さんの一対一でいるわけだが、色々とヤバい。怒っている訳じゃないのに他の人間とはオーラが違った。

 

 

「それで、俺を呼んだ理由っていうのは……?」

 

「大きく分けて話したいことが二つある。一つ目はお前の専用機についてだ」

 

「専用機……ISのことですか?」

 

「そうだ。お前のISも学園で用意することになった」

 

 

生徒指導室に入って最初に切り出された話は、俺に専用機が用意されるという話だった。何故俺に専用機が与えられるのか、その理由を聞くために今度は俺から千冬さんに質問していく。

 

 

「一夏は分かりますけど、どうして俺まで?」

 

「一夏にも言ったように状況が状況だ。IS学園に入った以上、例え姿が分からなくとも、データ収集を目的として専用機が用意される」

 

「……」

 

 

 あくまでデータ収集が目的。どこの差し金かは知らないが、間接的に俺はモルモットってことになる。どうして男性がISを動かせるのか、何で俺と一夏だけがISを動かせたのか。

 

本当に俺と一夏をただのモルモットとしてしか見ていないのなら、専用機などこっちから狙い下げだ。実験ごときに付き合う義理もないし、付き合おうとも思わない。

 

 

「……というのは、表向きの理由だ」

 

「え……表向き?」

 

「ああ」

 

 

表向きということは、本当の理由がまだ存在することになる。実験目的ではないというのなら一体……。

 

理由を言おうとする千冬さんの顔がどうも言いにくそうな顔をしている。実験のためではないっていうんだから、それ相応の理由があるんだろうけど、他に専用機を与えるための理由なんてほとんどないんじゃ……

 

 

「束が、お前のISを作ってやってもいいと言っているんだ」

 

「………はい?」

 

 

 自分でも思わず間抜けだと思うような声を出してしまう。あの篠ノ之博士が俺の専用機を作りたいだって? そんなバカな話があるのかと、思わず耳を疑ってしまう。

 

そう思えるのは、俺が一度護衛として篠ノ之束に付き添った時の経験があるからだ。あくまで自分が認めた人間でなければ興味がなく、明確な拒絶の意思を示すような人間が言ったことを、急に信じられるかと言われたら、信じられない。

 

赴任中も完全に無視を決め込むわ、話したら話したで鬱になるような罵倒の数々。天才的な頭脳を持っていても、人に対する頭の働きというものは著しく低下していた。

 

IS学園に来る前の通話では、幾分ましにはなっていたけど、俺の中での篠ノ之束の評価というものは限りなく低い所にあった。例え過去にどんなことがあろうとも、他の人間に対するあの態度を正当化していいものではない。

 

他人を酷く嫌う人がどうして、急に専用機を用意するなんて言い出したのか。千冬さんはさらに話を続けていく。

 

 

「お前は以前、束の護衛をしたことがあったな?」

 

「え? えぇ、まぁ……」

 

 

 何故俺が篠ノ之博士の護衛をしたことを知っているのか。一瞬頭に疑問がよぎるものの、すぐにその理由は判明した。千冬さんは篠ノ之博士のことをアイツと呼べるくらいの間柄だ。だから、篠ノ之博士から俺のことを聞いていたのかもしれない。

 

そう考えると、疑問だったことが徐々に明確になってくる。IS学園に入る前に呼び出された喫茶店で、俺の家をある人物に探してもらったと言っていた。まさか特定した人物って……。

 

 

「まずその事に感謝したい。……束を守ってくれてありがとう」

 

「あ……い、いえ。護衛として当たり前のことをしただけです」

 

 

さらに千冬さんの口から出てきたのは、護衛をしたことに対する感謝の言葉だった。しかし何だろうか、その言葉を出来ることなら篠ノ之博士の口から聞きたかったと思うのは。

 

篠ノ之博士にとって千冬さんは数少ない親友なんだと思う。それを否定する気もないし邪魔する気もない。でもなぜあの人は他人を認めれないのか。少なくとも全員が全員、ロクでもない人間じゃないはずなのに。

そう考えると、千冬さんからの感謝の言葉がどこか寂しく感じた。そのせいで視線が勝手に下を向いてしまう、それも千冬さんの目の前で。

俺の変化には気付いているのだろう、ただ千冬さんはそのままの口調で話を続ける。

 

するとその口からは思いがけないような言葉が聞こえてきた。

 

 

「それからアイツも少なからず、その事に感謝していてな」

 

「え?」

 

 

にわかには信じられないような単語、"感謝"という二文字が確かに聞こえた。その単語が聞こえてくると同時に、再び視線を上げる。

 

 

「お前にかなり迷惑をかけたかもしれない。だが、あいつなりにお前に礼がしたいそうだ」

 

「それが……専用機ですか?」

 

「そうだ」

 

 

 専用機が俺に与えられる本当の理由、それは篠ノ之束なりのお礼だった。

……本当に喜んでいいのか分らない。お金で支払われるよりも、たった一つのお礼が自分としては一番うれしいもの。確かに感謝の気持ちとして、ものでお礼してくれるのもありがたいが、それよりもあの電話の時にきちっと言って欲しかった。

 

でも今だったら分かる。あの時に篠ノ之博士が言っていた最低限のお礼とはこのことだったのだと。彼女なりに俺のことは感謝してくれているのかもしれない。

 

ただまだあの人が感謝したことが信じられず、驚きは隠せない。

 

 

「……私だって驚いているんだ、アイツがまさか他人に感謝するなんてな」

 

「……」

 

意外だし、驚いているといいつつも千冬さんはどこか嬉しそうだった。篠ノ之博士が認めた人間以外に感謝をするという変化に、一番喜んでいるのは千冬さんみたいだ。

 

 

「どうだ、霧夜?」

 

「……分かりました。受け取らせていただきます」

 

「そうか。その専用機も作るのに時間がかかるらしくてな。一夏の後に作り始めるとのことだから、しばらく待ってほしい」

 

「了解っす」

 

 

 下手に突っぱねる理由もない。裏があるかもしれないが、与えられていない現時点で考えたところで意味もない。

あの人なりの感謝の気持ちを受け取っておこう。一夏の後ってことだったし、クラス代表決定戦は学園の訓練機を使うことは確定。どのみち本番までISを動かす機会すらないんだし、結局は変わらない。

 

ひとまず千冬さんが言っていた一つ目の話ってのが、俺の専用機についてのことだということが分かった。最初に言ったように話したい内容は二つ、まだもう一つの話というのは聞けていない。

 

もう一つの内容が何なのか、気になるところだ。姿勢を正すために一度立ち上がり、再び背筋を伸ばして座り直す。千冬さんも俺の様子を察知していたのか、俺が座り直したところで止めていた話を再度切り出し始めた。

 

 

「それでだ。もう一つの話っていうのは、個人的な話だ」

 

「なるほど。それでその話っていうのは……」

 

「何、ちょっとしたことだ。千尋さんは元気か?」

 

「千尋姉ですか? 元気ですよ、風邪を引いたところも見たこと無いですし」

 

 

 二つ目の話は本当の意味でプライベートな話だった。二つの話の中では一番切り出しにくかった話だったのか、千冬さんの顔がほのかに赤い。

 

その表情を見て、あぁそう言えばと、一か月ほど前に話されたことが蘇ってくる。

 

今の今まですっかり忘れていたが、千尋姉と千冬さんは昔一緒に仕事をした仲だそうで。確かドイツ軍の総合格闘を鍛えてほしいだとかいう仕事依頼が来た時に、一年ほど家を留守にしていたのを覚えている。

 

そこでISの指導に千冬さんが来てて、色々話して仲良くなったそうな。家業のことまでは話さなかったらしいけど、互いに何か引かれ合うものがあったのかもしれない。

千尋姉に話を聞くまでは、二人に名前が似ている以外に共通点なんか無いものだと思っていたから、正直意外だ。

 

後今の千冬さんの話し方ではっきりしたことは、千冬さんの方が年下だってこと。千冬さんが誰かに、さん付けするのを見るのは初めてだ。俺が引き取られた時の千尋姉は数えで十五歳、俺は数えで六歳。それから十年が経つから……。

 

 

「!!?」

 

「……どうした?」

 

「い、いえ。何でも……」

 

 

 年齢の話を考え始めたとたんに、それ以上言ったらわかるわねとでも言わんばかりの悪寒が背筋に走る。これってもしかして俺が内心で思っていたことがばれてるのか。

 

ちょっと待て、千尋姉の威圧がここまで来てるってどんだけだよ!?

 

これ以上考えるのは危険と判断し、俺は考えるのをやめた。だってまだ死にたくはないし、我が身が可愛い。

 

千冬さんは何を考えているのやらと、観察するかのような顔で眺めてくる。だがすぐにニヤリと薄笑いを返して、やれやれという表情に変わった。

 

 

「あまり女性にとって失礼なことは考えるなよ? 霧夜」

 

「あ、ハイ……」

 

 

言えるはずがない。遠く離れた場所にいる人間の年齢を心で唱えようとしたら寒気が走っただなんて。

 

 

「私もこういう仕事上、中々連絡が取れなくてな」

 

「千尋姉もIS学園の教師していることを話したら、結構びっくりしてましたよ」

 

「そうか。また近いうちにあの人とも会いたいものだ」

 

 

 知り合ってからそれなりに年月も経っているし、何年もあっていなければ人間、一度は会いたいと思うもの。もちろん二人が親しい間柄だからこそだろうけど。

 

千尋姉の話を聞く千冬さんはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。教師としての千冬さんでは滅多に見ることのできない、偽りのない素の喜び。嬉しいってことはそれだけ親交が深いってこと。今度休みに実家に帰った時には千冬さんの話をしよう、千尋姉も喜ぶはずだ。

 

 

「暇が出来たら会ってやってください。きっと喜ぶと思うので」

 

「……そうさせてもらおう」

 

 

実際に知り合っているのなら、いつかは直接会って欲しい。教師っていう忙しい仕事だろうけど、必ず会ってくれるだろうと俺は信じている。

 

 

「私からの話は以上だ。……何か聞きたいことはあるか?」

 

「えーっと……特には」

 

「なら良い。では戻れ、私はこの後も仕事があるのでな」

 

「了解っす。じゃあお疲れ様です」

 

 

 席を立ちあがって千冬さんに軽く礼をすると、俺はそのまま生徒指導室の外へと出た。最初の俺の杞憂はどこへやら、話されたのは本当に普通の話で、身構えていた自分が馬鹿らしく思える。

 

外へ出ると俺はポケットに突っ込んでいた携帯を取り出して時間を確認する。まだ時間は五時を少し過ぎたあたりで、夕食までは一時間近く時間がある。

 

 

「ん……?」

 

 

何気なく辺りを見回す。気のせいか……?

 

とりあえず一時間近く残った時間を、この後どうしようかと歩きながら思考を巡らせる。一時間じゃやれることはたかが知れているし、いい時間つぶしになるものといえば何だろう。……そう言えば昨日の荷物の整理をまだやりきって無かった気がする。

 

初日だから早めに休んでおこうと思って、夕食後は軽く体動かして寝ちまったんだったっけ。なら残りの時間は部屋の軽いリフォームでもするとしますか。

 

 

「そういや寮の購買って、軽い日用雑貨品って売ってたよな」

 

 

残りの時間をどう使うか決まったところで、ふと購買の存在を思い出す。

 

入寮二日目だし一度行っておくとしよう。足りない日用品なんかも置いてくれているみたいだし、俺自身も最低限のものしか持ってきていない。早めに揃えられるものは揃えておいた方が、後々手間にならなくて済む。

 

そうと決まれば善は急げだ。さっさと寮に戻って購買に顔を出すことにしよう。

 

 

 

 

―――寮につくとすぐ、購買へと向かう。

 

誰かと一緒に帰るわけでもないので、学校からダッシュで戻ってきた。あまり深く考えずに品物を適当に観察して、買うものは買って部屋に戻ろう。

 

ちなみに今の俺の服装は、制服の上着だけを脱いだ状態。学校では制服の着用が義務付けされているが、寮内だったら別に法律が許す範囲なら何をしても言われない。全裸で移動するとかな。

 

その制服も、着用こそ義務付けされているものの、その制服は自由に改造して良いという何ともよく分らない校則がある。

 

風紀の乱れは服装からってよく言うけど、IS学園は割と寛容なところもあるらしい。

 

 

さて、改めて購買の品ぞろえを確認したものの、これを購買といってもいいのかというほどの品ぞろえだった。

 

言うなら小さめのスーパーって感じだ。食料品、日用雑貨品も充実していて生活必需品を揃えるには何も困らないレベル。洋服までは置いてないものの、寮に設置されていることを考えればどこのお嬢様学校だと言われてもおかしくはない。

 

やることなすこと全てが規格外、流石IS学園。他の私立校に出来ないことを平然とやってのける。

 

 

「……いや、言わないぞ?」

 

 

どこかの凄い効果音が鳴り響くマンガのセリフを、言わないといけないような気がしたが、拒否させてもらう。

 

今は買い物だ。数は少ないと思うけど、誰かが部屋に来た時の飲み物とお菓子、お菓子に関しては女の子受けがいいものを買っておこう。飲み物に関しては当たり障りのないもの。部屋にはコーヒーしか置いてないから、どうしても飲めない人もいるだろう。

 

 

「飲み物はオレンジとか林檎あたりでいいよな?」

 

 

 この二種類なら多分大丈夫なはず。オレンジジュースと林檎ジュースをそれぞれ二つずつ購入する。値段はどれも手軽に買える値段だから、深く気にすることはない。

 

後はお菓子だけど、これもあからさまなハズレじゃなければ大丈夫なはずだ。クッキーとかケーキ系でいいと思う。ただ柿ピーとかするめとかは完全にはずれだな、酒のつまみじゃないんだから。パッと目についた当たり障りの無いクッキーや、ケーキ類の箱を数個籠の中に適当に入れていく。

 

お菓子とジュースで買い物かごの半分が埋まる。後は料理用の食材……は作る時に買いに行くればいいか。下手に買い込んで余らせたら勿体ないしな。

 

 

ってことは残るは雑貨品か。歯磨き粉、ボディーソープにシャンプーやコンディショナーあたりは予備を買っておこう。

 

 

「んー……もういいかな? って結構一杯になったな」

 

 

 買ったものを確認しようと買い物かごに目を向けると、いつの間にか買い物かごは雑貨で一杯になっていた。意識しないうちに相当な量を買い込んでいたらしい。一杯になった買い物かごをレジに持っていき、会計を済ませる。

 

会計を済ませて買い物袋の中に商品を詰め込み、素早い行動で自室へと戻った。行動は無駄なく効率よく、だらだら歩いていても時間がなくなるだけ。残っている時間は有効活用しよう。

 

買うものは買ったし、後は部屋を適当に整理して夕飯まで時間を潰すとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻り、ひとまずは買ってきた飲み物を冷蔵庫の中へ入れ、お菓子をあらかじめ用意しておいた籠の中に湿気無いように袋に入れたまま入れておく。

 

続いてボディーソープなどの風呂用のものは洗面台の上にある棚の上に収納、綺麗に並べると案外見栄えがいいものだ。ずっとこの状態が維持できるよう心掛けたいところ。買ったものの整理が終わったところで、残っている未開封の段ボールの整理と移る。

 

送られて来た段ボールの内の一つは、昨日部屋着兼寝巻きを出す時に整理したから、残っている段ボールは三つ。三つの内の一箱は衣類が入っているから、それをさっさと引き出しの中にしまうか。

 

 

 

 未開封の段ボールのうち、衣類と書かれている段ボールの口を開き、一つ一つ取り出してしわを伸ばすように丁寧にたたみ直していく。私服のTシャツとズボンで分け、学校に着ていくワイシャツや上着なんかはたたまずに、そのままハンガーにかけてクローゼットの中に収納した。

 

幸い一人部屋だから、クローゼットの引き出しも広々と使えるため、収納に困ることはなさそうだ。洗濯なんかも学園側で全部やってくれるみたいだし、下手に自分でやって、買ったばかりの服がしわまみれになるよりはいい。

 

衣類の整理はこんなところか。時間確認のために部屋の時計を見ると、まだ時間は十七時半を過ぎたばかりだった。素早く行動したために、思った以上に時間が経っていない。お陰様で、残りの作業にもゆとりが出てきた。

 

 

「で、三つ目が……これはコンポやら本の嗜好品関係のものか」

 

 

学生たるもの、毎日を充実させるために趣味は大切に。

 

なんて綺麗ごとを言ったところで、二つ目の箱の整理に取り掛かるとしよう。箱の中に入っているのは、コンポやら読書用の本やら様々。後は料理用のフライパンとか鍋が入っている。しかし随分強引に詰め込んだなこれ、普通コンポと調理器具って一緒にはしないだろ……。

 

 

まぁ、無事ならいいか。

 

段ボールを持ったまま立ち上がり、コンポを机の上に見栄えが良くなるように設置する。その流れで入り口付近のキッチンに足を運び、調理器具を開きの中にしまう。どうやらIS学園側も簡単な調理器具は用意してくれているみたいで、開きの中にはフライパンと鍋が一つずつ用意されていた。

 

包丁や菜箸とかももちろん、盛り付け用の皿や茶碗などの食器類までも完備。

 

俺将来就職したらここに住みたいな。ダメ? あぁ、さいですか。

 

これだけの充実ぶりを見る限り、本当に私生活で困ることはなさそうだ。これからの生活が楽しみになってきた。

 

 

 

「さて、残るは……これか」

 

 

今まで整理してきた段ボールとは少し違い、縦長の薄めの段ボールを見た。ここに来てもかとため息をつくも、ついたところで状況が一変するわけでもなく、渋々中身を確認する。

 

開けなくても何が入っているのかは知っている。箱を開けて中から出てきたのは、黒光りする鞘に収まっている五本の日本刀。……模造刀ではなく、振り下ろせば人肉など簡単に切れてしまう代物、いわば凶器として十分な威力を発揮するものだ。

 

普通の日本刀とは違い、柄のところには護拳と呼ばれる半円の大きな(つば)がついているサーベルのような造りになっている。そして何より機動性重視で重量が普通のものよりも軽い特注品だ。

 

他にも特徴があるけど、これに関してはまた今度話すことにしよう。こっちにも都合が色々とあるんでね。

 

中身が無事であることを確認し、その段ボールはベッドの下に収納した。ものがものだけに外に出していくわけにはいかないし、下手すりゃ一発で警察に連行されかねない代物。本当だったら、もっと別の手の届かないところに仕舞っておきたいが、今はそんな場所や物もない。

 

普段から使う訳じゃないし、緊急事態の時以外は用がない。任務中は常備しているが、生憎今は任務中でも何でもないから持ち歩く意味もない。出来ることなら、IS学園にいる最中にこの刀を引き抜くことがないように願うばかりだ。

 

 

 

部屋にある荷物をすべて片付け終えたところで整理は終了、ばたりとベッドの上に倒れこんだ。折角だし音楽でも流しながら、夕食までの時間を潰すことにしよう。

 

手元にあるコンポ用のリモコンを操作し、コンポの電源を入れる。起動したことを確認し、プレイリストをランダム再生にして準備は完了。コンポのスピーカーから音楽が流れ出し、部屋中を音が包み込む。

 

時間つぶしには音楽聴きながらボーっとするのが一番いいなんてよく言うけど、時間を忘れてリラックスできるというのがいいところだと思う。聞く音楽の種類も多種多様、安心感あるバラードから激しいハードロック、メタルコアから様々。

 

 

 

―――目を閉じながら流れてくる音楽を堪能し十数分、布団の心地よさにうつらうつらとし始めた頃、部屋のドアが誰かの手によってノックされた。突然の訪問者に応答するため、微妙に靄がかかっている頭を起こし、入口へと向かう。

 

出る前に、軽く顔洗って目をさましておこう。流石に出た相手がもの凄く眠そうな顔をしているのは相手も嫌なはず。というかそんな顔を俺自身も見せたくはない。親交が深い相手なら良いけど、まだ言って二日目だし、ちゃんとした身なりで訪問者を迎えるとしますか。

 

 

「悪い! ちょっと待っててな!」

 

 

入口に向かって声をかけ、すぐ横にある洗面所に入り蛇口を捻る。管から水が流れだし、それを両手ですくって顔全体にまぶしていく。

ひんやりとした感触が顔から脳に伝わっていき、寝起きの目付きが一気に元に戻っていくのが分かった。

 

タオルで顔を拭き、かけた水で少しよれた髪の毛を直して今一度鏡を見直す。特に何か変なところは見当たらない。これなら世間様に顔出しできる顔つきだ。

 

使ったタオルを籠の中に投げ入れ、そのままドアの外で待っているであろう人物の元へ向かった。

 

 

「はい、お待たせ。どちらさんかな?」

 

「よう、大和。夕飯行こうぜ!」

 

「おう、一夏。ん……今日は沢山いるな。みんな一夏が誘ったのか?」

 

「いや、たまたまお前の部屋の前にいたから誘ったんだ。何か不味かったか?」

 

「そんなことないぞ。準備するから、少し待っててくれ」

 

「了解」

 

 

 訪問者たちの先頭に立っていたのは一夏だが、今日は一夏の他にも何人かクラスメイトが付いてきていた。中には凄く見知った顔、クラスメイトだけど話したことがない顔など様々だが、俺の部屋の前にいたってことは、俺のことを夕飯に誘おうとでもしてたのか。

 

ここまで気にかけてくれるなんて嬉しいもんだ。今朝は完全にやらかしたわけだし、それでも変わらず俺に歩み寄って来てくれる。

あまり待たせるのも申し訳ないし、早く用意して食堂に向かおう。たたんである部屋着に着替え、財布と携帯を手に廊下で待っている一夏達の元へ向かった。

 

廊下には一夏の他に篠ノ之といつもの三人組。布仏、鏡、谷本の三人のことな。そのいつものメンバーの他に二人。

 

一人は俺の二つ後ろの子で、さっきわざわざISのコアについて一夏に説明してくれた。出会ってまだ全然経っていないけど、しっかり者ってイメージがある。

 

で、もう一人の子。えーっと……誰だっけか?

 

何で覚えられないんだよって言うかもしれないけど、二日間でクラスメイトの顔と名前を一致させるのは無理だって。毎日クラスメイトの顔と名前を頭の中で考えている人間なら分からんけど、残念ながら俺はしない。

 

もう一つ言いたいこと、相変わらず篠ノ之を除いた女性陣の服装が危ないです。何その見えそうで見えませんみたいな格好は、一人二人ならまだしも、三人四人と増えてくると直視出来なくなる。

 

直視出来ないのは置いといて、改めて二人には自己紹介しないとな。

 

 

「お待たせ。……二人とはこうして話すの初めてかな、よろしく」

 

「あ、そうだったね。私は鷹月静寐。よろしくね、霧夜くん♪」

 

「私は相川清香でーす!! 部活はハンドボール部で、趣味はスポーツ観戦とジョギング! よろしくね! 霧夜くん♪」

 

 

自己紹介を交わすと相川はスッと右手を差し出してくる。これってつまり握手ってことだよな?

 

 

「あぁ、よろしく」

 

 

差し出された右手に俺も自分の手を差し出して握り合う。普段そういう機会があまりないからだけど、女の子の手って柔らかいよな。

 

握ったはいいが思った以上に柔らかい手触りでびっくりだ。スポーツ……特にハンドボールなんかやるんだから、利き手は結構硬くなるもんだと思ったけど、女の子はそんな常識がないのか。

俺としては何気なく、友好の意味を込めて握っているものの、この光景を少し拗ねた顔つきで眺める子が一人。

 

 

「むぅ……」

 

 

鏡だった。あれ、何か俺まずったか?

 

いつもよりちょっとばかし目を吊り上げて、面白くなさそうな顔でじっと俺のことを見つめてくる。そんな光景に握手をした相川と隣にいる鷹月はただ苦笑いを浮かべ、布仏と谷本は相変わらずニヤニヤしているだけ。

 

一夏は何が起こっているのか分からず、篠ノ之は意外そうな表情を浮かべる。おい何だこの微妙な空気感、すごく気まずいんですけど。

 

やっべ、何かすげえ恥ずかしくなってきた。顔の表面温度がみるみる上がっていくのが分かる。うぐぐ、これは非常にまずい……。

 

と、とにかく!!

 

 

「じ、時間も押しているし、食堂行こうぜ!」

 

「別に時間は押してない……え、ちょっ! どうしたんだよ大和!?」

 

 

 恥ずかしさを何とか隠そうと、一人先にズカズカと皆を置いてきぼりに先に進んでいってしまう。後ろからバタバタと付いてくる足音が聞こえる。

俺の後を慌てて追いかけて来ているんだと思うけど、それを待っているほど今の俺は精神状態が安定しているわけではない。

 

俺ってこんなに恥ずかしがり屋だっけか、それともただ自分が自分のことを一番理解していなかったのか?

 

いずれにせよ、こういった甘い雰囲気に自分が弱いということははっきりした。何とか耐性をつけないと……何をすれば耐性がつくか? 知らん、気合いで何とかするしかない。

 

 

 

ズカズカと歩いたまま曲がり角に差し掛かろうとしたとき、ふと足が止まった。

 

 

「………」

 

「ったく急にどうしたんだよ? 何かあったのか?」

 

「………」

 

「大和?」

 

 

 追いかけてきた一夏をよそ目に、俺は来た道を振り返る。後ろから俺に遅れて、追いつこうと駆けてくる女性陣の姿があった。思った以上に俺が進むスピードあったのか、結構本格的に走ってきたみたいで、篠ノ之と相川以外の女性陣は少し息を切らせ気味だった。

 

その表情を見てようやく俺の中の熱が冷めたのか、皆の顔を直視出来るような状態に戻った。皆には悪いことをしちまった。恥ずかしかったけど、あそこで置いてけぼりに必要はなかったはず。

 

 

「あー……悪い。こういうのに耐性無くてな、ちょっと取り乱しちまった」

 

「あ、ううん。平気だよ」

 

「きりやんが思った以上に、初心だって分かったから満足だよ♪」

 

 

知られたくないことを知られてしまったらしい。だが今回のことも自業自得だった手前、何も言い返せない。

 

過ぎたことは忘れよう。

 

 

「しかし急に止まってどうしたんだ? 何か忘れでもしたのか?」

 

 

急に止まった理由を篠ノ之がたずねてくる。いや、そんな大した理由ではないんだけど。

 

 

「ああ、財布忘れたみたいでな。先に行っててくれるか?」

 

「まじかよ、なら先に席取っておくぜ」

 

「悪い、そうしてもらうと助かる。すぐに行くから……」

 

「おう!」

 

 

 普通に考えたらあり得ないと思うかもしれないけど、ものの見事に財布を忘れた。

流石に俺自身のミスなのに、ここで待たせるわけにもいかないので、先に行ってもらうことにした。何やってるんだよ的な顔をされたが、人間にもミスってのはある。鏡達にも事情を話し、また食堂で会うということで、この場から離れてもらうことに成功した。

 

食堂に向かう後姿を見送りつつ、その姿が完全に見えなくなったところで俺は再び来た道を振り向く。

 

 

 

 

 

 

 

―――生徒指導室から出た時からどうにも気になっていたんだよな、監視されていることに。

どうせ寮に帰れば無くなるだろうと思ったけど、相変わらず誰かからの視線が背後から突き刺さる。コソコソ後をつけられるのは気分がいいものじゃない。

 

財布を部屋に忘れたっていうのも当然嘘。単に後をつけて監視を続けている人間の正体を知りたかっただけだ。

 

ちなみにさっきの照れは本当だ。逆にあの照れがあったおかげで、相手にも警戒されずに済んだようだし、そろそろその正体をさらしてもらうとしますか。

 

とはいえ、正攻法で行ったところで逃げられるのがオチだろう。気配と視線こそ感じるものの、姿というものは完全に隠れていて、確認することが出来ない。こっちが出向いたところで、気付かれて終わる。失敗したら、せっかく先に行ってもらったことが無駄になるから慎重に事を運ぶとしよう。

 

 

 ふと、一夏達が曲がった廊下に目が行く。今は一夏達が通り去った後のため誰もいないが、他の廊下と違ってここだけ幅が狭い。

人が通れない狭さではないが、他の廊下と比べるとその差は歴然で俺の身長よりも幅は狭い。なら、これをうまく使わない手はない。

 

どうやら向こうも俺の姿が完全に見えなくなったところで、監視場所をころころと変えているみたいだ。この曲がり角は今いる廊下から覗くことは出来ない。

 

そう考えるとここの曲がり角を覗くには、曲がり角付近にまで接近しなければならない。

導き出される結論として、監視している人間がとる行動は一つ。引き続き俺のことを監視する気なら、間違いなく、曲がり角付近にまでその姿を近付けるはずだ。

 

方針が決まったところで作戦を実行する。霧夜家の当主を舐めないでいただこう。

 

 

 

 今一度後ろを振り返り、後ろに誰も居ないことを確認すると、俺は何事も無かったようにそのまま曲がり角を曲がる。曲がって少ししたところで跳躍し、左右の壁に向かって手足を伸ばす。そのまま音をたてないように大の字になって、天井へと忍者のように張りついた。

 

天井の高さも決して低くないから、相手も天井に張り付いたとは思わないはずだ。相手がそのまま俺を監視しに来れば俺の勝ち、逆に来なければ俺の負け。相手も俺が曲がり角を曲がったことで、待ち伏せしているんじゃないかと警戒しているだろうから、数分間はこの体勢かもしれない。そこは腹をくくろう。

 

 

最低数分間は待たなければならないと思っていた。しかしどうやら神様は今回俺にほほ笑んでくれたらしい。

 

コツッと僅かではあるが、廊下を踏みしめた音が聞こえた。つまり誰かが近づいてきている証拠。息を殺して影が近づくまで静止状態を続ける。もしここで俺が音を鳴らしてしまえば、気付かれるのは間違いない。相手が最接近する瞬間をじっと待ち続ける。

 

相手の影が見えた瞬間に飛び出せば、相手も逃げることは出来ない。目を凝らしてじっと廊下を見続ける。

 

 

―――数秒後、僅かではあるが廊下の色が変わった。

 

 

「!!」

 

 

今だとばかりに天井から飛び降り、相手が逃げないうちに廊下の曲がり角を覗く。

 

 

「え!?」

 

 

相手は完全に不意を突かれたのか、ただ驚くばかり。まさか息を殺して、天井に張り付いているとは思わなかったみたいだ。

 

 

「……俺に一体何の用でしょう? 眺めるのは勝手ですけど、後をつけるのは感心しませんね」

 

「へぇ……」

 

 

 ずっと俺のことを監視し続けていた人間がそこにはいた。ネクタイの色が黄色、どうやら二年生の人らしい。見付かったというのに、その人の余裕そうな表情は一切崩れることは無かった。

 

透き通った水色の外にはねたくせ毛が特徴のショートヘア。その瞳は宝石のルビーを思わせるような綺麗な深紅に染まり、顔のパーツ全てが整っている。

顔だけにあらずプロポーションも抜群で、出るところは出て、締まっているところは締まっている。その立ち振る舞いは、私服を着ていたら二年生には見えないほどに大人びていた。こんな時に言うのも何だが、すごく大人の女性を思わせる感じだ。

 

 

「要件は何でしょう? まさか何も無い訳じゃないですよね?」

 

 

なんやかんや言いつつも、俺からすれば彼女は得体のしれない存在だ。警戒心をやや強めながら、彼女の目を射ぬく。

 

 

「ふふっ、そんなに怖い顔しないの。ただ一回見ておきたかったのよ、どんな子なのかね」

 

「……だったら監視する必要はないんじゃないですか?」

 

「あら、そっちの方がスリルがあって楽しいじゃない?」

 

 

この人はリスクよりスリルを楽しむ人らしい。もはや後をつけていたことに対して反省の色も伺えない。まともに相手をするとこっちがペースを握られそうだ。

 

 

「……しかしまさか尾行がバレるどころか、姿まで見られるなんてねー」

 

 

 手に持っていた扇子をパッと俺の前で開く。扇子には達筆で『驚愕』と書かれていた。文字通りに驚いてくれればいいけど、正直全く驚いている様子はない。

これで全然関係ない文字が書いてあったら大恥なんだろうなと思いつつ、二年生の人に対する警戒を一時的に解除する。現時点で彼女に敵意がないのは分かった。

 

 

「驚いているようには見えませんけど……結局要件は何です?」

 

「本当に何もないわよ。今日はただ挨拶に来ただけ♪」

 

「はあ、そうですか……」

 

 

再び開かれる扇子には『挨拶大事』と書かれている。いや、確かに挨拶大事ですけど、その前に自分の監視って行動を何とかしてくださいよ先輩。そもそも挨拶するだけなら、俺の前に直接来れば、なお良かったんじゃないでしょうかねえ。

 

後その扇子のカラクリどうなっているのか是非教えて頂きたいものですね。

 

挨拶を済ませたことで一通り満足したのか、二年生の先輩はクルリと身を翻して戻っていく。が、思い付いたように途中で戻るのをやめて、再びこちらに振り向いてくる。

 

 

「後来週の代表決定戦、凄く楽しみにしてるわ。頑張ってね?」

 

「は、はい? なんでその事を……」

 

 

何故来週行われる代表決定戦に、俺が参加することを知っているのか。俺がその理由を聞こうにも、二年生の先輩は笑顔を浮かべながら誤魔化してしまう。

 

 

「秘密よ、秘密♪ あ、私の名前は更識楯無。またお話しましょう、霧夜大和くん?」

 

「……」

 

 

言いたいことを全て言ったのか、今度こそ去っていく更識先輩。その颯爽と過ぎ去るその姿は猫みたいだった。更識先輩とやらに何故か目をつけられたわけだけども、結局何が目的だったのか。彼女も親しみやすい雰囲気は出していたけど、一切隙という隙は見せなかったし、色々と分からないことばかりだ。

 

特に危害を加えるわけでもないし、今はそこまで気にしなくても良いか。

 

 

「食堂行くか。みんな待たせてるし」

 

 

監視をしていた人間が更識先輩っていう二年生だと分かったところで、俺は改めて食堂へと向かうのだった。

 


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