IS‐護るべきモノ-   作:たつな

123 / 129
ディスタンス

 

 

「ごめんなさい、大分待たせちゃったわね。学園祭終了後の雑務に時間取られちゃって……ってあら、どうしたのそんな疲れた顔しちゃって?」

 

「いや、ちょっと嵐が過ぎ去っただけさ。特に問題は無いよ」

 

「? 何だかよく分からないけど大丈夫なら良いわ。もし疲れてるならすぐに言ってね。膝枕くらいならすぐに出来るから」

 

 

千尋姉との電話を終え、入れ違うように楯無が自室へと入ってくる。入口の扉を開けて楯無を部屋の中へと迎え入れる時の顔を見て、何かあったのかと察したらしい。

 

通話の中に色々あって気疲れするような内容も含まれていたわけだが、差し当たり体調に問題はない。さらっと膝枕が出来ると言っていることについては、詳しく触れた方が良いのか悩みどころだ。

 

うん、どうしようか。いや、触れるのはやめておこう。本気で触れてほしかったら楯無の方から何か言ってくるだろうし、挨拶程度のジョークのようにも見えた。深く突っ込んだらそれこそ話が進まなくなる可能性を考えると、触れない方が得策な気もする。

 

 

「ちぇー、顔を赤らめて恥ずかしがる大和が見たかったのに」

 

 

どうやら楯無は突っ込んでこなかったことよりも俺の反応にご不満な様子。何が何でも照れさせたいのか、それともさっきの出来事を根に持っているのかは分からない。

 

 

「開口早々からかってくるやつがどこにいる。しかも俺が照れてる顔なんて誰得だよ。ほら、さっさと部屋に入れって」

 

 

入口で話すのも変な話だし何より人目につく。幸いなことに今は廊下を出歩く生徒はいないものの、ここで会話をしていれば声が漏れて誰かに勘付かれる。

会話を中断して楯無を室内へと招き入れた。何気なくやっているが、男性の部屋に毎日のように誰かしら女性を招き入れている風景も中々に異様な光景なのは間違いない。

 

背もたれ付きの椅子に座る楯無に買い置きしていたオレンジジュースをそっと差し出す。またオレンジジュースかと言われるかもしれないけど、飲み物としては早々外さない。部屋に遊びに来ることが多いナギやラウラをはじめとしたクラスメートたちに出しても好評のため、常に部屋の冷蔵庫には常備してある。

 

このオレンジジュースもIS学園の購買にしか売っていないような特注品みたいだし、他の生徒からの評価も高いのは販売員のおばちゃんから聞いている。とりあえずこれを選んでおけば間違いはない、ただそろそろ新規開拓もしてみようか。

 

 

「まずはナギちゃんの件についてなんだけど」

 

「ん、ナギの件……っていうとあれか、上級生の処遇についてか?」

 

「そ。本当は懲罰委員会が動くのは学園祭が完全に終わってからだったんだけど、予想以上に早く事が進んでね。ついさっき結論が出たの」

 

 

楯無の口から語られたのは数日前から発生していたナギに対する嫌がらせについてだった。あの後嫌がらせの主犯格とその取り巻きに関しては懲罰房に収監されて、学園祭に関しても参加を認めないなんて話を聞かされていたけど、予想以上に早い処遇が下されたようだ。

 

 

「ふむ……随分と早い結論だな。もう少し時間がかかるとばかり思ってたんだけど」

 

「本来ならね。でも今回のことに関してはあまりに悪質過ぎるし、学園側としてもネガティブな要素を手元に残しておきたくなかったんじゃ無いかしら」

 

「……」

 

 

楯無の口ぶりから、大体どのような処遇が下されたのかの判断が付く。一般校なら当然一発退学だろう、だがここはIS操縦者の唯一の育成機関である学舎。少なくとも入学出来る以上、何倍もの倍率を勝ち取って入学をしていることになる故に、一人一人の能力は紛れもなく高い水準に位置する。

 

能力の高い人間だとしたら学園が手元に残すんじゃないか、場合によっては温情の停学処分なんて可能性もチラついたが、その不安は杞憂だったらしい。

 

 

「全員退学処分。主犯格の生徒に関しては余罪もあるから除籍とともに少年院送り。残りの生徒も少年院送りにはならなくても、しばらく保護監査処分にはなるでしょうね。加えて他の高校への編入も難しいと思うわ、学歴に傷が付いた人間を受け入れる場所なんて無いだろうし」

 

 

そこに一切の温情はなかった。

 

全員退学処分。

 

つまりこの学園から全員追放することとなった。

 

経歴に傷がつくのはもちろんのこと、これまで犯した罪によって少年院送りや保護監査処分になるらしい。

ただでは済まされてないとは思っていたけど、想像以上に重たい罪状が付いていた。IS学園を退学になったという枷はどこか別の高校に編入しようとしてもついてまわることになる。

 

そんな傷のついた人間をはい分かりました、うちは大丈夫ですと快く二つ返事で招き入れる学校がどれくらいあるだろう。仮に俺が受け入れる立場だったとしたら申し訳ないけど即座に断りを入れる。

 

 

「まぁ当然ね。それだけのことをあの子たちは罪として犯したんだもの。刑務所送りにならないだけでも感謝して欲しいくらいだわ」

 

 

淡々と処遇の結果を口にする楯無だが、所々棘のある言い回しをしているあたり内心は決して穏やかなものではなく、心の整理がまだ彼女の中で追いついていないようにも見えた。

 

退学処分になったからと言っても被害を受けたナギの心の傷が癒やされるとは限らない。今は何ともなくてもふとした瞬間にトラウマとしてフラッシュバックするかもしれない。

 

何の罪もない生徒を傷付けた行為は、決して許されるものでは無かった。ましてやそれが自分の大切な後輩であり親友だとしたら尚更。

 

 

「あの時は大和が私たちの気持ちを全て代弁してくれたから黙っていたけどね、何より私も大切な後輩が傷付けられて落ち着いてられるほど大人じゃないのよ」

 

 

俺が現場にいなかったら楯無も決して容赦はしなかっただろう。自分たちの私利私欲を満たすための行為に慈悲などはいらない。それこそ彼女は『生徒会長』の肩書きを使って、徹底的に叩き潰したに違いない。

 

俺以上に容赦ない制裁を下していた可能性もあった。

 

 

「どちらにしても、これでナギちゃんに危害を加える人間は居なくなったことになる」

 

「あぁ、みたいだな。これに懲りて第二波、第三波が起きなきゃ良いけど。まぁ起きたら起きたでその時は容赦するつもりはないけど」

 

 

危険因子は去った。

 

しかしそれはあくまで今回の件に関してだ。今後同じような考え方を持つ人間が現れる可能性も決して否定出来ない。

 

次同じようなことを考える輩が出て来たら容赦はしない、徹底的に言い逃れの出来ない証拠をかき集めて地獄の底へ叩き落としてやる。

 

それは俺だけではなく、楯無も同じ考えを持っていることだろう。いずれにしてもナギの件はとりあえずの終わりを迎えた、そこに関しては多少は喜ぶべきなのかもしれない。

 

一つ区切りがついたタイミングで楯無はグラスを口へ運ぶと、乾いた喉を潤す。

 

 

「次の話題は学園祭の襲撃者についてね」

 

 

グラスを机に置くと再び口を開いた。

 

話題は襲撃者について。

 

事前に情報を貰っていたことから迅速に対応することが出来、一度は奪われた白式を無事に取り返すことに成功した。

 

 

「まずは一人目、これは大和も知っていると思うけど亡国機業の巻紙礼子……本名はオータム」

 

 

襲撃者の一人であるオータム。

 

一般のIS開発企業の渉外担当を偽って学園祭に侵入し、一夏から白式を奪おうとした張本人。一夏に会う前に俺と接触を試みるも、相手にされず断られてしまったことからターゲットを一夏に切り替えたんだろう。

 

一夏を一人隔離したところまでは作戦として合格点だが、密閉空間を選択したのが仇となり、駆け付けた楯無のクリア・パッションをまともに食らった上に、一夏の零落白夜を続け様に受けて敗北。乗っていたISは装甲の大半部分が大破し、最終的にはコアを除いた全ての装甲もろとも爆発した。最もこれは機体に搭載されていたものではなく、外に取り付けられた時限発火装置を使って遠隔で爆発させたようだが。

 

コアが無事とはいえ外装はほぼ全滅に近く、一から組み直すともなれば相当に時間がかかるはず。

 

 

「彼女に関してはかなりの大打撃を与えることが出来たわ。コアを除く外装は大破。修理するにも時間が掛かる上に、盗品のISの修理を外部依頼するわけにも行かないでしょうから当分襲ってくることはなさそうね」

 

「確かにあの状態じゃ当分動けないだろうよ。ただ、少し懸念があるとするともう一人の操縦者か」

 

 

オータムに関しては今後しばらく再襲撃の危険性は低いと判断した。が、問題なのはもう一人、最後に顔を出した襲撃者の方だ。こちらに関してはダメージらしいダメージはさほど与えられていない、機体の損傷もほとんどないことから、間髪を入れずに再度出撃することが可能となる。

 

 

「えぇ。乗っていた機体はイギリスの専用機のサイレント・ゼフィルスね。こちらに関してはほぼ無傷で帰してしまったから多少懸念はしていたんだけど……」

 

「……ん、俺?」

 

 

これからも決して気は抜けないと考えているところで、楯無が途中まで何かを言い掛けながら俺の方を見てくる。

 

な、何だ? 俺何かやらかしたか?

 

 

「大和が良い牽制になるかもしれないって思ったの」

 

「俺が良い牽制?」

 

「そ。あの時セシリアちゃんとラウラちゃんでは歯が立たなかった。でもあなたは不意打ちだったとしてもサイレント・ゼフィルスに一矢報いた。生身の人間がISに立ち向かっているのよ、私だったら熟練したIS操縦者よりも不気味に思うわ」

 

 

楯無の言おうとしていることはよく分かった。別に俺にこれからも生身で戦ってくれと言っているわけではなく、生身で戦ったことが相手に不気味な存在感を植え付けることが出来て効果的だったのかもしれないと楯無は言う。

 

何度も言うが、ISには各国の軍事兵器を用いても太刀打ちが出来ず、そして軍事兵器にも人間一人では到底対抗出来ない。強さの根底をひっくり返すことは出来ないはずなのにその一般常識を目の前で覆してみせた。

 

当然相手もたかだか人間一人に翻弄されるなんて思ってもみなかったに違いない。

 

 

「とは言えサイレント・ゼフィルスの操縦者は厄介な相手よ。彼女を止めるだけでも相応な戦力を整えなければならない。こちらはこちらで早めの対策を取った方が良いでしょうね」

 

 

次同じ手は通用しない可能性が高い、と楯無は言い切る。今回の実戦データを元に、次はこちら側のウィークポイントを徹底的に叩いてくるに違いない。

同じ戦い方では通用しない。来るべき時に備えてこちらも各々のスキルアップを含めて対策をしておかなければならないのは間違いなかった。

 

 

「後は大和が会ったっていう男性……彼に関しては既に更識家で調査に当たってるわ」

 

 

会話を交わす機会は少なかったものの、謎の男、ティオについても既に調査を進めてくれているとのこと。奴に関してはあまりにも情報が少ないせいで、結局のところ詳しい素性が何一つ分かっていない。

 

表舞台はおろか裏舞台でも聞いたことのない名前であり、これと言って何か目立つ行動を起こしているわけではなかった。調べることで多少の情報は手に入れることが出来ても、期待している内容を知ることが出来るかどうかは分からないそうだ。

 

俺自身も裏世界に携わって幾年かたつものの、ティオなんて名前は聞いたことは無い。新しい世界の創造だなんて随分と突拍子も無い話だが、単身でIS学園に乗り込み、いとも容易く逃走したところを見ると持ち合わせている実力も相当なものであるように見える。

 

 

「流石だ、行動が早くて助かる。ただここにきて亡国機業に加えて新しい勢力が加わってくると考えると厄介だな」

 

 

気が休まる暇はひとときもない。

 

一難去ってまた一難。

 

IS学園にいる以上、安息の時間はほとんど無いと捉えて問題は無さそうだ。

 

分からないのは奴がIS操縦者なのかどうか。目視できる範囲で奴が持ち合わせていたのは日本刀と逃走用の閃光手榴弾のみ。ISを起動させる素振りも無かった。

 

 

この世界でISを動かす男性操縦者として公に認識されているのは俺と一夏の二人だけ。非公式ではプライドも操縦が出来ることを確認しているが、ISを動かせる男子の共通点を見比べるとそれぞれ生い立ちや育ちもバラバラで共通点など無いように見える。

 

根拠のない強引なこじつけをするのであれば、この三人全員が遺伝子強化試験体だったとした場合だ。が、俺はともかく残りの二人が遺伝子強化試験体だと実証するものが無い。

プライドは消息不明、一夏に関しては両親こそ蒸発しているけど千冬さんっていう家族がいる。千冬さんも千冬さんで生身の状態でIS用のブレード振り回すくらいだから次元の強さを誇ってるのは間違い無いけど、千冬さんが試験体として生み出された証拠もない。

 

うーん……ダメだ、それぞれが点のままで繋げられない。どちらにしても今のままでは明らかに情報不足で埒があかなかった。この状態で頭を悩ませたところで話は平行線のまま。一度整理をする必要がありそうだ。

 

 

「でも流石ね。専用機がメンテナンス中だって聞いたからどうなるかと思ってたけど、あなたは何なく襲撃者を追い払ってしまった」

 

「まぁ、それが俺の本職だしな。対象を脅威から守ること、根底は決して履き違えたりはしないさ」

 

 

結果として一夏を護ることには成功している。何より学園側に大きな人的損害は出なかった、そこについては喜ばしい限りだった。

 

楯無としては危ない橋を渡らせたくはないと俺の作戦参加には否定的だったが、自分に与えられた本来の目的を無視するわけにはいかないと半ばゴリ押しで作戦へと参加。一夏の友達でもあるとはいえ、俺に与えられた最も大切な使命は一夏を命懸けで守り抜くこと、何があってもそこだけは決して忘れてはならない、揺らいではいけない信念となる。

 

 

「それでもつくづくあなたは規格外だって認識させられるわ。全く情報の無い相手に臆さず飛び込めるんだもの」

 

「俺だって怖くない訳じゃないさ。相手が誰であれ、生身での戦いは常に命懸け。一歩間違えたら明日の朝日は拝めないって考えると、どうしようも無く怖くなることだってある」

 

 

相手の情報などほぼ分からない上に実力も分からない。感覚としては見えない敵と戦っているような気分になるのかもしれない。

 

情報がほとんどない以上、いつどこでどのような攻撃をして来るのかを戦いながら瞬時に判断して対処しなければならないことを考えると、一回の戦闘でかかる精神的負荷は相当なものとなる。

 

もし判断を間違えればその時に自分に降り注ぐ反動は計り知れないものがあり、下手をすれば命を落とす。普通の感覚では決して踏み込むことが出来ない世界、それが俺のいる世界だった。

 

この感覚に慣れてしまうのも異常なんだろう、これまでも逃げたいと思うことが無かった訳じゃない。でもいざ仕事と向き合うとゾーンに入るというか、恐怖感が薄れて何とも思わなくなる。

 

 

「色々な後ろ盾が無ければとっくに心は折れているかもな。こうして平常心を保っていられるのも皆が、仲間がいるからだ。だから皆には感謝しても感謝しきれないよ。特に公私共に支えてくれてる楯無、お前には特にね」

 

「あら、ありがとう。でもおだてられたところで何も出ないわよ?」

 

「何も求めてないよ。だだ純粋に楯無にお礼が言いたかっただけさ」

 

 

実際公私共に支えてくれる人間は少ない。私的な部分で関わりを持つ人間は多くても、仕事として学園の中で深い関わりを持っている人間で、思い当たるのは楯無と千冬さんの二人。

 

ナギは俺の仕事や立場、生い立ちこそ知っているものの、裏側の仕事への関わりは一切ない。千冬さんは仕事の面での関わりは多くとも、常に共に行動をしているわけでは無く、あくまで千冬さんは俺にとってお客様の立場だ。

 

常に何かをする際に行動を共にするとなると間違いなく楯無であり、彼女の存在は精神的にも何より大きいものだった。

 

改めて感謝の言葉を述べると楯無は照れ臭そうに顔を赤らめる。先程のテンパり具合ではないものの、表情から察するにまんざらでもないらしい。

 

 

「そう、なら純粋に大和の気持ちとして受け取っておくわね。こんなところかしら。他に何かある?」

 

「特に……あ、いや。一つだけあるわ。明日登校したら休みになるだろ? 次の一週間、俺学園を休むことになるからその間一夏とナギ、ラウラを頼む」

 

 

楯無からの話が終わってこちらに振られると、先程電話で千尋姉から共有された内容を楯無に伝えた。

 

原則、仕事の詳細内容に関して第三者に口外することは禁止されている。伝えられたとしても協定を結んでいる関係である相手限定で、行き先までしか伝えることが出来ず、誰が護衛対象になるかまでは伝えることは出来ない。

 

 

「一週間丸々だなんてそこそこ長い期間なのね。仕事?」

 

 

楯無自身がそこまで驚いている様子がないのも、仕事が理由で休むことを何となく悟ったからだろう。

 

 

「おう。ちょっと本職の方で仕事の依頼が入ってな。土日のうちに身支度整えて海外へ飛ぶことになる」

 

 

国外に出ての仕事は幾分久しぶりのことになる。一応は一週間って期間ではあるが、場合によっては伸びる可能性もある。

 

そうなると一週間では戻ってこれないかもしれない。

 

 

「海外か、随分と遠くの出張になるのね。一週間大和がいないって考えると少し寂しくなるわ」

 

 

楯無は淡々とした口調で寂しい思いを言葉に溢す。長期休暇を除かない限り、それだけの期間IS学園から離れることは無い。流石に寂しいは大袈裟すぎるのではないかと伝える。

 

 

「そんな大袈裟な。メールなら反応出来るし、何かあったらいつでも連絡しても大丈夫だぞ」

 

「それでも、よ。メールなら確かに海外でも連絡は取れるとは思うけど、あなたの顔や声は見たり聞いたりすることは出来ないもの」

 

「そうかい。俺からしたらそんな風に想ってくれて嬉しい限りだよ」

 

 

にこやかに微笑んだかと思うと自身の手元をキュッと握り締めた。

 

更識家の資産からすれば国際電話の通話料くらいポンと出しそうなものだが、どうやらそう言うわけでは無いらしい。女の子に顔を見たり声を聞いたりすることが出来ないと残念そうに言われると、男冥利に尽きるところだ。

 

 

彼女は、楯無は。

 

俺にパートナーがいると分かっていても、こうして変わらずに自分への想いを隠さずにぶつけてくる。

 

いつか必ず俺を振り向かせて見せると。他の男性に鞍替えするような気は毛頭ないようだ。だからこそ俺も下手な気持ちでは応えられないし、おいそれと好きだと想いを伝えるわけにもいかない。

 

好きかどうかと言われれば好きなんだと思う。

 

ただこれが一人の女性としてなのか、それとも友達感覚での想いなのかはまだ判断が出来ない。中途半端な想いで応えたところで、逆に楯無を悲しませるようなことになる。

 

ナギと千尋姉とこれからも共にいると想いを伝えただけでは無く、ナギに関しては手を出している。女たらしだと言われたところで文句は言えない。むしろ既に女たらしになっている自覚はある。それでも二人が俺と共にこれからを歩きたいと言うのであれば、それに応えるだけだ。

 

あくまでお互いが了承している以上、それ以上とやかく何かを言われる筋合いも無い。

 

……って、自分で言ってて何か変な気分になってきたな。このタイミングで何つー話をしてんだ俺は。

 

 

「でも一週間いないのなぁ……折角だし大和の部屋に入り浸ろうかしら」

 

「はい? おいおい、マスターキーはずるいだろ。俺のプライバシーは何処へ?」

 

 

この生徒会長様は何をさも当たり前みたいに人の留守をいいことに部屋に入り浸ろうとしているのか。生徒会長権限で全部屋のマスターキーを持っているわけだが、もはや職権濫用もいいところだ。

 

ここ最近、俺の部屋に侵入してくる頻度は減って……いや、別に減ってはいないな。俺自身の感覚も麻痺し始めているのかもしれない。

 

すると楯無は得意げに、背後に隠していたとある物体を俺の前に差し出す。

 

 

「あら、別に良いじゃない? だって手に入れたのは私だもの」

 

「え?」

 

「じゃじゃーん! これなーんだ?」

 

「……んげっ!? 何でお前が王冠を持ってるんだよ!」

 

 

輪っかの間に手を入れながらクルクルと回す黄金に光り輝く物体。一瞬何かと考えるも、その物体は今回の劇で景品として、皆の手から逃げ惑っていた王冠だと気付くのに時間はいらなかった。

 

どうして楯無の手にあるのか。

 

楯無のことだから強引に奪ったというよりかは、さり気なく一夏の頭上から王冠を取ったか、混乱の最中に一夏の頭から零れ落ちたものを拾ったかのどちらかの気がする。

 

どのみち楯無の手に王冠がある、ということは王冠を手に入れた恩恵を受けられるのが楯無だということになる。

 

 

「さーて何ででしょう? でも大和は知っているわよね、王冠を手に入れた生徒に与えられる権利について」

 

「えぇ、存じ上げてますとも。男子生徒のどちらかの部屋に同居出来る権利が与えられる、だったか?」

 

 

何が言いたいかは分かる。

 

ただ何だろう、俺の口から言ったら負けたような気がする。というよりもしかしてこれって楯無の出来レースだったんじゃ。

 

 

「そうそう。だからこれからしばらくよろしくね♪」

 

「ノオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 

ウィンクしながら満面の笑みを浮かべてくる楯無に、もはや何も言い返す気力も湧かずにガックリと頭を垂れた。

 

予測可能回避不可能とはまさにこのことを言うのか。ニコニコと笑顔を浮かべる楯無がもはや悪魔のようにしか見えない。まさか毎日のように衣食住を共にする気でいるのか、二人揃って同じ部屋で生活しているなんてことがもし周囲にバレたら俺学園にもう登校できません。

 

頭を抱えながら楯無の顔を見ると。

 

 

「あはっ♪」

 

 

変わらず満面の笑みでしたとさ。

 

もうしてやったりと言わんばかりの満足そうな笑み。あまりにもまぶしすぎて思わず目を背けそうになるけどこれが現実です。

 

現実を受け入れたくないと椅子から立ち上がり、よろよろとした足取りで自分のベッドへとうつ伏せに倒れこんだ。ぼふっとしたクッション素材が俺の全身をしっかりと受け止めてくれる。

 

あぁ、このまま眠りに落ちてしまおうか。

 

 

「ちょっとちょっと、こんな美少女と一緒に生活できるっていうのにどうしてそんな残念そうなのよー」

 

 

案の定、俺の反応に納得がいかないと言わんばかりの抗議の声が上から聞こえてくる。決して不服というわけではない。それにこう言っては何だが、おそらくナギも俺の部屋に楯無が入りびたることを否定することはないだろう。

 

ナギ自身が誰かが幸せになることで、目に見える誰かが不幸になることを望んでいないのだから。それに千尋姉とこれからを共に歩んでいくことを後押ししたのが他でもないナギだった。

 

故に仮に俺が楯無と付き合う回答を出したとしても……。

 

 

「いや残念じゃ無い、残念じゃ無いけど世間体を多少気にしたらそりゃ思うところはあるよ」

 

 

むくりと起き上がり、ベッドの端に腰掛けなおした。

 

ぶーたれながら頬を膨らませて抗議をする楯無だが、不思議とそこに怒っているような感情は無い。

 

 

「それに楯無は……」

 

「私は?」

 

「……いや、何でもない。今言ったことは忘れてくれ」

 

 

美少女なんだからドキりとしないわけがないだろと、言いかけたところで口を閉ざすが、中途半端に名前を呟いてしまったせいで返って怪しまれることになる。

 

時既に遅し、楯無は俺の方へとジリジリと迫ってきており、表情はどことなく小悪魔じみたものへと変化していた。当然俺も逃げようとするがここはベッドの上であり、後方に下がったところで壁だ、いずれ退路を断たれてしまう。

 

その間にも四つん這いの体制のまま、楯無は俺との距離を確実に縮めて来ていた。

 

 

「えー! そんなの思わせぶりじゃない! ほら、隠し事なんてやめてちゃんと話してみなさい!」

 

「ぐえっ!? こ、こら楯無! こんなところでひっつくなよ!」

 

 

正面から飛び付かれると、首をロックするように両腕を回して俺との距離をゼロにする。完全に密着されてホールドされているせいで身動きを取ることが出来なかった。

本気で力を入れれば容易に抜け出すことが出来るだろうけど、こんなことで本気の力を使おうものなら怪我をさせてしまうかもしれない。

 

 

「ほら大和、さっさと言いなさいよ! 私が何なの!」

 

「い、言わない……」

 

 

密着しているため楯無との距離はない。だからこそ本来なら当たってはいけないところがぎゅうぎゅうと押し付けられている。束縛する力を弱める気がないのはもちろんのこと、自分の胸が俺の身体に当たって潰れていることを気付いていないのか、はたまた分かっていて当てているのかは楯無にしか分からない。

 

しかも楯無の凶悪なところはそこだけではない。スカートとパンストに隠れているが、しなやかな中に兼ね備える独特な柔らかさの脚、もとい太ももも中々に強烈なものがあった。後方に重心のある俺の足と足の間に楯無の足が突っ込まれているせいで、彼女が少しでも動くと下半身までもが密着する形になる。

 

加えてシャワーを浴びた後らしく、楯無の髪からはトリートメントの優しい香りが漂ってくるせいでまともな思考回路が働かない。女の子ってどうしてこう刺激の強い独特な香りを持っているのか、毎回毎回疑問に思うばかりだ。

 

 

「もー強情ね! いいわ、それならそれでこのまま大和の香りを堪能するから」

 

「ちょっ! 楯無やめ……ど、どこの匂いを嗅いでんだ!」

 

 

こんなに引っ付いてきているけど、俺がシャワーを浴びてないって選択肢は考えていないのだろうか。いや、まぁどちらにしても当然シャワー自体はしっかりと浴びているから問題はないんだけど。

 

学園祭での一夏の護衛役としての出演でラウラと交戦、更には亡国機業の襲撃者たちとの生身での戦闘の連続で身体はびしょ濡れで汗まみれ。この状態で人に会うのは非常に躊躇われる状態だったが故に、帰宅してからすぐにシャワーを浴びているので汗臭い匂いは消えているはずだ。

 

服も洗濯したばかりの部屋着に着替えているし、特段問題のない状態ではあるものの、いきなり人の胸元に顔を埋めてくる女性がいるかと突っ込んでしまう。

 

……もし今のやり取りで変な想像をした奴がいたら、後で打ち合いでもしようか、何しっかりと情け無用で相手してやるから覚悟しておけ。

 

宣言通り、顔を埋めたまま楯無は動かない。

 

しばし時間が経ち、ゆっくりと顔だけを上げる。

 

 

「えへへ、大和の香りがする」

 

「……一体どんな香りだよ」

 

「凄く落ち着くの、安心感があるっていうのかしら。とてもいい匂いよ」

 

「いざ言葉に出されると小っ恥ずかしいなおい」

 

 

こっちが恥ずかしいだけではないか。

 

楯無の言葉に俺の顔面が紅潮するのが分かる。汗臭いとか言われたらどうしようかと思ったけどどうやら杞憂に終わったようだ。

 

楯無は自ら離れようとはせず、身体を密着させたまま上目遣いで見つめてくる。心なしかいつもに比べると顔が赤い。呼吸も早く、小刻みな吐息が顔に当たる。

 

 

「ねぇ大和」

 

「ん?」

 

「もし、もし私がこのまま……「大和くーん」っ!?」

 

 

楯無が何かを言いかけた途端、入口の方から聞き覚えのある声が聞こえて来る。

 

時間は既に夕方。

 

食堂も既に開いている時間だし、夕飯のお誘いに来ても何らおかしな時間では無かった。同時に俺と密着していた楯無は猫が驚くかのようにぴょんと跳ねたかと思うと、慌てて俺との距離を取る。流石の楯無も、来訪者が来た状態で続ける勇気は無かったようだ。

 

が、今何か言いかけたような……。

 

 

「楯無、今何か言いかけなかったか?」

 

「あ……ううん、何でもないわ。ほら誰か来たなら早く行ってあげなさいな」

 

「ん、あぁ。分かったよ」

 

 

楯無にしては珍しく歯切れの悪い返事だった。反応がいつもと違うことに違和感を覚えつつも、ゆっくりと身体を起こすとベッドから立ち上がり、部屋の前にいるであろう来訪者を確認する。流石に来訪者を放置するわけにはいかなかった。

 

ただまぁ……少しあのままの空気に流されていたら色々と危なかったかもしれない。楯無のやつ、いつの間にあんな大人っぽくなったんだろう。それとも元々で俺が気づいていなかっただけか?

 

頭の中の雑念を振り払うかのように入口へ近づくと、外にいる人間に扉がぶつからないようにゆっくりとドアノブを回す。

 

 

「はい、どちら様?」

 

「大和くん。こんばんは」

 

 

部屋の前に居るのは既に私服に着替えたナギだった。髪が短くなったことで普段着ているはずの部屋着の着こなし方のイメージもガラリと変わっている。

 

今日はキャミソールにデニムパンツといったシンプルな組み合わせで、無駄な肉の付いていない引き締まったボディラインが素晴らしく、健康美を思わせた。サイズがピッタリとした服を着ているからなのか、引き締まった身体に反するような上半身の膨らみと、下半身の膨らみがより強調されており、

 

俺の顔を見ると同時に、屈託のない笑顔を浮かべながら挨拶を交わす。

 

あぁ、やっぱりナギはこの笑顔が似合う。数日前のような生気の抜けた作られたような笑顔は似合わない、心の底からの笑顔が絵になる。自分の目にカメラ機能があるのなら観賞用と保存用、そして自慢用と残しておきたいくらいだ。

 

さて、予想通り夕飯のお誘いだった。

 

行くことに関しては問題ないけど、部屋に楯無がいる以上一度そちらに区切りをつけなければならない。少しナギに部屋の前で待ってもらおうかと言葉を返す。

 

 

「おう、こんばんは。この時間ってことは夕飯だよな? ちょっと待っててくれ、すぐに準備をするから」

 

「うん。あ、もしかして誰か部屋に来てるのかな? それなら私先に行って席だけ取っておくけど」

 

「へ?」

 

 

ナギの一言に思わず身体が硬直する。

 

今の会話の中から、どうやって俺の部屋に来訪者が来ていることを予測出来たのか。

 

 

「あ、あのナギさん? 何故俺の部屋に誰かがいると?」

 

「うーん、女の勘かな。もしかして違ってた?」

 

 

慌てふためく様子を見つめながらクスクスと笑うナギ。この反応ではナギの言い分を完全に認めているようなものだ。現に部屋に楯無がいるのは事実、勘の一言で片付けるには些か無理があるような気もするんだけど、他に何か理由があるじゃ……。

 

 

「分かるよ、だって大和くんの香りとは別の女の人の香りがするんだもん」

 

 

呟くが声が小さすぎて何を呟いているのかまでは分からなかった。

 

ただ言われてみると部屋の前に誰かがいると気付いたのは名前を呼ばれたからであり、実際は声を掛ける前に部屋の扉をノックしていたのかもしれない。

 

名前を呼ばれる前は色々な意味でまずい状態であったために、部屋の扉をノックする音に気付かなかった。だからこそ、ナギにも俺が部屋の中で取り込み中なのかもしれないと想像出来た可能性がある。

 

これでもし俺が無反応のまま応対しなければ完全な留守、もしくは御手洗いやシャワーを浴びていて物理的にノック音や声が聞こえない場所にいると判断されていたのか。

 

いずれにしてもナギにしか分からないことだし聞くものでもない。

 

 

「じゃあ話終わらせてくるからちょっと「あら、その必要は無いわよ大和」って楯無!」

 

 

部屋の中に戻り話をする前に、楯無が俺の背後に現れて入口にいるナギを覗き込む。

 

いつも通りの雰囲気に戻った楯無は口元を扇子で隠しながら颯爽と登場したわけだが、開いた扇子には『真打登場』って書いてあった。開くたびに文字が変わる扇子の仕組みもよく分からないけど、言葉のチョイスも独特だ。

 

 

「やっぱり楯無さんだったんですね。もし大和くんが他の女の子連れ込んでたりしたらどうしようかと思ってました」

 

 

楯無の登場に対して予想通りだと言わんばかりにナギは苦笑いを浮かべた。

 

反応を見る限り、俺の部屋にいた人物が楯無だと特定していたのか、それとも俺がナギ自身が知っている人物以外は招き入れないと踏んでいたのか、おそらくどちらかだろう。

 

以前はクラスメート以外の他クラス、他学年の生徒たちも部屋の前に来ることはあったが、基本的に部屋に入れることはなかった。クラスメートに関しても複数人で来ることが多く、一人きりで俺の部屋を往訪する人物は数えるほどしかいない。

 

部屋に来る頻度が最も高い人物はラウラ、ナギ、そして楯無。後は一夏くらいだ。

 

そう考えると予想しやすかったのかもしれない。

 

 

「あら、流石の大和もそこまでタラシじゃないと思うけど。ね、大和?」

 

「ははは……ソウデスネー」

 

 

もはや笑うしかない。

 

とてつもない脱力感にはぁとため息が溢れる。

 

 

「こーら、男の子がため息なんかついちゃダメだぞ♪」

 

 

ケラケラとからかってくる楯無だが、誰のせいだ誰の! と心の中で思わずツッコミを入れる。いつも通りの楯無に戻ったのは良かったけど、その反面俺の気疲れはマックスだ。

 

 

「はいはい、分かりましたよ。っと、夕飯だったな。ちょっと財布持って来るから待って「はいこれ、大和の財布」……ありがとう、助かるよ」

 

 

俺の行動をある程度把握しているようで、楯無が差し出してきたのは俺の普段使っている財布だった。気の利いた楯無の行動に素直に感謝の言葉を伝える。

 

本当、こういうところも楯無は気が利くんだよな。周囲のことをしっかりと見たり聞いたりしなければ出来ない芸当だ。

 

準備も整ったことだし、さっさと食堂へ向かうことにしよう。

 

 

「さて、それじゃ行こうか」

 

「うん。あ、楯無さんも一緒にどうですか?」

 

「いいの? それなら喜んでご一緒させてもらうわ」

 

 

三人並んで食堂へと歩き出す。

 

俺が真ん中で左隣にナギ、右隣に楯無といった布陣だ。はて、どこかで見たことがあるような布陣な気がするような……。

 

 

「これって少し前に皆で食堂に行った時に似てるね」

 

「確かに、言われてみればそうだな」

 

 

あぁ、そういえばそうだった。

 

ここにラウラがいれば数日前の風景とピッタリと重なる。

 

あの時は楯無が引っ付いてきて大変だったなと物思いに老けていると、ふと右腕が柔らかい何かが当たっていることに気付いた。

 

なんてデジャヴかと視線を右下へと移す。

 

 

「〜♪」

 

「やっぱりか」

 

 

数日前と同じように自分の身体を密着させる楯無、一つ違うのはあの時に比べると幾分、今日の方が幸せそうな表情を彼女が浮かべているところだろう。

 

ご機嫌な様子で鼻歌を歌う楯無に対して離れろと言うことが出来ず考え込んでいると、今度は反対の腕に柔らかい感触が伝わってくる。楯無がいるのは右側で左側ではない、つまり今俺の左腕に伝わってくる感触の正体は。

 

 

「わ、私だって本当は大和くんとこうして……」

 

 

ナギだった。

 

顔を耳まで真っ赤にしながらも、しっかりと左腕に抱き付いたまま離そうとはしない。前回は何を抱きついているのかと、楯無を引き剥がそうとしていたのに、今回は何故か楯無側へとシフトチェンジしている。

 

人前だから自重しているけれども本当はもっとあなたに甘えたいと、恥ずかしがりながらもナギの言葉からはそう受け取ることが出来た。経緯が経緯とはいえ一度は身体を重ね合い、一歩踏み込んだ関係にまで発展している。

それにナギの心の中に潜む傷はまだ完全に癒えているわけではない、今は少しでも誰かに縋りたい、甘えたいと思うのが当然。元々あまり自分の意見を押し通すような性格ではない。だからこそ内に秘めた想いは人並み以上のものがあるに違いない。

 

なら俺が彼女の受け皿になってあげればいい、俺に全てをぶつけて来ればいい。

 

それがどんな内容だったとしても。

 

自分たちの知っている生徒が通る廊下で大切なパートナーと、大切な仕事仲間に腕を抱き締められて歩く姿はどう映るのだろう。幸いなことに今は誰とも鉢合わせずに歩いているけど、誰とも会わないなんてことはないはず。

 

 

「大和、両手に花ってどんな気分?」

 

 

何故今それを聞いたし。

 

まぁ本音を言うのであれば……。

 

 

「ここでそれを聞くのか……いや、恥ずかしいけど悪くないかもしれない」

 

 

建前と本音があるとすれば間違いなく本音になる。

 

少なくとも美少女たちに抱きつかれて悪い気分にはなる男子は居ない。

 

 

「大和ったらやらし〜、あだ名はムッツリーニ首相ね」

 

「偉人の名前を勝手にもじるんじゃありません!」

 

 

もはやただの悪口だ。

 

楯無としては俺の反応を見て楽しんでいるんだろうし、どう答えたところでからかわれるのは目に見えている。

 

なら、ここは正直に答えるのが得策。

 

 

「あの、大和くん。もし嫌だったら遠慮なく言ってくれていいからね? 私だけが良くても、大和くんが迷惑だったら意味ないから……」

 

 

控え目に無理しなくていいよと尋ねてくるナギに思わず感動してしまう。

どこまでいい子なんだこの子は、この性格の良さは人に真似出来るようなものじゃなく、まさに天使そのものを体現しているようだった。

 

 

「大丈夫、俺は嫌じゃないからナギがしたいようにすれば良い」

 

「あ、あぅ……」

 

 

生徒たちが行き交う廊下で腕を組むのはハードルが高かったか、恥ずかしさから頭がショートしたようで、ボンっと頭から湯気を出して俯いてしまう。

 

――結局、楯無が何を言おうとしていたのかは分からずじまい。ただいずれ、彼女の口から話してくれるのを待つことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は夕刻。

 

廊下の窓から差す夕日の光が、一時の平和を祝福しているように見える。

 

新たな敵、未知の組織との遭遇。

 

未だかつて体験したことのない脅威がすぐそこにまで迫っているのかもしれない。

 

 

 

それでも今、この瞬間は。

 

 

「大和くん、早く行こうよ」

 

「ほら大和、さっさと行くわよ」

 

 

この瞬間だけは。

 

 

「待てって。そんなに引っ張らなくても食堂は逃げて行かねーよ」

 

 

彼女たちに振り回されるのも悪くない。

 

二人に連れられるままに食堂へと向かう。

 

腕を組みながら食堂に入ったことで中にいた生徒たちに「ハーレム王だ!」とか「王になって一夫多妻制度でも作るのか!」などとからかわれるのはまた別の話だ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。