二人の姉の再会
『We will be landing at……』
「んぁ? もう到着か」
着陸時の機内アナウンスが流れると共に閉じていた瞼をゆっくりと開ける。約十数時間にも及ぶ長い長いフライトを経て、こうして現地へと到着した訳だが、長時間座ったまま眠りについていたことから身体が重たい。
少しでも安眠をとアイマスクを付けて眠りについたことで、俺の視界は相変わらず暗いままだ。安眠とまでは行かなくとも、十分な睡眠を取ることが出来たために不思議と眠気や疲労感は無かった。座りっぱなしだったことによる身体の硬さも、時間が経過すれば改善されることだろう。
アイマスクを取ると窓から太陽の光が差し込んでくる。日本と時差があるからこっちはまだお昼くらいの時間になるのか。時差ボケだけが多少不安なところだけど体感で変にボケていることは無いし、まぁ恐らくは大丈夫なはずだ。
「ん?」
「……zzz」
ふと、左肩から腕にかけてほんのりと重みを感じる。
あぁ、そうだ。
席はすぐ隣だったんだっけと、隣にいる相方である
着陸時のアナウンスが流れたとはいっても、飛行機が滑走路に接地するまで少しばかり時間はある。起こすのは飛行機が止まってからで良いだろう。
しかし本当にこうしてみると、自分と九歳も歳の離れた姉には到底見えないよな。
普段の顔立ちや笑った時の顔立ちは年齢不相応に若く見えるけど、寝ている顔はより幼く見える。女性の平均を上回る長身と、周囲の男女を虜にするワガママボディがあるから一定の年齢を超えてることは確認出来るが、未だにアルコールの類を買いに行くと年齢確認されることもあるらしい。
私はそんな子供じゃ無いっ! って毎回むくれ面してるけど、そう見えるんだから仕方ない。千尋姉の年齢だと本来なら若く見える事を喜びそうなものだけど違うのか。まぁ学生の頃の方が大人に見られて大人の方が子供に見られるっていうのも複雑なのかもしれないけど。
「う〜ん……うん、うん?」
寝たままの姿を観察していると視線に気付いたのか覚醒する。目をしばしばさせている姿を見ると、どうやらまだ完全な覚醒には至ってないようだ。俺の腕に身体を預けたまま顔だけを俺の方へと向ける。
「あーごめん、起こしちゃったか。もう少しで空港に到着するみたいだけど、まだゆっくりしてても大丈夫だぞ」
「うん……なんか、大和からナギちゃん以外の女の香りがする」
「は?」
起きて早々それかと思わず間の抜けた声が溢れてしまう。
というかどんな嗅覚だ。
他の人の匂いを嗅ぎ分ける犬のような嗅覚があるとしたら分からなくはないとはいえ、IS学園の制服は着替えているし、シャワーも浴びてきたから洗剤の匂い以外は完全に消え去っているはずなんだけど。
顔は寝ぼけたままながらも俺の腕から頭を離すと、じーっと俺の顔を見ながら問い詰めてくる。
「まーたあなたは女の子をたぶらかしたのねー?」
「んなっ!? ちげーって! 勝手に決めつけるなよ!」
「本当かしら? 何か隠しているような気もするけど……良いわ。後でゆっくりと聞かせてもらうから」
女の勘って怖い。
ここ最近ナギ以外の女性、主に楯無から引っ付かれることが多かったけど、それを感じ取ったのかもしれない。更識家という存在については千尋姉も認知しているし、現当主間で協定を結んでいることも知っている。だが俺と楯無の距離感が非常に近く、何とも言えない関係になりかけていることに関してはまだ話せていない。
……さて、そもそも何故千尋姉と行動しているのか。
事の始まりは昨日の下校時刻まで遡る。
「少しの間日本とおさらばか。そう考えるとちょっと寂しいものがあるな」
週初めの登校日、一日の全ての授業を終えて既に下校時刻となっていた。今日の授業を最後に一週間、俺は日本を空けることになる。
期間にして一週間、ある意味季節外れのゴールデンウィークみたいな感覚とはいえ決して休暇のための休みではない。れっきとした仕事であり、そこに楽しもうとかリラックスしようとか腑抜けた気持ちは微塵も無かった。
この仕事は人の命を預かり、護る仕事だ。仕事の大きさに程度の違いはあれども、決して油断することは許されない。何が起こるかなんて分からないのだから。
もしかしたら一週間では戻ってこれないかもしれない、それこそ怪我なんかをしたらしばらくの期間、学校に復帰することすら出来ないかもしれない。
本当毎回仕事に入る前の日って胃がキリキリするよなぁ。
コレばかりは何回仕事をこなしたところで慣れるものじゃない。一時的なもので仕事に入ってしまえばすぐに治るような症状だ。故に特に気にするようなものでは無いとは言っても、気分としてはあまりいい気分にはならない。
「荷造りも完了。千冬さんと楯無に伝えて、ナギにもボヤかし気味に伝えたし、他のメンツには家庭の用事で休むことにしてあるから事前工作は完璧っと」
もういつでも出発出来るように荷造りは済ませてある。滞在期間が少し長いために大荷物になってしまったので、大きな荷物は昨日のうちに海外に向けて輸送してもらっている。何でも特別な航空便を使ったようで日本時間だと今日の夜、現地時間だと午前中のうちには到着するらしい。現代の輸送技術ってやっぱり凄い。
担任である千冬さんには仕事でしばらく休む許可は貰っている。元々入学する時に長期にわたって休む可能性があることは伝えてあるし、許可を取るのにさほど時間は掛からなかった。大怪我だけはしてくれるなよと、照れながらも身を案じてくれるあたり人間としての温かさを感じる。大怪我して一度千冬さんには気を失うレベルでの容赦無い拳骨を食らっているし、心配をかけさせない意味でも無事で戻ってこようと改めて決心した。
言い忘れていたけど、学園祭前に預けた専用機、不死鳥のメンテナンスについては海外に飛んでいる間に終わるようで戻り次第返却されるらしい。進捗を確認したところ特に欠陥が出ている場所や故障している箇所も無いので、引き続き使っても大丈夫との結論になりそうとのことだった。
ただし、
どちらにしても率先して使っていこうとは思わない。使うのであれば、本気で命の危機に面した時だけだ。
また俺が不在である期間の一夏の護衛については楯無と、霧夜家から一人護衛を付けてもらうことになった。この護衛については一夏に帯同するわけではなく、校舎の外から一夏を見守ってもらうことになっている。つまり一夏との接触はなく、一夏は自分が守られていると勘付く可能性も低い。
この措置に関しては、楯無に集中する負荷を分散させる意図がある。
いくら楯無や周辺の人間が頼りになるとはいえ、彼女にこれ以上の負荷を掛けるわけにはいかなかった。現に一度無理が祟って体調を崩し、俺の前で倒れている。楯無のことだし、表面上は顔に出さないように仕事をこなしていくに違いない。そのせいで気付くのが遅れて体調を崩してしまったら元も子もない。楯無の代わりはいない、無理をさせない意味でも多少の代役はこちらとしても立てる必要があった。
「よし、帰るか」
夜には空港に到着している必要がある。既に準備は追えているので特別急ぐ必要はないけど、逆にゆっくりとくつろいでいる時間も無い。事故なんて早々起こるようなものでは無いけど、万が一に備えての早目の行動はしておいて損にはならない。
さっさと家に帰って、軽く一息ついたら直ぐに出発することにしよう。荷物を片手に自席から立ち上がり、教室から出ようとする。
……そう言えば。
帰りのホームルームに珍しく千冬さん来なかったな。忙しい人だし、授業を山田先生に任せていることも多い。ただ割と帰りのホームルームには出席していることが多いんだけど、今日は一度も顔を出すことが無かった。
誰も話題に上げることは無かったのは、多忙な身であることをクラスメートたちが良く認識しているから。特に深く気にするようなことでも無いし、この学園にいる以上何か起きたとは考えづらい。それより何より世界最強のあの人が誰かに遅れを取るような姿をイメージが出来ない。
IS相手に生身で互角に戦うことが出来る数少ない人間……のはず。実際に戦ったところは見たことがないものの、普段の身のこなしを見る限りIS用の武装を補助無しで振り回すくらいは容易に出来るに違いない。
一回手合わせしてもらいたいと思うも、本気で力をぶつけ合ったら周囲に被害が出かねないことを考えると、言い出すことは出来なかった。
機会があるのなら一度生身で、手合わせを願いたいものだ。
「ねぇねぇ、あんな生徒うちにいたっけ?」
「え、どれどれ? あ、もしかしてあの子!?」
ん、何だ?
やけに周囲が騒がしいような気がするんだが。また一夏あたりが何かやらかしたのか?
聞こえてくる話を聞く限りだと一夏関連の話ではなくて、ウチの生徒に関する話題のようだ。
いるよな、急にイメージチェンジしてきて次の日から全くの別人のような雰囲気になっている子って。髪を切ったナギなんかも清楚なお淑やかなイメージからガラッと変わって、どこか活発な感じになったし。
話の内容がそれと同じなのかは分からないので大まかな予想になるが、見覚えのない生徒がいて、実はイメージチェンジした誰かでしたってオチだろう。そこまで気にすることは無い内容にも思えた。
「うわ! 凄いキレー……モデルさんみたい」
「本当に一年生なのかな? リボンの色見ると確かに一年生の色だけど、雰囲気だけ見ると年上に見えるって言うか……」
「身長も高くて美人でスタイルも良いってどんな無敵超人なのかな、ちょっとで良いから胸部装甲の栄養が欲しいなぁ」
「私はあの足が堪らない……どうやって鍛えたらあんなスラっとした美脚になるのかしら」
「足もいいけど、あの引き締まったウエストからお尻にかけてのボディラインも中々じゃない? てかちょっと待って、そもそもウチの生徒? もしかして転校生とかってオチ?」
しかし今回はどんな仕事内容になることやら。海外に飛ぶってことは分かるけど、詳しい仕事の内容については空港についてから説明があるみたいで実の所、要人の護衛としか聞かされていない。
何なら行く場所も聞かされていない。日を跨いだ場所に行くっていうのは聞かされているけど、全世界で日を跨ぐような場所は多数ある。昼夜が逆転することは確定しているので、飛行機の中で多少なりとも寝溜めしておく必要があるだろう。
大体どこでも寝ることは出来るけど、座りながら寝るのって結構身体に負担が来るんだよな。
「ね、ねぇ霧夜くん。霧夜くんを訪ねて来た生徒がいるんだけど……」
「え、俺?」
耳だけは周囲の会話を聞くようにしていたからどんな話になっているかは大まかに把握はしている。どうやら誰もが羨むスタイルと美貌を持ったどこかのクラスの生徒が俺のことを尋ねて来ているらしい。
教室を出掛けたところで、入り口付近にいる生徒が声をかけて来たことで顔をあげる。声を掛けてくれたのはクラスメートの国津だった。相川の席の後ろに座っている生徒で、たまに話すことがある。
名前を出さないってことはクラスメートの一人じゃ無いことは分かった。半年間生活を共にして来たクラスメートの名前を覚えていないってことは考えづらいし、名前を知らないとなると別のクラスの生徒である可能性が最も高い。
下手をすると他学年の生徒になるのか、ここ最近俺のことを尋ねてくる生徒はあまりいなかったし、久しぶりの出来事に入学したばかりのことを思い出す。あの時は毎日のように俺か一夏指名の来訪者が跡を絶たなかったなと。
しかし誰だろう。
ここ最近何か目立つようなことをした覚えは……いや、してたわ。学園祭の時にクラスの出し物で執事をやったし、生徒会演劇のシンデレラでは一夏のお助けキャラを演じてたわ。
となると誰かも検討がつかないぞこれ。喫茶店の時は関わった生徒が多過ぎるし、全員の顔を完璧に覚えている訳じゃ無い。演劇に関しては全校生徒の何人が参加していたのか把握することなど不可能、もはや顔と名前が一致しないレベルだ。
念の為に本当に俺宛に尋ねて来たのかを確認する。
「本当に俺宛なのか? 一夏とかじゃなくて?」
「うん。織斑くんの名前は出していなかったし、霧夜くんって珍しい苗字だから一年には一人しか居ないと思うんだけど」
「あー……」
確かに国津の仰るように同学年で霧夜姓の生徒は一人として居ない。そこだけは以前確認している。俺の苗字を出している時点で、その生徒は俺宛に尋ねて来ていることが確定していた。
このタイミングで一体何だろう。
「でも見たことない生徒なんだよね、他のクラスの人も知らないみたいだし。リボンは一年生のリボンをつけてるから一年生だとは思うんだけど、誰も知らないって変な話な感じするよ」
「言われてみればそうかも、ちょっと変な話だな」
誰も知らないなんてそんなことあるのか、むしろそれってウチの生徒かどうかも怪しい気がするんだけど。俺指定で会いに来ているのも気になるところ、その生徒は俺のことを知っているってことになる。
ただ他の生徒は該当の生徒のことを知らない、他学年の生徒かと思えばリボンは一年生のリボンをつけていると来た。
ますます謎ばかりが深まるばかり。兎にも角にも俺宛に来たのであれば一度会うことにしようか、このまま待たせても申し訳ないし。大多数の生徒が行き交うこの場であれば、仮に敵勢力の人間だったとしても変なことを起こすことは無いはずだ。
「とりあえず会ってみるよ。その生徒ってどこにいるんだ?」
「入口出て少し歩いたところで見たから、まだそこにいるんじゃないかな?」
「了解、助かる」
お礼を伝えると、教室から出て言われた通り少し先へと歩いていくと、言われた通り人だかりが出来ている場所がある。結構な生徒がいるところを見ると、よほど人目を引く容姿なんだろう。
合えばどんな生徒なのかは分かるし、会ってから話を進めていくとしよう。
「はいはい、ごめんよー」
人混みを掻き分けて目的の人物の元へと向かう。向こうは俺のことを知っているのであれば、俺の顔を見れば真っ先に反応を見せるはず。まさかこの期に及んで興味本位で俺の名前を出してみましたとはならないはず。
放課後一人呼び出すのなら話は別だけど、これだけ多くの生徒がいる状況下で俺の名前を呼んで冷やかすだけのメリットが感じられない。何かしら用がある可能性が高い、加えてここにいる生徒たちが知らない人物なだけで俺が知っている人物である可能性も考えられる。
人混みを掻き分けてやがて先頭まで行き着くと、そこには一人の生徒がいた。俺の存在に気がついたようで、くるりとこちらを振り返る。
「あっ……」
声を漏らす女子生徒。
立ち居振る舞いから周囲の生徒とは違う。誰もが認める美少女、その出立ち全てが完璧そのものであり、彼女の周りを纏う雰囲気がそう認識させていた。
スカートからスラリとのびた、無駄な肉が全て削ぎ落とされたような長い足。栄養不足のようなただ細いだけの足ではなく、しっかりと鍛えられて程よく筋肉のついた健康的な足だった。他の生徒よりも丈の短いスカートに際どさを感じることが出来る。
引き締まったウエストラインに相反するように自己主張の激しい上半身と下半身。出るところは出て引き締まるところは引き締まっている。制服の胸付近は捩れて若干シワが出来ているのが見えることから、身の丈のサイズはあっていても胸のサイズが追いついていないことが分かった。下半身周りもぴちぴちと言うか……こう、男性の欲望を体現しているだけでは無く、世の中の女性も羨むレベルのスタイルの持ち主らしい。
こんな女子生徒が居たのかと俺は視線を顔に移す。すると視線が合ったことでどこか幼なげな人懐っこい笑みを浮かべたかと思うと、こちらに向かって駆け寄ってくる。
何だか千尋姉に凄くよく似ているような……。
って、え? 千尋姉?
「あはっ、みーつけたっ♪」
聞き覚えのあるどころか何度も聞いたことのある嬉しそうな声を上げると、走った勢いそのままに俺に向かって飛びついて来た。
「へ……えっ!? な、なんでこんなところにちひ……もががっ!?」
何かを言わせる暇もなく抱きかかえられる、柔らかい感触と共に男のロマンとも呼べる双丘に顔が突っ込んだ。
「「えぇええええええええっ!!?」」
周囲から悲鳴にも似たような歓声が湧き上がる。側から見たら知らない誰かが俺のことを襲っているようにしか見えない。
っていうか周りが見てるから! 俺の世間体がヤバいから!
埋められた顔を必死に抜け出そうとするも、想像を絶するレベルでの力で抱き締められているせいで抜け出すことが出来ない。
間違いない。
IS学園の制服は着ているけどこの感触はもちろんのこと、仕草や声、笑った時の人懐っこい癒される笑顔を浮かべられる人物は俺は一人しか知らない。
霧夜千尋。
紛れもない俺の義姉だった。
というか何で千尋姉がIS学園に? そもそもどうしてIS学園の制服を着ているんだ?
そりゃ生徒のサイズの制服を着たら、丈が合うものはあったとしてもどう考えても胸部装甲が収まり切る訳がない。着ている服や化粧の度合いによっても雰囲気はガラリと変わる。
化粧をすれば大人びた雰囲気に見えるが、千尋姉はどこかに出掛ける時もほぼノーメイクで出掛ける、メイクをしなくても十分過ぎるくらいの美貌を保てているからだ。ノーメイクで出掛けると幼なげな表情そのままのために、まだ十代ですと言ったところで何の違和感もない。
元々顔が童顔のために実年齢よりも低く見られることが多いが、一度制服を着てしまえばもはや学生そのもの。今年二十台半ばを迎える人間とは誰も思わないだろう。何なら初めて会った十代半ばの時の方が大人っぽく見えたというのはここだけの秘密だ。
「もー、凄く探したのよ? IS学園って広いし、どこに何があるかなんて分からないし……色んな生徒に聞いてようやく見つけたんだから」
「わ、分かったから。分かったからここで人を抱きしめるのはやめい! 恥ずかしいだろ!」
二人きりならまだいいけどここは完全に公衆の面前、どんな公開処刑だと嘆きたくなる。千尋姉のことを知っているナギとかだったら見られても……いや、ナギであっても抵抗感あるな。
もしこの光景を千冬さん辺りに見られでもしたら。
「おい、霧夜。お前に客人が来ているんだが目を離した隙に何処かに行って……」
「いっ!?」
「あら?」
一番見られたらまずいであろう人物の登場と共に、周囲にいた生徒たちが一斉に散開して行く。俺と千尋姉のじゃれあいを見た瞬間に、千冬さんを纏う空気が一気に絶対零度へと強制冷却された。
表情は一切変わらないものの、明らかに先ほどまでとは違う空気感に猛烈に逃げたくなる。が、残念なことに千尋姉に抱き寄せられたままのせいで逃げたくても逃げることが出来ない。
廊下にポツンと残る俺たち二人と千冬さん。ついさっきまでの喧騒は何処へやら。こんな時ばかりやたら連携良すぎじゃないですかね。
頭を掻きながら何をしているんだと、大きくため息をつきながら千冬さんは言葉を続けた。
「……何してるんですか」
「えーっと、姉弟のスキンシップ? むしろ千冬のところではやらないの? 確か弟がいたでしょ」
いきなり何言ってんだウチの姉は。
千冬さんに対して堂々と口を聞けるなんて、この世の中で探してもこの人だけな気がする。
そんか千尋姉の回答に対して呆れ気味に千冬さんも答えを返す。
「やりませんよ。それにその制服どうしたんですか、制服の貸し出しはうちではやってなかったと思うんですが」
「え? 立ち寄った教室に沢山置いてあったから、ちょうど良さそうなサイズを借りちゃったんだけど……変かしら? 一応近くにいた生徒にも許可は取ってるわ」
おお、あの千冬さんが手を焼いている。珍しい光景もあるもんだ。
確か千尋姉は総合格闘技の教官として、千冬さんはIS教官として勤めている時に出会ったって話は聞いているけど、どんな思い出があるか、などの深い話までは聞いていない。
「あぁ、いや。決して変ではないんですが……んんっ! とにかく、このままでは話が進みませんので、一度部屋に戻って来て貰ってもいいですか?」
いや、そこは変だって言い切っても良いような気がするんだけど。偶々立ち寄った教室に置いてあった制服を借りるなんて普通だったらやらない。この二人の人間関係を見ていると、どうやら立場が上になるのは千尋姉なようだ。
今でこそこんな丸い性格の大人しいポンコツ姉だが、一度指導者としての立場に立ったり、仕事モードに切り替わったりすると全くの別人のような立ち居振る舞いになる。おそらく千冬さんも仕事モードの千尋姉を見たことがあるんだろう。
あれを一度でも見たら本気でトラウマになる。アレを同じ人間だと言ってはならない、体験した身から言わせて貰うけど間違いない。仕事に関わりがなければ本当にただの可愛いだけの姉さんなんだけど、世の中って分からないものだ。
「えぇー! またあの部屋に戻るの〜? 折角大和に会えたのにぃ!」
俺と会う前にいた部屋があるんだろう。話は最初に戻るけど、どうして千尋姉がIS学園にいるのか気になるところ。千冬さんの口ぶりからすると呼ばれたというより押しかけたようにも見える。
そうこうしている間にもぶーたれながら千冬さんに抗議をする。誰かこの残姉さんを何とかしてくれ。
「そうは言ってもですね……(おい霧夜、何とかしろ)」
……何だろう口調は普通なのに、何とかしろと言わんばかりの物凄い圧が千冬さんから飛んできた来たような気がするんだけど。
いやいや、俺に何とかしろって言われても。板挟みになっている俺を見て千尋姉はニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべてるし、というかそろそろ離してくれると嬉しいんだが。
男としては嬉しいんだけど、抱きしめる力が強くてリアルにアザが出来そうだ。
「よく分からないけど、とりあえず一度部屋に行こうか。こんなところでバタバタしてたら他の生徒も落ち着かないだろうし」
「……分かった。大和成分は補給出来たし、一度戻ることにするわ」
納得が行っていない表情を浮かべながらも、渋々千尋姉は俺から離れた。
見たこともない美少女に抱きつかれる男性操縦者、か。学園に戻ってきた時に質問攻めに合いそうだ、嬉しすぎて涙が出てくるぜ。
「あぁ、そうだ霧夜。お前も来い(よくやった)」
「はい、そうさせて貰います。どうせこの後姉とは一緒に行動する予定ですから(ははは……これくらいなら協力出来る範囲で協力しますよ)」
千冬さんに促されるまま、俺は別室へと招かれるのだった。
「でも何でIS学園に? 空港で合流する予定だっただろ」
「うん、最初はそのつもりだったんだけどね。少し久しぶりに大和に会えるって思ったら嬉しくなっちゃって、つい」
部屋を移した俺たちは職員室の近くにある別室に待機していた。千冬さんはお茶を淹れるために給湯室へ行っているためにここには居ない。この部屋には俺と千尋姉の二人きりの状態だった。ちなみに先程まで着ていたIS学園の制服は色んな意味で誤解を招く可能性があるとして着替えて貰った。
あまりにも似合いすぎて違和感が無さすぎる。リアルに高校生にしか見えないのは反則だ。
どうしてIS学園に来たのかと理由を尋ねると、久しぶりに俺と会えるのが嬉しくて我慢が出来なくなってしまったからだという。久しぶりとはいっても会っていない期間は二ヶ月弱だ、久しぶりの定義に当てはまるかどうかと言われるとなんとも言えないところだろう。
ただ、そこまで想ってくれているって考えると嬉しいのは間違いない。
「我慢はしたんだよ? でも何だろうな、あなたの事を考えれば考えるほど会いたいって気持ちが強くなっちゃって。あはは、迷惑だったかな。大和は……こんな束縛の強い女は嫌?」
ふと、上目遣いに不安そうな表情を浮かべる。
もしかして急に押しかけてきたことが迷惑だったかと。急な登場に驚きこそしたけど、別に迷惑なんて微塵も思っていない。とはいえ千尋姉の中では何のアポもない状態で押しかけてきてしまったことに対して、多少なりとも思うところがあったようだ。
元々、今回の仕事は俺一人ではなく千尋姉と二人で行うことになっていた。空港で待ち合わせて飛行機に搭乗しようと最初は伝えていたためにまさかIS学園に来ているとは思わず、だからこそ驚いてしまった訳だが。
「嫌じゃないよ」
「え?」
見方を変えれば束縛が強いって見えるかもしれないけど、残念ながらこれくらいのことでは俺は何とも思わないんだな。
普段は中々会えない大切な人に会えるから嬉しいっていうのは人として当たり前の感情だと思う。今回千尋姉は俺と一緒に仕事をすることが決まって嬉しさのあまりフライングしてしまっただけで、あの日以来毎日のように電話を掛けてくることも個別に会いにくることもなかった。
何なら会っている頻度だけなら一番低いんじゃないんだろうか。頻度どころかナギやラウラや楯無、他のクラスメートたちは毎日のように俺と顔を合わせることがあっても、千尋姉はここ半年で数えるくらいしか顔を合わせていない。
電話やメールもそこまで回数多くやっている訳ではなく、決して心の底から俺に依存をしているような感じでは無かった。
「俺は嬉しかったけどね、素直に会いたいって言ってくれて。こんなんじゃ束縛にもならないでしょ、可愛いなくらいにしか思わなかったよ」
「や、大和……」
予想外の反応だったらしく目を何度も瞬きさせる。
個人に対しての想いが強くなればなるほど、会いたいって気持ちも比例して強くなる。IS学園の制服を借りて俺に会いに来たのは思わず笑っちゃったけど、それもまぁ千尋姉の一面ってことで。
「だから安心しろって。これくらいなら全然重たい愛でもないし、束縛が強いとも思わないよ」
「うぅ〜大和が優しい……」
目をうるうるさせているあたり本気で感動してくれているようだ。
色々と我慢もしてくれている訳だし、たまには多少甘やかしてもバチは当たらないはず。そうこうしていると不意に入口の扉が開き、千冬さんが戻ってくる。
「すまない、茶っ葉が見つからなくてな」
少し時間が掛かっていると思ったら茶っ葉を探していたらしい。
お茶を配る千冬さんに気を遣わせてしまって申し訳ないと謝罪の言葉を伝える。
「すみません、気を遣わせちゃって。でもよくうちの姉を校舎の中に入れられましたね」
「何、これくらい気にするな。学園入口の警備員から私の知り合いを名乗る人間が来訪しているから確認に来て欲しいと言われて、行ってみたらってやつだ。まさか千尋さんとは思わなかったよ」
千冬さんからしてもまさか、に違いない。
しかも二人が会うのは実に数年ぶりのことになる。呼ばれるままに行ったらそこにいたのが千尋姉って、全く想像していなかっただろう。
「しかしまぁ時の流れと言うのか、随分と変わったんですね」
「え、私?」
「はい。ドイツでお会いした時に比べると幾分落ち着いた大人びた雰囲気を感じるようになりまして」
千冬さんは近くにある椅子に座りながら過去の話題を投げ掛けてくる。数年もすれば多少なりとも性格の変化があるだろう。特に現役バリバリの時の千尋姉を見ていると、今の千尋姉との違いにかなりのギャップを感じるのも分かる。
さっきも言ったが現役バリバリの時の雰囲気を一言で表すのなら鬼。
もちろん普段時は優しくて人懐っこい笑顔も健在だが、一度スイッチが入ると纏う雰囲気はもちろんのこと、口調までもが変わってしまう。本人曰く、親しい人や家族にはあまり見られたくない姿、なんて言っているけど俺は割と凛々しい姿もカッコいいとは思っていたりする。
無論、一対一の訓練の時は何度も地獄を見せられたけど。幼い俺からすれば怖すぎて何回逃げようと思ったことか分からない。あぁ、今でも休憩無しの情け無用組み手を、立ち上がれなくなるまで延々と繰り返していた日々を思い出すと身体が震える。
「そうなの? そんなに変わったって思わないんだけどなぁ……大和はどう思う?」
「いやいや俺に聞かれても、ドイツで教官やっていた時のことなんて見た事ないしなぁ。でも確かに落ち着いたっていうか、より大人びたって感じはするかも」
「ふーん、近くで見て来た貴方が言うのなら間違いなさそうね」
自分で自分の変化には気付かないようで、キョトンとしたままそうなんだと第三者からの意見を聞く。
ここに入学するまでは毎日顔を合わせていた俺が変化を感じるのだから、数年間全く会っていなかった千冬さんからしたら相当変わったってことだと思われる。
差し出されたお茶を啜りながら、今度は逆に千冬さんに言葉を投げかけた。
「それにしても千冬も成長したわね、今や立派なIS学園の教師だなんて」
「いやいや、そんな大それたことでは」
「ううん、すごい事だと思う。夢ある学生の指導かぁ、私には無縁だからちょっと憧れるわ」
私が教えたら皆逃げそうだし、と苦笑いを浮かべる。
悪く言うわけじゃないけど、千尋姉が本気モードで人を教えたら確かに色々とヤバいことになる。訓練のハードさだけで言ったら追随を許さないレベルでキツいに違いない。
勘違いして欲しく無いのは教え方は悪く無く、むしろかなり分かりやすい部類で、言っていることも正論であって理論もしっかりしているから、厳しい教え方でもついて行きたいと言う部下も大勢いたそうだ。
ただそれを一般の学校でやってしまえば、世間を賑わせている某パワーワードの行為に抵触する可能性もある。
……千尋姉の教えはトラウマになるレベルでキツかったけど、相手に合わせて教えることが出来るはずなんだけどな。
自分の教える相手が命を賭けて戦ったり預かったりする職業なら、厳しくするのは当然だ。油断すれば自身が命を落としかねない。
となるとドイツ軍や俺に対して厳しく教える必要があるのは必然だった。
「そうですか? 千尋さんだったら教師も出来そうな感じがしますが。むしろうちのクラスの面々に厳しく教えて欲しいくらいですよ」
ごもっともな返答を千冬さんも返す。僅かな期間とはいえ、千尋姉と共に仕事をしているおり、厳しさがあったとしても、教える能力は間違いなく高いと認識しているようだ。
教壇に立つ千尋姉かぁ、ちょっと見てみたい感じもする。正規雇用は難しくても非常勤講師みたいなシステムってないのかな。
「何かを教えることくらいは出来るかもしれないけどねー。今の教え方にはちょっと合わないんじゃないかな」
「またまたご謙遜を」
ところで全然関係ない話になるんだけど、千尋姉って普段何の仕事をしているんだろう。十数年一緒に過ごしていて何で知らないんだと突っ込まれそうだけど、聞いたところで「大和は気にしなくても良いの」の一点張り。
水商売や裏モノ系の仕事には決して付かないだろうからそこまで気にしてはいないけど、気になるかどうかと言われれば自分の身内の仕事だ、気になるに決まっている。
「しかし今回は海外で仕事ですか」
「えぇ、ウチは依頼があれば国内外は問わないもの。引き受けるにあたっての審査はするけど。だからちょっとの間、大和を借りるわね」
「はい、そちらは大丈夫です。既にきり……大和の方から伺っていておりますので」
いつもの口調で俺の苗字を言いかけるも、途中で名前を呼んだ。普段は苗字で呼ばれているせいか、学園にいるのに名前で呼ばれると、どことなく変な感覚になる。
人前での名前呼びに慣れていないようで、千冬さんはお茶入りのコップを口につけながら恥ずかしさを紛らわしている。
「そう、なら大丈夫ね。……ところで千冬、あなた良い相手は見つかったの?」
とんでもない大爆弾を投下してくれた。
「っ!?」
斜め上を行く質問に対して、口に含んでいたお茶を吹き出しそうになるのを寸前で堪えている。
人の担任にいきなり何言ってんだこの姉は。
「なっ、なななな何を!」
「何をって、そのままの意味よ。ほら、私もあなたもそろそろ良い歳になる訳だし」
「い、いや私にはまだ少し早いというかですね……今はまだ考えられないというか」
「そんなことないでしょう。あっ、大和なんかどう? 家事洗濯何でも出来るし、カッコいいし性格も良いし! でも独り占めはダメだけどね」
「はい?」
二つ目の大爆弾の投下。
俺と千尋姉を交互に見る千冬さん、そりゃ当然の反応だわ。
結局、部屋を出る時に千冬さんから学生なのに良い身分だなと後ろ指を刺される羽目になるのだった。