「じゃあ行きましょうか?」
時は流れて夜。
無事に一日の仕事を終えて帰路につく……訳ではなくしっかりと約束を守ることにしたようだ。大和は仕事服のスーツから少しカジュアルな服に着替えて街を歩いていた。ファイルス邸からタクシーを走らせること約十分。繁華街に繰り出した大和たちは夜の街を楽しもうと歩を進めるのだが。
「ほ、本当にいいのかしら? 一緒に居たいって言ったのは事実だけど、こんないきなり二人だけでなんて……」
オドオドと落ち着かない雰囲気のまま後についていく金髪美女……もといナターシャ。
そこにいるのはいつものどことなく掴みどころのない大人な雰囲気は何処へ行ったのやら、今の彼女はまるで恋愛に慣れていない初な女の子の雰囲気にしか見えない。
キョロキョロと辺りを見渡しながら、おっかなびっくり歩いている姿はある意味貴重だかもしれない。元々の容姿も相まって道行く男性だけでなく女性までもが振り返る。
ナターシャの服装は先ほどまで着ていた軍服ではなく、外出用の服に着替えたもの。ただしこれが中々にラフな服装だった。
グレー基調のドレスなのだが肩口がぱっくりと空いており、フリルの付いたボディコンで使うような服で、身体のラインにジャストフィットしているために、ボディラインは丸見えの状態。
女性特有の立派な膨らみとくびれたウエストから実る大きな形の良いヒップがハッキリとラインとして出ている。長袖である故に上半身は完全に隠れているものの、健康的な程よく筋肉のついた太ももはバッチリと見えたままで、そこにロングブーツといったモデルコーデ。スタイルが良くないと似合わない組み合わせであるにも関わらず、バッチリと着こなしている辺り彼女のスタイルの良さがよく分かる。
「良いも何も、ナターシャさんが言ったんじゃないですか。ずっと一緒にいてくれても良いよって」
「い、言ったけども……う、うぅ〜!」
つい先ほど言った言葉を思い出して頭を抱えながら唸る。
彼女が緊張しているのは着ている服に対してでは無い。着こなしを周囲からジロジロと見られているからでもない。気になる異性と人前で二人で歩くという経験が少なく、異性関係そのものに慣れていなかったのだ。
これまで男性と話した経験は少なくはない、そもそもアメリカ軍にいる大半は男性である。コミュニケーションという点では全く問題はなく、むしろ高い部類に入る。国を守るために集まった中で、そこからお互いを意識した男女の関係になるかと言われたらまた別の話になる。
類まれな容姿を持つIS操縦者で大豪邸に住むお嬢様、当然世の男性からも求愛を受け、父の取引先からも見合いの話が後を絶たない。男性にはもうこりごり、そんな中出会った男性が大和だった。
「い、言ったけども……その」
「言ったけど……何ですか?」
何処となくニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながらナターシャのことを覗き込む。そんなこと分かっているくせに、どうしてそんな乙女心を燻るような表情をするのか。
「……や、やっぱりいきなり二人だけは恥ずかしいなって」
「俺も、ですよ」
「っ!!」
ナターシャの顔はみるみる内に高調し、やがて恥ずかしさの限界が訪れてボンと音を立てて爆発し、顔を覆う。
ドキドキが止まらない。照れていると思ったのは自分だけかと思ったが、意中の男性である大和も同じ気持ちだと打ち明けられて彼の顔を直視できなくなってしまった。
年上である自分が年下の大和にペースを握られている。
「それと今更ですが……」
「?」
「着ている服、とても可愛くて似合ってますよ」
「も、もう!」
バカ! 反射的に言い掛けそうになるも、それ以上に自身の着こなしを褒められた喜びが勝り、プイと顔を逸らす。
前回大和が自宅に来たタイミングではお世辞にもお洒落な服を着ていたとは言い難く、私生活がダダ漏れのような服を着てしまっていたため、改めて自分のオシャレな服を選んで着てみた。
どんな服を着たとしても恥ずかしいと思うことはあまり無いが、想いを寄せる男性に見られると嬉しさだけでなく、恥ずかしさが勝ってしまい居ても立っても居られなくなる。自分の着こなしは大丈夫か、変ではないか。
いつもとは違うところに意識が向いてしまい、普段の自分を保てなくなる。ハッキリと言えることは、大和に褒められることに何よりの幸せを感じてしまう、ということだった。
と、いつまでも舞い上がっているわけにはいかない。
ふぅと深呼吸をして心を落ち着かせると、大和の方へと顔を向ける。
「改めてになるけど、今日はありがとう。本当に助かったわ。おかげさまで
大和の目をしっかりと見つめながら、任務を無事に完遂し、最後まで自身と福音を守り続けてくれたことに感謝の言葉を述べる。
自宅に帰ってからもバタバタで中々心を込めて感謝の言葉を伝えることが出来なかったが、二人きりという機会を設けることが出来たことで、やっと感謝の気持を伝えることが出来た。
ナターシャの言葉に一瞬目を丸くさせると、少し照れくさそうにはにかみながら言葉を返す。
「いえ、当然のことです。ただ今回は俺よりも姉の方がかなり貢献してくれたので……とはいえ怪我一つなく、無事に福音も守ることが出来てよかったです」
ナターシャの身に何事もなく解決することが最優先事項だったため、怪我なく無事に守りきれたことに安堵しつつも、護衛としては最低限の仕事をやりきったというだけであって、大和にとっては当たり前のことを当たり前にこなしただけに過ぎない。ナターシャの護衛に直接付いたのは大和だが、襲撃者たちを追い払ったのは紛れもなく千尋のおかげであり、彼女に対する感謝も忘れてなかった。
大和の中では襲撃者たちも捕縛し、イギリスで盗まれたサイレント・ゼフィルスの奪還や彼女たちの目的も確認出来れば尚良かったが、それでナターシャが危険にさらされるなら……と、割り切って次に備えていた。
またいずれ自分たちの前に姿を現すだろう。その時は必ず捕まえて見せる。
そう決意新たに前を向く。
(結果論、専用機が戻ってきていればな。こんな時にメンテナンスとか、タイミングが悪すぎるだろう)
結果論にはなるが、もし大和に専用機が戻ってきていればもしかしたらどちらかの捕縛は出来たかもしれない。大和や千尋が如何に身体能力が優れていたとしても、空を飛び回ることは出来ない。
つまり生身で戦うのであれば、地上にいる段階でカタをつける必要があった。専用機があれば相手が逃げ去ったとしても、ISを展開して追い掛けることも可能だった。加えて近隣に有事に備えで専用機が待機していたともなれば、連携を取りながら相手を追い詰めることが出来たかも知れない。
本来であれば大和の手元には専用機があるはずだったが、臨海学校以降まともに起動をすることなくメンテナンスの名目で回収。表向きは使用時の身体への影響の検査となっているが、裏向きは専用機『不死鳥』の戦闘データの提供。束手製のISともなればデータを欲しがるのも無理はなく、IS学園にも問い合わせが集中しているようだ。
それ故に大和は専用機を使うことが出来ないため、タイミングとしてはかなり悪いものだった。
(ま、理想を言っていたらキリがない。なにはともあれナターシャさんが無事で良かった)
タイミングとしては悪いものだったとしても、結果無事に完遂できたという部分は不幸中の幸いだろう。IS二体を相手にするという状況としてはかなりハードな状況とはいえ、そこを切り抜けて相手を牽制できたのは大きい。機体へのダメージは大きくはないが、精神的なダメージは計り知れない。
「謙遜ね。確かに貴方のお姉さん、千尋さんの動きには驚いたけど、大和くんもISに対して真っ向勝負を挑むなんて中々に無茶なことをするわね」
「それが仕事ですから。例え相手が人間であってもISであっても、自分たちがやることは変わりません」
「ふふっ、そう言うと思ったわ。でも私は大和くんに感謝してる。この気持ちは事実よ?」
「ええ、もちろん。それは凄く伝わって来ます」
ナターシャの偽りない微笑みに大和は照れながら頭をかく。
仕事だから当たり前という考えが彼にはあるが、それでも感謝の言葉を真摯に伝えられると嬉しいのだろう。
「さて、と。あまりここで話し込んでいても仕方ないので何処かお店行きましょうか」
「そうね、私たちは人前で感謝を伝え合うためにここに来たわけではないもの。アメリカに住んでいる訳でもないのにお店は知っているのかしら?」
「いや、すみません。それが全く」
何処かのお店に入ろうと切り出す大和だったが、アメリカの土地勘があるわけでもなく、分からないと素直に白旗を上げた。
店の情報を調べることが出来ても実際の土地勘が無いため、見た目上の評価しか分からない。こればかりは流石に年相応といったところなのだろう。
正直に分からないことを白状し、降参の意を伝えながら困った表情を浮かべる大和にクスクスとナターシャは笑う。
(ホントこうして見るとどこにでもいる高校生よね。大和くんはこの年齢で様々な重荷を背負ってる、大した精神力だわ)
大人びた部分も多いがこうして見たらどこにでも居るような高校生そのもの。だがその実態は護衛一家の当主、一家を代表する立場にある。
IS学園の学生の立場でもあることから現在は実務のほとんどが現場の別の人間に委任されているとはいえ、未成年で背負うようなものではない。彼が行っている生活は、学校に通い青春を謳歌する、それを本分とする本来の学生からはかけ離れていた。
「それなら大和くん、オススメのお店が近くにあるわ。そこなら未成年でも問題無く入ることが出来るし、お酒を頼まなくても料理だけでも全然楽しめるから大和くんが問題なければそこにしない?」
「調べただけでは実態はよくわからない部分があったので助かります。そこに行きましょう」
「なら、決まりね」
目的地も決まったところで、お店に向かって歩き出そうとする。
と。
「ナターシャさん?」
不意に手を差し出してきたかと思うと、顔を赤らめながら何処となく不安そうな眼差しで大和のことを見つめた。
「こ、こういうのはホントは男の人がやると思うんだけど、き、今日は私が大和くんを引っ張っていくから……は、はぐれないようにね!」
一瞬ポカンとした表情を浮かべる大和だったが、ナターシャの真意を理解し、黙ってその手を握り返して夜の街に消えていくのだった。
「うーん……」
「ナターシャさん、大丈夫ですか?」
二人で夜の街に消えてから数時間、ナターシャは大和にもたれ掛かるようにとある店から出て来た。
素面の状態の大和に対し、顔は真っ赤の状態のナターシャ。身体に力が入らないのか、立つのがやっとの状態のようで大和に全体重を預けている。そんなへべれけ状態のナターシャを嫌な顔一つせずに、お店の外に連れ出して近くにあるベンチへと座らせる。
「うぅ〜……ちょっと飲みすぎたかも。視界がぐるぐるするわ〜」
「いや、そりゃあんだけカクテル飲んだらそうなります……ってあぁ! 足開いたらパンツ丸見えですって!」
思考もだいぶ緩んでいるのか、ベンチには大股を開いたままで座ったせいで、正面からリアルな状態が丸見えの状態だ。ナターシャに配慮をしつつ両足を閉じて、中の状態が見えないように足の位置を移動する。
と、同時に近くに居た男性の何人かの視線が逸れる。あわよくば自分もという気持ちがあったのだろう、そんなあわい欲望は大和の機転で見るも無残に打ち砕かれた。
スカートの闇の中に潜む逆三角形は男のロマンであり、その対象が絶世の美女ともなれば視線を向けたくなるに決まっている。それにいくら足の位置を移動したとはいえども、健康的な生足はしっかりと出たままでまだ何人かの視線はナターシャに向いたままだった。
「ナターシャさん、もしかしてお酒弱いんですか?」
「ぜーんぜんそんなことないわよ〜、普段はあまり飲まないけど、飲んだら誰にも負けないんだから〜!」
「そ、そうなんですか?」
いつものナターシャとは違う一面に大和は戸惑うばかり。普段時の何処となくミステリアスな雰囲気を醸し出す大人な女性、慣れていない異性との関わりで戸惑う初な女性、そして今は陽気なお姉さんとでも言えば良いのか。
ただ今の様子を見る限りは明らかにナターシャは素面ではない。大和の言葉にあるように二人で入ったレストランでお酒を飲んでいる。大和は未成年であるため口に入れる飲み物は水だけだったがナターシャは違った。
嗜む程度の量だったらこんな状態になることも無かっただろうが、飲むペースがハイスピードだったのはもちろんのこと、飲んだ量も尋常ではない量を飲んでいた。それこそ一般人が同じ量を飲もうものなら記憶を飛ばす、もしくは潰れるレベルで。確かにお酒に強いのかもしれないが限度はある。
大和もナターシャのことを気には掛けながら様子を見ていたが、やんわりと飲み過ぎを指摘することしか出来ず。立場的には強く指摘できる立場ではないため、問題が起きないようには見ていたものの、飲み過ぎが祟ってナターシャはまともに歩くことが出来なくなってしまっていた。
「とにかく、何処かで休んでから帰った方が良さそうですね。この近くにホテルは……」
「あらー、ホテル探してくれるなんて優しいじゃない。でも大丈夫、ナターシャお姉さんは一人で帰れるから全然平気よ〜」
もはやキャラがブレブレで大和としてもどう対応したらいいのか困ってしまう。ナターシャであることは間違いないにしても、これだけキャラが変わるといつも通りの接し方でと言われても切り替えることは難しい。
こんな道端でずっといる訳にも行かず、酔いを覚ますために近くにホテルがないかを探す大和だが、そこまでしなくとも一人で帰れると言う。
「いやいやいや、そんな状態で何言ってるんですか。フラフラなまま帰ったらそれこそ危ないですし、下手したら怪我しちゃいますって」
「ふふふ、心配無用! ぶいぶい!」
「いや、ぶいぶいって……」
自分で言う人久しぶりに見た、と言わんばかりに大和はややげんなりとした表情を浮かべた。
真っ先に浮かんだ人物が篠ノ之束であり、彼女に対して苦手意識を持っている人間からすると、若干鼻につくフレーズなのは間違いない。
「そこのタクシー止まって〜!」
「あっ、ちょっと!」
やり取りをしている内に、ナターシャはすぐ近くに通り掛かったタクシーにすかさず声を掛けなから手を上げた。
思い立ったらすぐ行動な考え方なのか、それとも酔ってとりあえず声をかけたのか……恐らくその両方だろう。せめてもう少し酔いを覚ましてからでも良かったのではないかと思う大和をよそに、呼び止められたタクシーはナターシャのすぐ横で止まる。
「止めちゃったんですね」
「本当に大丈夫よ大和くん。だってこれから後は帰るだけだし、家までの距離もない。直ぐに着くから安心して」
「いや、まぁ……それはそうなんですけど」
ナターシャの言うことはごもっともではあれど、はい分かりましたと大和としても直ぐに了承することは出来なかった。
とは言ってもナターシャの性格を考えると引き下がる感じではないことも事実だ。どうしたものかと頭を悩ませる。大和の中では懸念点が拭えないっていう部分が大きい。結局基地に侵入した二人が、脅迫状を送り付けてきた本人とは断定できないからだ。
むしろ脅迫状に関しては二人はほぼシロだと思っており、二人以外に脅迫状を送ってきた人間が居ると想定している。ナターシャを弱い人間とは微塵も思っていないが、どこで誰が狙っているか分からない上に、アルコールを摂取して酔った状態での帰宅は抵抗があった。
「大和くんの心配してくれる気持ちはありがたいけど、私もこう見えて軍部所属だからちょっとやそっとのことじゃやられたりしないわよ」
「……」
「もう、そんな難しい顔をしないの!」
やや考え込みながら難しい顔を浮かべる大和の手を握るナターシャ。
「私なら大丈夫。だから―――」
手を握ったままお互いの身体が触れ合うギリギリまで歩み寄ると、足に力を入れてその場に背伸びをする。
倒れないようにしっかりと手を握ったまままま、無防備な頬に向かって自身の唇を押し付けた。
「これはお礼♪」
「ッ!」
柔らかく温かい温もりに大和の表面温度が一気に上る。唇を当てられたところを恥ずかしそうに押さえながら、驚いたように目を見開いた。
人前で、ということもあるようで周囲の通行人はこぞって二人の様子を見ている。羨望や嫉妬まがいの視線があらゆる方向から向けられるが、IS学園にいることで多少なりとも耐性がついているようで、慌てふためくような素振りはない。
「ナターシャさん、ここ人前ですよ?」
「いいの。だって大和くんは私の
今まで本当に酔っていたのかと疑うほどの軽やかな足取りで流れるようにタクシーへと乗り込む。座席に腰掛けると同時に開いていたドアは閉まるが、大和がウィンドウを手の甲でコツコツと軽くノックした。
何か言い忘れたことがあるのかと、ドア付近にあるパワーウィンドウのボタンを押して窓を開ける。
「どうしたの大和くん? 何か忘れ物でもあった?」
「ナターシャさん―――
「……えぇ、もちろん」
二人はそれだけ会話を交わすとパワーウィンドウが閉まる。ブレーキランプが消えると、タクシーはゆっくりと進み始めた。
ここから自宅までは約十分。
道が混雑している場合はもう少し時間が掛かるが、時間的にそこまで混んでいる様子はない。信号に引っ掛からなければ、もしかしたらもっと早く家には着くかもしれない。
「どちらまで?」
「自宅までお願い。場所は―――」
タクシーの運転手に自宅の住所を伝える。短い時間だったけど、二人きりの時間を楽しむことが出来て満足だった。本当ならもっと長い時間、彼と一緒に過ごしたかったものの、ナターシャと違って未成年であり、夜遅くまで連れ歩くわけにもいかない。
もし成人しているなら時間なんて気にせずにじっくりと二人の時間を満喫出来たかもしれないが、残念ながら未成年というのが現実だ。
「ふぅ……」
座席に持たれ掛かりながら外に広がる闇を見つめる。
酔っているからなのか、大和との別れで気分が沈んでいるのかは分からないが、本来なら見えるはずの街並みもいつも以上に暗く見えた。無機質に過ぎ去る風景をボーっとした眼差しで見つめるだけ。
「彼との別れはやっぱり寂しかったですか?」
不意に前の運転席から声が聞こえてくる。車のバックミラー越しに目線だけを動かし、背後の様子を確認する表情が見える。
年齢は三十代だろうか。
社内が暗くて自身が酔っているためか、表情そのものをしっかりと確認することは出来ないが、タクシーの運転手という括りで見ると非常に若く見えた。
「えぇ、そうね」
ナターシャとしても悪気は無かったが、若干寂しくなっているところに図星の質問をされ、やや素っ気なく返答する。
「あぁ、すみません。悪気があったわけじゃなかったんです。ただ本当に彼のことが好きなんだなっていう雰囲気が伝わってきたのでつい……お気を悪くされたらすみません」
間髪入れずに運転手からの謝罪が入る。悪気はなかったとは言え、乗客に対して失礼を働いてしまった事実は変わらない。
(まぁ、寂しいのは事実よね。折角二人きりの時間を作れたのに食事してちょっと話したら終わりなんだもの。大和くんも未成年であまり遅くまで連れ回すのも失礼だし、それに今日一日私について回ったんだから疲れていないワケがないわ)
ナターシャ自身が寂しかったという気持ちは事実だ。大和ともっと一緒に時間を共有したかったというのが本音であり、その気持ちはぐっと心の奥深くに押し込んだ。
本人は問題無いとは言っているものの、日本からの移動に加えて慣れない土地での生活、丸一日自身の護衛として気を張り詰めていれば、疲れないはずがなかった。
彼と一緒に居たい気持ちは変わらないが、身体を壊して欲しくない。
今の状況ではこれ以上のワガママを伝えるわけにはいかなかった。
「……?」
ふと外を見ていて違和感を覚える。気の所為か、窓越しに見える景色が普段見ている景色と違っているように見えた。
夜だからだろうか、外が暗くなると午前中と見え方が変わるとも言う。加えて自身もアルコールを摂取している兼ね合いで正常な判断がしづらくなっている。そう考えると自身の見間違いなのかもしれない。
「……」
いや、本当に見間違いなのか?
ナターシャの脳裏に疑念が走る。
これまでの人生で何度も車に乗ったし、近隣であれば何度も出掛けた。それこそ昼夜問わずに周囲の風景も見てきている。いくらアルコールを摂取しているとはいえ、自分が家までの道で見たこともないような風景が果たしてあるのだろうか。
確かに以前と比べて見覚えのない新しい建物が建つことはあれど、建物が建ったところで風景が全く別のものになることはあり得ない。だが視界に飛び込んでくる景色は自身が普段見慣れない建物ばかり。それどころか家から街まで繰り出した時に通った道は一切通らずに、どんどん自宅から外れているように見えた。
ここからの帰り方くらいは知っている、もし運転手が道に詳しくないのであれば自分がナビゲーションすればいいだろう。
「ねえ、これ本当に最短距離なのかしら? さっきから見慣れない景色しか見えないのだけど?」
「そうでしょうか? 私としてはこっちの道のりが順路だと思うんですけどね」
あっけらかんと運転手は言う。一体何を言っているのかと前部座席に手を掛けようとしたところで更なる違和感に気付くいた。
(このタクシー、メーターが……)
運転席と助手席の間、カーナビなどが設置されているセンタークラスターの部分に付いている料金メーター、本来なら煌々と現在の金額を指し示すであろうランプは点灯していなかった。
手動で料金を計算するタクシーか、いや、そんな訳が無い。料金メーターが備え付けられているタクシーでわざわざ非効率な方法を行う必要がない。
つまりこのタクシーは。
そう気付いた瞬間だった。
「っ!?」
ゴツリとこめかみの部分に冷えた金属のようなものが押し当てられる。運転手は前を向いたままで両手はちゃんとハンドルに添えられていた。手が複数本あるならまだしも人間の手は二本だけであって、運転手が物理的に自分の方へと手を伸ばすことは不可能。
それでもバックミラーに映る運転手の口元はほのかにニヤついているように見えた。冷静にこめかみに当てられた物体を確認する。否、確認しなくてもこの物体が何なのかは容易に想像がついた。
何故なら普段施設でも試し撃ちをすることがあるからだ。
「……拳銃。随分と物騒なのね」
ナターシャのこめかみに当てられていたのは拳銃。
拳銃を握る手は座席から伸びてきており、座席は人一人が隠れられるように改造されたものだった。ナターシャの声に反応するように、ギギギと備え付けられた座席が動き始める。
やがて座席の陰からサングラスを掛けたままの大柄な黒服の男性が姿を現わした。
「貴方……!!」
男の姿にナターシャは見覚えがあった。
忘れるも何も、今朝途中まで自身を護衛してきたはずのボディーガードの一人だったのだから。
「だから言ったでしょう? こっちが順路だと。アナタにとっては地獄の、ね」
運転手は言葉の真意をナターシャへと説明する。ナターシャにとっては家からどんどん離れていくのだから、地獄以外の何物でもない。たまたま乗った捕まえたタクシーで、こんなピンポイントでツキがないなんてことがあるのだろうか。
折角良い気分で一日が終わると思ったのに全て台無しである。大きくため息を付きながら、一切の抵抗せずに座席へと座り直した。説明している間にも車はどんどん順路を外れて、人通りの少ない方向へと向かっていく。
(運転席の男の顔が良く見えないけど、声質からして今日私についていた護衛の一人かしら。でもとんだ災難だわ、まさか大和くんの言う通りだったなんね)
大和の言うことを信じていれば、と今更ながら若干の後悔をするナターシャだが、過去のことを振り返ったところでどうしようもない。今は自分が何をされるか分からない以上、下手に行動を起こすわけにもいかなかった。
「貴方たちの目的は何かしら、お金? それとも私の命?」
「この期に及んで随分と余裕があるお嬢様だ。さすがナターシャ・ファイルス、軍所属のIS操縦者なだけある」
「安心して下さい。下手な事をしようと考えなければ命までは取りませんよ、命まではね」
命までは取らないという言葉が、彼らの野蛮さを物語っている。命までは取らない、つまり五体満足の状態で帰れるかどうかまでは保証をしない、ということだろう。
「抵抗されたら周囲に勘付かれる可能性がある。手錠で彼女の手足を拘束しておけ」
運転手からの指示に後部座席の男はナターシャに背を向けるように伝える。その指示に歯向かうこと無く背を向けるナターシャだが。
「いっ……!」
背を向けた瞬間に両手を背後に引っ張られる。怪我にまでは至っていないようだが、乱暴かつかなり強い力で引っ張られたことで両腕に痛みが走り、思わず表情を歪めながら声を出した。
「おい、抵抗するんじゃねぇ! 殺されてぇか!!」
痛みに対して反応したことに理不尽にも逆上した男は、乱暴に髪を掴んで座席側に押し付けたかと思うと、銃口を頭に突き付けた。
ナターシャにとっては抵抗したつもりは更々ない。痛がった素振りを勝手に抵抗されたと勘違いされ、逆上するほどに男は気が短いのだろう。
「よせ! ここで
そんな男を運転手が宥める。
まだ人通りがある道で拳銃を使ったら嫌でも周囲からの目線が集まる。使っている拳銃にはサイレンサーもついておらず、トリガーを引けば弾丸と共に発射音も辺り一面に轟くだけでなく、発射された弾丸も窓を貫くかもしれない。
ここで殺したことがバレた時のリスクはあまりにも大きく、個人的な感情で動くのは危険だ。運転手の一言で多少冷静さを取り戻したようで、一度は構えた銃口をナターシャから外した。
懐から手錠を二つ取り出すと両手、両足の順に括り付けて彼女の自由を奪う。この状態で抵抗されたとしても抑え込むことは大して難しくない。
興を削がれた男は忌々しげにドカッと座席へともたれ掛かった。
「ちっ、面倒だ。さっさとバラしてしまえばいいものを」
「お前は少し頭を使え。今朝ボディーガードとして付いた時も所構わず銃を抜こうとしただろう。あんな場所で銃を抜いたらどうなるかくらい、健常者なら容易に想像付くと思うが?」
「わーったよ! ったく、お前は慎重だな。どちらにしても今はあの護衛たちはいない。朝はあの良く分からない女に出し抜かれたが、今回はそうはいかねーぞ」
多少冷静に物事を考えられる運転手に加えて、もう一人の男は随分と頭が弱かった。足を組みながらふんぞり返って悪態をつく。
「本来ならこの恨み今すぐにでも晴らしたいところだが……ここではあまりにも場所が悪い。チャカを弾けばたちまち誰かに気付かれる。そしたら計画そのものが水の泡だ。とりあえず元々予定していた例の場所へ連れて行くぞ。あそこなら増援も居るし、人目にも付かない。そこで好きにすればいい。だが勘違いするな、今回の復讐者はあくまでレオン・ファイルスだ」
(パパ……一体何を? そしてこいつらの目的は何なの?)
二人の会話から出て来た自身の父親の名前。
あくまで今回の対象は父だという。もし話が本当なのであれば、自分は人質として捕らえられたということなのだろう。
父の立場はとある企業の代表、それもアメリカでは有数の貿易会社の社長だ。自身の娘であるナターシャにこそ甘いが、会社内では立場相応の振る舞いをすることも多いはず。自分の父が理不尽な対応をするとは到底思わないが、それでも代表という立場上、多かれ少なかれその立場を妬むもの、やり方が気に食わず敵対するものと、敵意を向ける人間はいる。
そしてその矛先は父から自分へ。ターゲットとして狙われる可能性があることは十分に考えられた。
現在の状況としては両手足に手錠が掛けらている。
この状態では自由に身動きも取れない。相手は自身より大柄な男二人、力で勝負しても手錠というハンデを背負っている以上、立ち向かうのは危険すぎる。
今出来ることは二人の情報や目的をしっかりと探ること。いつ解放されるのか、そもそも解放されないのか分かったものではないが、今は静観しておく方が得策だと判断した。
「……周囲の景色を覚えられると面倒だ。上からビニールを被せておけ。何、目的地に着いたら外せば良い」
そうこうしている間に周囲の視界を完全に断つべく、自身の顔を黒いビニールのようなもので覆われる。幸いなことに自身が呼吸は出来るように口周りには穴が空いており、呼吸をすることは問題無く出来るため、窒息する危険は無かった。
ただ視界が完全に遮られてしまっているため、車がどこを走っているか把握することが出来ない。情報を仕入れる事が出来る視覚を奪われている状態では、頼りになる五感は聴覚しか無かった。
ビニール越しから聞こえる声を頼りに、ナターシャは情報を集め始める。
「俺から言わせてもらえばお前の裏の顔も大概だと思うがな。これまで何人を手に掛けたよ?」
「さぁ? そんな殺した人数を数えるほど暇じゃない。死んだ人間など心底どうでも良い、人間は死んだらそれで終わりだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「けっ、言うね。ま、お前の言うことはご尤もだけど」
「まぁ奴をどん底に陥れるいい機会だ。アナタには命ある限りしっかりと働いてもらいますよ、ナターシャお嬢様?」
ナターシャを乗せた車はひた走る。
次にナターシャが降ろされたのは、走り始めてから三十分が経った後だった。