IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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千尋の過去と嫉妬心

 

 

 

「じゃあ大和くん、また明日ね?」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 

通常よりも遥かに時間を掛けた入浴タイム。

 

どれくらい入っていただろうか、時間にして一時間近くは入っていたかもしれない。適切な入浴時間は身体をリラックスさせて疲れを取る効果があるけど、浸かり過ぎると身体も怠くなってしまって良くない。

 

温泉と違って時間とともに湯船の温度も下がるため、幸いなことに逆上せるところまでは行かなかったが若干頭が痛い。

 

一背中を流してもらうだけだったはずなのに、まさかあんなことになるとは思わなかった。

 

あぁ、当然だけど一線は越えていない。俺の中で一線を越えたことがあるのは一人だけだ。そんな見境なしに食い散らかすほど飢えているわけではない。

抱き着かれている時に『我慢しなくていいからね?』なんて耳元で囁かれたけど、己の欲望に侵されること無く平常心を貫いた。

 

流石にこのタイミングで俺が手を出すのは違う。ナターシャさんは綺麗だし、スタイルも抜群で性格もいい。

客観的に見ても魅力的な女性であることは間違いないけど、さっきも言ったように俺自身がナターシャさんと接する機会が少なくてナターシャさんのことをしっかりと分かっていない。

 

場の雰囲気に流された状態で一線を超えるということは、自身の欲望を満たすだけの行為であって、女性を傷付けることになる。ナターシャさんが全力で想いをぶつけて来るからこそ、俺はもっとナターシャさんのことを知らなければならない、一人の女性として向き合わないといけない。

 

と、色々なことを考えている内に部屋の前についたようだ。ナターシャさんは俺から離れると自分の部屋のドアノブに手を掛ける。

 

 

「あっ、忘れ物……」

 

 

ドアを開いて部屋の中に入ろうとしたタイミングで、忘れ物をしたとドアを閉じる。風呂場に何か忘れたのだろうか、などと考えるよりも早く頬に温かく柔らかい感触が触れた。

 

ほんの一瞬の出来事であり、直ぐに背伸びを解除して俺から離れる。

 

 

「な、ナターシャさん。ここ廊下ですよ?」

 

「うふふっ、バァイ♪」

 

 

嬉しそうに微笑むと手を振りながら自室のドアを開けて、部屋の中へと入っていった。

 

ふぅ、ナターシャさんって自分の感情に素直というか、ハッキリと表現する人だよな。自分の好意を隠すことしないし、あまり日本人には見られない特徴かもしれない。

 

お互いに想いを中々伝えられずもどかしい雰囲気になるような恋愛は間近で良く見てるけど、ナターシャさんみたいに素直に言ってくるタイプは俺の知り合いの中だとラウラが合致するのだろう。

あまり常識を知らなかったという前提があるから、これから様々なことを吸収した時にラウラがどうなるのかは分からないけど、今のところは変わらず良いことも悪いこともストレートに伝えてくる。

 

まぁそこがラウラらしくて良いところなんだけどな。

 

 

 

さて、と。

 

俺も今日は疲れた。恐らくこれ以上は問題が起きることは無いだろうし少し休むとしよう。ドアノブを回して部屋の中へと戻る。

 

 

「あら、おかえり。やーっと帰ってきたわね」

 

「……」

 

 

パタンと反射的にドアを閉めてしまう。

おかしいな、俺の部屋ってたしかこっちの部屋だったと思うんだけど。

 

俺の認識違いだったか?

 

改めて部屋の入口を確認する。俺の泊まる部屋の左隣がナターシャさんの部屋、そして更に左隣が千尋姉の泊まる部屋。何回見ても間違いない。

 

ははっ、やっぱりちょっと疲れているのかな。まさか千尋姉が俺の部屋に忍び込んでいるなんてそんなことは無いだろう。

 

改めてドアノブを回して部屋の中に入る。

 

 

「ちょっとー何も言わずにいきなりドア閉めるってどういうことー?」

 

「あぁいや、幻覚かと思って」

 

「幻覚なわけ無いじゃない。あなたの大好きな千尋おねーちゃんよ?」

 

「さて、寝るとするか」

 

「ぶー! つれないわね〜!」

 

 

幻覚でもなんでも無く、そこには寝間着に着替えた千尋姉がいた。ワイシャツを一枚羽織っただけの服装を寝間着と言って良いものか疑問ではあるが、千尋姉にとっては普段着のようなものらしい。

 

実家でも良く同じような姿出いることが多いし、今更突っ込むまでもない。突っ込みどころがあるとしたらどうして俺の泊まる部屋にいるのかだが、部屋に鍵も掛けていないし特段入るための障害があるわけでもない。

 

 

「それにしても……」

 

「ん?」

 

 

タオルを近くの椅子に広げる俺の側に千尋姉はトコトコと歩み寄ってくる。俺の正面に入ったかと思うと、俺の両腕を掴みながら顔を首筋辺りに近付けた。

 

 

「柑橘系の匂いプンプンさせちゃって……随分とお楽しみだったのね?」

 

「は……い、いやこれは!」

 

 

あれだけ密着し合っててバレないわけが無かった。

 

一線は越えていないとはいっても入浴時間の半分以上をナターシャさんと過ごし、その大半で素肌を密着し合ってたら香りが移るのは当然の話。

 

多少洗い流したところで誤魔化せるはずもない。特に女性は匂いに敏感であり、自分と相手以外の匂いを瞬時に嗅ぎ分けることが出来るそうだ。

 

風呂場にあるシャンプーや石鹸も柑橘系のもので統一されていたし、何よりナターシャさんの普段付けている香水……コロンも柑橘系の香りになる。そんな状態でベタベタくっつかれた日にはバレない訳が無い。

 

極めつけは。

 

 

「部屋の前まで随分と仲良さげに戻って来ていたみたいだし? それなりにお二人は親睦を深めて来たってのは香りが無くても分かるわよ。こんな深夜に複数の足音が部屋の近くで鳴るなんて、大和とナターシャちゃんくらいしかいないでしょ」

 

 

そもそもな話、二人で部屋に戻ってきたのなら足音も複数聞こえる。長時間部屋に戻ってこない上に、二人仲良く戻って来る足音を聞かれていた段階でもう何もかもバレバレの状態だった。

 

 

「まぁ、私が偶々廊下で彼女に出くわした時にちょっとけしかけたんだけどね。でもまさかこーんなに長い時間一緒にいるなんてね〜」

 

 

ニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

想像以上に上手くいったようで、千尋姉としてはご満悦だったようだ。

 

 

「聞いたよ、千尋姉から色々聞いたって。俺との関係もナターシャさんに話すなんてびっくりしたわ」

 

「話すかどうかは迷ったんだんだけど、遅かれ早かれ私と大和の関係はバレてただろうしね。それにあの子、大和を一途に思っていたから早目に伝えておいた方が良いと思って。ちなみに私がこの話をした時、あの子何て言ってきたと思う?」

 

「え?」

 

 

唐突に質問を振ってくる。

 

俺と千尋姉の関係を話した時のナターシャさんの反応? いや、そんなの分かるわけがない。ナターシャさんのことだから変なことは言わないと思うけど、ケースがレア過ぎて返答パターンがあまりにも少なすぎる。

 

私たちは義姉弟を一歩踏み込んだ関係です、って伝えられて返す言葉なんてあるか……?

 

 

「いや……ぜんっぜん分からん。想像もつかないんだけど」

 

「でしょうね。ちなみに答えは秘密よ」

 

「秘密なのかよ!」

 

 

それじゃあ分かるわけがない。

 

ただまぁ、内容的には女性同士のセンシティブな内容にもなる。俺がこれ以上深く踏み込んだところで千尋姉は口を割ることは無いだろうし、何よりしつこく聞くことはナターシャさんにも失礼だ。

 

 

「……ホント、大和を好きになる人ってブレない子が多いのよね」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「ううん、何でもないわ」

 

 

何か小さい声でボソボソと呟いた気がするんだけど……何も言っていないならそれ以上気にすることもない。

 

 

「ね、大和。話変わるんだけど、あなた私に聞きたいことがあるんじゃない?」

 

「話? ……あぁ、そうだったな、どうしても聞きたい話が一つだけある」

 

 

話題が変わったかと思うと、俺が千尋姉に聞きたかった話を自ら切り出し始める。

 

今日、軍事施設で侵入者たちと対峙していた時の出来事だ。エムと呼ばれたサイレント・ゼフィルスの操縦者を一方的に叩きのめし、捕縛寸前にまで追い込むことに成功した。

 

あと一歩というところで、ラファール・リヴァイヴに搭乗した操縦者、霧夜千春と名乗った少女の顔をみた瞬間に千尋姉の動きが一瞬止まる。仕事上あらゆる事象が発生しても動じることは無い仕事モードの千尋姉が隙を作ってしまった。

 

隙をつかれて閃光手榴弾を投げ込まれ、目が眩んでいる俺たちをよそに二人は逃亡に成功。結果ナターシャさんと福音を無事に守り切ることには成功したが、何とも言えないわだかまりが残る。

 

 

「部屋に来たのは、その話をするため。大和が家に来る前の話になるからちょっと長くなると思うけど、大丈夫?」

 

「……あぁ、聞かせて欲しい」

 

「そう、分かったわ」

 

 

一度千尋姉は俺の前から離れると部屋の入口を閉めてから、部屋の端に設置されているベッドの上に座った。俺も後を追うように隣に座る。

 

 

「まず、あの子……霧夜千春はね。私の―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ! ほ、本当なのお母さん!」

 

「ええ、順調に行けば来年新しい家族が増えるわ」

 

 

ある場所に二人の女性がいた。

 

一人はまだ年端も行かない小学校低学年ほどの女の子で、もう一人いる大人の女性に嬉々とした表情で喋りかけている。

 

そして大人の女性は慈愛に満ち溢れた優しい笑顔を浮かべながら、女の子の頭の上にそっと手を置いた。同時に腹部にはほのかに、それでも確かな膨らみを確認することが出来る。

 

不節制の生活による膨らみではなく、そこには明確に新しい命が宿っていることを確認することが出来た。

 

 

「やったー! ねえねえ! もう男の子が生まれるか女の子が産まれるか分かるの?」

 

「もちろん。今日お医者さんに見てもらったんだけど凄いわよ、奇跡の双子ですって。それも男の子と女の子。千尋はもうすぐ二人のお姉ちゃんになるのよ」

 

「えへへっ♪」

 

 

自分に妹が出来る。

 

新しい命の誕生の知らせに、言い表せない喜びを感じていた。母親のお腹に手を当てて新しい命の動きを、温もりを感じようとする()()と呼ばれた人物。

 

かつての自分の思い出のワンシーン、もう十数年ほど前の出来事になる。

 

千尋は当時小学三年生、まだまだ護衛の仕事とは無縁な生活を送っていた。普通の少年少女と同じように学校へ行き、学び、遊び、青春を謳歌する。誰もが成長の過程で通る人生を歩んで来ていた。

 

そんな自分に同時に弟と妹が出来る事実を喜ばずには居られない。

 

生まれて今まで一人っ子として育てられた千尋、年齢を重ねるに連れて周囲の友達は弟、ないしは妹がいる子も多く、兄妹特有のやり取りを見ているうちに凄く羨ましく思うことがあった。

 

もちろん、これまで自分のことを大切に育ててくれた両親には感謝しかない。それでもどこか()()()()()時間も多いことに些か孤独感を覚える日々が増えていった。それでも一人っ子である事実は変わらない、願ったところで急に弟や妹が産まれてくるわけでもない。半ば諦めかけていた矢先の朗報に、彼女の頬は嫌でも緩む。

 

これからどんな楽しい生活が待っているのだろう。

 

自身が思い描いていた生活がようやく叶う。

 

憧れていた姉弟姉妹のやり取りができる。

 

歳が離れていたってそんなの関係ない。二人がが幼稚園や小学校に通うようになったあかつきには、自分が責任持って送り届けるんだ。

 

一緒に学校へ登校するのは千尋にとって一番の夢だった。

 

いつ産まれてくるのか、早く自分の弟妹たちに会いたい。

 

その想いは日に日に、千尋の中で大きくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ現実は無情だった。

 

 

「……会えないってどういうことなの」

 

 

何を言っているのか分からない。どうして会うことが出来ないのだろう。行っている意味が分からない、告げられた理由を受け入れられることが出来ない。

 

二人と合う日を心待ちにしていた千尋にとって、告げられた宣告はあまりにも受け入れがたい内容だった。

 

幼き千尋には到底理解出来なかったに違いない。産まれてくるまでには様々な過程がある。上手く受精出来たから産まれてくるか、と言われたらそれは大きな間違いになる。

 

約一年もの間、お腹の中で生活をする間にイレギュラーというものは存在する。無事に生まれてくることが出来た命がいくつもある中で、産まれることが出来なかった命、それが一定確率で存在することも事実なのだ。

 

声を震わせ俯きながら、千尋は何とか言葉を口にする。

 

 

「……」

 

 

もう一人の女性も悲痛な表情を浮かべたまま、何も喋れない状態になってしまった。彼女の名前は霧夜神流、千尋の実の母親だ。千尋はもちろんのこと、神流にとっても受け入れがたいものだったに違いない。

 

生まれてくるはずの我が子を二人同時に失ってしまったのだから、肉体的・精神的苦痛の度合いは計り知れない。

 

 

「私、いい子にしてたよ? 宿題も忘れずに出したし、お母さんの言うことだって聞いたし、手伝った。迎え入れるためのお部屋だって作ったの。三人でこれからどうやって遊ぼうかなって」

 

 

なのにどうして。

 

自分に妹や弟が出来ることを楽しみにしていた千尋は、いつ生まれても良いように妹や弟を迎え入れる準備を進めていた。部屋も準備して、貯めていたお小遣いをためて一緒に遊ぶためのおもちゃだって買った。

 

後は二人が産まれてくることを待つだけの万全な準備まで整えている。お姉さんらしくあろうと勉学はこれまで以上に励んだし、姉として生まれてくる二人に色々と教えることが出来るように家のことだって色々手伝った。

 

 

「千尋……」

 

「名前だって考えたんだよ。弟は()()、妹は()()って。お母さんだって素敵な名前ねって言ってくれたのに。どうして? どうしてなの……うぅ……ねぇ! おかあさん!」

 

 

まだ九歳の少女が受け入れられる訳が無い。彼女の気持ちは痛いほどに分かる。神流は理由を尋ねる幼き千尋をギュッと抱きしめた。

 

神流だって辛い。お腹の中の子供を失っただけでなく、医師から伝えられた言葉は()()()()()()()()()()()()という非情な宣告だった。

 

現実から目を背けたくなる事実を胸の内にしまい込み、千尋の悲しみを受け止める。

 

 

「ごめんなさい千尋……ごめん、ごめんね……生んであげられなくてごめんね……」

 

「おかあ、さん……う……うぇ……うぇええええええ」

 

 

声を押し殺すように泣く。もう二人には会えない。その事実は変わらなかった。

 

受け入れられないような事実は千尋の心を容赦無く抉る。

 

この日、()()()()()()()()()()()は天へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ霧夜千春って名前は……」

 

「そう、私の生まれてくるはずだった実の妹の名前よ。もし仮に無事に生まれてきて成長したらあの顔になったかっていうのは分からないけど、私に妹がいたら……って思ったら身体が固まっちゃってね。逃がすつもりなんて毛頭なかったんだけど、身体は動いてくれなかった」

 

「そ、そうだったのか」

 

 

これまでに色んな過去話を聞いてきたが、千尋姉に双子の弟妹が生まれる予定だったというのは初めて聞いた。

 

名前も大和と千春。

 

二人に与える予定だった名前の一つを俺に付けた。

 

 

「驚くわよね。大和の名前が付けられる経緯ってこれまでちゃんと話してこなかったから。あぁ、でも安心して! 生まれてくる予定だった弟と大和を決して重ねている訳じゃないわ。それとこれとは話が別だもの。目の前にいる大和は大和でしっかりと、私は愛情を注いでいるつもりです。って、注ぎすぎたかな?」

 

 

えへへと笑う千尋姉も過去に妹弟を無くして相当に辛い思いをしただろう。そのような過去があるからこそ、弟として招き入れた俺に対して並々ならぬ愛情を注いでくれたのかもしれない。

 

愛情を注ぐって言うと少し恥ずかしいけど、これほど嬉しく感じるものはなく、思わず頬が緩む。

 

 

「で、その前提があった上での今回の霧夜千春、ね。大和も思ったと思うけど、あの顔は似すぎよ。似すぎているって言うよりも、私がまんま十年前に戻ったような顔にしか見えないわ」

 

 

千尋姉も言うように姉妹だからよく似ているね、というレベルでは無い。()()()()()()()という部分が肝になる。

 

千尋姉の実母、神流さんも千尋姉と似て綺麗な顔立ちはしているが、あくまで親子だから良く似ているよねレベルであって完全に同一人物かと言われたらそうではない。

 

今回あった霧夜千春は顔のパーツから体躯まで十年ほど前の千尋姉と全く変わらなかった。

 

 

「だからあの子を母さんが生んだ……とは考えにくい。あるとしたら大和のように遺伝子レベルから作り出された、っていう可能性ね」

 

「……」

 

 

つまりは彼女、霧夜千春も遺伝子強化試験体という線が強くなってくる。

 

ただしこれはあくまで仮説であって証拠がない。本人が作り出された存在であるという証拠が。

とはいえ近々で似たような人物に会っていることも事実だ。先日、俺は瓜二つの銀髪姿の男と相まみえている以上、作り出された人間たちが他にも複数人いるということになる。

 

つまり彼女が遺伝子強化試験体である可能性は十分に考えられた。

 

 

「こりゃ骨が折れるね」

 

 

考えることが更に増えた。

 

一夏や俺の周りを取り巻く環境がどんどん複雑なものになっていく。そしてあまりにも敵対する人間が多すぎて、頭がパンクしそうだ。

 

もはやため息しか出てこない。現況は常に洗い出してインプットしているが、迂闊に人を信じることも難しくなる。

 

 

「私と瓜二つなら、私の遺伝子情報を何処かから引っ張って来たんだと思うけど……こればかりはどこからでも集めることが出来るから防ぎようが無いわ。例えば抜け落ちた髪の毛とか。偶然なのか分からないけど千春って名前をつけたところも気になるし」

 

 

自身の髪の毛を触りながら千尋姉は言う。

 

普段の生活で髪の毛は何本も抜ける。千尋姉がいる場所に行けば容易に採取をすることが出来るだろう。

 

……って想像したら何か気持ち悪くなってきたな。

 

髪の毛を手に入れるために年頃の女性に執着する研究者たち、どんな地獄絵図だ。

 

後はどうして実の妹に付けるはずの『千春』という名前を名乗っていたのか。千尋姉が何処かと繋がっている可能性は……うん、一番考えられなさそうだな。となるとたまたまか別の誰かが意図的に洩らしたのか。

 

闇は深まるばかりだ。

 

 

「どちらにしても継続して情報収集は必要ね。本人と直接アポイントを取って聞き出せたら楽なんだけど……そんな上手く行くかしら」

 

 

現実的に考えて世間から追われている人間の彼女が、そう易易と姿を一般世間様の前に現すとは考え辛い。

 

たまたま目の前に現れるのを待つか、それともこちらからあらゆる手段を使ってアプローチを図るか、どちらの手順を行ったところで効率的ではなさそうだ。

 

そうは言っても現状を踏まえるとまた俺たちの前に姿を現す可能性は十分にある。そのチャンスを如何に逃さずアプローチ出来るか、そこは大きな分かれ目にはなってきそうだ。

 

流石にIS学園に戻れば俺の専用機もメンテナンスが終わって戻ってくるはず。というかまともな稼働が一回だけってもはや専用機と読んで良いものか、悩ましいところだが、専用機があればまた戦い方も大きく変わる。

 

少なくとも簡単に逃げられることは無いはずだ。

 

 

「さて、と。所々話が脱線しちゃったけど、大和が聞きたかった話っていうのはこんな感じで大丈夫かしら?」

 

「あぁ、凄く分かりやすかった。ありがとう千尋姉」

 

「いえいえ、どういたしまして♪」

 

 

どちらにしてもある程度情報は掴めた。

 

ただ一つ千尋姉にとってはちょっと辛い過去を思い出させてしまったかもしれない。

 

本人の中ではもう過去の話であり、割り切っているのかもしれないが、それでも自分の血の繋がりがある実の弟と妹を失ってる。

 

当時は相当なショックを受けたに違いない。そう思うと千尋姉の頭に自然と手が伸びていた。

 

 

「な、何? 急にどうしたの?」

 

 

頭に手を置き、頭が揺れないように優しく頭を撫でる。

 

 

「いや、まぁ……話し辛いことを話してくれたから、俺なりのお礼というか」

 

 

極論、お礼だ。お礼になっているかは甚だ疑問だけど。

 

 

「あら、優しいじゃない。流石モテる男は違うわね〜」

 

「からかうなよ。それにさっきナターシャさんの身代わりをしてもらっていた時に腕を強引に引っ張られたり、頬を張られたりしただろうからその……やっぱり心配で」

 

「ふふっ、過去のことは残念だったけど、誰にでもあることだしね。もう引き摺ってないわ。それと身代わりをしていた時のことくらいなんてこと無い。腕は変に痛めないように上手くいなしたし、張られた時も衝撃は緩和してるから大して痛みはない。一時的にちょっとだけ赤くはなっちゃったけどね」

 

「そうか。まぁでも何かあったらすぐに言ってな」

 

「うん、ありがと」

 

 

聞くことは聞いたし、今日はもう遅い。

 

明日明後日は仕事に対しての事務処理諸々があるからそろそろ寝ようとベッドに飛び込もうとする。

 

 

「……千尋姉?」

 

 

と思ったところで、千尋姉がにじりにじりとこちらに四つん這い状態で猫のように近づいて来ている姿が見える。

 

ニヤリとどこか獲物を見つけた猛獣のように……ってえ? 何かこれ何処かで既視感があるような。

 

 

「えいっ♪」

 

「うおっ!?」

 

 

突然抱え込まれたと思うと力任せに容赦無くベッドの上に倒された。大の字でベッドに倒れ込む俺の身体の上に千尋姉は跨る。

 

跨った千尋姉は意地の悪そうな笑みを浮かべながら、人の胸元を人差し指で触った。

俺の服装は身体にフィットしたタイプの加圧シャツでボディラインがくっきりと出ているため、接点の少ない人差し指などで撫でられるとむず痒くなり背筋がゾクゾクする。

 

 

「んふふ、お礼なら私はこっちの方が良いなぁ」

 

「いや、あの……千尋さん?」

 

「けしかけたのは私だけど、やっぱり大和が他の女の子の香りで包まれるのは姉としてちょーっと面白くないかなぁって」

 

「はい?」

 

 

一体この姉は何を言っているのでしょうか。

 

あまりにも突っ込みどころが満載すぎて、どこから突っ込んだものかと考える暇もなく今度は全体重を掛けて抱き着かれる。

 

 

「……さっきから柑橘系の香りで大和の香りが上書きされてるんだもん。ナターシャちゃんの香りは嫌いじゃないけど、今私は大和の香りを味わいたいの」

 

「え?」

 

「だから一旦私の香りで上書きするわ」

 

「ちょっ……!」

 

 

抜け出そうにもポイントポイントで押さえつけられているせいで力が出せず、千尋姉を跳ね除けることが出来ない。相手を簡単に無力化するにはいい方法だが、こんなタイミングで披露しなくてもと思うばかり。

 

抱き着いたままあらゆる部分を触られるのはある一種の拷問だ。手足だけでなく人の胸や背中、お腹と満遍なくくっつきながら顔を埋める。数分間ほど同じことを繰り返すとある程度落ち着いたのか、抱き着いたまま俺のおでこに自身のおでこを合わせてきた。

 

ぱっちりとした目付きで俺の顔を見つめる千尋姉。こうして間近で見るとホント年齢不相応という言葉が良く似合う。

 

くりっとした大きな眼に年齢不相応に見える童顔で整った顔立ちで化粧なんかは一切していない。女性によっては千尋姉の年齢になってくると肌の状態や張りが気になるということで化粧をする人が大半な中、普段も仕事中もノーメイク。大人っぽい雰囲気のナターシャさんになりすます時は、元のイメージ上書きするためにメイクを施したものの、基本的にすることはない。

 

熱を帯びた顔が俺の直ぐ目の前にある。普段は幼い感じの雰囲気の千尋姉だが、今は少し熱を帯びた大人びた雰囲気であり、服装も相まってちょっと色っぽく感じられる。

 

 

「だって大和、今日はナターシャちゃんばっか構うから……」

 

 

俺の目を見つめながら可愛らしく拗ねた。

 

年上ということを完全に忘れる可愛らしさにこちらがキュンとしてしまう。今日一日、俺はずっとナターシャさんからベッタリだった。

 

仕事モードの時には一切の感情を出しはしなかったものの、ナターシャさんが俺にくっついていた風景は見ている。道中の車移動で抱き着かれていた時はわざとらしく咳払いをするなど、所々で感情が出掛かりそうな雰囲気はあった。

 

それでも仕事中のスイッチの切替は流石で、一切私情を挟むことは無かった。二人で街に出かけた、とは言ってもあれはあれでプライベートというよりかは仕事の側面が強く、本人はナターシャさんになりきる必要があるのだから素を出せる訳が無い。

 

本音はもっと甘えたかったってところだろう。

 

 

「わ、私だってあなたの女なんだから、二人きりの時はやっぱり私だけを見て欲しいって思うし、やっぱり他の女の子の香りがすると上書きしたくなるっていうか……うぅ」

 

 

自分で言って自分で恥ずかしくなってしまいカアッと顔を赤らめる。

 

仕事の時の千尋姉の雰囲気は自のものではない。外からの干渉を極力遮断し、任務の遂行に脳内思考を切り替えるためにあえてそう振る舞っているだけに過ぎない。

 

どちらかと言えば俺と一緒に居る時の千尋姉が本性に近い。本気で言っているのかと言われるかもしれないが、長年見て来ている俺が言うんだから間違いない。

 

 

「つまり……嫉妬?」

 

「っ! そ、そうよ! 悪い? どうせ私は嫉妬深い女ですよーだ!」

 

 

悪かったわね〜と言いながら、ポカポカと胸を殴ってくる千尋姉だが、ただのじゃれ合いのようなもので全く痛くはなかった。

 

まぁ千尋姉もナターシャさんのことをちゃん付けで呼ぶくらいだし、認めているのは間違いない。

 

 

「はははっ」

 

「な、何よ。急に笑い出しちゃって。そんなに私、変だったかしら」

 

「あー、違う違う。俺の姉は可愛いなぁって思って。仕事中はただひたすらにカッコいいのに、二人になるとこれだからギャップあるよなぁって」

 

「ぎゃ、ギャップって……仕事の時は無意識にスイッチが入っちゃうのよ。本当は優しくしてもいいって思う自分もいるんだけど、私たちの仕事って常に命懸けだから普段の状態でいるのは無理なのよね。さっきみたいな私が囮になるとかなら護衛対象が居るわけじゃないし、相手がどうとでもなるなら話は別なんだけど……って! そんな私のことを説明しなくてもいいのよ!」

 

 

いや、自分から丁寧に説明をしてくれたんでしょう。

 

しかしあれだ、改めて思うけど我が姉は可愛い。年齢をかなり気にしているけど、そんなのは差し引いても十分にお釣りが来る。

 

ただ本当にこのまま俺に生涯付き添う、ってことで千尋姉も、ナターシャさんも納得が出来るのだろうか。今の日本の法律では籍を入れられる……つまり婚姻関係を結べるのは一人だけになる。

 

二人には何度も説明しているが、俺には切っても切れないパートナーがいる。俺がこれから振られたり捨てられたりすることがない限り、彼女以外と婚姻関係を結ぶつもりはない。二人はそれでも良いから俺の傍にいさせて欲しいと言った。

 

男冥利には尽きるけど……一般世間には到底公表できるものじゃない。

 

 

「今日は疲れちゃったわ。明日は帰る準備をしないと行けないし、日付も変わっているし寝ましょ?」

 

 

夜も遅いのでこれから寝るわけだが、俺の上から離れたかと思うと、ベッドに寝転びながら布団を自分に掛ける。

 

私の懐に飛び込んできなさいと言わんばかりに布団を開いた。一応この部屋は俺が寝るように用意してくれた部屋だと思うんだけど、千尋姉は自分の部屋に戻るつもりは毛頭ないらしい。

 

 

「あの、俺のベッドなんだけど?」

 

「知ってるわよ。大和のベッドってことは私のベッドってことだから別に私が寝ても問題ないよね? 折角だからおねーちゃんが一緒に寝てあげるわ」

 

「そうか。分かったよ」

 

 

提案に対して特に否定することも無く、横になる千尋姉を抱き込むようにして布団に潜り込んだ。

 

 

「へ?」

 

「ん?」

 

 

何とも間の抜けた返事が返って来た。胸元で顔を上げながら意外そうに俺の顔を凝視する。

 

 

「いや、だって一緒に寝るって言うからさ」

 

 

俺が思っていたことと違ったのだろうか。

すっぽりと胸に収まる千尋姉をキュッと優しく抱き寄せる。

 

「あの、ちょっと思っていた反応と違うというか……」

 

「もっと照れたり恥ずかしがったりするかと思った?」

 

「っ! も、もう!」

 

 

図星だったようで逆に千尋姉が耳まで顔を赤くしながら胸元に顔を埋めた。

 

本当は俺自身をドッキリとさせるつもりだったのだろう、逆に俺に感づかれてしまったことで自分が恥ずかしい思いをした、ってところか。

 

 

「大和」

 

「ん?」

 

 

腕を抜け出していそいそと俺の目線と同じ位置に移動してくる。お互いの身体の距離はゼロ、自分の顔の数センチ前に千尋姉の顔があった。

 

ワイシャツ姿の千尋姉も見慣れたものだが、電気を消して部屋が暗くなるとどことなくアダルティ雰囲気になる。普段は子供っぽい千尋姉もこの暗がりだと大人っぽい雰囲気になるというか。

 

照明を発明した人は偉大だ。

 

 

「んー……ちゅっ」

 

「んっ……」

 

 

目を閉じで唇を突き出すと、優しく俺の唇に千尋姉の唇が触れる。初めてのキスの時はキスをしたことの無かった千尋姉に盛大に頭突きをされたことを考えると、ずいぶんとお淑やか……優しくなったものだ。

 

 

「んふふ……おやすみのチュー。大和の匂いがして凄い幸せな気分になる」

 

「っ! い、いきなりなんつー小っ恥ずかしいことを」

 

「……だって本当だもの。大和と触れ合うと心がポカポカしてくるの。これぇ、ホントにやみつきになりそう……」

 

「へ? あの、ちひ……ンンッ!!?」

 

 

最後まで言い切る前にとりあえず黙っておけと言わんばかりに唇を塞がれる。

 

……あれ、これやばくないか? 主に俺の貞操概念的な意味で。

 

こんなところで大きな声を出そうものならたちまち隣の部屋にいるナターシャさんに勘付かれてしまう。この状況でナターシャさんがこの部屋に入ろうものなら……その後の展開は容易に想像できる。

 

と、言っている間にも千尋姉の手が顔から上半身、腹筋と辿って下半身……って!

 

 

「ぷはぁ! ちょっ、それはストップ!! ここ人んちだって!」

 

「ん〜……なによう……」

 

 

唇を離すとそこにはトロンとした目付き。ナターシャさんもそうだし千尋姉も……それからナギも()()()()()()()()()()()()()()()皆似たような顔をする。

 

したことがあるのは一人だけだけど。

 

折角いい雰囲気だったのにとでも言いたげな抗議の視線を向けてくるが、全く抗議の視線になっていない。むしろいつもより大人びた何とも妖艶な雰囲気しか感じられなかった。

 

 

「もう……でも、しょーがないから今は我慢してあげる〜。大和はわたし、の……」

 

「?」

 

「すぅ……すぅ……」

 

「ね、寝たか。はぁ……良かった」

 

 

その前に千尋姉の眠気が限界になったようで、俺の腕の中で可愛らしい寝息を立てながら眠りにつく。

 

その寝息は長かった激闘の一日の終わりを告げているようだった。

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