「大和くん、千尋さん。短い間だったけど本当に何から何まで世話になった。改めて感謝します。本当にありがとう」
「二人は私の命の恩人よ。二人に救ってもらった命、大切にしなきゃね。本当にありがとう」
長いようで短く、濃かったアメリカでの生活も終わりを告げようとしていた。
朝の内にホテルで荷物を纏めた俺たちは空輸で送れる荷物は先に送り、なるべく身軽な状態でホテルを出た。ちなみに手に持って出たのはキャリーバッグだけで、千尋姉に至ってはリュックサックのみ。
俺は日本の空港に到着後にそのままIS学園へと戻るため、少し詰めている荷物が多い。そんなこんなで呼び出していたタクシーに乗り、寄り道をせずに空港へと向かったわけだが、現地の空港まで見送りに来てくれたのはファイルスさん……いや、レオンさんとナターシャさんとばったり。
二人とも仕事を切り上げて、わざわざ見送りに来てくれている。
口々に感謝の言葉を述べてくれるが、こちらも仕事が終わってからは立派な部屋に泊めてもらったし、食事も用意してくれるなど最大限のおもてなしをしてもらった。
「レオンさん、ナターシャさん。短い期間でしたけどありがとうございました。こうしてお二人の身に何事もなく無事に仕事を終えられたことが何よりです。それから部屋や美味しい料理の提供も、本当に何てお礼言ったら良いのか……」
「気にしないでくれ大和くん。お礼を言いたいのは私たちの方さ。私たちは君たちに命を助けてもらった。この恩は返しても返し切れないと思っている。それに対してのささやかなお礼だと思ってくれればいいさ」
こちらの感謝に対しても常に低姿勢を貫くレオンさん。
これまではずっとファイルスさんと呼んでいたんだが、君とは対等な立場で居たいから是非名前で呼んで欲しいと言われて名前呼びに切り替えた。
自分よりも二回り近く年上の人にそう言ってもらえると何かいつも以上に嬉しく感じる。
「パパの言う通りよ。二人は仕事として当然のことをしたと思うけど、私たちも二人に対して当然のことをしたとしか思っていないわ。少なくとも命の恩人を無下にするなんて私たちには出来ないから」
気にしないで、と微笑むナターシャさん。
仕事を切り上げてきたということもあってレオンさんもスーツ姿、ナターシャさんも軍服姿だった。見送りのために来てくれたと思うと自然と胸が熱くなる。
久しぶりの本職ということで少し気を遣うこともあったし、体力的にも決して疲れなかったというわけではない。でもレオンさんのおもてなしの心と、ナターシャさんの笑顔を見ているだけで、その疲れはみるみる内に薄れていくような気がした。
隣で見守っていた千尋姉も話が一旦区切られたことで口を開く。
「この度は本当にありがとうございました。まずは無事に任務を終えられて良かったです。そして一宿一飯のお礼までしていただけるなんて大変助かりました。今度は仕事抜きに、もし日本に来るようなことがあったら是非我が家にも立ち寄ってください。精一杯おもてなしさせていただきます」
いつもの雰囲気は何処へやら。
めちゃくちゃ大人びた口調で感謝を伝えていることに、何かちょっと斬新で感動している自分がいる。
あぁいや、千尋姉がそういう対応が出来ないってことを言っているんじゃなくて歳相応の行動を見ているとホッとすると言うか何と言うか。
形容しがたい喜びがある。
「あら、二人の家? それも興味あるわね。それじゃあ休みが取れたら今度行ってみようかしら」
立ち寄ってくださいという一言にナターシャさんもノリノリだ。
二人で住むだけでは広すぎるくらいだし、誰かが泊まりに来ても寝れるだけの部屋数は確保してある。団体で泊まりに来たとしてもある程度は対応が出来るレベルだ。
ただもし俺がいる時にナターシャさんが泊まりに来たら割り当てられた部屋で寝ることは無いんだろうな。十中八九部屋に忍び込んでくるだろうし。
「いつでもお待ちしてるわ。だーけーど! 大和の部屋に忍び込む時はちゃーんと許可を取ること! 勝手に忍び込んだらダメだからね?」
めっ! っといつもの千尋姉の雰囲気に戻る。というより許可を取ったら部屋に忍び込んでいいのか。
俺のプライバシーは何処へ。
そもそも大したものは部屋に置いていないから入ったところで面白くも何ともないと思うんだけど……うん、それでも入りたいのなら入ればいいと思う。
「あら、それは凄く興味あるわ。大和くんの部屋を見るための計画でも立てようかしら。パパ、数日間日本に行ってきてもいいわよね?」
「あぁ、ナターシャの好きにすると良い。大和くんや千尋さんのところに遊びに行くのであれば、私も野暮なことは言わないよ」
「やった♪」
いつ行こうかな〜なんて計画を考える始めるナターシャさんだが、旅行の目的が人の部屋の閲覧は中々にギャグセンスが高いようにも感じる。
俺の部屋って観光地か何かなのか。
部屋を見に来るためだけに日本への旅行を企画するって、これまたとんでもない行動力だ。他の人がどう思うかは分からないけど、俺自身が人の部屋を見るためだけに国外に行けと言われたら多分行かない。
それがもしナギの部屋とかだったら……あー、行きたくなる気持ちが分かるかもしれない。
「千尋姉、そろそろ」
「あっ、うん。そうね!」
時計を確認してフライトの時間が近づいて来ていることを伝える。既に搭乗口への門は開場しており、荷物検査のための長蛇の列が続いていた。
この門を潜ればしばらくの間アメリカに来ることは出来なくなる。仕事のための短期間の出張とはいえ、親しくなった人たちと離れるとなると少し寂しい。
地球上の何処かにいれば、また何処かで会うことは出来るが、そう簡単に機会を作れる訳でもない。距離的な理由もあるし、お互いの事情というものもあった。
俺はIS学園の学生であり霧夜家の人間としての務めがある。ナターシャさんも一個人としての時間もあれば、軍属としての仕事もある。
お互いに時間を合わせて会うこと、それは簡単そうに見えて非常に難しいものだった。
コホンと一つ咳払いをすると、改めて二人に感謝の気持ちを伝える。
「それでは皆さん、お元気で。本当にありがとうございました。また何かあったら遠慮なく連絡して下さい」
いつでも連絡して来て欲しい。
今回二人には仕事依頼用の連絡先とは別に、俺と千尋姉のプライベートな連絡先も交換した。顔を合わせてコミュニケーションを取ることは出来なくても、声や文面ならいつでも連絡を取り合うことが出来る。
プライベートな連絡先を教えるということは、仕事という壁をなくして本心から付き合う信頼の証のようなもの。この人たちには仕事としてではなく、一個人としてこれからも関わっていきたい。
そう思えた。
「あぁ! 二人の更なる活躍を祈っているよ! またいつでも遊びに来てくれたまえ」
「身体には気を付けて、無茶しちゃダメだからね? 特に大和くんは。また遊びに行く時は連絡するからよろしく♪」
「ははは……お待ちしております」
ナターシャさんの一言に思わず苦笑いを浮かべるしかない。横から『そーだそーだー♪』とからかう千尋姉の声に、その様子を微笑ましく見守るレオンさん。俺に父親というものは存在しないけど、実際父親がいたらこんな感じになるのだろうか。
それからこれはもう散々言われ続けていることで、無茶をしている自覚しかない。仕事上、無茶をせざるを得ない状況になれば人命を優先して無茶をする。
それが原因でナギと盛大に喧嘩して大泣きされた苦い経験があるわけだが、俺の身分を明かすことで今は理解してくれている。もちろん常に心配してくれているみたいだし、必要のない無茶はしないで欲しいと釘は刺された。
常に胃がキリキリするような状態にしてしまっているところは本当に申し訳ない気持ちで一杯だが、護衛一家の人間に付き添う以上、常に命の危機にさらされる覚悟は必要になる。
ナターシャさんも今回の俺の仕事を見て、常に命と隣り合わせの仕事をしていると認識しているのは間違い無い。可愛らしくごまかしてくれてはいるものの、人として無理な行動は極力控えてほしいと心配する気持ちは当然だった。
二人に手を振りながら背を向けると、搭乗口へ続く列に並ぶ。密度の濃い時間だったのは間違い無いし、色んなことを改めて学ばされた一週間だった。
目下一番の懸念としては霧夜千春になる。
千尋姉と瓜二つの顔を持つ女性の真意や目的は何なのか。また一つ厄介事がふえてしまい、早急に対応を検討する必要がありそうだ。
IS学園に戻ればまたいつも通りの生活が戻ってくるだろう。学生生活は充実しているとはいえ、厄介事や面倒事は絶えない。その中でも自分の本分だけはこれからもブレるつもりはない。万が一の時に備えて準備をする。万が一が起きたら迅速に対応する。
俺がやることは何一つ変わらない。
ただそんな中でも実りある生活を送りたいという本心があるのもまた事実だ。この平穏がいつまで続くのかは分からないけど、今この一日を。
噛み締めながら過ごしていこう。
「あ、大和くんごめん! 渡し忘れたものがあるからちょっと取りに来てもらえたりする?」
「ん……渡し忘れたもの?」
列に並んでいると不意に背後からナターシャさんの声が響き渡る。IS学園の皆に買った土産物は既に鞄の中に入れているから、純粋にナターシャさんが何かを渡し忘れたようだ。
荷物を持って列から外れようとすると。
「大丈夫よ。荷物見ておいてあげるから行ってきなさい」
千尋姉が俺の荷物を手に取りながらジェスチャーで行ってきなさいと伝える。俺のすぐ後ろに並んでいた乗客も、状況を察してか気にしないで良いと言わんばかりに笑みを浮かべた。
ペコリとお礼を伝えると列から抜けて、ナターシャさんの元へと駆け寄る。すると隣にいるレオンさんは反応に困る笑みを浮かべている。嬉しいとか歓喜のような笑みというよりかは子供のいたずらを仕方ないなぁと見守るような笑み。
何だろう?
「どうしました? 何か渡し忘れたみたいですけど」
「ごめんね、列に並んでいる中呼び寄せちゃって。大したことではないんだけど、これは渡しておきたくて」
そう言いながら懐から一枚の白い封筒を取り出す。
パーティーにでも招待するような少し洒落た封筒だが、中身に厚みはない。開け口もしっかりと封がされている。
中身は何だろうかと封を解こうと手を掛けるが。
「あっ、ちょっと待って。封を開けるのは必ず日本に戻ってからお願い」
「え? あ、はぁ。そういうことであれば……」
ここでは開けないようにと言われて懐に仕舞い込む。何だろう、中身が何なのか果てしなく気になる。
ナターシャさんのことだから変なものを入れるということはしないだろうし、とはいえ手紙を渡すっていうことは手書きで感謝の気持ちを伝えたいとかだろうか?
もしそうなのであれば確かに感謝の気持ちをここで見られるのは恥ずかしいのも頷ける。日本についてからというのが少し引っ掛かるけど深く気にしても仕方なさそうだ。
「確かに受け取りました」
「ありがとう、じゃあいよいよお別れね。向こうに着くまで少し長旅になると思うけど、気を付けて」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「それと……」
一歩踏み込んで俺の近くへとナターシャさんは歩み寄る。してやったりの何処かいたずらな笑みを浮かべながら、端正な顔立ちが吸い寄せられるように俺に接近し。
「……んっ」
唇通しが触れ合い、お互いの距離感がゼロとなる。温かく柔らかな感触と、ナターシャさんの柑橘系のコロンの香りがダイレクトに鼻腔を燻る。
隣にいるレオンさんは思わず『若いって素晴しいな。妻が帰ってきたらサプライズでもしようか……』などと呟きつつ、自分の娘の大胆な行動に少し頬を赤らめながらポリポリと搔く。
ここは人前で、周囲には全然知らない第三者もいる。搭乗口の門付近で繰り広げられるラブコメ展開に視線の大半が集中した。アメリカでは似たようなことが多く発生するのか、日本に比べると嫉妬の視線は少ない。
ただナターシャさんの大胆すぎる行為に周囲から『WOW!』とか『Amazing!』という驚きの声が聞こえてくる。
「……無事に帰れるおまじない。また
唇を離した後、ナターシャさんはぎゅっと俺の身体を抱きしめるとはにかみながら一歩後ろに下がる。神通力なんてものを信じたことは無いが、どことなく無事に帰れる可能性が上がった気がした。
いや、そもそも無事に帰れないっていう可能性の方が圧倒的に低いけど。
「ありがとうございました。では、また……!」
照れを隠しながら踵を返すと改めて搭乗口へと繋がる列へと戻る。幸い並んでいる人間は増えておらず、スムーズに戻ることが出来た。
俺を出迎えてくれたのはニコニコと笑みを浮かべる千尋姉。
うん、怖いね。何とも言えない怖さがあるねこれ。千尋姉の笑顔はすごく好きなんだけど、一連の行為の後だけに不自然なまでの笑顔がすごーく怖い。
「大和ったらほーんとにモテるわね。いいなぁ、私ももっと大和とイチャつきたいな〜」
確信犯的に俺にくっついてくる。
認めた相手とは言っても公衆の面前でのイチャつきを見せられたら多少なりとも嫉妬はするのだろう。
「ちょっ、ここ空港「さっきキスまでしといて何言ってるの」……はい、そうです。私が悪かったですので許して下さい」
「んふふ……いやーん♪」
くっつく力がより強くなる。これは無理矢理引き剥がそうと思っても難しそうだし、他の人の通行の邪魔になるだろうからこのまま搭乗口に向かうとしよう。
その後、搭乗口で荷物の検査を終えた俺たちは、若干周りから白目を向けられながら飛行機へと乗るのだった。
「ホントに一週間、お疲れ様千尋姉」
「えぇ、大和もね。何だかんだ大変だったけど、ここ最近の仕事の中では一番良かったんじゃないかしら。依頼主も含めてね」
アメリカの空港を出発して三十分。飛行機はグングンとスピードと高度を上げて日本に向けて巡航を続けていた。ここからまた十数時間の長旅が始まる。
つまりこの飛行機内でもう一泊する必要がある。
座席に腰掛けながら今回の任務を簡単に二人で振り返る。仕事内容としては決して楽なものではなかったが、依頼主……レオンさんが本当に素晴らしい人だった。お金をもらって動く立場である自分たちは、依頼主を選ぶことが出来ない。
だから場合によってはハズレを引くことだってある。レオンさんはこちらに自ら歩み寄って手を差し伸べてくれるだけではなく、自分たちの住処を宿として提供してくれた。これまでの仕事経験で、依頼主から宿を提供された記憶などない。
基本的には自分たちで衣食住全てを確保し、時間になったら護衛対象に付き添って命懸けで護ることが俺たちの仕事だ。故に依頼主からの施しを受けないこと方が当たり前であって、今回のケースがイレギュラーの中のイレギュラーだった。
この対応に慣れてしまうと、他の仕事でハズレを引いた時にギャップで困惑しそうになるが、あくまで今回は運が良かっただけに過ぎない。
「それでもあれね、やっぱりあの家のソファーに慣れると……エコノミーの座席はやっぱり座り心地が微妙だわ」
「ははっ、確かに。それなら今後の移動はちょっとグレード上げてファーストクラスにする?」
「良いわねそれ。でも母さんたちにしれっと領収書出したら凄い怒られそうだから、自腹かしらね~」
こういう時に経費で落とせればなと千尋姉。うちは前線に出るメンバーもいれば一般的な会社のように経理部門も存在する。
支払われる報酬は前線メンバーに直接行き渡る訳ではなく、霧夜家総本山の口座に振り込まれるため、そこをこちらで管理する必要はない。そこから諸々差っ引いた金額が成果報酬として自分たちに振り込まれる。
それとは別に移動などで掛かっていた諸経費は全て経理部門に申請する必要がある。護衛一家、という代紋は掲げているものの、やっていることは一般的な企業と変わらない。依頼料でこの生業は成り立っている。その経理や庶務などを全て担当しているのが千尋姉の実母神流さんだ。
一家の金銭まわりや事務処理を全て管理する立場にあるため、何処でこの金額が発生したのか、どの経路、どの交通機関を使って現地へと行ったのかを全てチェックしている。
そこで想定されていない金額……例えば新幹線で言うグリーン車、飛行機だとビジネスクラス、ファーストクラスなどの金額が上乗せされていようものなら、後のことはお察しだ。
自腹であれば特に怒られることは無いが、そこそこに高い金額が飛ぶことを考えると懐は寂しいものがある。既に一生遊んで暮らせるだけの金額を稼いでいる千尋姉からすれば痛くも痒くもないだろうけど、経費として落とせるなら経費で落としたいというのが人間の本音にはなるに違いない。
「でもこうして普通の席に座れる方が私は好きよ。だってファーストクラスとか変にVIP感でて落ち着かないじゃない?」
それはごもっとも。
あのVIP待遇の変に特別扱いがあまり好きじゃない。別に移動くらいは一般的なエコノミークラスで十分だ。まぁ、それが結婚とか特別な行事なのであれば検討しても良いかもしれないが、あいにくこちらは仕事終わりで何もVIP対応を望んでいるわけでは無い。
「さて、後は日本につくのを待つだけか。あーあ、折角大和と一緒にいれると思ったのにたった一週間じゃ少なすぎよね〜」
グーッと腕を伸ばして背筋を伸ばしながら、少し不満を口にする。
普段は俺は学生寮、千尋姉は自宅が生活拠点になっている。IS学園に入学する前は自宅で共に生活をしていたが今は偶の休みに帰省するくらいで、二人で生活をすることは一気に減った。
今は関係が関係だけに、俺自身と一緒にいることが出来る時間が減ったことで寂しさを感じているようだ。我慢も大切だけど、ナターシャさんや千尋姉みたいに自分の気持ちをストレートに伝えてくれるのも個人的には嬉しかったりする。唯一の困りごとがあるとすれば人前でも容赦無くスキンシップをはかろうとするため、人目に付くという部分だろう。
「ねー大和。学園の寮の一室とか貸してくれないのかしら。そうすればほら、すぐに大和に会いに行けるじゃない?」
「それは……流石に無理じゃないか? だって千尋姉は学園関係者じゃ無いし、いきなり学生や教員でもない人間が寮の一室から出て来たらみんなびっくりすると思うけど」
「えー、なによそれー! ぶーぶー! 私は大和関係者だぞー!」
パッと思いついた案を伝えて来たが、状況から考えて無理だと言うことを伝えると、ぶーたれた表情で抗議をしてくる。
普通に考えて学生でも教員でもない千尋姉がIS学園の部屋を借りるなんてそんな非現実的なことが出来るはずがない。もし学園の何かに携わる立場であれば、あわよくば……ってところであって俺の一存ではどうしようも無かった。
それに寮に来たとして、家の管理はどうするつもりなんだろう。俺が定期的に休みの日に帰って掃除諸々管理することは問題ないけど、千尋姉のことだから売り飛ばして新しく建てれば良いじゃないとか言い出しそうな気もする。
「ぶー……世の中って上手くいかないわねー」
全然千尋姉は納得しておらずムスッとリスのように頬を膨らませながら俺にもたれ掛かってくる。
「こればかりは俺の一存ではどうしようもないしな。でも千尋姉の口からハッキリと一緒に居たいって言ってくれたのはちょっと嬉しいかも」
「え? あ、いや……」
嬉しいと気持ちを伝えるとキョトンとした表情を浮かべた後、急に顔を赤らめて小さくなってしまう。不意にこっちの本心を伝えると耐性がないのか、赤面する千尋姉が可愛い。
「もう、大和の言う通りよ。そりゃ一緒に居たいに決まってるわ」
照れながらも本音を言ってくる。親しい関係だったとしても中々本音って伝え辛いものがある。
「大丈夫。もちろん毎日は無理だけど、俺も出来る限り会いに行くから」
「ホント?」
「あぁ、もちろん。一人寂しい思いはさせないからさ」
「さ、寂しいってそういうわけじゃ無いんだけど。でも大和がこれまでよりも会いに来てくれるっていうのは嬉しいな。でも大和が会いに来てくれた時には、もしかしたら家がちょっとばかし狭くなってるかもね?」
「ん? 狭くなってる?」
何気なく千尋姉が呟いた一言に思わず疑問を感じて質問する。
俺の聞き間違えか、いやそんなことはない。
間違いなく家が狭くなっているかもと聞こえた。
物理的に家そのものをリフォームでもしようとしているのか。あり得ないとは思うけど俺の部屋が撤去されているとか。それとも大量に荷物を買って部屋の一部を占領しているとかだろうか?
何にしても発言の意味が分からず、思わず首を傾げた。
「あはは、何でもないわよ。こっちの話。私に会いに来る時は大船に乗って会いに来なさい」
「いや、意味が良くわかんないんだけど。気にするなってことでいいのかな?」
「ええ、その認識で大丈夫よ」
何となく誤魔化された気もするが、変なことを考える人間じゃない。今の家だって名義は千尋姉のものだし、部屋の間取りを変えたいって思うこともあるだろう。
気にするなと言われたところで気になるのが人間の性分だが俺が家に帰った時にどうなっているのか、楽しみにすることにしよう。
俺の部屋がもぬけの殻にならないことだけ願うばかりだ。
「あぁ、そうだ。話変わるんだけど空港に着いた後はどうする? 疲れもあるだろうしそのまま家に帰るか?」
「空港についた後? 何かあるの?」
話題を切り替えて日本の空港に到着した後の話を投げかける。日本に到着した後の話に切り替わったことで、少し不思議そうな表情を浮かべながら俺の顔を見つめる。
何、大したことではない。
「実はナギが迎えに来てくれるって言っててさ。そこでクラスメイトの一人を紹介出来ればなって思うんだけど」
「クラスメイト……ナギちゃんとは別のってことよね? 誰かしら?」
「うん、ラウラって言うんだけど。ほら前にちょっと話したドイツの代表候補生の」
「あ〜あの子ね。大和のことを『お兄ちゃん』って言いながらついて回っているっていう。何ヶ月か前に知っているかどうかって大和が聞いてきた子だ」
「そうそう。そのラウラもナギに着いてくるみたいなんだ。折角だし紹介出来ればなーって思うんだけど……時間含めた都合って厳しそう?」
日本の空港に着くのは大体日曜日の正午前後の話になる。アメリカを出発する前にナギにおおよその帰宅時間をメール連絡したんだが、空港まで迎えに来てくれるとのことだった。
車を運転できる訳じゃないから一緒に寮まで帰るというそれだけの話だが、想い人と一週間振りに会うともなれば自然と胸が高鳴る。
日曜日は学園も休みだし特に予定が入っている訳じゃないから特に双方で問題もない。
もちろん学園が休みともなれば、そこに所属している生徒たち全員休みとなる。どうやらラウラも予定が空いているらしく、ナギが誘ったところ二つ返事で『行く!』だったそうだ。
ナギが言うにはラウラも俺がいなくて少し寂しそうにしていたらしい。朝部屋に行けば、食堂に行けば居るはずの兄の姿がない。分かっていることとは言っても、現に居ないとなるとやはり寂しい気持ちにはなってしまうものだ。
クラスメイトたちに関してはそういうこともあるよねと、俺の休みを疑問に思う人間は誰一人いなかったそうな。物わかりが良いクラスメイトたちで本当に助かった。
ちなみに口ぶりからも分かるように千尋姉は俺よりもずっと前からラウラのことを知っている。
ラウラと俺の仲がまだ険悪だった時に一度電話で相談をしたことがある。忘れているかもしれないが、千尋姉はかつてドイツ軍の総合格闘の教官の仕事をしていた。
その時にラウラの所属している部隊も指導することがあったため、ラウラのことをしっかりと覚えていた。ラウラが試験管ベビー、遺伝子強化試験体として生み出された存在であることも。
ラウラが千尋姉のことを覚えているかどうかは定かではないし、姉の名前も出したことが無いからまさか自分が教えられた教官が兄と慕う人物の姉とは思うまい。久しぶりの対面でラウラがどんな反応するか、そこも実は密かなる楽しみだったりする。
問題なのは千尋姉の反応次第にはなるけど。
「ありがとう、喜んで参加させていただくわ」
快諾だった。
「それにしても懐かしいわね〜『ドイツの冷水』って言われてた子が大和に懐くだなんて。未だにちょっとびっくりしてるわ」
当時のラウラしか知らない人からすれば今のラウラは全くの別人に感じることだろう。話には聞くけど久しぶりに会うであろう千尋姉も驚きを隠せないでいた。
「『ドイツの冷水』ねぇ……今のラウラからは想像もつかない呼ばれ方だな」
本当に全くと言っていいほど想像が付かない。学園に来た当初はあだ名通りのイメージで、触れたら切れそうな雰囲気もあったけど、改心してからのラウラを見たら、ドイツの冷水って何処のギャグですかと笑われそうだ。
見た目は一緒だが中身は同一人物かどうかも判別が付かないのではないかと思うレベルの変わりようを千尋姉はどう思うのか見ものである。
「私が教官やってた時はそう呼ばれていたのよ。実際に他の人間と話している姿なんて見たことないし、チーム連携なんてもう目も当てられなかったんだから」
「へぇ……そうなんだ。でも一応はラウラも千尋姉の教えは受けたんだろ?」
「一応ね、とはいっても最初は酷かったから無理やり聞かせたわ。命のやり取りが発生する仕事だからね。その後は割とちゃんと私の教えは聞いてたと思うけど……後は千冬くらいか、他の人は分かんないわ」
「そ、そうなのか」
何気なく言っているけど、一夏だけでは飽き足らず、ナギやセシリアや鈴に手を出した挙げ句、こちらからのコミュニケーションにはまともに取り合わず、あの時は俺も相当手を焼いて、タッグマッチと屋上での一連のやり取りを経てようやく改善させたあの時のラウラに『無理やり聞かせた』って一体何をやったのだろうか。
物凄く気になるところではあるけど、命のやり取りがある仕事というあたり、目には目を歯には歯をの教えに則って力づくで言い聞かせたってことなんだろう。その時の光景を想像するだけでも鳥肌が立つ。
当時の仕事モード状態の千尋姉に噛み付くなんて相当な度胸が無ければ出来ないはずだ。ただ一言言ってあげるとしたら御愁傷様、という言葉が相応しいかもしれない。
「それで、ラウラちゃんに会わせてくれるってことは養子縁組でも結ぶのかしら?」
「違うって。普通にラウラに会って欲しいだけさ」
「あら残念。でも母さんは多分いつでも賛成してくれるはずだから、全然ウェルカムよ」
「さいですか」
いつの間にか養子縁組を結ぶ話に持っていかれそうになるが、今回の目的はそうでは無いと軌道修正した。てか何で養子縁組を結ぶ前提になっているのか、まずはそこからだ。
俺自身あまり詳しくないけど、俺も養子縁組制度を使って霧夜家に入ることになったわけだし、その制度次第はラウラに適用することだって出来ると思われる。
今でこそラウラの周りには色んな仲間がいるけど、遺伝子強化試験体として育てられた以上里親はないだろうし、無いとは思うけど結婚もしないともなればラウラは将来天涯孤独の身となってしまう。
いずれはラウラの判断に任せてそういう措置を取るのも一つの手かもしれないが、それは俺じゃなくてラウラが決めることだ。もしラウラが望むのであれば彼女の希望に寄り添ってあげる、それが俺の兄として出来る行動だと思っている。
「まぁ、あれだ。その話はおいおいってところで」
「あっ、うまく逃げたわね」
「逃げてないって。会っていきなり養子縁組の話しされたら流石のラウラも引くでしょうよ。それに遠くない未来、必ずこの手の話は出てくるさ」
確証はないけどそんな気はする。
俺の勘だけど。
「そこはそれぞれの人生だからね。私も無理やり養子縁組を結べ! なんて言わないから安心して頂戴。でもその手の話が出るようなら必ず相談すること、いい?」
「ん、分かった。ありがとう」
さて、現状ある程度話したいことは話しきった。
ここからずっと雑談を交わすのも良いけど、後十数時間何を話そうか。
「早々に話すことなくなっちゃった……って顔してるけど?」
「俺ってそこまで分かりやすい顔してる? 表情に出しているつもりは全然ないんだけど」
「分かるわよ、だって大和のことだもの。誰よりも私が知っているわ」
話題が尽きたことを早々に悟られたわけだが、さらっと嬉しいことを言ってくれる。
変わらず俺の肩に凭れ掛かりながら、上目遣いで俺のことを見つめてくる。話すことが無いのなら大人しくしているしかない。穏やかに過ごす時間、これまで喧騒に包まれていた数日間を過ごしてきた俺たちにとって必要なのは安息の時間だ。
何もせずにホッと一息つく時間を確保したところでバチは当たらない。
心身共に完全に休める時間がここしばらく無かったからなのか、ある程度睡眠時間を確保したにも関わらず、タイミング良く眠気が襲ってきた。座席に背中を預けるとともに、押し寄せる睡魔に逆らうことが出来ずに闇へと落ちる。
それは俺だけでは無く、千尋姉も同じだったようだ。
「ねぇ、寝て起きたらまた話の続きしない?」
「そう、だな。何かこうして居ると眠気が……」
「私も……ふふっ、こうして大和と二人で寝るのが何よりも幸せ……」
二人仲良くお互いに肩を寄せ合いながら眠りへと落ちた。
無事に仕事を終えた俺たちは一週間ぶりの日本に想いを馳せながら日本へと帰還する。
本来なら寝にくいはずのエコノミーの座席も、この時ばかりは幾分か心地よく感じることが出来た。
日本にいる皆は元気にしているだろうか。普段は自分の身体以外のことを考えることも多いが、今日はただひたすらに身体を休めること、千尋姉と二人で眠りにつくことだけしか考えられなかった。
左肩にかすかに感じる温もりが安眠へと誘うには十分だった。
フライトから十数時間後、俺たちはいよいよ日本の空港へと到着する。