「あー着いた。やーっと帰ってきたな」
長かった、本気で長かった。滑走路に着陸した飛行機から降りて、日本に降り立つとようやく帰ってきたという実感が湧いてくる。
行きの時に言ったかもしれないけど、十数時間座りっぱなしは普通に身体が固まって痛くなるし何より普通に疲れる。
巡航中、特に機体トラブルもなく空港に到着した俺たちは荷物の引き受け場にて機内に持ち込んだ荷物を回収して空港出口へと向かっていた。
「やっぱり遠距離移動は疲れるわね。身体中が凝ってる感じがするし、今日は温泉にでも浸かりに行こうかしら」
「あー温泉ね。確かに今はすごく入りたいかも」
身体中がカチコチだとほぐすために温泉にでも浸かりたくなる。普段は部屋のシャワーで済ましてしまうことも多いけど、今日は寮の大浴場を使って疲れを癒やすことにしよう。
明日からはまたいつも通りの学園生活がスタートするし、風呂に浸かってしっかりと気分を切り替えていこう。
「ところでナギちゃんたちは何処にいるの?」
「えーっと、確かメールに書いてある待ち合わせはもうすぐなんだけど……」
空港についたらナギたちと合流する予定で、待ち合わせ場所に向かっている最中。一旦通行の邪魔にならないように通路の端に立ち止まり、携帯電話を取り出して待ち合わせ場所を再度確認する。
今いる場所から待ち合わせはすぐ。二人のことだし時間を守って早目に来ていることだろう。
「そう。じゃあ久しぶりの再会ってことになるわけね。折角だし驚かしちゃおうかな〜」
「驚かすって……ラウラを?」
「そうそう。今のラウラちゃんがどんな反応してくれるかやっぱり興味あるもの。あっ、もしラウラちゃんが逆上して襲われそうになったら助けてね?」
「ラウラが逆上するわけないでしょうが」
「ふふっ、じゃあそういうことだからちょっと離れるわね」
千尋姉はいたずらな笑みを浮かべながらコソコソと俺から距離を取る。
ラウラのことだから襲う可能性はゼロだと思うけど、久しぶりに会ったら驚くだろうし、相応の反応は見せてくれるに違いない。おそらく通常時の状態ではなく仕事モードとしての姿でアプローチするつもりなんだろう、こりゃラウラだけじゃなくてナギまでびっくりしそうだ。、
さて、確かメール文だとこの辺りだったと……。
「お?」
ふと視線を向けた先にこちらを見つめる人物が二人居る。
「あっ……!」
俺の顔を認識したのだろう、声を漏らすと共に表情に笑みが灯る。嬉しそうなそして何処か安心したような優しい微笑みが俺の心を癒やす。
こちらに歩み寄ってくる人物が一人、もう一人は俺であると確信を持ったのか小走りでこちらに近づいてきた。
「お兄ちゃん! おかえり!」
地面を蹴ったかと思うと、勢いそのままに俺の胸元目掛けて飛び込んで来る。
小動物な雰囲気を纏いながらもそのアタックは中々に強烈なもの。バランスを崩さないように両足で力を込め、迫りくる衝撃を受け止めた。
ボフッという音と共にラウラは顔をお腹に埋める。
「ただいまラウラ。元気にしていたか?」
「もちろん! ちゃーんと勉強もしたし真面目に生活していたぞ!」
「ははっ、そうか。ラウラのことだから不真面目になるなんて思わないけどしっかりやってたんだな」
左手を伸ばし顔を埋めるラウラの頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。ラウラも気持ちいのかもしれないけど、撫でる方は撫でる方で癖になるんだよなこれ。
割とずっとこうしていられる。頭を撫でているとラウラに遅れるようにナギが俺の傍に近寄って来る。ニコッと満面の笑みを浮かべながら。
「おかえりなさい大和くん♪」
そっと俺の手を握ってくる。手を介してナギの温もりが直に伝わってくると、無意識に身体全体が紅潮していくのが分かる。
圧倒的慈愛に満ちた優しげな雰囲気は、他の誰にも真似できないものであり、落ち着いた口調が心に最大限の安らぎを与えてくれた。
「あぁ、ただいまナギ。寮から遠いのに迎えに来てくれてありがとうな」
「ううん、そんなことないよ。学校は休みで授業もないし予定も今日は無かったから。それに」
感謝の言葉を伝えると、予定は無かったし気にしないでと笑う。
「―――私も大和くんに早く会いたかったから」
照れくささと微笑みの混じった何とも言えない表情を浮かべながらも、自身の気持ちを実直に伝えてくる健気な姿に視線を外せなくなる。
これは……ちょっとズルい。そんな顔をされたらますます愛しくなるではないか。気が付くと俺は握っていた右手を一度離し、その手を伸ばしながらナギの身体をそっと自分の元へと引き寄せ、おでこ同士をくっつけた。
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しい」
「大和くん……うん」
その温もりをもっと感じていたい。
本当ならもっと先にと進んでいきたいところだったが、残念ながらここは不特定多数の人間が行き交う空港。長時間抱き合っているのは素面の状態では少しばかり恥ずかしい。
名残惜しそうに離れると再び照れくさそうにナギは笑みを向ける。あぁもう、ちょっとこの子可愛すぎる。本人としては全く意識していないんだろうけど、このあざとく無い素直な感じがナギの魅力なんだよな。
っとやばいやばい、ナギやラウラとの再会は嬉しいけど話を進めないと。俺から離れたナギが周囲をキョロキョロと見回しているかと思うと、首を傾げながら俺に質問を投げかけてきた。
「そういえば千尋さんも一緒って聞いてたんだけど何処に行ったの?」
「あぁ、もちろん一緒に帰ってきてはいるんだけど、先に行っててって言われてさ」
「そうなんだ。お花摘みにでも行ってるのかな?」
一緒にいると伝えていたはずの人間がいないことに気付き、何処に行ったのかを聞いてくる。実はすぐ近くにいるんだけど、完全に周囲に同化して気配を消すあたり普通の人では中々に気付けない。
と、ここで会話に出ていた千尋姉の名前に抱きついていたラウラが反応を示す。
「ぬ? 千尋さんというのはお兄ちゃんのお姉様になるのか?」
ある程度堪能を出来たのか表情はどこか満足そうだった。名前を聞いた様子をみる限りでは気付いている様子はない。というかラウラに姉がいるって話をしたことがあったっけかな……何処かで薄っすらとした覚えはあるんだけど確証が持てない。
恐らくだけど教官時代の千尋姉は名前で呼ばれること呼ぶこともあまり無かったんじゃないかな。教える相手は基本的に名字呼びだろうし、兵士たちは名字呼びか教官、もしくは役職呼びになるだろうから、名前を聞いて直ぐに思い出す方が難しいかもしれない。
おっと、噂をすれば何とやらだ。ラウラとナギの後ろから近寄る影。
周囲の人間には見えているだろうけど、背を向けている二人にその姿を視界に捉えることは出来ない。気配を消し、足音を抑えてゆっくりと二人の背後に立つ。
「そうそう。確かもうすぐ……あぁ、来た来た」
二人は姿も見えなければ気配も感じないが故にキョトンとした表情を浮かべる。
俺の言葉を合図に、二人の背後から声を掛けた。
「―――やぁ、ボーデヴィッヒ。いや、今は少佐か? 随分と偉くなったもんだ。久しぶりだな」
「えっ?」
「はっ……?」
背後から聞こえてきた声にそれぞれ別の反応を示す。
ナギは仕事モードに入った時の千尋姉の話し方を聞いたことがない。もちろんこの声質も紛うことなき千尋姉本人の声なんだが、通常時とガラッも雰囲気が変わるものだから普段の姿しか見たことのない人間からすれば判別がつかない。
いきなり声を掛けられたと思ったら見ず知らずの人間の声。少し驚いた表情を浮かべながらも背後を振り向こうとする。
一方のラウラは間の抜けた声を出しながら硬直していた。背後から呼び掛けられたのは自分の名前であり、その名前を知っているということであればラウラが顔見知りの人物である可能性は高いものの、自身のラストネームを呼び捨てする人間は基本的に自分より立場の高い人間になる。
そして自分の軍内での役職まで知っている人物。かつて何度も聞いたその声の出所にギギギギッとロボットのように振り向いた。
「ん? どうしたそんな辛気臭い顔して。私の顔はそんなに物珍しい顔をしているか?」
「ち、千尋さん!?」
「……」
続けざまに千尋姉は仕事モードのまま畳み掛ける。
ドイツ軍教官時代の雰囲気を醸し出そうとして髪を後ろで束ねてポニーテールにし、いつもの優しそうな表情ではなく、キリッとした日本刀のような雰囲気を纏う姿にナギは見間違いじゃなくて本当に千尋さんだよね? とでも言いたげに俺と千尋姉を交互に見る。
はい、紛うことなき千尋さんです。
顔を見上げたまま呆然と硬直するラウラ。目の前の人間が自分の知っている人物だからだろうか、それとも過去のトラウマが蘇ってしまったのだろうか、いずれにしても全く動く気配がない。
固まること十数秒、ようやく言葉を発した。
「き……」
「き?」
ラウラの口から出てきたのは『き』という単語だった。
……気、木?
どちらの意味だろう。ラウラの言葉の意味が分からずに千尋姉もやや雰囲気を緩めながら首を傾げる。
何とも言えないやり取りが行われている中、ラウラの隣にいたナギが驚いた表情を浮かべながら俺の傍に駆け寄ってくる。
と、同時に。
「き、きききききききき霧夜教官!!? な、何で貴方がここに!」
驚き、というか半分恐怖心に駆られたような緊張感ある表情を浮かべながら、その場で背筋がピンと張った直立姿勢を取った。元々普段の姿勢も綺麗なラウラだが、いつも以上にビシッとした直立姿勢が素晴らしい。
手をおでこの前に構えたら完全な敬礼をしているみたいだ。
ラウラの口ぶりから見てもかつての教官のことはしっかりと覚えていることがよく分かる。ってか教官時代、千尋姉のことは霧夜教官って呼んでいたのか。ラウラらしい。
「何でって……私も日本に帰ってきたから?」
「あぁ、俺と一緒にね」
そろそろ頃合いだろうと俺が話に割り込む。
「えっ、えっ?」
オロオロと困惑するナギと。
「お兄ちゃん? き、霧夜教官? えっ?」
大量の情報を整理出来ずに口を魚のようにパクパクとするだけのラウラ。
驚いた姿を見て満足出来たのだろう、髪留めを解いて髪を下ろすと手櫛でさらっと靡かせながら整え、満足そうに笑った。
「あははっ、ほーんとに私が教えてた時とは別人ね! 大和が嘘を言ってるなんて思わないけど、ここまで変わるだなんて」
口調も通常時へと戻す。先ほどとは打って変わったかのような穏やかで優しげな口調で話す姿にようやく自分の知っている人物と合致したようで、ナギが俺に話し掛けてくる。
「あっ、千尋さん……大和くん、これってどういうこと?」
「二人とも、びっくりさせてごめんな。千尋姉はラウラの元教官なんだ、ドイツ軍時代のね」
「ええっ! そ、そうなの?」
ナギもラウラと千尋姉に接点があるなんてことは知らない。俺も聞かされるまでは知らなかったし、驚くのも無理はない。
「え、お兄ちゃんのお姉様が霧夜教官なのか?」
「おう、そうだ。名字も一緒だろ。顔は……うん、千尋姉の方が綺麗過ぎるかな」
「あら〜嬉しいこと言ってくれるじゃない!」
俺と顔が似てるかどうかと言われると血縁関係がない以上、そこまで似ているわけではない。
ただ美人かどうかと言われたら間違いなく美人だ、それも絶世の。俺から褒められたことが嬉しかったようで、いつもの調子で俺に飛び付いてきた。
「ち、千尋さん! ここ人前ですよ!」
人前だからと引き剥がそうとするナギだが、しっかりとしがみついているために中々離すことが出来ない。
「えっ、霧夜教官? ホントにあの……霧夜教官?」
ラウラの知っているドイツ軍教官としての千尋姉はまさに厳しさの塊だったのだろう。
常に命のやり取りが行われる最前線の現場へと赴任する軍人たちを指導する身にあったのだから、その厳しさは想像を絶するものに違いない。
ラウラの初見の反応をみる限りでも、如何に徹底的に指導をされていたのかがよく分かる。想像も出来ないレベルの相当厳しい訓練を課していたのだろう。
ドイツ軍の教官としての千尋姉と、目の前にいる千尋姉を比べたらギャップに乖離があり過ぎたようで、ますますラウラは困惑していく。
「あはは、ごめんごめん
「ら、ラウラちゃん……」
自分がしこたま怒られ続けていた人間にまさかちゃん付けで呼ばれる日が来るとは思いもよらなかっただろう。
そんなことよりも目の前にいるのがあの恐れていた教官なのかと瞬きを繰り返す。彼女の中では鬼軍曹のイメージしか無いため、普段の姿を受け入れることが出来ずに戸惑っているようだった。
「お久しぶりです千尋さん。話し掛けられた時はよく似た別の人かと思いました、ホントびっくりです」
「こんにちはナギちゃん、久しぶりね。夏休みの時以来かしら? 髪を切ってまた一段と可愛らしくなっちゃって。それにおっぱいやおしりも少し大きくなったかしら?」
「えっ、ええっ!?」
「やめんか」
二人は夏休みぶりの再会になる。
あの時はまだナギがロングヘアだったため、短いボブヘアのナギは初めて見ることになる。長い髪も良いけど、短い髪型もよく似合ってるという見解は俺と合致している。というかどちらもそれぞれに良さがあるし、一概にどちらが良いというのは決められない。どちらも可愛い、それが真実だ。
可愛いと褒めるのは良いけど、その後に出てくる言葉はセクハラまがいの言葉の数々。手を突き出してワイワイと指を動かすと、ナギは顔を赤らめて反射的防衛本能で自分の胸元を両手で隠した。
口を開けば暴走する我が家の姉、人懐っこいところは良いんだけど、千尋姉じゃなかったらセクハラでしょっ引かれているぞと心配になる。ラウラに至っては暴走発言の数々に口あんぐり、完全に千尋姉のイメージが崩壊したんじゃなかろうか。
まぁでもこれで少しでも緊張感が取れればそれはそれでいい。
とにかく、これで全員合流が完了したわけだ。こんなところで立ち話もなんだし、別の場所に移動するとしよう。空港内であれば飲食店も充実しているし、食べる場所に困ることはない。
時間的にお昼のピークタイムで、混雑している店も多いだろうけど良さそうなお店を探すとしよう。
「とりあえず全員合流したし、近くのレストランでもどうだ? 二人もお昼はまだ食べてないんだろう?」
「あっ、うん。多分皆で食べるかなと思ってお昼ごはんはまだ食べてないよ」
「わ、私もまだ食べてないぞ!」
ナギに遅れるように我を取り戻したラウラが反応をする。
決まりだな。
「んじゃ、行くか。この空港内の店ならある程度知見があるし、四人で入るのに良さそうなお店がある。そこに行ってみようか」
「えぇ! そんなことがあったんですか?」
「そうそう。大和ったら中々にませた子供だったからね〜」
「ははは、そんなこともあったっけな」
「うむ……やはりお兄ちゃんは昔から大人びていたのだな」
無事に昼食にありつけた俺たちはそれぞれの過去話に花を咲かせていた。
とはいっても多くは俺の昔の話ばかり。ナギやラウラが知らないような過去話を嬉しそうに語る千尋姉、当時は中々にやってんなって思ったけど、多少成長した今なら良い思い出話だ。
ここにいる全員、俺が遺伝子強化試験体であることは知っているが、俺が一夏の護衛として動いている事実を知っているのは千尋姉とナギの二人だけ。家業の部分には触れないように話を進めていく。
正直なところ、ラウラにはもう話しても良いんじゃないかとは思っている部分もある。もうほぼこちら側の人間、身内みたいなものだし。口も硬いから秘密にしていることをおいそれと第三者に他言することはないだろう。
「そういえば霧夜教官、かつてお兄ちゃんは貴方に救ってもらったと言っていたが、一体何をされたのですか?」
「え? 私?」
「んげっ、このタイミングでそれ出すか」
話が盛り上がりを見せる中、ふとラウラが学園での過去話を千尋姉に投げ掛けた。我ながらあの時ラウラに投げ掛けた言葉は臭かったと思っている。
タッグマッチの後、俺はラウラに『強さ』の定義についての宿題を出している。彼女なりに新しい一歩を踏み出すために色々と考えたのだろう、結局数時間考えても見つけられずに俺の部屋を訪れ、屋上でお互いに矛を交えることになった。
『強さ』の定義に関しては直ぐに導き出せるようなものではない。それは己の人生経験から自然と構築されていくものであって、数時間考えたところで結論が出るようなことではないからだ。とはいえ前提が何もない状態で考えるのも難しいだろうと思った俺は、きっかけになればと思い、俺はラウラと手合わせをすることに同意した。
結果、手合わせの結果は俺が圧勝したわけだが、そこでラウラに救ってくれた人がいるって話をしたことを思い出す。
遺伝子強化試験体の実験としてこの世に生み出され、ゴミ同然に捨てられた俺は、研究者と同じ人間の言うことなんか信じられなかった。
それは霧夜家に拾われてからも同じ。しばらくはホント人にも言えないくらいひどい態度をとっていたと思う。基本的に俺を世話してくれたのは千尋姉だったが、当時十五歳。普段は一般の学校に通う学生だった。学生の本分は勉強、青春を謳歌することである中、ずっと俺に寄り添ってくれた。
人からの話なんて聞こうともしなければ、こちらから何かを伝えるわけでもない。
コミュニケーションに難しかなかった俺を見捨てずに付き添い、人の優しさを教えてくれた千尋姉には感謝してもしきれない、返し切れない恩がある。絶望の淵から救ってくれた千尋姉は、どんな偉人よりも、俺の中で最も尊敬できる人であることに変わりない。
「うーん……難しい質問ねぇ。何やったかなぁ?」
特別なことはした覚えはないんだけど、といった表情で質問に対して首を傾げながら考え込む。そりゃそうだひたすら迷惑しか掛けてないのだから、やっていることが多すぎる。
ラウラ自身も気になるのかもしれない。敬愛する兄を救ってくれた人が何を俺に与えてくれたのかが。ひとしきり考えたかと思うと、話がまとまったのか切り出し始める。
「そうね、私としては本当に大したことはしたつもりはないの。強いて言うなら大和とちゃんと向き合うようにしたってところかな?」
「向き合う?」
「そう、向き合う。私だって難しいことを考えられたり瞬時に相手の求めることを判断出来るわけじゃないもの。出来るとしたらその人の本質をしっかり見て、自分がどうしたら良いか相手がどうして欲しいかを汲み取ってあげることくらい」
当時を振り返りながら懐かしむ千尋姉だが、本当に信じられないくらいに向き合ってくれたのを覚えている。
俺が一切反応を示さなくても必ず声を掛けてくれるし、どうして欲しいかを常に考えてくれる。毎日毎日、来る日も来る日も俺と本気で向き合ってくれた。
繰り返している内に徐々に人を、千尋姉を信じられるようになって初めて千尋姉と『会話』をした時は泣きそうな顔で抱きつかれたっけ。話してくれてありがとうって、あの時のことは未だに覚えている。
今思うとすごく大変だったと思う。人生経験が浅い学生が、コミュニケーションを一切取ろうとしない子供を相手にすることがどれだけ負担になっていたか。
「人って何でも出来るわけじゃ無いわ、私もだしもちろん大和もね。だから私が意識してたのは如何に大和と向き合っていくか、かな。今じゃ口達者な大和だけど昔はほんとに全然喋らなくてね。まぁそれはそれで可愛かったんだけど……いつの間にか喋ってくれるようになってた」
アイスコーヒーが入ったグラスを傾けながら、あの時は感動したなぁとポロリと本音が出る。
俺が初めて会話をした時のことを思い出したのか、千尋姉は自分のことのように嬉しそうに微笑む。
「これ、答えになってるかな? もし求めている回答と違ったらごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです。ありがとうございます。私も今なら霧夜教官の気持ちが分かるかもしれません」
「え?」
千尋姉の回答に対して今なら気持ちが分かるかもしれないと、強い眼差しでラウラは伝える。
「私もかつては誰ともコミュニケーションを取らず全ての人間を足手まといだと決め付けて、私には圧倒的な強ささえあれば良いと思ってました」
俺と出会った頃のラウラはまさしく自己的な考え方しかしない人間だった。唯一耳を貸す人間は千冬さんだけであり、それ以外の人間の言うことは全て聞かず。何なら自分以下だと見下し取り付く島もない状態。クラス内でも完全に孤立し、誰一人ラウラに話しかけに行く人間もいなかった。
「人を信じず、人を見捨て、人を傷つけて……それでも強さを、力を求めた結果、私は闇の力に飲み込まれました」
転校初日の一夏への暴力未遂に始まり、セシリアや鈴を一方的に痛めつけた挙げ句、全く事に無関係だったナギに対しても牙を剥いた。
タッグトーナメントでも勝てれば良いと強く願った結果ラウラ自身がVTシステムの暴走で闇の力に飲み込まれた。
自業自得、因果応報……そんな言葉が相応しい。少なくとも何人かの人間はそう思ったかもしれない。だが、俺個人としてはそんなラウラと自分がどこか似ていると感じていた。
ラウラにはかつてウォーダン・オージェの適合に失敗し、出来そこないの烙印を押された劣等感がある。弱い自分ではなく強い自分の虚像を見せることで、少しでも周囲に認めて欲しかったのだと。
「……そんな私に道を示してくれたのがお兄ちゃんでした」
強さだけを求めた人間には何も残らない。強さに取り憑かれた人間を利用しようとする人間は現れても、本当の仲間は現れない。
道を示してくれたなんてラウラは言ってくれているけど、俺も大したことをしたつもりはない。かつて千尋姉がやってくれたことを、そのままラウラにもやってあげただけだ。
相手としっかりと向き合うこと。
俺の差し伸べた手を握り返して、そこから自分を見つめ直して今があるのは他でもないラウラの努力になる。
「私がどれだけ拒絶をしてもお兄ちゃんは見捨てることはありませんでした。霧夜教官と同じように私としっかりと向き合ってくれた。私を遺伝子強化試験体ではなく、唯一人の『ラウラ・ボーデヴィッヒ』として見てくれた。その姿がたまらなく眩しくて……お兄ちゃんのような人になりたいって、そう思いました」
俺がきっかけでラウラがそう思ってくれたのなら俺としては嬉しい限りだ。
兄として慕う健気な姿を見ると、こう放っておけないと言うか……何か守ってやらないとっていう感情が湧いてくる。
「そう……色々あったと思うけど、大和がきっかけで変われたのは何よりだわ。でも嬉しいな、大和はちゃんと私の教えを他の人にも伝えてくれたんだね♪」
「伝えたっていうのかな? 頑張ったのはラウラだと思うし、俺としてはキッカケを与えたに過ぎないよ」
「そのキッカケが大切なのよ。もちろんそのキッカケを逃さずに掴んだラウラちゃんも偉いけどね」
「きょ、恐縮です!」
千尋姉に褒められたことに対して遠慮がちにラウラは反応する。反応から察するに褒められ慣れていないのだろう。
訓練で褒められることなんて早々ないとは聞くけど、元々の千尋姉に対する染み付いたイメージから、まさか褒められるなんて思っていなかったのかもしれない。
千尋姉も言うようにラウラはこの短期間で本当に成長した。それも驚くようなスピードで。いつかは成長スピードも緩やかになるんだろうけど、磨けば伸びる原石状態。伸び代はたくさんある。
「それから、ナギちゃんも色々大変だったわね」
「あっ、いえ。私はそんな別に……」
ラウラの話が一区切り付き、今度はナギの話題へと移る。大変だったという一言には様々な感情が込められているのだろう、実際夏休み明けからナギは散々な目にあっていた。
髪型が大きく変わっている。
確かにイメチェンで伸ばしていた髪をバッサリ切り落とすことが無いとは限らない。ただこれまで伸ばし続けていた髪を、何の理由もなく切り落とす必要はない。夏に初めて会った時のナギは背中まで伸びる美しい黒髪のロングヘアが特徴的だった。
それが僅か短期間でいきなり短くなっている。ナギを知る人が見れば何かあったと考えるのは妥当だった。内容がセンシティブなものであるため、ぼやかして大変だったと聞いたのは千尋姉としての配慮だろう。
いらぬ心配を掛けないように配慮しつつ、そんなことはないと言うナギだが本当に強い子だと思う。
「いや、本当にナギは大変だったと思う。頑張ったな」
「や、大和くんまで。そ、そんなことないよ。結局大事になっちゃったし……」
「まぁ、アレは大事になるよ。元凶はあの生徒たちだけど、あんな生徒たちを野放しにしていた学園にも責任もあるし」
騒動に関わった上級生たちは札付きの問題児として危惧されていたが、決定的な証拠を突き止めることが出来ずに今回の騒動が起きた。
ニュースにこそならなかったが、学園側の管理体制にも問題があったと判断されたようで色々と教師陣も対応に追われていたらしい。いつも笑顔を絶やさない山田先生が毎日疲れた顔をしていたことを思い出す。
ナギとしては穏便に済ませたかった思いもあり、俺やラウラ、それに楯無といった周囲の人間を頼ろうとせずに我慢を続けたわけだが、心優しいナギらしいとは思うものの、自分の髪を切られるという事態になってしまった。
幸いなことに現場の録音という逃れられない証拠を残していたおかげで、騒動に関わった上級生たちを全員追放することに成功。騒動は一旦は沈静化には向かったわけだが。
「全員が全員ではないけど、多かれ少なかれどの時代もロクでもないことを考える人間はいる。人の影響は一人を救うこともあるし、逆に一人を地獄に叩き落すことだってある。少なくとも俺は後者の人間にだけはなりたくないな」
「そうね、本当にその通りだと思う」
同じことを考える人間はこれから先出て来ないとも言い切れない。
人を変えることは大変でも、自分がそうならないように意識すること。
改めて心に留めることにしよう。
「ん〜皆を見ていると学生生活が恋しくなるわね。私の最後の学生生活なんて七年前だもの、キラキラしているみんなの姿を見ると歳を感じちゃうわね」
こんな問題ばかりが起きていても学生生活は比較的楽しめている。既に学生生活を終えた千尋姉は羨まし気に髪の毛をくるくると回す。
「千尋さんなら全然高校生としてもいける気がしますけど……何か制服凄く似合いそうです」
「うむ、それは私も思った。霧夜教官が制服を着ていたら全く違和感なく生徒に溶け込みそうな気がするぞ」
二人がすかさずフォローをするが実はその通りなんだよな。
一週間前に千尋姉がIS学園に忍び込んだ時も制服を着ても違和感無いし、誰も生徒であることを疑わなかったくらいだ。
「いや、それがマジで違和感なかったんだよな。ほら一週間前に見知らない生徒が来たって話が無かったか?」
「私は現地を見に行ってないけど、噂にはなってたかなぁ。何かすごい美少女が大和くんを訪ねてきたって」
「そうそれ。あれ実は千尋姉だったんだよ」
「「えぇ〜!?」」
「ふふん♪ まだまだ私も高校生と通用するかしらね?」
俺たちは再び明るい話に花を咲かせるのだった。
「ありがとうな、休みの中迎えに来てもらって」
「ううん、大丈夫。予定は特になかったし、さっきも言ったけど大和くんに早く会いたかったから」
「そっか。ありがとう」
空港内での食事会は無事に終了し、俺たちはそれぞれ帰路へとついていた。千尋姉は自宅へ、俺やナギやラウラはIS学園の寮へ。モノレールに揺られ外の景色を見ながら目的地へと向かう。
千尋姉も別れ際にかなり寂しがっていたけど、こっちには偶に遊びに来るって言ってるし、千冬さんにも寮に部屋借りれないか聞いてみる! とか息巻いてたから多分アレはマジで聞くパターンのやつだ。
んで、千尋姉がごねて千冬さんが対応し切れなくてそのしわ寄せが俺に来ると。
あれ、俺割食ってない?
それはさておき、これまではゴールデンウィークや夏休みといった長期休暇しか帰っていなかったけど、俺も時間を見つけて家には帰ろうと思っている。
理由はお察しだ。
最後に頑張んなさいって声を掛けられたのはエールのつもりだったと思うし、後で電話かメールでもお礼を言っておかないとな。
しかし一週間とはいえ、中々に濃いアメリカ出張だった。ホームシックになっているわけじゃないけど、若干の名残惜しさはある。
ナターシャさんも遊びに来てくれるなんて言ってくれてはいるんだけど仕事柄来る時間を確保するのは容易じゃないし会うのは当分先になりそうだ。
そういえば別れ際に何か重要な事を言っていたような気もするんだけど……。
「あっ」
何言ってたっけなと思いだそうとしたタイミングでナギが声をあげる。
同時に俺の右肩側に不意に重みを感じた。座席の座り方は俺をオセロのように挟んだうえで、俺の左側にナギ、右側にラウラが座っている。
右肩にもたれ掛かってきたのはラウラだった。先ほどから会話が減り、やたら静かだなと思っていたらいつの間にか気持ちよさそうな寝息を立てて寝始めてしまった。
「ラウラさん、大和くんが一週間いなくて毎日落ち着かなかったから帰ってきてくれて安心したんじゃないかな?」
言われてみれば長期休暇のように決まった休みの中で海外に出掛けるのではなく、登校期間に休みを取って海外に出掛けている。
ナギとラウラには諸事情で海外に行くとは事前に伝えてあるとはいえ、普通休暇でもない時期にわざわざ学校を休むだなんて、何か理由があるのではないかと思っても無理はない。
帰還してからも特に理由を聞かれることは無かったが、ラウラの中では俺がどこに行ったのか不安だったのかもしれない。
「楽しみ過ぎて昨日の夜もあまり眠れなかったみたい。でもラウラさんの寝顔、可愛いよね」
「それは分かる」
分かる人が見れば分かるだろう。ラウラの寝顔は本当に可愛いと思う。妹が寄りかかってきた兄の気持ちってこんな感じなんだろうか?
寝顔を見ているだけでも癒やされる。
ガタガタとモノレールに揺られながら他愛もない話を交わす。やがてナギも安心したように俺の肩にもたれ掛かってきた。
「本当にお疲れ様。本来なら疲れてる大和くんにこんなワガママは言っちゃだめだと思うんだけど。一週間振りに会ったから……さ。その……ちょっとだけ甘えさせて欲しいな」
肩に顔を乗せながら、右手で俺の左手を優しく被せてくる。こんな可愛いわがままだったいくらでも許せてしまう。彼女の想いに応えるように被せてきた手を握った。
駅に到着するまでまだしばらく時間がある。それまでは皆でゆっくりとこのひと時を過ごすとしよう。
―――再び、IS学園での生活がスタートする。
「ねぇ、大和くんちょっと聞いても良い?」
「ん、どうした?」
「大和くんから千尋さんの香りの他に柑橘系の香りが凄くするんだけど……詳しい話、聞かせてもらえるかな?」
「……はい」