「はー遊んだ遊んだ。どれくらい回った? 一日が経つのってホントに早いよなー」
既に日が若干暮れ始めていた。
夏の終わりから秋の始まり、日の入りが早くなったような気もする。少なくとも初夏にここへ訪れた時に比べたらその違いは明確だ。
ではすれ違う人が少なくなってきたか、と言われると実はそうでもない。今日に限っていえば前に見た時よりも遥かに人通りが多い。家族連れは少しずつ減っているようには見えるものの、学生などの若年層の新規入場が増えているように見える。
何かイベントでもあるのだろうか。
「本当だよね。私こんなアトラクション楽しんだの久しぶりかも。連れてきてくれてありがとね、大和くん」
「いやいや、ここに誘ってくれたのはナギだろう? むしろお礼を言うのは俺の方さ、ありがとな」
お昼をとってから半日をフルで使い、回りきれるアトラクションは全て回った。最初に入ったお化け屋敷こそナギは怖がっていたけど、それ以外のアトラクションはなんのその。
絶叫系はむしろ何回でも乗りたい! くらいに目をキラキラさせてたし、乗っている間もすごく楽しそうで終わった後もご満悦の表情を浮かべていた。コーヒーカップとかメリーゴーランドとかでも目を回すことは無かったから苦手なのがホラー系だけだったということが判明。ホラーも怖がりはするけど、それなりに楽しめるようでまた行ってみたいとのことだった。
あの後案内員の人から色々と情報を仕入れたのでお化け屋敷をネタバレすると、入る個室によって順路が違い、また流れるムービーも全く異なるとのことだった。今回俺たちが見たのは廃墟の病院のホラームービーだったけど他にも何種類かあり、探索ルートも違うらしい。
難易度もそれぞれで今回俺たちが入ったルートの難易度は上から二番目だったそうな。というかあれで上から二番目だったのか、最初はよくある内容だったけど最後の謎解きだけ制限時間も含めて随分と難しかったような気がする。
一つ難易度が下がると順路通りに進んでいけば出口には行き着けるもので、特に強制的なゲームオーバーはない。ゲームオーバーになるのは俺たちの難易度からで、難易度のシナリオに割り当てられるかは完全なる『運』だそうだ。
それから最後の謎の回答はやっぱり俺の見立て通り麻雀のことで、麻雀の役回りを知っている参加者であれば直ぐに突破する人も居るとのこと。
逆に分からなければ完全に積み状態で、勘で扉を選ばなければならない。故に大体外れるみたいだけど、あんだけ選択肢あったら良くても十パーセントちょっとの的中率だし外れたところで何の違和感もない。
ちなみに外れたら生きる屍たちに襲われるとのこと、おぉ、怖い怖い。
次に参加する時に以前参加した探索ルートを言えばそれ以外を割り当ててくれるみたいだし、次来た時はまた違うルートにチャレンジしたいところだ。
「さて、結構色々乗ったけどまだ行きたいところあるか?」
「あ、うん。ここに来たからまた大和くんと二人で乗りたいと思っているものがあって……あれ、なんだけど」
「あれって……あっ」
俺の背後を指差すナギに釣られるように視線を後ろに向けると一際大きな存在感を放つ、円型の搭乗物が見えた。先端にくくりつけられた円型の個室が、ゆっくりと時計回りに回っている。
一緒に個室に入った人とだけ時間を過ごすことが出来、人によっては最も幸せを感じることが出来る空間にもなるアトラクションの名前。
「観覧車か」
そう、観覧車だった。
俺とナギにとってはこのテーマパークでも最も思い出深いアトラクションになる。二人が初めて想いを通わせた場所、空間がこの観覧車だ。
これにまた乗りたいと切実な願いを伝えてくるナギ。俺としても断る理由もない。ここまでずっと遊び倒していたし、少し一息つくためにも観覧車に腰掛けながら窓の外に広がる夕暮れに染まる街並み、絶景を見て癒されるとしよう。
「うん。どうかな?」
「もちろん、良いに決まってる。二人で乗ろうぜ」
「……うん、よろしくお願いします」
ほのかに頬を赤らめながらそっと手を差し出してくる。その柔らかくか細い手をしっかりと掴み、観覧車の搭乗口に向かって歩き出す。
もしかしたらテーマパークで最後に乗るアトラクションは観覧車じゃないかと心の何処かで思っていた。二人で何処かを散策したり乗り物に乗ったりとそういう楽しみ方も良いけど、最後は二人だけの空間でゆっくりと過ごしたい思いがある。
誰にも邪魔されない鉄の格子で覆われた空間。誰かに干渉されることもなく二人だけの時間として確保したい。これは俺のエゴなのかもしれないけど、今、俺の頭の中は間違いなく彼女の存在で埋め尽くされていた。
観覧車の近くに到着して搭乗口に続く列へと並ぶ。
列とは言ってもそこまで大人数が並んでいる訳ではなく、待っているのは数組だった。前回もそうだったけど混み合う少し前をピンポイントで狙えた俺たちはツイている。
この観覧車から見る夕焼けはホント絶景になる。一番人気なのは夜らしいが、俺としては夕日が昇った何とも言えない哀愁漂う街並みの雰囲気が凄く風情があって好きだ。
しかしいざ観覧車に乗るって考えると緊張するな。
狭い鉄格子で囲まれた部屋に二人だけ、しかも寮と違って外からの邪魔は本当に何一つ無いと考えると特別な空間のようにも感じることが出来る。
「はい、それでは次の方ー……あら?」
「はい?」
列が徐々に短くなり、誘導員から声が掛けられたかと思うとふと顔をじろりと見つめられた。俺のことを見たかと思えば今度は隣りにいるナギの顔を見つめ、最後に交互に確認する。
「あ、あの?」
「あら、ごめんなさい。あなたたち前も来てくれたから覚えてたのよ。前と今を比べると随分と距離感が近づいたなぁって思っちゃって。おめでとう♪」
「あ、ありがとうございます」
その様子を不思議がって質問するが、ニヤリと笑うと俺たちが以前この観覧車に乗った時に担当していた誘導員の人だったことが分かった。
あの時緊張やら何やらが入り混じった状態で周囲のことはあまり覚えていないが、言われてみれば誘導員が女性だったことは覚えている。
帽子を深く被っているせいで顔までは分からないけど、どうやら前回担当してくれた人と同じだったようだ。どうやら二人の関係が以前と変化していることに気付いたようで祝福の言葉を投げ掛けてくれた。
「さっ、どうぞごゆっくり♪」
誘導されるがままに観覧車へと乗り込む。
前回はお互い向かい合うように座席に座ったが、今回は隣合わせで片方の座席に寄って座る。この距離感が今の俺たちの環境を如実に物語っていた。
ゆっくりと風に揺られながら上昇していく鉄の箱。この空間に居るのは俺とナギの二人だけ。開放された空間ではない故に二人が発する音だけが観覧車内に響き渡る。
とは言っても何かを話すわけでもなく、二人揃って静かに時を過ごすだけだった。
「……こうやって二人きりで観覧車に乗るのは二回目だね」
「あぁ、またこうして二人で乗れるなんて嬉しい限りだ」
テーマパークに来れば乗る機会もあるとはいえ、まさかこんな早く乗れるとは思ってもみなかった。
観覧車が一周あたりにかかる時間は十数分。一日の時間の中で換算するならほんの僅かな時間になる。それでもこうして二人だけでいられることを考えればその十数分は本当に貴重な時間だった。
「前回のこと、覚えてる?」
「もちろん、忘れるわけがない。俺が生きてきた中で一世一代……それはちょっと言い過ぎたか、それでもこれまでで一番勇気を振り絞った告白だったから」
内に秘めていた想いを伝えた観覧車内の出来事を忘れるわけがない。
これまで生きてきた十六年間で初めて異性に告白したあの瞬間はしっかりと自分の脳内に刻み込まれている。
「私もしっかりと覚えてる。初めて好きになった男の子に告白されて凄くびっくりしたけど、同時に凄く幸せな気持ちになったの。大和くんも私と同じ気持ちだったんだって」
それぞれをどう思っているのかなんて分からない。俺はナギに対して好意を持ってはいたけど、ナギが俺に明確な好意を持っていたかまでは分からなかった。ナギが俺のことを友達としてではなく一人の男性として好きだったことが確定したのは告白した後になる。
もちろんそれまでにも向けられる視線や対応が一人の男友達に向けるようなものではないものも沢山あったし、距離感も友達というよりは恋人に近しい雰囲気があった故に親密な関係だったことは分かってはいたものの、明確な恋心までを完璧に把握出来ていたかと言われるとそれは違う。
どちらにしても俺と初めて出会ってから、付き合い今に至るまでの間のナギの心境を把握することは無理に等しい。それとなくこう思ってるのかな、こう考えているのかなと推測をしながら行動はしてるけど、相手の心境を完全に把握出来るのならそれはもはや人間ではない。
人心把握に自信があっても限界がある。無理なものは無理だ。
「私と一緒にいる時間も多かったけど、同じくらい楯無さんといる時間が多かったから、私のことは異性として見ていないのかなって正直諦めている部分もあって。それでも大和くんは私のことを好きだって言ってくれた」
「そう、だったな……」
な、何か当時の出来事を思い返すと恥ずかしくなってくるな。
楯無も好きだし大切な存在に違いないけど、あの時俺が異性として好意を持っていたのはナギだけだった。そこから紆余曲折あって今は色々とグレーな関係を何人かと持っているけど、当時は本当にナギしか見てなかった。
楯無は変わらずアプローチを続けてくるっていうところは変わらないけど、そこに加えて何ていうか……最近は本当に色々な面で助けてもらっているんだよな。先日の専用機の訓練もそうだし、公私共に本当に世話になっている。
今でもナギが俺の最も大切なパートナーであることは変わらないし、これからも変わることはないと思っている。
そんな状態でも千尋姉やナターシャさんは俺と共に生涯を共にしたいと想いを伝えてくれた。もしかしたら彼女たちの中で意志が揺らぎ変わることだってあるかもしれない。それは本人の自由であり意向なのだから俺が止められるものではない。
それでも俺と共に生涯を共にしたいというのであれば、俺はその気持ちに向き合い全力で応えようと思う。
楯無は今はどう思っているんだろう。内容がセンシティブ故に本人に直接聞くことは出来ないが、俺と一意の関係になりたいのか、それとも純粋に共にこれからの生涯を過ごして行きたいのか。
……どっちなんだろう、俺としては凄く気になる部分だ。
と、話を戻そう。俺自身はナギに一途であり、本気で俺と一緒にいて欲しいという想いから告白をした。そして俺の告白をナギは受け止めてくれた。
「―――私も大和くんのことが好き。今までも、そしてこれからも。大和くんと共に居たい」
「あぁ、俺もだ」
気付くと俺の方にナギは視線を向けていた。お互い示し合わせた訳では無い、自然と目線が全く同じタイミングで合う。
隣り合わせの状態でじっと俺の目を上目遣いのまま見つめてくる。と同時に座席に置いた手の上に自身の手を乗せると更に俺との距離を近付けて来た。
髪型は短くなったけどそれ以外の顔のパーツや雰囲気が変わることはない。大きく純粋な美しい瞳が俺を射抜き、俺自身も彼女の瞳から目線が逸らせなくなる。俺の心境を悟ったのかニコリと天使のような微笑みを浮かべたかと思うと、空いている方の手を自分のカバンに伸ばし、そこから小さな袋を取り出した。
何だろう? このままいい雰囲気のまま的な展開になるのかと思っていた自分の煩悩を一度捨て去り、彼女が出してきた小袋に視線を映す。
「あ、ごめんね。想いの伝え合いみたいになっちゃったけど、観覧車に乗ったのは大和くんと二人きりになりたかったからでどうしても二人きりの時にこれを渡したかったの。はい、これ」
そう言いながら小袋を差し出してくるのに対して反射的に手を伸ばして受け取る。
何だろう受け取るとほんのりと重みが伝わってくるが、重量としてはかなり軽い部類に入る。二人きりの時に渡したいってことは相応に重要なものであることが伺えるが中身を見ないことにはこれが何なのか分からない。
というか今日って何か記念日だったっけか……?
付き合い始めた日付は先だし、何かナギに感謝されるようなことをしたかと過去のことを思い返してみるも思い当たるフシがない。
「今日って何かの記念日だったっけか?」
「ううん、特に記念日とかじゃないよ。ささっ、開けてみて」
「あ、あぁ。分かったよ」
言われるがままに小袋の袋を開ける。
いや、本当になんだろうか。
二人きりのタイミングを狙って渡してくるくらいだから、相応に重要なものだとは思うんだけど。
ガサガサと小袋を開封すると中から出てきたのは、両手で包み込めるほどの大きさの小さなアクセサリーケースだった。
「アクセサリー……?」
ボソリと一言呟くと顔にニッコリと満面の笑みを浮かぶ。笑みの理由を把握出来ず、アクセサリーケースを開くと中から出てきたのは。
「ゆ、指輪?」
そう、指輪だった。
高級感漂う銀色に輝くソレは夕日に照らされて何とも神秘的な状況を作り出している。キラキラとした宝石が指輪の部分についており、神秘的な光を放っていた。
……あれ、この指輪何処かで。
「ふふっ、気付いた?」
「これってもしかして……」
「うん。私が着けていたネックレス……今は指輪かな。それと全く同じモデルなの」
そういうと自身の左手薬指にはめた指輪をそっと見せてくる。俺の手元にある指輪はナギにプレゼントしたものではない、つまりナギが自分で購入したものになる。
まさかショッピングモールでナギが一人買いに行ったものって。
「これを……俺に? ど、どうして?」
ナギが俺にプレゼントを送る理由が分からずその理由を聞く。リアクションに対してそうだよねと言いたげに苦笑いを浮かべた。
「本当は事前に聞かなかった私が良くなかったんだけど……大和くんの誕生日プレゼントになればなって思ったの」
「た、誕生日?」
「うん、誕生日。出会ってから今まで私たちお互いの誕生日について話したことってなかったでしょ? 私はまだ先なんだけど、きっと大和くんの正確な誕生日は分からないんじゃないかなって思って……」
言っていることは当たっている。
ご存知の通り、俺は普通の妊娠からの出産で産まれてきた存在ではなく、遺伝子強化試験体としてこの世に生み出された試験管ベビーだ。
本来なら出生日くらい大元を辿れば分かるのかもしれないけど、残念ながら既に研究は打ち切られている。
それに非人道的な実験に抵触していたということで研究計画そのものが完全に中止されて、国外への漏洩や個体の持つ戦闘能力の高さを恐れて実験個体は廃棄処分。生きる術も無くスラム街にゴミ同然に放置された。
と、同時に廃棄処分と同時に実験の記録は抹消されて、データの存在そのものが消されているため『存在しないモノ』として処理をされているはず。つまり俺の本当の出生日を完璧に特定することは出来ない。
戸籍上の誕生日は俺の戸籍を作る時に『四月一日』ということで届出をしており、千尋姉も同日には祝ってくれているがあくまで仮の誕生日であって本当の誕生日ではない。
もし誕生日を聞かれたとしたら『四月一日』と答えるが、ナギの言うように正確な誕生日は分からないというのが真実になる。
彼女なりに気を使ってくれたのだろう、誕生日自体はそこまでセンシティブな内容ではないとはいっても俺自身の生い立ちを知っている人からすれば聞きづらい内容ではあった。
「織斑くんの誕生日が明日ってことを聞いて、そういえば大和くんの誕生日っていつだっけって思って。誕生日が分かったとして何をプレゼントとしたら良いかなって考えたら、ちょうど私が貰ったのと同じブランドの男性用の指輪が出てるってことを聞いてすぐ用意しようってなったの」
「ナギ……」
「本来の誕生日じゃ無いと思うけど……私なりのお祝いを大和くんにしてあげたかった。だからこれは私からの大和くんへのプレゼントです」
アクセサリーケースから指輪本体を手に取って向きを整えると、ソレを俺の左手の薬指に優しくはめる。少し力を入れながらもゆっくりと薬指の根本に押し込んで行く。
サイズ感は全く問題ないレベルでピッタリだった。俺がネックレスを買った時は指輪のサイズは当然オーダー制で、購入時に使用者の薬指のサイズまで確認された。
指輪単体も例外ではなく、購入時にサイズ感を確認されたとは思うんだけどナギも目視で俺の指のサイズを導き出したんだろうか。
「うんしょ……サイズ感もピッタリだね。もし小さすぎたり大きすぎたらどうしようかと思ったけどジャストサイズで良かった」
「い、一体何処で測ったんだ? 俺と一緒にいる時に測った記憶はないんだけど……もしかして千尋姉とかに教えてもらったとか?」
いや、千尋姉にも教えた記憶は無いけどあの人なら実はひっそり測ってましたとか言いかねないから念の為確認をする。
「あ、ううん。千尋さんから教えてもらったわけじゃないよ。学園祭の休憩時間に短時間だけどお昼寝したでしょ? あの時にこっそりと測らせて貰ったの。もちろんメジャーなんて持っていないからその……自分の髪留めを使ってね」
返ってきたのは明確な否定で少し安心した。
正確な測り方じゃないから少し不安だったけど、と続ける。それでもピッタリと俺の薬指に収まったことを確認するとホッと胸をなでおろしていた。
「凄く似合ってるよ。これで服もアクセサリーもお揃いだね?」
ペロッと舌を出して何処か小悪魔っぽく、それでも嬉しそうに笑う。今日着ている服も同じ、そして着けている指輪も同じで完全なペアルックが完成した訳だ。
自分から誕生日が近いとか、祝ってくれとか言ったわけではない。自ら思い立って行動したことだと考えると自然と胸が熱くなる。
自分のお金のことを考えずに、俺がどうすれば喜んでくれるかを第一に考えてこの指輪を用意してくれたことが何よりも嬉しかった。
ネックレスもそうだったけど決して安い買い物ではない、お小遣い制の学生からするとかなり手痛い出費にもなるだろう。
自身の出費よりも人の喜びを優先してくれたその行動にもっともっと彼女のことが好きになった。
「ちょっとサプライズ気味になっちゃったのと大和くんの要望何一つ聞かずに用意しちゃったんだけど……ど、どうかな? ……きゃっ!」
少し不安そうに感想を聞いてくる彼女の両肩を掴み、身体を優しく自分の元へと抱き寄せる。突然のことに驚きの声を上げるも抵抗することなくすっぽりと収まった。
夕日に照らされて浮かぶ二つの影が一つになる。彼女の温もりといつもより早い心音がハッキリと伝わってきた。抱き寄せられたナギは少しの間胸元に顔を埋めるも、すぐに顔を上へと向ける。
その表情は何とも言えない……どちらかと言えば不安そうなものだった。
こんな素敵なプレゼントをサプライズで渡されて嬉しくない訳が無い。
「や、大和くん?」
「ありがとう、本当にありがとう」
「え、えっ? ど、どういたしまして?」
抱き締める力をより一層強める。力を込めたことで俺の顔はナギの背後に回るため、物理的に表情を見ることが出来なくなる。恐らくナギ自身は困惑の表情を浮かべながら、俺の顔を見上げようとしていることだろう。
逆に俺自身はどうか、と言われるとあまり顔を見られたくはなかった。
理由はただ一つ―――物凄く泣きそうになっているからだ。
生まれてからこれまで千尋姉に毎年祝ってもらってきたが、小学校、中学校と仲の良い友達は一人として出来なかった……作らなかったと言った方が正しいか。
だから未だに連絡を取り合っている小中校の知り合い、友達という類が俺にはいない。学校で最低限の会話はしても、プライベートでの付き合いはほぼないに等しい。家柄が影響して深い付き合いというのは俺自身が意図的に避けてきてしまったという部分が大きい。
本来はそこまでやる必要があるかと言われたらやる必要は無かったと思っている。現に高校生になってIS学園に入学してからは普通に仲の良い友達を作っているし、休日は普通に何処かに出掛けることもあれば遊んでいることの方が多いくらいだ。
変に気を遣ってしまった小中校は一体何だったのかと後悔をしているが、俺自身を変えてくれたのは少なくともIS学園のクラスメイトたち、強いては仲間たちだと思っている。本当に感謝してもしきれない。
話を戻そう。
小中校は友達と呼べる存在が居なかったことから、学校で祝ってもらうことはあれどプライベート空間で誕生日を祝われることも無い。
故に初めてプライベート空間で祝ってくれたのはナギだった。
「ど、どうしたの? 何か大和くんらしくないというか、ちょっと意外な反応でびっくりしちゃった」
「わ、悪い。俺プライベートで誕生日を祝ってもらったことが無くてさ。こんな風に祝って貰うのもプレゼント貰うのも初めてだったからこういう時どんな反応をして良いのか分からなくて……ありがとう、この指輪大切にするよ」
純粋に嬉しい。
その多幸感が心を満たしていく。誰かに誕生日を祝って貰うってこんなに嬉しいことだったんだと。指にはめて貰った指輪をじっと見つめていると思わず笑みが溢れる。
このニヤニヤしている顔もあまり人に見られたくないけど、嬉しいものは嬉しいんだから仕方ない。
「良かった、大和くんが喜んでくれて。喜んでくれるかずっと不安だったから……本当に用意して良かった」
自分のことのように喜んでくれるその姿を見ているとこちらも心が温かくなって来る。
ナギと出会えて、付き合えて本当に良かった。
一度抱き締めていた力を緩めて密着度を下げる。身体を引くと今までは死角になって見えなかった顔がしっかりと見える。
ほんのりと顔を赤らめながらも、俺から視線を離すことは無かった。言葉を発することはないが何かを期待している、何かを求めているような視線。
「ナギが用意してくれたものなら、俺はなんだって嬉しいよ」
「ほ、ホント? 例えばだけどもし『私自身』って言っても?」
「当たり前だろ。ナギがプレゼントだとしたら発狂して喜ぶと思うぞ。そのプレゼントだったら即答以外あり得ない」
例え話で自分自身がプレゼントだと言ったらどうなるかと聞いてくるが、返す言葉は一つしかない。喜んでいただくに決まっている。
ナギ自身がプレゼントだとしたら断る理由など見つける方が難しい。
「大和くん……」
俺の回答に対して喜びを含んだ蕩けた視線を向けてくる。
上目遣いのまま片手をそっと俺の胸元に添えると、何かを求めるかのように少しずつ俺との距離を詰めてきた。
「……この前は未遂で終わっちゃったもんね」
「そうだったけな」
この観覧車の現在地は頂上に着くか着かないか。つまり丁度折り返し地点にいるため、残り時間は後半分くらいは残っている。
前回乗った時は想いを伝えるまでに時間がかかり過ぎてしまい、お互いが繋がる瞬間に横槍を入れられるという何とも悲しい結末を迎えてしまった訳だが、今回は横槍を入れられる心配はない。
二人きりでいられる時間はまだ十分に残されていた。
「でも今日は、大丈夫だよ……」
空いている手で俺の片手を優しく掴み、指を絡ませ合いながらお互いに距離を縮めていく。目の前にはナギの顔がある、くすりと微笑んだかと思うと目を閉じて端正な顔を俺に近づけてきた。薄っすらと口紅を乗せた瑞々しい唇が視界に入る。
ナギの肩に手を乗せるとピクリと身体が震えて動きが止まると薄っすらと目を開ける。
お互いの目が合ってくすりと笑い合う。
「大和くんの顔、全部見せてよ」
そっと俺の左目の眼帯に手を掛けると優しく取り外す。こんな目を好んで見たいなんて余程のもの好き……いや、ナギはそれも含めて俺のことが好きだと言ってくれた。
霧夜大和として包み隠さず、この時は向かい合おう。もう言葉は何一ついらなかった。
右手でナギの左腕側から背中にそっと腕を回し、再び目を閉じると少しだけ力を入れて彼女の身体を抱き寄せた。
「……んっ」
無防備な唇を優しく奪う。
唇を介して伝わってくる優しい温もりと甘い香り。まるで飲んだ人間全員を惑わす媚薬を飲まされたようにピリピリと脳内が刺激される。正気を保とうとしても正常な思考回路を保てない、蕩けそうになる感覚。
もっと二人で繋がっていたいと思うほどに強く強く彼女を求めようとする。横槍を入れられてしまった前回とは違って今回は二人の空間を邪魔する者は誰一人居ない。
「んうっ……」
ナギの吐息が溢れる、甘くていい香りが鼻腔を刺激する。どうして女の子って良い香りがするのだろう。
本当に不思議でたまらない。何事にも言い表し難い程の瑞々しくて柔らかな唇、時間が許すのであればこれからもずっと貪っていたい。
しばらくの間口づけをしていた俺たちだが、頃合いを見計らって唇を離した。もちろんディープな方のキスはしていない。この雰囲気で舌を入れようものなら雰囲気はぶち壊しである。
そんなことをしなくても普通のキスで十分すぎるくらいに幸せを感じることが出来る。むしろそういう行為の時にするディープな方のキスのチョイスはナンセンスだ。
「……好きだ」
「っ! 私も大好き♪」
想いを伝え合うと俺の胸元に遠慮なく飛び込んでくる。
かけがえのないたった一人の存在をギュッと抱き締めた。
左手薬指に付けた指輪が夕日に照らされてキラリと光り輝く。観覧車が終着点に着くまでの間、俺とナギはずっと抱き合っているのだった。
「……」
「……」
日は暮れて時刻は既に八時を過ぎようかというところ。
既に周囲は真っ暗で人通りも殆ど無い。闇に包まれる並木道に点在する街灯の光を頼りに、寮へと戻って行く。
周囲には人っ子一人おらず、コツコツと俺たちの足音だけが鳴り響いていた。購入した服はいつもと同じようにIS学園に宅配便で送り届けることに。送料は多少掛かるとは言っても両手が塞がった状態で満員電車は大変なため、少しでも身軽にということで陸路での輸送を選択することにした。
IS学園は陸の孤島、用もないのにわざわざ休日にここで降りる人間の大半は学園関係者だけになる。俺たちが電車から降りた時も、共に降りる人間は一人もおらず。何なら電車に乗っている人間すらあまり居なかった。
ちなみにIS学園の外出、及び宿泊に関しては全て一部を除いて許可制になる。夏休み等の長期休暇中は特に申請をする必要はないが土日や平日に休むことになる場合は、事前に申請を提出する必要がある。
泊まる場合は宿泊申請書、外に遊びに行く場合は外出申請書の提出が求められる。今回は二人共外出申請書を提出しているわけだが、例えば外出中に急遽泊まることになった場合は学園に連絡の上で事後提出することになる。
中々に規律が厳しいと思われているIS学園だが、事後提出を認めてくれるなど緩いところは緩かったりする。最もこの事後提出を忘れたらお察しの通りだけど。
静かな道を並んで歩く。
日中はまだ暑さが残る状態でも、夜になれば少し涼しい風が吹き付ける。服装によっては少し寒く感じる人がいるかもしれない。
「ちょっと風が出てきたな、寒くないか?」
「うん、大和くんが盾になってくれていて私には殆ど風は当たらないから大丈夫だよ」
「あら、気付いていたのか」
風が吹き付けてくる側に俺が立ち、ナギに当たる風を最小限にするように気を付けていたのだがそれに気付いていたらしい。
ありがとねと、微笑みながら手を握って来る姿が健気で可愛らしい。
「今日も終わりか……楽しい時間って本当にあっという間だな」
「そうだね。いつの間にか夜になっちゃうんだもん。一日って本当に短いよね」
本当に早かった。
朝時計台で合流してから服を見に行って、その後にお昼を食べてから思い出のテーマパークへ。濃い一日だったという割には時間経過が著しく早かったように思える。
もう数分も歩いていれば寮に着く。此処から先は一本道で道を外れることが無ければ迷うことはない。名残惜しい、まだ離れたくないと思うほどに手を握る力は強くなった。俺の握る力が強くなると共に、ナギが手を握る力も強くなる。
「この際一日が四十八時間くらいあったら良いんだけど、そうはうまく行かないもんだ」
「よ、四十八時間は流石に眠たくなりそうだけど」
「人間のスペックがついていかないか」
ははっと笑い合う。
時間だけ長くしても人間のスペックは変わらないから、途中で限界が来るだろうしもはや時間な定義そのものが無茶苦茶になる。
非現実的な妄想は夢の中ですることにしよう。
「……ん?」
街灯に照らされる自販機を通り過ぎると対岸に薄っすらと影が映る。
こんな時間に出歩いている人間がいるのかと思いつつも、その影がこちらに向かってきていることを考えると学園から駅へと向かっているようにも見えた。
となると学園関係者か、学園で仕事を終えてこれから帰宅する最中の人間か。学園には警備員が何人か常駐しているが、監視は二十四時間ぶっ続けで行われる。とはいえ一人で二十四時間ぶっ続けで見ることは肉体限界を超えてしまうため、シフト制で交代しながら様子を見守ってくれている。
その仕事帰り、と仮定するとこの時間に学園側から歩いてくる人間が居るのは決して不自然ではなかった。
特に気にする必要も無いと再び歩を進めていく。影はどんどんと大きくなり、やがて人型のシルエットへと変化する。
「……」
上半身はパーカー下をスウェットといった、退勤する人間とは思えない程の出で立ちだ。フードを被って俯きながら歩いているせいで顔までは良く見えない。
どちらにしても変に絡む必要はないだろう、何事もなかったように横を通り過ぎれば良い。ただどちらにしても怪しい人物であるには変わりないため、ナギを向かってくる人間から遠ざける様に歩いてその人物とすれ違う。
「……」
すれ違ったが何かをされた形跡はない。隣りにいるナギもキョトンとしながらこちらを見つめてくる。俺の考えすぎだったのかと気持ちを切り替えようとした時だった。
「……霧夜大和だな?」
ふと、背後から声を掛けられる。
ここにいる人物は俺たちを除けば一人しかいない。
「ナギ、俺の後ろに隠れてろ」
「え? う、うん」
振り向きざまにナギを俺の背後に隠れさせると声の主と相見える。案の定声の主は今すれ違ったばかりのパーカーの男だった。
くぐもった生気や抑揚のない声に不気味すら感じる。
「お前……誰だ?」
「名前を語る必要などない……お前のせいで俺の大切なものは死んだ。だからお前が生きている理由は無い。お前はここで死ぬ」
男の口元にキラリと光る何かが見える。
俺は反射的にナギを自分から遠ざけようと両手を広げて後退するように伝えた。
「っ! ナギ! 俺から離れろっ!!!」
「や、大和くん!! いやぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!」
ナギの悲痛な悲鳴が虚空に木霊するのだった。